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2017年9月20日 (水)

「労働契約法9条『合意』の出所」@『労基旬報』2017年9月25日号

『労基旬報』2017年9月25日号に「労働契約法9条『合意』の出所」を寄稿しました。

 おそらくここ数年間の労働法学の世界で最もホットな論争点の一つになっているのが、労働契約法第9条の反対解釈をめぐる議論でしょう。同条は「使用者は、労働者と合意することなく、就業規則を変更することにより、労働者の不利益に労働契約の内容である労働条件を変更することはできない。ただし、次条の場合は、この限りでない。」と規定しています。この「労働者と合意することなく」という文言を反対解釈して、労働者と同意すれば就業規則を変更して不利益変更することができると解釈するのか(合意基準説)、次の第10条に基づいて合理性審査が必要と解釈するのか(合理性基準説)をめぐる論争です。詳細は労働法の教科書や論文に書かれていますのでここでは解釈論には一切踏み込みません。ここで論じたいのは、確立した判例法理を「足しもせず、引きもせず」立法化したはずの労働契約法の文言からなぜこうした問題が飛び出してきてしまったのか、という立法学的検討です。
 この「労働者と合意することなく」という文言が初めて登場するのは、2007年1月25日の労政審労働条件分科会(以下「分科会」)に諮問された労働契約法案要綱においてです。しかし同日の議事録を見ても、「原則としてできない、ただし・・・」という点については議論になっていますが、この「合意」自体は議論になっていません。そもそも法案作業では通常、法案要綱として諮問される前にほぼそれに対応する中身が建議/答申としてまとめられるもので、これについても2006年12月27日に「今後の労働契約法制の在り方について」答申がされています。そこでは「就業規則の変更による労働条件の変更」として「就業規則の変更による労働条件の変更については、その変更が合理的なものであるかどうかの判断要素を含め、判例法理に沿って、明らかにすること。」と書かれていました。「労働者と合意することなく」という文言は、少なくとも厚生労働省当局は「判例法理に沿っ」たものと理解しており、分科会の委員も特に異議を唱えていなかったことがわかります。
 しかし問題はむしろ、それまでの諸判決には明確にそういう文言が存在しないにもかかわらず、「労働者と合意することなく」という文言が判例法理に沿ったものとして立法過程に入り込んできたのはなぜかという点にあります。それを理解するには、それに先立つ分科会の審議において、労働側委員が繰り返し合意原則の重要性を主張したことを認識する必要があります。詳しくは「集団的労使関係法としての就業規則法理」(『季刊労働法』2007年冬号(219号))に書きましたが、分科会の議事録を読んでいくと、労働側委員が「契約法上は、契約というのは当事者双方の合意であり、合意がなければ法的効果は何も発生しないはず」とか「市民社会のルールの基本的な契約のルールというのは当事者の合意」といった、学者や弁護士ならいざ知らず、労働組合の意見とは到底思えないような発言を繰り返しており、民法の私的自治原則を強調する方向に引っ張っているのです。西村分科会長が皮肉混じりに「就業規則法制・・・ああいうものはもう古いモードなので、脱ぎ捨ててやめてしまったらどうかとおっしゃるのだったら、奥谷委員もすごく喜ぶのではないか」、「我々が労働法の授業をやるときには、市民社会のルールというところから出発するわけで、まずは出発点なのですが、その出発点は21世紀ではなく、18世紀と言うか、19世紀と言うか。それは労働者にとってはハッピーではなく、どちらかというと不幸ですよね」というほど、労働組合は市民法の合意原則を高く掲げていたのです。
 実は、今後の労働契約法制の在り方に関する研究会が2005年9月にまとめた報告書では、判例法理を維持するのではなくあえて集団的合意原則を加え、「過半数組合が合意した場合または労使委員会の委員の5分の4以上の多数により変更を認める決議があった場合には、変更後の就業規則の合理性が推定される」という立法を提案していたのです。分科会でも、2006年4月11日の「検討の視点」や6月13日の「在り方について(案)」ではさまざまなバリエーションを含みつつ同様の提案がされていたのですが、9月11日の「今後の検討について(案)」では「わが国では就業規則による労働条件の決定が広範に行われているのが実態であることにかんがみ、就業規則の変更によって労働条件を集団的に変更する場合のルールや使用者と当該事業場の労働者の見解を求めた過半数組合との間で合意している場合にルールについて検討を深めてはどうか」とかなり後退し、11月21日の「今後の労働契約法制について検討すべき具体的論点(素案)」では、集団的合意原則は完全に影を潜め、判例法理そのままに現行第10条の原型が示されています。

イ 使用者が就業規則を変更し、その就業規則を労働者に周知させていた場合において、就業規則の変更が合理的なものであるときは、労働契約の内容は、変更後の就業規則に定めるところによるものとすることとしてはどうか。
ロ  上記イの「合理的なもの」であるかどうかの判断要素は、次に掲げる事項その他の就業規則の変更に係る事情としてはどうか。
ⅰ  労働組合との合意その他の労働者との調整の状況(労使の協議の状況)
ⅱ  労働条件の変更の必要性
ⅲ  就業規則の変更の内容

 しかしこれに対しても、労働側は判例法理そのままではないと批判します。原点の秋北バス事件最高裁判決は「就業規則の変更により、一方的労働条件の変更は、原則できない」と言っているではないか、できないのが原則であって例外が変更法理なのだから、その通り書け、と。この時の労働側の議論は、判断要素の冒頭に労働組合との合意が出てくるのがおかしい、「労働組合による変更、プロセスが際立って第1番目に出てきますので、そこは重視されるという裁判所の判断が出てこないかと危惧」するなどという、到底労働運動の言葉とは思えないような労働組合不信論を振り回すに至っています。
 かくも集団的合意原則を否定し、労働者個人の市民法的合意原則の明記を強く要求した労働側の努力の結実が、上記労働契約法案要綱であったわけです。とりわけ、答申案が示される直前の12月12日に、多くの労働法学者が「就業規則変更法理の成文化に再考を求める労働法研究者の声明」(『季刊労働法』216号所収)において、「たとえ合理性の要件に制約されるとはいっても、使用者による一方的な労働条件決定・・・を認める法理は、契約法としては極めて特異であり、契約原理に悖るものといわざるを得ない」と批判し、「個別契約当事者間における契約変更方法の検討のための努力」を求めていたことが重要です。12月27日の分科会では労働側からこの声明が「理屈としては全くそのとおり」と紹介されています。判例法理に「何も足さない、何も引かない」と言いつつ、その判例法理を「契約原理に悖る」と批判する議論に対して、厚生労働省が出した答えが、判例法理に「労働者と合意することなく」という市民法的合意原則の文言を「足す」ことであったわけです。そして上述したように、この「足」した部分に対して、いまや市民法原理の守護神となった労働側はなんら文句をつけようとはしなかったのです。
 市民法的合意原則への熱狂が収まると、もともと労働法がそこから生まれてきた労働者個人の弱さという原点が再び露呈してきます。19世紀的市民社会のルールは、必ずしも労働者にとってハッピーではなく、不幸の元でもありうるという、労働法の教科書の冒頭に必ず書かれている常識が戻ってきます。労働者の個別合意を使って就業規則を変更するという事例がいくつも出現し、それをめぐって労働法学者が論争するという現在の状況が生み出されてきたのです。ただ、いかにも皮肉なのは、判例法理に「足」された「労働者との合意」を現在批判している学者の多くが、それを生み出した判例法理を「契約原理に悖る」と批判していた人々であることでしょう。
 そして、私の目から見て最大の問題は、就業規則の問題が結局市民法的個別合意原則と使用者の一方的決定プラス裁判所の合理性判断という二者択一の袋小路に閉じ込められたままであるということです。「労働条件の集合的処理、特にその統一的かつ画一的な決定を建前とする就業規則の性質」に即した集団的労使関係を活用した集団的合意原則の可能性は、その旗手であるはずの労働側によってほとんど全面的に否定されて以来、復活の兆しすら見えません。「集団的労使関係法としての就業規則法理」は未だに論文のタイトルのままです。

 

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コメント

おっしゃるとおりだと思います。
某ナショナルセンターの加盟単組が経営と鋭く対立してまで、労働者の利益を守るなんて実態は無い訳ですよ。執行部自体、日本型の雇用慣行の下人事権をガッチリ握られてますから。
法律で決めないで、自分達の労使合意に委ねられても困るわけです。個別合意とどんぐりの背比べになってしまうので…
恩恵的な労働法と個別合意の間に、これまた恵んでもらった就業規則しかないわけで…
こういうふうになるようコントロールしていって、労働力以外に大きな資源なき国が発展したこともあるわけで…
集団的合意 魅力的ですが現状かなり難しいのではないでしょうか。

投稿: 万年係員 | 2017年9月21日 (木) 22時23分

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