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2017年8月 4日 (金)

「人づくり」政策の元祖は・・・

安倍首相が「人づくり革命」を唱えていることに、共産党の小池氏が「革命という言葉をね、軽々しく使わないでほしい」と抗議したという記事が話題になっていますが、

http://www.asahi.com/articles/ASK835VX0K83UTFK022.html

まあ、確かにそういう資格があるのは共産党くらいだろうな、とか、そういえばAIに腐敗無能といわれた中国共産党は、今でも革命政党なんだろうか、とか、と思いつつ、

一方、そんなこと言い出したら、いま世間で話題の第4次産業革命ってどうよ、とか、いやそもそも第1次というかトインビーの名付けたあの200年前の産業革命はどうよとか、まあいろいろと考えさせてくれます。

それくらい「革命」という言葉は未だに結構話題のネタになるようですが、言葉の幹のはずの「人づくり」については、あまり話題になっていないようですが、でもね、戦後労働政策、教育政策の歴史を知っている人からすると、「人づくり」政策ってのは、今から半世紀以上昔の池田勇人内閣の掲げた政策だったんですよね。

1960年の国民所得倍増計画や、とりわけ1963年の人的能力政策に関する経済審議会答申に見られる、教育を経済成長のための投資と位置づける池田の発想がこれからの政策の中心になるのでしょうか。

http://hamachan.on.coocan.jp/sanshin1506.html (「日本型雇用システムと職業教育の逆説」『産業と教育』2015年6月号)

・・・戦後日本はなぜそのような仕組みになったのだろうか。実は、ある時期までは公的教育訓練システムを中心におく政策構想が政府や経営者サイドから繰り返し打ち出されていた。これは賃金制度論において同一労働同一賃金に基づく職務給制度が唱道されたのと揆を一にしている。

 1950年代、政府の審議会は普通教育偏重をやめ職業教育を重視するよう繰り返し訴えていた。18歳までのすべての若者に教室での学習と現場での実習を組み合わせたデュアルシステム的な義務教育を保障しようという構想もあった。日経連もこの時期、普通課程の高校はできる限り圧縮して工業高校の拡充を図ることや、5年制の職業専門大学(これは高等専門学校として実現)や6年制職業教育の高校制を導入すること、さらには高校に技能学科を設け企業内訓練施設を技能高校に移行することなどを求めていた。

 一方労働行政では、監督行政から技能者養成を切り離し、職業補導と合体させて職業訓練と名付け、独立した政策分野として位置づける職業訓練法を1958年に制定した。ここでは、ドイツやスイスの技能検定制度に倣って新たに技能検定制度を設け、技能士の資格を有することで労働協約上の高賃金を受けることができるような、企業横断的職種別労働市場が目指された。

 この方向性は、1960年の国民所得倍増計画と、とりわけ1963年の人的能力政策に関する経済審議会答申において、政府全体を巻き込んだ大きな政策目標として打ち出された。ここでは、職業に就く者は全て何らかの職業訓練を受けるということを慣行化し、人の能力を客観的に判定する資格検定制度を社会的に確立し、努力次第で年功や学歴によらないで上級資格を取得できるようにして、労働力移動を円滑化すべきだと主張していた。特に職業高校について「実習の適当な部分は企業の現場において行う」ことや、さらには「一週間のうち何日かの昼間通学を原則と」し、「教科は教室で、実技は現場でという原則の下に」、「職業訓練施設、各種学校、経営伝習農場等・・・において就学することも中等教育の一環として認められるべき」といった形で、明確にデュアルシステムを志向していたことが注目される。・・・

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