ジョブの研修、やる気の研修
研修を英訳するとトレーニングであり、もう一遍和訳すると訓練になる。
新人研修とは何か?
「この仕事できますか?」「はい、できます」で就『職』する社会では、それは一応の教育訓練を受けている仕事について、より実務レベルで突っ込んだ訓練を施すことだ。
日本でも、ジョブ型の医療職では、新人医師や新人看護師の研修というのはまあそういうものだろう。
しかし、「我が社のどんな仕事でもやる気がありますか?」「はい、やる気があります」で入『社』する社会では、そういうわけにはいかない。
ではどういう風になるか。
「そもそも君たちがやる仕事は・・・」というやり方もあり得るし、結構多い。
でも、そうである必然性はない。
とりわけ、具体的な仕事についてはそれぞれの職場で上司や先輩からOJTで失敗しながら経験を積んで学んでいくという前提に立つと、それ以前の段階の新人研修では、これからそれぞれ配置された職場で覚えていく個々の仕事について教えることにあまり意味はない。
だったらそんなことはやめてしまえばいいのだが、人事部の存在意義を考えるとやはり新人研修はやりたい。
これからやる個々の仕事とは関係のない「やる気」を高めることのみを目的とした、ジョブ型社会ではあまり想定できないような「研修」が必要になる所以である。
とはいえ、それをその会社の先輩たちがやる分には、まあそうとんでもないことにはならない。要するに、「我が社でやっていくにはどうするべきか」を教え込むという話になる。
しかし、この本来ジョブ型社会ではあり得ない「新人研修」を、あたかも企業を超えた労働市場通貫的な一般原理を叩き込むことであるかのように装って自社でやりきれない会社に売りつけるというビジネスモデルを考案した賢い人がいたのだな。
ジョブのスキルを身につける研修なら、いくらでもアウトソースできる。とりわけ「この仕事できますか」「少しはできるけど、あんまりできません」というのを採用して使っていかなければならない会社にとっては便利だろう。そういう「研修」ビジネスというのは、ジョブ型社会なら大変合理的だ。
しかし、「やる気」のエンハンスメントという本来一般的な形で商品として売ることができるはずのないものを売りつける商人には、そういう道理はあんまり関係ない。そういう商品を買ってくれる会社の人事部があればそれでいい。
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突っ込みどころ満載のエントリですね(笑)
私からはこの機会に、ジョブ型企業の人事部(L&Dチーム)で企画&実施しているトレーニングプログラム(例)をご紹介させて頂きます。ご参考になれば幸いです。
Workload Management (Copying with pressure, Time management)
Essential Business Writing Skills (Emails and other communications)
Team Management (Effective Feedback)
Stakeholder Management (Managing client’s expectations)
Working in Teams (Across Cultures)
Winning with your Manager (Getting to know your manager, Taking instructions and Managing Multiple Managers)
Delegation and Supervision Essentials
Coaching Essentials
以上、「やる気」とか「モチベーション向上」等のメニューは一切合切ございません、悪しからず…。
投稿: 海上周也 | 2017年8月 9日 (水) 18時28分
先ほどの外堀を埋めるようなコメントはともかく、今回のコメントは少し「内堀」に入りますよ…。
曰く、
「人事部の存在意義を考えるとやはり新人集合研修はやりたい」
「そういう商品を買ってくれる会社の人事部があればそれでいい」…。
うーむ、いくら「人事部」をスケープゴートにしてもメンバーシップ型日本企業の課題は一向に解決されないと思うのですが…。
と言いますのも、あくまで日本企業の人事部は「会社」としての意思(あるいは社員や労組からの依頼やら期待)を一身に受けて、独自の慣行たる「新卒大量採用」及び件の「新人研修」を(各部門になり代わって)粛々と取り進めているだけですから。
かれこれ、20年も前でしょうか…。
某労働経済学者のベストセラー「人事部はもういらない」で出された、ラディカルな提言 〜"日本型経営のボトルネックは「人事部」にこそある。よってその中央集権化を廃し、各部門へ採用&評価権限を分散させるべし!"〜は、時代精神を鷲掴みにして、当時(「成果主義」前夜)の多くのサラリーマン(人事マン以外)を魅了したように記憶しています。
実際にその提言の方向で人事部を廃し、各現場へ採用権限を移譲した一部の企業(ミスミ?)も話題になりましたね。ただその後の20年間で起こったことを顧みれば、「人事部」は廃止されるどころか(相対的に他の間接部門がアウトソースやオフショアが進んだ中で)ますますその存在感を増してきたと言っても過言ではないでしょう。
それはなぜか?
きっとそれは、日本企業における人材活用の原理原則たる「新卒大量採用」「定期的人事異動」(転勤含む)というメンバーシップ型維持の「基幹システム」が、いまだ(多くの社員から期待され)強固に維持され続けているからでしょう。(参考〜シャープを買収したホンハイは人事部主導の人事ローテーションを原則廃止しましたね)
すると、もしかすると正規/非正規格差が進行した過去20年の間に日本のメンバーシップ型基幹システム自体は一層強化されてきており、その結果、人事部のコントロールがさらに増している可能性もありかと。(昨今の「新人集合研修」での自殺事件のニュースなどを見聞きしますと、本当に心が暗くなってしまいます。)
さらには「働き方改革」も待ったなし…。
ますます期待やら責任の増しゆく日本企業の「人事部」は、今後もこれらの過大な負担にどれほど耐えうるのでしょうか?(そろそろ肩の荷を降ろしたらよいかと思うのですが…。)
インバウンドで外国人「観光客」が増えています。
次は、日本企業が「雇用主」としていかに彼らを惹きつけ、定着させることができるかが課題でしょうね。
投稿: 海上周也 | 2017年8月 9日 (水) 21時29分
日本の労働社会の「解雇せずに教育せよ」というドグマがはらむ危険性というものも、もっと認識されてよいのでは、と思います。教育指導が原因で起きる悲劇というのも多々ありますし。かの電通の過労自殺事件も教育指導のいきすぎが原因という一面を持っていますね。
ドロップ アウトの強制が許されないと、「徴兵制での新兵訓練」のようになりがちではないかと思います。つまり生き残った者は全員合格、訓練中に死亡した者も全員合格、ということですね。
投稿: IG | 2017年8月 9日 (水) 23時06分