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子どもの貧困@『月刊連合』8/9月号

20170809_cover_l『月刊連合』8/9月号が「子どもの貧困」を特集しています。

https://www.jtuc-rengo.or.jp/shuppan/teiki/gekkanrengo/backnumber/new.html

「子どもの貧困」と聞いて、みなさんは実感がありますか?
                        最新の日本の「子どもの貧困率」は13.9%。12年ぶりに改善したとはいえ、いまだ7人に1人の子どもが貧困状態にある。地域では、「学習支援」や「子ども食堂」など、直接子どもと関わる支援の取り組みが始まっているが、そこから見えてきたのは、厳しい貧困の現実だ。
でも、現実が見えれば、必要な支援につなげることができる。
                      子どもの貧困解消に奔走する最前線の取り組みを追った。

なぜ労働組合が子ども貧困を取り上げるのかといえば、それは根幹にあるのは労働問題だから、と、神津会長と対談している阿部彩さんが語っています。

20170809_p89


ここは重要なところなので、若干引用しておくと、

阿部 相対的貧困率は「収入」だけで見た指標であり、子どもの貧困は、端的に言って収入の少ない親が増えてきたことが最大の要因です。東京都の調査では、「両親ともに正規雇用」の世帯の貧困率は非常に低いのですが、「両親ともに正規雇用ではない」世帯が1割以上あって、ともに非正規、非正規と自営業、非正規と無職という世帯では、所得の落ち込みが大きい。特に自営業の所得の低さも目立ちます。

阿部 ・・・ただ一つ、私にはもどかしい思いもあるんです。それは、労働者が一生懸命働いているのに、どうして自分の子どもに満足に食べさせ、学ばせることができないのか、と言うことです。シングルマザーの多くは、仕事を2つも3つも掛け持ちして、早朝も深夜も働いているのに、ギリギリの生活で、子どもと一緒に夕食を食べることも宿題を見てあげることもできない。ワーキングプアと言われる、そんな労働環境こそ問題としていくべきではないか。普通に働いていれば、子どもに不自由な思いをさせずにすむ収入が得られるべきではないか。つまり、貧困問題の根幹にあるのは労働問題であると言うことを、もっと訴えなければと思っているんです。

ここまでであれば、おそらく誰も反対はしないでしょう。しかしその先に行くと、戦後日本の労働運動の根幹に関わるあるパラドックスが露わになってきます。

阿部 かつての労働運動は、「働いて家族を養える賃金をよこせ」と要求していましたね。それは今、リビング・ウェイジ(生活保障賃金)という考え方に引き継がれていると思うのですが、まだまだ日本では大きな運動になっていない。

この阿部さんの言葉に対し、神津さんは「クラシノソコアゲ応援団」がそれをやっているというのですが、戦後70年の日本の賃労働史を顧みれば、これはまことに絡み合った噺だということがわかります。

ここでは、リビング・ウェイジを「生活保障賃金」と訳していますが、いやいや戦後日本の賃金制度の基本形だった電産型賃金体系以来、日本の賃金の根幹は「生活給」であり、それを素直に訳せばリビング・ウェイジでしょう。

そしてそれはまさに女房と子どもを抱えた成人男子労働者を前提として「働いて家族を養える賃金をよこせ」と言ってきたが故に、上で阿部さんが言っているような事態をもたらしてきたというパラドックスを生み出しているわけであって。

20170603225520_2これは先日、『労働情報』誌に寄稿した小論でも述べたことですが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2017/06/post-9189.html(年功給か職務給か?@『労働情報』にコメント)

そもそも賃金は労務の対価として市場における交換の正義に従うとともに、それによって生計を立てるべき原資として分配の正義に服するべきものである。しかしながら両者は多くの場合矛盾する。このダブルバインドをいかに整合性ある思想の下に統一するかは、いかなる賃金制度であっても解決しなければならない課題であった。そして極めてざっくりいえば、それを労働市場の集団的プレイヤーたる労働組合が主導する形で、あくまでも交換の正義に従う「職務」に基づく賃金を分配の正義を充たす「生活」しうる水準に設定することによって達成しようとしてきたのが欧米の職務型社会であった。原則としてそれで生活できる水準の賃金を、団体交渉を通じて「職務」単位で決定する。それで賄いきれない部分は福祉国家を通じて、すなわち純粋に分配の正義に基づいて補われる。

 それに対し金子が引く伍堂卓雄は、賃金決定において年齢と扶養家族という分配の正義を全面に出し、交換の正義の追求を否定した。市場の集団的プレイヤーとしての労働組合が欠落した生活給思想は、戦時体制下に皇国勤労観によって増幅強化され、終戦直後の電産型賃金体系に完成を見る。当時、世界労連はかかる賃金制度を痛烈に批判していたのだが、日本の労働組合は断乎として交換の正義を拒否したのである。

欧米の労働組合とは異なり、交換の正義を否定してまで生活給という形での分配の正義を追及した日本の労働組合が得たものの裏面には、そのミクロな分配の正義の対象から外れた者にはいかなる正義も適用されないという事態であったわけです。

そして今さらのように、同一労働同一賃金という名の下に市場における交換の正義が声高に叫ばれるに至ったわけですが、そこに欠落しているのは、その交換の正義はマクロな分配の正義でもって下支えされていなければ、同一低労働同一低賃金に陥ってしまいかねないということであり、だからこそ阿部さんの言うリビングウェイジは重要なのですが、それと今なお日本の正社員賃金の根幹をなす日本的生活給との関係を思想的にどう整理すべきなのかは、なかなか手がつけられていないままなのですね。

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