フォト
2021年9月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    
無料ブログはココログ

« 生産性革新に向けた日本型雇用慣行の改革へのチャレンジ@経済同友会 | トップページ | 類塾に類する戦前の類例 »

2017年7月 2日 (日)

自業自得りふれはの国際的炎上

昨日のエントリで取り上げた日銀審議委員の原田泰氏の発言が、ついにサイモン・ウィーゼンタール・センターの目にとまり、謝罪声明を出すに至ったようです。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2017/07/post-5ae3.html (「りふれは」の自業自得的オトモダチ効果)

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170701-85661668-bloom_st-bus_all (ヒトラーの経済政策「正しい」発言に国際的な非難-日銀が謝罪声明)

・・・原田委員は自身の発言について、日銀広報を通じ、「一部に誤解を招くような表現があったことについては、心よりおわび申し上げたい」とコメントした。日銀も「審議委員の発言に誤解を招くような表現があったことについては遺憾に思っており、こうしたことがないよう、今後とも注意してまいりたい」との声明を発表した。

まあ、話の中身については昨日のエントリに付け加えるべき事はそれほどあるわけではありません。

ナチスに先立つワイマール時代の政権、とりわけ労働者の利益を代表するはずの社会民主党が、時代の必要性からも彼らの立場からも当然取るべきであったケインジアン的経済政策を拒否し、それまでの「オーソドックス」な経済政策に固執したことが、致命的な失政であったことを嘆き悲しむのであれば、それは(池田信夫のような人々からは批難されるかも知れませんが)多くの進歩的な人々から共感を呼ぶ発言であったでしょう。

Thal それが、本ブログで繰り返し紹介してきたシュトゥルムタールの『ヨーロッパ労働運動の悲劇』で力説されていることでもあります。

しかし、原田氏がやらかしたのは、権力を掌握したナチスが諸々の極悪非道、悪逆無道とともに遂行したある種の軍事ケインズ主義を賞賛(しているかのように受け取られる恐れのある発言をあえて)するという事態であったわけです。そしてその国際的帰結が上記国際ユダヤ組織による抗議と、日銀という組織自体による謝罪であったわけですね。

私自身がリフレ派やその中の「りふれは」に妙な言いがかりをつけられたりした経験から思うに、この事態には、リフレ派諸氏に共通するある種の心の構えの歪みが露呈していると思われます。

それは、物事をただただひたすらマクロ経済政策という特定の視角からのみ見ることが絶対的正義であり、それ以外の観点を混入させることは天地ともに許されざる悪行であるかのごときものの言い方をする傾向が、程度の差はあれ、なにがしか観察されるということでした。

物事をただひたすらマクロ経済政策の観点からのみ見るならば、今回の原田発言とシュトゥルムタールの『ヨーロッパ労働運動の悲劇』はほぼ同値と評することができるでしょう。実際、昨日のエントリで私自身、

ここで言われていることの歴史学的ないし社会科学的意味自体で言えば、その言説は殆ど正しい。というか、それは本ブログで繰り返し紹介してきたシュトゥルムタールの『ヨーロッパ労働運動の悲劇』の認識と殆ど変わらない。

と述べたとおりです。この点に関する限り、原田氏はシュトゥルムタールと同じ側におり、居丈高に彼を批難する池田信夫氏の反対側にいる。

しかし、もちろん(リフレ派諸氏の認識とは異なり)世の中で大事なのはマクロ経済政策『だけ』ではないわけです。

本ブログの過去ログを見ると、マクロ経済政策以外のこと、例えば社会政策的な観点を少しでも論じようとすることに対して信じられないくらい居丈高に批難しまくるりふれはの異常な姿がこれでもかこれでもかと浮かび上がってきます。とりわけある種の「りふれは」は、ただひたすら金融緩和政策のみをあがめ奉ればよいので、それ以外のことに少しでも言及すると異教徒に対するような猛爆撃が降り注いできたものですが、そういう物事に対する心の構え方が、今回の事態の背景にあったのではないかと、これはりふれはの誹謗中傷に晒されたことのある身としては心から思います。

物事をただただひたすらマクロ経済政策という特定の視角からのみ見ることが絶対的正義であり、それ以外の観点を混入させることは天地ともに許されざる悪行であるならば、たしかに社会民主党の失政を嘆くこととナチスの善政を褒めちぎることとは同値であり、

原田発言のどこが問題なのか全くわからない。因縁つけてるやつはみんなバカか悪意があるかどっちか。

ということになるのでしょう。

残念ながら、世の中ではそれ以外のことも、とりわけナチスに関してはそれ以外のことの方が遥かに重要なのです。

そういう常識を、自らの自発的マクロ経済への視野狭窄によって見えなくしてしまったことの一つの帰結が今回の事件であったと言えましょう。

« 生産性革新に向けた日本型雇用慣行の改革へのチャレンジ@経済同友会 | トップページ | 類塾に類する戦前の類例 »

コメント

中央銀行の政策委員会メンバーがマクロ経済べったりの視点から語ることに何の問題があるのやら。むしろ門外漢なのに識者としてしたり顔で語る(どこぞの労働法の専門家は労働法以外についてもやってたりするみたいだが)より、自分の専門性あるもので何でも切ろうとする方がよほど誠実。サイモン・ウィーゼンタール・センターのような厄介なところに目をつけられたら謝っておく処世も悪くはない。

"Japanese central banker praises Hitler's economic policies" なんてタイトルでロイターが配信すればそりゃSWCは動きますわ。マクロ経済がどうのこうの以前の話。

他の通信社は伝えるほどの内容でない、その程度には注意を払って喋っていたであろうものを日本のロイターの田巻一派が伝え、それを釣りタイトルで英語版がとりあげるマッチポンプという点ではマクロ経済の話ではあるが。

文句があるのならロイターでもサイモン・ウィーゼンタール・センターでも喧嘩を売りに行けばいいですが、まあ返り討ちに遭って事態を悪化させるだけでしょうね。

少なくとも、あの発言を一文で要約すると「Japanese central banker praises Hitler's economic policies」が間違いかといわれれば、「ヒトラーの経済政策」を称賛しているのは確かなのだから、間違いとは言えない。より厳密には「Japanese central banker praises only Hitler's economic policies, but not his other policies」と要約すべきだったと言ったところで、所詮遠吠えでしょう。

「other policies」こそがもっとも重大であると判断するのがおよそ社会人であれば常識であるナチスを、軽々に「マクロ経済べったりの視点から語ること」が、世界の常識によってがつんとやられたと云う事が、未だによくわかっていない迷蒙の徒がぞろぞろ出てきますな。

ていうか、上記エントリで述べた肝心の心の構えの問題を反省することなく、こんなところでつまらぬ愚痴っているような連中だから、「りふれは」って言われるわけですよ。

原田さんの発言の全体をみればナチスに対する厳しい認識は示されているものの、自分の立場をわきまえずに公の場で限定付きであれナチスの業績を称賛することが、どのような批判を受けるのか、慎重に判断すべきでしたね。おそらく原田さんの周囲にも外国研究者も含めて、初期ナチスの財政政策について同様の認識の人は多くいるでしょうし(間違っているわけではないですから)クルーグマンだって、聞かれればまともな政策だったというでしょう。しかしあそこでその認識を開陳してしまうというのはいかにもセンスが悪すぎますね。まして連合国(United nations)がいまでも敵国条項の対象としている二国の片割れが、もう一方の政策をいまさら褒めたりしたらこれはアウトでしょう。

日米欧の経済金融テクノクラート達を「経済音痴」の愚か者と罵り、自らをマクロ経済政策の深奥なる神秘を知る者であると自任するのが「りふれは」ですからね。最近は「反緊縮」と称していて、「財政政策通」をも自任しているようですが。

まあ、「りふれ」政策であらゆる社会問題を解決できると豪語していた - ちなみに現日銀副総裁ですが - 連中ですし、カルト宗教団体と変わらないですね。日銀がこのカルト宗教団体に乗っ取られてしまっているのは憂慮すべきなのでしょう。経済学を「世俗の宗教」、「神のいない宗教」とはよく言ったもの。

http://www.rawstory.com/2016/02/ben-bernanke-says-hitler-was-the-guy-who-got-economics-right-in-the-1930s/
何倍も著名な人が同じことをやっているのに問題とならないのが、今回の騒動がロイターのマッチポンプのためということの証左。

だから、本当にそう思っているなら、なんでバーナンキは許されておいらは許されないんだ、って、ロイターでもサイモン・ウィーゼンタール・センターでも喧嘩を売りに行けばいいんじゃないですか。

それこそこんな場末のブログのコメント欄でおだを上げていたって何にも事態は変わりませんよ。

文句を言いにいけない弱みが日本の「りふれは」にあるのかどうかは私の関知するところではありませんが。

それにしても、池田信夫みたいな、そもそもあの時代にケインジアン政策をとることに意味があったという認識自体を全否定する全面的な敵にはおびえて何にも文句を言いに行かないでおいて、
ヒトラー礼賛は批判しているけれどもその前のワイマール時代に取るべきであったという点ではむしろ共通する議論をしている人のところにばっかり押しかけて、ぐちぐちとつまらないたわ言ばっかり垂れ流すような情けない連中ばっかりいるから、「りふれは」って馬鹿にされるんですよ。

言いたいことがあるんなら、本気で主敵に面と向かっていかんかい、この臆病者!

いわゆる、「りふれ派」というのは、経済学に対する「反知性主義」の表れでしょう。
しろうとには、貨幣数量説がとてもわかりやすいわけで。

新書書評で、有名な山下ゆさんが、今度でた「りふれ派」の代表的論者の1人飯田氏の光文社新書「飯田のマクロ」をほめちぎっていますが、その言わんとするところは、理論的な整合性は問わず、そのときそのときで、適宜実情にあうような理論をとればよいというのは、なんとも、ご都合主義で、実務家のいうこととしてはわかりますが、学者としては、なんだかなあという感じです。

ルーカス批判で、ミクロ的基礎のない新古典派総合が凋落してきた学問的経緯を無視した、英語にしたら、びっくりされるような言説が、日本語という世界だから許されるというのも。

今回の、日本語での発言なら大丈夫というような安易な発想が、すくなくとも、普遍性を重んじるはずの学者の態度としてはよくなかったということではないかと思います。

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 自業自得りふれはの国際的炎上:

« 生産性革新に向けた日本型雇用慣行の改革へのチャレンジ@経済同友会 | トップページ | 類塾に類する戦前の類例 »