徳川家光の母
実は私は人に言えない黒歴史がありまして、中学生時代、八切止夫の本にはまって、何十冊もむさぼるように読み、挙げ句の果てに学校の社会科の教師に「これが真実の歴史だ、さあこれを読め」みたいなことをやらかしたりしたことがあるんですが、さすがにその後成長するにつれ、さすがに信長殺し光秀ではないとか、徳川家康は二人いたとか、上杉謙信は女だったとか、そういうのはないやろと思うようになり、若気の至りは深く心に中に秘め隠してきたのですが、さはさりながら、いくつかいやいやそれはありかも知れないというネタがあり、その一つが徳川家光の生母は江ではなく春日局だというのがあったんですね。
最近出た福田千鶴さんの『春日局』(ミネルヴァ書房)が話題ですが、実は福田さんは既に大河ドラマに合わせて出した『江の生涯』(中公新書)で、家光の生母は江ではないと言っていたので、その時に結構話題になっていたのですが、今回の本について、『文藝春秋』6月号の鼎談書評(山内昌之×片山杜秀×柳田邦男)で、片山さんが実は小学校の頃八切止夫が云々というのを見て、一瞬にして45年前の記憶が蘇ってきたでござるよ。
« 『EUの労働法政策』品切中 | トップページ | 労働政策フォーラム「The Future of Work」基調報告スライド »
コメント
« 『EUの労働法政策』品切中 | トップページ | 労働政策フォーラム「The Future of Work」基調報告スライド »
>さはさりながら、いやいやいくつかそれはありかも知れない
ということで、そののちには、福田先生の著作のような確かな(実証性に富む)著書にまで行き着く(?)のであれば、あながちトンデモ説もバカにできないものなのかもしれないですね。
ただ悲しいかな、トンデモ説に執着する人は、えてして「いくつか」という見分けをせず、「(ほぼ)まるまるすべて」をことごとく信じちゃう、という気がするのだけれど…。
投稿: 原口 | 2017年5月16日 (火) 23時45分
素人の無根拠の感想で申し訳ありませんが、
>徳川家光の生母は江ではなく春日局だ
家光の父の秀忠は律儀(恐妻家?)で江以外の女性との子供は1人(保科正之)だけで、(秀忠が江に発覚する事を恐れて?)彼は将軍の子としてではなく家臣の子として育てられました。家光の母が江でなければ、家光と保科正之の扱いの違いが気になります。
>信長殺し光秀ではないとか、徳川家康は二人いたとか、上杉謙信は女だったとか、
さらにトンデモ説ですが、
家光の生母は江ではなく春日局であり、父は秀忠でなく家康だ
というのはどうでしょうか?
徳川家光は1604年生まれですが、家康の十一男である徳川頼房は1603年生まれ、五女の市姫は1609年生まれなので、年代的には可能性があります。
また父が家康だとすると
・江が自分(正室)が生んでもいない子供を自分の子として育てた事
・江は家光より弟の忠長(自分が生んだ子)を寵愛し後継に望んだ事
・家康が春日局の求めに応じて、わざわざ江戸に行って家光が後継である事を秀忠と江に認めさせた事
・家光は父(秀忠)を憎み、祖父(家康)を尊敬していた事
も納得できます。
投稿: Alberich | 2017年5月17日 (水) 21時49分
それらの論点についても福田千鶴さんは丁寧に論じています。EUとも労働とも法とも政策とも関係がない話題なので、これ以上は上記書籍等をお読みください。
投稿: hamachan | 2017年5月17日 (水) 22時06分