メンバーシップ型とルーティンタスク
最近、AIと労働をめぐる議論が盛んですが、たまたま労働経済学者の山本勲さんの『労働経済学で考える人口知能と雇用』(三菱経済研究所)をパラパラと読んでいたら、大変興味深い一節がありました。
https://www.amazon.co.jp/dp/toc/4943852599
第1章 人工知能やロボットの普及による労働市場への影響
第2章 1980年代以降の技術革新と労働市場:観察事実と理論モデル(賃金格差の拡大とスキルプレミアムモデル
雇用の二極化の進展とタスクモデル)
第3章 人工知能やロボットなどの技術革新の労働市場への影響予測:AI技術失業仮説(タスクモデルに基づくインテリジェントICT化の労働市場への影響
AI技術失業に関する指摘
AI技術失業説の留意点)
第4章 日本の労働市場の特性と技術革新との関係(日本の労働市場でのRoutinization仮説
日本的雇用慣行とインテリジェントICT
非正規雇用とインテリジェントICT
インテリジェントICTの利活用と雇用
超高齢社会におけるインテリジェントICTの利活用)
第5章 結びに代えて(これまでの議論のまとめ
今後の研究課題と若干の政策含意)
山本さんは黒田祥子さんと一緒に『労働時間の経済分析』(日経新聞社)を書かれ、先日の産業衛生学会のインターバル規制のシンポジウムでも壇上でご一緒しました。本書はタスクモデルに基づいてAI等が労働市場に与える影響を分析していますが、特に第4章において、日本の雇用特性に着目して分析がされています。そこで、「メンバーシップ型」概念が使われているのですが、他の多くの本が、基本的にわたしの概念をそのまま説明概念として使っているだけなのに対して、それをタスクモデルと組み合わせて、大変スリリングな説明を引き出しています。
・・・こうした日本的雇用慣行の存在は、日本の労働市場でルーティンタスクが他国よりも多く残されている理由の一つになっていると考えられる。というのも、技術革新によって正規雇用者のルーティンタスクが代替されうる状況にあったとしても、ルーティンタスクに従事する正規雇用者を解雇すると、解雇費用が生じるとともに、それまでに人的投資した費用が埋没化するため、企業にとって新しい技術で正規雇用者を代替することは必ずしも合理的ではないからである。
前章で述べたように、IT資本との代替可能性は、タスクの遂行能力だけでなく、新しい技術の価格が労働者の賃金を下回るかによって決まる。ただし、日本的雇用慣行によって既に企業特殊的人的投資を受けた労働者のタスクを新しい技術で代替する場合には、解雇費用や人的投資の埋没費用といった雇用の調整費用(あるいはスイッチングコスト)が生じるため、新しい技術の価格低下はもっと必要になる。このために日本ではルーティンタスクのITによる代替が必ずしも本格的に起こらなかったと考えることができよう。つまり、日本的雇用慣行のある企業では長期的な人材育成を行っているため、IT技術革新の影響が雇用には生じにくかった可能性が指摘できる。
さらに、日本的雇用慣行の下では正規雇用者がジェネラリストとして働くことが多く、一人の正規雇用者が多様なルーティンタスクとノンルーティンタスクを様々な組み合わせで遂行していると考えられる。日本の正規雇用者の仕事は、欧米と違って明確なジョブディスクリプション(職務記述書)が雇用契約で示されていないことが一般的であり、正規雇用者は様々なタスクを柔軟にこなすことが求められる。濱口(2013)などではこうした仕事の進め方を「メンバーシップ型」と整理し、遂行するタスクが予め決められている欧米の「ジョブ型」と区別している。
ジョブ型の雇用システムの下では、タスクと労働者の対応が明確なため、技術革新によってルーティンタスクがITで代替できるようになると、そのルーティンタスクを担当している労働者を解雇してITを導入することが容易にできる。これに対して、日本の正規雇用のようなメンバーシップ型の雇用システムの下では、タスクと正規雇用者の紐付けが曖昧なため、雇用者をITにそのまま置き換えることが難しい。つまり、タスクと労働者との対応が複雑になっていることも、日本的雇用慣行のある企業でIT技術の代替が進みにくかった要因になっていた可能性がある。
情報技術革新と雇用の問題は今まで何回も議論がブームになったことがありますが、とりわけ1980年代のME(マイクロエレクトロニクス)が話題になった頃の議論の主流は、日本型雇用慣行はジョブを明確にしないがゆえに、それゆえにこそ、欧米と違って労働者が技術革新に抵抗せず、すいすいとロボットも導入できるんだ、日本型最強!というようなものでした。
日本型雇用システムの中身についての説明はその時と全く何も変わっていないのに、技術革新への適合性のプラスマイナスの符合が、符合の向きだけが、きれいに正反対になってしまっている点が、30年前頃の「日本型雇用こそ技術革新に適合的な未来型雇用だ」という議論も覚えている年齢の人間からすると、何とも言えず感慨深いものがあります。
しかし山本さんは、日本型雇用の下でのこの「遅れ」は、あるところまで行くと一気に進むと予測します。
・・・しかしながら、ITよりもさらに技術革新が進み、AIやロボットなどのインテリジェントICTが低価格で利活用できるようになると、日本的雇用慣行のある企業でも、正規雇用者とインテリジェントICTとの代替が進むことは十分に考えられる。短期的にはITのときと同様、人的投資からのリターンを回収する前に正規雇用者を代替することは企業にとって得策ではないため、インテリジェントICTが正規雇用に与える影響は日本では当面少ないと予想される。しかし、インテリジェントICTの価格が十分に低下し、正規雇用者への人的投資を埋没費用化させたとしてもインテリジェントICTを導入する方がトータルのコストが低くなれば、正規雇用者の代替は生じることになる。また、スピードの早い技術革新が起きることで、それまでに企業が人的投資した正規雇用者のスキルが通用しなくなることもあり得る。そうしたスキルの陳腐化が生じれば、人的投資からのリターンの回収はそもそもできなくなるため、正規雇用者との代替を阻む理由がなくなる。
加えて、インテリジェントICTが多くの企業に普及することで、必要となる労働者のスキルが企業特殊的なものでなくなり、AIやロボットを利活用しながら仕事を進める一般的なものになる可能性もある。そうなると、労働者のスキルはどの企業でも活用できるため、雇用の流動性が高まり、日本的雇用慣行そのものが崩壊し、正規雇用者とインテリジェントICTとの代替が進むとも予想される。
つまり、短期的には日本的雇用慣行が存在するために、日本の労働市場では正規雇用者とインテリジェントICTの代替可能性は低いと予想できるものの、中長期的には、一気に代替が進むリスクを抱えていると整理できる。特に留意すべきは、ITやインテリジェントICTとの代替が遅い分だけ、正規雇用者の従事するルーティンタスクが多く残されていることである。このため、今後の技術革新によって日本でもインテリジェントICTへの代替が進められるようになった際には、その影響度合は欧米諸国よりも甚大なものになる可能性がある。
この将来予測がどこまで的中するかどうかは別として「ITやインテリジェントICTとの代替が遅い分だけ、正規雇用者の従事するルーティンタスクが多く残されている」という指摘は、どきっとするものがあります。
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