竹内章郎・吉崎祥司『社会権』
竹内章郎・吉崎祥司『社会権』(大月書店)をお送りいただきました。
http://www.otsukishoten.co.jp/book/b280734.html
社会権を軽視し、豊かな福祉の実現を阻んできた日本の法学・社会理論を批判的に検証し、社会権再生の意義を示しだす。
タイトルからすると、社会保障法学や労働法学の関係の本と思われるかも知れませんがさにあらず、かなりハードな哲学系の本です。
はじめに――社会権とは何か、なぜ再構築が必要か?
第Ⅰ部 近代主義的な権利思想の問題性――自由権・市民権の偏重と社会権の相対化
第1章 近代主義的な人権論の限界――社会的自由主義からの問い
第2章 市民権に呪縛された法思想の困難
補論 ハーバーマス思想の市民権/法依存
第3章 近代主義的な社会権論の隘路
第Ⅱ部 社会権思想の歴史的・現代的意義
第4章 自立・自律の再定義――社会的自由主義から社会権思想へ
第5章 格差・差別・不平等への対抗――人権論の再興に向けて
第6章 将来社会の展望と社会権
第Ⅲ部 社会権の新たな基礎づけに向けて――社会権再生の核心
第7章 社会権の歴史的・現実的根拠
第8章 社会権の再構築へ
冒頭から批判を浴びせられるのは、樋口陽一、奥平康弘といったリベラル左派の憲法学者です。個人の自己決定、個人の尊厳といった市民権、自由権を偏重し、社会権を二次的なものと見なしたとして批判されます。
次に批判の矢面に立たされるのは近年の社会保障法学、とりわけ菊池馨実らの自律規定的法理論。そのついでに西谷敏らの自己決定労働法学もなで切りです。
が、議論の大部分はむしろ社会思想、社会哲学プロパーの領域におけるかなり抽象度の高い議論です。その中にしばしば現代社会への極めて批判的な言辞が挟み込まれ、正直違和感を感じることも多いのは事実です。
大きな問題意識としては、「社会的なもの」の確立、ということになるのでしょう。ただ、著者らはかなりハードなマルクス主義的バックグラウンドを持っていることから、その理論的往還になかなかついて行けない面もあります。
何よりも疑問を持たざるを得ないのは、ここまでラディカルに市民的交換論のロジックを全否定してしまったあとに、いかなる根拠の上に、社会構成員たちの合意、納得の上に、「社会的なもの」を構築しうるのかが、逆によく見えなくなってしまうことです。
それは、繰り返しキーワードとして出てくる割に、「集団性」の具体的イメージが最後までよくつかみにくいことととも繋がります。
少なくともこれまでの産業社会の展開の中で「社会的なもの」の一つの重要な担い手であった労働組合という集団性は、まさにある種の社会主義者から批判されてきたように、そして本書の中での批判されているように、労働力を自ら商品として売る人々による利益のための集団性であったわけです。そこにそれ故の限界があるのも確かですが、しかしそういう基盤なくして現実に意味のある、つまり社会を変えるだけの力のある集団性を構築することはできなかったのもまた確かなわけで。
そこから改めて振り返ると、本書はそういう集団性こそが中核になる労働法という領域については、ちらちらとコメントする割に正面から議論したところがあまりないことに気がつきます。
国家権力のパターナリズム批判といって個人の自己決定ばかりいうのがけしからんというロジックの中に、労働の集団性というテーマは収まりにくいのかも知れません。
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