医師の労働時間はEUでも大問題
一昨日のエントリで「医師は労働者にあらず!??」を取り上げましたが、これはもちろん、医師会の会長さんの発言をあげつらったものではありますが、医師の労働時間について特有の問題があること自体は、日本に限らず他の諸国、とりわけ厳格な労働時間規制で知られるEU諸国でも(同じではありませんが)似たような問題が生じていることも確かです。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2017/03/post-4cf3.html
その経緯については先日刊行した『EUの労働法政策』でも詳述したところですが、ここではやや古いですが、2010年に経営法曹会議で喋ったものを引用しておきます。
http://hamachan.on.coocan.jp/keieihousoueu.html
(2)オプトアウトと待機時間をめぐる経緯
ところが、それだけではなくて、もう1つ、労働時間をめぐる問題として起こってきたのが、「待機時間」をめぐる問題です。何かというと、どこの国にも病院があります、救急病院があります。救急病院は、夜中に患者が運ばれてくるわけです。ということは、そこで、すぐに医者やら何やらが対応しないといけない。これは、どこでも同じです。ということは、夜中にちゃんと病院の中にお医者さんやいろいろな人たちが待機していて、当然、対応しなければいけない。これも同じです。
問題は、「待機」している間は労働時間法上、一体どういう扱いになるかというので、各国はどこでも、患者が運び込まれて実際に動き出してからそれが終わるまでの実際に動いている時間は労働時間で、それ以外は労働時間ではないというふうに扱っていましたが、それはけしからんと、スペインとドイツの医師や看護婦たちが訴えたわけです。
そうすると、まず各国の裁判所でこの審議がされます、そして、最高裁まで行きます。そうすると、労働時間指令があるということは、各国の労働時間法はもちろんそれ以前からありますが、指令がある以上は、すべて各国の労働時間法制は、その指令を実施するための法律になって、各国法は下位法令になるわけです。そこで、各国の最高裁は、待機時間が労働時間であるかないかという解釈を勝手にすることは許されないので、「いかがでしょうか」と、ルクセンブルクの欧州司法裁判所にお伺いを立てないといけない。お伺いを立てたところ、「待機時間は労働時間である」と言われてしまったわけです。
言われてしまうと大変です。この大変さを、日本人に理解してもらうのは、実は結構難しい。いろいろなところで申し上げますと、「それは金がかかって大変ですね」と言われますが、金がかかるだけの話ではありません。つまり、EUの労働時間指令は、実労働時間規制で、週48時間というのは、時間外を含めて48時間以内にしないといけないのであり、ということは、「待機時間」が労働時間だということは、「金を払えばいい」というのではなく、「待機している時間も全部含めて、週48時間以内にしないといけない」ということなのです。そこで、本当にそれを実行しようと思ったら、スタッフを倍以上に増やさないといけないということになります。これは大変で、そんなことは、実際にできるはずがない。「医療費をもっと上げて何とかすればいい」と日本人は直感的に思いますが、それはできない。医者の数が倍以上に増えないと対応できないのです。
そうしたことが、欧州司法裁判所の判決により、欧州各国の置かれた状況といえます。ですから、困るわけです。そこで、各国はどうしたかというと、非常に皮肉ですが、「オプトアウト」しようということになりました。今まで、オプトアウトしていたイギリスはけしからん、直ちに22条のようなばかな規定はなくせ、と言っていたところが、国によって、オプトアウトを「医療機関」としたところもあるし、業界は関係なしに、「待機時間についてはこういう形で」というのを、オプトアウトという形でしたところもあります。いずれにせよ、オプトアウトを使わざるを得ない状況に、大陸諸国も追い込まれてしまった。それが、「労働時間指令」の改正が始まるときのそれぞれが置かれていた状況です。
そうすると、イギリスでは、使用者側はオプトアウトを維持したい、イギリス政府は維持したい、労働組合側はなくしたい。また、大陸諸国は、オプトアウトを潰せと言いますが、と同時に、迂闊にオプトアウトだけ潰してしまうと、自分がやっているものがアウトになってしまうので、同時に、待機時間についての欧州司法裁判所の判例をひっくり返す立法をしないといけない、という状況に置かれたわけです。
(3)指令改正の失敗と今後
ということで、当然のことながら、先ほどの条約の規定に基づいて、労使に協議をしました。ところが、結局、合意はしませんでした。とにかく労働側は、待機時間が労働時間でないというのはけしからんという建前論を、あくまでも振りかざして、「うん」と言わない。使用者側も、とりわけCBIは、「オプトアウト断固死守」という考え方なので、交渉は全然うまくいかずに、結局、決裂ということで、元に戻って、欧州委員会が「改正案」を出しました。
「改正案」(労働時間指令の改正案)は、まず待機時間については、「第2a条 待機時間」のところで、「待機時間の不活動部分は(中略)別様に定めない限り、労働時間とは見なされない」としております。とにかく、各国政府としては、どうしてもこれを入れたい。それから、「職業生活と家庭生活の両立」という、きれいごとのような規定もありますが、重要なのは、第9項です。ここでは、「第22条を次のように改正する」としています。
この部分は、「改正案」の“修正案”であり、当初の改正案は、「恒久的にオプトアウトを残そう」というものでした。ただ、その適用条件を、もう少し厳しくするとか、オプトアウトする場合であっても、1週間の総実労働時間の上限(キャップ)をつけようという考え方でした。総実労働時間の上限規制には、欧州議会が反対したので、オプトアウト自体を、3年と区切り、ただし、もう少しその先に延ばすかもしれないという形の“修正案”になっています。
これを延々と議論したわけですが、実は、この“修正案”に関しても、イギリスを初めとして、中東欧の諸国は、どちらかというと、なかなかそんな高いレベルのものはできないということで、イギリス派につきました。一方、もともとの大陸諸国は、どちらかというとフランス派というような感じで、拮抗していました。
そして、一昨年の2008年6月になって、閣僚理事会レベルでは、何とか合意が成り立ちました。なぜかというと、各国政府レベルでは、とにかく「待機時間」を何とかしないといけない、欧州司法裁判所というこの上ないところが、じっとしていようが、横になっていようが、ごろんとしていようが、眠っていようが、とにかく、いざというときには、「ぱっと起きて治療しなければいけないということになっている以上は、労働時間である」という判決を下してしまっている以上は、「指令」を変えない限りは、それに逆らえない。したがって、「待機時間」を何とか変えたい、それが多分、すべてに優先したのだと思います。
2008年に、一応、閣僚理事会レベルでの合意が成立しました。「待機時間」のうち、“動いていない時間”は労働時間ではない。オプトアウトについては、基本的には、「恒常的に期間を限らずずっと存続さていい」けれども、その場合は、「オプトアウトに合意しないことを理由として不利益取扱いをしてはいけない」、つまり、「いつでも労働者側はそれを撤回することができる」、「オプトアウトしている場合でも実労働時間は60時間あるいは65時間という上限を付ける、そこが安全衛生上のぎりぎりのところだ」ということになるのだろうと思いますが、そういう形で各国政府レベルでは、何とか合意ができました。
閣僚理事会ですから、各国の労働大臣の間では、一応、そういう合意ができたわけですが、ここで一番最初に戻って、昔は閣僚理事会だけが立法機関で欧州議会は単なる諮問機関でしたが、今やそうではない。両者は対等の立場の立法機関であり、両方が合意しないと、「指令」はできないし、「指令」は改正されない。そこで、閣僚理事会で合意に達したものが、欧州議会に送られましたが、欧州議会は、こんなものは認めないということで、結局、ひっくり返ってしまいました。
ひっくり返した後、どうなったかというと、条約に基づいて、閣僚理事会と欧州議会の間で「調停委員会」を置くことになっていますので、そこで、一応、2カ月ほどかけて議論しました。だが、結局、ここでも、合意に達することなく、決裂しました。昨年4月に最終的に決裂して、5~6年越しで延々やっていたものがパアになってしまったわけです。そして、今は、元に戻ったという状況になっています。
元に戻ったというか、その“元”が大事で、要するに、欧州司法裁判所の判決付きの“元”ですから、結局、各国とも、救急病院のようなところは、オプトアウトで何とかしのいでいるというのが、現在の実情です。いろいろな意味で、非常に皮肉だといえますが、EUの立法システムが、今まで申し上げたような形になっているということから、結局、こうなっているのです。
そして、実は今年の3月、ついこの間ですが、欧州委員会が、もう一遍、再び労使団体に対して「協議」をしました。これは、条約によってそう決まっているわけです。何かをやるときは、まず協議から始めないといけないと書いていますから、またそれを始めた。しかし、中身は、実は同じことを書いていて、前にやったのが2002年ですから、8年ぶりに、また同じことを言っているのです。「オプトアウトをどうするか」、「待機時間は今こうなっているけれどもどうするか」ということです。今月、ETUC(欧州労連)が、それに対する返事の手紙を送っています。だが、また同じことを書いており、「認められない」と言っています。また同じことを繰り返すつもりなのか、という感じです。
非常に変な話ですが、労働時間規制については、今、そういう状況になっていて、今度はもう少しうまくいくのか、いかないのか、よくわからない。それが、今の状態です。
勤務医は疑いもなく労働者ですが、とはいえとりわけ救急医療という現場には、なかなか労働時間規制がそのまま適用しがたい現実があるというのもまた事実なのでしょう。
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