宮前忠夫『企業別組合は日本の「トロイの木馬」』
宮前忠夫さんより『企業別組合は日本の「トロイの木馬」』(本の泉社)をお送りいただきました。ありがとうございます。
http://honnoizumi.co.jp/single/971/
日本の常識となっている「労働組合」という用語・概念も、「企業別組合」という組織形態も、財界と支配階級が労働者・国民を欺くために、贈り物を装って送り込んだ社会的偽装装置・「日本版トロイの木馬」であり、世界の非常識であることを歴史的・理論的に検証。この視座に立って、戦前・戦後の内外の議論を批判的に分析・総括し、21世紀日本における企業別組合体制克服をめざす様々な「蠢動」を紹介しつつ総合的戦略の構築を訴える。
ということですが、400ページを遥かに超える大冊は、日本の「企業別組合」の特殊性を論ずるにとどまらず、それが「財界と支配階級が労働者・国民を欺くために、贈り物を装って送り込んだ社会的偽装装置・「日本版トロイの木馬」」であることを論証しようと試みたものです。
第1章 「日本にはトレード・ユニオンがない」 ――問題の原点・「団結体としての(個人加盟、職業別・産業別を原則とする)労働者組合」
第2章「トレード・ユニオン」が「労働組合」になるまで
第3章 企業別組合は誰が、どのように創り出したのか ――日本版「トロイの木馬」(その1) 第二次世界大戦期まで
第4章 企業別組合は誰が、どのように創り出したのか ――日本版「トロイの木馬」(その 2) 第二次世界大戦直後の法制化と法認
第5章 米欧主要国の団結権と労働者組合 ――世界の常識と「企業別組合」
第6章 外国から見た日本の「労働組合」とその実体としての「企業別組合」
第7章 「企業別組合」をめぐる21世紀の闘い(1) ――今日の「企業別組合」論
8章 「企業別組合」をめぐる21世紀の闘い(2)――新たな対応の開始
付録編 日本の「労働組合」運動に関する訳語・誤訳・不適訳問題
しかしながら、率直に言って、その論証は成功しているようには見えません。
いや、日本人が常識に思っていることが世界では常識じゃないことを縷々説明しているところは、いろいろなトリビア的な情報も交えつつ、とても面白く読めますし、役に立ちます。
問題は、終戦直後の政治過程、立法過程において、日本の支配層が意図的に企業別組合化を図ったと「論証」しようとしているところです。
宮前さんが一生懸命引用しているのは、賀来才二郎、松崎芳伸、飼手眞吾といった、占領下で労働法制の作成に携わった労働官僚たちの証言です。
彼らは異口同音に、宮前さんの基本認識と同様のことを述べています。日本の企業別組合がいかに特殊であるかを。だから引用しているんでしょうが、だとすると、その彼らが意図的に企業別組合化を図って、まさに成功したと主張していることになります。おかしいと思わないのでしょうか。
実はこのあたりは、私にとっても『労働法政策』を書く時にかなり詳しく調べたところですし、古くは遠藤公嗣さんの研究、近年は渡辺章先生らの共同研究で相当に詳しく明らかにされてきている分野ですが、GHQからアメリカ型の交渉単位制を入れろといわれて、よくわからないまま一生懸命そういう条文を作って検討していたところ、今度はGHQがいきなりそれを引っ込めたので労働省ははしごを外されたというのが大まかないきさつです。
宮前さんはこういう言い方をしていますが、これはどう考えても事実に反しています。
GHQ当局は「改正」に際して、企業別組合(日本型会社組合)を排除して、アメリカ型の交渉単位制を取り入れるように指示しましたが、日本の財界と政府当局は、この「全面改正」(49年法の制定)の過程においても、巧妙・狡猾な策を弄し、GHQ側の隙を突いて、ついに介入・指示を突破し、新「労働組合法」においても「企業別組合」の法認を確保したのです。・・・
もしほんとにそうだというのなら、財界は交渉単位制の導入に猛反対し、労働側は断固として支持していたはずですが、もちろんそういう事実はありません。
も一ついうと、宮前さんはまったく言及していませんが、1949年改正の後、1952年改正の時も、賀来才二郎局長率いる労働省労政局は、(もはや占領軍の指示はなくなっていたにもかかわらず、自分たちの信念で)交渉単位制の導入を目指して労政局試案を公表しましたが、殆ど支持するものはなく、失敗に終わっています。詳しくは拙著『労働法政策』等を参照のこと。
これに限らず、宮前さんはほんとに細かな歴史的事実をいろんなところから発掘してきて、一つ一つはなかなか面白いのですが、それをはめ込んで作り上げようとする全体の絵図があまりにも歪んでしまっている感があります。
おそらく宮前さんは、企業別組合が本来の労働組合とは異なるものであり、それが諸悪の根源であるという、それ自体は十分成り立つ議論を、とりわけ自分が属する左翼運動の人々に訴えるという目的のために、それをもっぱら財界と政府当局というそもそもアプリオリに悪である(と、少なくとも思想的同志の間では論証抜きに通用する)連中の陰謀であることにして、説得しようとしているのではないかと思います。
実は本書の相当部分、多分半分近くは、戸木田嘉久氏ら主として共産党系といわれる研究者の議論に反駁することに費やされています。彼らが企業別組合という形態に容認的であるのを批判しているのです。
そのため、企業別組合を擁護するのは右派なんだという議論を一生懸命しているのですが、実は宮前さんが示している資料自体がそれを裏切っています。これもまた日本の労働史の研究者にとっては常識に類しますが、終戦直後に産業別の組織化を図った(がうまくいかなかった)のは右派の総同盟であり、工場委員会中心に急速な拡大に成功したのが左派の産別会議でした。
宮前さんは右派が企業別主義であることの証明として、海員組合出身の和田春生が1967年(!)に書いた文章をひっぱってきているんですが、これはあまりにもご都合主義でしょう。まさか宮前さんは、海員組合が戦後日本における殆ど唯一の個人加盟の純粋産別組合(まさに「トレード・ユニオン」の名に値する唯一の組織)であり、ゼンセン同盟と並んで戦後日本で長期闘争を勝ち抜いた数少ない組合の一つであることを知らないわけではないはずですが。
その和田氏といえども、同盟幹部としては、現実に圧倒的大多数である企業別組合を否定できないわけで、それをもってきてあたかも海員組合が企業別組合主義の右代表であるかのような議論をするのは印象操作も度を超している感があります。
そういう議論になる理由はだいたい想像が付きます。
企業別組合か産業別組合かという軸と、労使協調的であるか階級的戦闘的であるかという軸とは、本来まったく異なるものであるのに、それをあえていっしょくたにしようとして、無理に無理を重ねることになっているのではないでしょうか。
日本の企業別組合なんかトレード・ユニオンじゃない、という議論は大いに根拠のある議論であり、それとして十分に展開することができます。
労使協調主義はけしからん、労働組み合いたるものすべからく階級的戦闘的であるべし、という議論も、近頃はあんまり流行りませんが、それはそれとして論理整合的に組み立てることのできる議論です。
この二つを組み合わせて、企業別組合はけしからん、労使協調主義もけしからんという主張をすることも、論理的に十分あり得る選択肢です。
しかし、まったく違う軸をわざとごっちゃにして、企業別組合=労使協調、産業別組合=階級的戦闘的、というのは明らかに事実に反します。その証拠は、この宮前さんの大部の本のここかしこに散乱しているというのが、実は一番の皮肉かも知れません。
ちなみに、戦後日本の企業別組合の源流の一つは戦前の工場委員会から産業報国会に連なる流れですが、もう一つ工場ソビエト運動もその源流であり、だからこそ宮前さんの思想的同志の人々の中に色濃く企業別組合主義が脈々と流れているのだと思っています。
単純な話ではないんです。
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