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2017年4月20日 (木)

年功給か職務給か? by 金子良事×龍井葉二

956b今月から月刊化した『労働情報』の4月号に、面白い対談が載っています。

http://www.rodojoho.org/index.html

●〈論争のススメ〉 第1回

 年功給か職務給か?

 …… 金子 良事(大原社会問題研究所 兼任研究員)

 …… 龍井 葉二(元連合総研副所長)

ちょっと短い対談なので、意を尽くせていないところもありますが、どちらもすごく重要なことをさらりと語っています。

近年の日本ではなまじ非正規労働者の格差是正という文脈のみで論じられてきてしまったため、職務給で格差がなくなるという誤解が生まれてしまったようですが、もちろん、そういうわけではありません。

たとえばこういう相談に対してどう答えるのか、とか。

龍井 実際にあった労働相談で、あるスーパーの勤続10年のシングルマザーから電話がかかってきて、昨日入ってきた高校生の女の子と何でほとんど同じ時給なのかって。・・・

龍井 ・・・まあ経験の違いはあるけど、同一労働とも言える。でも養ってもらっている高校生と、子どもを育てているお母さんと時給が同じというのはどう考えたらいいか。なかなか簡単に答えが出ないんだけど、考えさせられた相談だったよ。そこにはどうしても生活給、生計費という問題を避けて通れないわけです。

そう、そして、それこそが約100年前に呉海軍工廠の伍堂卓雄(なぜか対談では「貞夫」になってますけど)が考えたことでもあるのですね。

 由来給与と生活費は夫々階級に応じ各自の社会的自覚によりて比較的平穏に経過し来りたるものなれども、近時資本家生活資料供給者家主等の如き従来相当公徳を維持し来りたるものが順次利己的傾向を明かにするに至りたると又這次の生活上の大変動は一般に労働者の社会的地位に対し自覚を促したる状況にあるに関らず現状に於ては彼等の生活を調整するの組織なく此儘にして放任せんか終には思潮の悪化を誘導して社会的攪乱の禍因を醸成するの虞れなしとせず此際局に当るものは職工給与に関し慎重なる考慮を払い合理的なる制度の採用を促進するの最大急務なるを惟う。・・・
 彼等が生活費の最低限として当然要求し得るものは一人前の職工とし其職を励む以上自己一身の生活は勿論日本の社会制度として避くべからざる家族の扶養に差支なき程度のものならざるべからず。・・・
 最近生活費の上騰は「フィッキドウエージ」により一般に至当と認めらるる家族に要する生活費に達せしむる事は現状到底望み得べからざるを以て年齢と共に増加する式と改むるの外なきが如し此式による時は昇給は本人の技能の上達及び物価騰貴に全然関係なきものにして単に生活費の増加に応ずるものとなり給料の高低に関らず或る程度以上の高給者と未成年者を除き勤続者は常に一定の昇給率を以て昇給することとなるべし

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コメント

コンペンセーションとベネフィット…。そもそも性質の異なるものを同一の器に入れて議論されていないでしょうか?

前者つまりコンペーセーション(賃金)とは、名称は職能給であれ職務給であれ、あくまでも労働あるいは仕事の対価としての経済的便益、各人の働き分に応じた対価のはずです。もちろん今回の例(スーパーのレジ打ち)のように、必ずしも労働者の保有する全人的な職業能力や専門知識の多寡がそのままその仕事の成果の差(つまり対価であるはずの賃金)に反映されづらい職務もありましょう。

その点、一般的にジョブ型雇用の世界では「賃金の公平性三原則」と言われるセオリーがあります。第一に内部公平性。これは社内で同じ職務に従事する人は同じペイで然るべき、狭い意味での同一価値労働同一賃金の原則です。第二に外部公平性。これは共通の労働市場、同じ業界、同等の企業規模で同じ職務に従事する労働者のペイは合わせるべきという理念です。欧米の産別職種別労組の主たる活動理念(あるいは存在意義)はここにあると言えましょうか。第三に個人間公平性。これは、社内でたとえ同一の職務に従事する者であっても各人の仕事ぶりや成果が違えば、ペイもそれに合わせて変える(差をつけるべき)という考え方です。ここから、能力や経験相応の昇給額の差や個人業績や成果の違いに応じたボーナス金額の格差が正当化されます。これら三原則にもとづき、社内で様々な職務に従事する異なる労働者に対して一人ひとりに最適なペイ(賃金)をラインマネジャーと共同して行うことこそ、人事部のもっとも重要なミッションの一つです(払うべき人に相応の給与を支払う一方、そうでない人の分は抑制する)。

明らかに、これらコンペーセーション(賃金)の世界は経済合理性あるいはメリトクラシーという大きな理念(上位概念)に支配されており、必然、個人差(経済的格差)を増長していく性質があります。

他方、このコンペーセーションの世界の身の蓋のなさを中和すべく?、これとは正反対の異なる理念(生活理念ともいうべき平等原則)で支給される経済的対価こそがベネフィット(福利厚生)なのです。外資系企業では傷病休暇や社宅手当や社員食堂や健康保険やフィットネスジム会員など、社員の職務や地位に関係なくその会社の社員籍をもつ者であれば原則として一律全員に付与されるべきものです。よって、ベネフィットは(コンペーセーションの世界で当然とされた)社員の職務や成果による「差別」を打ち消す方向に作用します。社内で異なる職務(身分)であっても「従業員」という意味で公平な存在ですから全員に対して一様に扱うことが期待されるのです(もっとも実際には全てのベネフィットが全員に一律支給される訳ではありませんが、ベネフィットと呼ぶ場合、概ね全員に提供されるものを指します。)

このようにそれぞれ異なる原理原則が支配するコンペーセーションとベネフィットの世界…。両者の性質と目的の違いをしっかりと意識し、後者については職種や社員区分や雇用契約の種類に関わらず一様に適用していくこと(ベーシックベネフィット⁈)があるべき報酬管理の姿と考えます。

すると、ベースサラリーの決定要因が職能給であれ職務給であれ(さらには雇用契約がメンバーシップ型であれジョブ型であれ)、コンペーセーションとベネフィットの使い分けが適切になされない企業は中長期的にマーケットで人材及びコスト競争力を失うことになるのではないでしょうか。

素人の頓珍漢な意見かもしれませんが、年功給と生活給は違うと思います。


>あるスーパーの勤続10年のシングルマザーから電話がかかってきて、昨日入ってきた高校生の女の子と何でほとんど同じ時給なのかって。

勤続10年(?)の高校生の女の子と昨日入ってきたシングルマザーでは、年功給だと高校生が上ですが生活給だとシングルマザーが上になると思います。

私は生活費のうち、本人の責任でない事(障害、介護等)や社会に必要な事(子育て等)は勤続年数に関係なく援助されるべきだと思うので、年功給より生活給を重視すべきだと思います。但しこれらの費用は勤務先に関係なく(失業していても)援助されるべきだと思うので、給与ではなく(企業から徴収して)国が援助すべきかもしれません。

ありがとうございます。そう言っていただけると幸いです。

このミスは本当に謎ですね。この箇所は伍堂方式だけだと何のことか分からないということだったので、後から私が書き足してコピペするように指示して送ったのですが、そのときには伍堂卓雄になっていました。校正者が波多野貞夫と勘違いしたんでしょうかね。いずれにしても、私は校正を回されておらず、最終チェックをしていないので、何が起こったのか分かりません。

龍井さんとは初心者に分かりやすいように、二つの立場から話をするという趣旨だったのですが、読み返してみると、やや玄人好みになっているような気もしてきました。これじゃ、この記事から賃金問題に入っていくのは難しいかなあ。

勤続10年(?)の高校生の女の子と昨日入ってきたシングルマザーでは、年功給だと高校生が上ですが生活給だとシングルマザーが上になると思います。


揚げ足を取るようですが、「勤続10年の高校生の女の子」というのは、現行労働基準法を前提する限り、演劇子役でない限りまずあり得ないと思いますが、まあそれはともかく、

(最低年齢)

第五十六条  使用者は、児童が満十五歳に達した日以後の最初の三月三十一日が終了するまで、これを使用してはならない。

2  前項の規定にかかわらず、別表第一第一号から第五号までに掲げる事業以外の事業に係る職業で、児童の健康及び福祉に有害でなく、かつ、その労働が軽易なものについては、行政官庁の許可を受けて、満十三歳以上の児童をその者の修学時間外に使用することができる。映画の製作又は演劇の事業については、満十三歳に満たない児童についても、同様とする。

そもそも年功制の適用対象はいわゆる正社員であり、勤続年数と年齢とがほぼ比例しているという前提で世の中では議論されているわけですから。

「同一価値労働同一賃金」というのもあるのですね。ILO の「同一価値労働 同一報酬のためのガイドブック」によると以下のような目的が示されていて、正確には「男女」が前につくもののようですが。

--
男女同一価値労働同一報酬は、男女間の公平な報酬を達成することを目的とする原則である。公平な報酬とは、報酬における公正である
--

また、その意図は以下のように、男女で職種が異なることで生じる不平等を是正する、というところにあるようですね。

--
同一価値労働に対する男女同一報酬の原則は、特に、男女がしばしば異なる仕事に従事する中で、平等を促進し、効果的に賃金差別問題に取り組むために、実行される必要がある。
--

同一労働同一賃金を日本企業に当てはめようと考えると、そもそも日本には、前提となる「同一労働」を規定する労働市場が存在しないわけでして、理屈がかなり先走っている感が否めず、砂上の楼閣に思えますね。

近年は正規・非正規の格差ばかりがクローズ アップされますが、労働者の賃金・待遇は同一業種であっても企業規模によっても大きく変わるわけでして、これは最近の話ではなく、バブル崩壊前の大昔からずっとそうなっているわけです。しかし、今現在我が国で検討されているのは、「同一企業内での」同一労働同一賃金であるようです。他にやりようがないというのか、労働市場という客観的基準となるものがないため、各企業に丸投げするしかないのでしょう。

ヨーロッパの同一労働同一賃金の目的は人権思想にもとづく人種・性別・年齢等による不平等の是正にある、と説明されるわけですが、我が国の現状からはかなりかけ離れていますね。もちろん、「年齢給」も同一労働同一賃金の目的に反しているわけです。我が国の議論はあさっての方向を向いているように思えてなりませんね。

もちろん各国で労働慣行や企業人事の実態は異なりますから、その国において何が喫緊の課題かは日本には日本独自のものがあるはずです。その点、日本における同一労働同一賃金の取り組みは、欧米のそれとはスタート地点もゴールも異なりましょう。さしあたって、今出来ることとしては一企業内における賃金の不公平性を改善することかと。具体的には、少子化や結婚や貧困など昨今の様々な社会問題の根本に横たわる、いわゆる「正社員」と非正規(契約・パート・派遣)の格差の是正でしょう。まずは一企業内でこの両者の断絶を改めていくことがやはり現行取りうる最初の一手ではないでしょうか。

確かに日本の場合、あからさまな男女差別は一見ないかのように見えますが、非正規の内訳を見ればそんなことはありませんし、同じ「正社員」の中にも総合職と一般職というジェンダー中立とは言えないコース別人事管理が現存しており、結果、一企業内でも同等の職務を同賃金で働いているとは言えない状況があります。

とはいえ、一方で現状の「働き方改革」を含めた政府の労働改革に不安を覚えるのは私も同じです。というのも、本来的に相反する異なるベクトルの改革〜つまり、従来からの規制「緩和」の取り組み(脱時間給やテレワークや解雇規制緩和)と、昨今の喫緊の課題である長時間労働対策や同一労働同一賃金の導入という規制「強化」の流れ〜が怒涛の奔流の如く同じ会合のアジェンダに流れ込み、どこに流されていくのか全くわからないような気分になるからです。

「砂上の楼閣」というメタファーは、私も以前、この場で同じテーマで使わせていただきました。砂上とは言わないまでも日本列島の基盤は古来より剛体ではありえず、柔らかな液状態 つまりは流体です。その上にいかに持続しうる確固たる雇用施策や法制度や人事制度を構築できるかが問われています。

最初の問題で行くとモラールやモチベーションのマネジメントとして「業務の粒度」を大きくして管理コストを落としモラールやモチベーションの変動に目をつむるのか、小さくしてモラールやモチベーションの変動まで細かくマネージするのかは当該の会社の運用方針によると思います。

非正規、特にアルバイトやパートはいまかなりの売り手市場なので、そこは企業の喫緊の課題かと

hamachan様

 素人の愚論にきちんと対応頂きありがとうございます。


>揚げ足を取るようですが、「勤続10年の高校生の女の子」というのは、現行労働基準法を前提する限り、演劇子役でない限りまずあり得ないと思いますが、

おっしゃるとおりです。私も書いていて ”高校生で勤続10年だとすると勤め始めたのは何歳からだ?” と思ったので、"(?)"を付けました。
間違っているかもしれませんが、法律的には高校入学に関する年齢(の上限)制限はないと思いますし、定時制高校では先生より年長の生徒さんもいらっしゃるそうなので、理論的には”勤続10年の女性高校生”は存在するかもしれません(そのような女性に対して”女の子”というのは失礼かもしれませんが)

ふと思ったのですが、勤続10年のシングルマザーが昨日入ってきた高校生の女の子と同じ時給である事に不満を持ったのは、生活給を無視されたからでしょうか、それとも10年間で獲得した技能や経験が評価されなかったからでしょうか?最近では、業務の合理化や機材の進歩により昨日入ってきた人でも勤続10年の人と同様な作業ができるようになっているのでしょうか?


>そもそも年功制の適用対象はいわゆる正社員であり、勤続年数と年齢とがほぼ比例しているという前提で世の中では議論されているわけですから。

当時(古き良き時代)は正社員は、ほぼ同じ年齢で入社し、ほぼ同じ時期に結婚し(妻は専業主婦になり)、ほぼ同じ時期に(2人または3人の)子供を産み、というように勤続年数が同じ正社員は必要な生活費もほぼ同じだったので、人生の各段階で必要な生活費に対応する給与を勤続年数に基づいて決定できたような気がします。またhamachan様もおっしゃっていたと思いますが、当時は非正規労働者は家族の生活を支えるとは考えられていなかったので、生活給は(家族の生活を支える正社員に対して考慮すべきであり)非正規労働者には考慮されなかったのだと思います。
現在は、非正規労働者で家族の生活を支える人も多いですし、ほぼ同じ年齢で正社員として入社した同期生が中年になった時に、独身のも、子供がいなくて共働きの人も、子供がいて妻が専業主婦の人もいると思うので、必要な生活費に対応する給与を正社員限定で勤続年数に基づいて決定するのは難しいと思います。

上記で懸念材料として述べました通り「本来的に相反する異なるベクトルの改革」を同時に一斉に進めることにはやはり誰しも多大な不安とリスクが伴うでしょう。

とはいえ待ったなしのニッポンの労働改革を進めるにあたり、取り組むべき課題の「優先順位」は必ず考慮されるべきです。以下は全くの私見ですが…。

第一に、いわゆる「働き方改革」のさらなる徹底。長時間労働からの脱却。そのための36協定見直し、勤務インターバル制度、有休休暇取得率向上など。

次に、ダイバーシティとワークシェアリングの徹底(中高年男性正社員から外国人含むその他の社員階層へのタスクの移譲)。この実現のためにも、同一労働同一賃金法制の導入。

上記2点は優先順位が極めて高いため、これからあと5-10年かけて取り組んでも問題ないと思われます。

そして最後に、労基法や最賃法や労契法を発展的に統合した「雇用契約法」「均等賃金法」の制定(労働法の抜本的な見直しによるアップグレード)。ここで初めてエグゼンプトやジョブ型を法制化(期間の定めのない職務無限定契約の制限または禁止)すること。

この最後の項目は「その次の10年」を見越したテーマかもしれません。

AIやロボットによる人間労働の代替が騒がれる今日、やはりこのテーマ〜すなわちコンプ(賃金)とベネフィット(福利厚生)の相違〜をきちんと理解していくことが引き続き極めて重要だと考えます。とりわけ先進国の「ホワイトカラー」の仕事自体が急速にオフショア&デジョブ化されつつある現状、交換の正義(効率性原則)として市場に任せるべきは(規制をアテにせず)競争に任せ、一方で、分配の正義(公平性原則)は国や自治体や労組や健保でしっかりと底支えしていくこと。この両者をごっちゃにすると議論が噛み合わず、その結果、必要な対策も後手後手になってしまいますから…。

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