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『変化する雇用社会における人事権』

Jinjiken第一東京弁護士会労働法制委員会編著『変化する雇用社会における人事権 ~配転、出向、降格、懲戒処分等の現代的再考~』(労働開発研究会)をお送りいただきました。ありがとうございます。

http://www.roudou-kk.co.jp/books/book-list/4837/

■変化する雇用社会、現代的な労働契約関係における「人事権」のあり方とは。日本的雇用慣行の特殊性とされている人事権について多面的に検討した一冊。
■Q&A形式で148項目におよぶ充実した解説を掲載!専門家から企業実務担当者までオススメの書籍

この本、真ん中のメイン部分は倉重公太朗さんをはじめとする中堅若手の経営法曹の皆さんがQ&A方式で個別論点を様々に論じていて、それがメインではあるのですが、読み物としてははじめの部分に載っている安西愈、山口浩一郎といった錚々たる大御所のエッセイと、そもそも本書の趣旨を語っている最後の木下潮音さんの論考がとても面白いです。

巻頭言 人事権と人生

安西 愈

労働組合関連の人事権行使

山口浩一郎

変更解約告知と正社員・限定正社員・有期契約労働者

小林譲二

「転勤」を考える―裁判官の論理と心理―

相良朋紀

管理職と降格 辛い中間管理職を考える

奥川貴弥

終章

人事権の展開と企業の実務

木下潮音

たとえば安西さんのエッセイでは、

・・私の場合も、高卒初級職で何も分からないまま採用された香川労働基準局を振り出しの職業生活において、今日の状況といったことはまったく予想もされず、それには配属された職場においてキャリア形成について覚醒されたり、その後人事権の行使で指導教育や支援を得た各配転先職場での上司に恵まれたからであり、そのような上司に恵まれなかったら、今日の私はなく、定年もはるかに過ぎた今ごろは、実家で片手間の農業をしている生活ではなかったかと思われる。・・・

と、まさに人事権の行使こそがキャリアを切り開いてきたことを想起されていますし、相良さんのエッセイでは冒頭、こういう一節が連ねられます。

裁判官には転勤が付き物である。裁判官として裁判所に任用された以上、日本国の裁判所がある限りどこへでも行く、そういう建前で裁判官となる。・・・そうなると、長い裁判官生活の間には意に沿わない転勤を命ぜられ、やむなく従うことをほとんどの裁判官が経験する。

裁判官のこの経験は、転勤の可否が問題となる労働事件を担当したとき、その判断に微妙な影を落とす。われわれは耐えがたきを耐えながら転勤して苦労してきている。それなのにこの程度の辛抱もできないというのは贅沢ではないか。元来雇用関係では転勤は当然に甘受すべきではないか。裁判官も人の子であるというわけで、自ら体験した苦労は他人も受け入れて当然という心理状態が無意識のうちに判断の根底に芽生えてくるのである・・・

というわけで、今話題の人事権を正面から取り上げた本書ですが、そもそもなぜ今この本を?といういきさつについては、最後で木下潮音さんが、近年の無限定正社員論、限定正社員論への違和感から始まったのだと述べています。

・・・私は労働法を実務家として長年にわたり取り扱ってきて、この「正社員は無限定である」という言葉に著しく違和感を覚えました。・・・

しかし、何故それを限定正社員との対比の上で正社員とは無限定であるということがいわれるようになったのか、あるいはそれをいわれたことをあまり批判もなく社会があたかも受け入れるような対応をしているのか。このような社会の動きに対して、労働法を実務家として行うわれわれは、この人事権というものをもう一度学び明確に定義し、そして正社員とは何か、正社員以外の雇用形態とは何か、ということについて検討を深めるべきだと考えました。・・・

決して人事権が企業にとって万能な権限であるということを再確認するためにこのテーマを取り上げたわけではありません。むしろ正社員であれば人事権が広範にとはいいますが、無限定にあるいは無制限に人事権の下にあるというような一方的な議論に対する批判的な検討をするつもりで今回のテーマを取り上げました。

ここでいわれていることはまさに正しいのですが、とはいえ、木下さんが日本の労働者の圧倒的大部分は中小零細企業や大企業でも広範な人事権の下にない人々が多いことを適確に指摘しながらも、同時に

・・・常に裁判の実務家である労働法を取り扱う弁護士が過去の裁判例の検討などの形で見ている人事権の行使というのは、実は大企業つまりごく少数の労働者の事例を見ているに過ぎないのではないか・・・

といわれているように、まさに実務家自身がそういうマイノリティにフォーカスした法理論のただ中で意識形成してきたことも確かなのだと思うのです。

その意味では、「無限定正社員」というのは、本当のナマの現実レベルではかなりの程度空疎な虚構に近いかも知れないけれども、裁判所の判例レベルで浮かび上がってきてしまう知的空間では(とりわけ上述の裁判官自身のバイアスもあり)それなりの現実性を具有してしまうように思われます。このあたり、きちんと論じるためには、恐らくバーガーなんかの現実の社会的構成の議論が必要なのかも知れませんが(よくわからずにいってます)、確立した判例理論が必ずしもそれに適合していない現実にも一般論として適用されていくということがまさに判例理論の確立ということであってみれば、法律家だけではない複層的な議論が求められるのではないかな、という感想も持ちました。

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