山本陽大『ドイツにおける集団的労使関係システムの現代的展開』
年度末の駆け込みで、山本陽大さんの報告書『ドイツにおける集団的労使関係システムの現代的展開―その法的構造と規範設定の実態に関する調査研究』がJILPTのホームページにアップされました。
http://www.jil.go.jp/institute/reports/2017/0193.html
http://www.jil.go.jp/institute/reports/2017/documents/0193.pdf
ドイツにおける労働協約システムの法的構造、労働協約に基づく労働条件規整の現状、近年指摘される労働条件規整権限の産業レベルから企業・事業所レベルへの移行(いわゆる分権化現象)、労働協約システムを対象とした最近の法政策およびそれをめぐる議論動向など、ドイツにおける集団的労使関係システムの現代的な展開を、包括的に、かつ可能な限り実態レベルにまで踏み込んだ形で描き出す。
というわけで、この5年間山本さんが取り組んできたドイツの集団的労使関係システムの研究のとりあえずの集大成です。
PDFファイルを見ると分かるように400ページを超える分厚い報告書ですが、ホームページ上に「主な事実発見」として書いた概要も、結構長くて大変です。
Ⅰ ドイツにおける産業別労働協約は、現在にあってどの程度の労働条件規整力を保持しているのか。
ドイツにおける集団的労使関係システム(とりわけ、労働協約システム)においては、歴史的に労働組合および使用者団体が産業別に組織され、また協約交渉(団体交渉)も産業単位で行われてきたことから、労働協約も伝統的には産業別労働協約として締結され、企業横断的に適用されることで、当該産業における最低労働条件を規整する機能を果たしてきた。ドイツ法上、労働協約の法的効力(協約拘束力〔労働協約法3条1項〕、および規範的効力〔同法4条1項1文〕)は直接的には、当該協約締結当事者の構成員(労働組合員・使用者団体加盟企業)に対してのみ及ぶこととされているが、一定の場合には一般的拘束力宣言制度(労働協約法5条)によって、当該協約の適用範囲下にある非組合員ないし使用者団体非加盟企業に対しても、その法的効力が及ぶこととなっている。そして、かつては産別組合・使用者団体双方ともに、比較的組織率が高く、また上記・一般的拘束力宣言制度も活用されてきたことから、ドイツの産別協約は、伝統的には当該産業における労働者・使用者を広くカバーしてきた。
もっとも、1990年以降、産別労使団体双方の組織率が低下し、またそれに伴って一般的拘束力宣言制度にも機能低下が生じたことで、法的な意味での産別協約の直接的な拘束率は、かつてのそれよりもかなり低下している。しかしながら、ドイツにおいては実務レベルに目を向けると、使用者側が産別協約に拘束されていれば、当該事業所内における非組合員に対しても、いわゆる援用条項によって当該産別協約上の労働条件水準を適用したり、また協約に直接拘束されていない使用者であっても、産別協約に準拠した形で労働者の労働条件を決定するといった取り扱い(産別協約の間接的な適用)が広く行われているとされる。現に統計をみると、産別協約(団体協約)の拘束を受けている使用者に雇用されている従業員の割合という意味での協約拘束率は、なお50%を超えており、また協約に拘束されてはいないが、上記にいう協約への準拠によって労働条件を決定している使用者に雇用される従業員の割合をも含めると、ドイツにおける産別協約(団体協約)の拘束率は、依然として70%を超えているという結果が示されているのも、上記のようなドイツにおける実態が背景にあるものと解される。
以上を総じて言い表すならば、ドイツにおいては(直接的な適用か、間接的な適用かはさて置くとして、)いわば“労働協約によって裏付けられた(tarifgestutzte)”労働条件が、労働関係に対する規範設定、ないし労働条件決定に当たって、いまなお高いプレゼンスを誇っているものと評価することができる。
Ⅱ 産業レベルから、事業所・企業レベルへの労働条件規整権限の「分権化」現象は、実態として、どの程度進んでいるのか。
もっとも、産業レベルの労使関係によって締結され、当該産業における労働条件を企業横断的、ないし集権的に規整する産業別労働協約に対しては、1990年以降になるとその下方硬直性が指摘され、「分権化」の必要性が叫ばれるようになる。そして、かかる分権化という現象には、労働条件の実質的な規整権限が、ⅰ)産別協約から、事業所委員会および個別使用者による労使関係、およびかかる事業所内労使関係(事業所パートナー)によって締結される事業所協定へと移行しつつあるという意味のものと、ⅱ)労働組合と個別使用者による労使関係、およびかかる労使関係によって締結される企業別労働協約へと移行しつつあるという意味のものとの2種類が考えられうるが、本報告書での検討によれば、これらⅰ)・ⅱ)についてはそれぞれ、現状、次のような状況にあることが明らかとなった。
すなわち、まずⅰ)についていえば、幾つかの産別協約を素材として分析を行ったところ、現在のドイツの産別協約においては、事業所パートナーが事業所協定によって、協約が定める労働条件水準からの逸脱することを認める規定(開放条項)も幾つか存在しており、それによって、確かに企業・事業所レベルでの柔軟な労働条件規整の余地が開かれてはいる。しかし、それと同時に、これら開放条項の利用のための要件や許される逸脱の範囲についても、産別協約自体のなかで厳格に設定されており、それによって現在のドイツにおける「分権化」現象というのは、あくまで産業レベルの労使関係(産別組合‐使用者団体)によって「コントロールされた分権化(kontrolierte Dezentralisierung)」と評すべきものとなっていることが明らかとなった。また、これと並んで、上記・産別協約のうち幾つかのものにおいては、企業・事業所レベルでの柔軟な労働条件規整というのは、事業所パートナーをアクターとする事業所協定ではなく、産別組合自身の手による企業関係的団体協約や企業別協約によって、(既に産別協約の適用下にある)個々の企業・事業所について、その具体的状況に合わせて特別の規整を行うという意味での、労働条件規整の「個別企業・事業所化」をもって実現することとされており、また実際にこのような手段によって柔軟な労働条件規整を図っている事業所があることも同時に明らかとなった。
一方、ⅱ)についていえば、確かに現在ドイツにおいて企業別協約を締結する企業数は増えてきており、この点はかつて見られなかった変化であるけれども、かかる企業別協約が締結される例においては、あくまで産別組合が主体となって、産別協約による拘束を受けていない(あるいはそれから逃亡しようとする)中小規模の企業と、いわゆる承認協約(Anerkennungstarifvertrag)を締結するというパターンが多くを占めているというのが実態であって、必ずしも産別協約が定める内容から大幅に逸脱する形で労働条件規整を行うツールとして企業別協約が機能しているというわけではないことが、明らかとなった。
以上のことからすれば、確かに現在のドイツにおいて、労働条件規整権限の産業レベルから企業・事業所レベルへの分権化という現象が、全く見られないということでは決して無いけれども、しかしこれをもって産業レベルでの労使関係が保持してきた労働条件規整権限を空洞化させるような要因とまで評価することは、尚早であるように思われる。
Ⅲ 集団的労使関係システムを対象とした現在のドイツの立法政策は、どのように推し進められ、またそれをめぐって、どのような議論が展開されているのか。
とはいえ、「分権化」の問題に関してはそうであるとしても、とりわけ1990年代を起点に生じた社会的・経済的な環境変化(産業構造の変化、就労形態の多様化、経済のグローバル化、公共部門の民営化など)を受けて、ドイツの労働協約システムはややもすれば「弱体化(Schwachung)」と称されるほどにダイナミックな変貌をみせた。そして、それはとりわけa)産別協約の拘束率の低下と低賃金労働者層の増加(また、それに伴う社会保障負担の増加)、およびb)専門職労働組合の台頭を契機とする「一事業所一協約」の動揺と、協約交渉・適用の複線化(また、それに伴う〔特に交通系の産業における〕ストライキの増加)という形で顕在化したために、2013年以降の大連立政権(第三次メルケル政権)のもとでは、その発足に先立って締結された連立協定に基づいて、様々な法政策が積極的かつ迅速に推し進められることとなった。
すなわち、a)については、2014年8月の協約自治強化法により、まずは労働協約法が改正され、産別協約の拘束率向上を狙って、一般的拘束力宣言制度(労働協約法5条)の実体的要件が緩和されるとともに、協約がそもそも存在しないセクターにおける低賃金労働者層を保護するために、2015年1月より全国一律の法定最低賃金制度が施行された。また、b)の問題については、2015年7月の協約単一法に基づき、連邦労働裁判所によっていちどは放棄された協約単一原則が、労働協約法4a条として(部分的に形を変えて)立法化され、それによって伝統的な一事業所一協約が復活することとなった。
この点につき、協約自治が憲法レベル(基本法9条3項)で保障されているドイツにおいては、それが実効的に機能するための基盤を整備することが、国家の責務とされてきた。そのようななかで、現在の第三次メルケル政権は、かかる憲法上の要請をも受けて、一般的拘束力宣言制度の要件緩和と協約単一原則の立法化という法政策により、伝統的な協約システムの機能を取り戻そうとするとともに、法定最低賃金制度の法政策によって伝統的に労働協約が果たしてきた機能の一部を国家自らが引き受けようとしているものと評価することができる。これら、一連の法政策が、いずれも「協約自治の強化(Starkung der Tarifautonomie)」という命題のもとで行われているのも、かかる認識が連邦政府の側にあるためであろう。
もっとも、これらの法政策のうち法定最低賃金制度に関しては、論者の間ではおおむね肯定的に評価されてはいるものの、一部には、協約締結能力論(判例)が果たしてきた機能を意識しつつ、「協約に開かれた法規」が認められていない点を捉え、協約自治への介入の相当性につき疑問を呈する向きがあるとともに、協約単一原則(労働協約法4a条)に対しては、(上記・専門職労働組合をはじめ)事業所内における少数組合の協約自治を含む団結の自由(基本法9条3項)に対する不当な介入であるとして、特に労働法学説において、その合憲性が強く疑われている状況にある。
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