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2017年3月

2017年3月31日 (金)

西村純『スウェーデンにおける労働移動を通じた雇用維持』

こちらは西村純さんのディスカッションペーパー、『スウェーデンにおける労働移動を通じた雇用維持―労使による再就職支援システムを中心に―』です。

http://www.jil.go.jp/institute/discussion/2017/17-02.html

http://www.jil.go.jp/institute/discussion/2017/documents/DP17-02.pdf

こちらは、さらりと「主な事実発見」が書かれていますが、これはこれでなかなかインプリケーションが大きいです。

1.労働力の価格の維持・向上にかかわり、スウェーデンでは産業別協約によって、厳格な賃上げ相場が設定されている。これは、企業規模や企業の経営状況にかかわらず、協約が適用される全ての企業が守らなければならない水準として設定されている。

2.とはいえ、産業別協約は、個人への分配に対しては、特に厳格な規定は設けていない。実際の賃金額は、個別企業内における労使交渉によって決められるべきだと考えられている。

3.そのような賃金決定の下、企業内での雇用維持にかかわっても、組合は交渉当事者として、積極的に関与していた。

4.労働移動を通じた雇用維持についても、労使による自主的な取り組みが実施されている。民間ブルーカラー、民間ホワイトカラー、地方公務員などそれぞれのグループで独自の基金が設けられて、サービスが提供されている。

5.加えて、民間ブルーカラーを対象としたTSLシステムを見てみると、その利用者のうち、サービス提供終了後に、労働市場プログラムや公共職業紹介所に行っている者は、ごく僅かとなっている。このことから、経済的理由による整理解雇の対象となった者のうちの多くが、このサービスによって次の職場に移っていることが分かる。

6.移動までの期間であるが、おおむね1年以内に8割のクライアント(サービス利用者)が、次の職場に移っている。

7.再就職支援サービスの質の維持および向上において、労使は一定の役割を果たしている。サービス供給主体であるサプライヤー企業の評価や進捗管理において、ナショナルセンターの労使や産業別組合が果たしている役割は、小さくない。

山本陽大『ドイツにおける集団的労使関係システムの現代的展開』

Yamamoto年度末の駆け込みで、山本陽大さんの報告書『ドイツにおける集団的労使関係システムの現代的展開―その法的構造と規範設定の実態に関する調査研究』がJILPTのホームページにアップされました。

http://www.jil.go.jp/institute/reports/2017/0193.html

http://www.jil.go.jp/institute/reports/2017/documents/0193.pdf

ドイツにおける労働協約システムの法的構造、労働協約に基づく労働条件規整の現状、近年指摘される労働条件規整権限の産業レベルから企業・事業所レベルへの移行(いわゆる分権化現象)、労働協約システムを対象とした最近の法政策およびそれをめぐる議論動向など、ドイツにおける集団的労使関係システムの現代的な展開を、包括的に、かつ可能な限り実態レベルにまで踏み込んだ形で描き出す。

というわけで、この5年間山本さんが取り組んできたドイツの集団的労使関係システムの研究のとりあえずの集大成です。

PDFファイルを見ると分かるように400ページを超える分厚い報告書ですが、ホームページ上に「主な事実発見」として書いた概要も、結構長くて大変です。

Ⅰ ドイツにおける産業別労働協約は、現在にあってどの程度の労働条件規整力を保持しているのか。

ドイツにおける集団的労使関係システム(とりわけ、労働協約システム)においては、歴史的に労働組合および使用者団体が産業別に組織され、また協約交渉(団体交渉)も産業単位で行われてきたことから、労働協約も伝統的には産業別労働協約として締結され、企業横断的に適用されることで、当該産業における最低労働条件を規整する機能を果たしてきた。ドイツ法上、労働協約の法的効力(協約拘束力〔労働協約法3条1項〕、および規範的効力〔同法4条1項1文〕)は直接的には、当該協約締結当事者の構成員(労働組合員・使用者団体加盟企業)に対してのみ及ぶこととされているが、一定の場合には一般的拘束力宣言制度(労働協約法5条)によって、当該協約の適用範囲下にある非組合員ないし使用者団体非加盟企業に対しても、その法的効力が及ぶこととなっている。そして、かつては産別組合・使用者団体双方ともに、比較的組織率が高く、また上記・一般的拘束力宣言制度も活用されてきたことから、ドイツの産別協約は、伝統的には当該産業における労働者・使用者を広くカバーしてきた。

もっとも、1990年以降、産別労使団体双方の組織率が低下し、またそれに伴って一般的拘束力宣言制度にも機能低下が生じたことで、法的な意味での産別協約の直接的な拘束率は、かつてのそれよりもかなり低下している。しかしながら、ドイツにおいては実務レベルに目を向けると、使用者側が産別協約に拘束されていれば、当該事業所内における非組合員に対しても、いわゆる援用条項によって当該産別協約上の労働条件水準を適用したり、また協約に直接拘束されていない使用者であっても、産別協約に準拠した形で労働者の労働条件を決定するといった取り扱い(産別協約の間接的な適用)が広く行われているとされる。現に統計をみると、産別協約(団体協約)の拘束を受けている使用者に雇用されている従業員の割合という意味での協約拘束率は、なお50%を超えており、また協約に拘束されてはいないが、上記にいう協約への準拠によって労働条件を決定している使用者に雇用される従業員の割合をも含めると、ドイツにおける産別協約(団体協約)の拘束率は、依然として70%を超えているという結果が示されているのも、上記のようなドイツにおける実態が背景にあるものと解される。

以上を総じて言い表すならば、ドイツにおいては(直接的な適用か、間接的な適用かはさて置くとして、)いわば“労働協約によって裏付けられた(tarifgestutzte)”労働条件が、労働関係に対する規範設定、ないし労働条件決定に当たって、いまなお高いプレゼンスを誇っているものと評価することができる。

Ⅱ 産業レベルから、事業所・企業レベルへの労働条件規整権限の「分権化」現象は、実態として、どの程度進んでいるのか。

もっとも、産業レベルの労使関係によって締結され、当該産業における労働条件を企業横断的、ないし集権的に規整する産業別労働協約に対しては、1990年以降になるとその下方硬直性が指摘され、「分権化」の必要性が叫ばれるようになる。そして、かかる分権化という現象には、労働条件の実質的な規整権限が、ⅰ)産別協約から、事業所委員会および個別使用者による労使関係、およびかかる事業所内労使関係(事業所パートナー)によって締結される事業所協定へと移行しつつあるという意味のものと、ⅱ)労働組合と個別使用者による労使関係、およびかかる労使関係によって締結される企業別労働協約へと移行しつつあるという意味のものとの2種類が考えられうるが、本報告書での検討によれば、これらⅰ)ⅱ)についてはそれぞれ、現状、次のような状況にあることが明らかとなった。

すなわち、まずⅰ)についていえば、幾つかの産別協約を素材として分析を行ったところ、現在のドイツの産別協約においては、事業所パートナーが事業所協定によって、協約が定める労働条件水準からの逸脱することを認める規定(開放条項)も幾つか存在しており、それによって、確かに企業・事業所レベルでの柔軟な労働条件規整の余地が開かれてはいる。しかし、それと同時に、これら開放条項の利用のための要件や許される逸脱の範囲についても、産別協約自体のなかで厳格に設定されており、それによって現在のドイツにおける「分権化」現象というのは、あくまで産業レベルの労使関係(産別組合‐使用者団体)によって「コントロールされた分権化(kontrolierte Dezentralisierung)」と評すべきものとなっていることが明らかとなった。また、これと並んで、上記・産別協約のうち幾つかのものにおいては、企業・事業所レベルでの柔軟な労働条件規整というのは、事業所パートナーをアクターとする事業所協定ではなく、産別組合自身の手による企業関係的団体協約や企業別協約によって、(既に産別協約の適用下にある)個々の企業・事業所について、その具体的状況に合わせて特別の規整を行うという意味での、労働条件規整の「個別企業・事業所化」をもって実現することとされており、また実際にこのような手段によって柔軟な労働条件規整を図っている事業所があることも同時に明らかとなった。

一方、ⅱ)についていえば、確かに現在ドイツにおいて企業別協約を締結する企業数は増えてきており、この点はかつて見られなかった変化であるけれども、かかる企業別協約が締結される例においては、あくまで産別組合が主体となって、産別協約による拘束を受けていない(あるいはそれから逃亡しようとする)中小規模の企業と、いわゆる承認協約(Anerkennungstarifvertrag)を締結するというパターンが多くを占めているというのが実態であって、必ずしも産別協約が定める内容から大幅に逸脱する形で労働条件規整を行うツールとして企業別協約が機能しているというわけではないことが、明らかとなった。

以上のことからすれば、確かに現在のドイツにおいて、労働条件規整権限の産業レベルから企業・事業所レベルへの分権化という現象が、全く見られないということでは決して無いけれども、しかしこれをもって産業レベルでの労使関係が保持してきた労働条件規整権限を空洞化させるような要因とまで評価することは、尚早であるように思われる。

Ⅲ 集団的労使関係システムを対象とした現在のドイツの立法政策は、どのように推し進められ、またそれをめぐって、どのような議論が展開されているのか。

とはいえ、「分権化」の問題に関してはそうであるとしても、とりわけ1990年代を起点に生じた社会的・経済的な環境変化(産業構造の変化、就労形態の多様化、経済のグローバル化、公共部門の民営化など)を受けて、ドイツの労働協約システムはややもすれば「弱体化(Schwachung)」と称されるほどにダイナミックな変貌をみせた。そして、それはとりわけa)産別協約の拘束率の低下と低賃金労働者層の増加(また、それに伴う社会保障負担の増加)、およびb)専門職労働組合の台頭を契機とする「一事業所一協約」の動揺と、協約交渉・適用の複線化(また、それに伴う〔特に交通系の産業における〕ストライキの増加)という形で顕在化したために、2013年以降の大連立政権(第三次メルケル政権)のもとでは、その発足に先立って締結された連立協定に基づいて、様々な法政策が積極的かつ迅速に推し進められることとなった。

すなわち、a)については、2014年8月の協約自治強化法により、まずは労働協約法が改正され、産別協約の拘束率向上を狙って、一般的拘束力宣言制度(労働協約法5条)の実体的要件が緩和されるとともに、協約がそもそも存在しないセクターにおける低賃金労働者層を保護するために、2015年1月より全国一律の法定最低賃金制度が施行された。また、b)の問題については、2015年7月の協約単一法に基づき、連邦労働裁判所によっていちどは放棄された協約単一原則が、労働協約法4a条として(部分的に形を変えて)立法化され、それによって伝統的な一事業所一協約が復活することとなった。

この点につき、協約自治が憲法レベル(基本法9条3項)で保障されているドイツにおいては、それが実効的に機能するための基盤を整備することが、国家の責務とされてきた。そのようななかで、現在の第三次メルケル政権は、かかる憲法上の要請をも受けて、一般的拘束力宣言制度の要件緩和と協約単一原則の立法化という法政策により、伝統的な協約システムの機能を取り戻そうとするとともに、法定最低賃金制度の法政策によって伝統的に労働協約が果たしてきた機能の一部を国家自らが引き受けようとしているものと評価することができる。これら、一連の法政策が、いずれも「協約自治の強化(Starkung der Tarifautonomie)」という命題のもとで行われているのも、かかる認識が連邦政府の側にあるためであろう。

もっとも、これらの法政策のうち法定最低賃金制度に関しては、論者の間ではおおむね肯定的に評価されてはいるものの、一部には、協約締結能力論(判例)が果たしてきた機能を意識しつつ、「協約に開かれた法規」が認められていない点を捉え、協約自治への介入の相当性につき疑問を呈する向きがあるとともに、協約単一原則(労働協約法4a条)に対しては、(上記・専門職労働組合をはじめ)事業所内における少数組合の協約自治を含む団結の自由(基本法9条3項)に対する不当な介入であるとして、特に労働法学説において、その合憲性が強く疑われている状況にある。

2017年3月30日 (木)

『生活経済政策』4月号に寄せて

Img_month『生活経済政策』4月号をお送りいただきました。

http://www.seikatsuken.or.jp/monthly/

特集は「再分配の諸潮流~いかなる再分配がありうるか~」で、井出さんの編集でアメリカ、イギリス、ドイツ、デンマークの事例が紹介されているのですが、それをパラパラと読んでその次の篠田徹さんの連載を読んでいったところ、

連載 グローバル・レーバー:連帯の可能性を求めて[第2季]

[25]国際労働政治と国際労働組合運動/篠田 徹

Rothstein_bio先日本ブログでも紹介したある論考が紹介されているのが目にとまりました。ボー・ロスステインの「The Long Affair Between The Working Class And The Intellectual Cultural Left Is Over」です。わたしは「労働者階級と知的文化的左翼の永すぎた春の終焉」などと訳しましたが、篠田さんはも少し真面目に訳してますが、趣旨は同じです。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2017/02/post-1cba.html(労働者階級と知的文化的左翼の永すぎた春の終焉)

ただ、篠田さんはこの論文からこういう議論を導いていきます。

・・・ここで強調しておきたいのは、労働組合運動は左翼のイノベーターなしには社会を変えられなかった受け身な存在ではなかった。むしろ彼ら彼女と手を組んで、当時必ずしもメジャーでなかった人々ともに社会変革を通じた労働者の利益増進という戦略を採用した際の主導権は労働組合運動の側にあっただろう。つまり両者の関係は必然的というよりは契約的であり、そうした選択をし、彼ら彼女らを利用し労働組合運動の主体性の結果だったという点である。・・・

これは近代史を、社会主義者など左翼思想の観点から描くか、現場の労働運動の側から描くかによって、その描像ががらりと変わってくるということでもあります。一方の極には、労働組合を革命の学校とみなし、社会主義運動に従属すべきものと考えたマルクス主義が位置し、他方の極には社会主義運動を毛嫌いしたサミュエル・ゴンパースのような労働運動家が位置するわけですが、その間には、お互いに利用しあい、されあった労働運動を社会主義者との協力関係があったわけです。

医師は労働者にあらず!??

なんだか、日本医師会の会長さんが「医師の雇用を労働基準法で規律することが妥当なのかも含めて考えていきたい。医師が労働者と言われると、(意識したことがなく)少し違和感もある」と口走ったそうですが・・・、

http://www.asahi.com/articles/ASK3Y6RSFK3YUBQU011.html

政府の働き方改革実行計画で、医師の残業時間の具体的な規制内容が今後検討されることについて、日本医師会の横倉義武会長は29日の会見で、「医師の雇用を労働基準法で規律することが妥当なのかも含めて考えていきたい。医師が労働者と言われると、(意識したことがなく)少し違和感もある」と述べた。

 医師には、原則として診療を拒めない「応召義務」がある。実行計画では、医師は規制の適用が5年程度猶予されるが、2019年3月末までに具体的な内容を検討する。新年度に厚生労働省内に検討会が設けられる予定だ。

 横倉会長は、検討課題として医師の健康や応召義務を挙げ、「(残業時間の)上限を超えても、患者の状態が悪くなったとき放っておけず、仕事をしてしまう。罰則を与えるのか、応召義務を外していいのか、大変な議論になる」と話した。

いやもちろん、雇用契約に基づいて病院等に勤務して診療行為に従事している医師は労働者以外の何者でもありませんよ。自分で診療所を開院している自営業者の医師は労働者ではありませんが。

という、小学生でも分かることが分かっていないように見えるのは、日本医師会が(会員数だけで言えば勤務医が相当数に達しているにもかかわらず)、その運営の実権がほとんど自営業医師の皆さんによって動かされているからなのか、などとあらぬ疑いをかけたくもなります。

医師の長時間労働問題については、本ブログでも何回か取り上げてきたテーマではあります。

2013年に『労基旬報』に寄稿した「医者の不養生」では、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2013/06/post-77bf.html(医者の不養生)

今年2月12日、最高裁判所は奈良県立奈良病院事件の上告を受理しないという決定を下しました。これにより、医師の宿日直をめぐる問題に最終判断が下されたことになります。もっとも、その判断の内容は労働基準法施行当初から当然と考えられてきたことに過ぎないのですが、医療界にとっては驚天動地のものであったようなのです。・・・

最高裁の判決が出ても未だに医師会の上層部の感覚はあまり変わっていないというあたりが、この問題の難しさを示しているのかも知れません。

120806実は、同じ2013年に私の編著で刊行したミネルヴァ書房の「福祉+α」シリーズの『福祉と労働・雇用』では、この問題に注意を喚起するためにも、わざわざ1章を割いて中島勧さんに「医療従事者の長時間労働」という論文を書いていただきました。

http://www.minervashobo.co.jp/book/b120806.html

第11章 医療従事者の長時間労働 中島勧

1 医療従事者の労働事情

2 医師の労働問題

3 労働問題の原因

4 長時間労働の見通し

5 長時間労働の軽減に向けて

この論文の冒頭にも「医者の不養生」という言葉が出てきます。

「医者の不養生」という言葉がある。その意味は、「医師が自分のことを顧みずに患者の治療に打ち込んでいる」という肯定的なものではなく、「正しいと分かっていながら、実行が伴わないこと」という否定的な意味が含まれている。医療従事者の労働事情を考えてみると、この言葉の意味が、医療従事者にとっても、そして医療と労働問題をともに所管する厚生労働省にとっても、異なる意味としてではあるものの、非常によく当てはまっていると感じられる。世間では常識とされている労働者の権利が医療界では顧みられていない場面が多く、それが医療体制の破綻につながっているにもかかわらず、一向に抜本的な解決策が講じられていないのである。・・・・・

いやそもそも「正しいと分かっていな」いような気も・・・。

2017年3月29日 (水)

非雇用型テレワークへの法的保護?

月曜日から今日まで、JILPTの国際比較労働政策セミナーがあり、3日間ずっと出ていましたが、改めて感じたのは、報告者の半分以上がいわゆる労働のデジタル化、雇用労働と自営業の不分明化に関わる話題を取り上げていたことです。

日本におけるこの問題への関心の奇妙な低さを考えると、なんだか日本の知的世界がエアポケットに入っているような感じもします。

その中で、昨日まとめられた働き方改革実行計画で、同一賃金や長時間労働のようにはあんまりマスコミ等の注目を引いていませんが、今後の労働法政策の行方を占う上で見逃せないのが、非雇用型テレワークへの言及です。

http://www.kantei.go.jp/jp/singi/hatarakikata/dai10/siryou1.pdf

16ページの文章を引っ張っておきますと、

( 2)非雇用型テレワークのガイドライン刷新と働き手への支援
 事業者と雇用契約を結ばずに仕事を請け負い、自宅等で働くテレワークを「非雇用型テレワーク」という。インターネットを通じた仕事の仲介事業であるクラウドソーシングが急速に拡大し、雇用契約によらない働き方による仕事の機会が増加している。こうした非雇用型テレワークの働き手は、仕事内容の一方的な変更やそれに伴う過重労働、不当に低い報酬やその支払い遅延、提案形式で仮納品した著作物の無断転用など、発注者や仲介事業者との間で様々なトラブルに直面している。
 非雇用型テレワークを始めとする雇用類似の働き方が拡大している現状に鑑み、その実態を把握し、政府は有識者会議を設置し法的保護の必要性を中長期的課題として検討する。
 また、仲介事業者を想定せず、働き手と発注者の相対契約を前提としている現行の非雇用型テレワークの発注者向けガイドラインを改定し、仲介事業者が一旦受注して働き手に再発注する際にも当該ガイドラインを守るべきことを示すとともに、契約文書のない軽易な取引や著作物の仮納品が急増しているなどクラウドソーシングの普及に伴うトラブルの実を踏まえ、仲介手数料や著作権の取扱の明示など、仲介事業者に求められるルールを明確化し、その周知徹底及び遵守を図る。
 加えて、働き手へのセーフティネットの整備や教育訓練等の支援策について、官民連携した方策を検討し実施する。

まさにデジタル化に伴う新たな働き方の問題に「法的保護の必要性を中長期的課題として検討する」ことに踏み出すようです。

これはもっともっと注目されて良いテーマです。そして、温故知新、かつて1960年代に家内労働法の制定に向けて、全国的に大規模な家内労働の調査をやったことがあることも思い出されてもいいのではないかと思います。

2017年3月27日 (月)

常見陽平『なぜ、残業はなくならないのか』

51djj5ccrfl__sx311_bo1204203200_常見陽平さんの新著『なぜ、残業はなくならないのか』(祥伝社新書)をお送りいただきました。乙もありがとうございます。

これが、残業大国・日本の正体だ!

2016年9月に労災認定された「電通過労自死事件」。この事件により、長時間労働の是正に関して、世論が動いたことはまちがいない。これは電通だけではなく、日本の企業全体の問題だからである。
とくに、所定外時間労働のひとつである「残業」には、わが国の労働社会の問題が凝縮されている。「残業」は憎 らしいほど合理的だ。そもそもが、日本の労働現場は残業しなければならないように設計されているのだ。
  本書では、この問題にいかに立ち向かうべきかを深く掘り下げて議論し、政府が進める「働き方改革」についても、その矛盾を鋭く指摘する。
すべての働く日本人に、気付きを与える一冊。

というわけで、中身は次の通りですが、

はじめに---合理的な残業にどう立ち向かうのか
第1章・日本人は、どれくらい残業しているのか?
第2章・なぜ、残業は発生するのか?
第3章・私と残業
第4章・電通過労自死事件とは何だったのか?
第5章・「働き方改革」の虚実
第6章・働きすぎ社会の処方箋
おわりに

なんと言っても読みどころは第3章の「私と残業」でしょう。あのリクルートに入社し、まさにモウレツ社員として超残業をくぐり抜けてきた常見さんだからこそ語れるリアルな体験記です。

はじめにの最後に「※なお、この本は2017年3月1日現在の情報をもとに書かれている。」とお断りがされていますが、その後先週まとめられた時間外労働の上限設定の話に対しても、本書の議論がそのまま通用するでしょう。

二宮誠『「オルグ」の鬼』

9784062817158_obi_w二宮誠さんから『「オルグ」の鬼』(講談社α文庫)をお送りいただきました。ありがとうございます。

http://bookclub.kodansha.co.jp/product?isbn=9784062817158

新刊書ですが、中身は2年半前に出た『労働組合のレシピ』の加筆修正版です。

なので、その時の本ブログの紹介を引用しておきます。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2014/12/post-71e8.html(二宮誠『労働組合のレシピ』)

二宮誠さんより『労働組合のレシピ』(メディア・ミル)をお送りいただきました。伝説のオルグ二宮さんの一代記です。

中身の大部分は、オーラルヒストリーで語られたことですが、いろんな方々との対談も収録され、また最後のところで、二宮さんの労働組合論が骨太に語られており、改めて読んで感動できる本です。

ということで、その中身はさらに二宮さんのオーラルヒストリーで語られたことに遡ります。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/post-e847.html(『二宮誠オーラルヒストリー』)

二宮誠さんといえば、知る人ぞ知るゼンセンの伝説的なオルガナイザーであり、日本三大オルグの一人と唱われた方ですが、その二宮さんが満を持して(?)オルグの秘策をぶちまけています。これは本当に必読。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/h-7bb6.html(組と組合はどう違う?)

・・・こういうのを見ると、「組と組合はどう違う?アイがないのが組、アイがあるのが組合」という戯れ言がなるほどという気になります。

私はこのオーラルヒストリーを宣伝したくて、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2013/12/post-5f85.html(誰か『組合オルグ一代』を映画かドラマにしませんか?)

・・・これはほんとに、映画かドラマ化したら結構受けそうな気が。

ダンダリンが評判とってる時期だけに、組合オルグの一代記ってのもいいんじゃないか、と心ある映画人かテレビ人はいないものでしょうか。

と訴えてきたんですが、残念ながら心ある映画人はまだ現れていないようです。なので、それまではせめて本書を読んで、二宮さんの活躍ぶりを堪能してください。

時間外労働の上限をめぐるめんどくさい話@WEB労政時報

WEB労政時報に「時間外労働の上限をめぐるめんどくさい話」を寄稿しました。

https://www.rosei.jp/readers-taiken/hr/article.php?entry_no=640

去る3月13日、経団連と連合は「時間外労働の上限規制等に関する労使合意」をまとめ、安倍総理に報告したところ、安倍総理は「今回の合意では100時間を基準値とするとされていますが、是非(ぜひ)、100時間未満とする方向で検討していただきたいと先ほど両会長にお願いをし」たと報じられています(関連記事はこちら)。マスコミではこの「100時間」をめぐる問題ばかりがフレームアップされていますが、この合意をよく読むと時間外労働をめぐる複雑怪奇な問題の一片が露呈していて、労働法制のいい勉強になります。今回は、そもそも時間外労働の上限とは何なのか?――という“そもそも論”にも及ぶ、このいささかめんどくさい話を解説しておきたいと思います。

 
 まずは、経団連と連合の合意文書です。この「基準値」は安倍総理の言葉に沿って「未満」になるのですが、それ以外のところをよく見てください。
1.上限規制 ・・・

2017年3月26日 (日)

組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律等の一部を改正する法律案における労働法関係規定

去る3月21日に国会に提出された「組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律等の一部を改正する法律案」では、新たに設けられる第6条の2において「テロリズム集団その他の組織的犯罪集団による実行準備行為を伴う重大犯罪遂行の計画」を刑罰の対象としていますが、

http://www.moj.go.jp/content/001221006.pdf

(テロリズム集団その他の組織的犯罪集団による実行準備行為を伴う重大犯罪遂行の計画)

第六条の二 次の各号に掲げる罪に当たる行為で、テロリズム集団その他の組織的犯罪集団(団体のうち、その結合関係の基礎としての共同の目的が別表第三に掲げる罪を実行することにあるものをいう。次項において同じ。)の団体の活動として、当該行為を実行するための組織により行われるものの遂行を二人以上で計画した者は、その計画をした者のいずれかによりその計画に基づき資金又は物品の手配、関係場所の下見その他の計画をした犯罪を実行するための準備行為が行われたときは、当該各号に定める刑に処する。ただし、実行に着手する前に自首した者は、その刑を減軽し、又は免除する。

一 別表第四に掲げる罪のうち、死刑又は無期若しくは長期十年を超える懲役若しくは禁錮の刑が定められているもの五年以下の懲役又は禁錮

二 別表第四に掲げる罪のうち、長期四年以上十年以下の懲役又は禁錮の刑が定められているもの二年以下の懲役又は禁錮

2前項各号に掲げる罪に当たる行為で、テロリズム集団その他の組織的犯罪集団に不正権益を得させ、又はテロリズム集団その他の組織的犯罪集団の不正権益を維持し、若しくは拡大する目的で行われるものの遂行を二人以上で計画した者も、その計画をした者のいずれかによりその計画に基づき資金又は物品の手配、関係場所の下見その他の計画をした犯罪を実行するための準備行為が行われたときは、同項と同様とする。

この「テロリズム集団その他の組織的犯罪集団」とは、「その結合関係の基礎としての共同の目的が別表第三に掲げる罪を実行することにあるもの」ということなので、その別表第3をみていくと、いくつかの労働法の規定が目に付きました。

別表第三(第六条の二関係)

七労働基準法(昭和二十二年法律第四十九号)第百十七条(強制労働)の罪

八職業安定法(昭和二十二年法律第百四十一号)第六十三条(暴行等による職業紹介等)の罪

六十四労働者派遣事業の適正な運営の確保及び派遣労働者の保護等に関する法律第五十八条(有害業務目的の労働者派遣)の罪

強制労働や暴行で人入れ稼業するようなのはヤクザのたぐいだろうと思うでしょうが、いや確かにそうでもあるんですが、実はこれら規定で摘発され有罪となっているのは、最近出演強制が話題のアダルトビデオ業界でもあるのですね。

たまたま昨年、新聞記事に触発されていくつか裁判例を調べたことがあるのですが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2016/06/post-d708.html (公衆道徳上有害な業務に就かせる目的で労働者派遣をした者は)

労働者派遣法58条の有害目的の労働者派遣も、職業安定法63条2項の有害目的の職業紹介、労働者の募集若しくは労働者の供給も、まさにアダルトビデオ出演に適用されています。詳しくはリンク先エントリを参照。

なので、本法律が成立すると、アダルトビデオ出演を募集/紹介/供給/派遣することを目的とする団体は、「テロリズム集団その他の組織的犯罪集団」に該当することになりそうです。そして、そういう団体がそ「の遂行を二人以上で計画し」、「その計画をした者のいずれかによりその計画に基づき資金又は物品の手配、関係場所の下見その他の計画をした犯罪を実行するための準備行為」を行うと、実際に原宿で若い女性に声をかけてプロダクションに引っ張り込んだりしなくても、「二年以下の懲役又は禁錮」になる可能性があるということになりそうです。

かくも重大な法案の、なんという詰まらないところにばかり興味を示しているのだと怒り出す人がいるかも知れませんが、法案の一つの読み方として。

2017年3月24日 (金)

労働時間の「延長」と休日労働

こういう素朴な疑問があったので、

https://twitter.com/Ningensanka21/status/844925129264005120

現行の大臣告示を読んでも休日労働を含めるのか否か判然としなかった。パンフレットには休日労働は含まないと記載されてるけどその根拠はどこや。

世間では「時間外労働基準」とかいいますが、正式名称は「労働基準法第三十六条第一項の協定で定める労働時間の延長の限度等に関する基準」ですね。

http://www.jil.go.jp/rodoqa/hourei/rodokijun/KO0154-H10.html

で、この「労働時間の延長」という概念は、労働基準法36条1項において、休日労働とこのように書き分けられています。

第三十六条  使用者は、当該事業場に、労働者の過半数で組織する労働組合がある場合においてはその労働組合、労働者の過半数で組織する労働組合がない場合においては労働者の過半数を代表する者との書面による協定をし、これを行政官庁に届け出た場合においては、第三十二条から第三十二条の五まで若しくは第四十条の労働時間(以下この条において「労働時間」という。)又は前条の休日(以下この項において「休日」という。)に関する規定にかかわらず、その協定で定めるところによつて労働時間を延長し、又は休日に労働させることができる。ただし、坑内労働その他厚生労働省令で定める健康上特に有害な業務の労働時間の延長は、一日について二時間を超えてはならない。

そして続く2項で、

   厚生労働大臣は、労働時間の延長を適正なものとするため、前項の協定で定める労働時間の延長の限度、当該労働時間の延長に係る割増賃金の率その他の必要な事項について、労働者の福祉、時間外労働の動向その他の事情を考慮して基準を定めることができる。

「又は」のうしろにある休日労働については基準を定めることは、少なくともこの条項を根拠にしてはできないということになりますね。

こういう法律の規定を前提にして、大臣告示は第1条でご丁寧に、

(業務区分の細分化)

第一条 労働基準法(以下「法」という。)第三十六条第一項の協定(労働時間の延長に係るものに限る。以下「時間外労働協定」という。)をする使用者及び労働組合又は労働者の過半数を代表する者(以下「労使当事者」という。)は、時間外労働協定において労働時間を延長する必要のある業務の種類について定めるに当たっては、業務の区分を細分化することにより当該必要のある業務の範囲を明確にしなければならない。

と述べているわけです。

本日の労働法講座終わり。

竹信三恵子『正社員消滅』

18905こちらはもと朝日新聞記者の竹信三恵子さんから『正社員消滅』(朝日新書)をお送りいただきました。

http://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=18905

非正規雇用が4割に達し、日本の労働環境は過酷さを増す。重い負担と責任を押し付けられる非正規社員。低待遇なのに「正社員なんだから」とブラック労働を課される「名ばかり正社員」の激増。安心・安定の象徴だった「正社員」が危機に瀕している。緊急警告!

中身は次の通りで、

第1章 正社員が消えた職場

第2章 「正社員」を支えてきたもの

第3章 社員なんだからー高拘束の独り歩き

第4章 正社員追い出しビジネスの拡大

第5章 「働き方改革」にひそむワナ

第6章 「正社員消滅」を乗り越えるために

竹信さんの本なので当然ですが、今までの正社員の働き方万歳というような本ではもちろんありません。若干タイトルがミスリーディングすれすれですが。

このうち第5章では、私も登場しています。2013年に規制改革会議雇用ワーキンググループに、佐藤博樹さんらと一緒に呼ばれてお話をしたときのことですが、

・・・こうした座長の問題意識を受けて、佐藤ら有識者を招いた第2回会合でのメンバーの質問は、解雇しやすさをどう実現するかに集中した。・・・

・・・こうして「解雇しやすい限定正社員」への期待が盛り上がる席上、佐藤らとともに有識者として招かれた濱口桂一郎は、「この問題について若干誤解があるのではないかと私は思っております」とし、次のように発言している。「労働契約法16条は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当でない解雇は権利の濫用として無効であるとしか書いて」いないきわめて基本的なもので、これをさらに緩和するとしたら「客観的に合理的な理由がなくても解雇していいのだと書くのか」「それは男を女に変える以外全てができる立法府ならやれるのかもしれませんが、恐らくそれは事実上、不可能だろう」。

さらに濱口は、佐久間のジョブ型正社員は、パフォーマンスが悪いときに解雇できることが重要という問いかけに、「どうやったら解雇できるかというところから話をすると、多分話はうまくいかない」とも発言した。大事なのは労使双方が、限定条件と雇用終了について約束を交わし、納得するようなルールをどう作っていくか、あるいは明確化していくかということであって、そうした双方の納得の結果として、仕事ができないから他の仕事に回すという可能性がなくなり、それによって解雇の可能性は一般的には高まると考えるべきだというきわめて冷静な議論だ。・・・・

これは、内閣府のホームページに載っていますので、原文を見たい方はご参考までに。

http://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/kaigi/meeting/2013/wg/koyo/130411/summary0411.pdf

両角道代・森戸英幸・梶川敦子・水町勇一郎『Legal Quest労働法』第3版

L17930両角道代・森戸英幸・梶川敦子・水町勇一郎『Legal Quest労働法』第3版(有斐閣)をお送りいただきました。ありがとうございます。

http://www.yuhikaku.co.jp/books/detail/9784641179301

初版、第2版の時にも言いましたが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-88bc.html(リーガルクエスト労働法)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2013/03/post-1ed5.html(両角道代・森戸英幸・梶川敦子・水町勇一郎『Legal Quest労働法』第2版)

学部生向けのスタンダードなテキストです。

著者の中には、必ずしもスタンダードでは「ない」(いろんな意味で)テキストブックを書かれている方もおられますので、そういうのじゃないスタンダードでいくとこうなりますよ、という典型的なテキストということでしょうか。

神戸女学院大学「働く側から見た『女性活躍推進』」(再掲)

明日、神戸女学院大学で大同生命寄付講座「働く側から見た『女性活躍推進』」で基調講演を致しますので、 再掲。なお、場所が変更されているということなので、そこは修正してあります。

http://www.kobe-c.ac.jp/files/dtl/dg_0000001722.html

【日 時】 3月25日(土)13:00~

【場 所】 本学文学館2階L-28教室

【参 加 費】 無料 ※要申込、定員200名

【プログラム】

13:00 開会

13:05~14:05

基調講演 「『女性活躍推進法』と変化する女性の働き方」濱口 桂一郎氏

14:15~15:35

パネルディスカッション 「女性にとって働きやすい会社とは?」

≪パネラー≫

・濱口 桂一郎氏

・女性ビジネスパーソン2名(本学卒業生)

・戸田 博子氏(読売新聞大阪本社 論説・調査研究室 主任研究員)

15:40~16:00

ヴォーリズ建築と「重要文化財 神戸女学院」のご紹介

※16:10~ ヴォーリズ建築の校舎ツアー(要申込)

Daido

2017年3月23日 (木)

『最新 労働者派遣法の詳解』

6370_m第一東京弁護士会労働法制委員会『最新 労働者派遣法の詳解』(労務行政)をお送りいただきました。ありがとうございます。

http://www.rosei.jp/products/detail.php?item_no=6370

さてこの本、右の書影でも分かるように、編集執筆に多くの弁護士の皆さんが関わっています。

編集代表には、安西愈、木下潮音、石井妙子、小林譲二といった大御所級、編集には倉重公太朗さんら中堅、執筆は中堅から若手クラスの弁護士です。

内容は、

第1章 これまでの派遣法の歴史と変遷

派遣法の歴史

平成24年改正と平成27年改正の関係

第2章 平成27年派遣法改正について

平成27年派遣法改正の概要

平成27年派遣法改正における派遣可能期間規制

労働契約申込みみなし制度

均衡処遇の推進/雇用安定措置・キャリアアップ措置

間接雇用であることと派遣労働者の保護

第3章 「派遣先の団交応諾義務」をめぐる諸問題

第4章  全体討議

平成27年改正をめぐる諸問題

労組法上の派遣先の使用者性

といったところですが、やはり読み物として面白いのは最後の全体討議です。ここで白熱しているのはやはり第3章で裁判例をもとに検討されている「派遣先の団交応諾義務」をめぐる諸問題です。

実は、表紙に大御所として名を連ねている山口浩一郎さん(第一東京弁護士会所属の弁護士でもあります)が、そもそも原則として派遣先に団交応諾義務はなく、派遣法が用意している苦情処理手続で対応すべきものだと論じていて、これをめぐって白熱した議論の様子が読めます。

「労働者性に関する大審院判例」@『労基旬報』2017年3月25日号

『労基旬報』2017年3月25日号に「労働者性に関する大審院判例」を寄稿しました。

 最近また「雇用類似の働き方」という名称で、非雇用労働者に関する政策が注目を集めています。この問題は労働法サイドからは「労働者性」の問題としてさまざまに議論がされてきたものですが、現在までのところ1985年に当時の労働基準法研究会がまとめた「労働基準法の『労働者』の判断基準について」という報告書がその拠り所となっています。

 しかしこの問題はおよそ労働法という特別の保護法が成立して以来常に付きまとう問題であり、既に戦前にも労働基準法の前身である工場法という法律の適用をめぐって大審院(戦前の最高裁判所)にまで持ち込まれた事案があるのです。今回は、労働法の歴史秘話ヒストリアの一環として、この今ではほぼ完全に忘れられた判例を紹介しておきましょう。

 これは昭和8年4月14日大審院判決(昭和7年第1720号)で、三重県の浴布製造業者山田豊を被告とする工場法違反事件です。彼はもともと工場法の適用を受ける浴布工場を経営していたのですが、昭和6年まず自分の妻子や旧職工を社員とする合資会社という形をとり、これが工場法違反の疑いで取り調べを受けると、今度は妻子や旧職工を組合員とする共同浴布製造組合(民法上の「組合」)を設立し、工場法の適用を受けないと主張していました。これに対し三重県当局は工場法違反として安濃津区裁判所に告発したのですが、同区裁判所は「本件ノ如ク組合契約ヲ原因トスルモノニ対シテハ工場法ノ適用ナキモノト言ハザルベカラズ」として昭和7年5月10日無罪を言い渡しました。控訴審の安濃津地方裁判所も同年10月19日、「縦令事実上ハ前記ノ如キ関係ニアリトスルモ法律上ハ他組合員ハ被告人ニ対シ組合契約ニ因ル組合員タル地位ニ在ルモノニシテ雇傭契約ニ基ク職工ノ地位ニ在ルモノニ非ザル」を以て「被告人ト他組合員トノ関係ニ付キ工場法ヲ適用スベキ限リニ非ザルモノ」としてやはり無罪の判決を下していたのです。労働の実態よりも契約形式を重視したがる裁判官の感性は戦前にも強かったわけですね。

 これに対する上告審の判決は、原判決を破棄し、有罪を言い渡しました。そのロジックを見ていきましょう。同判決は同「組合」で就労している職工たちの証言をいくつか引用しています。「自分ハ十五歳ノ時ヨリ山田浴布工場ニ通勤シ居レルガ同工場ハ其ノ後組合トナリ自分等モ組合員ト為リタル故金十五円ヲ以テ出資スルコトト為リタルモ自分等ハ金ナキ故山田ガ立替ヲキ呉レタルコトゝナリ居レリ而シテ従来自分ハ飯代ヲ差引キ月六円宛月給トシテ貰ヒ居リタルガ同工場ガ組合ト為リタル後モ月給ハ従来通リニシテ少シモ変リナシ」(谷口はる)など、就労の実態を垣間見せてくれます。

 それを踏まえて大審院は、「本件組合ニ於テハ・・・該組合ノ事業遂行ノ為被告人ガ其ノ業務執行代表者ト為リ総事業ノ執行監督利益分配並組合員ノ加入脱退除名ニ関スル全般ノ事務ヲ掌リ爾余ノ組合員ハ総テ被告人ノ指揮監督ノ下ニ組合ノ工場ニ於テ工業的作業ノ労働ニ従事シ其ノ労務ニ応ジ月給日給及製品出来高等ノ標準ニ依リ毎月其ノ報酬ヲ受ケ之ヲ各人生活ノ資ト為シ因テ以テ右組合員タルト同時ニ一面組合ニ従属シテ傭使セラレ居ル事実ヲ観取シ得ベシ然リ而シテ工場法ニ所謂職工トハ鉱業主ニ対シ従属的関係ニ於テ有償ニ工業的作業ニ従事スル工場労働者ヲ云フモノト解ズベキヲ以テ叙上被告人以外ノ組合員ガ各自該組合ノ一員タルト同時ニ一面同組合ノ職工ニ該当スルコト勿論ナリ然レバ被告人ヲ其ノ一員トスル本件組合ガ被告人以外ノ組合員ヲ職工トシテ同組合ノ工場ニ使用シ以テ常時十名以上ノ職工ヲ使用セル事実ハ其ノ証明十分ナリ」と判示しました。

 大審院は、この企業体が民法上の組合として適法に設立され、運営されていることを否定していませんし、そこで就労する労働者たちがその民法上の組合の組合員であることも否定していません。民法上の組合の組合員だからといって工場法の適用を受ける職工でなくなるわけではなく、後者の判断は契約上の地位如何ではなくて就労の実態から判断するのだというのが、この大審院判例のもっとも重要なところであり、今日においても熟読玩味すべき点であろうと思われます。

 今日、労働法の適用は就労の実態で判断すべきということは、司法関係者にもある程度共有された認識になっていることは確かでしょう。しかし、その意味については必ずしも的確に共有されているとは限らないように思われます。つまり、契約形式は雇用契約ではなく請負や本件のように組合契約であっても、就労の実態が雇用であれば、その契約を雇用契約であると性格認定すべきであるという風に理解している場合が多いのではないでしょうか。しかしそういう風にものごとを考えていくと、双方の合意で成立している契約形式をあえて否定するだけの根拠が必要ということになり、労働者性の認定が難しくなってしまうのではないでしょうか。

 民法上の契約類型としては雇用契約ではなく請負契約や場合によっては組合契約であるかも知れないが、そうであると「同時ニ一面」において、労働法上の労働者であるということは十分あり得るのであり、むしろこういった限界事例においては積極的にそういう判断をしていくべきなのではないか、といったことを、この80年以上も前の大審院判例はわれわれに考えさせてくれます。

2017年3月21日 (火)

『POSSE』34号

Hyoshi34『POSSE』34号をお送りいただきました。特集は「ポスト電通事件の過労死対策」です。

http://www.npoposse.jp/magazine/no34.html

2016 年、電通で働いていた24 歳の女性社員が
過労自死した事件が大きく取り上げられた。
この事件をきっかけに「過労死」が改めて社会問題として注目され、
その対策が急がれている。
そこで本特集では、過労死対策に取り組む様々な現場の最前線を取り上げている。
過労死をなくしていくためには何が必要なのか。
現場の取り組みから現状を捉え直し、
「ポスト電通事件」の過労死対策を展望する。

目次は次の通りです。

◆特集「ポスト電通事件の過労死対策」

15分でわかる過労死問題と近年の過労死対策
本誌編集部

電通事件後、労働基準監督行政はどう変わったのか
現役労働基準監督官×坂倉昇平(本誌編集長)

36協定の上限規制だけではなく労働時間の適正把握を
松丸正(弁護士)

ルポ
過労死に直面した遺族はどのようにして声を上げられるか

本誌編集部

昔、その気もないのにうっかり自殺しかけました。
汐街コナ(イラストレーター)

◆単発

川崎鶴見臨港バス、36年ぶりのストライキ
小山國正(臨港バス交通労働組合執行委員長)×田端正幸(臨港バス交通労働組合書記長)×髙橋廣康(相模鉄道労働組合執行委員長)×青木正之(相模鉄道労働組合書記長)

労働問題の刑事事件化の意義と問題点
戸舘圭之(弁護士)×青木耕太郎(ブラックバイトユニオン)

介護技能実習生はどのように受け入れられるのか
安里和晃(京都大学大学院文学研究科特定准教授)

給付型奨学金制度創設による影響
本誌編集部

小田原市「ジャンパー事件」はなぜ起きたのか?
渡辺寛人(NPO法人POSSE事務局長)

新しい求人詐欺対策は前進か、後退か
本誌編集部

ルポ
「留学生ビジネス」の闇

本誌編集部

◆新連載

My POSSEノート page1 反バッシングセンターについて
谷沢ゆい(POSSE ボランティアスタッフ)

意外な労働の世界 その1 アニメ業界
本誌編集部S.I

キーワードで読むゼロ年代の労働問題 No.1 「フリーター・ニート」
本誌編集部

ブラックバイトでわかる業界の裏側 その1
本誌編集部

◆連載

いまどきの大学生 第6回

労働問題NEWS vol.8
職業安定法の改正案/雇用保険制度の見直し/「混合介護」導入


知られざる労働事件ファイル No.8
民間語学学校ECCに対するストライキ闘争で非正規雇用労働者の賃上げを実現

山原克二(ゼネラルユニオン・執行委員)×エルサ・バドザウスキー(ゼネラルユニオン副委員長(民間語学学校担当))

ブラック企業のリアル vol.19 放送業界

若者の貧困のリアル vol.8
利用者に精神的な苦痛を与える生活保護行政の不適切な対応


文化と社会 第3回
「諦め」の常態化に抗う―『資本主義リアリズム』の邦訳に向けて

セバスチャン・ブロイ(東京大学大学院博士後期課程在籍)/河南瑠莉(ベルリン・フンボルト大学文化科学研究科修士課程在籍)

労働と思想34
カール・ウィリアム・カップ―社会的費用論と制度派経済学

羽島有紀(一橋大学大学院博士課程在籍)

ともに挑む、ユニオン 団交file.15
「若手社員に対する飲み会での50発殴打・暴行傷害事件」〈前編〉

北出茂(地域労組おおさか青年部書記長)

ちなみに最後の『編集長の部屋』では、坂倉さんがせっかくブラックバイト問題で清水富美加さんと共演したのに、彼女の労働問題を自分たちの方にひっぱてこれなかったことを後悔しまくってます。

『変化する雇用社会における人事権』

Jinjiken第一東京弁護士会労働法制委員会編著『変化する雇用社会における人事権 ~配転、出向、降格、懲戒処分等の現代的再考~』(労働開発研究会)をお送りいただきました。ありがとうございます。

http://www.roudou-kk.co.jp/books/book-list/4837/

■変化する雇用社会、現代的な労働契約関係における「人事権」のあり方とは。日本的雇用慣行の特殊性とされている人事権について多面的に検討した一冊。
■Q&A形式で148項目におよぶ充実した解説を掲載!専門家から企業実務担当者までオススメの書籍

この本、真ん中のメイン部分は倉重公太朗さんをはじめとする中堅若手の経営法曹の皆さんがQ&A方式で個別論点を様々に論じていて、それがメインではあるのですが、読み物としてははじめの部分に載っている安西愈、山口浩一郎といった錚々たる大御所のエッセイと、そもそも本書の趣旨を語っている最後の木下潮音さんの論考がとても面白いです。

巻頭言 人事権と人生

安西 愈

労働組合関連の人事権行使

山口浩一郎

変更解約告知と正社員・限定正社員・有期契約労働者

小林譲二

「転勤」を考える―裁判官の論理と心理―

相良朋紀

管理職と降格 辛い中間管理職を考える

奥川貴弥

終章

人事権の展開と企業の実務

木下潮音

たとえば安西さんのエッセイでは、

・・私の場合も、高卒初級職で何も分からないまま採用された香川労働基準局を振り出しの職業生活において、今日の状況といったことはまったく予想もされず、それには配属された職場においてキャリア形成について覚醒されたり、その後人事権の行使で指導教育や支援を得た各配転先職場での上司に恵まれたからであり、そのような上司に恵まれなかったら、今日の私はなく、定年もはるかに過ぎた今ごろは、実家で片手間の農業をしている生活ではなかったかと思われる。・・・

と、まさに人事権の行使こそがキャリアを切り開いてきたことを想起されていますし、相良さんのエッセイでは冒頭、こういう一節が連ねられます。

裁判官には転勤が付き物である。裁判官として裁判所に任用された以上、日本国の裁判所がある限りどこへでも行く、そういう建前で裁判官となる。・・・そうなると、長い裁判官生活の間には意に沿わない転勤を命ぜられ、やむなく従うことをほとんどの裁判官が経験する。

裁判官のこの経験は、転勤の可否が問題となる労働事件を担当したとき、その判断に微妙な影を落とす。われわれは耐えがたきを耐えながら転勤して苦労してきている。それなのにこの程度の辛抱もできないというのは贅沢ではないか。元来雇用関係では転勤は当然に甘受すべきではないか。裁判官も人の子であるというわけで、自ら体験した苦労は他人も受け入れて当然という心理状態が無意識のうちに判断の根底に芽生えてくるのである・・・

というわけで、今話題の人事権を正面から取り上げた本書ですが、そもそもなぜ今この本を?といういきさつについては、最後で木下潮音さんが、近年の無限定正社員論、限定正社員論への違和感から始まったのだと述べています。

・・・私は労働法を実務家として長年にわたり取り扱ってきて、この「正社員は無限定である」という言葉に著しく違和感を覚えました。・・・

しかし、何故それを限定正社員との対比の上で正社員とは無限定であるということがいわれるようになったのか、あるいはそれをいわれたことをあまり批判もなく社会があたかも受け入れるような対応をしているのか。このような社会の動きに対して、労働法を実務家として行うわれわれは、この人事権というものをもう一度学び明確に定義し、そして正社員とは何か、正社員以外の雇用形態とは何か、ということについて検討を深めるべきだと考えました。・・・

決して人事権が企業にとって万能な権限であるということを再確認するためにこのテーマを取り上げたわけではありません。むしろ正社員であれば人事権が広範にとはいいますが、無限定にあるいは無制限に人事権の下にあるというような一方的な議論に対する批判的な検討をするつもりで今回のテーマを取り上げました。

ここでいわれていることはまさに正しいのですが、とはいえ、木下さんが日本の労働者の圧倒的大部分は中小零細企業や大企業でも広範な人事権の下にない人々が多いことを適確に指摘しながらも、同時に

・・・常に裁判の実務家である労働法を取り扱う弁護士が過去の裁判例の検討などの形で見ている人事権の行使というのは、実は大企業つまりごく少数の労働者の事例を見ているに過ぎないのではないか・・・

といわれているように、まさに実務家自身がそういうマイノリティにフォーカスした法理論のただ中で意識形成してきたことも確かなのだと思うのです。

その意味では、「無限定正社員」というのは、本当のナマの現実レベルではかなりの程度空疎な虚構に近いかも知れないけれども、裁判所の判例レベルで浮かび上がってきてしまう知的空間では(とりわけ上述の裁判官自身のバイアスもあり)それなりの現実性を具有してしまうように思われます。このあたり、きちんと論じるためには、恐らくバーガーなんかの現実の社会的構成の議論が必要なのかも知れませんが(よくわからずにいってます)、確立した判例理論が必ずしもそれに適合していない現実にも一般論として適用されていくということがまさに判例理論の確立ということであってみれば、法律家だけではない複層的な議論が求められるのではないかな、という感想も持ちました。

2017年3月19日 (日)

左翼の文化闘争?

ここんとこ、ソーシャル・ヨーロッパ・マガジンはこの手の記事を繰り返しよく載せていますね。

https://www.socialeurope.eu/2017/03/kulturkampf-left-extremes-gone/

Blaha_bio 17日付のこれは「Kulturkampf Of The Left? Extremes, Be Gone!」(左翼の文化闘争?極端派よ、去れ)です。クルトゥールカンプフ?

Kulturkampf Of The Left? Extremes, Be Gone!

With ongoing hyper-globalisation, but especially since the beginning of Europe’s migration crisis, European society as a whole, including the Left, has seen the emergence of two extreme camps engaging in a philosophical trench warfare. The ultra-liberals and the ultra-conservatives. Socialist concerns have been suppressed. And that is a mistake.

進行するハイパーグローバル化とともに、しかしとりわけ欧州の移民危機の始まりから、左翼を含む欧州社会全体が哲学的塹壕戦を戦う二つの極端な陣営に分かれてきた。ウルトラリベラルとウルトラ保守だ。社会主義的関心は抑圧されてきた。これは間違っている。

A culture war has erupted in Europe, and it’s happening even amongst left-wingers. On the one hand, we have the liberal cosmopolitans who “welcome” refugees, advocate supra-national identities, consider borders obsolete, and have an inclination to label working-class people with some conservative prejudices as pure fascists. On the other hand, there are the traditional socialists who distrust globalisation, supra-national projects and individualistic liberal values. They consider the post-material “New Left” ridiculous and they blame it for the fact that working-class voters are leaving the Left and beginning to vote for the far-right. In their extreme, both these attitudes are dangerous – one leads to neoliberalism, the other to nationalism.

欧州に文化闘争が勃発し、それは左翼勢力の中でも起こっている。一方には、難民を歓迎し、国家を超えたアイデンティティを唱道し、国境を時代遅れとみなし、保守的な偏見を持つ労働者階級の人々を真性のファシストとレッテル張りしたがるリベラルなコスモポリタンがいる。もう一方には、グローバル化、国家を超えたプロジェクトや個人主義的なリベラルな価値観を信用しない伝統的な社会主義者がいる。彼らは脱物質主義的な「新しい左翼」を馬鹿げているとみなし、それ故に労働者階級の投票者が左翼を離れて極右に投票し始めているのだと批難する。これらの立場はその極端においては危険だ。一方はネオリベラリズムに他方はナショナリズムに至る。

The ultra-liberal part of the Left is gradually changing to a more social version of liberal globalism, and it fights hand-in-hand with right-wing neoliberals for a world without borders. In this kind of world, transnational capital can exploit people all over the planet without any constraints from the nation states, but the social globalists add to this grim neoliberal picture a promise of a brighter tomorrow in the form of a global welfare state and transnational regulatory bodies.

左翼のウルトラリベラルな部分は次第にリベラルグローバリズムの社会的バージョンに変わっていき、右翼ネオリベラリズムと手に手を取って国境なき世界のために戦う。この種の世界では、超国家的資本は国民国家によるなんの制約もなしに地球上のどこでも人々を搾取できるが、社会的グローバル主義者はこの不気味なネオリベラルな絵にグローバルな福祉国家や超国家的規制機構といったより明るい将来像を付け加える。

The problem is that, in reality, even the strongest one of these transnational bodies – the European Union – sometimes behaves like a neoliberal tank that crushes the social achievements of the post-war era. Look at the neoliberal rape of Tsipras´s Greece or the Americanization threat of TTIP. And there is nothing else besides the EU that would even begin to look like a more progressive and cosmopolitan order. Whether we like it or not, the cosmopolitan “brighter tomorrow” is nowhere in sight. In the meantime, we live in a cruel neoliberal reality, in which the cosmopolitan Left loses out, and transnational capital takes all. That is why liberal cosmopolitanism is not just a utopian concept, but also a dangerous one. It is useful for transnational capital, which wants to get rid of the socially protective measures of nation states.

問題は、実際にはこれら超国家的機構の一番強力なもの-EUでさえ、時々戦後期の社会的達成を踏みにじるネオリベラル戦車のように振る舞うということだ。チプラスのギリシャに対するネオリベラルな強姦を見よ。EU以外にはより進歩的でコスモポリタンな秩序はない。好むと好まざるとに関わらず、コスモポリタン的な「明るい未来」はどこにも見当たらないのだ。その間、我々は残酷なネオリベラルな現実の中に暮らし、そこではコスモポリタンな左翼は全てを失い、超国家的な資本が全てを得る。これこそが、リベラルなコスモポリタン主義が単にユートピア的な概念であるにとどまらず、危険なものである理由である。それは、国民国家の社会的な保護措置を剥ぎ取りたい超国家的資本にとって役に立つ。

It looks even worse when we look at cosmopolitanism through the prism of electoral mathematics. Paradoxically, despite the decades-long progress of hyper-globalisation, a somewhat compact cosmopolitan identity has been achieved mainly amongst the higher middle class – amongst businesspersons, artists, scientists and elite students of global universities who regularly travel across the world and their place of birth is nothing for them, but a banal data point in their CVs. On the other hand, the social groups that the Left traditionally stands up for generally don’t have a cosmopolitan identity. They are integrally connected to their homelands, because they don’t have the resources, the education, nor the real freedom to travel around and enjoy the magic of living as a global citizen.

選挙数学のプリズムを通してコスモポリタン主義を見ると事態はもっと悪い。逆説的だが、何十年にわたるハイパーグローバル化にもかかわらず、なにがしかコンパクトなコスモポリタンなアイデンティティが主として上層中間階級の間で、とりわけ世界中を定期的に旅行し、出生地は何の意味もなく履歴書の平凡なデータに過ぎないようなビジネスマン、芸術家、科学者、グローバル大学のエリート学生の間で広まっている。他方では、左翼が伝統的に寄り添ってきた社会集団にはコスモポリタンなアイデンティティはない。彼らにはグローバル市民として生きる魔法を享受する資源も教育も旅行する真の自由もなく、その生まれ故郷と密接に繋がっている。

The political consequences are grim. At the end of day, this kind of globalised liberal Left turns its back on the Left’s traditional electorate, and, if anything, appeals mostly to an educated, reasonably wealthy, globalised and mobile middle class. The problem with this is that these people don’t seem to care about left-wing economics. They are willing to advocate some limited form of welfare state at best, but their priorities lie elsewhere. They care about lifestyle or the recognition of minorities – in short, post-material topics. Their material needs are, after all, already met, so they don’t need to care about questions of poverty and exploitation of the working class. They would rather have a fine raw cake in their favourite café than go out and fight against transnational capital.

その政治的帰結は恐るべきものだ。日の終わりに、この種のグローバル化したリベラル左翼は左翼の伝統的な支持基盤に背を向け、高学歴で結構裕福でグローバル化した流動的な中間階級に主として呼びかける。問題は、この種の人々は左翼の経済学には関心がなさそうに見えることだ。彼らはせいぜい限られた形の福祉国家は唱道するが、その優先順位はほかのことにある。彼らはライフスタイルやマイノリティの認知、つまり脱物質主義的なトピックに関心がある。彼らの物質的な必要は結局既に間に合っており、それゆえ貧困だの労働者階級の搾取なんて問題にかかずりあう必要はないのだ。彼らは外へ出かけて超国家的資本と戦うよりもお気に入りのカフェでおいしい生クリームケーキでも食べてる方がいいのだ。

This brings the more radical alter-globalist Left to a stalemate – it is quite problematic to fight for socialism if your allies are the people who are comfortable in global capitalism. Thus, the priorities and the electorate of the liberal Left have been changing – no more are they working-class people and poor employees, nowadays more of them are urban liberals, minorities, the LGBT community, the NGO activists and so on. The Left is becoming a kind of postmodern liberalism, in which social and economic radicalism finds no home. Farewell, socialism.

これは、よりラディカルなオルタ・グローバリストの左翼を手詰まりに追い込む。グローバル資本主義が快適な人々がキミの同盟者だとしたら、社会主義のために戦うというのはまったく問題だ。それゆえ、リベラル左翼の優先順位と支持基盤は変わってきた。それはもはや労働者階級でも貧しい従業員でもなく、都会的なリベラルとかマイノリティとかLGBTとかNGO活動家とかそういうものだ。左翼はある種のポストモダンなリベラリズムになり、そこでは社会的経済的なラディカリズムは住みかがない。さらば社会主義だ。

The opposite element among socialists, the more conservative and nationalist one, however, is no better, either. It sometimes adopts the far right’s nationalistic, xenophobic and Islamophobic attitudes.

とはいえ、社会主義者の中の反対側、より保守的でナショナリスト的な方も良いところはない。そっちは時々極右のナショナリズム的で排外主義的で反イスラム的な態度をとる。

The Left has to fight against fascism and racial hatred. But we must not express contempt for people of lower social classes with their fears and prejudices. This is crucial. Without them, there is no Left to speak of. That is also why we must not overlook the real security, economic and cultural risks that might stem from the migration crisis. Be it terrorism, protection of progressive European values against religious irrationalism, global pressure on employment and social standards or the loss of national identity, all of these are important and sensitive topics for the working class.

左翼はファシズムや人種的憎悪と戦わなければならない。しかし我々は恐怖と偏見を持った下層社会階級の人々に対して侮蔑を表してはならない。これは枢要だ。彼らなくして、左翼は語るべき人々はないのだ。これ故にまた、我々は移民危機から生ずる真の安全、経済的、文化的なリスクを見過ごしてはならない。テロリズムであれ、宗教的非合理主義に対する進歩的な欧州価値の保護であれ、雇用と社会基準へのグローバルな圧力であれ、ナショナルアイデンティティの喪失であれ、これら全てが労働者階級にとって重要でセンシティブなトピックなのだ。

True leftists do not view the dilemma between liberalism and conservatism as a key issue. They know that the Left’s job is, first of all, to advocate the social and economic interests of working people – our topics are the fight for democratic socialism, the welfare state and social protection and against exploitation, poverty and inequality. The Left can – and should – be politically moderate when it comes to cultural questions, it can adjust its progressive priorities according to the level of cultural development of our own communities. However, when it comes to economics, the Left must be radical and search for socialist alternatives to neoliberal global capitalism.

真の左翼はリベラリズムと保守主義の間のジレンマを最重要問題とは考えない。左翼の仕事はまず何よりも、労働者階級の社会的経済的利益を唱道することであり、我々のトピックは民主社会主義と福祉国家と社会保護のための、そして搾取と貧困と不平等に対する闘いである。左翼は文化的な問題については政治的には穏健であるべきであり、我々自身のコミュニティの文化的な発展のレベルに応じて進歩的な優先順位を調整すればいい。しかしながら経済問題に関しては、左翼はラディカルであり、ネオリベラルなグローバル資本に対して社会主義的な代替策を求めなければならない。

というわけで、「ソーシャル・ヨーロッパ」というタイトルのサイトに載っているのですから当たり前ではありますが、その中に出てくる「liberal Left 」(リベラル左翼、「リベサヨ」ですな)が、日本のネット上で圧倒的に用いられているような奇怪な意味ではなく、まさに言葉の正確な意味におけるリベラル左翼という意味で使っているのは、改めて同じ使い方をしている同志を見つけた感がありますな。

2017年3月18日 (土)

ロバート・パットナム『われらの子ども』

Mb36001m_2 ロバート・パットナムの『われらの子ども』をお送りいただきました。お送りいただいたのは、出版元の創元社の浅山太一さんです。

https://www.sogensha.co.jp/productlist/detail?id=3715

浅山さんは、紀伊國屋書店におられた時に、拙著『若者と労働』を「紀伊國屋書店スタッフが全力でおすすめするベスト30「キノベス!2014」」に選んでいただいたことがありますが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2014/01/post-a0c7.html (エライ人たちはみんな読んでるのに、なぜか一般の人たちには知られていない研究者)

その後、同じ本に関わる仕事でも書店から出版社に移られていたようです。

その浅山さんが、添付されたお手紙で

・・・トランブ現象を生んだアメリカ社会の現実を克明に描き出し昨今子どもの貧困が叫ばれる日本の未来にも警鐘を鳴らす一作・・・

と称している本書は、確かに時宜に適した本であることは確かです。

でも、それだけではなく、本書は確かに社会学の研究書ではあるんですが、それ以上の何かになっている感があります。少なくとも私には、一冊の文学作品を読み上げた時と同じような読後感を残す本でした。

子どもたちにはもう、平等な成功のチャンスはない!

米国の社会関係資本(ソーシャル・キャピタル)の衰退を論じ、≪朝日新聞 ゼロ年代の50冊2000~2009≫にも選ばれた『孤独なボウリング』の著者が再び世に問う、アメリカン・ドリームの危機。世代・人種・社会階層の異なる市民へのインタビューと、緻密な統計分析を通して、成功の機会格差の固定化を実証し、未来の世代への警鐘を鳴らす全米ベストセラー。

この「世代・人種・社会階層の異なる市民へのインタビュー」が、定量的な分析だけでは浮かび上がってこないアメリカ社会の肌触りの鮮烈な変化を雄弁に浮かび上がらせているんですね。

ブレイディみかこさんが、こう評していますが、

チャールズ・ディケンズは小説家として、ロバート・パットナムは社会学者として、貧困と格差の固定が社会的危機の根元にあることを警告している。

本書に現れる人々の姿は、ディケンズの小説を彷彿とさせます。

第1章 アメリカンドリーム:その神話と現実

第2章 家族

第3章 育児

第4章 学校教育

第5章 コミュニティ

第6章 何をすべきか

第1章は、1941年生まれのパットナム自身の若い時代(1950年代末)の同世代の人々の姿がまず描き出され、彼らがある者は豊かな家庭の子であり、ある者は貧しい家庭の子であったけれども、同じコミュニティで暮らし、あまり格差を目立たせずお互いに付き合いを深め、そして貧しい若者たちもさまざまな「ウィーク・タイズ」のおかげでそれぞれに社会の階段を上っていくことができたことを示します。

このあたりは、出版元が太っ腹に立ち読みPDFとして公開しているので、ごちゃごちゃ言う前に読んでみてください。

https://www.sogensha.co.jp/tachiyomi/3715

ところがそれから半世紀以上経った21世紀の同じ町では、町が金持ち階級と貧乏人階級に真っ二つに分断され、そして何よりも後者の若者にはそこから脱却する道筋がまったく見えなくなっている姿が描き出されます。

・・・1950年代のポートクリントンにおいては、裕福な子どもも貧しい子どもも互いに近くに住み、一緒に学校に通い、ともに遊びまた祈り、さらには一緒にデートすらしていた。・・・子ども(とその親)は階級の線を越えて知り合いであり、さらには親友ですらあった。今日ではそれとは対照的に、ポートクリントンにおいてもどこにおいても、自身の社会経済的環境の外側の人々と日常生活の中でふれあう者はますます少なくなっている過去40年間の間に、階級の線に沿ったアメリカ社会の分裂がいかほどに広がってしまったのか・・・・・

この間に一体何があったのか。

それを、第2章から第5章まで、観測地点を変えながら、くっきりと描き出していくのですが、いやあパットナムすごいなと思ったのは、わざわざ同じ人種、エスニックグループに属する上流階級と下層階級を対比させていくところです。

第2章では、オレゴン州の小都市に住む白人の若者とその親たち、第3章ではアトランタに住む黒人の若者とその親たち、第4章ではカリフォルニア州オレンジ軍に済むヒスパニック計の若者とその親たち、第5章はフィラデルフィアに住む再び白人の若者とその親たち。

この本は、誰かを糾弾している本ではありません。本書の中でパットナムが言っているように、

・・・おそらく意外なことだろうが、この本に上層階級の悪役は登場しない。我々のストーリーにいた上層中間階級の親の中に、一族の資産頼みでのんびりとくつろいでいるような、暇をもてあました巨万の富の相続人など事実上一人も登場しなかった。むしろそれとは反対に、アールとパティ、カール、クララとリカルド、マーニーはそれぞれの家族の中で初めて大学に行った人間だった。彼らのうちおおよそ半数は片親家庭の出身だった。誰もがひどく苦労してはしごを登り、また子育てにおいては多くの時間と金銭をつぎ込み、そして配慮を尽くしていた。

そういう努力して上に上がった世代の子供らが、気がつけばもはやそれと同じサクセスストーリーを演じられない世界に放り込まれてしまって板というのが、本書の描き出す最大のアイロニーなのでしょう。

2017年3月17日 (金)

EU労働法研究の次代を担う人

51x7oy647al__sx351_bo1204203200_さて、先日遠藤公嗣さんの論文を紹介した『季刊労働法』256号ですが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2017/03/ilo100256-b316.html(遠藤公嗣さんの「ILO100号条約の審議過程と賃金形態」@『季刊労働法』256号)

実はこの号に、ある若手研究者の論考が載っています。

集団的整理解雇の局面における手続的規制の在り方

―EU集団的整理解雇指令上の被用者関与制度との比較法的研究―

同志社大学大学院博士後期課程 岡村優希

同志社大学の博士課程におられる岡村優希さんの論文ですが、これが、EU労働法それ自体に真正面から取り組んだ意欲的な論文です。

Ⅰ 問題の所在

Ⅱ EU集団的整理解雇指令序説

 1 EU集団的整理解雇指令の概要

 2 EU集団的整理解雇指令の立法背景・立法史

Ⅲ 指令の適用範囲

 1 集団的整理解雇の定義

  (1) 概要

  (2) 整理解雇概念

  (3) 事業所概念

  (4) 使用者概念・労働者概念

 2 適用除外

Ⅳ 使用者の義務

 1 労働者代表との協議義務

  (1) 協議義務の発生時期

  (2) 協議事項

  (3) 労働者代表概念

  (4) 合意に達する目的の保持

 2 情報提供義務

 3 管轄機関への通知義務

Ⅴ 国際的企業グループにおける整理解雇

Ⅵ 義務違反に対するサンクション

Ⅶ 日本法への示唆

日本の労働法研究者はどうしてもそれぞれ自分のお得意先の国をもって、その国の労働法制の動きをあれこれ紹介するというのが中心になりますが、そうするとEUみたいなどこの国とも言えない鵺みたいな存在は常にどこかの国の分析に付け加えられるものみたいな扱いになります。いやもちろん、それが悪いというのではありませんが、EU労働法はそれ自体のロジックで展開してきた面もあり、EU加盟諸国との様々な相互作用の中で、影響したりされたりしてきたことを考えると、特定の国の労働法との関係だけで論じられるのはいささかもったいない面もあります。

そういう意味では、岡村さんのような若手研究者が、正面からEU労働法を研究対象としてぶつかっていく姿は、ようやくここまできたか、という感があります。

半ば冗談で、「私はEU労働法の第一人者だ、なぜなら第二人者も第三人者もいないからだ、いるというなら連れてこい」といってきた私ですが、去る1月に今までのまとめの本を出したこともあり、そろそろより意欲的で優秀な若手に第一人者の席を譲るべき時期が来つつあるのかも知れません。

反動的労働者階級?

さて注目されていたオランダの下院選挙は、右翼の自由党は議席を伸ばしながらも第2党にとどまり、与党の自由民主党が議席を減らしながらも第1党に踏みとどまった、と報じられていてその通りなのですが、選挙結果を良く見ると、最大の敗者は38議席を一気に9議席に激減させた労働党であることが分かります。

https://www.mizuho-ri.co.jp/publication/research/pdf/insight/eu170316.pdf

オランダ労働党といえば、労働組合出身のウィム・コックがむしろ福祉国家の見直し路線を進め、EUレベルではフレクシキュリティの唱道役を務めたことで記憶が鮮烈ですが、むしろ足下の労働者の支持を失い、その票が右翼に流れたという面があるようです。

Asbjrnwahl例によって、ソーシャル・ヨーロッパ・マガジンには、「反動的労働者階級?」(Reactionary Working Class?)という刺激的な論考が載っています。

https://www.socialeurope.eu/2017/03/reactionary-working-class/

Large parts of the western working class now seem to congregate around right-wing populists, demagogues and racists. They vote for reactionary and fascistic political parties. They helped to vote the UK out of the EU, to make Trump US president, and they give such massive backing to far-right political parties that these have power in sight in several of Europe’s most populous countries.

西洋労働者階級の大部分は今や右翼ポピュリスト、デマゴーグ、人種差別主義者のまわりに結集しているようだ。彼らは反動的でファシスト的な政党に投票している。・・・

Since working people are traditionally expected to vote for the left, this creates unrest, insecurity and confusion among experts as well as commentators and mainstream politicians – particularly in the labour movement. There is no lack of moralizing condemnation of those who go to the far right. An increasing number of commentators, however, are now beginning to suspect that this shift may be an expression of protest against the prevailing state of society. Not all have benefitted from the globalization success story, they say.

働く人々は伝統的に左翼に投票すると期待されてきたので、これは専門家やコメンテーターや主流政治家、とりわけ労働運動の中に不安と混乱をもたらしている。極右に走った人々を道徳的に非難することに不足はない。しかしコメンテーターの多くは今や、このシフトが広がりつつある社会状況に対する抗議の表明なのではないかと疑い始めている。グローバル化のサクセスストーリーでみんなが利益を得たわけじゃないのだ。

Many politicians and activists on the left have great difficulties orienting themselves on this new political terrain. People who otherwise would have been for Britain’s withdrawal from the authoritarian, neoliberal EU, for example, have told me that they voted to stay, “not to be made cannon fodder for the racists and anti-immigration forces in the Brexit camp.” Thus, they left it to the far right to voice the necessary opposition to the anti-social, anti-union policies of the EU.

左翼の多くの政治家や活動家はこの新たな政治的地勢に対応するのが困難なようだ。・・・それゆえ、彼らは反ソーシャルで反組合的なEU政策への反対を極右に委ねたのだ。

Maybe it would have been more important and more helpful if the left had taken a somewhat more self-critical look at their own role and policies. Could it be that they have failed their constituencies, that left parties are not seen as dependable tools to defend the interests of those who have the least power and wealth in today’s society? Perhaps there has been too much identity politics and very little class politics. Can it even be that the left’s social analysis fails to grasp the essential reality of the current economic and political state-of-play?

多分、もし左翼が自分たち自身の役割や政策をもっと自己批判的に見ていたら、もっと有用だったろう。これは左翼が自分たちの支持基盤を失った、つまり今日の社会でもっとも力と富に乏しい人々の利益を守る頼れる手段とはみなされなくなったということじゃないのか?多分、アイデンティティ政治がありすぎて階級政治がほとんどなかったのだ。左翼の政治分析は今日の経済と政治の状況の本質的実態をつかめていないということじゃないのか?

What most people on the left can agree on is that the situation is serious, even dramatic. In Europe, the level of unionization has almost halved over the last 30 years, and labour rights, labour laws and collective agreements have systematically deteriorated and/or been completely abolished. Most things are worse than here in Norway, but that does not mean that we are unaffected by this development. There is no doubt that Norway is still on the upper deck of the global welfare ship, but much indicates that it is the upper deck of Titanic.

左翼の多くの人々が同意するだろうが状況は深刻で劇的ですらある。組合組織率は過去30年にほぼ半減し、労働権、労働法、労働協約は体系的に劣化し、完全に廃棄された。・・・

In short, inequalities in society are increasing here too, more authoritarian relations are emerging at the workplaces, including through an Americanisation of organisational and management models. Wage growth for those at the bottom of the ladder has stagnated.

要するに、社会はますます不平等になり、職場では権威主義的関係が生まれ、・・・下っ端の賃金は上がらない。

At the same time, we experience more and more offensive and aggressive employers, who, among other things, escape an employer’s responsibility through outsourcing and the increasing use of temporary agency workers – weakening trade unions. Furthermore, employers strongly benefit from the ever more anti-trade union policies of the EU/EEA and their courts. Work is increasingly emptied of content in many parts of the labour market. It is becoming more and more fragmented and standardized, employees are being subjected to increased monitoring, control and management – and work intensity is increasing.

同時に、アウトソーシングや派遣労働者を活用し、労働組合を弱体化させて使用者の責任を免れようとする攻撃的な使用者が増えている。さらに、使用者はEU/EEAとその裁判所の反組合的政策から強く利益を得ている。・・・労働はますます断片化され標準化され、労働者たちは監視と管理の下に置かれ、労働密度は高まっている。

In addition, welfare-to-work ideology contributes strongly to shifting attention from organizational structures and power relations to individualization – with moralizing, suspicion and a brutal sanctions regime against individuals.

さらに福祉から労働へのイデオロギーが注意を組織構造や権力関係から個人化へ向け、個人に対するモラル化、疑いの目、暴力的なサンクションをもたらしている。

・・・In Europe, it becomes increasingly clear that important goals of this policy are to get rid of welfare states and defeat the trade unions. This is indeed what is taking place – under political leadership of the EU Institutions. That millions upon millions of workers worldwide become “losers” in this process of globalization should not surprise anyone. Nor that they will eventually react with mistrust, rage and blind rebellion. That part of the working class, given the absence of left political parties with analyses, policies and strategies to address and meet this crisis and offensive of capitalist forces, is attracted by the extreme right’s verbal anti-elitism and anti-establishment rhetoric, is against this background understandable.

欧州では、この政策の目的が福祉国家を廃棄し労働組合を倒すことだということが次第に明らかになってきた。これはEU機関の政治的リーダーシップの元で進められてきた。このグローバル化のプロセスで「敗者」となった世界中の何百万の労働者たちに驚くべきではない。彼らが遂に不審と怒りと盲目的な反逆でもって反応したからといって驚く必要はない。左翼政党にはこの危機と資本主義勢力の攻勢に対処する分析と政策と戦略が欠如している以上、労働者階級の一部が極右の公然たる反エリート主義と反エスタブリッシュメントのレトリックに惹き付けられるのはよく理解できる。

・・・The reality is that worker’s exploitation, increasing powerlessness and subordination now hardly command a voice in public debate. Labour parties have mainly cut the links with their old constituencies. Rather than picking up the discontent generated in a more brutal labour market, politicizing it and channelling it into an organized interest-based struggle, middle class left parties offer little else than moralizing and contempt. Thus, they do little else than push large groups of workers into the arms of the far-right parties, which support all the discontent and do their best to channel people’s rage against other social groups (immigrants, Muslims, gays, people with different colour, etc.) rather than against the real causes of the problems.

労働者の搾取、増大する無力さと従属は今や公的議論の声を動かすことが滅多にない。労働党は古い支持基盤との関係を切ってきた。より野蛮な労働市場で生み出される不満を引っ張り上げ、それを政治化し組織的利益の闘争に流し込むのではなく、中流階級の左翼政党はモラル化と侮蔑以上の何者も提供しなかった。それゆえ、彼らは労働者の膨大なグループを、その不満を全て支持し、問題の真の原因ではなく、人々の他の社会集団への怒りに流し込む極右政党の手に委ねる以外ほとんど何もできないのだ。

・・・In summary, the balance of power at workplaces has shifted dramatically – from labour to capital, from trade unions and democratic bodies to multinational companies and financial institutions. Over a few decades, capitalist interests have managed to abolish the main regulations that made the welfare state and the Nordic Model possible; international monetary cooperation, capital controls and other market regulations. In this situation, social partnership ideology constitutes a barrier to trade union and political struggle.

要するに、職場のパワーバランスは劇的にシフトした、労働から資本へ、労働組合から多国籍企業と金融機関へ。過去数十年間、資本家の利益が福祉国家・・・を可能にしてきた主な規制を廃棄してきた。・・・

The left’s main challenge today is to organize resistance against this development. Only in this way can right-wing populism and radicalism be pushed back at the same time. Once again, we must be able to construct the vision of a promised land – i.e. perspectives of a better society, a society with a radical redistribution of wealth, where exploitation ends and where human needs form the basis for social development. If so, statements, protests and appeals to a tripartite cooperation that is constantly drained of content will not suffice. It is all about power – economic and political power. This will require massive social mobilization – in the way that trade unions built their strength to win power and influence at the beginning of the last century. Are we prepared for that?

今日左翼の課題はこの展開に対する抵抗を組織することだ。このやり方でしか、右翼ポピュリズムと急進主義を追い返すことはできない。・・・・・・・・

タイトルも過激ですが、内容もそれに劣らず過激です。

麻野進『部下に残業をさせない課長が密かにやっていること』

51npianvj9l__sx338_bo1204203200_麻野進さんより『部下に残業をさせない課長が密かにやっていること』(ぱる出版)をお送りいただきました。ありがとうございます。

http://pal-pub.jp/?p=4400

「いつもお先に失礼する、残業しない課長」は人の見ていないところで何をしているのか、をズバリ解説。チームの目標達成ができない課長、いつまでたっても時間が足りない課長、なんでも自分で抱えて仕事を手放さない課長は、なぜ会社から「捨てられてしまうのか」。中高年サラリーマンの応援団長の著者が教える、自分の仕事の効率も高めてチームのスピードもアップする方法、最優先課題として浮上した〝残業しない〟ための仕事の任せ方、人を動かして成果も上げるチームマネジメントの手法などなど、厳しい状況下で仕事を進めるプレーイングマネージャーとしての課長の役割、人を動かすスキル、もう一段出世するための人間力の磨き方、新しい時代の最強課長の働き方のすべてを教える『課長の生き残る教科書』。

ということで、時の話題である残業問題をタイトルに掲げていますが、むしろ

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2014/10/51-adbb.html(麻野進『「部下なし管理職」が生き残る51の方法』)

と同様、管理職の生き残り戦略を語っている本という面が強いです。

第1章の「なぜ日本の会社は残業が多いのか」は、メンバーシップ型から説き起こしていますが、以下は、

第2章 これまで組織を支えていた「抱え込み課長」は、なぜ生き残れないのか

第3章 課長が「定年まで生き残る」ための特別講座

第4章 部下に残業をさせない課長が密かにやっていること

第5章 残業しない課長の生産性を上げる時間マネジメント術!

第6章 「働き方改革」時代に出世する課長の行動特性を身につけよう!

と、まざに今現在課長になっている人々へのハウツー本です。

残業上限と「女性活躍」を同次元で論じる愚@東洋経済オンライン

2017031700163073toyo0001view東洋経済オンラインに「残業上限と「女性活躍」を同次元で論じる愚」を寄稿しました。

http://toyokeizai.net/articles/-/163073

女性の活躍を阻害している日本型雇用システムの特徴に、前回取り上げた転勤(「女性活躍阻む「日本型転勤」はなぜ生まれたか」)と並んで、恒常的な長時間労働があります。

「いつでもどこでも何でもやる」という日本型雇用の柔軟性が、時間という側面に投影されると、会社の必要に応じてどこまでも長時間労働をするという行動様式が規範化されるのです。こちらは、終戦直後に制定された労働基準法の本来の趣旨と、その後日本の労使がつくり上げてきた雇用慣行との落差が極めて鮮烈に現れている領域です。・・・

2017年3月16日 (木)

IT業界の働き方を変える@『情報労連REPORT』3月号

1703_cover時間外労働の上限規制に労使が合意した直後に、『情報労連REPORT』3月号が届きました、今号の特集は「IT業界の働き方を変える」です。

http://ictj-report.joho.or.jp/special/

冒頭の、ベンダー×ユーザー×労働組合の偉い人による座談会のすぐ後に、

http://ictj-report.joho.or.jp/1703/sp01.html([座談会] いまこそIT業界に働き方改革を)

1703_sp02_main中堅企業ITエンジニアによるホンネの覆面座談会が載っていて、これが興味深い。

http://ictj-report.joho.or.jp/1703/sp02.html([覆面座談会] 勤務間インターバル「わが社だけ導入するのは難しい」中堅企業ITエンジニアのホンネ)

─単刀直入、皆さんの職場の長時間労働の実態はどうでしょうか。

B 月45時間超の残業がある場合は、労使協議をします。ただ、これもあくまで「紙の上」ですよね。45時間を超えて60時間までと決めても、客先で仕事を振られたら「できない」とは言えないので。

特別条項の年間の上限は999時間です。数年前は1000時間を超えたこともあったけど、ここ数年はそういうことはなくなりました。徹夜で作業という話は最近はないみたいだけど、23時くらいまで毎日やっているとかは聞きますね。

C 現場にいると、トラブルで呼び出されるとか、どうしてもありますよね。公共性の高いシステムだとなおさらです。私も深夜の2時とか3時に電話が鳴って、「こんなメッセージが出たんですけど…」みたいな。一番ひどい時は深夜でも自宅からタクシーで現場に来てくれなんてこともありました。

客先で仕事を振られたら「できない」とは言えない、と。

なぜ長時間労働になるのかというと、

─長時間労働が発生する要因をどう考えていますか?

A マシンは基本的に24時間動いているので、昼も夜も関係ありません。変なメッセージが出れば夜中でも電話がかかってくる。開発もしつつ運用もしつつ、そのどちらでもトラブルが起きて、調査や回答をしないといけない。こういうのが実態なのかなと。

B うちの運用系はシフト勤務なので、極端な長時間労働にはならないですね。つらいのは、開発系だよね。

C 100時間超の残業になった現場は、一次開発がサービスインして、二次開発に進もうとしたら、一次開発でトラブルが起きちゃって。そっちに対応していたら、二次開発のスケジュールはどんどん遅れる。だけど、二次開発の納期を先延ばししてくれるわけでもなく、後から人を増やすこともできずに、一人で二つの作業をやってしまう。で、長時間労働になってしまう。

超勤はみんないけないと思っているのでしょうけど、電話がかかってきたら、やっぱり「行かなくちゃ」と思ってしまう。管理職も「行くな」とは言えない。組合には事後報告、みたいな感じですね。

電話がかかってきたら、やっぱり「行かなくちゃ」、なんですね。

情報労連が一番力を入れて頑張っている、そして今回の労使合意で努力義務化することが決まった例の勤務間インターバル規制ですが、

─情報労連では労働時間の適正化のために勤務間インターバル制度の導入をめざしています。現場の声はどうでしょうか。

B インターバルが翌日の始業時間に重なって、その時間に出社できないというのは、現実的にはどうなのかなと。少人数で客先常駐している職場からすると、他社の社員もいるので現実的には難しいかもしれない。

A 1社だけだと難しいですよね。法律で同時に守るようになれば違うのでしょうけれど。

C 産業別といっても、情報労連に加盟しているIT企業もあれば、電機連合に加盟している企業もあり、そこを説明するのが難しい。勤務間インターバル制度に関しても、現場の第一声は、「じゃあ、この制度を誰がお客さんに説明してくれるんですか」ですね。

誰がお客さんに説明してくれるのか!?

日本の労働社会は「お客様主権」であるということがよくわかります。

「そういう決まりになってます」と言えないと、そもそもそういう決まりを作るのに必要なだけ広まることも難しいというパラドックスですね。

あと、最近『デスマーチはなぜなくならないのか』を書かれた宮地弘子さんの

http://ictj-report.joho.or.jp/1703/sp04.html(「デスマーチはなぜなくならないのか」 背景にソフトウエア開発作業への理解不足)

や、POSSEの三家本里実さんの

http://ictj-report.joho.or.jp/1703/sp05.html(情報通信業はなぜ長時間「残業」が発生するのか データで読み解く残業の発生要因)

など、特集記事はどれも読み応えがあります。

さらに、最近話題のクラウドワークについても、JILPTの山崎憲さんの

http://ictj-report.joho.or.jp/1703/sp07.html(広がるクラウド・ワーキング アメリカのフリーランスの実情は?)

情報労連本部の木村富美子さんの

http://ictj-report.joho.or.jp/1703/sp08.html(ドイツ・スウェーデンの労組は「クラウド・ワーカー」の組織化を開始)

など、興味深い記事があります。

藤森克彦『単身急増社会の希望』

357283みずほ情報総研の藤森克彦さんより近著『単身急増社会の希望 ―支え合う社会を構築するために―』(日本経済新聞出版社)をお送りいただきました。ありがとうございます。

http://www.nikkeibook.com/book_detail/35728/

▼単身世帯が急増している。特に今後、大都市圏を中心に「未婚」の単身者の急増が予想される。未婚者が高齢期を迎えると、配偶者のみならず子供もいないため、老後を家族に頼ることはほぼ不可能になる。これまで家族が担ってきた「支え合い機能」を、誰がどのように担っていくかが大きな課題となる。

▼そこで「地域」に注目して、地域のどの部分(機能)が、どのようにして家族の代わりとなる「支え合い機能」を担っていけるのかという点を考える。具体的には、
1血縁関係のない高齢者同士の同居・多世代同居
2高齢者向けの「生きがい就労」、孤立した現役単身者に向けた「中間的就労」
3高齢単身者が認知症になった場合などの対応。国内外(米国、ドイツ、スウェーデン)の先進事例を紹介。

▼日本はかつて家族の支え合い機能が強かったため、社会保障制度も家族を前提としている。したがって家族機能の代替に関する先進事例はまだ少なく、規模も小さい。しかし、地域社会がこの機能を代替し、しかもそれにより地域自身も強くなる「地域づくりのイノベーション」と呼ぶべき事例が現れ始めた。ほかの地域でも応用できる普遍的な手法を紹介。

▼前作『単身急増社会の衝撃』では、単身世帯の急増の実態を示して「衝撃」と示したが、今回は解決策として社会が取り組むべき方向性を考え、単身急増社会の「希望」を示し、未来は自分たちの力で変えられるというメッセージを込めた。

▼「単身世帯の実態」「いくつかの類型に分けた単身世帯の考察」「単身世帯の抱えるリスクの増大に対する社会の対応」の3部構成で、単身世帯を対象に「支え合う社会」の構築を考え、自助努力できる社会の前提を模索する。

本書は450ページ近い分厚い本ですが、内容的にも実に包括的にいろんな分野に目配りして書かれています。

 第1部 単身世帯の実態
第1章 単身世帯の増加の実態とその要因

第2章 都道府県別にみた単身世帯の実態

 第2部 類型別にみた単身世帯の考察
第3章 勤労世代の単身世帯が抱えるリスク

第4章 高齢単身世帯が抱えるリスク

第5章 単身世帯予備軍--親などと同居する中年未婚者

第6章 海外の高齢単身世帯との比較--米国、ドイツ、スウェーデンと日本の比較

 第3部 単身世帯のリスクに対して求められる社会の対応
第7章 単身世帯の住まいと地域づくり

第8章 単身世帯と就労--「働き続けられる社会」の実現に向けて

第9章 身寄りのない高齢単身者において判断能力が低下した時

第10章 社会保障の機能強化と財源確保の必要性

第1部と第2部(これで全体の半分以上ですが)が詳細なデータを駆使して単身者の急増ぶりとそれがもたらす様々な問題を描き出した上で、第3部がこれも広範な分野にわたる政策提言を繰り出しています。

正直言って、鬼面人を驚かすような目新しい提言はありません。どれもこれも、専門家から繰り返し論じられてきたようなことばかりです。でも、それらをこれだけ広くかつ深くずらりと並べて見せている本は余りないように思います。

本書の中で言えば、第8章の中のいくつかの提言に関わって拙著のいくつかが引用され、ジョブ型正社員をはじめとした提言がされています。その前の第7章ではたとえば平山さんの本などが引用され、住宅手当の必要性が論じられていますし。

ある意味、今日の日本社会における生活保障に関わる問題点とその対策が単身社会という切り口から包括的に描き出されていると言っていいように思います。

100525_tanshinちなみに、2010年に出された前著は『単身急増社会の衝撃』というタイトルでしたが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/post-8566.html

7年経って「衝撃」が「希望」に変わったのか?

あとがきで藤森さんはこう語っています。

・・・そこには「どうしようもない現実」がごろごろしていた。社会の底が抜けていると思った。胸に突き刺さったのは「孤立」の怖さだ。孤立すると、小さな躓きが、思いがけないような大きな問題になっていく。もっと早く、誰かに声をかけたり、相談していれば、そこまで深刻な状況に追い込まれることはなかったのにと思った。・・・

・・・一方、「世の中捨てたものではない」という思いも強く持った。・・・こうした一つ一つの地道な活動が「希望」だと思った。

450ページ近い本書の大部分はやはり「衝撃」が描かれている本ですが、そのなかにちらほら、藤森さんの思いのこもった「希望」が少しは垣間見せているのかも知れません。

ちなみに、藤森さんは私がブリュッセルにいた頃ロンドンにおられ、ブレア改革の本も出しておられるなど、問題意識をかなり共有してきたと思っています。

いただいた送り状によると、来月から愛知県の日本福祉大学に転職されるそうですが、引き続き精力的な発信をされることを期待しています。

2017年3月15日 (水)

首藤若菜『グローバル化のなかの労使関係』

28276057_1首藤若菜さんの力作『グローバル化のなかの労使関係 自動車産業の国際的再編への戦略』(ミネルヴァ書房)をお送りいただきました。ありがとうございます。

http://www.minervashobo.co.jp/book/b278704.html

国際的な労働規制の可能性を検証する これまで一国内で機能してきた労使関係は、いかにして国境を超えていくのか。

世界中に生産工場と開発拠点を持つ大手自動車メーカー。各社は、本国以外の国や地域でいかなる労使関係を築いてきたのだろうか。海外工場で発生した労使紛争に、本社の労使は、どう対応しているのか。本書は、インタビュー調査をもとに、フォルクスワーゲンやダイムラーなどの巨大な多国籍企業で進む国際的な労使関係の実態に迫る。伝統的に強力な労働組合が存在する自動車産業を対象に、グローバル労使関係の可能性を探る一冊。

首藤さんのこれまでの研究とはがらりとおもむきを変えて、国際労使関係という実に難しいテーマに真っ正面から取り組んだ力作です。第1章の補論以外は全て書き下ろしということで、どこをとっても恐らく誰にとっても初めて目にする論考です。

序章 国境を越えた労使関係の構築
第1章 グローバル化と労働をめぐる議論
第2章 国際労働基準の到達点
第3章 多国籍企業とグローバル・ユニオンの国際協定
第4章 欧州で広がるグローバル・ネットワーク
第5章 日系労組の国際活動の実態
第6章 国際的労使関係の状況
終章 グローバル労使関係への道筋

本書の一番読みどころはもちろん首藤さんがじかに調査された日系企業の活動を描いた第5章ですが、本書全体としては私がEUの労働法制、労使関係の動きをフォローしてきた中身と絡み合っています。

Eulabourlawとりわけ、ヨーロッパで進む多国籍企業との国際協定の動向は、先日刊行した『EUの労働法政策』でも、その立法化の動きを跡づける形で簡単にまとめておいたところですが、本書ではその基盤となる労働組合運動の動きが細かく追いかけられており、読みながら大変興味深かったです。

本書が第6章で指摘している、労使関係は国際化すればするほど企業別化していくというのは、とりわけ一国レベルでは企業を超えた産業別の労使関係による規範設定システムが確立しているヨーロッパ諸国にとって、アイロニカルな側面があります。

企業別化するというのは、巨大な多国籍企業から子会社、下請企業へとトリクルダウン的なルールになっていくということです。

グローバル化に対応して規制を拡げようとすればむしろ企業別化という分権化を進めることになるという逆説。まあ、国内で既に十分すぎるくらい企業別化、分権化している日本とはちょっと文脈が違いますが。

上記拙著の第2章第6節の最後に出てくる欧州労連の多国籍企業協約立法案などには、そのあたりがよく表れているように思います。

矢野昌浩・脇田滋・木下秀雄編 『雇用社会の危機と労働・社会保障の展望』

07360矢野昌浩・脇田滋・木下秀雄編 『雇用社会の危機と労働・社会保障の展望』(日本評論社)を執筆者の皆様からお送りいただきました。ありがとうございます。

https://www.nippyo.co.jp/shop/book/7360.html

雇用保障に関する企業と国の責任の後退が進行する中で「雇用と社会保障の連携」の視点から、「雇用社会」再生への課題と展望を検討。

今年5月労働法学会が開催されるのは龍谷大学ですが、その龍谷大学の労働法・社会保障法の研究者の皆さんによるシリーズの3冊目です。

序章──雇用社会のための規範理論に関する序論的検討/矢野昌浩

第1部 労働・社会保障法理論の再生
第1章 雇用・社会保障における国家・企業・個人の役割/上田真理
第2章 労働権論──反労働権的現実の改善をめざして/脇田滋
第3章 生存権の検討/木下秀雄

第2部 雇用と社会保障の連携をめぐる諸論点
第1章 不安定雇用の防止策
 ──建設業における被用者保険料負担責任の転換策を参考に/川崎航史郎
第2章 若者・学生の移行期における雇用・社会保障法制の課題/濱畑芳和
第3章 高齢者──年金と就労
 第1節 定年・再雇用/矢野昌浩
 第2節 65歳以降の働き方/脇田滋

第3部 外国法研究
第1章 韓国
 第1節 韓国における雇用社会の危機と労働・社会保障の再生/脇田滋
 第2節 韓国の社会保険死角地帯解消政策
    ──零細事業所低賃金労働者への社会保険料支援事業/川崎航史郎
 第3節 韓国生活賃金条例/妹尾知則
第2章 ドイツ
 第1節 失業者・求職者の支援法制/上田真理
 第2節 ドイツにおける被用者の住居保障システム/嶋田佳広
 第3節 ドイツ連邦共和国における障害者雇用/瀧澤仁唱

冒頭で編者の矢野さんが検討の視点として3つを挙げています。第1は自己決定アプローチとセーフティネットアプローチの組み合わせ、第2はディーセントワークとディーセントな失業の組み合わせ、第3が雇用と労働の区別と連関。

上田さんの章が総論として、生活保障における国家と企業というテーマの重要なポイントを押さえていて、まずは必読。

全体は大きな議論とやや細かな議論と外国の紹介という三段構えになっていますが、労働法と社会保障法の交錯領域という点では、川崎さんの建設業不安定雇用の章と濵畑さんの移行期の若者に着目した章が興味深いと思います。

『海外健康生活Q&A』

51dn0dznlrl__sx350_bo1204203200_例によって経団連出版の讃井暢子さんより濱田篤郎監修 東京医科大学病院 渡航者医療センター編著『海外健康生活Q&A』をお送りいただきました。ありがとうございます。

https://www.keidanren-jigyoservice.or.jp/public/book/index.php?mode=show&seq=464&fl=1

仕事や留学で海外に長期滞在する人は年々増加しています。海外で生活するにあたっては、感染症、メンタルヘルスの不調、生活習慣病などへの知識も必要となります。帯同する家族にも、性別や年齢に特徴的な健康問題が生じることもあるため、事前の備えが欠かせません。また、滞在先で病気になり、つらい思いをしたり、どの医療機関にかかったらいいか悩んだり、医療費の支払い方法に戸惑うなど、医療システムの面でも不安材料があります。
 これらに対応するため、本書では海外出国前、滞在中、帰国後の時間軸に沿って、海外で健康な生活を送るために必要な基礎知識をQ&A形式でわかりやすく解説するとともに、2017年時点の地域別の流行疾病などの情報を収録しました。また、世界各地の文化や生活を理解し、健康問題の実情を垣間見ることのできるコラムや写真も随所に配置しています。
 海外で生活する方々が、健康を維持しながら実り多い日々を送るために役立つ一冊です。

という役立ち本ですが、読んで面白いのが「病気の世界地図」というコラム。

「タイ・チェンマイ~インフルエンザは雨期に流行する」から始まって、世界19の都市にまつわる病気の話題が書かれています。

宗教的冠り物禁止は宗教信条差別に非ず@欧州司法裁

Img_70e05df587c486f5cdcd02238424e5cさて、本日オランダで反イスラムの極右政党が政権を取るかも知れないと世界が固唾を呑んでいた昨日、欧州連合司法裁判所が注目すべき判決を下しました。

http://www.afpbb.com/articles/-/3121380(企業に宗教や思想信条示す服装禁止を認める判断、欧州司法裁)

【3月14日 AFP】欧州司法裁判所(European Court of Justice)は14日、欧州連合(EU)加盟国の企業が従業員に対し、ヒジャブ(イスラム教徒の女性が頭部を覆うスカーフ)など自身の宗教や政治などに関する思想信条を表すものの着用を禁止することは可能だとの判断を示した。企業が社内規定で「政治的、哲学的、または宗教的信条を表すもの」を身に着けることを禁止しても「直接的な差別」には当たらないと裁定した。

 欧州司法裁が裁定を下したのは、ベルギーの大手民間警備会社G4Sで受付として働いていたイスラム教徒、サミラ・アクビタ(Samira Achbita)さんの2003年の事案。アクビタさんは業務中にイスラム教徒用のスカーフを着用したいと主張したが認められず、その後、社規で着用禁止とされ、自分は解雇されたと訴えていた。

ではさっそく、欧州連合司法裁判所のサイトで当該判決を確認しておきましょう。

http://curia.europa.eu/juris/document/document.jsf?text=&docid=188852&pageIndex=0&doclang=EN&mode=lst&dir=&occ=first&part=1&cid=218488

2000年の一般雇用均等指令に関わる判決ですが、企業が社内規定で「政治的、哲学的、または宗教的信条を表すもの」を身に着けることを禁止しても「直接的な差別」には当たらないと判断したようです。

判決の当該部分は以下の通り。

Article 2(2)(a) of Council Directive 2000/78/EC of 27 November 2000 establishing a general framework for equal treatment in employment and occupation must be interpreted as meaning that the prohibition on wearing an Islamic headscarf, which arises from an internal rule of a private undertaking prohibiting the visible wearing of any political, philosophical or religious sign in the workplace, does not constitute direct discrimination based on religion or belief within the meaning of that directive.

By contrast, such an internal rule of a private undertaking may constitute indirect discrimination within the meaning of Article 2(2)(b) of Directive 2000/78 if it is established that the apparently neutral obligation it imposes results, in fact, in persons adhering to a particular religion or belief being put at a particular disadvantage, unless it is objectively justified by a legitimate aim, such as the pursuit by the employer, in its relations with its customers, of a policy of political, philosophical and religious neutrality, and the means of achieving that aim are appropriate and necessary, which it is for the referring court to ascertain.

雇用職業における均等待遇の一般的枠組を設定する指令の第2条第2項(a)号は、職場においていかなる政治的、哲学的または宗教的な徴をも目に見える形で着用することを禁止する民間企業の社内規定から生ずるところの、イスラム的な冠り物を着用することの禁止は、同指令の意味する宗教または信条に基づく直接差別には該当しないことを意味すると解釈されるべきである。

これとは対照的に、かかる民間企業の社内規定の一見したところ中立的な規定が実際には特定の宗教または信条を保持する人に特定の不利益を与える場合、それがその顧客との関係において使用者が政治的、哲学的または宗教的中立性を追求するといったような合法的な目的により客観的に正当化され、当該目的を達成する手段が適切かつ必要な範囲でない限り、同指令第2条第2項(a)号の意味における間接差別に該当するが、それを判断するのは国内裁判所だよ。

2017年3月14日 (火)

気がつけばいつの間にかインターバル規制が努力義務

さて、というわけで、労働基準法制定以来、(かつての女子年少者を除いて)史上初めて時間外労働の上限規制が導入されることになったわけですが、その特例の1か月の上限を100時間を基準値とするのか、100時間未満とするのかという、なんだかやたらに政治案件にフレームアップした割に、それで一体どこがどう違うのか誰もよくわからないことにみんなの注意が集中している間に、気がつけばいつの間にか、休息時間、いわゆる勤務間インターバル規制が、法律上に努力義務として入り込むことになっていたようです。

https://www.jtuc-rengo.or.jp/news/file_download.php?id=3857

2.勤務間インターバル制度 終業から始業までに一定時間の休息時間を設ける、勤務間インターバル制度を労働 時間等設定改善法及び同指針に盛り込む。また、制度の普及促進に向けて、労使関係 者を含む有識者検討会を立ち上げる。

この「盛り込む」という言葉の意味ですが、逢見事務局長の談話によれば

https://www.jtuc-rengo.or.jp/news/article_detail.php?id=882

・・・その上で、[1] 労働基準法に時間外労働の上限規制を明記すること、[2]勤務間インターバル制度の努力義務化、[3]パワーハラスメント防止等、過労死等を防止するための対策、[4]労働政策審議会における検討、[5]見直しにあたっての検討規定、を内容としている。時間外労働の上限規制だけでなく、勤務間インターバルやパワーハラスメント防止対策など、連合が求めてきた政策を一定程度、盛り込むことができた。

とあるので、労働時間等設定改善法に努力義務規定が設けられるということなのでしょう。

まだまだ休息時間を導入している企業は数少ない中で、政府も助成金で促進という姿勢だったものを、どさくさまぎれに・・・という言い方はあんまり適当ではありませんが、将来に向けての第一歩としての努力義務を入れ込んでしまったのですから、これは連合事務局のあんまり目立たないけれども実はヒットであるように思います。「100時間未満」なんていうあんまり実益のない話を炎上させておいて、こっちでしっかり陣地を取っているのは、あんまりここで褒めると却って都合が悪いかも知れませんが、なかなかだと思いました。

あと、

3.過労死等を防止するための対策 過労死等防止対策推進法に基づく大綱を見直す際、メンタルヘルス対策等の新たな 政府目標を掲げることを検討する。職場のパワーハラスメント防止に向けて、労使関 係者を交えた場で対策の検討を行う。

そうなので、こちらもいろいろと動きそうです。

 

『野口敞也オーラル・ヒストリー』

南雲智映さんより、労働関係オーラルシリーズの『野口敞也オーラル・ヒストリー』をお送りいただきました。ありがとうございます。

えー、野口さんとは、野口さんが連合総研の専務理事だった頃に、いくつかの研究会に関わっていたので、結構顔見知りだったりします。

というか、そもそも南雲さん自身がその頃連合総研の研究員だったわけですが。

もちろん本書の眼目は、ゼンセン同盟時代の野口さんの活動です。オーラルでゼンセンというと、本ブログで何回も紹介してきた二宮誠さんが有名ですが、二宮さんや逢見さんのようなはじめからゼンセンプロパー組に対して、野口さんは高木さんなどと同じく、いったん企業に就職し(野口さんは帝人)、そこの企業別組合で労働組合活動をはじめ、そこからゼンセン本部に移ってプロパーになっていった人です。

ゼンセンに移ったのは昭和53年ですが、ゼンセンの「セン」の元である繊維産業関係を担当されたと言うことで、今やゼンセンというと本田さんの本のようにどうしても流通サービスという印象ですが、繊維という戦後日本における一産業の大転換を労働側から円滑に進めたというのは、戦後史の中で目だないけれども重要なポイントであったはずだと思います。

あと、野口さんは連合副事務局長時代、小泉内閣時に労働側が追い出される前の規制改革会議で、ただ一人の労働側代表として、結構規制緩和の推進に力を入れていた方でもあります。その時のエピソードで、結構じわじわくるものを。港湾事業の規制改革で、全港湾に説得に行ったときのこと。

野口 それが終わりまして、夜、懇親会に呼んでくれました。しばらく飲んでいましたらその会長から「ところで野口さん、おまえさんはあったかいのがいいかね、冷たいのがいいかね」と言われました。ちょっと考えましたね。どういうことかはわかりましたが。「両方いやですなあ。どちらかというと、あったかいほうがいいですかな」と言ったのです。「わかるのか」というから、「私は上州の生まれでござんす。その血は引いております。わかります」と言ったら、「うん」といって、それからしっかり飲ませてくれたのです。何か分かりますか。もう相当飲んでいるときですから、会長の話は、熱燗がいいか、冷や酒がいいかという話ではないのです。あったかいのというのはピストルです。冷たいのというのはナイフですよね。お前はどっちがいいかという。

南雲 また物騒な。

野口 その前から、「お前みたいな奴は東京湾へ連れて行って、ガントリークレーンの30メートルもある奴から海へ放り込んでやりたいなあ」なんていう、そんな話をやっていたわけですけれども、そういう中で出てきた話でした。・・・

何とも物騒な話です。

さて、野口さんは上州は高崎の生まれなのですが、この本の冒頭に、びっくりするような情報が書いてありました。なんと野口敞也さんのお父さんは野口三千三(みちぞう)といって、野口体操の創始者だったんですね。

256329え?何それ?という人もいるかも知れませんが、その筋では結構有名な人です。

https://www.iwanami.co.jp/book/b256329.html(野口三千三『原初生命体としての人間 野口体操の理論』)

2017年3月13日 (月)

細見正樹『ワーク・ライフ・バランスを実現する職場』

Isbn9784872595765細見正樹さんから『ワーク・ライフ・バランスを実現する職場 見過ごされてきた上司・同僚の視点』(大阪大学出版会)をお送りいただきました。ありがとうございます。

職場における仕事と生活の調和(WLB)の促進に当たって,WLB支援制度利用者の周囲の従業員の不満や不公平感の緩和が課題の一つとなっている.本書は,従来ほとんど着目されてこなかった利用者の上司や同僚の心理に焦点を当て,統計的手法を用いて実証分析を行うことにより,WLBの促進につながる職場環境要因を探り,上司の寛容度や同僚の納得度を高めるための実践可能な解決策を提言する.

ワーク・ライフ・バランスに関する本は今や汗牛充棟の感がありますが、とはいえその中で極めて重要な側面が欠落しているのではないか、というのが細見さんの着眼点です。それは、拙著『働く女子の運命』でも中野円佳さんの本と並べて引用した吉田典史さんの『悶える職場』にくっきりと描かれた、そのまわりのワーク・ライフ・バランスじゃない方の社員たちの視線の問題です。

細見さんは、

・・・むしろ、上記のような「WLB支援制度の恩恵を受けない従業員」「WLBニーズのある従業員の周りにいる同僚や上司」こそが、職場全体のWLBを推進していく上で不可欠な存在ではないだろうか。

という問いかけをベースに、次のようにこの問題を分析していきます。

第1章 本書の目的および全体構成
第2章 家庭生活と創造的職務行動
第3章 ワーク・ライフ・バランス支援制度の効果
第4章 ミドルマネジャーの寛容度
第5章 同僚従業員の業務負担予測と寛容度
第6章 同僚従業員の態度
第7章 総括

あtがきに、著者の肉声が少し書かれています。細見さんは学生時代に憲法を学び、兵庫県に就職したのですが、公務災害の認定業務に携わって「キャリアをかえるきっかけとな」り、また同時期、本書第5章作成のきっかけとなる出来事を経験したそうです。それは、

・・・私と同じ係の女性が、産前産後休暇・育児休業を2回取得し、復帰後は短時間勤務となった。育児は社会で支えるものであり、不満を持つのは意識の問題だと言われることに若干違和感を覚えた。・・・

そこから本書に結実する研究が始まるわけです。

遠藤公嗣さんの「ILO100号条約の審議過程と賃金形態」@『季刊労働法』256号

256_hp先週案内しておいた『季刊労働法』256号(2017年春号)が届きました。

http://www.roudou-kk.co.jp/books/quarterly/4856/

とりあえず、一番興味深そうな遠藤公嗣さんの「ILO100号条約の審議過程と賃金形態」に目を通しました。

これは、ILOのサイトにアップされている同条約の制定過程に関わる諸文書を丁寧に分析して、最近の同条約に対するいくつかのコメントに反論を加える、というものになっています。

一言で言えば、とりわけ筒井晴彦氏の言う「使用者が、勤続年数に基づいて賃金を加算したり、結婚して子どもを育てる労働者に諸手当を支給したりすることなどによって賃金に差異が生じたとしても、性を理由とする差別でない限り、それは条約違反にならないと言うことです」という主張を、上記同条約の制定過程文書に基づいて否定しようとするものになっています。

細かい分析は是非『季刊労働法』そのものに当たって読んでいただきたいと思いますが、この時に一番関心の焦点となっていたのは、アメリカで普及しつつあった客観的な職務評価システムとヨーロッパで伝統的に用いられてきた労働協約による賃金決定システムとの間の問題だったようです。

いろいろと修正案が提案され、否決されたり、というプロセスは込み入っていてなかなかわかりにくいのですが、当初は労働協約で同一賃金の基準を決定できるという考え方が主流だったが、最終盤で自発的な団体交渉よりも抜け道なく同一賃金を確立することを選んだのだ、と遠藤さんは主張しています。

ここは、なかなか判断の難しいところだと思われます。その後EU条約やEU指令に男女同一労働同一賃金が書き込まれ、その内容が累次の欧州司法裁判所の判決で示されてくる中で、少なくとも男女差別については労働協約による決定の正当性は否定される一方、いわゆる年功による昇給については認める方向も示されているからです。とはいえ、性別にかかる賃金差別については、極めて厳格な基準が確立していったことについては、これまでにも労働法研究者によって明らかにされているところです。

しかし、実はこれがこの『季刊労働法』における「同一労働同一賃金の展望」という特集にこのILO100号条約に関する遠藤論文が載っていること自体のねじれを表しているとも言えるのですが、そもそもこのILO100号条約というのは、「男女同一価値労働同一報酬」の条約であって、今日日本で政策論議の焦点となっている、そして『季刊労働法』の今号がまさに特集で取り上げているところの、雇用形態に基づく取扱いの格差自体を対象にしているものではない、ということです。

つまり、この論文で遠藤さんが70年近く前のILOの政策決定過程の諸資料を渉猟して明らかにした100号条約の立法者意思に係る様々な議論は、それが男女間の間接差別に該当するという場合であれば格別、そうでない限り、実はアナロジー的な論拠以上のものにはなりえないのではないか、という問題があるのですね。

これが特に問題となり得るのが、労働協約による賃金決定の正当性をめぐる問題です。性別に関しては、協約による性差別も許されないというのは確立した判例となっていますが、それ以外の格差はどうなのか。つまり、ILO100号条約のそもそもの射程外にある問題です。

07044そしてだからこそ、先日沖永賞を受賞した大木正俊さんの『イタリアにおける均等待遇原則の生成と展開 ―均等待遇原則と私的自治の相克をめぐって―』が、その問題を突っ込んで論じているわけです。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2017/03/post-36fa.html

・・・均等待遇原則をめぐる推移を論ずる前に、「イタリアの労働条件決定システムと労使関係の特徴」を1章割いて論じています。ここが味噌です。そう、副題の「均等待遇原則と私的自治の相克をめぐって」の「私的自治」とは、もちろん企業と個別労働者との民法的個別自治も含まれますが、イタリア的文脈においてはこれは何よりも、全国的産業別労働組合が結ぶ労働協約で基本的な労働条件を決定するという集団的労使自治を指すのです。

そして、本書の大部分で大木さんが事細かに論じていくのは、まさにそういう集団的労使自治で賃金を決めるという社会の在り方と、それを破ってまでも裁判官が均等待遇を強制することが出来るのか?という意味での均等待遇原則との『相克』なんですね。

そして本書が描き出すのは、性別や人種といった差別禁止法とは異なり、そういう一般的な均等待遇原則は、むしろ否定される傾向にあるというイタリアの姿です。

もちろん、逆にヨーロッパ諸国では性別のような生来的差別でない限り労働協約が自由にやっていいとなっているというわけでもなく、この分野は大変複雑な状況です。その一端は、

http://www.jil.go.jp/foreign/report/2016/0715_03.html(諸外国における非正規労働者の処遇の実態に関する研究会報告書)

でかい間見ることができます。

いずれにしろ、現在この問題は、そもそも今、何について議論しているのかを改めて明確にしながら論じる必要性が高い分野になっていることは間違いないように思われます。

雇用助成金における生産性要件@WEB労政時報

WEB労政時報に「雇用助成金における生産性要件」を寄稿しました。

https://www.rosei.jp/readers-taiken/hr/article.php?entry_no=636

去る1月31日に国会に提出された雇用保険法等改正案は、2月13日付けで解説した職業安定法の改正部分と、やらされ感のある育児・介護休業法の改正部分の他に、タイトルになっている雇用保険法の改正部分があります。中身はやや小粒のものがたくさん並んでいるという感がありますが、その中に今までの労働政策の流れからすると「あれ?」とちょっと違和感のある1条が潜り込んでいます。今回の改正案で新設されることになっている64条の2、こういう規定です。

(事業における留意事項)
第六十四条の二 雇用安定事業及び能力開発事業は、被保険者等の職業の安定を図るため、労働生産性の向上に資するものとなるよう留意しつつ、行われるものとする。
※法律案案文(PDF)はこちら(P.5参照)  

 こんな規定、どこで入ってきたんだろう? と思ったら、まずは改正法案の基となった昨年12月13日の労政審雇用保険部会報告を確認してみましょう。・・・

2017年3月11日 (土)

前田正子『大卒無業女性の憂鬱』

16122 前田正子さんの『大卒無業女性の憂鬱 彼女たちの働かない・働けない理由』(新泉社)をお送りいただきました。ありがとうございます。

http://www.shinsensha.com/detail_html/04shakai/1612-2.html

これまで「家事手伝い」「結婚すれば問題ない」と見過ごされてきた大卒未婚無業女性。大卒無業女性の問題は、貧困問題に直結し、抜き差しならない段階まで来ている。

そもそも高等教育を受けた恵まれた立場であるはずの大卒の女性たちが、なぜ働かないのだろうか。

働く女性の6割近くが非正規職という厳しい現状もふまえ、女性を取り巻く労働環境の実態を明らかにし、大卒無業女性への支援やケアを提言する。

オビで山田昌弘さんが「女性活躍後進国ニッポン」とか言っているので、そういう本だと思われるかも知れませんが、いや確かにそういうことなんですが、読んで一番強烈に印象づけられたのは、関西という地域の持つ強烈に女性活躍制限的なカルチャーなんですね。

前田さんは、ご存じの方も多いと思いますが2003年から2007年まで横浜市の副市長をやり、2010年から出身地の関西に戻り、甲南大学の教授として教えているのですが、そこで出会ったカルチャーショックが序章に書かれていて、これこそが本書の最大のテーマなんではないかとおもったものです。

・・・ところが、関西の大学で教えだしてすぐに、女子学生のなかに「女の子はがんばる必要がないと親にいわれている」とか「どうせ結婚したら仕事を辞めるのだから、勉強する意味がわからない」と、女子であることを言い訳にして、自分の能力を伸ばそうとしない、職探しにも熱が入らない学生が一定数いることに気付いた。

実際、「満員電車に乗って、職場に行くようなしんどいことは娘にさせたくない」と母親からはっきり言われたとこもある。同じ日本でもこんなに考え方が違うのか、とおどろくばかりだった。

さらに、就職が決まったボーイフレンドから「若い間は給料が安いから、一緒に働いて頑張ろう」と言われただけで、「女に働け、というような甲斐性のない男とはつきあうな」と親から口出しされて別れたという女子学生までいる。

まあ、前田さんが住んでいたのは阪神間の山の手地区で、高級住宅街というのもあったのでしょうが、学童保育が採算がとれずに進出できない、というくらい、そういう地区なんでしょう。

序 章 1億総活躍のかげで――無業の女性たち

第1章 1億総活躍時代の女性の状況

第2章 未婚無業の女性

第3章 大卒未婚無業の女性たちのそれぞれ

第4章 女子大生の夢と現実

第5章 既婚子持ち女性の再就職への壁

第6章 大卒無業女性と社会の未来

おわりに

タイトルになっている大卒無業の女性たちへのインタビューが第3章に載っていて、これがなんというか、前田さんからすると信じられないくらい職業意識が欠如した人たちなんですね。これはやはり、「女性活躍後進国ニッポン」というよりも、関西のそれも高級住宅地の特性が露骨に出ているというべきなのでしょう。

逆に、日本の中で女性の就業率の最も高い北陸出身の女性がそういう地区にやってくると、

・・・ある北陸出身の母親は、「北陸では、子供を産んでもみんなが働き続けるので、義理の両親も子育てを手伝うのが当たり前という文化がある」という。北陸にいる両親に相談したら、「義理の両親に頼ってもいいのでは?」とアドバイスを受け、・・・頼んだところ、義母に激怒されたそうだ。さらに、・・・義父からも電話があり「子育てという母親の義務を果たさないのは許さん。二度と子供を預けることなど頼むな」と厳命された。・・・

いやこれはやはりカルチャー衝突でしょう。同じ日本だから同じカルチャーではないのですね。

2017年3月10日 (金)

EU労働法政策における『協約』の位置

EulabourlawJILPTのホームページのコラム「リサーチアイ」に、「EU労働法政策における『協約』の位置」を寄稿しました。

先日刊行した『EUの労働法政策』の基軸になるトピックです。

このコラムを読まれて関心をそそられましたら、是非本書それ自体をお読み頂ければと思います。

http://www.jil.go.jp/researcheye/bn/019_170310.html

去る1月27日に、JILPTより『EUの労働法政策』を上梓した。かつて日本労働研究機構(JIL)時代の1998年に刊行した『EU労働法の形成』の全面改訂版である。本書はEU労働法の全領域にわたり、指令として結実したものも、未だに結実していないものも、法政策として取り上げられたほとんど全てのトピックを、さまざまな公刊資料やマスコミ報道等をもとに、歴史的視座に立って叙述している。細かい活字で500ページを超える本書は、現在日本で話題の同一労働同一賃金や長時間労働の規制といったトピックについても詳細なEU法政策を紹介しているが、より広くイギリス、フランス、ドイツを始め、EU加盟国の労働法政策に関心を寄せる人々にとっても、有益な知識や情報が詰まっているはずである。

今回は本書における重要なトピックとして「EU労働法政策における『協約』の位置」についてごく簡単に論じてみたい。・・・・・

2017年3月 9日 (木)

平成28年度沖永賞に大木正俊さん

07044一昨日、労働問題リサーチセンターによる平成28年度沖永賞の授賞式があり、私も顔を出しました。

今年度は図書、論文ともに労働法学からで、図書部門は本ブログでも紹介した大木正俊さんの『イタリアにおける均等待遇原則の生成と展開 ―均等待遇原則と私的自治の相克をめぐって―』、論文は石井保雄さんのわが国労働法学の生誕 ―戦前・戦時期の末弘厳太郎―』及び『戦前・戦中期における後藤清の社会法学 ―時代の伴走者の記録―』 でした。

https://www.lrc.gr.jp/recognize

大木さんの本については、ちょうど1年ちょっと前にいただいたときに、こう述べておりました。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2016/02/post-06cb.html

・・・均等待遇原則をめぐる推移を論ずる前に、「イタリアの労働条件決定システムと労使関係の特徴」を1章割いて論じています。ここが味噌です。そう、副題の「均等待遇原則と私的自治の相克をめぐって」の「私的自治」とは、もちろん企業と個別労働者との民法的個別自治も含まれますが、イタリア的文脈においてはこれは何よりも、全国的産業別労働組合が結ぶ労働協約で基本的な労働条件を決定するという集団的労使自治を指すのです。

そして、本書の大部分で大木さんが事細かに論じていくのは、まさにそういう集団的労使自治で賃金を決めるという社会の在り方と、それを破ってまでも裁判官が均等待遇を強制することが出来るのか?という意味での均等待遇原則との『相克』なんですね。

そして本書が描き出すのは、性別や人種といった差別禁止法とは異なり、そういう一般的な均等待遇原則は、むしろ否定される傾向にあるというイタリアの姿です。

こういう視点からの議論が(まったくなかったわけではないとはいえ)日本ではほとんど見られなかったのは、もちろん日本の労働組合が企業別組合でかつ多くの場合正社員組合であるため、『相克』を論じる土俵がほとんどなかったからではありますが、しかし今日ただいま目の前で進行しているように、集団的労使自治というもう一つの『規範』が欠如したまま、裁判官が絶対的判断基準を握るかのような形での均等待遇原則や同一労働同一賃金原則が声高に叫ばれるという事態に対して、そういう原則が生み出されたまさにヨーロッパ社会が、実はもう一つの(全国産業別レベルの)集団的労使自治という規範設定の仕組みが生きているということを、つい忘却させることになりかねません。

そういう意味で、ほんとに今大木さんのこの本が上梓されるというのは大変意味があることだと思います。

そこから今日の日本にどういうインプリケーションを導き出すかは、それぞれの読者に委ねられていますが、しかし本書をいったん読んでしまった人は、もはや集団的労働条件決定システムとの相克という本書が突き出す課題を知らんぷりしてこの問題を論じることはできなくなるでしょう。

ちなみに、同じイタリア労働法の先輩である大内伸哉さんもこう述べています。

http://lavoroeamore.cocolog-nifty.com/blog/2017/03/post-919d.html(大木君おめでとう)

・・・イタリア法関係での受賞というのは,少数派のイタリア学派としては,このうえない名誉であり,よくぞ選んでくれたということで,選考委員には感謝の気持ちでいっぱいです。

この著書は,まさに基礎理論的な研究であり,しかもイタリア法が比較法の対象ということで,きわめて地味なものです。変わった業績ということで埋もれてしまっても不思議ではないのに,華やかな舞台に上げてもらったのは,とても有り難いことです。

あえて偉そうなことを言わせてもらえば,こういう地味だが,こつこつ研究している若手を応援しなければ,学問の発展はありません。それにイタリア法をやっていると,山口浩一郎先生や諏訪康雄先生のような個性的な大物が誕生することもあるのです。私はたんに個性的なだけの異端ですが,早稲田大学の正統な労働法の系譜を引きながら,柔軟にいろんなタイプの学問のエキスを吸い,魅力的な研究者に育ちつつある大木君の将来には,大きな可能性が広がっています。

確かに、イタリア労働法というのは、大内さん自身をまさに典型として「個性的な大物」ぞろいではありますね・・・。

さて、一昨日の授賞式には、大木さんの奥様(という言い方が適切かどうか分かりませんが、夫婦で研究者をされている配偶者の第三者からの呼び方はどういうのが適切なんでしょうか)の青柳由香さんもいらっしゃってました。授賞式後のパーティでちょっとお話をしたのですが、青柳さんはEU競争法の研究者なのですね。

近年の雇用類似の働き方の増加の中で、労働法と競争法が交錯する場面が増えていくことを考えると、大木さんご夫妻のそれぞれの研究の内容的なコラボというのももしかしたら出てくるかも知れません。

2017年3月 8日 (水)

藤田孝典『貧困クライシス』

51zp2gia8rl__sy400_藤田孝典さんの『貧困クライシス 国民総「最底辺」社会』(毎日新聞出版)をお送りいただきました。ありがとうございます。

http://mainichibooks.com/books/social/post-389.html

これまで『下流老人』や『貧困世代』を出してきた藤田さんが、若者も中年も、女性も老人も全部まとめて一冊にした本です。

●第1章 若者の貧困 

2 中年の貧困

●第3 女性の貧困  

4 老人の貧困

5 貧困ニッポンを生きる 社会と個人ができる最善策

第1章の「つかみ」は例のNHKの番組に出て。「お前は貧乏じゃない」と猛烈にバッシングされた女子高生の話、第2章のつかみは人工透析患者は自己責任だから全額実費負担にしろと言った例のフリーアナウンサー氏ですが、全体に藤田さんが自ら携わってきた様々な事例が満載です。

・・・幸い、ほっとプラスには年間約500件を超える相談があり、支援者である私たちは、極めて貧困が見えやすい位置にいる。見えてきた貧困を少しでも社会に伝え、多くの人とクライシスを共有していきたい。そして、早めに貧困に気づき、対処できる力を養っていただきたいと切に願う。

本書を通じて、日本が生涯貧困に至った背景と実態をつまびらかにし、起死回生の道を多くの読者と模索したい。

『季刊労働法』256号の目次

256_hp今月15日に刊行される予定の『季刊労働法』256号の目次が労働開発研究会のホームページにアップされているので、こちらでもご紹介。

http://www.roudou-kk.co.jp/books/quarterly/4856/

特集はもちろん、今注目のテーマ「同一労働同一賃金の展望」です。

●長澤運輸事件高裁判決、ハマキョウレックス事件高裁判決が出て、メトロコマース裁判、郵政非正規裁判も現在進行形です。特集では、こうした「20条裁判」と同一労働同一賃金の方向性を検討します。

最新裁判例に見る企業内賃金格差の違法性 京都大学准教授 島田裕子

同一労働同一賃金と非正規雇用労働者の待遇改善~労働側から見た「同一労働同一賃金ガイドライン案」 弁護士 徳住堅治

経営法曹からみた同一労働同一賃金問題 弁護士 中山慈夫

非正規差別と労使関係法 北海道大学名誉教授 道幸哲也

ILO100号条約の審議過程と賃金形態 明治大学教授 遠藤公嗣

注目は道幸哲也さんの「非正規差別と労使関係法」です。どういうことを書かれているのか、もちろん現時点では全然分かりませんが、非正規問題の鍵は集団的労使関係システムの活用にあると言い続けてきている私としては、とても興味をそそられるタイトルです。

もう一つ、これまた興味深いのは遠藤公嗣さんの「ILO100号条約の審議過程と賃金形態」です。おそらくILOにおける条約審議のプロセスの分析から論じているのではないかと思われますが、法政策的研究の重要性を主張してきた私としても、これは是非読みたいものです。

さて、第2特集は「労働市場と法をめぐる新動向」です。

●職業紹介事業、雇用仲介事業等について、現在議論がなされています。この議論を見ながら、第2特集では、労働市場と法政策の関係を考えます。雇用仲介事業等の在り方、労働市場を通じた履行確保の方策、また、民間人材ビジネスの現状と展望といった論点に迫ります。

職業安定法における労働力の需給調整に関わる事業の法規制 西南学院大学教授 有田謙司

プラットフォーマーと雇われない働き方―シェアリングエコノミーが照らす今日的課題― リクルートワークス研究所労働政策センター長 中村天江

労働市場における情報開示等の規律と労働政策 東京大学教授 山川隆一

有田、山川両労働法学者の論文も重要ですが、ここではやはりリクルートの中村さんがプラットフォームエコノミー(シェアリングエコノミー)についてどう論じているのかが気になります。

クラウドワークなどここにきて急激に関心が高まっている「働き方」については、そのうちそれだけで一つ特集を組んでもいいくらいのテーマだと思います。

その他の論文は次の通りです。私の連載は「労働者自主福祉の法政策」です。

あと、今働き方改革の一項目に入ってきて急に話題になりつつある兼業・副業の問題について、同志社の河野さんが、またEU労働法の本格的な論文として同じく同志社の岡村さんが研究論文を書かれています。

■労働法の立法学 第46回■

労働者自主福祉の法政策 労働政策研究・研修機構主席統括研究員 濱口桂一郎

■アジアの労働法と労働問題 第28回■

中国における整理解雇の法規制とその課題 中国西南政法大学准教授 戦東昇

■研究論文■

兼業・副業をめぐる法的課題 ―キャリアの複線化と兼業規制― 同志社大学特別任用助手 河野尚子

フランス「労働改革法」の成立―労働法の「再構築」始まる― 九州大学名誉教授 野田 進・九州大学大学院修士課程 渋田美羽・九州大学大学院博士課程 阿部理香

集団的整理解雇の局面における手続的規制の在り方―EU集団的整理解雇指令上の被用者関与制度との比較法的研究― 同志社大学大学院博士後期課程 岡村優希

■判例研究■

早期退職制度に伴う競業避止義務と割増退職金の返還 第一紙業事件(東京地判平成28年1月15日労経速2276号12頁) 弁護士 平澤卓人

国による業務委託と労組法上の使用者 中国・九州地方整備局(スクラムユニオン・ひろしま)事件(東京高判平28.2.25別冊中労時1496号43頁。一審 東京地判平27.9.10労旬1853号64頁) 四天王寺大学専任講師 常森裕介

■キャリア法学への誘い 第8回■ 長寿化とキャリア課題 法政大学名誉教授 諏訪康雄

●重要労働判例解説

公益通報目的の存否と懲戒解雇の有効性判断 武生信用金庫事件(名古屋高金沢支判平28・9・14労働判例ジャーナル57号23頁LEX/DB25543767) 淑徳大学准教授 日野勝吾

メッセンジャー組合との団体交渉と義務的団交事項 東京都・都労委(ソクハイ)事件(東京高判平28・2・24別冊中労時1496号52頁) 日本大学教授 新谷眞人

再就職援助努力義務の位相@『エルダー』3月号

Om5ru8000000ld61高齢・障害・求職者雇用支援機構の『エルダー』3月号に「再就職援助努力義務の位相」を寄稿しました。

http://www.jeed.or.jp/elderly/data/elder/q2k4vk000000qtop-att/q2k4vk000000qtr9.pdf

前回は「出口に着目した外部労働市場政策」として個別労働紛争における出口の年齢差別を取り上げましたが、現実に存在する労働法政策としては現高年齢者雇用安定法第3章第2節に規定されている「事業主による高年齢者等の再就職の援助等」の諸規定がまさにこれに該当するものです。とりわけ第15条の再就職援助措置の努力義務は、1986年改正(60歳定年の努力義務を規定)以来30年以上にわたって存在し続けています。ところが、第2章の定年規定や継続雇用等の高年齢者雇用確保措置規定が法政策としてスポットライトを浴び続けてきたのに比べて、ずっと日陰者のような扱いを受け続けてきています。一方で本連載(8月号)で述べたように、雇用対策法に規定された募集採用における年齢制限禁止政策は外部労働市場政策として注目を集めてきているだけに、この扱いの差は可哀想なくらいです。今回は、この地味な規定をその前身に遡って歴史的に振り返り、今日的意味を再考してみたいと思います。

定年退職者対策から高年齢離職者対策へ

 この規定の前身とみられるのは、1973年9月の雇用対策法改正で盛り込まれた再就職援助計画作成の規定です。同改正は初めて国の責務として定年引上げのため資料の提供等の援助を行うという宣言規定を盛り込みましたが、搦め手からの施策として、60歳未満定年の事業主に対し、「定年に達する労働者」の再就職援助計画を作成するよう職安所長が要請し、事業主は計画を作成、提出するとともに、再就職援助担当者を選任して業務を行わせるという規定が置かれたのです。興味深いことに、当時の通達(職発第380号)では具体的な措置として、①勤務延長、②再雇用、③関連企業等への再就職の援助、④職安等の措置への便宜供与が挙げられており、後の継続雇用に当たるものまで含まれていたことが分かります。
 日本の高齢者雇用政策の大きなエポックとなったのは1986年中高法改正による高年齢者雇用安定法で、60歳定年の努力義務とそれに係る行政措置の他、シルバー人材センターを法律上に位置づけたものです。こうした大きなトピックの影に隠れていますが、上記雇用対策法における再就職援助関係規定も若干の修正を受けて同法に盛り込まれました。若干の修正というのは、対象が(65歳未満の)「高年齢者が定年、解雇等により離職する場合、当該高年齢者が再就職を希望するとき」となり、かつ事業主が「その再就職の援助に関し必要な措置を講ずるように努めるものとする」と努力義務規定になったことです。この努力義務規定を受けて再就職援助計画の作成要請、作成と提出、再就職援助担当者の選任等の規定がそのまま受け継がれています。
 努力義務の対象となるのは55歳~64歳層の高年齢離職者です。この時の改正では60歳定年はまだ努力義務に過ぎないので、55歳定年による離職者も対象ですし、60歳定年による離職者も対象で、さらに60歳定年後例えば63歳まで再雇用する場合の63歳での離職も対象になります。また、こうした制度的な離職ではない解雇による離職も対象に入れる形で、かなり広範な努力義務規定となっています。逆に、対象は「離職者」なので、「離職」しない自社での勤務延長や再雇用で雇用される人は対象ではありません。もっぱら他社への再就職に純化したといえます。
 なおこのとき、①日々雇用・期間雇用の者、②試用期間中の者、③常時勤務に服することを要しない者は省令で対象外とされました。もっとも①は6カ月を超えて引き続き雇用されれば、②は14日を超えて引き続き雇用されれば対象になりますが、そもそも努力義務でもあり、非正規労働者も再就職援助の対象だという認識はほとんどなかったと思われます。

外部労働市場政策拡大への含意  

 再就職援助努力義務の対象が劇的に拡大したのは2000年改正ですが、条文上ではほとんど感知できないような改正でした。このとき「高年齢者」が「高年齢者等」になり、その「等」の中身として中高年齢者(45歳以上の者)が入ってきたのです。また、省令で「解雇」に「その他の事業主の都合」が付け加えられました。この背景には、1990年代半ば以降の厳しい雇用情勢の中で、特に中高年離職者の深刻さが指摘され、予算措置の上で中高年対策が繰り出されていたことがありますが、この含意は意外に大きいものがります。
 もともと高年齢者の定義が55歳以上とされていたのは、55歳定年が一般的であったからです。その意味では、1994年改正で60歳未満定年が禁止された後も高年齢者の定義を変えなかったことに疑問もあり得ます。しかし逆に言えば、定年前であっても解雇等で離職する可能性があるのであれば、再就職援助の努力義務をかける意味は十分にあります。60歳未満定年を禁止しながら高年齢者の定義を55歳以上のままにすること自体が、暗黙のうちに外部労働市場政策に若干シフトする効果を持っていました。その対象を45歳以上に広げ、解雇以外の事業主都合にも拡げるということは、このシフトをさらに進めるという意味を持ちました。
 2004年改正では65歳までの雇用確保措置が(労使協定による除外基準付きで)義務化されましたが、これにともない再就職援助規定も修正されています。まず、法制度上定年による離職者は(上記労使協定で継続雇用されなかった者を除けば)いないはずなので、法律の条文から「定年」が消え、省令に「当該基準に該当しなかったことによる退職」が加えられました。そして、それまでの再就職援助計画に代わって、求職活動支援書の作成・交付義務が規定されました。これは対象高年齢者等(中高年齢者を含む)の職務経歴や職業能力を明らかにする書面であり、「キャリアの棚卸し」のためとされています。
 2012年改正では労使協定による除外基準が廃止されて厳格に義務化されるとともに、一定のグループ企業への転籍が継続雇用制度の一つとして明記されました。これまでも親子会社については運用で認めていましたが、この改正で親子会社だけでなく関連会社まで拡げ、法律上も内部労働市場政策として位置づけられたことになります。そしてその分、グループ企業への転籍が再就職援助から抜けたことになります。

2017年3月 6日 (月)

神戸女学院大学「働く側から見た『女性活躍推進』」

Kobe 神戸女学院大学で3月25日(土曜日)、大同生命寄付講座「働く側から見た『女性活躍推進』」が開催され、わたくしが基調講演をする予定です。

http://www.kobe-c.ac.jp/files/dtl/dg_0000001722.html

【日 時】 3月25日(土)13:00~

【場 所】 本学文学館1号館21教室

【参 加 費】 無料 ※要申込、定員200名

【プログラム】

13:00 開会

13:05~14:05

基調講演 「『女性活躍推進法』と変化する女性の働き方」濱口 桂一郎氏

14:15~15:35

パネルディスカッション 「女性にとって働きやすい会社とは?」

≪パネラー≫

・濱口 桂一郎氏

・女性ビジネスパーソン2名(本学卒業生)

・戸田 博子氏(読売新聞大阪本社 論説・調査研究室 主任研究員)

15:40~16:00

ヴォーリズ建築と「重要文化財 神戸女学院」のご紹介

※16:10~ ヴォーリズ建築の校舎ツアー(要申込)

『DIO』324号

Dio 連合総研の機関誌『DIO』324号をお送りいただきました。今号の特集は、「長時間労働による過労死・メンタルヘルス疾患を防ぐために」です。

http://www.rengo-soken.or.jp/dio/pdf/dio324.pdf

特集記事は次の4本ですが、

長時間労働の原因と対策を考える 藤村博之

電通女性過労死事件が提起したもの 川人博/蟹江鬼太郎

ワーク・ライフ・バランスに必要なこと 武石 恵美子

勤務間インターバルの確保に向けた環境整備に向けて 春川徹

ここでは、2015春闘でインターバル規制を要求し、実現したKDDI労組事務局長の春川徹さんの文章から、2015年春闘に向けた考え方の経緯を述べた部分を。

・・・勤務間インターバル導入を2015春闘の具体的要求として掲げるに至った労組執行部の考え方や経緯は次のとおりである。

 それは原点に立ち返り、「なぜ、勤務間インターバルが必要なのか」といった至極シンプルな問いを掘り下げることから検討を始めた。

 長時間労働の是正と健康確保は労使の最も重要な課題であることは明確であり、そのために長時間労働の防止と抑制を行うことは、労使の責務であることも明白である。そして、従来から時間外労働に対しては36協定の順守と事前協議の対応徹底、職場巡回やノー残業デーの設定、ワークライフバランスの啓発活動などを実施し、現在もなお、これらの取り組みを進めているところであるが、勤務間インターバルの必要性について、自問自答を繰り返していくなかで、これら従来からの対応は、まさしく時間外労働・長時間労働を前提とする対処であることにあらためて終着した。

 36協定は、本来、労働時間に関する例外的措置でしかないにもかかわらず、職場では、誰もが時間外労働が当たり前との意識が蔓延し、肯定化している実態であった。そして、心身の疲労回復や健康のためには休息時間が大切であるとの労使共通の認識があるにもかかわらず、この時間外労働を前提とする労使の対応が、まさに「長時間労働防止のパラドックス」となっており、このパラドックスによって、結果的に「休息時間を確保する」といった視点に誰もが意識が向かず、勤務間インターバルの制度化を必要としない状況を生み出している、との考えに至った。

 このような考え方の経緯から、2015春闘に向けて労組執行部は自分たち自身の意識を転換し、取り組みを進めることを決意し、単に従来からの時間外労働・長時間労働を前提とする対処を強化するだけではなく、休息時間の確保を大前提とする明確な対応が必要との考えのもと、全ての組合員を対象とする11時間の勤務間インターバルの要求を掲げることとした。

 一方、この要求立案時の組合員からの反応は、絶対的な休息時間の確保についての賛同はあったものの、11時間の勤務間インターバルでは、「業務がまわらない」「お客様に迷惑がかかる」「他部門との連携に支障が生じる」など、導入に対して慎重な意見が多数寄せられた。しかしながら、労組執行部としては、業務遂行をする上で最も重要なことは、健康且つ安全に従事することであり、そのためには心身の疲労回復のための十分な休息が必要であり、それがより高いパフォーマンス発揮に寄与することを組合員に対して説明し、理解を図った。

 そして、2015春闘交渉の結果、就業規則上の休息時間は8時間、安全衛生規程上の健康配慮としての休息時間は11時間を規定化することとなった。

「36協定は、本来、労働時間に関する例外的措置でしかないにもかかわらず、職場では、誰もが時間外労働が当たり前との意識が蔓延し、肯定化している実態」の中では、「従来からの時間外労働・長時間労働を前提とする対処を強化するだけ」では「長時間労働防止のパラドックス」から抜け出せないという認識から、それとは違う軸からインターバル機制に取り組む方向性が生み出されてきたというわけです。

日本俳優連合の団体協約

9c804d4922491dcbb03a4c0702b3ca49201日刊ゲンダイに「小栗旬が結成か「俳優労働組合」 相次ぐ電撃引退で現実味」という記事が載っています。

https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/200810

芸能界を揺るがしている人気俳優の相次ぐ電撃引退。昨年12月、突如、引退した成宮寛貴を皮切りに、今年に入って女優の江角マキコ、清水富美加、堀北真希と、4人の人気俳優が、わずか3カ月の間に自ら幕引きを行ったのだ。・・・

そんな異常事態の中、注目を集めているのが俳優の小栗旬だ。俳優のための俳優による自主的な労働組合を結成しようと水面下で活動しているという。・・・

おお!「俳優のための俳優による自主的な労働組合を結成」!

本ブログでもかつて、芸能人の労働者性に関するエントリをいくつかアップしたこともありますが、ここにきて話が急速に面白くなり始めたようです。

なんですが、本日はこの記事のそれに続く一節にあったこれに反応してみました。

・・・日本にも、俳優の西田敏行が理事長を務める『日本俳優連合』が存在するが、組合員は約2700人ほど。“御用組合”に近い存在です。若手俳優は、存在すら知らないんじゃないでしょうか」(前出の芸能プロ関係者)・・・

これは一体何なんだろうと思って検索してみたら・・・、ちゃんとその公式サイトがありまして、

http://www.nippairen.com/

その組織概要にはこんなことが書かれています。

http://www.nippairen.com/company/index.html

協同組合日本俳優連合は、「日俳連(にっぱいれん)」と呼ばれ約2,500名の俳優が加入しています。俳優は一人一人がTV局や制作者と対等に出演契約を結ぶことは残念ながら難しいのが現状ですが、「日俳連」は、協同組合法で認められている団体交渉権を生かして、NHK、民放、製作会社との間で出演条件や安全対策等の団体協約を締結しています。
「日俳連」に入っていれば守られる「最低条件」が、そこに存在します。もし、その条件が守れなかったときは、「日俳連」は皆さんとともに問題解決のために動きます。・・・

え?労働組合じゃないけど団体交渉権があって、団体協約を締結している?

そりゃ何じゃと思う人がいるかも知れませんが、実は日本国の法律では事業協同組合にも団体交渉権、団体協約締結権が認められているのです。

これについては、昨年11月に『労基旬報』に「協同組合の団体協約締結権」 を寄稿しているのですが、

http://hamachan.on.coocan.jp/roukijunpo161125.html

この日本俳優連盟はまさにその事業協同組合として団体協約を締結しているのですね。

実際、締結された協約がそのホームページに載っています。

http://www.nippairen.com/active/jitsumu20130809.pdf外画動画出演実務運用表

これ以外に団体協約は載っていませんし、上記日刊ゲンダイの記事では「若手俳優は、存在すら知らない」といわれていることもあり、どの程度の力がある団体かは分かりませんが、いずれにしても、突っ込んでみると面白いネタではないかと思います。

2017年3月 3日 (金)

本田一成『チェーンストアの労使関係』

9784502212314_240本田一成さんの大著『チェーンストアの労使関係 ―日本最大の労働組合を築いたZモデルの探求』(中央経済社)をお送りいただきました。ありがとうございます。

http://www.biz-book.jp/%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%88%E3%82%A2%E3%81%AE%E5%8A%B4%E4%BD%BF%E9%96%A2%E4%BF%82%E2%80%95%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%9C%80%E5%A4%A7%E3%81%AE%E5%8A%B4%E5%83%8D%E7%B5%84%E5%90%88%E3%82%92%E7%AF%89%E3%81%84%E3%81%9FZ%E3%83%A2%E3%83%87%E3%83%AB%E3%81%AE%E6%8E%A2%E6%B1%82/isbn/978-4-502-21231-4

チェーンストアの急速な発展に労働組合が果たした役割は大きい。チェーンストアの労組であるゼンセンは日本最大であり、その成長過程・統治方法を独自のモデルで解明する。

既に金子良事さんが詳しい紹介をされていますが、

http://ryojikaneko.blog78.fc2.com/blog-entry-460.html

ここ数年読んだ本のなかでもっともすごい本なんじゃないかなと思うくらいです。大著なんですが、これも本田さんからすれば、詳細に書いた紀要論文のダイジェストという性格なんですね。とにかく、冲永賞をはじめ、今年の労働関係の賞は総ナメだと思います。労使関係に関心ある人は読むべきです。

と、大絶賛です。

上の版元の短い紹介文はややミスリーディングで、その昔は繊維産業という製造業の産別だった全繊同盟が、流通部会を作ってこの新興のフロンティア領域に殴り込みをかけてくるまでの、いくつかの先行的な取り組みも本書の前半部で詳しく取り上げられています。第1部の「流通産別構想の輻輳と「ゼンセン以前」」では、第1章「流通産別構想の生成と併存」や第2章「先覚的なチェーンストア労組」でこれらが叙述されていますが、そうした一般同盟とか商業労連とか、全国チェーン労協とか、同盟流通とか、いろいろ変遷を経て今のUAゼンセンに流れ込んでくるわけですね。

序章 チェーンストアの労使関係を考察するために

第1部 流通産別構想の輻輳と「ゼンセン以前」

第1章 流通産別構想の生成と併存

第2章 先覚的なチェーンストア労組

第3章  「ゼンセン」の組織化戦略と流通部会の結成

第2部 「ゼンセン」のチェーンストア組織化

第4章 流通部会「設立メンバー」のチェーンストア労組

第5章 イトーヨーカドー労働組合

第6章 全ダイエー労働組合

第7章 流通産別の実現―UAゼンセン結成への道程

終章 「Z点超え」と労働組合

さて、表紙にでかでかと「Z」の文字が刻まれていますが、これが本書のキーワード。ZはゼンセンのZ、ウは宇宙船のウ。Zモデルとは、大産別主義と内部統制の最適なバランスですが、それを導いた「Z点」はどこだったか?というのが本書の探求の一つのポイントです。

むかしの銀行員・・・

昨日の日経夕刊の「あすへの話題」というコラムに、元内閣府事務次官の松崇さんが「サラリーマン川柳」というエッセイを寄稿していて、その中に拙著のある部分が引用されておりました。

http://www.nikkei.com/article/DGKKZO13570750S7A300C1MM0000/

第一生命保険が毎年行っているサラリーマン川柳の入選作が発表された。今年は、政府が働き方改革の旗を振っていることもあって長時間労働是正などに関する句が目立つ。「効率化 提案するため 日々残業」「生産性 部長の異動で 急上昇」など思わず苦笑する句が多く選ばれている。
 それにしても、こんなに余裕のない働き方になってしまったのはいつ頃からだろうか。・・・

Chuko「いつ頃からだろうか」ということは、そのむかしはそうでもなかった、ということで、その一つのエピソードとして、拙著『若者と労働』のこの部分が引用されています。

・・・濱口桂一郎氏の「若者と労働」という本は、30年くらい前に銀行を定年退職した人の話として「俺たちの頃は、だいたい3時にシャッターを閉めたらある程度仕事をし、その後、近所の子供たちの野球のコーチをしていた」というエピソードを紹介している。・・・

で、その後には、私も講演なんかではよく引っ張り出す例の「サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ」が出てきます。

女性活躍阻む「日本型転勤」はなぜ生まれたか

東洋経済オンラインに「女性活躍阻む「日本型転勤」はなぜ生まれたか」を寄稿しました。

http://toyokeizai.net/articles/-/160635

Gawyeb8_安倍内閣が「女性の活躍推進」を打ち出し、「2020年に指導的地位に占める女性の割合30%」という目標を掲げていながら、現実はまったく追いついていません。世界経済フォーラムが毎年発表しているジェンダーギャップ指数も、2015年の101位から2016年には111位とさらに下がっています。

では、なぜ日本の女性はこんなにも活躍していないのでしょうか。男女平等法制は整っています。社会意識も、現在はけっして男女差別的ではありません。それでも女性が活躍できないのは、日本独特の雇用システムに原因があるのです。この連載では、いくつかの切り口から、日本型雇用システムがいかに女性の活躍を阻害しているのかを明らかにしていきたいと思います。・・・

2017年3月 2日 (木)

社会民主主義と右翼ポピュリズムの新たな同盟?

例によって、ソーシャル・ヨーロッパ・マガジンから、

https://www.socialeurope.eu/2017/03/denmark-new-alliance-between-social-democrats-and-right-wing-populism/

New Alliance Between Social Democrats And Right-Wing Populism?

社会民主主義と右翼ポピュリズムの新たな同盟?

Helbak_bio これはデンマークの話です。デンマーク社会民主党と右翼のデンマーク人民党が合意した。何に?やらないことに。

We know what they agree not to do. They both say no to a lower rate of top tax; no to a flat housing tax and higher retirement age; no to free access for refugees and migrants – and they say yes to higher spending on the public sector.

我々は、彼らがやらないことに合意したことを知っている。彼らはいずれも、税率引き下げにノー、一律の住宅課税と引退年齢引き上げにノー、難民と移民の自由なアクセスにノー。そして、公共セクターにおける支出増大にイエス。

これはデンマークだけの話じゃない、と。

・・・Yet the situation in Denmark cannot be viewed in isolation but should be seen in connection with the political front lines between right-wing populism and Social Democracies in Europe. This applies particularly to four major issues (with the first three to be resisted):

・unregulated globalization and neoliberal supply-side policies

・growing and destabilising inequality

・increased pressure on workers’ rights

・major integration challenges relating to refugees

Krogsbaek_bio でもこのデンマークの状況はそれだけで観察すべきではなく、ヨーロッパにおける右翼ポピュリズムと社会民主主義の間の政治的前線との関係で考察すべきだ。これはとりわけ次の4つの主たる問題に関わる。

・規制されないグローバリゼーションと新自由主義的なサプライサイドの政策

・拡大し、社会を不安定化しつつある格差

・労働者の権利への圧力の増大

・難民に関係する社会的統合の課題

The right-wing populist parties and movements in Europe sustain and feed off these issues. Eventually, the Social Democratic part of the labour movement is now finally understanding that its historic indifference to them will bring its demise if it fails to find answers to them.

ヨーロッパの右翼ポピュリズム政党と運動はこれらの問題に取り組み、燃料源として利用してきた。ついに労働運動の社会民主主義的部分は今や最終的に、これらへの回答を見いだせなければこれらへの歴史的な無関心がその終焉をもたらすということを理解しつつある。

But just because the right-wing populists and Social Democrats address the same problems (and apparently in a similar manner) that does not mean sharing the same starting point or pursuing the same solutions, whether generally or specifically. Beneath the often-identical wording and policy ideas, the differences between the two parties far outweigh any similarities.

しかし、右翼ポピュリストと社会民主主義者が同じ問題に取り組んでいる(そして見たところ同じようなやり方で)からといって、同じ出発点を共有しているとか一般的であれ特殊的であれ同じ解決策を追求しているということを意味しない。しばしば同一視される用語法と政策理念の下に、二つの政党の違いは共通性よりも遥かに大きい。

と、このあとむしろこの「同盟」の問題点を縷々指摘していくのですが、とはいえやはり衝撃的なのはむしろ、かくも多くの政策論点で、社会民主主義と右翼ポピュリズムが一致してしまうという事態そのものでしょう。

日本の妙な「りふれは」なんかに比べたら、百万倍ソーシャルなんですね。ヨーロッパの右翼ポピュリズムは。

2017年3月 1日 (水)

『先生、貧困ってなんですか?』

02031809_589448e27ab1e認定NPO法人自立生活サポートセンター・もやい『先生、貧困ってなんですか?--日本の貧困問題レクチャーブック』(合同出版)を、もやい理事長の大西連さんよりお送りいただきました。ありがとうございます。

http://www.godo-shuppan.co.jp/products/detail.php?product_id=540

この本、表紙の柏木ハルコさんのイラストがあまりにも印象的で、思わず何の本か忘れてしまいそうになりますが、もちろん「貧困」問題を基本から解説しているレクチャーブックです。

「『ホームレス』ってこわい人?
「生活保護をもらうなんて、なまけているだけじゃないの?」
「高齢者や子どもの貧困が深刻って聞くけど、なにがどう問題なの?」

日本の貧困について12の切り口からわかりやすく解説。
学校の先生、NPO・NGOスタッフ、自治体関係者必携テキスト!

各章ごとに、説明のあとに書き込み式のワークブックがついていて、これにいろいろな考えながら書き込んでいくうちに、自ずから貧困についての見識が身についていくという仕掛けです。

はじめに
INTRODUCTION 貧困は遠い世界のはなし?
CHAPTER 01 貧困ってなんだろう?
CHAPTER 02 貧困の今むかし
CHAPTER 03 がんばって働けばなんとかなる?
CHAPTER 04 どうしてホームレスになるの?
CHAPTER 05 社会保障ってなに?
CHAPTER 06 生活保護ってどんな制度?
CHAPTER 07 生活保護って不正受給も多いんでしょ?
CHAPTER 08 女性やマイノリティは貧困におちいりやすいの?
CHAPTER 09 子どもの貧困ってなに?
CHAPTER 10 拡大する高齢者の貧困
CHAPTER 11 病気や障がいをもつ人と貧困
CHAPTER 12 私たちにできること
あとがき

国際自動車事件最高裁逆転判決?

本日(いや正確にはもう昨日)、最高裁判所が例の国際自動車(残業代)事件で、高裁判決を破棄差し戻ししたようです。

http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/544/086544_hanrei.pdf

(1)ア 労働基準法37条は,時間外,休日及び深夜の割増賃金の支払義務を定めているところ,割増賃金の算定方法は,同条並びに政令及び厚生労働省令(以下,これらの規定を「労働基準法37条等」という。)に具体的に定められている。もっとも,同条は,労働基準法37条等に定められた方法により算定された額を下回らない額の割増賃金を支払うことを義務付けるにとどまり,使用者に対し,労働契約における割増賃金の定めを労働基準法37条等に定められた算定方法と同一のものとし,これに基づいて割増賃金を支払うことを義務付けるものとは解されない。

そして、高知県観光事件とテックジャパン事件の最高裁判決を引いて、「労働契約における賃金の定めにつき,それが通常の労働時間の賃金に当たる部分と同条の定める割増賃金に当たる部分とに判別することができるか否かを検討した上で,そのような判別をすることができる場合に,割増賃金として支払われた金額が,通常の労働時間の賃金に相当する部分の金額を基礎として,労働基準法37条等に定められた方法により算定した割増賃金の額を下回らないか否かを検討すべき」としつつ、

他方において,労働基準法37条は,労働契約における通常の労働時間の賃金をどのように定めるかについて特に規定をしていないことに鑑みると,労働契約において売上高等の一定割合に相当する金額から同条に定める割増賃金に相当する額を控除したものを通常の労働時間の賃金とする旨が定められていた場合に,当該定めに基づく割増賃金の支払が同条の定める割増賃金の支払といえるか否かは問題となり得るものの,当該定めが当然に同条の趣旨に反するものとして公序良俗に反し,無効であると解することはできないというべきである。

と述べて、原審の判断を「割増賃金に関する法令の解釈適用を誤った結果,上記の点について審理を尽くさなかった違法があるといわざるを得ない」と否定しました。

これから法律学者や弁護士がいっぱい論評すると思いますが、とりあえず、高裁のこの仕組み自体がおかしいという議論を否定し、その仕組みによって結果として支払われた金額が法律の最低限をクリアしているかどうかをよく調べろ、とつきかえしたということのようです。

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