坂本治也編『市民社会論 』
坂本治也編『市民社会論 理論と実証の最前線』(法律文化社)を、執筆者のひとりである仁平典宏さんよりお送りいただきました。ありがとうございます。
http://www.hou-bun.com/cgi-bin/search/detail.cgi?c=ISBN978-4-589-03813-5
「市民社会」といっても、近代思想史で出てくるヘーゲル風のビュルガーリッヒ・ゲゼルシャフトじゃなくって、今日風のシビル・ソサエティです。
市民社会の実態と機能を体系的に学ぶ概説入門書。第一線の研究者たちが各章で①分析視角の重要性、②理論・学説の展開、③日本の現状、④今後の課題の4点をふまえて執筆。3部16章構成で理論と実証の最前線を解説。
どなたがどの章を執筆されているかは、下記にコピペしておきます。
第1章 市民社会論の現在―なぜ市民社会が重要なのか―(坂本治也)
第I部 市民社会の理論枠組
第2章 熟議民主主義論―熟議の場としての市民社会―(田村哲樹)
第3章 社会運動論―国家に対抗する市民社会―(山本英弘)
第4章 非営利組織経営論―経営管理と戦略の重要性―(吉田忠彦)
第5章 利益団体論―市民社会の政治的側面―(丹羽功)
第6章 ソーシャル・キャピタル論―ネットワーク・信頼・協力の重要性―(藤田俊介)
第II部 市民社会を左右する諸要因
第7章 ボランティアと寄付―市民社会を支える資源―(桜井政成)
第8章 政治文化としての価値観―政治と市民社会をつなぐもの―(善教将大)
第9章 協 働―官民関係は何を生み出すのか―(小田切康彦)
第10章 政治変容―新自由主義と市民社会―(仁平典宏)
第11章 法制度―市民社会に対する規定力とその変容―(岡本仁宏)
第12章 宗 教―市民社会における存在感と宗教法人制度―(岡本仁宏)
第III部 市民社会の帰結
第13章 ローカル・ガバナンス―地域コミュニティと行政―(森裕亮)
第14章 国際社会における市民社会組織―世界政府なき統治の最前線―(足立研幾)
第15章 公共サービスと市民社会―準市場を中心に―(後房雄)
第16章 排外主義の台頭―市民社会の負の側面―(樋口直人)
まさに幅広くシビル・ソサエティをめぐる諸問題を解説している手ごろな本になっていると思います。
個人的には、先月上梓した『EUの労働法政策』における一つのややアンビバレントなトピックが、「ソーシャルからシビルへ」であったこともあり、利益団体とアドボカシー団体をどう考えるのかというのが、読み進めながら常に脳裏にありました。
とりわけ、高度成長期以後の日本のリベラルな左派に強く見られた、脱物質主義的な価値観を掲げて高邁な理想の実現のために奮闘するアドボカシー団体を褒め称え、返す刀で自分たちの利益の実現のために活動する農協や医師会などの諸団体を利権だ、既得権だと貶しつけてきた、その挙げ句の果てが、もっとも成功したアドボカシー型市民社会団体たる日本会議の大成功と、物質主義的な労働組合に対する非難の大合唱なのであってみれば、心の底から市民社会日本おめでとうと言いたくもなります。
本書の良いところはそういう所にもちゃんと目配りがされていることで、第5章「利益団体論」にはこのような一節がちゃんと書かれています。
・・・上のような考えとは別に、日本の市民社会論の歴史の中では、高度成長期に登場した都市問題・環境問題などの解決を目指す「市民団体」がプラスの価値を与えられると同時に、政権党や官僚制と結びついて経済的な利益を求める団体が「圧力団体」としてマイナスの価値を付与されたという事情もある。このような考え方は現在でも存在し、市民社会とは多数の利益・公共の利益に関わるものであり、私的利益を追求する利益団体はそこに含まれないという、価値判断を伴った区分につながっている。
こうした区分ができるほど団体の世界は単純ではない。・・・
これが決して日本だけの話でないことは、最後の第16章「排外主義の台頭」が「市民社会の負の側面」という副題で描き出しているとおりです。同章は、日本の事例としてはネトウヨや在特会を取り上げていますが、市民社会団体としては粗雑で落第気味のそんなものよりも、本書で描かれているアドボカシー集団としても恐らくもっとも質が高い日本会議をこそ取り上げた方が、じわじわとした問題意識を醸し出せたのではないか、と感じました。
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コメント
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濱口さんへ
「心の底からおめでとう市民日本社会おめでとう」
同意です。
文末の”「日本会議」をこそを取り上げる”(カッコしてほしかったです)は、ご紹介の書を読まずして申し訳ありませんが、文末からはカッコの組織を通じてとしても、過去から今、その後の日本の「国体」歴そのものをまずは知るべきとそらんじておられるのかと感じますが、わたくしのそもそものそれへの感性とは違うと推察いたしますのでこれ以上は申し上げません。
さて、とはいいましても、その真の解なくして日本にも至る(経済行動にて当然ながら導入された)混乱中の社会制度諸制度の解に尽力される方々のお心が限りなく真摯であろうともその議論と議決、そしてその社会現象との相違は、民主主義システムを堅持せざろうえない限り、絵空事となろうという苦渋の結末の繰り返しに、わたくしのようなバカなりにも思われてなりません。
以前、わたくしのバカコメントにて申し上げさせていただきましたが、事実と真実は、物証と抽象と等しく、たとえばN極とN
極の、あるいはS極とS極の関係と相似関係と考えております。
その「矩」を越える可能性が、自然科学ではなく、社会科学のポテンシャルであろうと、本ブログを嗜好している所以です。
濱口さんには、いつも失礼な物言いで申し訳ありません。
投稿: kohchan | 2017年2月 7日 (火) 18時50分