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2017年2月14日 (火)

中澤篤史『そろそろ、部活のこれからを話しませんか 』

279130中澤篤史さんの『そろそろ、部活のこれからを話しませんか』(大月書店)をお送りいただきました。

http://www.otsukishoten.co.jp/book/b279130.html

教師の過酷な勤務実態、体罰・暴言問題等により、部活への関心が高まっている。日本独自の文化である部活は、そもそもどうして生まれたのか。いま何が問題で、これからどうすべきなのか。部活研究の第一人者がやさしく解説。

恐らく、私には「教師の過酷な勤務実態」との関連で送られてきたのだと思うのですが、戦前、戦中、戦後と日本独特の部活文化が形成されてくる過程を詳しく説明した本書は、大変面白いものでした。

ある意味で言うと、日本の学校のあり方と会社のあり方というのはよく対応していて、日本の部活というのは学校という共同体のメンバーとして生徒も教師も一体となって取り組む活動になっているのだと感じました。

学業成績が悪い生徒に部活を禁止したりする一方で少数エリートの競技活動が活発なアメリカは、そういう意味では典型的なジョブ型かも。

本書の歴史叙述で一番面白い、というか皮肉を感じたのは、1970年代から80年代に文部省が設けた必修クラブ活動と部活の関係です。

「自主的」な部活とは別に作られた、課内活動としての「必修クラブ活動」に対し、当時の日教組は猛烈に反対したそうです。

曰く、「必修クラブ活動は、生徒全員を強制的にクラブへ加入させることになり、生徒の自主性を大切にできなくなる」「必修クラブ活動を強引に実施することになれば、教師の自主性を大切にできなくなる」と。

一方で、生徒と教師の自主性を大切にし、民主主義教育を進める上では、部活が良い、確かに部活は教師の負担が大きいが、それでもやはり大切だ、そんな部活を、平等に、生徒全員に与えることが、教師の使命なのかも知れない、と日教組は考えたそうです。

今から振り返ると、何という皮肉でしょうか。

苛酷な「勤務」を強いられるブラック部活を糾弾してやまない今日の教師たちにとって、大先輩たちのこの「自主性」「平等」「民主主義」への素朴な信仰は、何とも皮肉に映ることでしょう。

でも視野を少し広げてみれば、「自主性」「平等」「民主主義」に充ち満ちた日本型雇用と極めて相似的な動きを示してきたと言えるのかも知れません。

部活それ自体に関心のある人にとって有用な本であるだけではなく、広く日本の教育、いやむしろ学校問題に関心のある人にとって興味深い本であるにとどまらず、それ以外の社会のありようについてあれこれ考えている人にとっても、たとえば雇用労働問題について何かヒントになるトピックはないかなと思っている人にとっても、いろんな刺激を与えてくれる本だと思います。

第1章 なぜ部活は成立しているのか
第2章 部活はいつ始まったのか
第3章 なぜ部活は拡大したのか
第4章 いま部活はどうなっているのか
第5章 部活の政策は何をしてきたのか
第6章 生徒の生命を守れるか――死亡事故と体罰・暴力
第7章 教師の生活を守れるか――苛酷な勤務状況
第8章 生徒は部活にどう向き合っているか
第9章 部活の未来をどうデザインするか
コラム多数

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