「日本死ね」の一源泉
去る2月9日にこういう判決があったようです。
http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/519/086519_hanrei.pdf
(神戸地方裁判所平成29年2月9日)
第2 事案の概要
本件は,被告が平成18年4月1日に開園した本件保育園の近隣に居住する原告が,本件保育園の園児が園庭で遊ぶ際に発する声等の騒音が受忍限度を超えており,日常生活に支障を来し,精神的被害を被っていると主張し,不法行為による損害賠償請求権に基づき,一部請求として,慰謝料100万円及びこれに対する不法行為以降の日である平成23年7月1日から支払済みまで民法所定の年5分の割合の遅延損害金の支払を求めるとともに,人格権に基づき,本件保育園の敷地北側境界線(以下「本件境界線」という。)上において本件保育園からの騒音が50dB(LA5)以下となるような防音設備の設置を求める事案である。
日本死ねという言葉が飛び出してくるほど保育所が少ない理由の一つとして、近隣住民が反対するからだというのはよくいわれていますが、その近隣住民が保育所のガキどもがうるさいといって裁判に訴えた事案のようです。
結論をいうと原告の請求を棄却しているんですが、でも保育所のガキどもがやかましいという気持ちは分かるよといってもいます。とりわけ、
・・・さらに,本件保育園は,神戸市における保育需要に対する不足を補うために被告が神戸市から要請を受けて設置・運営したという経緯からすれば,本件保育園は,神戸市における児童福祉施策の向上に寄与してきたという点で公益性・公共性が認められるものの,本件保育園に通う園児を持たない原告を含む近隣住民にとってみれば,直接その恩恵を享受しているものではなく,本件保育園の開設によって原告が得る利益とこれによって生じる騒音被害との間には相関関係を見出しがたく,損害賠償請求ないし防音設備の設置請求の局面で本件保育園が一般的に有する公益性・公共性を殊更重視して,受忍限度の程度を緩やかに設定することはできないというべきである。
と、保育所なんか作られても一文の得にもならない人間は、保育所にガキを預けないと日本が死んでしまうような人のために、他人のガキの騒音を我慢する理由はない、とまで同情しています。
まあ結論は、何デシベルがどうとかこうとかいろいろと言った上で、
・・・以上の事情を考慮すると,原告が本件保育園からの騒音により精神的・心理的不快を被っていることはうかがえるものの,原告宅で測定される本件保育園の園庭で遊戯する園児の声等の騒音レベルが,未だ社会生活上受忍すべき限度を超えているものとは認められず,不法行為を基礎づける程度の違法があるということはできない。
といって棄却しているんですが、判決をざっと読んだ素直な感想はむしろ、そうか保育所の公益性はその程度のものか、というものでした。
« 公益通報者保護法の改正へ@『労基旬報』2017年2月25日号 | トップページ | 石田眞・浅倉むつ子・上西充子『大学生のためのアルバイト・就活トラブルQ&A』 »
« 公益通報者保護法の改正へ@『労基旬報』2017年2月25日号 | トップページ | 石田眞・浅倉むつ子・上西充子『大学生のためのアルバイト・就活トラブルQ&A』 »
コメント