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2017年1月 4日 (水)

そんなに「近代」が嫌いなら・・・

8134f1c9_s今朝の朝日の1面左側のでかい記事に、例の『日本会議』の菅野完さんが噛み付いていますが、これは完全に同意。

http://www.asahi.com/articles/ASJDY5DR2JDYULZU005.html(経済成長は永遠なのか 「この200年、むしろ例外」)

https://twitter.com/noiehoie/status/816430449266343936

しかし今日の朝日は酷いな。購読辞めたろかなと思うほど酷い。・・・「経済成長はえいえんなのか?」とかいう記事は酷すぎる。「朝日的なものが経済成長に懐疑的であること」の社会的罪悪を完全に理解してない。最低だよこれ。

https://twitter.com/noiehoie/status/816430986594422785

朝日の論説委員・原真人氏の記事らしいのだが、「経済成長してないとはいえない」として挙げられる事例が、「ミシュランの三つ星が増え、宅急便で遠隔地の生鮮食品が手に入り、温水便座トイレが普及」とか、ポエムになっとる。こんなこと言ってるからダメなんだよ

https://twitter.com/noiehoie/status/816432253496459264

「経済成長は、弱者救済の最低条件」と言い切れない連中は、目を噛んで死ねばいいと思う

https://twitter.com/noiehoie/status/816495245386924032

今朝の朝日の記事に腹立ててる人多いなやっぱり。「朝日が経済成長に懐疑的になる」ことは、社会的な害悪なのよ。怖いぐらいの罪。

https://twitter.com/noiehoie/status/816496731386806272

「経済成長してるこの二百年がむしろ例外なのだ」と朝日はいう。当たり前だ。その二百年こそが、近代であり、資本主義であり、産業革命の結果なんだから。なにをいうとるのか。朝日の記者は、義務教育の間、なにを勉強してたんだ?

https://twitter.com/noiehoie/status/816497107238416384

そりゃね、「近代なるものを懐疑的に検証する」って行為は必要でしょう。しかしそれは新聞のやる仕事でもないし、ましてや論説でやる仕事じゃない。馬鹿なんではないかな、あれ書いた論説委員も通した編集も。

https://twitter.com/noiehoie/status/816498469791633408

つまり朝日は「近代なる概念は人類の歴史の例外なのだ」というとるわけ。当然の話として、「ほななにかえ?お前は、近代以前に戻れというとるのかえ?」なり「なるほど。亜近代を目指せと。つまりファシズム?」って嫌味は言いたくなるわな。本当になんだあのクソ論説は。

https://twitter.com/noiehoie/status/816504115312234496

朝日の使命というか、社会的に求められる期待というか、役割は、「低成長をみんなで受け入れよう」と呼びかけることではなく、「賃金上げろ!労働環境改善しろ!」と訴えることだろう。そして、賃上げ、労働環境改善、財政出動こそが、成長に繋がるんだ。他の国にできて、日本にできんことないだろう。

ある種のリベラルな左派の議論に定期的に出現するこの手の思想ほど、始末に負えないものはない、というのが私の感想。

本ブログでも、(申し訳ないけれど)連合総研の機関誌の特集をつかまえて、こう批判させていただいたこともある。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-1e75.html(労働組合は成長を拒否できるのか?)

・・・正直言って、労働者の労働者としての利益を追い求めるために存在するはずの労働組合のシンクタンクが、こういう(あえてきつい言い方をしますが)腹ふくれ満ち足りたブルジョワの息子の手すさびみたいな議論をもてあそんでいて良いのでしょうか、という根本的な疑問が湧いてくるのを禁じ得ません。特に最初の二つ。

心のビッグバンだの、精神革命だの、いやそういう議論がそれなりの場でなされるのは大いに結構だし、そういうのが大好きな人々がいることもわかる。でもね、それって、日本の労働組合のナショナルセンターのシンクタンクの機関誌でやるべき事なんだろうか。

本当に今の日本の労働者、とりわけ労働組合に組織されることもなく使用者の私的権力にさらされて、低い労働条件を何とかしたいと思っている労働者に呼びかける言葉が、「希望としての定常型社会」なんですか。

そして、見果てぬ夢を夢見る夢想家ではない現場で何とか生きていこうとしている労働者たちに送る処方箋が「金利と利潤のない経済の構想」なんですか。

壮大な議論は私も嫌いじゃないし、リアルな議論とつなげる道もないわけじゃないと思う。でもね、これじゃ接ぎ穂がなさすぎる。

何というか、そのあまりの落差に言葉を一瞬失う感が半端ないのですが。

菅野さんは「ポエム」で片付けていますが、も少しきつく言えば「腹ふくれ満ち足りたブルジョワの息子の手すさびみたいな議論」であり、マリー・アントワネットもびっくりという奴です。

もっとも、一言だけ付け加えさせていただくと、日本の「左派」が世界の常識に反してやたらに成長を敵視するには、それなりの日本独特の文脈から来る理由があるのだという説明も本ブログで併せてしていますので、興味があればついでにお読み頂ければ幸いです。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2013/02/post-8159.html(何で日本の左派なひとは「成長」が嫌いか)

ジョブ型社会では、経済成長すると、「ジョブ」が増える。「ジョブ」が増えると、その「ジョブ」につける人が増える。失業者は減る。一方で、景気がいいからといって、「ジョブ」の中身は変わらない。残業や休日出勤じゃなく、どんどん人を増やして対応するんだから、働く側にとってはいいことだけで、悪いことじゃない。

だから、本ブログでも百万回繰り返してきたように、欧米では成長は左派、社民派、労働運動の側の旗印。

メンバーシップ型社会では、景気が良くなっても「作業」は増えるけれど、「ジョブ」は増えるとは限らない。とりわけ非正規は増やすけれど、正社員は増やすよりも残業で対応する傾向が強いので、働く側にとってはいいこととばかりは限らない。

とりわけ雇用さえあればどんなに劣悪でもいいという人じゃなく、労働条件に関心を持つ人であればあるほど、成長に飛びつかなくなる。

も一つ、エコノミック系の頭の人は「成長」といえば経済成長以外の概念は頭の中に全くないけれど、日本の職場の現実では、「成長」って言葉は、「もっと成長するために仕事を頑張るんだ!!!」というハードワーク推奨の文脈で使われることが圧倒的に多い。それが特に昨今はブラックな職場でやりがい搾取するために使われる。そういう社会学的現実が見えない経済学教科書頭で「成長」を振り回すと、そいつはブラック企業の回し者に見えるんだろうね。

まあ、要すれば文脈と意味内容のずれによるものではあるんだが、とりわけ経済学頭の人にそのずれを認識する回路がないのが一番痛いのかもしれない

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/post-b066.html(決まってるじゃないか。自分の成長のためだよ!)

「1日の平均勤務時間は16時間くらいでしたね。サービス残業はあたりまえで、泊まりもありました。みんなけっこう自分から長時間労働をしているので、おかしいなと思い、『どうしてこんなに働くんですか』って聞いたことがあるんです。そうしたら『決まってるじゃないか。自分の成長のためだよ!』と……。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2014/08/post-5698.html((「成長」をハードワークの同義語として擁護/反発する人々)

本ブログでも何回も指摘しているのですが、なまじまじめに経済学を勉強してしまったありすさんは、世間一般で、とりわけブラックな職場で人をハードワークに追い込むマジックワードとして用いられる「成長」という言葉が、厳密に経済学的な意味における「成長」とは全然違うことにいらだっているわけです。

でもね、その「成長」への反発は、そういう「成長」を振りかざす人々がいるからその自然な反作用として生じているのである以上、お前の用語法は経済学における正しい「成長」概念と違う、といってみても、なかなか通じきれないわけです。

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コメント

こういう記事にまとも(?)に反応するのがhamachan さんが全うであることの良い例だと思います。普通スルーすると思います。
それで、これは禁句かもしれませんが、だいたいこういう反近代というトンデモな主張が、いくら腐って(もはや誰も認めていませんが)もエスタブリッシュメント(これまた最近は批判しかされてませんが。でもあると思うんですけどね。アメリカならワシントンポスト、イギリスならガーディアン、フランスならルモンド、イスラエルならハーレツ)な新聞に登場すること自体が、その国なり社会なりの後進性を表しているのではないかと。。いや、こういう批判自体が既に後進的で非生産的とは思いますが。。
そして、私的にはまたまた目を開かされました。「まともな」左派というのが存在し得るということに気が付かされたからです。
まだまだ勉強が足りないことを実感させてもらいました。何はともあれ、まだまだ頑張らなければと勝手に気合いを入れて頂いた文章でした。ありがとうございました。

>ある種のリベラルな左派の議論に定期的に出現するこの手の思想ほど、始末に負えないものはない、というのが私の感想。

僕は真正リベラルで生粋の近代主義者ですが
成長することに反対してるんじゃないんですよ。

ある種の国家社会主義者(大きな政府偏愛者・行政機関官僚信奉者)の成長とやらの方法が、「国民からカネ搾り取って配って統制経済にすれば成長するじゃん!!」という根拠のない万能感から出ている妄想だから懐疑しているだけです。

近代自由主義って個人の自立とか財産権とか重視するから財政バラマキ政策や政府主導成長妄想とは逆だろ…


>日本の「左派」が世界の常識に反してやたらに成長を敵視する
成長敵視じゃなくて、その方法がダメだから否定されているの。

濱口さんらは大きな政府=正義、財政政策=正義と勘違いされているのかもしれませんがそれは手段の一つであって「左翼」の目的ではありません。
社会主義にしろ社民主義にしろ格差の是正が目的ですから、大きな政府や財政政策のせいで格差ができるなら容赦なく切り捨てるのが「まともな左翼」です。

よって「まともな左翼」は「大きな政府だから」というくだらん理由で天下り官僚貴族や電力貴族や談合を擁護するはずがないんですよ。
「財政政策による格差」を「市場による格差」と等しく批判できない菅野完は左翼としても3流なんですね。反省してください。

あのね、阿波さんの独自の見解を縷々述べられるのは、御自分のブログなり何なりでやられる分にはご自由ですが、
この今朝の朝日新聞の記事を批判しているエントリのコメント欄で延々とそれをやると、あたかも上記記事を書いた原雅人論説委員の意見に賛成して延々と書き込んでいるように見えます。しかしよく読むと、全然そうではないのですね。

上記コメントをじっくりと読む限り、そういう趣旨ではなさそう、というより、はっきり言って本エントリの主題である「経済成長は永遠なのか 「この200年、むしろ例外」という発想への批判については特段関係のない、御自分のソーシャルな発想への敵意を書き込みたいというだけのように見えますが、だとすると、他の読者の皆さんにとっては大変紛らわしく、本ブログで阿波さんをめぐっていつも起こることですが、全然話がすれ違ったままでのわけわかめな議論まがいのやりとりが続くだけになるように思われます。

本気で申し上げますが、そろそろ御自分のブログなり何なりを立ち上げて、自分のいいたいことをストレートに書かれるようにした方が良いのではないですか。

少なくとも他人のブログのあまり関係なさそうなエントリのコメント欄を自分の独自の意見開陳の場として活用するというのは、あまり適切なやり方であるとは言いがたいように思われます。

私は意見の多様性は確保したいと思っていますが、あまりにも当該エントリのコンテキストを無視してただただ自分の言いたかったことだけをところ構わず書き込むというやり方を寛恕するかどうかはまた別のことです。

日頃はhamachanブログで同意のことが多いのですが、この件に関して、朝日の記事がそれほど非難されるのが私にはよく分かりません。

事実として、2000年以後の一人当たり実質GDP成長率は日本でもアメリカでも平均して1%程度でしかありません。これはたしかにゼロ成長ではないが、これをゼロ成長といっても形容としておかしいとも思いません。

経済成長率というものは、初期には高く、だんだん下がっていくものだ、というのは、当然の認識ではないでしょうか。ただ、その収束先が0%か1%なのか2%なのかの問題でしかない。

しかし、事実認識の問題として、現に1%程度でしかなく、これから人口成長率がマイナスの時代を迎えるとするならば、経済全体での実質成長率が0%付近という現実を踏まえて、それを所与として社会や経済が回るようにしないといけない、ということです。

それは別に賃上げが不要といっているのではありません。むしろ、そういう経済全体のパイの拡大が望めない時代だからこそ、「階級闘争」ではないが、格差是正のために増税&再分配が必要だし、ゼロ成長を1%成長なり2%成長にするためにもそれが必要だ、と考えます。

現にリフレ政策が実施中の現在でも、ゼロ成長に近いのだから、リフレ派が反成長論批判を語っても説得力「ゼロ」です。雇用が改善していること、最低賃金の引き上げ、賃上げ要請などは評価しますが。

しかし近年、ここまであらゆる方向からボッコボコにされる論説も珍しいですね。よくこれを掲載しようと考えたもんです(感嘆

『「成長」って言葉は、「もっと成長するために仕事を頑張るんだ!!!」というハードワーク推奨の文脈で使われることが圧倒的に多い』

という意見には同意できない。少なくとも、『ブルジョワの息子の手すさびみたいな議論』に関する議論の場においては、それはいちいち持ち出してくる必要もなければ議論の見通しを悪くする以上の意味もない。

というのも、この手の議論はまさに今回の朝日論説のように、「くたばれGNP(GDP)」の考え方(それを踏まえた「物的にはもう十分豊かだぞ観」)が下敷きにあることがたいていだから。そしてGDPを採り上げて議論している以上、それは『厳密に経済学的な意味における「成長」』そのものへの反発から起きているものであって、同じ成長という言葉が別の場面で嫌いな意味で使われることが反発心を生んでいるというものではない。

りょうさん
>現にリフレ政策が実施中の現在でも、ゼロ成長に近いのだから、リフレ派が反成長論批判を語っても説得力「ゼロ」です。

速報値では精度の悪すぎる家計調査を使ってGDPを算出しているのでゼロ成長に近かったですが、より正確なデータを使える確報ではゼロ成長とはかなり見栄えが異なる結果になっています。

そしてそういったテクニカルな問題以上に、人口が減る中で国全体ではゼロ成長に近くても、それをより少ない人々で分け合えるようになっているので一人の取り分は増えています。つまり、人一人が生産する付加価値の量も、それによって一人ひとりが消費できる量も成長しているわけです。これが成長の成果であって、もし成長論批判を受けいれ皆が現状維持を是とすれば、国全体ではゼロ成長近辺どころかマイナス成長になるでしょう。そんな世界を是としないリフレ派が反成長論批判をするのは実にリーズナブルで説得的なことです。

私も成長必要論者ではありますが、「りょう」さんと概ね同じ「経済全体での実質成長率が0%付近という現実を踏まえて、それを所与として社会や経済が回るようにしないといけない」という認識です。それはそもそも経済成長と矛盾しないと思いますし、脱成長論の中には「完全雇用」を掲げるタイプのものもあります。

そもそも脱成長論は、①文明論的なもの、②政策論的なもののほかに、③過疎地や限界集落における実践論があります。①や②に空疎な議論が多いのは確かですが、少なくとも③に関してはそれなりにアクチュアルな議論だと考えています。「脱成長」で食わず嫌いする前に、もう少し中身を丁寧に読んでほしいとは思います。朝日新聞の記事に私が賛成できないのは、「脱成長」だからというより、文明論を入り口にして個別の政策論を評価しているからです。

しかし年長世代のリベラル派や左派が、目の前の労働や貧困の問題に真摯に向き合うことに消極的で、「脱成長」という大きな話ばかりに飛びつきたがる傾向(ゆえに「脱原発」ばかり熱心になる)は確実にあって、それこそ私がお世話になってきた方たちにもいたりして、それに付き合わされることもあるので非常に頭の痛いところです。年長世代の文系左派の脱成長論支持は、例外がないと言っていいくらいですが、あれは何なんだろうと常々思っています。

年長世代のリベラル派や左派が、目の前の労働や貧困の問題に真摯に向き合うことに消極的で、「脱成長」という大きな話ばかりに飛びつきたがる傾向(ゆえに「脱原発」ばかり熱心になる)は確実にあって、それこそ私がお世話になってきた方たちにもいたりして、それに付き合わされることもあるので非常に頭の痛いところです。年長世代の文系左派の脱成長論支持は、例外がないと言っていいくらいですが、あれは何なんだろうと常々思っています。

私は、成長に反対していたり成長を諦めたりしている限り、左派に明日はないと思いますし、安倍内閣を倒すこともないと思っています。

うーん。非正規雇用の増大、ワーキングプアの増大を考えると低成長は避けるべきでしょう(本当は正規とか非正規とかどうでも良い区別だと思いますが)。なぜなら生活して子育てするためのお金が減りますもん。しかも今の現象は消費と生産が拡大しているというより金融的な資産の拡大による成長ですから、本当の低成長になればますます中流層が没落します。するとますます格差が拡大します。
反成長、もしくは成長が無理だと思う人は社会主義の失敗とその原因についてもっと関心を持った方が良いと思います。その原因は、無論市場競争の欠如にありますが、その結果としての低成長、そして「生産力」の低さにありました。経済成長で西側に負け、低すぎる低成長が社会に、特に底辺に過酷な抑圧をもたらし、乳幼児の死亡率を上げました。エマニュエルトッドが分析した通りです。北朝鮮を見れば低成長が如何なる結果をもたらすか分かるでしょう。左翼が、相対的な平等に拘る限り、それは観念的なお遊びにしか過ぎません。低成長、生産力の低さが社会的弱者を増大させ、かつ悲惨さを増すことは我が国の歴史を振り返っても明らかです。そして極端な平等主義が全体の貧困飢餓抑圧を産み出すことは大躍進とポル・ポトを見れば…。
低成長こそ労働者人民の敵!高成長こそ労働者人民の味方!くらい言わないとダメでしょ。
あと、格差の縮小は、本来的にはやはり、労働組合の出番で、産業民主主義と絡めないと、どなたではないですがファシズム的になると思います。なので格差の縮小が一番地道で時間のかかるところだと思います。
しかし!一番大切なことは、問題を解決する方向性を向くことで、そのためには高成長、好景気が必要です。

いち社会的左派さんへ
>>脱成長論は、①文明論的なもの、②政策論的なもののほかに、③過疎地や限界集落における実践論があります。少なくとも③に関してはそれなりにアクチュアルな議論だと考えています。

個人的に何千何万にもなる過疎地や限界集落の上下水道、ごみ収集処理、道路整備、などを今後維持することは不可能だと思います。例えば過疎地の小学校の一部は大規模に統廃合されスクールバス完備になったりしています。今後は過疎地自体の統廃合が避けて通れないと思います。今なんとかなっているのはこれまでのインフラや法制度があるからで、今後はそれも難しくなると思います。つまり、これまでの成長があったからこそ何とか今の形で維持出来たわけで、それを考えると過疎地や限界集落の実践を低成長肯定の例に出すのは難しいと考えます。

もう一点、

『「成長」って言葉は、「もっと成長するために仕事を頑張るんだ!!!」というハードワーク推奨の文脈で使われることが圧倒的に多い』

という意見がここで持ち出されることに同意できない理由。実際のところ、本当に人間的な意味で成長したのなら、それは(今のGDPで捉えきれるかどうかは別として)経済活動、付加価値生産にも反映されるので悪いものではない。この手の発言の問題は、あらゆる意味において成長には繋がっていないというところにあるのであって、成長不要論とは毛色が異なるもの。

>低成長こそ労働者人民の敵!高成長こそ労働者人民の味方!くらい言わないとダメでしょ。


高成長によって自ずと全てが解決する、と言われているようで嫌なんですよね。というかある種のリフレ派は実際言ってますし。

高成長になったとしても、不公平を糺すための行動を起こさなければ、生活の改善ということにならないですし、成長率に関わらず(よほど空想的な成長率でもないかぎり)高齢化による税負担増を行わなければなりませんし、機会の公平や法の下の平等、貧困是正以外にも、中高所得層含めて基礎的な(市場ではできない)必要を満たすことや、環境負荷を削減することなどが必要です。

つまり、高成長があったとしても、それだけではダメで、すべきことがたくさんあるということです。それを無視して、「高成長なら全部解決!」という議論に妥協することは、庶民・中間層の生活レベルの向上に裨益しません。

また、りょうさんが言われるように、(成長が望ましいとしても)時代が下るにつれて高成長の余地がますます難しくなっていることを理解する必要があります。これはデータとしても事実ですし、感覚的にも「無限に豊かになる」ということはちょっと想像し難いです。例えば、オリンピックの金メダリストといった高レベルの競技者が「さらなる飛躍」をすることが難しくなるのと同様、豊かさを得てしまった社会がそれ以上の豊かさを得ることは、より困難になると考えられます。

さらに社会主義が崩壊し、社会主義的なるもの(統制経済・経済的平等)が否定されて以来、「では成長をもたらす適切な体制とは何なのか」が分からないという状態です。身も蓋も無いですが、「市場経済の中で頑張れ。それで成長するかしないかは分からないけど」というしかありません。

「成長を否定するのは労働者の敵。とにかく経済成長しろ。方法は知らんがな」では無責任です。

富裕になるほど成長が難しくなっているのは事実なので、成長諦め論或いは成長しない前提の議論にたいして、「とにかく成長しろ!成長するに違いない!そう言わない奴は労働者の敵!」という(おもに保守左派からなの)反論はおかしいですよ。

実際にマイナス成長とかゼロ成長とかありますし、それでも別に飢饉になったり経済破綻したりしていない。(個別事例では貧困者は居ますがあくまで国としてみれば殆どの国民がほどほどに生活できている)

希望と事実は分けて考えないと。

・富裕になるにつれて成長率は低下している
・「こうしたら高成長する」という経済政策は確立されていない

「経済成長」とは、単にお金が量的に増える現象であって、それ自体は特に良くもなく悪くもないと思っておりまして。一方、人の場合は「成長」というとき、それ自体が良いことと、とらえられますよね。
経済成長は、お金をうまく回すための手段であるし、また国の債務の割合も減ってみんなが安心するので、そういうことのための手段と思います。

色々な反論ありがとうございます。
>>高成長によって自ずと全てが解決する、と言われているようで嫌なんですよね。

必要条件ではあるというのが主旨です。又、現実的な格差の解決方法は産業(日本の場合は「会社」?)民主主義(運動)と並行した労働組合運動がなければ難しいという主張です。

>>成長率に関わらず高齢化による税負担増を行わなければなりませんし、機会の公平や法の下の平等、貧困是正以外にも、中高所得層含めて基礎的な必要を満たすことや、環境負荷を削減することなどが必要です。

全うですね。異論ありませんが、近代社会がつまるところ市場を基礎にした商品社会である以上、何はともあれお金がなければ話にならないと思います。

>>「高成長なら全部解決!」という議論に妥協することは、庶民・中間層の生活レベルの向上に裨益
しません。

裨益(ひえき)、こんな難しい漢字があるんですね。勉強になります(笑)
。無論、金融部門や、中国のように生産財部門に偏重した成長(投資)ならばそうでしょう(中国には特殊な事情がありますが)。しかし、消費財の生産と消費が拡大するような成長は庶民に裨益(笑)すると考えます。松尾氏なども、安倍政権への批判としてそう述べていると私は解釈しております。

>>さらに社会主義が崩壊し、社会主義的なるもの(統制経済・経済的平等)が否定されて以来、「では成長をもたらす適切な体制とは何なのか」が分からないという状態です。

この辺がポイントのような…。まず、経済成長は目的ではなく手段です。生身の人間の生身の現実がより良くなるための。無論それも条件にしか過ぎないという考えもありますが、成長と好景気を背景に、より人間的な仕事や生活の環境を求めるということです。考えればこれが進歩主義というものかもしれません。
社会主義崩壊(私は昔敗北と形容していましたが)の総括は様々ありますが、まずは既存の社会主義は社会が、そして生身の人間が生活を維持できる生産力を形成できなかったということです。まぁ、悪いのは欲深い人間だ!と思うならば問題解決ですが(反近代思想は少し間違えると反人間主義になると思います)。
そして生身の人間の生身の現実を考えた場合に大切なのが消費財です。そしてそう考えた時、適切な体制は無論社会主義(一党独裁やプロ独)や計画経済ではなく、議会制民主主義であり資本主義です。
じゃあ自民党とどこが違うのか(または大西広さんに代表される?日本共産党の一部分)というと、何を大事にするかの順番です。

追伸
この文章を書いていて、自分の高成長と好景気の違いが不明瞭なことに気がつきました。私の高成長の定義は労働時間当たりの資源獲得量の増加率です。投下労働量から経済成長率を測定する泉弘志氏よりさらに未証明なことは言うまでもありませんが。

>tunaさん

日本でもアメリカでも2000年以後の一人当たり実質GDP成長率は平均で1%程度ですから、今までの確定値でそうなっています。リフレ政策実施後10年でも20年でも変わらないと思ってます。もし、今後10年間でこれが2%とかになれば、私の方が誤っていたことになりますが。

>ありすさん

>「経済成長」とは、単にお金が量的に増える現象であって

それは名目成長のことです。実質で成長しないと、本当の意味で成長したことにはならない。

ただし、実質成長率は0%近くでも、インフレで名目成長率を高くすることは可能だろうし、意味が無いわけでは無い。債権者から債務者への所得再分配にはなっている。

とはいえ、それは「経済全体のパイは変わらず、パイの切り分け方を変えているだけ」であって、リフレ派が批判する「脱成長論者」の主張そのままではなかろうか。

もっとも、私のフォロワーの方がツイートされていたように、実質1%成長でも500年経つと144倍になるので、わずか1%でも長期で見ると大きなものだし、その意味では成長率をわずかコンマ以下数%引き上げる努力も必要なことは確かだが。

日本の GDP が 500 兆円程度とすると、その 1% は 5 兆円。国民1人あたりで 5 万円ですね。5 万円もゼロも変わらないといえるのは、やはりブルジョワかな、と。低所得家庭・母子家庭などからすれば信じられない感覚でしょうね。

貧困の定義で「 1 日 1 ドル以下で生活する人々」というのがありますが、5 万円あれば貧しい人々が 3ヶ月くらいは生活できますね。

というのは皮肉がすぎるかもしれませんが、1% = 1/100 というのは大きい数字です。日本の GDP のようにもとの数が大きい場合は特に。まあ、製図やデザインの経験がある人なら 1cm = 1/100 m は「そこそこ大きい」という感覚ではないかと思いますが。

名目の経済成長が重要だと考えています。
名目が増えないから、企業の内部留保が増え、金持ちが投資にも回さず(回せず)に預貯金で金を死蔵させているのでしょう。
債務を減らせるのも名目の方が増加する場合ですよね。

それにしてもブルジョアで何が悪いのだろう?

言っちゃ悪いけどそうとう無能じゃないかぎりそこそこ食ってける先進国でブルジョアが増えるのは当然ですよね。まして一定の学歴を備えた知識層ならなおさらだ。

相手をブルジョア認定して勝ったつもりになってるなら、どんだけ極左なんだよと思うし、
ブルジョアに負けて悔しいなら、労働者の団結とか大きな政府とかを妄言・狂言レベルにまで貶めた社会主義の先輩方に文句を言うべきだろう。

人の文章は丁寧に読むこと。自分の頭の中のイデオロギー構造で勝手に思い込んだ脳内文章を相手に、見当外れの罵言を投げ散らかしても、なんの意味もありませんよ。自分の自慰以外には。
本エントリは、自分で事業をやって利潤を上げているブルジョワ本人については、何も語っていませんよ。阿波さんの脳内にはあるかもしれないけど。
ここで、ポエムな議論をからかうために引っ張り出しているのは、上記エントリを素直に読む人であれば、誰も誤解する余地もないくらい明らかなように、そのブルジョワの親父の金で呑気に生きられているブルジョワの息子であり、だから、腹膨れ満ち足りた、という形容をつけ、手すさびという侮蔑的表現をあえてしているわけです。
そのバカ息子の親父のブルジョワ本人であれば、事業活動で利潤を上げることの大変さを知っているブルジョワ本人であれば、こんなポエムを垂れ流すようなことはないでしょうから。
ま、なんにせよ、当該エントリからかけ離れた脳内議論を垂れ流すまえに、せめて当該エントリをしっかり読むことを心掛けた方がよろしいように思います。

阿波さん

本題からは外れますが、

>「財政政策による格差」を「市場による格差」と等しく批判できない菅野完は左翼としても3流なんですね。反省してください。

菅野氏は左翼ではなく、真正保守を自称しておられます。

>IGさん

たしかに、1%は思っているより大きい、ということでなら同意です。

ただし、成長が重要だ、という反成長論批判者が、1%成長をずっと続けられれば、成長戦略は成功と見ているとは全く思えません。2%、3%成長できると想定しているのでは。

で、私は何度も書いているように、1%成長を前提として分配構造を変えよ、と言っているだけです。1%成長しかできない時代に、もっと高い成長を前提にしないと格差是正できないと主張することは、永遠に格差是正できないと言っているのと同じです。

(ここまで亜リベラル論でAさんが暴れまわり、他の方がやいのやいの言ってhamachan先生が〆るといういつもの流れ)

あけましておめでとうございます。

いまは、民進党の議員秘書をされていると思われる、労働系の方のブログが下記で、いつも非常に興味深く読んております。


戦闘教師「ケン」 激闘永田町編
永田町某所に勤務するケンの日々の感想、回想、感慨などを綴る。

新年の連合会長のあいさつに関して、下記のようなブログを
書かれています。
http://kenuchka.seesaa.net/article/445566895.html

「(前略)
本来の労働運動は「働いた分の賃金をきっちりもらう」「人間らしい生活が保障される」ことを目的としています。1920年、日本初のメーデーが要求したのは「8時間労働制の実施」「失業の防止」「最低賃金の導入」でしたが、実現できているのは「失業者の4人に1人しか受給できない失業手当」と「人間らしい生活に必要な額の半分程度、しかも5人に1人しか受給できない生活保護」でしかありません。

私などが言うまでもありませんが、今日「働いた分の賃金がもらえる」(きちんと残業代が支払われる)、「長時間労働が強要されない」(定時に帰れる)などという職場は、国内に工場が残っている、海外移転を免れた超少数の製造工場くらいなものであり、それすらも期間工、派遣工や外国人労働者に対する過酷な収奪の上に成り立っています。

数字にして言えば、6千万人いる労働者のうちの6百万人しかいない連合が「労働者の代表」と主張している点で、自称「ボリシェビキ」(多数派)なのです。これでは、旧ソ連の官製労組と同じで、労働組合として全く機能しないのは当然でしょう。

社会主義ポーランドで自主管理労組「連帯」が誕生したのは、官製労組が全く機能しなかったからですが、日本の場合、連合組合員の利益はほぼ経営側と一致してしまっているため、「連帯」は「連合の外」につくる必要があります。

つまり、日本の労働運動は1920年に立ち戻り、「賃金と残業代を全額払え」「定時に帰らせろ」「失業手当を100%出せ」から始めるべきなのです。

今年もここから始めますので、よろしくお願いします。」
(以上)

1920年の日本のメーデー≒「近代」に立ち戻るべきというのは、朝日のこの新年論稿について、本来「左派」から批判があるべきところ、それがないということの、現時点の日本のいわゆる「リベラル」(「サヨク」左派?から流れ着いたグループが参入したもの。いわゆる朝日岩波路線でしょうか?)の思想の混迷状況を示しているのかなと思います。

濱崎さんもそこらへんにいらいらされているのかなと忖度いたしました。

>yunusu2011さん

戦闘教師ケンって極左系だと思ってたんですが民進党の秘書やってたんですか


> Executorさん

>菅野氏は左翼ではなく、真正保守を自称しておられます。
菅野さんがそう自称していることは知っていますが、「戦後民主主義的価値を守り、かつ社会民主主義や高福祉を推進し、金持ちを批判」するスタイルまで保守とするなら、何でもありになりますよ。
確かに、「保守が保守する歴史は論者個人が決めて良い」という意見もあります。でもそれに基づくと、旧石器時代も奈良時代も明治時代も昭和でも、「俺の好きな歴史を言っていく」という歴史オタにしかなりません。

国道134号鎌倉殿

>私は、成長に反対していたり成長を諦めたりしている限り、左派に明日はないと思いますし、安倍内閣を倒すこともないと思っています。

以下は左派としての回答ではなく私個人の単なる感想ですが、
高度成長期やバブル期は成長もしましたが弊害もありました。例えば高度成長期は公害がひどく今の中国のような状況でした。バブル期は初めて家を買う人は(定年後も支払いが続く)35年ローンにしても通勤時間が片道3時間近くかかる場所に小さな家しか買えませんでした。経済成長に反対した人は経済成長よりもそれらの弊害への対処を優先する事を求めたのであり、それらの弊害のない経済成長に反対したとは思えません。
また世界の政策担当者は経済を成長させるために知恵を絞って政策を作り実施しています。その結果が現在の成長状況です。
大幅な経済成長が困難な事を前提に対応を考える事は成長をあきらめる事とは違うと思いますし、現状で必要な事だと思います。

IG殿

>日本の GDP が 500 兆円程度とすると、その 1% は 5 兆円。国民1人あたりで 5 万円ですね。5 万円もゼロも変わらないといえるのは、やはりブルジョワかな、と。

高度成長期は成長率が10%近くありました。
50万円の収入が5万円になった時に、その5万円を確保する事やそれをすこしでも増やそうとする事は大切な事だと思います。
しかし残りの45万円分の対応を考える事はもっと大切な事だと思います。

hamachan先生のブログで別の方のブログの内容にコメントするのはいけない事なのかもしれませんが、


>「経済成長は、弱者救済の最低条件」と言い切れない連中は、目を噛んで死ねばいいと思う

「経済成長は、弱者救済の最低条件」と言ってしまうと、経済成長ができないと弱者救済はできない事になってしまうので問題だと思います。


>つまり朝日は「近代なる概念は人類の歴史の例外なのだ」というとるわけ。当然の話として、「ほななにかえ?お前は、近代以前に戻れというとるのかえ?」なり「なるほど。亜近代を目指せと。つまりファシズム?」って嫌味は言いたくなるわな。本当になんだあのクソ論説は。

若い時に剛速球で打者を打ち取っていた投手が、ベテランになって球速が落ちてきた時に”速い球を投げられるのは若い時だけだ”と言われて、「ほななにかえ?お前は、(早い球を投げられる前の)子供時代に戻れというとるのかえ?」というようなものだと思います。
投手の目的は打者を打ち取る事であり、速い球を投げること事はその手段にすぎません。ベテランになって球速が落ちてきたら、もう一度速い球を投げられるようにするよりも、これまでの経験を活かして遅い球でも打者を打ち取れるようにするほうが実際的だと思います。


>朝日の使命というか、社会的に求められる期待というか、役割は、「低成長をみんなで受け入れよう」と呼びかけることではなく、「賃金上げろ!労働環境改善しろ!」と訴えることだろう。

社会的に求められる期待というか、役割は、「低成長でも賃金を上げ労働環境を改善できるようにしよう」と呼びかけることだと思います。


>そして、賃上げ、労働環境改善、財政出動こそが、成長に繋がるんだ。他の国にできて、日本にできんことないだろう。

「経済成長は、弱者救済の最低条件」という意見と合わせると、”財政出動によって経済成長を実現し、賃上げや労働環境改善を行う”という事を主張されているのだと思いますが、他の国(米, EU, 英)はそのような事(財政出動)を行っているのでしょうか?
私は、これだけ赤字国債が積み上がっている時に脳天気(失礼!)に財政出動(更なる赤字国債の発行)を行っているのは日本だけだと思います。もっともEUのように経済危機の際に財政赤字の増加を防ぐため社会保障費を削減するよりは、日本のように大胆(脳天気)に赤字国債を発行する方が良いような気もしています(昔読んだ小説の、”明日死ぬためには今日は生き延びなければならない” という一節を思い出しました)

>「経済成長は、弱者救済の最低条件」と言ってしまうと、経済成長ができないと弱者救済はできない事になってしまうので問題だと思います。


同意
労働者が食えない極貧国では生活保護が出せないが、成長しないから弱者救済できないというのは違う。
日本が多少マイナス成長したとしても、弱者救済は(程度は別として)行うことができます。

そもそも、成長したら~と言っている人は、その時は別の理由をつけて反対するのではないか?

もちろん、低賃金労働者より裕福な生活保護なんて批判されるに決まってるので、賃金を上げるのが先というのは当然だし、働いた人が得をする社会でないと持続性はない。それには異論はないですが、だからと言って経済成長しなければ弱者救済が一切できないかのようなミスリードはダメということ。

例えば日本がジンバブエのような極貧国家になったとしたら、「働かない奴なんかに飯をやれるか!」と思って当然ですが、現状そうなっていないから働かなくてもメシは食える(望ましくはないけどね)

うーん。議論が良く分からない方向に向かっているような。。
結局、成長は、生産と消費の拡大で、これがあって始めて雇用、賃金、そして労働時間始めとした労働条件が維持、向上出来るのが市場経済における常識では?
最近思うのは、過労死の背景には、そもそも週40時間労働では裁ききれない仕事量を押し付けられ、しかも残業代が予想収入に予め組み込まれている勤労者の実態があるということです。このことが意味していることは、私たちの社会の2017年の現実とは、勤労者が週40時間の労働ではまともに生きていくことすら出来ない、ということです。つまり、社会の現実が労働基準法の規定すら満足にできない貧困な現実である、ということです。これは、明らかに労働条件が低下していることに他なりません。
無論、労働条件の維持向上は成長があろうがなかろうが大切です。低成長においてはワークシェアリング、協同労働、協同消費、様々な自助共助運動も大切だと思います。しかし、それにも限界はあります。また、経済成長を否定し、単純にすべてを分け合う発想では、今の生産と消費は維持できません。それはつまり、失業を意味します。
経済成長が必要なのは、資本の増大のためではなく、労働と、より人間的な社会のためにこそ必要なのです。
自称働く者の立場に立つ「左派」や、「人間的な社会」(中身が肝心ですが)を志向する立場の人々に広く上記の意味での経済成長の必要性がしっかり認識されたためしがあったでしょうか?
魑魅魍魎とした観念に支配されてはいなかったでしょうか?
自省を込めて、働く者の立場に立つ側こそが、本当の意味での経済成長肯定論に立たなければならないと私が思う理由です。

>経済成長の必要性がしっかり認識されたためしがあったでしょうか?

そもそも裕福になることそのものは誰にとっても善ですから否定している人なんていないんじゃないですか?
「もっと貧しくなろう!」なんていう公約を出したら、じゃあお前がホームレスになれと言われるだけでしょう。

そもそも、「現代では豊かになりすぎて我儘になった」「甘やかされている」「我欲を津波で洗い流す」「欲望のまま生きてきた現代人に対する天罰」など多彩な妄言で資本主義による金儲けを批判しているのは保守側だろ。

かくのごとく、阿波さんは自分の脳内の『敵』めがけて怒りの鉄槌をひたすら振り下ろすのですが、それが全然相手の言ってることと違い見当外れなので、言われた方は皆当惑するわけです。

ときには上記「それにしてもブルジョアで何が悪いのだろう?」みたいに、あまりにもひどい誤爆をやらかして、私から「人の文章は丁寧に読むこと。自分の頭の中のイデオロギー構造で勝手に思い込んだ脳内文章を相手に、見当外れの罵言を投げ散らかしても、なんの意味もありませんよ。自分の自慰以外には」と叱り飛ばされたら、何も文句も言えないまま黙りこくってごまかして、そしてまた別の人に噛みつくということを延々と繰り返すわけです。

正直言って、いつまでこういう人を寛恕し続けてあげる必要があるのかな、と考えているところです。

様々な意見を戦わせる場とするために。多様な意見を包含した方が望ましいのは間違いないのですが、ここまで人の言ってることと無関係の自分の脳内妄想に向かってひたすら槍を突き立てるドンキホーテ型の人に、このブログのコメント欄を提供し続けてあげる必要があるのかどうかという問題です。

前に別のエントリのコメント欄で書いたように、

本気で申し上げますが、そろそろ御自分のブログなり何なりを立ち上げて、自分のいいたいことをストレートに書かれるようにした方が良いのではないですか。

少なくとも他人のブログのあまり関係なさそうなエントリのコメント欄を自分の独自の意見開陳の場として活用するというのは、あまり適切なやり方であるとは言いがたいように思われます。

私は意見の多様性は確保したいと思っていますが、あまりにも当該エントリのコンテキストを無視してただただ自分の言いたかったことだけをところ構わず書き込むというやり方を寛恕するかどうかはまた別のことです。

本ブログのコメント欄はあくまでも当該エントリの主題に関してちゃんとわかった人同士で議論がされる場であって、このままでは阿波さんは排除せざるを得なくなる可能性があります。

その旨、今のうちに警告をしておきます。

  阿波氏を排除するのは良くないと思います。

 議論を戦わせるうちに本来のテーマから外れて議論が進むのはよくあることですし、「エントリ本文に沿ったコメントしかするな」というのも乱暴でしょう。

 私は、阿波氏の意見には反対ですが、このブログのコメンテーターとして今後もいて欲しいと思っています。「リベラルなレイシスト」という立ち位置は珍しいですし、何よりコメントを読む限り、真摯に書き込んでいるように見える。少なくとも「○゛カ」「○ね」とだけ連続して書くようなネットイナゴとは違う。

 コメンテーターの排除は、慎重にも慎重を期すべきです。
 よろしくお願いします。

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 経済成長と再分配の話に戻すと、ここまで巷の議論が混乱しているのですから、「経済成長」と「富の再分配」は分けて考えた方がいいと思います。「経済成長と再分配、どちらを取るか」というようなジレンマや、「経済成長しなければ再分配はない」という条件闘争に落とし込むことではないはずです。

高橋良平殿

良質(ジョブの増加を伴う)で大幅な経済成長が実現できれば、賃金や労働条件が改善できるのは仰る通りだと思います。
しかし私は
・大幅な経済成長の実現性
・実現できる経済成長の質
に疑問を持っています。
世界銀行の予想では今年や来年の経済成長率は米が約2%, EUが約1.5%, 日本が約1%です。英国のロンドン以外の地域や米国のラストベルトの住民の状況を見ると(日本より高い)EUや米の成長率でも状況を改善するには大幅に足りないと思います。しかし(別の方へのコメントでも申し上げましたが)世界の政策担当者が経済を成長させるために知恵を絞った結果がこの成長率なので、これ以上の大幅な成長は困難だと思います。このため現状の成長を前提に対応を検討するしかないと思います。
また最近の経済成長は金融資産による部分が多くジョブの増加に結び付きにくいと思います。例えば日本の対外収支(外国とのお金のやり取り)は黒字なので、経済成長に貢献していると思いますが、その多くは外国の資産からの金融収入なのでジョブの増加には無関係です。(物のやり取りである)貿易収支も円安で黒字になりましたが、これも円安で円換算の輸出金額が増えただけで輸出量は増えていないのでジョブの増加には結びつきません。
ジョブが増加し第三者に悪影響のない成長となるとさらに困難だと思います。例えば消費者金融における貸付利率や貸付総額の制限を撤廃すれば、以前のように返済のために高賃金だが知人に言いにくい職業に就かざるを得なくなる女性や自殺する人が多くなると思いますが、金融会社の利益(法人税)は増加し従業員数(ジョブ)も増えるので経済学的な成長には貢献すると思います。


hamachan先生が引用されたブログの著者が雑誌に同じ趣旨の記事を投稿されていましたが、その中に”カナダ等では賃上げ、労働環境改善、財政出動によって経済成長を実現している”という記述がありました。しかしこれは、”経済成長(原因)による賃上げ、労働環境改善(結果)”ではなく、”賃上げ、労働環境改善(原因)による経済成長(結果)”なので順番が逆です。このような(結果としての)経済成長であれば(朝日の問題の記事の関係者も含め)ほとんどの人が反対しないと思います。しかしそのために必要なのは、まず成長を求める事やそれが困難である事を指摘する人を非難する事ではなく、現状で賃上げや労働環境改善を実現する方法を検討する事だと思います。


>低成長においてはワークシェアリング、協同労働、協同消費、様々な自助共助運動も大切だと思います。しかし、それにも限界はあります。

私は現状はまだ高橋殿の仰る限界には達していないと思うので、成長よりも分配(分け合う発想)を検討すべきだと思います


>過労死の背景には、そもそも週40時間労働では裁ききれない仕事量を押し付けられ、

つまり現状でも仕事量は過労死するほど存在するわけです。私は事態を改善するには(さらに仕事量を増やす)経済成長ではなく、現状での労働環境改善を求める事が必要だと思います。


高橋殿は、成長の否定による「生産力」の低下を問題にされていましたが、現状では過去の成長により多くの部門で必要な生産量は確保されていると思います。例えば過去は食糧(米)の生産力は十分でなく、天候不順で餓死者が出た時代もありましたし戦前でも(麦や雑穀の混じっていない)米の飯は特別な日にしか食べられない人は珍しくありませんでした。しかし戦後の稲の栽培技術の進歩普及や品種改良によりほぼ十分な生産力が確保されています。もちろん現在でも(貧困世帯やその子供等)まともな食事が取れない人もいますが、その対策はさらに生産力を増加させる事ではなく、それらの人々への分配を考慮する事だと思います。

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