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とりもどせ!教職員の「生活時間」@連合総研

Nikkyoso連合総研の報告書『とりもどせ!教職員の「生活時間」』が同ホームページにアップされました。

http://www.rengo-soken.or.jp/report_db/file/1485152130_a.pdf

本ブログでも何回も取り上げてきましたが、イデオロギーの空中戦ばかりが注目される背後で、肝心の教師たちの労働条件が劣悪化の一途をたどっていることに、ようやく人々の関心が向き始めた昨今ですが、この問題に対して連合総研が毛塚勝利さんを主査に正面から取り組んだ研究の報告書です。

小中学校等で勤務する教員の長時間勤務の実態については、これまでOECDによる調査をはじめ多くの調査によって明らかにされています。その中では事務処理や部活等の課外活動による時間外勤務が多いこと等々がその要因として指摘されています。
このような教員の長時間勤務と働き方をめぐるこれまでの議論を踏まえ、本研究委員会では、そもそも教員の労働時間管理は適切に行われてきたのか、また長時間労働を克服するためどのように生活時間の確保するか、という視点から研究を進めることとしました。
ここでは、小中学校・高等学校・特別支援学校の教員5000名を対象としたアンケート調査を行うとともに、ドイツ、イギリスなどの海外の現状も現地調査を含めて実施してきました。
調査にあたっては、第1に、学校現場で行われている勤務時間管理の実情を明らかにするとともに、教員の職務の特性を前提にした時間管理のあり方を求めること。第2に、教員が個人生活、家庭生活、社会生活の時間がどの程度確保できているのか生活時間の実情を明らかにすること。第3に、教職員の業務の中には、本来行うべきとはいえない業務も含まれていることについて、現場の教職員がどう考えているのか、業務の精選に関する教員の意識を明らかにすることにしました。
今回の調査では、今後の新たな労働時間規制のあり方として、公共的性格をもつ生活時間を確保するとの観点から調整休暇制度の可能性について調査をしました。また、調整休暇制度を導入する場合に必要となる勤務時間の把握の方法、調整期間のあり方についても把握を試みています。その結果、調整休暇制度の可能性については、5割に上る教員が導入すべきあるいは検討すべきと回答していることが明らかになるなど、興味深い結果が得られています。
本報告書が、教職員における長時間勤務を解消するとともに、生活時間を確保し教育の質を高める取り組みを進めていく上で参考になれば幸いです。
さいごに、本研究委員会での活発な議論を展開していただくとともに、報告書の執筆を頂いた毛塚勝利主査をはじめとした各委員、オブザーバーの皆様方に、この場をお借りして深く感謝を申し上げます。

目次は以下の通りです。

序 章 研究の⽬的と⽅法
第 1 章 わが国の勤務時間と給与の歴史的変遷とその評価
第 2 章 調査に⾒る教職員の勤務時間と働き⽅の実情
第 3 章 教職員の⽣活時間の貧困とジェンダーバイアスをどう克服するか
第 4 章 教職員の多忙化の現状、要因、多忙化対策の課題
第 5 章 教職員の時間管理の現状・問題点と今後のあり⽅
第 6 章 教職員の労働時間実態の法的評価と給特法の解釈論的検討
第 7 章 調整休暇制度の可能性と課題
参考資料 ドイツにおける労働時間貯蓄⼝座制度の活⽤について
参考資料 イギリス公⽴学校職員の⻑時間労働対策の実際と課題
参考資料 アンケート調査票

なお冒頭の序章は毛塚主査の執筆ですが、教師の労働時間を超えて、今日の労働時間規制のあり方について論じていますので、ちょうど時宜にも適しているので、その部分を引用しておきます。

・・・このように、家庭生活や社会生活の希薄化という日本社会が直面する問題を考えれば、長時間勤務は、労働者の休息時間を奪い健康を阻害するだけではなく、家庭生活や社会生活への関与機会を奪うことでもある。その意味で生活時間を確保することは、家族や地域社会の劣化を防ぎ、豊かな社会を作るうえで不可欠である。企業が長時間労働を強いることはもちろん、健康に自信をもつ労働者が長時間労働を選択することもまた、生活時間を侵食することにほかならない。80年代以降、ヨーロッパでは、長時間労働は他人の雇用機会を奪うものとして、労働時間は労働者の自由な選択に委ねることのできない公共的性格をもつものとして理解されてきたが、今日、長時間労働は生活時間をも奪うものとして、労働時間の公共的性格が労使を超えすべての国民で共有されるべきであろう。

・・・生活時間の公共的性格を踏まえたとき、法定労働時間を超える時間外労働が行われた場合、賃金を払えばよいということにはならない。時間外労働が生活時間の侵害であるとすれば、時間によって埋め合わせがなされる必要がある。これは、家庭生活や社会生活の劣化を防ぐことが今日の日本が直面する喫緊の課題であることを考えれば、生活時間の確保・充実の観点から、一定時間を超える時間外労働や休日労働は、時間調整(代替休暇)を基本にすべきということにほかならない。

・・・また、時間外・休日労働の割増賃金についても、生活時間の観点からは再検討の余地がある。割増賃金を時間外労働・休日労働の追加的負荷への対価としてのみ考えると、割増賃金は時間外・休日労働のインセンティブを労働者に与えかねない。時間外労働は生活時間の侵食にほかならないことを考えれば、将来的には、時間外・休日労働の割増賃金は、むしろ生活時間侵害に対する補償金に性格を変えることが検討されてよい。生活時間侵害の補償金とすれば、一定の許容時間を超えて労働者が時間外労働を時間(休暇)による精算ではなく賃金による精算を選択したとすれば、労働者自身が生活時間確保の責任を果たさないことにほかならないから、労働者が補償金を手にする理由はない。少なくとも補償金の半額は労働者本人に帰属させるのではなく、生活時間基金として事業所でプールし、育児・介護やボランティア活動等に従事した労働者への支援にまわすことが考えられてよいことになろう。

残業「代」から残業「税」へ、という発想ですね。

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コメント

凄いですね。特に最後の時間外労働の割増賃金の半分を基金にするという提案は。しかし、生活時間=公共生活とは恐れ入りました。。やはり、鯛は鯛なのでしょうか?さすがは教組と言いたいところですが、何かこれはこれで格好良すぎて、自治労とかまでは賛同出来そうだけど民間の大手になるとまだまだ難しいんじゃないかなと思ってます。でも良いと思います。

投稿: 高橋良平 | 2017年1月24日 (火) 21時14分

おじゃまします。

「生活時間の侵害の補償金扱い」は賃金労働者にとって、これまでともすれば多様な非雇用側セクター事情に内生的な事前規制をかけてきたきらいも、また事実、そうした無駄な空中戦もあったように外野からは見えまして、その無益な自傷的思考法を断ち切るうえでもすばらしい…というより遅いくらいと思いました。
社会保障騒動もマクロからみれば上記と同じ構造と考えており、解の優先順位はミクロにありますので、その部分は”保障”ではなく”補償”であろうとわたくしは考えておりましたので、門外漢ながらコメントさせていただきました。

高橋さん、そう考えると解も見えやすいというか、連帯できるんではと思われません?簡単ではないことは重々承知ですが、上記の労働側の労働側によるいわば不動点は動かさないと経営も連動できませんよね。
連動できるwinwinの仕掛けですよ。
読んでうれしくなりました。

投稿: kohchan | 2017年1月25日 (水) 07時13分

kohchanさんへ

うーん。気持ちはわかるのですが、残業が多いというのは人手不足か無駄な仕事が多いかで(でもサービスと規制が過剰な現場では必要なことが殆んどですが)。そこが放置されたままでの残業規制はやはり現場労働者の支持を得にくいのかなとも思います。僕が素晴らしいと感じたのは(繰り返しになるかもしれませんが)、公共セクターの雄たる教組が(報告書に過ぎませんが)「非労働時間=公共生活時間」とし、これを保障することが、日本の公共圏において今現在とても必要とされている、と主張したことで、労働組合が生活領域を公共とし、かつ積極的に作り出す(私のような講座派マルクス主義的大塚久雄的人間には特に)と宣言したかに聞こえ、それが新しいと同時に、我(教師)こそは市民社会の先頭!(実際市民派議員に元教師は多いと思いますし、優秀でかつ正義感に熱いのですが)とも聞こえて。それはそれで良いんですけど。。
個人的には、まずは忙しいのを少しのんびりすることが、労働条件のなかでも一番大切かなと思っています。だから、賃金少し下がっても良いから人もう少し多く雇えば良いのにと思います。ただ上はもっと稼げもっと稼げでしょうし、周りも圧倒的にそれに振り回されているから難しいのですが。。古い話をすれば生産・労働過程における労働強度の軽減(労働が筋肉から脳に移行しているので測るのは難しいですが)を問題・焦点化しないと、やはり公共圏・市民社会の創造も難しいのではないかと思うわけです。
でも、賛成ですよ(笑)。

投稿: 高橋良平 | 2017年1月25日 (水) 15時23分

違和感がある。

残業として働いた対価の半分を没収されるとすれば、奴隷労働に等しい。労働組合としての意識を問われる妄言だ。

また、かりに過度な労働を労働者の責に帰するとするなら、完全に自由意志で労働時間を決める必要がある。すなわち、目の前で重体患者が放置されていようと、生徒が放課後にボコボコにリンチされていようと、医師や教師は仕事を休むべきだ。善良な心から残業をした人が損をすることがあっていいのか。

投稿: 阿波 | 2017年1月25日 (水) 15時51分

高橋さん、どうもありがとう

労働のミクロ説明に入っちゃうと門外漢のわたくしはまったく解りませんし意識しておりませんでしたが、現場はどうだといわれるとこの提言は絵空事ですよね。
でも世情からすると閉息した今に希望を与える胎動として労働側(このブログ・エッセンスですから。労使どちらでもいいのですが)からリードする協働的な提案こそ日本の今働く、そしてこれからの人に勇気と希望を得るのではと思いました。
国民の多数派である労働側のシンクであれば当然で宿命でもあると思いますし、逆にこれをマクロ寓話にもするもしないも当事者(現実)しだいだなという点でもいかんともしがたいご指摘に同意いたします。
でも、だからこそ、こうした提言が活気づかないと目先にとらわれるROE経営インデックス社会に、上記の多数者はイス取りゲームよろしく同胞同士で撃ち合いをするサバイバルゲームを容認してしまう危険を覚えております。
高橋さんとは住む世界は違うと思われますが同じこととお邪魔しております。
再度、どうもありがとう。

投稿: kohchan | 2017年1月25日 (水) 18時34分

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