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労働者と聖職の間

稲葉さんと金子さんの掛け合いですが、

https://twitter.com/shinichiroinaba/status/820933350000996352

「日教組が労働運動の本旨を忘れて政治闘争にかまけたことが悪い」という声が大きいが、そこにはそれ相応の事情もあったはずである。「聖職者論」の悪を言うのはたやすいが、日教組は労働組合であると同時に職能集団としての性格を持っていたことの意味は小さくない。

https://twitter.com/shinichiroinaba/status/820933575239290881

また公共部門のウェイトが大きい以上、「政治闘争」のウェイトが高くなることには相応の理由がある。問題はいかなる「政治闘争」だったのかということで、そのレベルでの批判はありうるが、「政治闘争だからいかん」とは言えないだろう。

https://twitter.com/shinichiroinaba/status/820933692323307521

要するに「他者の合理性」を考えないとということです。

https://twitter.com/ryojikaneko/status/820934995900407808

聖職者論を言い出したのは自民党で、日教組はそれに反撥して労働者だと言って、それを見て、共産党が聖職者だと言ってたんだと思うけど。

なかなか一筋縄ではいかない問題ですが、問題意識が昨今大きな問題になっている学校教師の異常な長時間労働に発していることは確かです。

公的部門の労働組合が「政治」による解決を求めがちになるというのは確かですが(典型が国鉄)、教師の聖職者論というのはそれとは筋が異なり、やはり「センセイ」と呼ばれる職業のある種のプロフェッショナリズムの現れであることは確かでしょう。

その意味では、労働組合という形をとることも(無意識的に)拒否してきた勤務医たちの(往々にして自発的な)長時間労働ともつながるものがあります。

ただややこしいのは、それが戦後日本的政治配置状況と奇妙な歪みを伴った連結をしてしまっていることでしょう。

日教組が(労働組合としては当然の主張としての)労働者としての権利を主張したときに、自民党と共産党が左右両側から教師聖職者論を持ち出して叩いたというのも、それが国民の耳に心地よく響くというだけではなく、プロフェッショナルとしての教師たちの耳にもそれが心地よく聞こえるものであるという事実があったからでしょうし。

Img_752f5d874047328e26f434ce08fbda5もちろん、『働く女子の運命』で紹介したように、日教組婦人部は働く母親たる女教師の権利確立のために、「女子教育職員の産前産後の休暇中における学校教育の正常な実施の確保に関する法律」(1955年)や「義務教育諸学校等の女子教育職員及び医療施設、社会福祉施設等の看護婦、保母等の育児休業に関する法律」(1975年)といった』議員立法の制定に向けて、言葉の正確な意味における労働組合としての政治活動を行い、実現させています。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2015/02/post-cdda.html(日教組婦人部の偉大な実績)

「労働運動の本旨を忘れて政治闘争にかまけた」という言い方が(少なくともそういう単純な言い方においては)偏頗である所以でもあります。

こういう複雑に絡み合った問題を解きほぐすためには、もう少しいろいろな側面に目をやる必要がありそうです。

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コメント

聖職ということで個人的に関心があるのが、神主さん、お坊さんや神父さんなどの宗教者の労働者性です。
いわゆる「感情労働」の一種なのかも知れませんが、労働時間や休暇などがきちんと取れているのか。宗教者のメンタル不全などということもあるかも知れません。判例や学説がもしあれば、御教示いただければ幸いです。

投稿: いーちゃん | 2017年1月18日 (水) 20時39分

単組の一組合員として、こうした割り切れなさに直面することは数知れず...。
医師と同様のプロフェッショナルとしての矜持と言われると、向こうから怒られそうですが、確かにこのプロフェッショナリズムが一筋縄でいかない部分を生み出していることは間違いないと思います。

投稿: venturingbeyond | 2017年1月19日 (木) 19時14分

そんなことはのないですよ。プロフェッショナルの矜持なんて。
むろんヒポクラテスは今も燦然と輝いておりますが…。

医師の診療コミット(労働時間)への考え方も世代間で全く違いますし、ましてや今や女性が昨今3割ほど医学科に入学いたしますため、現代社会の労働問題と等しく労働過多による健康不安・家庭の維持・自身のキャリアアップ等々で同じです。
逆に医師は「開業」という選択肢がありますから、”等価”ではと思っております。
立ち去り型サボタージュという言葉があります。
また、医療ドラマの流行りは、救急現場やフリーランスの外科医と相場は決まっての大衆の偏見を煽っての世間相場に、ヒポクラテスも困っていると思っております。

投稿: kohchan | 2017年1月20日 (金) 07時16分

>kohchanさん

「労働者性」と一部矛盾するようなプロフェッショナリズムって、医療界(医師会)や高位の医療系学者が道徳的優位性を維持するために主張してきた面もあるんじゃないでしょうか。

医師会は今でも「医療は営利ではない」と言いますが、これによって道徳的優位性を得て、結果的に社会保険・税の分配で利益を得ている。

「営利ではない」という主張の結果、開業医中心の医師会ではなく勤務医が損をしているのですから、患者・世間・マスコミ批判は全く間違っていると思います。

投稿: 阿波 | 2017年1月20日 (金) 12時39分

阿波さん 久しぶりです。
その通りの面があるのです。ですからたとえば、自分の将来設計と現実=今、そして未来が見通せない時間軸が長い若手ほど世代間で意識のズレを感じて右往左往しております。
また、営利ではないとう意味も、市場原理に沿ったセクターの捉え方とは違うと思います。ではなぜ混同され批判を受けやすいかというと、善し悪しは別に阿波さんがご批判されている某電力会社の収益構造=総括原価方式に類似する診療報酬制度(とはいえ、こちらは競争市場でもあります)とそれを決める中医協に過度な不信報道が見受けられることもあろうかと思います。以前より改善されました。
わたくしの今回のコメントは患者、世間、マスコミを対比して批判しているのではないことは解っていただけると思います。
開業医も地域や診療科で経営もいろいろ、勤務医もどこに勤務するかで所得も労働条件の厳しさもいろいろのパラレルワールドです。
今も阿波さんのコメントは興味深く読ませていただいております。
今回は別エントリとコメントは主に関わるのです。インターバルです。夜勤勤務をもつ医療機関に従事する医師のインターバルです。同様に看護勤務のインターバルも現状維持ですすめば、「輩出すれども労多く燃え尽き退職」の堂々巡りでそのツケが医療を必要とする特に人口減少の医療過疎地域に現れており(違う複数の変数もありますが、たとえば福島の原発事故後、地域医療を守られておられた先生が亡くなられ、見かねて手を挙げられた先生が優先事項もあり短期ですが赴任されるような事態もあります)各部会で偏在問題等も含め議論されているのが現状です。
勤務医と開業医の対比は先の事情と個々の選好で自由に我々は選んでおります。不平等感はまた別次元(インナー)処理される話です。隣の芝生は青いですから。
問題は医療がとある地域に偏在化しないための制度とそれを実際に担っていく医療従事者の労働環境も問題だらけですと言いたかったのです。
ただし、医師は開業という手段がありますよ、それを若い医師が立ち去り型サボタージュと称する著作に観られる現実があるというコメントでした。ミクロでは自由でよし、しかしマクロでは偏在が生まれる、これをどうするの?と審議会で恥ずかしながら右往左往しているのです。口はばったいですが、個人の自由と社会的使命感のパラドクスです。
長くとりとめなくごめんなさい。戻った時間でバタバタタイプしましたので、誤字脱字あろうかと思いますが、阿波さんへのわたくしからのコメント御礼と返答です。

投稿: kohchan | 2017年1月20日 (金) 14時59分

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