宮本太郎『共生保障』
宮本太郎さんから新著『共生保障 〈支え合い〉の戦略』(岩波新書)をお送りいただきました。ありがとうございます。
https://www.iwanami.co.jp/book/b279046.html
困窮と孤立が広がり,日本社会でも分断がとまらない.人々を共生の場につなぎ,支え合いを支え直す制度構想が必要だ.いかにして雇用の間口を広げ,多様な住まい方を作りだせるのか.自治体やNPOの実践を盛り込みながら,生活保障の新しいビジョンとしての「共生保障」を提示する.前著『生活保障 排除しない社会へ』の新たな展開.
宮本太郎さんがおなじ岩波新書から『生活保障』を出されたのは、2009年。もう7年近く前になります。それ以来、宮本さん自身政府の社会保障政策に深く関わりながら、その理想がなかなか実現しない、むしろあらぬ方向にそれていってしまうという思いを抱きながら、旧著の考えをさらに深めてきた現時点でのまとめという本と言えましょう。
問題意識は第1章「制度はなぜ対応できないか」でクリアに示されます。日本型生活保障が持つ「支える側」と「支えられる側」の分断、そして支えられる側自体の中での高齢、障害、児童、生活保護等々の分断、それが、「支える側」だった正規雇用と標準世帯の溶解と、「支えられる側」の複合的困難という二重の問題に直面して、その亀裂に落ち込む人々を生み出しているという状況認識です。
それに対する処方箋として提示されるのが「共生保障」といういささか曖昧で誰もが使いそうなためにあんまり中身がなさそうな言葉なのですが、本書で宮本さんがこの言葉にこめているのは、第3章の目次に示されているように、これまでの分断された対策の間に架橋する新たな政策です。
すなわち、
1 ユニバーサル就労
2 共生型ケアの展開
3 共生のための地域型居住
4 補完型所得保障
5 包括的サービスへの転換
ですが、この章の読みどころはむしろ、それぞれに対応する地域独自の取り組みの諸相でしょう。
冒頭で述べた、自身政府の社会保障政策に携わった経験を踏まえた政策政治論として興味深いのが第4章と第5章です。
第4章では、かつて第二臨調で打ち出された「増税なき財政再建」から脱却し、救貧的福祉観から普遍主義的改革を目指したにもかかわらず、それが困難に遭遇した理由を3つ挙げています。
第1に、本来は大きな財源を必要とする普遍主義改革が、成長が鈍化し財政的困難が広がる中で、その打開のための消費税増税の理由付けとして着手されたという皮肉。
隙さえあれば社会保障に切り込もうとする財務省と、そうはさせじと闘いながら、しかし財源確保のために手を組んで増税を訴えなければならないというダブルバインドな立場に立たされるわけです。
第2に、「支える側」「支えられる側」の二分法に拘束されている自治体にサービスに実施が任されたこと、
第3に、そしてこれがある意味で一番の皮肉だと思うのですが、救貧的福祉からの脱却を掲げた普遍主義が、中間層の解体が始まり、困窮への対処が不可避になる中で進められたという逆説です。多くの人の自立が困難になる中で「自立支援」が進められるという皮肉。
宮本さん自身が深く関わった生活困窮者自立支援法が、残念ながら理想とはかなりほど遠いものになったのも、こうした皮肉に満ちた状況下で愚直に進められた結果なのだろうと思います。
それでも希望はある、その火種は細々とではあるけれど地方で進められている、というのが本書のメッセージです。
なお、本書のあとがきに、
厚生労働省の入部寛氏からは、本書の草稿に丁寧なコメントお寄せいただいた。
という一文がさりげなく入っています。
入部さんは本ブログで紹介した畢生の『平成24年版厚生労働白書』の著者の一人です。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/24-7de8.html (『平成24年版厚生労働白書』は社会政策の教科書)
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24年版白書は、よく厚労省も思い切って若手連に、そして中身も白書というよりまさに教科書そのものでした。話題になりましたね。彼らも東洋経済onlineに出ちゃったりして、厚労省の熱の入れようも感じました。
今も社会保障にまつわるリアル社会における様々な問題のメディアバイアスに対してカウンターパートとなるべき中等教育中の基礎知識習得未整備のため、その制度への価値感そのものがある方向へ偏在しつつある学生たちへの事前(先述からしますと事後となりますね)自己学習参考文献として推奨しております。ちょうど冒頭にサンデルが出てまいりますが、自己学習後のインタラクティブ講義方式にはもってこいでした。
その白書の著者のおひとりよりコメントがなされたということは、本書もたとえばこれからの地域包括ケアシステムの主ポリシーである地域主体の医療介護「競争から協調」が、制度全体として包括するポリシーとして書かれておられるであろう宮本先生の紹介ご著書「共生保障」というタイトルは然り。
そして濱口さんの本エントリでの著書解説コメントも24年白書からの時間の変遷を確認できる上でも的確で、これまた然りです。
投稿: kohchan | 2017年1月22日 (日) 08時46分
弱者とそれ以外を闘争させないような「普遍主義」は良い。
中間レベルの所得で福祉サービスや給付の受益をぶった切ると不公平であり勤労意欲を無くす。
貧困者や特定弱者ばかりを優遇する旧来の福祉では、貧困叩きが起こるのは当たり前。
ところで半年前くらいに厚労省キャリア官僚とツイッターで議論したが、「消費税増税で普遍型福祉をやったら再分配にならないだろ!」と言っていた。
消費税を人頭税や年貢と同じレベルで考えているのか。厚労省はこのレベルか。
投稿: 阿波 | 2017年1月22日 (日) 12時59分
>先生、もう我慢は良いんじゃないですか。
(発言者を特定しないため非公開)
確かに、蛙の面はいくらションベンをかけても一向に変わりはないようですね。自分が何を叱られているのか、何回網膜に映っても全然わかっていないのでしょう。
せっかく素晴らしいご本を贈呈いただいて、ブログでご紹介しても、訳のわからないコメントで汚されてしまうというのでは、申し訳ない思いになってしまいます。
もう我慢しない方が良いという貴重な忠告を踏まえて対応したいと思います。
投稿: hamachan | 2017年1月22日 (日) 18時12分
よい機会を得たので。
ブログ発信者とコメントの関係は以前のわたくしのコメントのごとく、選別するかぎりブログ主のなすがままです。
行き過ぎのコメントもありましょうが、主も先般エントリで訂正されたような事柄(失礼ながらコメント差し上げました)もあります。要は修正力です。
阿波さんがそのフォローをどうされているか、実際わたくしには判りません。読者も同じでしょう。それくらい情報というなの閉鎖された世界です。
訂正、修正の真摯なコメントをされる方々が大多数である反面、結局は揶揄して終わりのコメント主との差異をしっかりと読者にこの際示唆されなければならないと感じます。
とはいえ、それすら因果律に受動でしかないわたくし(達)には実はなにも真実を知る由もなく、ブログ主へのシンパシーに依存しているといえばいいすぎでしょうか?
阿波さんコメントのフレーズを使えば、”普遍”ではなく選別のサガです。
阿波さんの主たる怒りが何かは他人には想像を絶しますが、感じるに濱口さんに対するシンパシーのなせる業かもしれませんし、少なくとも頼り、それに安住の心地をもたれておられるように思われて仕方がありません。鍵と鍵穴関係とわたくしの世界では比喩することもありますが、それもクローズですから直感のみです。
掲載の判断は最後は主ではない限りなにもできないゼロサム・レギュレーションですから、ご提示の非掲載コメントを使う必要性もなく粛々となさればよいのです。誰もわかりません。想像あるのみで、それこそ歴史にある恐怖社会でもありますし、今は情報ツールを使ったインタラクションとは所詮は顔と顔を合わせないが架空の信頼で繋がれた近代人間社会のエアポケットなのだとも思われます。
そうした意味からも、おそらく膨大で心がおれるようなコメントも多々あろうかと思われますが、長らく(コメントするまではまったく存じあげませんでしたが)真摯にご対応される姿勢には尊敬申し上げます。
阿波さん
もったいないですよ、あなたのすばらしい知性がコメント技術の稚拙さによりあなたの選好される自由を逆に自ら縛り付け、閉鎖的同好のみをここに呼び込んでしまいます。
そこに何の、誰の益があるでしょう。
投稿: kohchan | 2017年1月22日 (日) 20時18分
宮本太郎先生の絶望と希望
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毎日新聞7面 経済観測 2017.8.5
政治劣化と民主主義の新しい方法
”私はこれまで、ICT(情報通信技術)による直接民主主義という考え方には積極的でなかった。現実性に欠け冷静な議論の機会もとぼしくなりそうだからだ。だが、もし政治家が定見もビジョンもなく、世論に迎合したりあおったりするだけであるならば、ICTによる直接民主主義で置き換えていったほうがよいのではないかとさえ思えてくる。”
このあとスウェーデンのバレントゥーナ市議会の描写があり、鈴木健氏の「分人民主主義」が紹介されます。
そして
”勿論望ましいのは、政治家が奮起し政策とビジョンを身に着け、直接民主主義の新しい方法と共存していくことなのだが”
と締めくくられます。
投稿: 匿名 | 2017年8月 5日 (土) 07時36分