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2017年1月

2017年1月30日 (月)

年次有給休暇のそもそも

マイナビウーマンのこの記事が炎上しているそうですが、

https://woman.mynavi.jp/article/170127-9/(意味わかんない!「社会人としてありえない」有休取得の理由7つ! )

もちろんこの記事自体、炎上する理由がてんこもりの立派な炎上案件ではあるのですが、とはいえ、これに噛み付いている方々の年次有給休暇観自体が、実は世界的に当たり前の年次有給休暇のありようとはかなりかけ離れてしまっているということは、労働問題の常識としてわきまえておいてもいいように思われます。

この記事自体が

体調が悪いときや身内に不幸があったときは、やむを得ず有休を取りますよね。・・・

と書き始めていますが、いやそもそもそうじゃないから。

187940今から70年前に労働基準法なる法律が日本で作られたときに、その担当課長だった寺本廣作氏は、そもそも年次有給休暇というのはまとめて一括取得するのが大原則で、一日ずつとるなどというのは本来あり得ないことだという国際常識を重々承知した上で、しかし敗戦直後で焼け野が原になった日本ではそれをそのまま適用することは難しいというやむにやまれぬ事情の下で1日単位の分割取得というおかしな制度をあえて導入したと明言しています。

・・・年次有給休暇の日数は最低6労働日とし分割を認めることゝした。国際労働条約では逓増分については分割を認めてゐるが基礎日数たる6労働日については分割を認めてゐない。基礎日数の分割を認めたのでは、一定期間継続的に心身の休養を図るという年次有給休暇制度本来の趣旨は著しく没却されることになるが、我が国の現状では労働者に年次有給休暇を有効に利用させるための施設も少なく、労働者は生活物資獲得のため、週休以外に休日を要する状況にもあり、且又立案当時、労働者側使用者側双方の意見もあって、基礎日数についても分割を認めることとなった。・・・(寺本廣作『労働基準法解説』)

「労働者は生活物資獲得のため、週休以外に休日を要する状況」てのは、つまり食料の買い出しのために農村に出かけていく必要があったという話です。

本来の年次有給休暇とは、一定期間まとめて休むもの、あるいはより正確に言えば休ませるべきものなので、1954年省令改正前は使用者の側がまず労働者にいつ年休を取りたいかを聞く義務を課していました。現在は例外扱いとなっている計画年休制度の方が、本来の年休制度なのです。「生活物資獲得」の必要性が消え去ってしまったあともなおそのまま維持されてきた1日単位の年休が既に世界的には常識はずれであり、ましてや2008年改正で導入された時間単位の年休なんてへそでお茶が沸くような制度ではあるのですが、ここまでガラパゴス化してしまった日本の年休制度、あるいはむしろ年休思想がいかに強固なものであるかということが、図らずも今回の炎上騒ぎで露呈したわけですね。どちらの側も。

・・・尚、病気、欠勤、忌引等を年次有給休暇より使用者が一方的に相殺することは違法である。労働者が年次有給休暇をこれらの目的に充用することは、制度本来の趣旨には沿はないが、本条第1項で分割を認めてゐる以上、これを違法と解することは困難である。・・・・(同書)

70年前に「制度本来の趣旨には沿はない」けれども「違法と解することは困難」としぶしぶ認めていたものが、許される唯一の取得理由になってしまっているとは、あの世の寺本廣作氏も予想はつかなかったことでしょう。

日本型雇用システム論と小池理論の評価(後編)@『WEB労政時報』

WEB労政時報に「日本型雇用システム論と小池理論の評価(後編)」を寄稿しました。

https://www.rosei.jp/readers-taiken/hr/article.php?entry_no=621

日本型雇用システムについての議論で、たびたび参照されるのが小池和男氏(現・法政大学名誉教授)の理論です。しかし、小池理論の根幹部分について、多くの読者は取り違えてしまっているのではないか、と考えます。
前編では、小池氏の賃金理論の変遷をたどりながら、その議論における問題点の所在を見ていきました。
 後編では、こういう小池氏の発想の根源を探ってみたいと思います。多くの人は小池氏を実証的労使関係論者だと思っているようです。しかし、小池氏の議論は労使関係論の基本的発想の欠如した純粋経済学者のスタイルです。それも新古典派というよりも宇野派マルクス経済学の直系です。
 
 労使関係論とは何でしょうか? 一言でいえば、労使の抗争と妥協によって作り上げられる「ルール」の体系を研究する学問です。その「ルール」は政治的に構築されるのですから、経済学的に正しい保障はありません。もちろん、政治的に構築されたルールが持続可能であるためには経済学的に一定の合理性を持つ必要があります。 ・・・・

2017年1月27日 (金)

『EUの労働法政策』刊行

Eulabourlaw本日、拙著『EUの労働法政策』(労働政策研究・研修機構)を刊行しました。

http://www.jil.go.jp/publication/ippan/eu-labour-law.html

着実に進展を続けるEUの労働法について、労使関係法や労働条件法、労働人権法など労働法政策に係わる最新情報に基づき全体像がわかるよう1冊にまとめた決定版

「はしがき」にこの本の趣旨を簡単に書いておりますのでそのまま引用します。

 本書は、1998年7月に刊行した『EU労働法の形成』(日本労働研究機構)の全面改訂版である。
 同書は、1999年3月に第2刷を刊行した後、2001年3月に増補版を刊行したが、EUの労働法自体はその後も着実に進展を続けており、EU加盟諸国の労働法の研究という面からもその立法過程の分析への関心は高い。
 そこで今回、EUにおける労使関係法や労働条件法、労働人権法など労働法政策に係る最新情報に基づき、今日のEU労働法の全体像がわかるような決定版としてまとめ直した。
 本書が、EU労働法やEU加盟諸国の労働法に関心を持つ人々によって活用されることができれば、これに過ぎる喜びはない。

イギリスがEUを離脱するという話が出ているときに、イギリスの保守派があれほど嫌がっていたEUの労働法とはどういうもので、両者の間にどういういきさつがあったのか、といったことを改めて考える上でも役に立つでしょうし、あるいは、現在日本で国政の重要課題になってきている非正規労働の均等待遇問題や労働時間規制問題で常に引証されるEUの法制がどういう経緯で作られてきたのかを知りたいという要望にも応えられると思います。

上記リンク先の目次はごく簡単なものですが、

  • 第2章 労使関係法政策
    • 第1節 欧州会社法等
    • 第3節 労働者への情報提供・協議
    • 第5節 EUレベルの紛争解決と労働基本権
    • 第6節 多国籍企業協約
  • 第3章 労働条件法政策
    • 第1節 リストラ関連法制
    • 第2節 安全衛生法制
    • 第3節 労働時間法制
    • 第4節 非典型労働者に関する法制
  • 第4章 労働人権法政策
    • 第1節 男女雇用均等法制
    • 第2節 その他の女性関係法制
    • 第3節 性別以外の雇用均等法制

詳細な目次は以下の通りです。

ご関心に合うところがあれば幸いです。

第1章 EU労働法の枠組みの発展
 第1節 ローマ条約における社会政策
  1 一般的社会規定
  2 ローマ条約における労働法関連規定
   (1) 男女同一賃金規定
   (2) 労働時間
  3 その他の社会政策規定
   (1) 欧州社会基金
   (2) 職業訓練
 第2節 1970年代の社会行動計画と労働立法
  1 準備期
  2 社会行動計画指針
  3 社会行動計画
  4 1970年代の労働立法
  5 1980年代前半の労働立法
 第3節 単一欧州議定書と社会憲章
  1 単一欧州議定書
   (1) 域内市場の確立のための措置
   (2) 労働環境のための措置
   (3) 欧州労使対話に関する規定
   (4) 労使対話の試みとその限界
  2 1980年代後半の労働立法
  3 社会憲章
   (1) 域内市場の社会的側面
   (2) 社会憲章の採択に向けて
   (3) EC社会憲章
  4 社会憲章実施行動計画
  5 1990年代初頭の労働立法
   (1) 本来的安全衛生分野の立法
   (2) 安全衛生分野として提案、採択された労働条件分野の立法
   (3) 採択できなかった労働立法
   (4) 採択された労働立法
   (5) 非拘束的な手段
 第4節 マーストリヒト条約付属社会政策協定
  1 マーストリヒト条約への道
   (1) EC委員会の提案
   (2) ルクセンブルク議長国のノン・ペーパー
   (3) ルクセンブルク議長国の条約案
   (4) 欧州経団連の方向転換と労使の合意
   (5) オランダ議長国の条約案
  2 マーストリヒト欧州理事会と社会政策議定書、社会政策協定
   (1) 社会政策議定書
   (2) 社会政策協定
   (3) 対象事項
   (4) 労使団体による指令の実施
   (5) EUレベル労働協約とその実施
   (6) その他
   (7) 附属宣言
  3 社会政策協定の実施
   (1) 労使団体の提案
   (2) 社会政策協定の適用に関するコミュニケーション
   (3) 欧州議会の要求
  4 1990年代中葉から後半の労働立法
   (1) マーストリヒト期の労働立法の概要
   (2) EU労働協約立法の問題点
 第5節 1990年代前半期におけるEU社会政策の方向転換
  1 雇用政策の重視と労働市場の柔軟化の強調
   (1) ドロール白書
   (2) ドロール白書以後の雇用政策
  2 社会政策のあり方の再検討
   (1) ヨーロッパ社会政策の選択に関するグリーンペーパー
   (2) ヨーロッパ社会政策白書
  3 中期社会行動計画
 第6節 アムステルダム条約
  1 アムステルダム条約に向けた検討
   (1) 検討グループ
   (2) IGCに向けたEU各機関の意見
   (3) 条約改正政府間会合
  2 アムステルダム条約
   (1) 人権・非差別条項
   (2) 新・社会条項
   (3) 雇用政策条項
 第7節 世紀転換期のEU労働社会政策
  1 社会行動計画(1998-2000)
  2 世紀転換期の労働立法
   (1) ポスト・マーストリヒトの労働立法の特徴
   (2) ポスト・マーストリヒト労働立法の具体例
   (3) 人権・非差別関係立法
   (4) 欧州会社法の成立
 第8節 ニース条約と基本権憲章
  1 ニース条約に向けた検討
   (1) 欧州委員会の提案
   (2) 条約改正政府間会合
  2 ニース条約
   (1) 人権非差別条項
   (2) 社会条項
  3 EU基本権憲章に向けた動き
   (1) 賢人委員会報告
   (2) EU基本権憲章を目指して
   (3) EU基本権憲章
 第9節 2000年代前半のEU労働社会政策
  1 社会政策アジェンダ
   (1) 社会政策アジェンダ(2000-2005)
   (2) 社会政策アジェンダ中期見直し
  2 2000年代前半の労働立法
   (1) 労使団体への協議と立法
   (2) 自律協約の問題点
   (3) 人権・非差別関係立法
 第10節 EU憲法条約の失敗とリスボン条約
  1 EU憲法条約に向けた検討
   (1) 社会的ヨーロッパ作業部会
   (2) コンヴェンションの憲法条約草案とEU憲法の採択
  2 EU憲法条約の内容
   (1) 基本的規定
   (2) 基本権憲章
   (3) EUの政策と機能
  3 EU憲法条約の蹉跌とリスボン条約
   (1) EU憲法条約の蹉跌
   (2) リスボン条約とその社会政策条項
 第11節 2000年代後半以降のEU労働社会政策
  1 新社会政策アジェンダ
   (1) 社会政策アジェンダ
   (2) 刷新社会政策アジェンダ
  2 フレクシキュリティ
   (1) 「フレクシキュリティ」の登場 
   (2) フレクシキュリティのパラドックス 
   (3) フレクシキュリティの共通原則とその後
  3 労働法の現代化
   (1) グリーンペーパーに至る労働法検討の経緯
   (2) グリーンパーパー発出をめぐる場外乱闘
   (3) グリーンペーパーの内容
   (4) その後の動き
  4 2000年代後半以降の労働立法
   (1) 労使団体への協議と立法
   (2) 一般協議の拡大
 
第2章 労使関係法政策
 第1節 欧州会社法等
  1 欧州会社法
   (1) 欧州会社法規則第1次案原案
   (2) 欧州会社法規則第1次案原案への欧州議会修正意見
   (3) 欧州会社法規則第1次案修正案
   (4) 議論の中断と再開
   (5) 欧州会社法第2次案原案(規則案と指令案)
   (6) 欧州会社法第2次案修正案(規則案と指令案)
   (7) 欧州会社法案の隘路突破の試み
   (8) 欧州会社法案に関するダヴィニオン報告書
   (9) 合意まであと一歩
   (10) 一歩手前で足踏み
   (11) 欧州会社法の誕生
   (12) 欧州会社法規則と被用者関与指令の概要
   (13) 欧州会社法被用者関与指令の見直し
  2 他の欧州レベル企業法制における被用者関与
   (1) 欧州協同組合法
   (2) 欧州有限会社法案
 第2節 会社法の接近
  1 会社法接近各指令の概要
  2 会社法第5指令案
   (1) 会社法第5指令案原案
   (2) EC委員会のグリーンペーパー
   (3) EC委員会の作業文書
   (4) 欧州議会の修正意見
   (5) 会社法第5指令案修正案
   (6) 撤回
  3 会社法第3指令
   (1) 会社法第3指令案
   (2) 会社法第3指令
 第3節 労働者への情報提供・協議
  1 フレデリング指令案
   (1) 多国籍企業問題への接近
   (2) フレデリング指令案原案
   (3) 原案提出後の推移
   (4) フレデリング指令案修正案
   (5) 修正案提出後の推移
   (6) アドホックワーキンググループの「新たなアプローチ」
   (7) その後の経緯
  2 欧州労使協議会指令
   (1) 議論の再開
   (2) 欧州労使協議会指令案原案
   (3) 欧州労使協議会指令案修正案とその後の推移
   (4) ベルギー修正案
   (5) 欧州労使団体への第1次協議
   (6) 欧州労使団体への第2次協議
   (7) 欧州委員会の指令案
   (8) 欧州労使協議会指令の概要
   (9) 国内法への転換に関するワーキングパーティ
   (10) 先行設立企業の続出
   (11) イギリスのオプトアウトの空洞化
   (12) ルノー社事件
   (13) 指令の見直しへの動き
   (14) 欧州労使協議会指令の改正
  3 一般労使協議指令
   (1) 中期社会行動計画
   (2) 労働者への情報提供及び協議に関するコミュニケーション
   (3) 一般労使協議制に関する第1次協議
   (4) 一般労使協議制に関する第2次協議
   (5) 欧州経団連の逡巡と交渉拒否
   (6) 指令案の提案
   (7) 理事会での議論開始
   (8) 一般労使協議指令の概要
   (9) 一般労使協議指令のインパクト
  4 情報提供・協議関係諸指令の統合
  5 新たな枠組みへの欧州労連提案
 第4節 被用者の財務参加
 第5節 EUレベルの紛争解決と労働基本権
  1 欧州レベルの労使紛争解決のための斡旋、調停、仲裁の自発的メカニズム
  2 EUレベルの労働基本権規定の試み
   (1) EUにおける経済的自由と労働基本権
   (2) 問題が生じた法的枠組み
   (3) 4つの欧州司法裁判所判決
   (4) 判決への反応
   (5) 団体行動権に関する規則案
   (6) 規則案に対する反応とその撤回
 第6節 多国籍企業協約
   (1) EUレベルの労働協約法制の模索
   (2) 多国籍企業協約立法化への動き
   (3) 専門家グループ報告書
   (4) 非公式の「協議」
   (5) 労使団体の反応
   (6) 欧州労連の立法提案
 
第3章 労働条件法政策
 第1節 リストラ関連法制
  1 集団整理解雇指令
   (1) ECにおける解雇法制への出発点
   (2) EC委員会の原案
   (3) 旧集団整理解雇指令
   (4) 1991年改正案とその修正案
   (5) 1992年改正
  2 企業譲渡における被用者保護指令
   (1) 前史:会社法第3指令案
   (2) EC委員会の原案
   (3) 旧企業譲渡指令
   (4) 欧州委員会の1994年改正案
   (5) 1997年の修正案
   (6) 1998年改正指令
  3 企業倒産における被用者保護指令
   (1) EC委員会の原案
   (2) 1980年指令
   (3) 2001年の改正案
   (4) 2002年改正指令
 第2節 安全衛生法制
  1 初期指令
  2 危険物質指令群
   (1) 危険物質基本指令
   (2) 危険物質基本指令に基づく個別指令
  3 単一欧州議定書による条約旧第118a条
  4 安全衛生枠組み指令
   (1) 使用者の義務
   (2) 労働者の義務
  5 枠組み指令に基づく個別指令
  6 安全衛生分野における協約立法
   (1) 注射針事故の防止協約指令
   (2) 理美容部門における安全衛生協約
   (3) 筋骨格障害
  7 自営労働者の安全衛生の保護の問題
  8 欧州職業病一覧表
  9 職場の喫煙
  10 職場のストレス
   (1) EU安全衛生戦略
   (2) 職場のストレスに関する労使への協議
   (3) 職場のストレスに関する自発的労働協約の締結
  11 職場の暴力とハラスメント
   (1) 欧州生活労働条件改善財団の調査結果
   (2) 欧州議会の決議
   (3) 労働安全衛生諮問委員会の意見
   (4) 欧州委員会の新安全衛生戦略
   (5) 職場のいじめ・暴力に関する自律労働協約 
   (6) 職場における第三者による暴力とハラスメントに取り組むガイドライン
   (7) 学校における第三者暴力・ハラスメント
 第3節 労働時間法制
  1 労働時間指令以前
   (1) ローマ条約上の規定
   (2) 週40時間労働及び4週間の年次有給休暇の原則に関する理事会勧告
   (3) ワークシェアリング
   (4) 労働時間の適応に関する決議
   (5) 労働時間の短縮と再編に関するメモランダム
   (6) 労働時間の短縮と再編に関する理事会勧告案
  2 労働時間指令の形成
   (1) 社会憲章と行動計画
   (2) 労使団体への協議文書
   (3) EC委員会の原案
   (4) 欧州経団連の批判
   (5) 経済社会評議会と欧州議会の意見
   (6) 第1次修正案
   (7) 理事会の審議(1991年)
   (8) 理事会の審議(1992年)
   (9) 共通の立場から採択へ
   (10) 旧労働時間指令
   (11) イギリス向けの特例規定
   (12) イギリスの対応
   (13) 欧州司法裁判所の判決
   (14) 判決の効果とイギリスへの影響
  3 適用除外業種の見直し
   (1) 適用除外業種の見直しに関するホワイトペーパー
   (2) 第2次協議
   (3) 業種ごとの協約締結の動き
   (4) 欧州委員会の指令改正案
   (5) 諸指令の採択
   (6) 改正労働時間指令
   (7) 道路運送労働時間指令
   (8) 船員労働時間協約指令
   (9) EU寄港船船員指令
   (10) 民間航空業労働時間協約指令
   (11) その後の業種ごとの労働時間指令
  4 難航する労働時間指令の本格的改正
   (1) 欧州委員会の第1次協議
   (2) 欧州委員会の第2次協議
   (3) 労働時間指令案の提案
   (4) 欧州議会の意見
   (5) 欧州委員会の修正案
   (6) 理事会における議論
   (7) 閣僚理事会の共通の立場
   (8) 欧州議会の第二読意見と決裂
   (9) 再度の労使団体への協議、交渉、決裂
   (10) 労働時間指令に関する一般協議
  5 自動車運転手の運転時間規則
 第4節 非典型労働者に関する法制
  1 1980年代前半の法政策
   (1) テンポラリー労働、パートタイム労働に関する考え方の提示
   (2) 自発的パートタイム労働に関する指令案
   (3) テンポラリー労働に関する指令案
   (4) 理事会等における経緯
   (5) 派遣・有期労働指令案修正案
  2 1990年代前半の法政策
   (1) 社会憲章と行動計画
   (2) 特定の雇用関係に関する3指令案
   (3) 労働条件との関連における特定の雇用関係に関する理事会指令案
   (4) 競争の歪みとの関連における特定の雇用関係に関する指令案
   (5) 有期・派遣労働者の安全衛生改善促進措置を補完する指令案
   (6) 修正案
   (7) 理事会での経緯
   (8) 有期・派遣労働者の安全衛生指令
  3 パートタイム労働指令の成立
   (1) 欧州労使団体への第1次協議
   (2) 欧州労使団体への第2次協議
   (3) パートタイム労働協約の締結
   (4) 協約締結後の推移
  4 有期労働指令の成立
   (1) 有期労働に係る労使交渉
   (2) 有期労働協約の内容
   (3) 欧州委員会による指令案
   (4) 指令の採択
  5 派遣労働指令の成立
   (1) 派遣労働に関する交渉の開始と蹉跌
   (2) 幕間劇-欧州人材派遣協会とUNI欧州の共同宣言
   (3) 提案直前のリーク劇と指令案の提案
   (4) 欧州委員会の派遣労働指令案
   (5) 労使の反応と欧州議会の修正意見
   (6) 理事会におけるデッドロック
   (7) フレクシキュリティのモデルとしての派遣労働
   (8) ついに合意へ
   (9) 指令の内容
  6 テレワークに関する労働協約
   (1) 労働組織の現代化へのアプローチ
   (2) 情報社会の社会政策へのアプローチ
   (3) 雇用関係の現代化に関する労使団体への第1次協議
   (4) 労使団体の反応とテレワークに関する労使団体への第2次協議
   (5) 産業別レベルのテレワーク協約の締結
   (6) EUテレワーク協約の締結
   (7) EUレベル労働協約の法的性格
  7 経済的従属労働者
   (1) 雇用関係の現代化に関する第1次協議
   (2) 労働法現代化グリーンペーパー
 第5節 その他の労働条件法制
  1 海外送出労働者の労働条件指令
   (1) 指令案の提案
   (2) 理事会における経緯
   (3) 指令の内容
   (4) 海外送出指令実施指令
   (5) 元請の連帯責任
   (6) 海外送出指令改正案
   (7) 海外送出指令改正案をめぐる加盟国議会の反発
  2 年少労働者指令
   (1) 指令案の提案
   (2) 理事会での検討
   (3) 指令の内容
  3 雇用条件通知義務指令
   (1) EC委員会の原案
   (2) 指令の内容
   (3) 指令見直しへの一般協議
  4 労働者の個人情報保護
   (1) 個人情報保護指令
   (2) 労働者の個人情報保護に関する検討
   (3) 労使団体への第1次協議
   (4) 労使団体への第2次協議
   (5) 新個人情報保護規則
  5 トレーニーシップ上質枠組勧告
   (1) トレーニーシップに関する一般協議と労使への協議
   (2) トレーニーシップ上質枠組勧告
 
第4章 労働人権法政策
 第1節 男女雇用均等法制
  1 男女同一賃金
   (1) ローマ条約の男女同一賃金規定
   (2) 男女同一賃金指令
   (3) 男女同一賃金行動規範
  2 男女均等待遇指令の制定
   (1) EC委員会の原案
   (2) 男女均等待遇指令
  3 社会保障における男女均等待遇
   (1) 公的社会保障における男女均等待遇指令
   (2) 職域社会保障制度における男女均等待遇指令
   (3)公的・職域社会保障制度における男女均等待遇指令案
   (4) 欧州司法裁判所の判決とその影響
  4 自営業男女均等待遇指令
   (1) EC委員会の原案
   (2) 自営業男女均等待遇指令
   (3) 2010年改正指令
  5 性差別事件における挙証責任指令
   (1) EC委員会の原案
   (2) 欧州司法裁判所の判決
   (3) 欧州労使団体への協議
   (4) 欧州委員会の新指令案と理事会の審議
   (5) 性差別事件における挙証責任指令
  6 ポジティブ・アクション
   (1) ポジティブ・アクションの促進に関する勧告
   (2) カランケ判決の衝撃
   (3) 男女均等待遇指令の改正案
   (4) ローマ条約における規定
   (5) マルシャル判決
  7 セクシュアルハラスメント
   (1) 理事会決議までの前史
   (2) 理事会決議
   (3) EC委員会勧告と行為規範
   (4) 労使団体への協議
   (5) 1998年の報告書
   (6) 男女均等待遇指令改正案
  8 男女均等待遇指令の2002年改正
   (1) ローマ条約の改正
   (2) 欧州委員会の改正案原案
   (3) 理事会における議論
   (4) 欧州議会の第1読修正意見
   (5) 欧州委員会の改正案修正案と理事会の共通の立場
   (6) 欧州議会の第2読修正意見と理事会との調停
   (7) 2002年改正の内容
  9 男女機会均等・均等待遇総合指令
   (1) 男女均等分野諸指令の簡素化
   (2) 男女機会均等・均等待遇総合指令案
   (3) 労使団体等の意見
   (4) 欧州議会の意見と理事会の採択
 第2節 その他の女性関係法制
  1 母性保護指令
   (1) EC委員会の原案
   (2) EC委員会の修正案
   (3) 理事会での検討
   (4) 母性保護指令
   (5) 母性保護指令の改正案とその撤回
  2 育児休業指令
   (1) 1983年の原案
   (2) 理事会におけるデッドロック
   (3) 労使団体への協議
   (4) 欧州レベルの労使交渉
   (5) EUレベル労働協約の内容
   (6) 協約締結後の推移
   (7) 労使団体への協議と改正育児休業協約
   (8) ワークライフバランスに関する労使団体への協議
  3 雇用・職業以外の分野における男女均等待遇指令
   (1) EC条約及び基本権憲章における男女均等関係規定
   (2) 指令案の予告
   (3) 男女機会均等諮問委員会のインプット
   (4) 指令案の遅滞
   (5) 指令案の提案
   (6) 理事会での審議
   (7) 採択に至る過程
 第3節 性別以外の均等法制
  1 特定の人々に対する雇用政策
   (1) 障害者雇用政策
   (2) 高齢者雇用政策
  2 一般雇用均等指令
   (1) EU社会政策思想の転換
   (2) 一般雇用均等指令案
   (3) 使用者団体の意見
   (4) 理事会における議論
   (5) 採択に至る過程
   (6) 一般雇用均等指令の内容
  3 人種・民族均等指令
   (1) 人種・民族均等指令案
   (2) 理事会における議論
   (3) 採択に至る過程
   (4) 人種・民族均等指令の内容
  4 雇用・職業以外の分野における一般均等指令案
   (1) 雇用・職業以外の分野における一般均等指令案

2017年1月26日 (木)

田中勇気『営業秘密防衛Q&A』

Bk00000462もう一冊、讃井暢子さんからお送りいただいたのは、弁護士の田中勇気さんの『営業秘密防衛Q&A -内部不正による情報漏洩リスクへの実践的アプローチ』です。

https://www.keidanren-jigyoservice.or.jp/public/book/index.php?mode=show&seq=462&fl=1

 近時、企業の基幹技術に関する情報漏洩が相次いでいます。このような情報漏洩事件の多くでは、在職中に基幹技術へアクセスできた退職者がかかわっていることから、どの企業にとっても他人事では済まされません。そこで本書では、近時の情報漏洩事件を踏まえて改正された営業秘密保護法制の概要を紹介するとともに、内部不正者の典型である退職者による情報漏洩の問題を中心として、転職元・転職先企業の双方の立場から、法規制と実務対応のポイントをQ&A形式でわかりやすく解説します。この他、他社情報の混入対策に関する留意点についても、具体例を交えて取り上げました。自社の営業秘密その他機密情報をいかに内部不正から防衛するのか、その現実的な対策・アプローチが見出せます。

これは、労働者の退職後の守秘義務とか競業避止義務とかに関わる労働契約法の問題でもあるんですね。

本寺大志/小窪久文/中嶋義文『マネジャー育成講座』

Bk00000452本寺大志、小窪久文、中嶋義文さんの共著『マネジャー育成講座 リーダーシップの磨き方、組織力の高め方』(経団連出版)を例によって讃井暢子さんよりお送りいただきました。いつもありがとうございます。

https://www.keidanren-jigyoservice.or.jp/public/book/index.php?mode=show&seq=452&fl=1

 マネジャーの最大の責務は、企業のリソースである「ヒト」の持つ力や可能性を引き出すよう工夫して業績をあげることですが、だからといって強制的に部下たちを働かせるばかりでは、磨耗してしまいます。
 日本の企業は、「失われた20年」のなかで、若手人材の採用を抑えた企業も多く、職場のなかで後輩の面倒をみる経験などがないままに管理職となった人が増えています。そのため、意識して学び、管理職として成長していく必要が生じています。最初から管理職という人はいません。管理職としてのスキルやノウハウは学習、開発可能なものであり、実践経験を通じて管理職になっていくのです。
 本書では、そのような状況下にある今日の管理職に求められる、人と組織のマネジメント法を取り上げました。また、メンタルヘルス不調者への対応についても、精神科医がアドバイスします。
 組織業績に貢献し、部下と組織と自らを成長させたいと願う管理職の一助となる一冊です。

はじめの4章は、管理職になった人の心構え、振る舞い方みたいな話で、第5章は労働法と報酬の基礎知識、第6章はさらにメンタルヘルスの扱い方と、広い話題を取り上げています。

その第5章の3がパワハラの問題で、その冒頭に「指導とハラスメントの境界線」という項がありますが、そこの記述にこうあります。

・・・上司、部下それぞれにタイプが異なるので、指導とハラスメントの違いを杓子定規に決めることはできない。たとえば業務の進め方について、上司が「バカじゃないの」と部下に言った場合でも、この上司と部下の間で十分なコミュニケーションがあり、上司が部下の力量を評価し、部下も上司を尊敬していたら、この発言に対して、部下は自分の足りない点の指摘と受け止め、「あ、私の至らないところはその点でした」となるだろう。ところが、上司と部下が日頃からコミュニケーションが余りなく、上司は部下を頼りないと思い、部下は上司が一方的に仕事を押しつけてくると思っているなら、部下は「いくら上司であっても、人格をないがしろにする発言で受け入れられない」となるだろう。すなわち「精神的な攻撃」と受け止めてしまうのだ。

上司として部下を指導することは、まさしく管理職の仕事である。そのため、指示をするたびに、ハラスメントになるのではとびくびくするのもおかしな話である。しかし、上司が当たり前と思っていることの指摘や発言であっても、それが部下にどのような心情を引き起こすかに気付いていないなら、ハラスメントにつながるおそれがある。

この記述それ自体はその通りとは言えるのですが、実はもう一つその奥に問題があって、上司の側では「上司と部下の間で十分なコミュニケーションがあり、上司が部下の力量を評価し、部下も上司を尊敬してい」ると現状認識しているけれどもそれは部下に共有されておらず、同じ状況を部下の側は「上司と部下が日頃からコミュニケーションが余りなく、上司は部下を頼りないと思い、部下は上司が一方的に仕事を押しつけてくると思ってい」るという認識ギャップ状況というのは十分あり得るわけです。上司の側は、「これは状況によってはハラスメントになり得るけれども、俺たちの間ではそうはならない」と思っていても、部下の側では「これこそハラスメント」当家止められてしまうということもあり得るということも、頭の中に置いておく必要もありそうな気がします。

非正規雇用の歴史と賃金思想@『大原社会問題研究所雑誌』1月号

Image1『大原社会問題研究所雑誌』2017年1月号の中身が同研究所のサイトにPDFでアップされました。私の書いた「非正規雇用の歴史と賃金思想」もこちらで全文読めますので、関心のある方はどうぞ。

http://oisr-org.ws.hosei.ac.jp/images/oz/contents/699_02.pdf

はじめに
1 非正規雇用の歴史
(1) 戦前の臨時工
(2) 戦後の臨時工
(3) 主婦パート
(4) 学生アルバイト
(5) 派遣労働者
(6) 嘱託
(7) 契約社員
(8) フリーター
(9) ガテン系請負・派遣労働者
(10) 同一労働同一賃金の復活
2 賃金思想の展開
(1) 生活給思想の確立
(2) 職務給の唱道と失速
(3) 「能力」という万能の説明
(4) 「能力」と生活の整合とねじれ
おわりに

2017年1月25日 (水)

北健一『電通事件』

Show_image北健一さんの『電通事件 なぜ死ぬまで働かなければならないのか』(旬報社)をお送りいただきました。

http://www.junposha.com/catalog/product_info.php/products_id/1149?osCsid=qaqihb2cme1aq9746bf297aa24

いまの日本の働き方を知る必読のノンフィクション!
なぜ過労自殺は繰り返されたのか?
なぜ、電通では、長時間労働が是正されないのか?
『働き方』改革が唱えられているいま、真剣に考えなければならないところまで日本はきている

今話題のトピックをさっそく本にしたという感じです。雑誌の総力特集をそのまま本にした感じと言うべきか。正直、一冊の本として出すのであれば、前の第1次電通過労自殺事件の話や、その後電通内部で取り組まれたいろんな動きとかも取り上げた方がよかったんではないかと思いますが、むしろ今の時点で本にしようとすると、これくらいになるのかも知れません。

プロローグ
第1章 事件の急展開
 労災から捜査へ/会社ぐるみの問題/体育会系体質
第2章 電通という会社
 広告の巨人/ネットの時代に
第3章 崩れるタブー
 硬直した対応/武富士事件での役割/コントロールされるメディア/崩れ始めたタブー/なお残るもの
第4章 クライアント・ファーストの下で
 口を塞がれた社員の代わりに/顧客サービス業につきまとう問題/自発的な働き過ぎ/長時間労働が「サービス」に
第5章 電通事件と「働き方改革」
 すべては生産性のために/残業代ゼロ法案/残業代ゼロを先取りする職場/労働基準監督官たちの思い/労基法で守られない働き手
第6章 別のモデルを探して
 模索する企業/過労死防止のとりくみ/労働組合の役割
 インタビュー①佐々木司(大原記念上席主任研究員)
 インタビュー②尾林芳匡(東京過労死弁護団幹事長)
エピローグ 電通は変われるか

『日本労働研究雑誌』2017年特別号

679_special『日本労働研究雑誌』2017年特別号は、昨年6月に開かれた2016年労働政策研究会議の報告です。

http://www.jil.go.jp/institute/zassi/new/index.html

総括テーマは「労働時間をめぐる政策課題」で、労働法から桑村裕美子さん、労働経済から黒田祥子さん、労働組合からUAゼンセンの松井健さん、人事管理から松浦民恵さんが報告し、討議概要からすると、仁田道夫、大内伸哉、中窪裕也といった錚々たる面子が入れ替わり立ち替わり突っ込みを入れていたようです。

http://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2017/special/pdf/003-008.pdf(【パネルディスカッション・討議概要】)

たった半年前ではありますがその後の事態の推移の急激さから見ると、だいぶ昔の議論みたいに見えるところが不思議です。

今焦点になっている長時間労働問題について、桑村さんはこう言っていました。

次に一般的な長時間労働対策について,労働基準法改正案は,長時間労働の抑制について,限度基準に基づく行政指導と割増賃金支払いによる間接規制という従来の手法を徹底する内容となっている。しかし間接規制の効果は明らかではないこともあり,今後も引き続き,時間外労働の量的上限規制や全労働者を対象とした勤務間インターバル規制の導入を検討するべきである。またこれ以外に,労使協定の締結が時間外労働実施の条件であるにもかかわらず長時間労働が問題となっていることから,過半数代表による歯止めが機能していない可能性もある。新たな労働者代表制度の構築が急務である。

この討議概要はなかなか面白いので、是非リンク先をお読みください。

自由論題セッションは計6本ですが、ここでは高原正之さんの「解雇規制は本当に日本の就業率を下げているのか?」を紹介しておきます。

大竹・奥平(2006),奥平(2008)は,日本の裁判所の整理解雇事件の判決傾向を示す解雇無効判決変数を作成し,これを用いて実証分析を行ってこの変数が就業率に負の効果を持つことを示し,これから日本の解雇規制が就業率を引き下げる効果を持つと主張した。この変数は,年毎のデータを起点となる年からそれぞれの年まで加えたものであり,その作成に当たっても,利用に際しても細心の注意が必要である。

上記の分析には,理論的な前提とこの変数を作成するために用いられたデータに不整合がある,この変数作成のための起点の設定に根拠がない,測定誤差が存在し,それがランダムウォークする,過少定式化の恐れがある,想定されている企業の行動が現実的ではない,などの問題がある。これらの問題のいくつかはモデルの定式化を修正することにより対応することが可能であり,改善策を提示した。

現段階では,日本の解雇規制が就業率にどのような影響を与えているのかは謎のままである。今後データの整備,モデルの改善などによって,解雇規制の雇用に及ぼす効果を把握することが期待される。

この大竹・奥平論文は、もう10年ほど前になりますが、労働弁護団の雑誌『季刊労働者の権利』で批判特集号が出されるなど、この業界では大変話題を呼びました。この時には私も一文寄稿しました。

ただ、元論文を同じ労働経済学の立場からその手法に疑問を呈するようなものはあまりなく、その意味ではこの高原論文の意義は大きいのではないかと思われます。難しい数式がでてくるので私には論評能力はありませんが、関心のある向きは是非どうぞ。

2017年1月24日 (火)

とりもどせ!教職員の「生活時間」@連合総研

Nikkyoso連合総研の報告書『とりもどせ!教職員の「生活時間」』が同ホームページにアップされました。

http://www.rengo-soken.or.jp/report_db/file/1485152130_a.pdf

本ブログでも何回も取り上げてきましたが、イデオロギーの空中戦ばかりが注目される背後で、肝心の教師たちの労働条件が劣悪化の一途をたどっていることに、ようやく人々の関心が向き始めた昨今ですが、この問題に対して連合総研が毛塚勝利さんを主査に正面から取り組んだ研究の報告書です。

小中学校等で勤務する教員の長時間勤務の実態については、これまでOECDによる調査をはじめ多くの調査によって明らかにされています。その中では事務処理や部活等の課外活動による時間外勤務が多いこと等々がその要因として指摘されています。
このような教員の長時間勤務と働き方をめぐるこれまでの議論を踏まえ、本研究委員会では、そもそも教員の労働時間管理は適切に行われてきたのか、また長時間労働を克服するためどのように生活時間の確保するか、という視点から研究を進めることとしました。
ここでは、小中学校・高等学校・特別支援学校の教員5000名を対象としたアンケート調査を行うとともに、ドイツ、イギリスなどの海外の現状も現地調査を含めて実施してきました。
調査にあたっては、第1に、学校現場で行われている勤務時間管理の実情を明らかにするとともに、教員の職務の特性を前提にした時間管理のあり方を求めること。第2に、教員が個人生活、家庭生活、社会生活の時間がどの程度確保できているのか生活時間の実情を明らかにすること。第3に、教職員の業務の中には、本来行うべきとはいえない業務も含まれていることについて、現場の教職員がどう考えているのか、業務の精選に関する教員の意識を明らかにすることにしました。
今回の調査では、今後の新たな労働時間規制のあり方として、公共的性格をもつ生活時間を確保するとの観点から調整休暇制度の可能性について調査をしました。また、調整休暇制度を導入する場合に必要となる勤務時間の把握の方法、調整期間のあり方についても把握を試みています。その結果、調整休暇制度の可能性については、5割に上る教員が導入すべきあるいは検討すべきと回答していることが明らかになるなど、興味深い結果が得られています。
本報告書が、教職員における長時間勤務を解消するとともに、生活時間を確保し教育の質を高める取り組みを進めていく上で参考になれば幸いです。
さいごに、本研究委員会での活発な議論を展開していただくとともに、報告書の執筆を頂いた毛塚勝利主査をはじめとした各委員、オブザーバーの皆様方に、この場をお借りして深く感謝を申し上げます。

目次は以下の通りです。

序 章 研究の⽬的と⽅法
第 1 章 わが国の勤務時間と給与の歴史的変遷とその評価
第 2 章 調査に⾒る教職員の勤務時間と働き⽅の実情
第 3 章 教職員の⽣活時間の貧困とジェンダーバイアスをどう克服するか
第 4 章 教職員の多忙化の現状、要因、多忙化対策の課題
第 5 章 教職員の時間管理の現状・問題点と今後のあり⽅
第 6 章 教職員の労働時間実態の法的評価と給特法の解釈論的検討
第 7 章 調整休暇制度の可能性と課題
参考資料 ドイツにおける労働時間貯蓄⼝座制度の活⽤について
参考資料 イギリス公⽴学校職員の⻑時間労働対策の実際と課題
参考資料 アンケート調査票

なお冒頭の序章は毛塚主査の執筆ですが、教師の労働時間を超えて、今日の労働時間規制のあり方について論じていますので、ちょうど時宜にも適しているので、その部分を引用しておきます。

・・・このように、家庭生活や社会生活の希薄化という日本社会が直面する問題を考えれば、長時間勤務は、労働者の休息時間を奪い健康を阻害するだけではなく、家庭生活や社会生活への関与機会を奪うことでもある。その意味で生活時間を確保することは、家族や地域社会の劣化を防ぎ、豊かな社会を作るうえで不可欠である。企業が長時間労働を強いることはもちろん、健康に自信をもつ労働者が長時間労働を選択することもまた、生活時間を侵食することにほかならない。80年代以降、ヨーロッパでは、長時間労働は他人の雇用機会を奪うものとして、労働時間は労働者の自由な選択に委ねることのできない公共的性格をもつものとして理解されてきたが、今日、長時間労働は生活時間をも奪うものとして、労働時間の公共的性格が労使を超えすべての国民で共有されるべきであろう。

・・・生活時間の公共的性格を踏まえたとき、法定労働時間を超える時間外労働が行われた場合、賃金を払えばよいということにはならない。時間外労働が生活時間の侵害であるとすれば、時間によって埋め合わせがなされる必要がある。これは、家庭生活や社会生活の劣化を防ぐことが今日の日本が直面する喫緊の課題であることを考えれば、生活時間の確保・充実の観点から、一定時間を超える時間外労働や休日労働は、時間調整(代替休暇)を基本にすべきということにほかならない。

・・・また、時間外・休日労働の割増賃金についても、生活時間の観点からは再検討の余地がある。割増賃金を時間外労働・休日労働の追加的負荷への対価としてのみ考えると、割増賃金は時間外・休日労働のインセンティブを労働者に与えかねない。時間外労働は生活時間の侵食にほかならないことを考えれば、将来的には、時間外・休日労働の割増賃金は、むしろ生活時間侵害に対する補償金に性格を変えることが検討されてよい。生活時間侵害の補償金とすれば、一定の許容時間を超えて労働者が時間外労働を時間(休暇)による精算ではなく賃金による精算を選択したとすれば、労働者自身が生活時間確保の責任を果たさないことにほかならないから、労働者が補償金を手にする理由はない。少なくとも補償金の半額は労働者本人に帰属させるのではなく、生活時間基金として事業所でプールし、育児・介護やボランティア活動等に従事した労働者への支援にまわすことが考えられてよいことになろう。

残業「代」から残業「税」へ、という発想ですね。

2017年1月23日 (月)

大内伸哉『AI時代の働き方と法』

278836大内伸哉さんの新著『AI時代の働き方と法 2035年の労働法を考える』(弘文堂)をお送りいただきました。いつもありがとうございます。

http://www.koubundou.co.jp/book/b278836.html

 IT、人工知能、ロボティクスによる第4次産業革命は、人類が経験したことのないスピードと規模で、消費や生産など生活のあらゆる面で、制度・習慣・慣行を一変させはじめています。
 それにともない働き方も変化し、現行の労働法では対処できない問題が起こりつつあります。雇用環境が激変する社会で、私たちの働き方はどのように変わっていくのか。それに対応するために労働法はどう変わっていくべきか、また政府はどのような政策をとるべきか。未来を見据えて大胆に論じます。

次々に意欲的な本を出し続ける大内さんの、労働法学会では誰も手を出しかねているAIなどの技術革新の問題に正面からぶち当たっていこうとする意欲作といえましょうか。

ただ、その内容は日本型雇用システムや正社員論、雇用流動化論といった、必ずしもAI時代だからというわけではないトピックと、第4次産業革命論うあ自営的就労といった先進国共通の課題への対応のトピックとが、絡み合いながら議論されていて、読者は頭の中でそれを解きほぐしつつ読んでいく必要がありそうです。

たとえば、第1章では日本はジョブ型ではなくメンバーシップ型だったからME革命やIT革命にスムーズに対応できたという話があり、その詳しい仕組みの説明もある一方で、それがあとの方の第4次産業革命で正社員制度の維持が困難になるという話との論理的なつながりがもう少し説明されているといいように思いました。

プロローグ
第1章 技術革新と日本型雇用システム

  1 技術は脅威?
   コラム 欧州の職務給
  2 歴史の教訓?
  3 日本型雇用システムの適応力
   コラム 家事労働と女性の解放
  4 ME革命とIT革命
  5 受難のホワイトカラー
  6 小括
   コラム 奴隷の解放と復活
   補論 雇用の支援・創出効果

第2章 第4次産業革命と労働政策上の課題
  1 労働力人口の減少
  2 グローバル化
  3 産業構造の変化―第4次産業革命
  4 人工知能の発達
  5 産業界の構造転換と労働政策
  6 小括

第3章 労働法とは何か
  1 労働法の誕生
   補論 労働法のもう一つの系譜
   コラム 労働と契約
  2 従属労働論
  3 日本の労働立法
   コラム 公務員法は労働法ではない?
   補論 労働法学の課題
  4 日本の労働法の展開過程の分析
  5 小括
   補論 日本国憲法と労働法

第4章 正社員論―第2の労働法
  1 正社員はなぜ存在するのか?
  2 正社員を軸とする企業人事
  3 正社員制度を補完する労働契約法理
   補論 解雇権濫用法理の拡張
  4 非正社員はなぜ存在するのか?
   コラム 最低賃金法の改正
   コラム 2014年のパートタイム労働法改正
   補論 同一労働同一賃金
  5 小括

第5章 人材移動を実現するための改革―雇用流動化に向けた政策
  1 転換期にある労働市場政策
   コラム セーフティネットとモラルハザード
  2 雇用調整をめぐる問題―解雇法制の見直し
      補論 解雇の有効性判断
   補論 正社員制度を支えるもう一つの仕組み
   コラム 解雇規制と格差問題
   補論 ガイドライン方式
  3 職業訓練政策
   コラム 産業構造の転換に伴う職業訓練
  4 労働市場サービス
   コラム ドイツのハルツ革命
  5 小括

第6章 知的創造的な働き方に向けた改革―雇用流動化に向けた政策
  1 知的創造的な働き方と労働時間規制
   補論 長時間労働の是正
   補論 労働安全衛生法上の健康管理
   補論 高度プロフェッショナル制度
  2 場所的・時間的に自由な働き方としてのテレワーク
   補論 雇用型テレワークに対する労働法の適用
  3 小括

第7章 自営的就労―労働法のニューフロンティア
  1 自営的就労はなぜ必要となるのか
   補論 組織と市場
  2 クラウドワーク
  3 個人の起業
   補論 副業規制
  4 自営的就労と労働法
   補論 自営的就労者の事業者性
   補論 自営的就労とマッチング
   コラム 知的創造はリアルな会議から
  5 小括

第8章 労働法に未来はあるか?
  1 新たな格差問題
  2 労働法の終焉?
  3 人材育成の重要性
  4 労働法の真の再生,そしてフェイドアウト?
  5 脱労働時代の生活保障
エピローグ

第7章の自営的就労のところが本書のキモになりますが、ここは私も非常に面白い沃野が広がっていると思います。これをきちんと論じようとするならば、恐らく第3章で概観した労働法の歴史のさらに昔に遡って、雇用と請負を包括した人的サービス(ディーンスト)と契約のあり方を突っ込んで考える必要があるのではないかと、ぼんやり思っています。

その意味では、産業革命と共に生み出された「労働法」ではないにせよ、広い意味での「労働の法」の広がりを考えていく必要があるので、第8章の最後のところで、「脱労働時代の生活保障」といってベーシックインカムで「労働法の出番はもはやなさそうだ」というのは、最後の台詞としてはいかがなものかと正直感じたところです。

派出看護婦とは何だったのか?@『労基旬報』2017年1月25日号

『労基旬報』2017年1月25日号に「派出看護婦とは何だったのか?」を寄稿しました。

 派出看護婦といっても、今では知らない人の方が多くなったかも知れません。戦後はむしろ「付添看護婦」という言い方のほうが普通ですが、1997年の新看護体制の導入まで、入院患者とともに病院に寝泊まりして身の回りの世話をする女性たちが一個の職業として存在していたのです。民営職業紹介事業として「看護婦・家政婦紹介所」という看板が掛けられていたところの「看護婦」というのがほぼこれに当たります。今では消滅した職業ですが、その歴史をたどるといろいろと興味深いことが見えてきます。

 看護史研究会『派出看護婦の歴史』(勁草書房)によると、そもそも日本における看護婦の歴史は病院看護婦ではなく派出看護婦から始まるのです。1891年、鈴木まさが東京本郷に創立した慈善看護婦会がその出発点で、「医師又は患家より依頼あるとき看護婦並に産婆を派出する」のがその事業でした。その後京都、大阪にも看護婦会が作られていき、派出看護への需要が高まるにつれ、看護婦会が独自に看護婦の養成を始めます。一方、看護婦会が急増し、営利本位に流れていく状況を見て、行政も規制に乗り出し、1900年東京府は看護婦規則を発令、看護婦試験に及第した者のみが免状を得て看護婦の業を営むことができることとしました。それまで看護婦という業務は何ら規制されていませんでした。同規則の理由に「各営業者間に私設せる所謂看護婦会又は看護婦養成所と称する場所に於ては一般に速成を主とし極めて不完全なる養成を為し其大部分は殆ど看護婦の仮名を借るものたるに過ぎず」といわれるような実態があったのです。看護婦会の経営者たちによる同業団体の設立が進められていき、1902年には大日本看護婦協会が設立されました。

 一方東京府を皮切りに他府県でも次々と看護婦規則が発令され、1915年には内務省令として看護婦規則が制定されるに至ります。この看護婦規則は看護婦試験と免許制度を規定するものでしたが、各府県の施行細則の中では看護婦会の取締に関する規定が設けられました。そこでは、看護婦会の開設には許可を要すること、看護婦会の経営者は看護婦会組合に加入しなければならないことなどが定められていました。看護婦会に入会すると、会長自宅の二階や離れの宿舎で生活し、患家や病院からの申込みに応じて、会長の指示に従い派出されました。当時の「職業婦人就業案内」にも派出看護婦が登場しています。一方、大正デモクラシーで労働運動が高まりを見せる中で、派出看護婦のストライキもいくつか起こっています。さらに1922年には労働婦人同盟本部に看護婦同盟が結成されたということです。

 行政による看護婦会の取締も1930年から強化され、同年改正の東京府看護婦会取締規則では、看護婦会でなければ看護婦の派出をしてはならないこと、看護婦会は畳2畳につき会員5人の面積以上の寄宿設備を備えること、看護婦又は准看護婦でなければ派出してはならないことなどを定めました。しかしこれをかいくぐるように派出婦会が登場してきて、家事のみならず病人の付添も行うようになったため、同年内務省衛生局は「付添婦取締に関する件」という通牒を発し、「近時付添婦等と称し病院或は患家に於て看護婦と同様の業務を為す者漸次増加の傾向有之哉に聞及び候処、右は公衆衛生上弊害あるものと認めらるるに付充分取締相成」と指示しています。

 敗戦後GHQの厳命で労働者供給事業は(労働組合を除き)全面的に禁止されることとなり、戦前来の看護婦会も一切の業務をやめて解散しなければならなくなりました。これに対し、看護婦会経営者らはさまざまな運動を展開しました。まず第1は、従来の看護婦会を職業安定所の「委託寮」に指定し、派出看護婦から下宿料を徴収することで解散を免れるというやり方です。もっとも職安による派出看護婦の紹介はうまくいかず、病院と看護婦会の結びつきが強かったので、制度は変わったといいながら、派出看護婦は今まで通り委託寮主から派出先の指示を受け、ただ形式的に手続のための職安に出かけるという実態だったようです。

 第2は職業安定法で唯一許された労働組合の労働者供給事業として生き残る道です。1948年に名古屋の双葉臨床看護婦労働組合が第1号として許可を受け、続いて東京で田園調布派出看護婦家政婦労働組合が設立されています。ちなみにこの田園調布の組合は今日もなお労働者供給事業として事業を行っています。しかし、政治的な運動の結果1948年に職業安定法施行規則が改正され、有料職業紹介事業の対象職種に「看護婦」が追加されたことから、それ以後有料職業紹介事業として付添看護婦という職種が確立していきます。1950年には「家政婦」も対象職種に追加され、「看護婦・家政婦紹介所」として経営されることが殆どでしたが、その「看護婦」というのはもっぱら付添看護婦のことでした。

 この職業が消滅したのは、冒頭に述べた1997年の新看護体制の導入によってです。厚生省が付添看護の廃止に踏みきったのは患者の保険外負担をなくし、看護の質を改善するためということでした。付添婦を雇用するのは患者個人で、その料金を払った患者にその一部が付添療養費として償還されますが、それが基準看護病院に入院する患者との間で不公平だという論拠です。その時、『看護学雑誌』1996年5月号から1997年1月号まで8回にわたって吉田昌代氏による「付添看護とは何だったのか」という文章が連載されました。彼女は自ら看護婦家政婦紹介所に行き、その紹介で付添婦として働きながら、その就労の実態を生々しく伝えています。床に寝るという劣悪な労働環境、実質24時間体制という労働時間、眠剤に頼る生活で珍しくもない過労死等々とその苛酷さを綴りながら、やはり一番おかしいのではないかと訴えているのは、労働法上家事使用人に分類されるので労働基準法の適用がないという点です。彼女はこう問います。「付添婦の雇用については、実態と法律とがあまりにもちぐはぐである。病院で働く付添婦を見て、彼女たちが家事使用人である、と認識する人は果たしているだろうか「付添婦の労働実態は労基法違反である」労働省に突きつけた矛先は「家事使用人」という屁理屈でかわされてしまった狐につままれた気分で釈然としない。付添婦を守ってくれる労働者保護法は、日本には存在しないのか。付添婦には、最低限の人権さえ保障されていない」と。付添看護の廃止によってこのような劣悪な労働環境は11万人の雇用機会とともに消滅したのです。改めて、この約1世紀にわたって存在していた職業とは一体何だったのかと再考してみるべき時期かも知れません。

『2017年版 賃金・労働条件総覧 賃金交渉編』

9784863262355産労総合研究所が毎年この時期に出している『賃金事情』別冊『2017年版 賃金・労働条件総覧 賃金交渉編』が届きました。

https://www.amazon.co.jp/dp/4863262353/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1485157788&sr=1-1

第1部の「労使の課題」というところで、わたしが「同一労働同一賃金の焦点」、溝上憲文さんが「同一労働同一賃金をめぐる動き」、荻野登さんが「2017年労使交渉の課題と展望」を書き、労使各側から藤田征夫さんの「2017年春期賃金交渉と賃金決定のあり方」、浅井茂利さんの「金属労協の第3次賃金・労働政策」が載っています。

2017年1月22日 (日)

女性と直接関係が薄いようで実は最も重要な点

Img_752f5d874047328e26f434ce08fbda5 読書メーターで、「DSCH」さんが拙著『働く女子の運命』を短評されていますが、そのポイントがまさに私が言いたかったことにどんぴしゃりでした。

http://bookmeter.com/cmt/61793091

女性の活躍を阻害する要因や働きにくさについて日本型雇用システムの観点から労働史、賃金論、労働法政策と関連付けて考察されている。ジェンダーの視点というより高齢者や若者の雇用問題とも関係のある雇用システムの問題として女性労働を取り扱っていて説得力がある。現代日本の労働問題は賃金制度と切り離せないので、生活給思想、職務給の導入と挫折、日本的経営賛美と知的熟練等を取り扱った第二章は本書において女性と直接関係が薄いようで実は最も重要な点だと感じた。機会があれば濱口先生の講演や講義を聞いてみたい。

2017年1月21日 (土)

宮本太郎『共生保障』

279046 宮本太郎さんから新著『共生保障 〈支え合い〉の戦略』(岩波新書)をお送りいただきました。ありがとうございます。

https://www.iwanami.co.jp/book/b279046.html

困窮と孤立が広がり,日本社会でも分断がとまらない.人々を共生の場につなぎ,支え合いを支え直す制度構想が必要だ.いかにして雇用の間口を広げ,多様な住まい方を作りだせるのか.自治体やNPOの実践を盛り込みながら,生活保障の新しいビジョンとしての「共生保障」を提示する.前著『生活保障 排除しない社会へ』の新たな展開.

宮本太郎さんがおなじ岩波新書から『生活保障』を出されたのは、2009年。もう7年近く前になります。それ以来、宮本さん自身政府の社会保障政策に深く関わりながら、その理想がなかなか実現しない、むしろあらぬ方向にそれていってしまうという思いを抱きながら、旧著の考えをさらに深めてきた現時点でのまとめという本と言えましょう。

問題意識は第1章「制度はなぜ対応できないか」でクリアに示されます。日本型生活保障が持つ「支える側」と「支えられる側」の分断、そして支えられる側自体の中での高齢、障害、児童、生活保護等々の分断、それが、「支える側」だった正規雇用と標準世帯の溶解と、「支えられる側」の複合的困難という二重の問題に直面して、その亀裂に落ち込む人々を生み出しているという状況認識です。

それに対する処方箋として提示されるのが「共生保障」といういささか曖昧で誰もが使いそうなためにあんまり中身がなさそうな言葉なのですが、本書で宮本さんがこの言葉にこめているのは、第3章の目次に示されているように、これまでの分断された対策の間に架橋する新たな政策です。

すなわち、

1 ユニバーサル就労

2 共生型ケアの展開

3 共生のための地域型居住

4 補完型所得保障

5 包括的サービスへの転換

ですが、この章の読みどころはむしろ、それぞれに対応する地域独自の取り組みの諸相でしょう。

冒頭で述べた、自身政府の社会保障政策に携わった経験を踏まえた政策政治論として興味深いのが第4章と第5章です。

第4章では、かつて第二臨調で打ち出された「増税なき財政再建」から脱却し、救貧的福祉観から普遍主義的改革を目指したにもかかわらず、それが困難に遭遇した理由を3つ挙げています。

第1に、本来は大きな財源を必要とする普遍主義改革が、成長が鈍化し財政的困難が広がる中で、その打開のための消費税増税の理由付けとして着手されたという皮肉。

隙さえあれば社会保障に切り込もうとする財務省と、そうはさせじと闘いながら、しかし財源確保のために手を組んで増税を訴えなければならないというダブルバインドな立場に立たされるわけです。

第2に、「支える側」「支えられる側」の二分法に拘束されている自治体にサービスに実施が任されたこと、

第3に、そしてこれがある意味で一番の皮肉だと思うのですが、救貧的福祉からの脱却を掲げた普遍主義が、中間層の解体が始まり、困窮への対処が不可避になる中で進められたという逆説です。多くの人の自立が困難になる中で「自立支援」が進められるという皮肉。

宮本さん自身が深く関わった生活困窮者自立支援法が、残念ながら理想とはかなりほど遠いものになったのも、こうした皮肉に満ちた状況下で愚直に進められた結果なのだろうと思います。

それでも希望はある、その火種は細々とではあるけれど地方で進められている、というのが本書のメッセージです。

なお、本書のあとがきに、

厚生労働省の入部寛氏からは、本書の草稿に丁寧なコメントお寄せいただいた。

という一文がさりげなく入っています。

41dkkhzjmhl_sx352_bo1204203200_ 入部さんは本ブログで紹介した畢生の『平成24年版厚生労働白書』の著者の一人です。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/24-7de8.html (『平成24年版厚生労働白書』は社会政策の教科書)

読書メーターの拙著評

読書メーターで、今年に入ってから拙著への書評が二つアップされていました。

Img_752f5d874047328e26f434ce08fbda5 一つは『働く女子の運命』で、「hiyu」さん。

http://bookmeter.com/cmt/61583248

ワークライフバランスの定義一つだけでも、自分の無知というか、奥行きのなさに愕然としてしまう。テーマの内容だけでなく、雇用問題全体に言及しているのも秀逸であるし、本作の限界までしっかりと指摘してある。雇用という問題の解決は一筋縄ではいかないことは承知しているが、その処方箋は統一したものにはなりにくいだろうし、ジワリと浸透するのが一番良いのだろうか。強引ではあるが、タイトルを見ると著者は今後も暗澹たる状況が続くと考えているのだろうか。

Chuko もう一つは『若者と労働』で、「国崎犀考」さんです。

http://bookmeter.com/cmt/61687668

日本では「就職」ではなく「入社」であるというのは聞いたことがあったが、著者は欧米型の前者をジョブ型、日本独特の後者をメンバーシップ型と呼び区別する。両者を比較していくことで日本の雇用と労働の問題点を浮き上がらせる。日本型雇用の長年の疑問が解けた。

「日本型雇用の長年の疑問が解けた」という評語はとてもありがたいです。

三者構成原則の過去・現在・未来@『労基旬報』1月15日号

『労基旬報』1月15日号に「三者構成原則の過去・現在・未来」を寄稿しました。

http://www.jade.dti.ne.jp/~roki/

 昨年7月26日に、厚生労働大臣の私的諮問会議として「働き方に関する政策決定プロセス有識者会議」が設けられ、去る12月14日に報告書が取りまとめられました。労働政策審議会のあり方を見直すということですが、この問題を考える上では、ILOに由来する三者構成原則の意義を改めてきちんと確認しておく必要があります。

 そもそも政労使三者構成なる制度が世界に登場したのは、第1次大戦後ヴェルサイユで開かれたパリ平和会議です。各国からはサムエル・ゴンパースAFL会長(米)やレオン・ジュオーCGT書記長(仏)のような労働界の大立者が参加していました。ゴンパースが議長となり、イギリス提案の原案をもとに、労働条件の国際規制を促進するための常設機関を設置するための条約に向けて、審議が進められました。その中で特に議論となったのは国際労働総会に出席する代表の議席配分で、結局各国から政府2名、労使各1名が出席することになりました。現在でもILOの総会や理事会は、政労使3者の席に分かれて議事が進められます。

 実はILO発足当初、日本政府はとんでもない恥をかいたことがあります。1919年ワシントンで開かれた第1回ILO総会への労働者代表として、条約では代表的な労働団体と合意して指名することになっているのに、わが国には未だ代表的な労働団体が存在しないと称して、鳥羽造船所技師長の桝本卯平を送り出し、労働組合から反発を受けたのです。第3回総会では政府が任命した松本圭一が自ら、条約違反として自らの資格を否認されんことを求めるという異常な事態となりました。当時農商務省の工場監督官として工場法の施行に当たっていた若き日の河合栄治郎は、この問題で上層部と対立し、「官を辞するに当たって」を朝日新聞に発表して農商務省を辞職したのです。

 こうした醜態が繰り返された挙げ句、労働問題の主管官庁がそれまでの農商務省から新設の内務省社会局に移され、労働問題をやりたいと農商務省に入っていた若手は一斉に社会局に異動しました。新生内務省社会局は労働組合のみを労働者代表の選定に参加させ、日本労働総同盟会長鈴木文治を代表に選出することで決着しました。三者構成原則をおろそかに扱うととんでもないしっぺ返しを喰らうという百年前のこの教訓を、現代の政治家やマスコミ人がどこまでちゃんと理解しているのかがまず第一の論点です。

 日本の政策決定過程への三者構成原則の導入は、敗戦後占領下で急速に進みました。その出発点は1945年10月の労務法制審議委員会の設置です。これは官庁側10名、学識経験者7名、事業主6名、労働者側5名、貴衆両院議員6名という変則的な形でしたが、同委員会の意見書に基づき同年12月日本で初めての労働組合法が制定されました。

 この労働組合法に、使用者代表、労働者代表及び第三者同数からなる労働委員会の設置が規定されました。このときの労働委員会は、斡旋、調停、仲裁の他、労働事情の調査とか、「労働条件の改善に関し関係行政庁に建議する」ことまで含まれていました。1946年3月に任命された中央労働委員会の労働側委員には、西尾末広、松岡駒吉、荒畑寒村、徳田球一(共産党書記長)といったすごい顔ぶれがそろっていました。

 労務法制審議会(審議委員会から改称)はその後も労働関係調整法や労働基準法の制定に当たりました。ここまでは、政策決定過程の一番始めの段階から三者構成に近い審議会が関わるという仕組みであり、実質的にイニシアティブをとっているのは末弘厳太郎という労働法学者でした。1947年に制定された労働基準法は、その明文の規定で政策決定過程における三者構成原則をうたいました。すなわち、中央、地方に、労働者、使用者及び公益を代表する同数の委員からなる労働基準委員会を置き、諮問に応ずるほか労働条件の基準に関して建議することができるとされたのです。これが後に労働基準審議会に改称されます。職業安定行政はじめ他の労働分野でも同様の三者構成原則が確立していき、何れもILOの原則に従い、三者構成で審議し、立法や政策に関して決定してきました。

 ところが1990年代にはいると、再び規制緩和の波が高まり始めました。労働省よりも上のレベルの政府機関が規制緩和路線を打ち出し、労働行政はそれの実行部隊という風に位置づけられてくると、労働省に設置された審議会でいかに三者構成が確保されていても、現実の政策決定過程における地位は確実に低下することになってしまいます。審議会で議論を始める前に既に外堀は埋まっているという状態になってしまうからです。

 もっとも、1990年代には規制緩和を推進する機関にもきちんと労働側代表が参加していました。そもそも規制緩和は行政改革という課題から派生してきた形であり、行政改革委員会には5人のうち1人労働側代表が参加していましたし、1998年に改組された規制改革委員会にもなお14人中1人と比率は低いものの労働側の代表が参加していました。ところが、2001年の総合規制改革会議以後は、労働側代表を排除し、代わりに派遣会社と就職情報会社の代表が2人参加しました。かなり露骨な労働排除です。

 さらに2007年前後には、当時の規制改革会議からこのような議論が飛び出してきました(福井秀夫労働タスクフォース座長)。

現在の労働政策審議会は、政策決定の要の審議会であるにもかかわらず意見分布の固定化という弊害を持っている。労使代表は、決定権限を持たずに、その背後にある組織のメッセンジャーであることもないわけではなく、その場合には、同審議会の機能は、団体交渉にも及ばない。しかも、主として正社員を中心に組織化された労働組合の意見が、必ずしも、フリーター、派遣労働者等非正規労働者の再チャレンジの観点に立っている訳ではない。特定の利害関係は特定の行動をもたらすことに照らすと、使用者側委員、労働側委員といった利害団体の代表が調整を行う現行の政策決定の在り方を改め、利害当事者から広く、意見を聞きつつも、フェアな政策決定機関にその政策決定を委ねるべきである。

 労使団体は労働問題に関するもっとも切実な利害関係者であるからこそ、その意思決定への参加が必要だというILOの発想を真っ向から否定する議論です。とりわけ、労働者の声を排除してしまおうというこうした議論に対しては、思想的レベルできちんと批判していく必要があります。

 わたしが当時から繰り返し主張してきたのは、ILOが掲げる政労使三者構成原則とは、労使はその二者構成で、即ち労使自治で、労働条件を決めたりさまざまな問題を解決する能力を持っているからこそ、そこに政府を加えた三者構成でものごとを決めることができるのだということです。他の団体、たとえばNGOとかアドボカシーグループなどは、政府にある政策の採用を要求するための活動はできても、自分たちだけでルールを作ることはできません。労使自治こそが三者構成原則の基礎であるということも、政治家やマスコミ人たちに理解して欲しい重要な論点です。

 しかし同時に、ここで引き合いに出されている労働組合が正社員中心で、非正規労働者の声をきちんと代表していないという議論に対しては、労働組合のあり方を見直すことも含め、きちんと対応していくことも必要です。冒頭で述べた労政審の見直し論も、畢竟するところ現在の労働組合がどれだけ非正規労働者や中小零細企業労働者を代表しているのか、という問題に帰着するからです。

 とりわけ現在、非正規労働者の処遇格差問題をめぐって同一労働同一賃金原則が政府から提起され、議論が進められつつある中で、その基準を定め運用していく上で集団的労使関係の役割はこれまで以上に大きなものにならなければならないはずです。労政審のあり方が政府から見直されようとしている今だからこそ、三者構成原則をきちんと守りながらそれができるだけ多くの労働者の声を代表するものとなるような方向に向けて、労働組合自身の覚悟も求められるでしょう。

 労働法が集団的労使関係(労使自治)による労働条件決定をその中軸に据えているのは二つの意味があります。一つは、一人一人では弱い立場でも、集団的な声に統合されることによって労使対等が実現できるということですが、さらに重要なのは、労働者にとって何が重要で何が重要でないかを判断し、決めるのは、労働者自身であるという当事者主権の考え方です。その意味でも、非正規労働問題を本当に解決しようとするならば、まず何よりも非正規労働者たちがきちんと労働組合に組織化され、彼ら彼女らの声がきちんと集団的な形で集約され、彼ら彼女らが本当に望ましいと思っていることをめぐって、協議交渉が行われるような土俵を作っていくことから始める必要があるはずです。それを抜きにして、代表権のない者があたかも代表権があるような顔をして議論が繰り返されても、肝心の当事者の意図から離れたところで空中戦をしているだけということになってしまうでしょう。

 ただ、非正規労働者の組織率は、パートタイマーを中心に近年少しづつ増えつつあるとはいえ、なお極めて低い状況にありますし、とりわけ派遣労働者の組織化は、UAゼンセンの人材サービスゼネラルユニオンのような例外はあるものの、ほとんどまったく手がつけられていない状況です。このままでは、結局短絡的な議論が依然としてまかり通ることになりかねません。事態を一歩進めるため、あえて非正規労働者のための集団的な枠組みを積極的に作っていくという方向性があってもいいのではないでしょうか。それには、労働組合とは別の労働者代表制度という形で非正規労働者の声を汲み上げる仕組みもありうるでしょうし、既に正社員の労働組合が存在するところでは、その組合に非正規労働者の加入を義務づけるというやり方もあり得るかも知れません。派遣労働者の場合、派遣元単位に組合を設立するのであれば、派遣料金の中に一定額を組合費としてあらかじめ組み込んでおくということも考えられます。

 この集団的労使関係について、ここ数年、政府の各研究会では、さまざまな問題提起がされており、非正規労働者の均等処遇問題に関しては一定の方向性が示されています。例えば、2011年に「今後のパートタイム労働対策に関する研究会」や2012年に「非正規雇用のビジョンに関する懇談会」で取りまとめられた報告書では、非正規労働者の処遇改善のために「集団的労使関係システムが企業内の全ての労働者に効果的に機能する仕組みの整備が必要」であることが提示されています。また2013年に取りまとめられた独立行政法人労働政策研究・研修機構の「様々な雇用形態にある者を含む労働者全体の意見集約のための集団的労使関係法制に関する研究会」の報告書では、現在の集団的発言チャネルである過半数労働組合と過半数労働者の課題として、前者には非正規労働者などへの非組合員への配慮、後者には過半数代表者における交渉力の強化やその正当性の確保などを課題として挙げるとともに、その課題解決に向けたシナリオとして、現行の過半数代表制の枠組を維持しつつ、過半数労働組合や過半数代表者の機能の強化を図る方策に加え、新たな従業員代表制を整備し、法定基準の解除機能等を担わせる方策も提示されています。

 現在の労政審見直しの議論が、三者構成原則の基礎にある労使自治の思想、当事者主権の思想を軽視して進められることなく、とりわけ10年前に規制改革会議から放たれたようなある種の理論経済学者のみを特権化するがごとき思想に迷い込むことなく、非正規労働者や中小企業労働者といった真に切実な労働問題の利害関係者の声をきちんと掬い上げることができるような仕組みの構築に向けて、適切に進められていくことを心から念願したいと思います。

2017年1月20日 (金)

価格(報酬)に転嫁されないサービス

Kariya本日の日経新聞の経済教室で、教育社会学者の苅谷剛彦さんが、本ブログでも何回も取り上げてきたサービス業の生産性と【おもてなし】問題に対して、高学歴化という補助線を引きながら、見事な表現を用いて語っています。

http://www.nikkei.com/article/DGKKZO11876830Z10C17A1KE8000/(<人口減時代の人材育成・活用(中)人的資本向上正しく生かせ 過剰なサービス、見直しを)

経済学の教科書的理解によれば、労働者の生産性は賃金に反映し、人的資本の多寡と関係する。人的資本が増大し、それが生産性の向上につながるとすれば、就業者の高学歴化は生産性を高めるはずだ。ところが、日本の労働生産性は・・・・停滞したままだ。

苅谷さんは、「就業者の高学歴化」によって人的資本(能力)は高まっているはずだと言います。その証拠は、OECDのPIAACで日本が世界の最上位にあることです。では・・・、

それでは、その高まったはずの人的資本が生み出す価値はどこに消えたのか。

そう、それこそが問題です。

ここからは実証データを提示できない仮説に基づく議論となるが、それは価格(さらには報酬)に転嫁されない、他の先進国以上に行き届いたサービスを消費者が受け取ることで使い果たされていると考えられる。

苅谷さんはオックスフォード大学教授で、ここ数年イギリスに住んで、それまでの日本との違いを痛感しているのでしょう。これは海外に住んだ人はみんな感じることです。

日本の消費者は安価できめ細かいサービスを受け取ることに慣れすぎている。受取の時間指定ができ、冷凍品や冷蔵品まで区別できる宅配サービスなど、いつ来るか分からない配達を一日中待たねばならない国に住む筆者から見ると、かゆいところに手が届くサービスだ。・・・

裏を返せば、きめ細かい、なおかつ報酬に反映しにくいサービス労働の上に、日本人の便利で快適な生活が成り立っている。日本の消費者はそれが当たり前と思い、国際水準以上に行き届いたサービスを低価格で要求する。自ら消費者である働く側も、当然のように受け入れる。国際比較のできない内需型産業ゆえに許される仕組みだ。・・・

全体としての賃金が増えず消費も伸びない。長期のデフレ経済の下で内需型産業を中心に就業者の高学歴化が進行した。その結果、増大した人的資本は付加価値を生む資本になりきれず、その高度化した能力はより高度なサービスを提供する中で使い果たされる。ポジションに報酬が結びついた仕組みの下での就業者の高学歴化が、賃金を上昇させる競争よりも、過剰なサービスを供給する競争を生んだ。閉じた仕組みの作動(=サービスのガラパゴス化)である。

本ブログでも「すまいる0円が諸悪の根源」とか、国際競争に曝されない内需型サービス業こそが問題とかいろいろ論じてきたことについて、高学歴化して高まったはずの人的資本の価値はどこに消えたのかというユニークな視角から切り込んでいて、大変面白いです。「サービスのガラパゴス化」って、まさにそうですね。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/12/post-107c.html(スマイル0円が諸悪の根源)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/post-0c56.html(誰の賃金が下がったのか?または国際競争ガーの誤解)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2013/04/post-fcfc.html(労働生産性から考えるサービス業が低賃金なワケ@『東洋経済』)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2013/12/post-8791.html(なにい?労働生産性が低いい?なんということだ、もっとビシバシ低賃金で死ぬ寸前まで働かせて、生産性を無理にでも引き上げろ!!!)

2017年1月19日 (木)

だから休息と休憩は違うと何回言ったら・・・

いままで出城やせいぜい二の丸で実現していたインターバル規制を、いよいよ本丸のNTT本体で要求するようです。

https://this.kiji.is/194385864680867318(共同通信)

NTT労働組合(組合員約16万4千人)は18日、2017年春闘で、1人平均で月額4千円の賃金改善を要求する執行部案を決めた。長時間労働の抑制といった働き方改革を進めるため、終業から翌日の出勤までに十分な休息時間を確保できるようにする勤務間インターバルなどの制度の創設も盛り込んだ。

http://www.jiji.com/jc/article?k=2017011800570&g=eco(時事通信)

NTT労働組合は18日、2017年の春闘交渉でNTTドコモやNTT東日本など主要8社の月例賃金を平均で4000円引き上げるよう求める執行部方針案をまとめたことを明らかにした。働き方改革の一環として、休息時間を確保する制度の創設も要求する。2月15日の中央委員会で正式決定する。

http://www.nikkei.com/article/DGXLASDZ18H3D_Y7A110C1EAF000/(日経新聞)

 NTT労働組合は18日、2017年春の労使交渉で1人平均4000円(月額)の賃金改善を要求する執行部案を固めた。要求額は昨年と同水準。正社員に加え非正規従業員や、60歳を超えて再雇用した従業員も同額を要求する。働き方改革に向けて就業中の休憩時間を確保する新制度の創設も盛り込む。

ところが、この重要なニュースを、日経新聞はとんでもな誤報にしてしまってますな。

「働き方改革に向けて就業中の休憩時間を確保する新制度の創設も盛り込む」?

はあ?休憩時間は今から70年前の労働基準法でとっくに規定されてますけど?

第三十四条  使用者は、労働時間が六時間を超える場合においては少くとも四十五分、八時間を超える場合においては少くとも一時間の休憩時間を労働時間の途中に与えなければならない。

もちろん、NTT労組が要求しようとしているのは、休憩時間ではなくて休息時間。いわゆるインターバル規制という奴です。

しかし、日経新聞の記者は、現代日本において、休憩時間も改めて要求しなければいけない状況だと思っているのかな?

(参考)EU労働時間指令

第3条 毎日の休息時間

 加盟国は、すべての労働者に、24時間の期間ごとに継続11時間の最低の1日ごとの休息時間を得る権利を確保するために必要な措置をとるものとする。

第4条 休憩時間

 加盟国は、1日の労働時間が6時間を超える場合、すべての労働者に休憩時間を得る権利を確保するために必要な措置をとるものとし、その詳細は、その付与される長さと諸条件を含め、労働協約又は労使協定、またそれができない場合には国内法により定められるものとする。

Article 3

Daily rest

Member States shall take the measures necessary to ensure that every worker is entitled to a minimum daily rest period of 11 consecutive hours per 24-hour period.

Article 4

Breaks

Member States shall take the measures necessary to ensure that, where the working day is longer than six hours, every worker is entitled to a rest break, the details of which, including duration and the terms on which it is granted, shall be laid down in collective agreements or agreements between the two sides of industry or, failing that, by national legislation.

休息は「rest」、休憩は「breaks」です。

宗教者の労働者性

>聖職ということで個人的に関心があるのが、神主さん、お坊さんや神父さんなどの宗教者の労働者性です。
いわゆる「感情労働」の一種なのかも知れませんが、労働時間や休暇などがきちんと取れているのか。宗教者のメンタル不全などということもあるかも知れません。判例や学説がもしあれば、御教示いただければ幸いです。

一昨年のエントリですが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-9ea3.html(神職(権禰宜)の労働者性)

おやおや、神職が解雇無効地位確認訴訟です。ときくと、神職の労働者性はどうなの?と思いますね。

おお、正面から労働者性を認めていますね。

この判決(住吉神社事件(福岡地判平成27年11月11日))のうち、労働者性に係る部分を引用しておきます。

(ア) 被告神社においては、被告Y2及びBが、原告を含む神職のシフトを組んで勤務表を作成し、原告は、これに従って、被告神社に出社させられていた(前記(1)ア(イ))。また、原告は、被告神社においては、被告Y2及びBらの指揮の下、書類作成、参拝客対応及び清掃等の事務作業並びに祭典運営のための補助作業等に従事していたものであって、原則として、自らが儀式等を主宰していたものではなかった(前記(1)ア(ウ))。さらに、原告は、就職先である被告神社の宮司から、被告神社における勤務の開始前及び終了後において、A神社の朝みけ、夕みけ、清掃、巡回及び日誌作成等の業務を命じられたため、これらの職務に従事した(前記(1)ア(エ))。これらのことからすれば、原告は、被告神社によって、時間的場所的に拘束され、業務の内容及び遂行方法についての指揮監督を受けて、被告神社及びA神社の業務に従事させられていたということができる。他方、本件全証拠によるも、被告神社からの業務に関する指示について、原告が諾否の自由を有し、業務遂行における広範な裁量を有していたとは認められない。
  (イ) また、被告神社は、原告に対し、「給与」の名目により、毎月一定額の俸給を支給し(前記(1)イ(ア))、上記俸給の支給に当たっては、使用者が一般の労働者に対して賃金を支給するのと同様に、所得税及び市民税等の源泉徴収を行い、健康保険料、厚生年金保険料及び雇用保険料等の各種社会保険料を控除していた(前記(1)イ(イ))。そして、原告が平成24年3月まで支給されていた俸給は、基本給及び奉務手当だけでも合計月額20万円であり(前記前提事実(3)ア)、法定労働時間を前提として時給を計算しても、原告の時給は1100円を超える(別紙1「基礎時給計算書」参照。)。この金額は、平成23年度当時における福岡県の最低賃金である1時間当たり695円を大きく上回るものである上、原告は職員用宿舎に居住していたから賃料及び光熱費を支払う必要がなく、社宅料月額5000円が控除されていたことを踏まえても、原告には住居費の負担がほとんどなかった。しかも、被告神社の神職に支払われる俸給額は、その地位が高いほど高額となる傾向があることが看取できる(前記(1)イ(ア))。これらのことからすれば、被告神社が原告に対して支払っていた俸給は、単に最低限の生活維持を目的とするものとはいえず、被告神社における労務提供の対価として支払われたものと評価でき、賃金と同じ性質のものであったといえる。
  (ウ) 以上によれば、原告は、被告神社の指揮監督の下、被告神社に対して労務を提供し、被告神社は原告に当該労務提供の対価としての賃金を毎月支払っていたことになるから、原告は、労基法及び労契法上の労働者に当たるというべきである。
  この判断は、被告神社には神職に適用される就業規則、賃金規程等がなく、被告神社が平成25年11月以降に神職を雇用保険の被保険者とする扱いを止めたこと(前記(1)ウ)により左右されるものではない。
  イ これに対し、被告神社は、原告が本件通達二(イ)の「宗教上の儀式、布教等に従事する者」、又は「僧職者等で修行中の者」に当たるから、原告は労基法及び労契法上の労働者には当たらないと主張する。
  しかし、およそ宗教上の儀式、布教等に従事する全ての者、あるいは、僧職者としての修行を行っている全ての者が労働者でないとすれば、使用者の指揮監督の下で使用され、労務提供の対価である賃金を受け取る労働者(労基法9条参照)であっても、その労務提供が少しでも宗教上の儀式に関係し、又は修行の側面を少しでも有しさえすれば労基法の適用を免れるということになりかねず、労基法及び本件通達二柱書及び(ロ)と矛盾しかねない上、本件通達二(イ)に規定される者と、本件通達二(ハ)にいう「宗教上の奉仕乃至修行であるという信念に基いて一般の労働者と同様の勤務に服し賃金を受けている者」との区別を行うことができなくなる。したがって、労基法と本件通達との整合性に配慮しつつ、本件通達二柱書及び(イ)ないし(ハ)相互の関係等を踏まえて合理的に解釈すると、本件通達二(イ)に規定される者に該当するのは、「宗教上の儀式、布教等に従事する者」又は「僧職者等で修行中の者」であって、かつ、「何等の給与を受けず奉仕する者」に限られるというべきである。
  したがって、前記(1)アのとおり、原告は、被告神社において神職として宗教上の儀式等に従事しており、その活動には一人前の神職になるための修行の側面があるとはいえ、被告神社から、毎月、基本給及び奉務手当等の俸給の支給を受けているから(前記前提事実(3))、本件通達二(イ)には該当しない。むしろ、原告は、本件通達二(ハ)にいう「宗教上の奉仕乃至修行であるという信念に基いて一般の労働者と同様の勤務に服し賃金を受けている者」に該当し、労働者に当たるか否かは、具体的な労働条件を一般企業のそれと比較し、個別具体的な実情に即して判断すべきところ、原告が労働者に当たるのは前記アのとおりである。これに反する被告神社の主張は採用できない。
  なお、本件通達にあるように、信教の自由を保障する憲法及び宗教法人法の定める宗教尊重の精神を考慮して労基法を解釈する必要があるとしても、原告の被告神社における勤務の内容は、上位の神職による指揮の下、祭典、催物等の儀式に対する補助的作業、書類作成等の事務作業をするというものであり(前記(1)ア(ウ)参照)、原告に労基法及び労契法の適用を認めても、信教の自由を害し、又は宗教尊重の精神に反するとは考えられない。このことは、前記(1)ウのとおり、被告神社がかつて神職を雇用保険の被保険者とし、労災保険の対象として認め、被告神社の禰宜であるBが労働基準監督署の調査に当たって平成24年に任意に作成した就業規則及び給与規程の文案(甲2の2、甲30)に労基法37条に整合するよう時間外勤務手当を支払う旨の規定を設けるなど、宗教法人である被告神社自体が神職を労基法及び労契法上の労働者とすることを許容する行動をとっていたことからもうかがわれる。

なお、その後の本牧神社事件(東京地判平成28年1月25日)も権禰宜のX1とX2がパワハラを受け免職又は雇止めされた事案ですが、被告側が原告の労働者性を争っておらず、地位確認請求とパワハラによる損害賠償請求が棄却されています。

僧侶の労働者性についての判例は見当たりませんが、仁和寺事件(京都地判平成28年4月12日)は寺の料理人の不払い残業と過重労働が問題になった事件です。

Rei200801274171あと、本ブログで過去、やや冗談交じりながら、労働者性シリーズの一環としてこんなエントリを書いたことがあります。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/post-00c0.html(神の御前の労働基準法)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/post-2400.html(神の御前の労働基準法再び)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2014/05/post-fd0d.html(神の御前の労働契約法と労働組合法)

2017年1月18日 (水)

経労委報告2017

411sllhiybl__sx352_bo1204203200_経団連から『2017年版経営労働政策特別委員会報告』が発表されました。

http://www.keidanren.or.jp/policy/2017/002.html

例によって、リンク先には目次しかなく、中身は買わないと読めません。

世間の関心はなんといっても第3章の「2017年春季労使交渉・協議に対する経営側の基本姿勢」でしょうが、こちらにはいろんな方が突っ込むと思うので、ここではそれ以外のところについて。

今年の経労委報告でなんといっても目を引くのは、第1章が「企業の成長につながる働き方・休み方改革」で、しかもその冒頭トップバッターとして、「経営トップのリーダーシップによる長時間労働是正」が掲げられていることでしょう。

あんまり引用すると販売妨害になりかねないのですが、とにかく冒頭のパラグラフが、

我が国ではこれまで、長時間労働を前提とした業務分担や働き方が当たり前のように行われ、残業の多い社員を評価する風潮さえあった。しかし、ワーク・ライフ・バランスを重視する傾向の高まりなど、就労ニーズが大きく変化していることに加え、・・・長時間労働を前提とした慣行の変革は待ったなしの状況にある。・・・

と、強く言いきっているのは、これはこれとして評価すべきでありましょう。

ただ、とはいえ、第2章の「雇用・労働における政策的な課題」の冒頭の「労働時間制度改革の推進」では、長時間労働を是正しなければいけないとはいうものの、そう簡単に規制強化されても困りますという本音もちゃんと出ていて、経営団体としての立場の難しさがよくわかります。

・・・現在の36協定(特別条項付含む)は、実質的には無制限に残業ができる枠組となっており、そのあり方を検討する必要がある。

といいつつ、

ただし、見直しに当たっては、労働者保護を念頭に置きながら、顧客や消費者からの突発的な要望に対応するために長時間労働となっている業種が多いほか、・・・など十分に実態を踏まえることが欠かせない。

と釘を刺していますし、とりわけインターバル規制には警戒的で、

・・・欧州では11時間のインターバル規制が導入されているが、小ロット・短納期、急な仕様変更への対応など、商慣行やサービスのあり方が日本と大きく異なるため、我が国での義務化は現実的でない。

と、火消しにやっきです。

ここで言っていることは現実論としてはその通りなのですが、そういう商慣行やサービスのあり方を前提にし続けていると、第1章の冒頭で言っているようにいくら一企業内だけで「経営トップのリーダーシップによる長時間労働是正」を試みても、「そうはいってもお客様が・・・」でなかなか進まないと云う事になりかねません。

ここのところこそ、一企業レベルではいかんともし難いことだからこそ、経団連がそういう商慣行やサービスのあり方を全社会的に見直していこうと言える分野でもあるように思います。

まあ、経団連が「お客様は神様をやめよう」なんていいだすと、なに言ってんだと炎上したりするかも知れませんが。

2017年1月17日 (火)

労働者と聖職の間

稲葉さんと金子さんの掛け合いですが、

https://twitter.com/shinichiroinaba/status/820933350000996352

「日教組が労働運動の本旨を忘れて政治闘争にかまけたことが悪い」という声が大きいが、そこにはそれ相応の事情もあったはずである。「聖職者論」の悪を言うのはたやすいが、日教組は労働組合であると同時に職能集団としての性格を持っていたことの意味は小さくない。

https://twitter.com/shinichiroinaba/status/820933575239290881

また公共部門のウェイトが大きい以上、「政治闘争」のウェイトが高くなることには相応の理由がある。問題はいかなる「政治闘争」だったのかということで、そのレベルでの批判はありうるが、「政治闘争だからいかん」とは言えないだろう。

https://twitter.com/shinichiroinaba/status/820933692323307521

要するに「他者の合理性」を考えないとということです。

https://twitter.com/ryojikaneko/status/820934995900407808

聖職者論を言い出したのは自民党で、日教組はそれに反撥して労働者だと言って、それを見て、共産党が聖職者だと言ってたんだと思うけど。

なかなか一筋縄ではいかない問題ですが、問題意識が昨今大きな問題になっている学校教師の異常な長時間労働に発していることは確かです。

公的部門の労働組合が「政治」による解決を求めがちになるというのは確かですが(典型が国鉄)、教師の聖職者論というのはそれとは筋が異なり、やはり「センセイ」と呼ばれる職業のある種のプロフェッショナリズムの現れであることは確かでしょう。

その意味では、労働組合という形をとることも(無意識的に)拒否してきた勤務医たちの(往々にして自発的な)長時間労働ともつながるものがあります。

ただややこしいのは、それが戦後日本的政治配置状況と奇妙な歪みを伴った連結をしてしまっていることでしょう。

日教組が(労働組合としては当然の主張としての)労働者としての権利を主張したときに、自民党と共産党が左右両側から教師聖職者論を持ち出して叩いたというのも、それが国民の耳に心地よく響くというだけではなく、プロフェッショナルとしての教師たちの耳にもそれが心地よく聞こえるものであるという事実があったからでしょうし。

Img_752f5d874047328e26f434ce08fbda5もちろん、『働く女子の運命』で紹介したように、日教組婦人部は働く母親たる女教師の権利確立のために、「女子教育職員の産前産後の休暇中における学校教育の正常な実施の確保に関する法律」(1955年)や「義務教育諸学校等の女子教育職員及び医療施設、社会福祉施設等の看護婦、保母等の育児休業に関する法律」(1975年)といった』議員立法の制定に向けて、言葉の正確な意味における労働組合としての政治活動を行い、実現させています。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2015/02/post-cdda.html(日教組婦人部の偉大な実績)

「労働運動の本旨を忘れて政治闘争にかまけた」という言い方が(少なくともそういう単純な言い方においては)偏頗である所以でもあります。

こういう複雑に絡み合った問題を解きほぐすためには、もう少しいろいろな側面に目をやる必要がありそうです。

日本型雇用システム論と小池理論の評価(前編)

WEB労政時報の連載「HRWatcher」に、「日本型雇用システム論と小池理論の評価(前編)」を寄稿しました。

https://www.rosei.jp/readers-taiken/hr/article.php?entry_no=616

日本型雇用システムについての議論では、ほぼ必ず小池和男氏(現・法政大学名誉教授)の理論が道しるべとして用いられます。しかし、世間の人々が小池理論を理解している理解の仕方は、実は必ずしも小池氏が一貫して説き続けてきていることとは異なるのではないか、むしろその理論的方向性においては逆向きに理解されてきているのではないか――という風に、私は感じるようになっています。「理論的」方向性とは、政治的とか社会的な方向性、いわゆるイデオロギー的な傾きのことではありません。実を言えば、そういう方面からの批判や称賛は山のようにありますが、そういう類いの議論はすべて、小池理論の「理論」たる根幹のところを取り違えてしまっているのではないか、取り違えて褒めたり貶(けな)したりしてしまっているのではないか、という疑問です。

 今回は、前後編の2回にわたって、上述した疑問を、小池氏の著作の文言そのものを正確に把握することを通じて確認してみたいと思います。・・・・

2017年1月16日 (月)

ILO条約批准の意味

今朝の東京新聞の1面左側に「労働環境整備のILO189条約 日本批准わずか49 OECD平均以下」という記事が載っていますが、

http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201701/CK2017011602000115.html

世界各国の労働者の待遇改善を目指す国際労働機関(ILO)が、労働環境整備の国際的なルールとして定めた条約(ILO条約)のうち、日本は四分の一しか批准していないことが分かった。批准した条約は国内で拘束力を持ち、国内法の整備を求められる。批准が進まないことで、先進国で定着している国際標準の労働法制の整備が遅れ、長時間労働がはびこる要因になっている。・・・

よくあるミスリードなんですが、部分的には正しい話もあるので、注意深く取り扱わなければならない典型的なトピックです。

で、無知だった自分がにわか勉強して初めて「わかった」ことを、平然と記事の中で一般論的に「わかった」なんて書いちゃう記者がうかつにこの問題を取り扱うとこうなってしまうという部分から。

まずもって、ILO加盟国のうち、真面目に国内法で担保できる条約だけを批准しようなんて殊勝な心がけをしている国は一部に限られています。

記事に載っているILO最優先8条約のうち、日本が批准していないのは強制労働条約と差別禁止条約ですが、後者は包括的差別禁止法制の欠如のゆえなので真面目な議論の対象になりますが、前者については、これは懲役刑の存在がネックになっているのです。公務員のスト権を禁止し、その違反に懲役刑を科していることが、条約違反になりうる可能性があるという、まことに法制局的厳密さでもって批准していないので、私などからすると、そんなことで批准しない悪評判の方がよっぽど問題じゃないかと思うのですが、まあそれくらい日本国政府のリーガリズムは極端に厳格だということです。

で、一方、この強制労働条約をどんな国が批准しているかというリストが、ILOのホームページに載っていますが、

http://www.ilo.org/dyn/normlex/en/f?p=1000:11300:0::NO:11300:P11300_INSTRUMENT_ID:312250

アルファベット順でいうと、アフガニスタン、アルバニア、アルジェリア、アンゴラから始まり、ベネズエラ、イエメン、ザンビア、ジンバブエに至るまことに人権を尊重する諸国がそろいもそろってこの条約を批准しているんですね。

すごいですね、日本はこれら諸国よりも強制労働を容認する人権抑圧国であるようです。

ILO条約を批准しているかいないかというのは、まあこういう類のはなし「でも」あるので、あんまりにわか勉強で「わかった」つもりになると危ない面があります。

というだけで終わると、これまた話が一方的になってしまうのが、この問題の難しいところであり、取扱いに注意しなければならないところです。

少なくとも先進国との比較では、どれくらい批准しているかいないかというのはそれなりの意味があり、とりわけ現下の政策課題として重要性を増している労働時間関係の諸条約についていうと、

 「労働時間」に関する条約は現在十八が有効だが、日本は一つも批准していない。十八条約には、工業労働者の労働時間を一日八時間、週四十八時間と定めたり、労働時間を週四十時間に短縮することを掲げるなど、労働時間規制の国際的な基本ルールとされてきたものが含まれる。

という記述は、かなり重要な問題に触れています。これは私も結構あちこちで喋ったり書いたりしているので、ご存じの方も多いと思いますが、もちろん日本国の労働基準法は原則となる法定労働時間はゆうゆうILO基準をクリアしています。ではなぜ批准できないかというと、記事にもあるようにごくごくふつうの労働者について、時間外労働の上限規制がない、つまり青天井であるためで、まあこれも日本国政府の厳格さのゆえではあるのですが、逆に日本の労働時間規制の問題点、何が欠落しているのかをくっきりと浮かび上がらせてくれるところでもあります。

その意味で、この記事の後半はまことに適切な記事になっているのです。こういう両面をきちんと理解してILOの問題を取り上げるというのは、なかなか難しいことかもしれません。

2017年1月13日 (金)

土田道夫『労働契約法 第2版』

L14486 土田道夫さんの大著『労働契約法 第2版』(有斐閣)をお送りいただきました。ありがとうございます。

http://www.yuhikaku.co.jp/books/detail/9784641144866?top_bookshelfspine

労働契約という視点から労働法に切り込み,労働契約をめぐる法全般を理論的に描き出す,最高水準の体系書。緻密な筆致により,「労と使」という特別な契約関係を規律するルールの神髄に迫る。8年ぶりの全面改訂。

労働法のテキストブックは最近はどれもこれもどんどん分厚くなる一方ですが、その中でも、労働契約法だけで1000ページ近いという破格の教科書。

2年おきの小幅改定がややルールになりつつあるかに見える中で、8年ぶりの全面改訂という、これまた孤高の道を行く土田労働契約法です。

第1章 労働契約法の基本的考え方

第2章 労働契約における権利義務

第3章 労働契約の成立

第4章 労働契約の展開──賃金

第5章 労働契約の展開──労働時間・休日・休暇

第6章 労働契約の展開──人事

第7章 労働契約の展開──企業秩序と懲戒

第8章 労働契約の展開──労働者の健康と安全

第9章 労働契約の変動

第10章 労働契約の終了

第11章 女性労働者の労働契約

第12章 非典型労働者の労働契約

第13章 国際的労働契約法

第14章 労働契約紛争処理法

これだけで1000ページですよ。

現下の諸状況の中で本書を手に取る人は、やはり第12章の最後のコラム「同一労働同一賃金」でいかなる辛辣なコメントが書かれているかに関心を持たれることでしょう。はい、面白いです。どう面白いかは、是非本書を手にとって確認してください。

東京経営者協会『ぱとろなとうきょう』冬季号に講演録

Event_6459_1484195651_1 東京経営者協会の季刊誌『ぱとろなとうきょう』の冬季号にわたくしの講演録が載っております。

http://www.tokyokeikyo.jp/cgi-bin/user/event_contents.cgi?cnt=1&category=activity

●クローズアップ

同一労働同一賃金を学ぶ  戦後日本の賃金制度の変遷

濱口 桂一郎 (独法)労働政策研究・研修機構 主席統括研究員

昨年10月5日に講演した内容です。ちなみに、2回目は海老原嗣生さんがされたそうです。

1.戦前・戦中の賃金制度と生活給思想の誕生

2.電産型賃金体系の成立と生活給への批判

3.職務給を唱道した経営側と政府

4.労働側の職務給への対応

5.「能力主義管理」の登場

6.定年延長と賃金制度改革

7.男女均等政策

8.中高年のリストラ

9.成果主義の流行と迷走

10.非正規労働の国政課題化

11.同一労働同一賃金の政策課題化

12.これからの見通し

東京経営者協会とは、かつての関東経営者協会で、終戦直後の日本で初めて作られた経営者団体です。これが母体になって全国団体としての日経連が結成されたのですから、まさに経営者団体の原点とも言うべき団体なんですね。日経連は経団連に統合されてしまいましたが、東京経協は経営者団体として維持されています。

2017年1月12日 (木)

日経新聞が1面トップで勤務間インターバル

なかなか感無量ですよ、私としては。

本日の日経新聞の1面トップが「インターバル制 導入機運 ユニ・チャームや三井住友信託 退社→出社に一定時間確保」と大々的に記事にしています。

http://www.nikkei.com/article/DGKKASDZ11HRL_R10C17A1MM8000/?n_cid=TPRN0001

従業員が退社してから翌日の出社まで一定時間を空ける制度を導入する企業が増えている。KDDIなどに次ぎ、三井住友信託銀行が昨年12月から導入したほか、ユニ・チャームやいなげやも今年から採用する。制度が義務化されている欧州に比べ、日本での取り組みは遅れている。長時間労働の是正が経営の重要課題になるなか、政府も同制度の普及を後押しする考えで、今後追随する企業が増えそうだ。

昨年末に同一労働同一賃金のガイドライン(案)が提示されたことで、当面働き方改革実現会議の焦点は長時間労働の是正になると思われますが、その一つのメニューとして、この休息時間制度、いわゆる勤務間インターバル制度が着実に地歩を拡大しつつあるようです。

改めて振り返ってみれば、例のホワイトカラーエグゼンプションで世間が大騒ぎしていたときに、残業代の問題と物理的労働時間の問題は分けて考えるべきで、労働法規制として真に重要なのは後者だと、ほとんど孤立状態で私が主張していたのがちょうど10年前でした。

51bee5vcxtl_sx230__1 http://hamachan.on.coocan.jp/sekaiexemption.html(「ホワイトカラーエグゼンプションの虚構と真実」 『世界』2007年3月号)

・・・「労働時間の長短ではなく成果や能力などにより評価されることがふさわしい労働者」であっても、健康確保のために、睡眠不足に由来する疲労の蓄積を防止しなければならず、そのために在社時間や拘束時間はきちんと規制されなければならない。この大原則から出発して、どのような制度の在り方が考えられるだろうか。

 実は、日本経団連が2005年6月に発表した「ホワイトカラー・エグゼンプションに関する提言」では、「労働時間の概念を、賃金計算の基礎となる時間と健康確保のための在社時間や拘束時間とで分けて考えることが、ホワイトカラーに真に適した労働時間制度を構築するための第一歩」と述べ、「労働者の健康確保の面からは、睡眠不足に由来する疲労の蓄積を防止するなどの観点から、在社時間や拘束時間を基準として適切な措置を講ずることとしてもさほど大きな問題はない」と、明確に在社時間・拘束時間規制を提起している。

 私は、在社時間や拘束時間の上限という形よりも、それ以外の時間、すなわち会社に拘束されていない時間--休息期間の下限を定める方がよりその目的にそぐうと考える。上述の2005年労働安全衛生法改正のもとになった検討会の議事録においては、和田攻座長から、6時間以上睡眠をとった場合は、医学的には脳・心臓疾患のリスクはほとんどないが、5時間未満だと脳・心臓疾患の増加が医学的に証明されているという説明がなされている。毎日6時間以上睡眠時間がとれるようにするためには、それに最低限の日常生活に必要不可欠な数時間をプラスした一定時間の休息期間を確保することが最低ラインというべきであろう。

 この点で参考になるのが、EUの労働時間指令である。この指令はEU加盟各国で法律となり、すべての企業と労働者を拘束している。EUでは、労働時間法政策は労働安全衛生法政策の一環として位置づけられており、それゆえに同指令も日、週及び年ごとの休息期間を定めるとともに、深夜業に一定の規制を行っているが、賃金に関しては一切介入していない。つまり時間外手当がいくら払われるべきか、あるいはそもそも払われるべきか否かも含めて、EUはなんら規制をしていないのである。労働者の生命や健康と関わる実体的労働時間は一切規制しないくせに、ゼニカネに関することだけはしっかり規制するアメリカとは実に対照的である。各国レベルで見ても、時間外手当の規制は労働協約でなされているのが普通であり、法律の規定があっても労働協約で異なる扱いをすることができるようになっている。たとえばドイツでも、1994年の新労働時間法までは法律で時間外労働に対する割増賃金の規定があったが、同改正で廃止されている。

 EUの労働時間指令において最も重要な概念は「休息期間」という概念である。そこでは、労働者は24時間ごとに少なくとも継続11時間の休息期間をとる権利を有する。通常は拘束時間の上限は13時間ということになるが、仮に仕事が大変忙しくてある日は夜中の2時まで働いたとすれば、その翌朝は早くても午後1時に出勤ということになる。睡眠時間や心身を休める時間を確保することが重要なのである。

 これはホワイトカラーエグゼンプションの対象となる管理職の手前の人だけの話ではない。これまで労働時間規制が適用除外されてきた管理職も含めて、休息期間を確保することが現在の労働時間法政策の最も重要な課題であるはずである。これに加えて、週休の確保と、一定日数以上の連続休暇の確保、この3つの「休」の確保によって、ホワイトカラーエグゼンプションは正当性のある制度として実施することができるであろう。

10年一昔と言いますが、10年前には土俵上で論じている人々の誰の口にもほとんど上らなかったインターバル制度が、日経新聞が1面トップで取り上げるところまできたのだな、という、まあただの感想です。

2017年1月10日 (火)

2017年のキーワード「働き方改革」@『先見労務管理』2017年1月10日号 

Senken『先見労務管理』2017年1月10日号に2017年のキーワード「働き方改革」を寄稿しました。

http://senken.chosakai.ne.jp/

この新年のキーワードも4年目になります。今年もキーワードは5つで、私の執筆した「働き方改革」のほか、外井浩志さんが「兼業・副業」、浅見隆行さんが「テレワーク」、金子雅臣さんが「マタハラ」、水川浩之さんが「改正労働者派遣法」をそれぞれ解説しています。

わたくしの「働き方改革」は、与えられたテーマが一番広くて、どうしようかと思ったのですが、他のテーマと重ならないよう、長時間労働の是正の問題に絞って論じました。

1 はじめに

2 最近の国政レベルの動き

3 厚生労働省における動き

4 労働時間規制改革の迷走

5 今後の展望

2017年1月 9日 (月)

俺はね、五人潰して役員になったんだよ

51286t0bjvl__sx300_bo1204203200_松崎一葉『クラッシャー上司-平気で部下を追い詰める人たち』(PHP新書)をお送りいただきました。ありがとうございます。

自分の出世のために、次々に部下をつぶしていく人の精神構造と対処法を、数多くの実例に接した精神科の産業医がやさしく解説。

クラッシャー・ジョウじゃなくって、クラッシャー上司です。

著者の松崎さんは数少ない産業精神医学の専門家。いじめ、パワハラが大きな問題となり、電通第二事件が世情を賑わしている今日、是非多くの人々に読まれるべき本です。

とともに、そこに描かれているいくつもの実例を読む進むにつれ、圧倒的に多くの組織人たちは、「あっ、これ、我が社にもあるある」という思いを何回もするでしょう。そう、「多くの会社、組織のメンタルヘルスを見てきたものの経験値として、一部上場企業の役員のうち数人は「クラッシャー上司」がいる、ということはできるだろう」と著者は述べています。

彼らクラッシャー上司たちは一種の発達障害なのですが、仕事ができて上司の覚えが良いものだから、そのまますいすいと出世していき、社内の被害者を生み出し続けるというわけです。

(追記)編集担当のオバタカズユキさんのおっしゃるように、松崎さんはクラッシャー上司が全て発達障害だとは言っていません。1件その例が出てきますが、それで上記のように表現するのはミスリーディングでした

https://twitter.com/obatakazu1

「はしがき」のこの一節は、そういう会社の生理を余すところなく物語っています。

・・・様々な組織でメンタルヘルス不全の治療・予防システムに取り組んでいた私たちは、とある大手の広告代理店に招かれた。

ふむ、大手広告代理店と言えば日本に二社しかないはずですが。

その会社の経営幹部が言うには、働き過ぎで心を病む社員の問題に悩んでいるとのこと。そこで抜本的解決策をともに考えてもらいたいと、産業精神医学を専門とする私たちが呼ばれたのである。

ところが、対策チームを組んで同社に赴くと、ちっとも歓迎されている感じがしない。声をかけてくれた経営幹部以外の、お偉いさん方の顔つきが険しいのだ。話がまったく生産的な方向に向かわず、それどころか常務からこんなことを言われてしまった。

「メンタルヘルスなんてやめてくれよ」

にわかに意味がとれないでいると、常務は続けてこういった。

「俺はね、五人潰して役員になったんだよ」

そして、私たちはこう告げられた。

「先生方にメンタルヘルスがどうの、ワークライフバランスがどうのなんてやられると、うちの競争力が落ちるんだ。会社のためにならない。帰ってくれ」

社員のメンタルを潰して役員に成り上がった常務が、こう嘯くのが日本を代表する広告代理店だったわけですね。

こういう実例が繰り返し描かれるのが第1章、彼らの精神構造を「未熟なデキル奴」として分析してみせるのが第2章。そしてクラッシャーを生み出す日本の会社のあり方として、メンバーシップ型雇用を提示して、ある種の社会学的分析をしているのが第3章です。

2017年1月 6日 (金)

社会的で民主的な欧州?

Hbsjan172ドイツのハンス・ベックラー財団が「社会的で民主的な欧州?」というワーキングペーパーをアップしています。

http://www.boeckler.de/pdf/p_wsi_wp_207.pdf

Everywhere in Europe, support for the European integration process de-creases. More and more Europeans associate the European Union with the dismantling of social and democratic rights. Fundamental social rights clash with the market-liberal single market law, the key institutions of the Europe-an social model are undermined. What are the causes for this develop-ment? Which changes are necessary to achieve a more social and demo-cratic Europe? This article reconsiders the concept of Social Democracy and suggests using it as a blueprint for a fundamental change of course of the European integration process. Starting point is the finding that the insti-tutional architecture of the European multi-level system creates a systemat-ic imbalance between liberalization and social regulation. On the basis of this problem analysis, I identify three policy fields that are of central im-portance for creating a social and democratic Europe: an “open” constitu-tion for Europe, social minimum standards and the recuperation of the fiscal capacities of the political system.

欧州の至る所で、欧州統合への支持は減退しつつある。ますます多くの欧州人が、欧州連合を社会的民主的権利の剥奪と同視している。基本的社会権は市場自由主義的単一市場法と衝突し、欧州社会モデルの基本構造は掘り崩されている。何がこの事態の原因なのか?より社会的で民主的な欧州を達成するにはいかなる変化が必要なのか?本稿は、社会民主主義の概念を再考し、欧州統合過程の抜本的方向転換の青写真として使うことを示唆したい。出発点は欧州の多次元的制度構造が自由化と社会規制のアンバランスを生み出していることの確認である。この問題分析の上に立って、私は社会的で民主的な欧州を作り出すために枢要な三つの政策分野を提示したい。すなわち、欧州の「オープンな」憲法、社会的最低水準、そして政治システムの財政的能力の回復である。

EUがほとんどネオリベの巣窟とみなされ、「社会的で民主的」なものを求める欧州各国民の声なき声が、国民戦線や英国独立党やそういった右派ポピュリズムに吸い寄せられていく現状に対する危機感がにじみ出ている文書です。

ただ、ではそこで提示されている「抜本的」なEU改革がどれほど可能なのかを考えると、実はそっちの方が夢物語に近いのですね。市場の自由化を憲法レベルから引きずり下ろして普通の法律レベルにし、代わりに社会的権利を明記せよ、と。でも、後者だけでもと作ったEU憲法条約は、まさに前者に対する国民的怒りの標的にあってあえなく潰えたわけです。

通貨統合、金融統合ばかりが進行し、人々の生活を守るべき財政能力が置いてけぼりを喰らっている、いや確かにそうだけど、それに一番抵抗するのは(ネオリベと共に)国レベルからその最後のパワーが奪われることを嫌がるナショナルなレベルの「社会的」感覚でもあるわけで。

(ドイツ労働総同盟のシンクタンクである)ベックラー財団のようなEU統合を支持する左派としては、EUレベルのリベラルとソーシャルのバランスが偏っているから、前者を減らして後者を強化しようという話になるんだけれど、そういうEU支持を共有しないナショナルな左派からすると、それ自体が国家レベルの社会的砦を突き崩そうとする陰謀に見えてしまう。

そして、EUレベルに頑強に築かれた市場統合のためのメカニズムは、そう簡単に削り取られはしないわけで。本書自体が、なぜそういうEU統合支持の左派が支持を得られないかを問わず語りに示している感もあります。

2017年1月 5日 (木)

高年齢者の定義

こういう記事があったんですが、

https://this.kiji.is/189619709448701428 (高齢者は75歳以上、学会が提言)

高齢問題の研究者らでつくる日本老年学会などは5日、現在は65歳以上とされている「高齢者」の定義を75歳以上に見直し、前期高齢者の65~74歳は「准高齢者」として社会の支え手と捉え直すよう求める提言を発表した。・・・高齢者の定義見直しは、65歳以上を「支えられる側」として設計されている社会保障や雇用制度の在り方に関する議論にも影響を与えそうだ。

これ自体へのコメントは省略しますが、主として念頭に置かれている社会保障ではない方のもう一方の分野-雇用分野では、これとは全然違う高年齢者の定義が法令上に厳然と存在しているんですね、これが。

高年齢者等の雇用の安定等に関する法律(昭和四十六年五月二十五日法律第六十八号)

(定義)

第二条  この法律において「高年齢者」とは、厚生労働省令で定める年齢以上の者をいう。

高年齢者等の雇用の安定等に関する法律施行規則(昭和四十六年九月八日労働省令第二十四号)

(高年齢者の年齢)

第一条  高年齢者等の雇用の安定等に関する法律 (昭和四十六年法律第六十八号。以下「法」という。)第二条第一項 の厚生労働省令で定める年齢は、五十五歳とする。

なんと、未だに、雇用政策における高年齢者の定義は、(60歳ですらなく)55歳のままなんですね。

55歳定年前の磯野波平よりも年上になってしまったわたくしも、現行法令上立派な高年齢者であります。

ちなみに、おなじ高年齢者等の雇用の安定等に関する法律施行規則の次の条文は、

(中高年齢者の年齢)

第二条  法第二条第二項第一号 の厚生労働省令で定める年齢は、四十五歳とする。

45歳を超えたら中高年齢者です。そうですね、タレントで言えば福山雅治とか立派な中高年です。

2017年1月 4日 (水)

そんなに「近代」が嫌いなら・・・

8134f1c9_s今朝の朝日の1面左側のでかい記事に、例の『日本会議』の菅野完さんが噛み付いていますが、これは完全に同意。

http://www.asahi.com/articles/ASJDY5DR2JDYULZU005.html(経済成長は永遠なのか 「この200年、むしろ例外」)

https://twitter.com/noiehoie/status/816430449266343936

しかし今日の朝日は酷いな。購読辞めたろかなと思うほど酷い。・・・「経済成長はえいえんなのか?」とかいう記事は酷すぎる。「朝日的なものが経済成長に懐疑的であること」の社会的罪悪を完全に理解してない。最低だよこれ。

https://twitter.com/noiehoie/status/816430986594422785

朝日の論説委員・原真人氏の記事らしいのだが、「経済成長してないとはいえない」として挙げられる事例が、「ミシュランの三つ星が増え、宅急便で遠隔地の生鮮食品が手に入り、温水便座トイレが普及」とか、ポエムになっとる。こんなこと言ってるからダメなんだよ

https://twitter.com/noiehoie/status/816432253496459264

「経済成長は、弱者救済の最低条件」と言い切れない連中は、目を噛んで死ねばいいと思う

https://twitter.com/noiehoie/status/816495245386924032

今朝の朝日の記事に腹立ててる人多いなやっぱり。「朝日が経済成長に懐疑的になる」ことは、社会的な害悪なのよ。怖いぐらいの罪。

https://twitter.com/noiehoie/status/816496731386806272

「経済成長してるこの二百年がむしろ例外なのだ」と朝日はいう。当たり前だ。その二百年こそが、近代であり、資本主義であり、産業革命の結果なんだから。なにをいうとるのか。朝日の記者は、義務教育の間、なにを勉強してたんだ?

https://twitter.com/noiehoie/status/816497107238416384

そりゃね、「近代なるものを懐疑的に検証する」って行為は必要でしょう。しかしそれは新聞のやる仕事でもないし、ましてや論説でやる仕事じゃない。馬鹿なんではないかな、あれ書いた論説委員も通した編集も。

https://twitter.com/noiehoie/status/816498469791633408

つまり朝日は「近代なる概念は人類の歴史の例外なのだ」というとるわけ。当然の話として、「ほななにかえ?お前は、近代以前に戻れというとるのかえ?」なり「なるほど。亜近代を目指せと。つまりファシズム?」って嫌味は言いたくなるわな。本当になんだあのクソ論説は。

https://twitter.com/noiehoie/status/816504115312234496

朝日の使命というか、社会的に求められる期待というか、役割は、「低成長をみんなで受け入れよう」と呼びかけることではなく、「賃金上げろ!労働環境改善しろ!」と訴えることだろう。そして、賃上げ、労働環境改善、財政出動こそが、成長に繋がるんだ。他の国にできて、日本にできんことないだろう。

ある種のリベラルな左派の議論に定期的に出現するこの手の思想ほど、始末に負えないものはない、というのが私の感想。

本ブログでも、(申し訳ないけれど)連合総研の機関誌の特集をつかまえて、こう批判させていただいたこともある。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-1e75.html(労働組合は成長を拒否できるのか?)

・・・正直言って、労働者の労働者としての利益を追い求めるために存在するはずの労働組合のシンクタンクが、こういう(あえてきつい言い方をしますが)腹ふくれ満ち足りたブルジョワの息子の手すさびみたいな議論をもてあそんでいて良いのでしょうか、という根本的な疑問が湧いてくるのを禁じ得ません。特に最初の二つ。

心のビッグバンだの、精神革命だの、いやそういう議論がそれなりの場でなされるのは大いに結構だし、そういうのが大好きな人々がいることもわかる。でもね、それって、日本の労働組合のナショナルセンターのシンクタンクの機関誌でやるべき事なんだろうか。

本当に今の日本の労働者、とりわけ労働組合に組織されることもなく使用者の私的権力にさらされて、低い労働条件を何とかしたいと思っている労働者に呼びかける言葉が、「希望としての定常型社会」なんですか。

そして、見果てぬ夢を夢見る夢想家ではない現場で何とか生きていこうとしている労働者たちに送る処方箋が「金利と利潤のない経済の構想」なんですか。

壮大な議論は私も嫌いじゃないし、リアルな議論とつなげる道もないわけじゃないと思う。でもね、これじゃ接ぎ穂がなさすぎる。

何というか、そのあまりの落差に言葉を一瞬失う感が半端ないのですが。

菅野さんは「ポエム」で片付けていますが、も少しきつく言えば「腹ふくれ満ち足りたブルジョワの息子の手すさびみたいな議論」であり、マリー・アントワネットもびっくりという奴です。

もっとも、一言だけ付け加えさせていただくと、日本の「左派」が世界の常識に反してやたらに成長を敵視するには、それなりの日本独特の文脈から来る理由があるのだという説明も本ブログで併せてしていますので、興味があればついでにお読み頂ければ幸いです。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2013/02/post-8159.html(何で日本の左派なひとは「成長」が嫌いか)

ジョブ型社会では、経済成長すると、「ジョブ」が増える。「ジョブ」が増えると、その「ジョブ」につける人が増える。失業者は減る。一方で、景気がいいからといって、「ジョブ」の中身は変わらない。残業や休日出勤じゃなく、どんどん人を増やして対応するんだから、働く側にとってはいいことだけで、悪いことじゃない。

だから、本ブログでも百万回繰り返してきたように、欧米では成長は左派、社民派、労働運動の側の旗印。

メンバーシップ型社会では、景気が良くなっても「作業」は増えるけれど、「ジョブ」は増えるとは限らない。とりわけ非正規は増やすけれど、正社員は増やすよりも残業で対応する傾向が強いので、働く側にとってはいいこととばかりは限らない。

とりわけ雇用さえあればどんなに劣悪でもいいという人じゃなく、労働条件に関心を持つ人であればあるほど、成長に飛びつかなくなる。

も一つ、エコノミック系の頭の人は「成長」といえば経済成長以外の概念は頭の中に全くないけれど、日本の職場の現実では、「成長」って言葉は、「もっと成長するために仕事を頑張るんだ!!!」というハードワーク推奨の文脈で使われることが圧倒的に多い。それが特に昨今はブラックな職場でやりがい搾取するために使われる。そういう社会学的現実が見えない経済学教科書頭で「成長」を振り回すと、そいつはブラック企業の回し者に見えるんだろうね。

まあ、要すれば文脈と意味内容のずれによるものではあるんだが、とりわけ経済学頭の人にそのずれを認識する回路がないのが一番痛いのかもしれない

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/post-b066.html(決まってるじゃないか。自分の成長のためだよ!)

「1日の平均勤務時間は16時間くらいでしたね。サービス残業はあたりまえで、泊まりもありました。みんなけっこう自分から長時間労働をしているので、おかしいなと思い、『どうしてこんなに働くんですか』って聞いたことがあるんです。そうしたら『決まってるじゃないか。自分の成長のためだよ!』と……。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2014/08/post-5698.html((「成長」をハードワークの同義語として擁護/反発する人々)

本ブログでも何回も指摘しているのですが、なまじまじめに経済学を勉強してしまったありすさんは、世間一般で、とりわけブラックな職場で人をハードワークに追い込むマジックワードとして用いられる「成長」という言葉が、厳密に経済学的な意味における「成長」とは全然違うことにいらだっているわけです。

でもね、その「成長」への反発は、そういう「成長」を振りかざす人々がいるからその自然な反作用として生じているのである以上、お前の用語法は経済学における正しい「成長」概念と違う、といってみても、なかなか通じきれないわけです。

フィンランドのベーシックインカムについては

一時盛り上がってその後落ち着いていたようですが、またフィンランドのベーシックインカム実験が話題になっているようなので、

http://www.cnn.co.jp/business/35094497.html(ベーシックインカムを試験導入、2千人対象 フィンランド)

北欧フィンランドで今月から2000人を対象に保証収入を支給する制度を試験的に導入する試みが始まった。

今月から始まったプログラムは、ユニバーサル・ベーシックインカム(UBI)の実効性をテストする最初の取り組みの1つだ。対象者には収入や資産、雇用状況にかかわらず、毎月一律560ユーロ(約6万8000円)が支給される。・・・

51ogyucv3ol__sx353_bo1204203200_フィンランドのベーシックインカムについては、先日『貧困研究』17号に五石敬路さんが見通しのよい論文を書かれているので、まずはそれにざっと目を通してから何かを語るようにすることをお奨めします。

http://hinkonken.org/?p=1196

フィンランド:ベーシックインカム実験案と社会政策の変化(五石敬路)

フィンランドにおけるベーシックインカム導入のコンテキストは、就労促進と行政サービスのワンストップ化だというのが、恐らく日本でベーシックインカムをもてはやしている人々の想定外でしょう。

労働組合と社会民主党がベーシックインカム導入への最大の反対勢力であるというのも、ものごとの筋道を考えれば当然ではありますが、日本では意外に思われてしまうかも知れません。

2017年1月 3日 (火)

釣り上げられた『若者と労働』

Chuko 「Fish On The Boat」という書評ブログで拙著『若者と労働』が取り上げられました。このブログ、「記事、それはまるで、釣り上げた魚たち」とのことで、拙著も釣り上げられたというわけです。

http://blog.goo.ne.jp/mask555/e/5019531aa11a280596522ee80e59c715

とてもおもしろかったです。

現代の日本の労働状況をときほぐして説明してくれる本でした。

というところから、拙著の内容を大変丁寧に解きほぐしつつ解説していただいています。

そして最後に、

長くなりましたが、中身の濃い良書です。

善良な経営者に読んでもらって、雇い方に着いて見識を深めてほしいです。

ふつうのいろいろなタイプの労働者のひとたちも

読んで知っておくと、

自分の気もちや態度に自信が持てるようになると思います。

社会よ、少しずつ良いほうへ変わってゆけ。

そのきっかけになる可能性を秘めた本です。

とまとめていただいています。

(追記)

なお、ツイート上でも、「ますく555」さんに新年早々

https://twitter.com/Heartacheman/status/815961307040124928

濱口桂一郎『若者と労働』おもしろかった。しりすぼみにならない良書。日本の労働状況をじょうずにときほぐして伝えてくれています。

と評していただいています。

(再追記)

その、「ますく555」さんがブクログにもう少し長い感想を書かれていました。

http://booklog.jp/users/mask555/archives/1/4121504658

とてもおもしろかったです。現代の日本の労働状況をときほぐして説明してくれる本でした。日本の、職業に直結しない教育の度合いというか、卒業して就職へ臨む若いひとたちの「これまでの教育が職業に役立つかどうか」の意識というかは、先進国で最下位だったそうです。義務教育を受けても、それがその後の就職にはつながらないと日本人は考えているし、実際そうなのでした。そんな日本の労働システム。本書では、メンバーシップ型と読んでいます。年功序列だとか、新卒一斉就職だとか、そしてそれらとマッチングした企業内のシステムだとか、特殊なんですね。欧米に限らず、中国を含むアジアの先進国にも、日本のようなメンバーシップ労働システムはないそうです。日本では、仕事のスキルのない新卒者をいっせいに採用して、社内で少しずつ教育して使いものになる労働者に育てていきます。一方で、欧米型では、スキルのない若者は採用されません。欠員がでたときに、その仕事ができる人を公募して、若者にしろ中年にしろそこは構わず、持っているスキルで採用の有無を判断するそうです。その結果、若者たちが就職できないという問題を生みますが、公的な職業教育制度があったりして、その問題に対処しているそうです。もともと「人」を大事にする思想ではじまったメンバーシップ型労働システムなんだそうだけれど、法律など建前としては欧米的なジョブ型労働システムをよしとしているようです。ハローワークでの職探し、職業訓練、などは「仕事」に「人」をはりつけるジョブ型の考え。日本的なのは、「人」に「仕事」をはりつけるメンバーシップ型の考え。そして、いまや学生たちは就活と職探しを別々に考えているらしい。職探しは就活より下とみていて、なんとしても新卒で就職しようと躍起になる。給料もそんなに違わなくて、長い時間かけて取り組んだとしてどこがブラックかもわからなくても、既卒で職探しはしたくないみたいなんですよね。

2017年1月 2日 (月)

低賃金カルテル異聞

Coffeeillustrationbybi009 昨年末からネット上で「低賃金カルテル」なる言葉が流行っていたようですが、あまり口を挟む必要もなさそうな議論が多いようなので静観しておりましたが、そういえばそういう概念って欧米でもあるのだろうかと思って検索してみたら、一昨年の英紙「ザ・ガーディアン」の記事にこういうのがありました。

https://www.theguardian.com/commentisfree/2015/sep/21/lidl-living-wage-low-pay-cartel-british-business-model (Will Lidl’s living wage smash the UK’s low-pay cartel?)

「リドルの生活賃金はイギリスの低賃金カルテルをたたき壊すか?」

「low-pay cartel」は文字通り「低賃金カルテル」ですね。リドルというスーパーマーケットが時給を8.2ポンド(ロンドンでは9.35ポンド)に引き上げるという決定が、どこもほぼ最低賃金で販売員を雇っているイギリスのスーパーやチェーンレストランをゆるがしていると。

この記事のこの一節は、イギリスのことを叙述しているんですが、なかなか興味深い一節です。

One of the prevailing ideas of our time is that workers need not be paid enough to live on. Of course, few put it so crudely. When asked why they don’t pay staff more, company bosses talk about financial viability or summon up the spectre of 1970s-style inflation. But whatever the euphemism, the net result is the same: more households scraping by on poverty wages and having to depend on the public for top-ups..

我らの時代に広まっている一つの考え方は、労働者にその生計を立てるに十分な賃金を払う必要はないというものだ。もちろん、そこまで露骨にいう人はほとんどいないが。どうして職員にもっと高い給料を払わないのかと聞かれると、企業経営者たちは財務的実行可能性を語り、1970年代のようなインフレの脅威を持ち出す。しかしなんと言いくるめようと、その正味の帰結は同じだ。貧困賃金によって破壊され、補填のために公的扶助に依存する世帯の増加だ。

この記事の時点でイギリスの最低賃金は6.7ポンド(現在は7.2ポンド)だったので、約2割強増しということでしょうか。ただ、この記事ではこのリドル社って、白馬にまたがった王子様みたいですが、実はヨーロッパではこのリドル社って、ブラック企業として有名だったりするんですね。ウィキペディアに邦語の記事もあるのでちょっと引用しますと、

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%89%E3%83%AB

ドイツやその他の国の労働組合は繰り返し、就業時間や酷使に関するEU指令に違反したリドルの従業員に対する不利な取り扱いを批判している。Black Book on the Schwarz Retail Companyという本がドイツで発行されており、現在では英語版も入手できる[4]。タイムズは、リドルのマネージャーは会社に就職する際にEU指令から逸脱することを承認させられ、過剰な時間の労働を強いられていると報じている。ガーディアン[5]やタイムズ[6]は、リドルは全従業員、特に女性や時間雇用の従業員に対してカメラを使ったスパイを行っており、個人の行動に関する膨大な文書を作っていると報じている。イタリアでは2003年にサヴォーナの裁判所が、リドルが反労働組合活動を行っていると認め、現地法で有罪としている[7]。イギリスやアイルランドでも、従業員が労働組合に入るのを認めていないとして批判されている。

うううむ、これを見ると、ブラック企業という批判を緩めるために賃金を引き上げたのかという疑問も生じますね。白書ならぬ「黒書」が出てくるくらいですからまさにブラック。低賃金カルテルを壊したのはそれ以上のブラック企業でした、というのはなかなかシュールな構図かも知れません。

ちなみに、法律的に厳密な意味で、いくつかの企業が共謀して賃金を一定額以上にしないようにカルテルを結んでいたことが競争法上のカルテル行為として訴えられたアメリカの事例がありますが、

http://itpro.nikkeibp.co.jp/atcl/news/15/030500800/ (GoogleやAppleなど4社、4億1500万ドルで賃金カルテル訴訟和解)

これは高い給料に歯止めをかけようとするものなので、まさに使用者サイドの「高賃金阻止カルテル」ではありますが、ここでいう「低賃金カルテル」とは別のレベルの話のようです。

(参考)

ちなみに、そもそも労働組合とは賃金カルテルなんだよ、という話をよくわかっていない人に噛んで含めるように解説したのが6年前のこのエントリ。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/post-1383.html (労働組合は賃金カルテルだが・・・)

http://twitter.com/#!/ikedanob/status/80854685522739200

>労働組合は賃金カルテル。ワグナー法までは違法だった

例によって、半分だけ正しいというか、一知半解というか、いやいやそういうことを言ってはいけないのであった。どこが正しいかというと、

1890年のシャーマン反トラスト法が、連邦最高裁によって労働組合にも適用されると判決されたことにより、まさに「労働組合は賃金カルテル」となりました。

これに対し、1914年のクレイトン法が「人間の労働は商品ではない」と規定して、労働組合の行動を反トラスト法の対象から除外したのですが、なお当時の司法はいろいろと解釈して反トラスト法を適用し続けたのです。

それをほぼ全面的に適用除外としたのが1932年のノリス・ラガーディア法で、これを受けて、むしろ積極的に労働組合を保護促進するワグナー法がルーズベルト大統領の下でニューディール政策が進められていた1935年に成立します。

ですから、学生ならお情けで合格点を与えてもいいのですが、社会科学に関わる人であれば「ワグナー法までは違法だった」で落第でしょう。

で、ここからが本題。

このように労働組合がカルテルであるというのは、つまり労働者が企業の一員ではなく企業に対する労働販売者であり、労働組合とはそういう労働販売者の協同組合であるという認識を前提にします。労働組合がギルドだという言い方も、同じです。

欧米の労働組合は、まさにそういう意味で労働販売者の協同組合として、社会的に位置づけられているわけですが、日本の労働社会ではそうではない、というのが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/09/post_a4ee.html(半分だけ正しい知識でものを言うと・・・)

の最重要のポイント。

日本の企業別組合は、企業の一員(メンバー)であることが要件であり、そのメンバーシップを守ることが最重要課題なので、自分が働いている職場に、自分のすぐ隣で、同じ種類の労働をものすごい安売りをしている非正規労働者がいても、全然気にしないのです。そんなもの、カルテルでもなければギルドでもあり得ない。

アメリカは自由市場イデオロギーの強い国なので、こういう反カルテル的発想から反労働組合思想が発生しがちなのですが、少なくともそのロジックをそのまま日本に持ち込んで、日本の企業別組合に対して何事かを語っているつもりになるとすれば、それは相当に見当外れであることだけは間違いありません。

批判するなら、「もっとまともなギルドになれ!」とでもいうのでしょうかね。それは立場によってさまざまでしょうが。

2017年1月 1日 (日)

新年明けましておめでとうございます

A1aee1592b14d7fde8e4c099a6b7d436  昨年は、個別労働紛争の報告書を元に、労働局あっせんの詳しい内容を併せて、一月に『日本の雇用紛争』を労働政策研究・研修機構より刊行しました。今年は一月にも『EUの労働法政策』を刊行の予定です。これは一九九八年に刊行した『EU労働法の形成』の全面改訂版です。
 日本では働き方改革として同一労働同一賃金や長時間労働の是正が論じられていますが、世界ではイギリスがEU離脱を決め、アメリカではトランプ氏が大統領に当選し、欧州各国でも排外的な動きが収まらないなど、先行きが心配な状態が続いています。
 今年こそは内外ともに良い年となり、皆様にとっても素晴らしい年となりますように心よりお祈り申し上げます。
2017

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