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2016年12月 1日 (木)

「ワシの年金」バカの脳内積立妄想

先日、権丈善一ゼミの学生さんたちが作ったユース年金学会上映ビデオを拝見して、改めて思ったこと。

それは、この世の中で年金について一番たちが悪いのは、いわゆる年金積立論者ではない、ということ。権丈さんは意見が違うかも知れないけれども。

いわゆる年金積立論者というのは、現在の年金制度が積立方式ではなくて賦課方式、つまり年金世代が自分でむかしむかし積み立てたお金をもらっているんじゃなくって、今現在現役世代が汗水垂らして働いて稼いだお金を年金世代が「仕送り」してもらっている、ということを事実認識としてはちゃんと分かった上で、それが間違っている、ケシカラン、本来の積立方式にしろ、と主張するものです。

その政策論に対してはもちろん、そんなことできるわけないだろ、他いろいろな議論は可能ですが、根っこの事実認識自体が間違っているわけではありません。

ところが、前にも本ブログで書いたように、この世の中で平然と通用している年金評論のかなりのものは、どうやらその根っこの事実認識がかなり危ういようです。今現在の現役世代から仕送りしてもらっているそのお金を、どうやら「ワシがむかしむかし稼いで貯めたお金じゃ」と思い込んでいるようなのです。

いってみれば、実際には賦課方式で子どもや孫から仕送りしてもらっているお金を、脳内で勝手に「ワシがむかし稼いだカネ」と思い込んでしまっているというわけです。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/post-f716.html(年金世代の大いなる勘違い)

・・・公的年金とは今現在の現役世代が稼いだ金を国家権力を通じて高齢世代に再分配しているのだということがちゃんと分かっていれば、年金をもらっている側がそういう発想になることはあり得ないはずだと、普通思うわけです。

でも、年金世代はそう思っていないんです。この金は、俺たちが若い頃に預けた金じゃ、預けた金を返してもらっとるんじゃから、現役世代に感謝するいわれなんぞないわい、と、まあ、そういう風に思っているんです。

自分が今受け取っている年金を社会保障だと思っていないんです。

まるで民間銀行に預けた金を受け取っているかのように思っているんです。

だから、年金生活しながら、平然と「小さな政府」万歳とか言っていられるんでしょう。

自分の生計がもっぱら「大きな政府」のおかげで成り立っているなんて、これっぽっちも思っていないので、「近ごろの若い連中」にお金を渡すような「大きな政府」は無駄じゃ無駄じゃ、と思うわけですね。・・・

このエントリは、どちらかというと大きい政府小さい政府論の文脈で、なぜ社会保障で生活しているはずの年金世代が小さい政府といいたがるのかというパラドックスを指摘したものですが、実は、年金制度それ自体の内部で、まさにこの「脳内積立妄想」が猛威を発揮しているのが、今日ただいまの「年金カット法案」という醜悪なネーミングであるように思われます。

ニッポンという大家族で、子どもと孫の世代が一生懸命耕して田植えして稲刈りして積み上げたお米を、もう引退したじいさまとばあさまも食べて生きているという状況下で、その現役世代の食えるお米が少なくなったときに、さて、じいさまとばあさまの食う米を同じように減らすべきか、断固として減らしてはならないか。

多分、子どもや孫が腹を減らしてもじいさまとばあさまの食う米を減らしてはならないと主張する人は、その米が何十年もむかしにそのじさまとばあさまが現役で田んぼに出て働いていた頃に、自分で刈り取ったお米が倉の中に何十年も積み上げられていて、それを今ワシらが食っているんじゃ、と思っているのでしょう。

いろいろ思うに、ここ10年、いや20年近くにわたる年金をめぐるわけの分からない議論の漂流の源泉は、そもそも現実の年金が仕送りになっているということを忘れた「ワシの年金」バカの脳内積立妄想に在るのではないか、というのが私の見立てです。

そのとんでもない破壊力に比べれば、経済学者の中の積立方式に変えろ論など可愛いものではないか、と思ってしまいます。

(追記)

https://twitter.com/ROYGB23456/status/804274940820082688

若い世代の仕送り説もちょっとインチキで、年金に加入して保険料を支払っていた高齢者しか仕送りを受け取れないことが説明できない。お金の積み立てでなくても、年金受給の権利を積み立てていたので受け取れる。

そりゃもちろん、年金保険であって生活保護じゃないんだから、若い頃にその時の老人に仕送りをしていなかったような人は、自分が老人になった時に仕送りは受けられないわけです。

ただし、ここが重要ですが、そうですね、上の比喩を引き続き使えば、若い頃に一生懸命刈り取って蔵に入れたその時のお米は、その時のじさまとばさまがちゃんと食べてしまっているので、それが積み立てられているわけではない。今食えるお米は、どのみち今年刈り取ったかせいぜい最近蔵に入れたお米なんだから、今年の収穫が悪くて、食える米が少なくなったら、それを若い衆とじさまばさまで分けるしかないのです。

若い衆の食い扶持はどんどん減らしても、じさまとばさまの食い扶持だけは絶対に減らせねえ!と叫ぶのはヘンだね、というだけの話ですよ。

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コメント

いえいえ、現行の年金受給権が年金保険料の納付期間や納付額と紐付けられている時点で、「仕送り方式だから『ワシの年金』じゃない」という理屈は通用しないんですよ。

もし、保険料納付と、納付による権利=年金受給権=私有財産権=『ワシの年金』が「全く関係ない」なら、保険料払ったか否かに関わらず「現在の」所得や資産のみに基づいて年金を払えばいいということになる。その場合は、完全な税方式ということになります。

積み立てじゃないということは、イコール「ワシの年金じゃない」ということを意味しないし、積み立てを想定した「現金そのもの」を所有しないからと言って、その現金を受け取る「受給権」の所有までは否定できません。てか、「年金受給権」はれっきとした私有財産として認められて、厚労省も否定していないんでしね(今までの各種年金の統合論とか、富裕層への給付停止論とかで、そういう財産権の存在が前提として議論されてますよね)

「ワシの年金」は正確には「ワシの年金受給権」ですが、素人がその区別をつけないからと言って「悪」ではなし、区別をつけたからと言って結論が劇的に変わるわけではないですよ。

思考実験してみれば分かりますが、「年金廃止」が決定された場合、1.今まで納付した年金保険料を返還するか 2.今まで納付した年金保険料を返還しないか

↑ということを考えれば良いと思うんですよ。利子とか企業負担分はひとまず留保で。
で、「ワシの年金」を肯定するか否定するかしかないですから、例えば「7割だけ返す」とかはあり得ない。全部返還するか、全く返さないか。

如何でしょうか。年金は「ワシのもの」じゃないという人でも、「今までワシが払った」ものを返さないというのは、受け入れがたいのでは。世間や政治が許しますか? 常識から考えてあり得ないと思いますよ。

また、年金が「ワシのもの」じゃないなら、生活保護と同じ扱いにすることに何ら否定する理由がないのですから、そう主張すべきでしょう。

より過激な言い方をすれば、実際は「ワシの年金」であるか否かと、仕送りか積み立てかは同値ではないです。

例えば、完全税方式であっても居住期間等に応じて年金受給の「権利の所有」を定義することは可能です。逆に、保険料を積み立てさせておいたものの、受給時の資産や所得に応じてその権利を抹消することは理論上はあり得ます。


年金受給権のみならず、現金でさえ、「高齢者が若い時から蓄財してきた現金の価値は、現役世代の生産力によって裏付けられる」わけですから、年金仕送り議論と同じことです。だからと言って、高齢者が現金の額面通りの権利を「所有していない」と言うことはできませんね。

追記読みました。

スライドに不満は無いです。

スライドを正当化するための「ワシの年金」批判は誤りであり、「『ワシの年金受給権は存在する』が、現金や物権よりは保障の程度が弱いので、現役世代の負担を抑制するために年金受給権という財産権を一部減らす」ということを言いたかった。

あと、最初から予見可能な制度で受給額が減るのと異なり、後出しでのルール変更なので批判は当然受けるべきです。

法律上の権利として額が定まっているわけではない診療報酬ですら利益関係者は「神聖な権利」と思ってるのですから、より法的保護が強い権利に対して退職者がそれを守ろうとするのは当然です。

「権利や利益を譲るのが当然だろ!」という話が常識なら、これだけ財政ひっ迫していないし、労使交渉ももっとズムーズになりますよ。

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