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2016年12月13日 (火)

「知的」で「誠実」な「りふれは」再掲

6年も前の、書いた本人も忘れかけていたエントリが、マシナリさんに引用されたようです。

http://sonicbrew.blog55.fc2.com/blog-entry-712.html(最悪の政治的手法)

これは釣られておかなければなりますまい。

・・・・「知的」で「誠実」であろうとすれば「りふれは」ではありえないというのは今に始まったことではないので今更取り上げるのも飽き飽きするところですが、10年以上にわたって整合性の欠如のブレなさっぷりを拝見できるのはもはや伝統芸と敬意を表さざるを得ませんね!!!!!(棒)

ということで、本ブログのこのエントリが引かれております。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/post-a897.html(「知的」で「誠実」な「りふれは」)

・・・その昔、こういう小咄がありました。

「知的」な「ナチス」は存在しうるが「誠実」ではあり得ない。

「誠実」な「ナチス」は存在しうるが「知的」ではあり得ない。

「知的」で「誠実」な者は存在しうるが「ナチス」ではあり得ない。

なるほど、これになぞらえて言えば、

「知的」な「りふれは」は存在しうるが「誠実」ではあり得ない。

「誠実」な「りふれは」は存在しうるが「知的」ではあり得ない。

「知的」で「誠実」な者は存在しうるが「りふれは」ではあり得ない。

ということでしょうか。

このエントリへの追記の中に、こんな一節もあり、懐かしさに胸が熱くなりました。

・・・引用していただいたおかげで、4年半も前のエントリを改めて自ら再読したわけですが、

・・・この頃は、ネット上では「構造改革 vs リフレ派」という(いまではインチキであったことが明白になってしまった)認識枠組みが多くの人々の心を捉えており、それに異を唱えるわたくしに対して、コメント欄に見られるような、目を覆いたくなるような無惨な誹謗中傷が雨あられと降りかかってきたわけです。

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コメント

ご紹介いただきありがとうございます。
お忘れになったところで古いエントリを思い起こさせる形になりまして恐縮です。

こちらのエントリで引用されている追記のような状況は今振り返って見れば明白な事実でしたが、それをめぐって議論が盛り上がるほどに当時は明白ではなかったということですね。hamachan先生の透徹した視点の記録にアクセスできる一方で、このようなログを残してしまうことに後ろめたさもなくはありませんが、これも記録ということでご容赦いただければと思います。

いえいえ、言葉通り、本当に「懐かしさに胸が熱くな」ったんです。
あの頃騒いでいた人々は今頃どこでどうしているんでしょうか。

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