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« 高齢者活躍支援協議会・シニアセカンドキャリア推進共催シンポジウム基調講演 | トップページ | セリーナ・トッド『ザ・ピープル イギリス労働者階級の盛衰』 »

2016年12月20日 (火)

水島治郎『ポピュリズムとは何か』

102410時宜に適したという言葉が、今現在これほどどんぴしゃに当てはまる本はないでしょう。水島治郎さんより新著『ポピュリズムとは何か 民主主義の敵か、改革の希望か』(中公新書)をお送りいただきました。いつもありがとうございます。

http://www.chuko.co.jp/shinsho/2016/12/102410.html

イギリスの国民投票でEU離脱が多数を占め、アメリカではトランプが大統領に当選するという「アヌス・ホリビリス」の年末を飾るにふさわしい本ですが、例によってすっぽこすっぽこ刊行される粗製濫造新書と違って、そこはさすが中公新書、かつて『反転する福祉国家』でオランダモデルともてはやされるオランダの「影」の部分と、しかしそれが「光」と表裏一体であることを見事に浮き彫りにして見せた水島さんの手により、現代ポピュリズムを論じる際に必携の一冊となっています。

イギリスのEU離脱、反イスラムなど排外主義の広がり、トランプ米大統領誕生……世界で猛威を振るうポピュリズム。「大衆迎合主義」とも訳され、民主主義の脅威と見られがちだ。だが、ラテンアメリカではエリート支配から人民を解放する原動力となり、ヨーロッパでは既成政党に改革を促す効果も指摘される。一方的に断罪すれば済むものではない。西欧から南北アメリカ、日本まで席巻する現状を分析し、その本質に迫る。

第1章で、ポピュリズムをめぐる政治学的議論を概観し、それが近代デモクラシーの二つの原理のうちの一つを代表するものであり、ムフらのラディカル・デモクラシーと共通するものがあることを確認した上で、それがデモクラシーに寄与する面と脅威となる面の両面を持つやっかいな存在であることを論じ、第2章以後の歴史的記述と近年の動きの分析に移っていきます。

かつてはアメリカ大陸が中心だったポピュリズムがヨーロッパをその震源とするようになったのは高度成長終了後で、フランスやベルギーのように極右政治勢力が右翼的性格を薄めて移民排斥に移っていった国もあれば、オランダやデンマークのようにむしろリベラルゆえの反イスラムが人気を博した国もあります。このあたりは水島さんの得意な分野ですが、私自身今から20年前にベルギーに住んでいた頃、本書にも出て来るフラームス・ブロックがどんどん人気を得ていく姿を見ていたこともあり、改めて生々しい思い出が蘇りました。

第6章はイギリスのEU離脱を主導したイギリス独立党の分析ですが、そのサブタイトルが「置き去りにされた人々の逆転劇」。そう、本ブログでここのところ結構繰り返して取り上げているテーマですね。

この章からいくつか、脳裏に焼き付く一節を引用しておきましょう。

・・・とはいえ、このような社会的分断の存在が、直ちにイギリス独立党のようなポピュリズム政党の伸長を生み出すわけではない。むしろ問題は、既成の政党がいずれもこの分断状況から目を背け、中高年の労働者層を「見捨てて」きたことである。特に、従来労働者層の強い支持を受けてきたはずの労働党は、ブレアのもとで「ニューレーバー」と称する党改革を進め、コスモポリタン的で穏健な中間層の取り込みに走った。軸足を中道寄りに移すことは、中間層の支持を得る上では一定の効果を持ったが、其の半面、労働者層との距離が広がり、彼らの離反を招いた。・・・

・・・これらの「置き去りにされた」人々の声を代弁すると主張するファラージ自身は、私立学校出身で金融街で成功した、むしろエリート層に属する人物である。しかし彼は、パブでビールを飲む庶民的な振る舞いや言葉遣いで「置き去りにされた」人々に親しみを覚えさせることに成功した。・・・

そしてとりわけ、現在のイギリスで労働者層に向けられる眼差しがこうなっているという指摘。オーエン・ジョーンズの『チャブス』という本によると、

・・・現代のイギリスにおいて、失業の危機にあえぐ労働者階級に対する視線が、一層厳しさを増していることを明らかにする。近年語られてきた「階級なき社会」「今やみんなが中産階級」という言説は幻想に過ぎないのであって、現実には一部の人に富が集中する一方、格差と困窮が広がっていることを彼は指摘する。しかも自己責任原則が広まり、就労優先政策が浸透する中で、職につくこともままならない労働者階級の人々には「怠惰」とのレッテルが貼られ、社会的な批判が向けられている。・・・

・・・イギリス社会が「中産階級により、中産階級のための」社会となりはてる一方、労働者階級は邪悪な存在として扱われ、周辺に追いやられていく。・・・

・・・労働党がもはや労働者に背を向け、富裕層のための党に転じてしまった以上、労働者階級の立場を守り、しかも移民問題にも取り組んでくれる政党は、既成政党にはない。その閉塞感の中で、イギリス独立党をはじめとする排外主義的な政党や団体が救い主として現れ、労働者層の支持を集めているとジョーンズは指摘する。その意味でイギリス独立党の伸長は、中産階級の労働者層への「まなざし」のもたらした当然の結果であったのかも知れない。

そしてとりわけ胸に突き刺さるのは、今回の国民投票後にマスコミに溢れた離脱賛成者への批判的視線が、まさにこの「まなざし」を赤裸々に示すものであったというジョーンズの指摘です。

・・・知的生活とはほど遠いところにある、粗野でその日暮らしの人々、グローバルな時代に背を向け、狭い地方に閉じこもって移民や外国人を拒む、偏狭な人々。・・・

・・・離脱票を投じた彼らを非難することは、「ますます事態を悪化させるだけだ」と主張する。なぜなら、「離脱票を投じた人々の多くは、既に除け者にされ、無視され、忌み嫌われていると感じてきた」からである。

その彼らへの軽蔑こそが、今回の投票結果を生んだのであって、その軽蔑の念を一層強め、言語化したところで、問題は解決するどころか深刻化の一途をたどるだろう。・・・・

本ブログのコメント欄にも、この「まなざし」「軽蔑の念」をそれこそディナーパーティの泥酔客並みの言語水準で吐き散らし、問題を深刻化させたくて仕方がないように見える方がおられますね。

それはともかく、最後の第7章「グローバル化するポピュリズム」は、そのグローバル化が生んだ鬼子であるポピュリズムがグローバル化していくアイロニーを描いています。

同章の最後の項は「ディナーパーティの泥酔客」と題されています。いちいち胸に沁みるこの一節を是非熟読玩味して下さい。

ポピュリズムは、「ディナーパーティの泥酔客」のような存在だという。

上品なディナーパーティに現れた、なりふり構わず叫ぶ泥酔客。招くべからざる人物。その場の和やかな雰囲気を乱し、居並ぶ人々が眉をひそめる存在。しかしその客の叫ぶ言葉は、時として、出席者が決して口にしない公然の秘密に触れることで、人々を内心どきりとさせる。その客は、ずかずかとタブーに踏み込み、隠されていた欺瞞を暴く存在でもあるのだ。

デモクラシーという品のよいパーティに出現した、ポピュリズムという泥酔客。パーティ客の多くは、この泥酔客を歓迎しないだろう。ましてや手を取って、ディナーへと導こうとはしないだろう。しかしポピュリズムの出現を通じて、現代のデモクラシーというパーティは、その抱える本質的な矛盾を露わにしたとは言えないだろうか。そして困ったような表情を浮かべつつも、内心では泥酔客の重大な指摘に密かに頷いている客は、実は多いのではないか。

・・・泥酔客を門の外へ閉め出したとしても、今度はむりやり窓を割って入ってくるのであれば、パーティはそれこそ台無しになるだろう。

この厄介な珍客をどう遇すべきか。まさに今、デモクラシーの真価が問われているのである。

政治学者水島治郎の名台詞です。

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コメント

>本ブログのコメント欄にも、この「まなざし」「軽蔑の念」をそれこそディナーパーティの泥酔客並みの言語水準で吐き散らし、問題を深刻化させたくて仕方がないように見える方がおられますね。


例えばですよ、貴族やエリート企業家や高度専門家が、特定の被差別グループを差別する発言をしたなら、鬼・悪魔のように批判されるんじゃないですか。

それに対して、「労働者が罵詈雑言を吐き、悪態をつくのはしょうがない」と不当に庇うことこそ、差別なんじゃないですか。

エリート目線による下層階級蔑視を批判するエリートが、まさに上から目線で下層階級の横暴を擁護している。お笑いだ。

ポピュリズムって伝統的な定義では、「パンとサーカス=財政バラマキと政治的見世物」だったけど、

誰が言ったか知らんが歳出削減や規制緩和や構造改革までポピュリズムと認定してしまった。
ご存知の通り、歳出削減と「パンのバラマキ」は逆の政策なわけで、これでは「自分の気に入らない(けど民衆の多数が支持しそうな)政策=ポピュリズム」という以上の意味はない。

例えば、郵政民営化や事業仕分け(および、それらが象徴する公務員削減)は「ポピュリズム」という批判に晒されているわけですが、フランス共和党が主張する同じ政策は「伝統的な右派の政策」と呼ばれます。
また、ブラジルやアルゼンチンが行う同じ政策に対しては、「民衆の痛みに関わらず必要な政策を行う誠実さ」という評価が与えられます。

ポピュリズムって何すかね?

ある個人や階層が、困窮している・無視されているという事と、その人たちが別の無辜の市民を、信仰・民族・信条・性などを理由に罵倒することとは、全く別の問題。

貧乏だからといって、非行を犯してよい理由にはならない。

当たり前のことですが。「弱者である」ことが、様々な行為や発言を正当化し得るという、無自覚な極左たちが多いので言っておく。

(もちろん、殴られたら殴り返すのは普遍的権利ですが、第三者を殴ってよい理由は1ミリもない。)

まったく同様に、いかにソーシャルな主張が憎くてたまらないからと言って、

「叩いて当然じゃね??」とか
「抹殺されてもしょうがない」とか
「ポリコレ棒で「しばく」べきでしょう」とか
「人間扱いされない無能だと理解しろ」とか
「棒で殴る以外に真人間にできないじゃん」とか
「叩くべき」とか
「潰さないといけない」とか
「残念ながら低知能層に必要なのは説得ではなくプロパガンダであると認めざるを得ないな」とか
「働かずに文句だけ言う奴は敵だ。ぶっ潰す」とか

言葉の正確な意味において「ディナーパーティの泥酔客並みの言語水準」の罵倒をこれほど短期間に多くのコメントに書き散らして良い理由にもならないと考えるのがまっとうな精神のありようではないかと思われますが。

どこかのお上品なディナーパーティ風のブログであれば、そういう書き込みをする『泥酔客』は出入り禁止にするところもあるかも知れません。

ただ、わたくしはそれこそ水島さんと同様に、そういう泥酔客風のコメントばかり書き込む人にも、それなりの存在理由があるに違いないと考えておりますので、特定の個人を誹謗中傷すると言ったような一線を越えるものでない限り、とりあえずは許容しておきたいと思います。

だって、それこそ「その彼らへの軽蔑こそが、今回の投票結果を生んだのであって、その軽蔑の念を一層強め、言語化したところで、問題は解決するどころか深刻化の一途をたどるだろう」からです。

泥酔客が暴れるにはそれなりの理由があるはずなのです。それを理解しようをせずにただ闇雲に叩き出そうとしても、「今度はむりやり窓を割って入ってくるのであれば、パーティはそれこそ台無しになるだろう」からです。

あれ?もしかして阿波さんはそういう考え方に反対でしたっけ?

えーと、せんせの思う通り踊っちゃうところがなんとも、、、

「衣食足りて礼節を知る」
まあ、結局北風は太陽に負けたわけですよ。

”歳出削減や規制緩和や構造改革までポピュリズム”というところ

”「歳出削減や規制緩和や構造改革」に「反対」することまでポピュリズム” かなと思ったのですが(トランプ支持系ラストベルト/あるいはオキュパイWSを非難する文脈)

ティーパーティーをポピュリズムといえば前者が妥当ですね…

水島先生との問題意識の違いでしょうが、権丈先生の
「誤解を放置して/誤解を拡大することによって得票の最大化を図る」というポピュリズムの定義の方が網羅的かもしれませんね。
http://www.nga.gr.jp/ikkrwebBrowse/material/files/group/2/kouenkai-kenjo301003.pdf 

(正確には22ページ)


 阿波さんは、やっている行為は「泥酔客」でも、考えていることは「ディナーパーティの上品な客」なんですよね。

 私は、阿波さんのような意見があってもいいと思います。今どき珍しい、あからさまなリベラルの主張が聞けるのは興味深いです。語り口も楽しいですし。

 ただし、阿波さんの意見には2つ問題があって、

①格差を気にする国家社会主義者(サンダースなど)を差別主義者とみなしていいのか

②相手を批判する時、手段を選ばない(暴力・しばきなど)のはいかがなものか

 この2つの問題がある限り、(論客としては好きだけど)支持はできないと思います。

20世紀型の福祉国家を否定して、グローバリズム、規制緩和、自由化を推進するのが「ニュー・レフト」なのだとすると、右派と何が違うのか、という話になってきますね。アメリカの共和党と民主党、イギリスの保守党と労働党、対立するはずの政党の主張する政策に違いがなくなってきている、という話は以前からあって、まずこれが伏線ですね。

極右勢力というのは、おおむね国家社会主義よりの主張をしていて、これは伝統的福祉国家への回帰ですね。極右勢力の主張の方が伝統的左派により近く、それを労働者階級が支持する、というのは筋の通る話ではありますね。

福祉国家というのは、大戦中の国家総動員体制が出発点になっていて、「福祉国家は戦争国家」という言葉もあるわけです。福祉国家とナショナリズム、その裏返しの排外主義はもともと親和性が高い、という話は hamachan 先生も何度かブログで取り上げていますね(「冷たい福祉国家」等)。

時代の流れとともに左派・右派の主張する内容も変わっていくものなのでしょうけど、今は右派と極右派という言葉に集約されるような状況で、左派という言葉は消えてしまったかの如くですね。

>Dursanさん

「ポピュリズム」批判が今となってには、政策なんかまったく関係なく、たんなる「ふるまい」や「しぐさ」への批判となっていることが問題だと思います。ある論者に対して、「ポピュリストだ」ということが、「お前の態度が悪い」くらいの意味なら、ほとんど何も言ってないのと同じですよね。
もともとの意味の、「無責任なパンとサーカスの政策」という意味ではなく、「(民主主義の本質である)国民への人気取り」という意味なら、言わないほうがマシ。


>にっしーさん

私はサンダースを「ファシスト(国家社会主義者・全体主義者)」としては批判していません。
「左すぎる(社会主義的すぎる)」「中間層以上への苛烈な増税を指向しつつ、相変わらず支持層貧困層への間接税から逃げ続けている」「悪平等」という点で支持できない。

>段を選ばない(暴力・しばきなど)のはいかがなものか
誤解がありました。すいません。暴力での先制攻撃はもちろん反対です。ただし、暴言にしろ暴力にしろ、相互主義にすべきと考えています。被害者に遠慮を強いるような非暴力はおかしいんではないかと。

http://www.asahi.com/articles/DA3S12717431.html

やはり、利害を共有していない者や、機会不均等や特権の存在を無視して、「連帯!連帯!」と叫ぶだけのソーシャルは、批判すべきだろう。

上記記事の、「低所得層の特権的保護に不満を持つ中間層」も、「公務員や親方日の丸系企業の労働者特権に不満を持つ中小企業労働者・非正規労働者」も、既得権ソーシャルに「連帯する」義理は全くないです。

むしろ、「俺の食えないメシに灰を掛けて何が悪い」のか?
貴族には貴族の悩みはあるんでしょうけど、平民がそれを斟酌しなきゃいけないの?

「低所得層に反発する中間層」も、「既得権労働者に反対するそれ以外の労働者」も、実は仕組みは同じ。

連帯の土台となる共通の利益がない。(むしろ、税金を搾取されている)

労働者派遣制度を擁護する一方で、東電社員の特権的な保護に賛意を示す濱口さんの政策は、差別ではないか?

繰り返しますが、保護されていない者が、がっつり保護されている者を擁護しなきゃいけない義理はないわけで、むしろ、全力で足引っ張りますよ。だってこいつら助けても俺の利益になんねーもん。

ただ、それだと救いが無いので、広範な労働者が心から連帯し助け合える平等な権利を構築することは全く賛成。もちろん、その場合は独占企業や公害加害大企業の労働者の特権は無くなりますが。

はい、まさにその、「いい目見ているこいつらをぶっ叩け!」的な議論のスタイルが、まさにトランプやルペンらとそっくりの典型的なポピュリストですね、と申し上げているだけで、別にその言っている中身が正しいとか間違っているとかというたぐいの話はしておりませんです。

それがお上品なディナーパーティに乱入してきた泥酔客みたいですね、と申し上げているだけで、その泥酔客のいっていることにはそれなりの理由があるだろうとは申し上げております。

阿波さんの議論の中身は、まさに論ずべき論点がいろいろあるのだろうとは思うのですが、ただ一つ不思議でならないのは、なぜか御自分の言動ぶりを、乱入した泥酔客ではなく、泥酔客を眉をひそめて眺めているお上品なディナーパーティのお客様であるかのようにお思いになっておられるやに見受けられることで、そこだけが何とも腑に落ちないのです。

ここで言っていることは、まさに(阿波さんのようなスタイルの)ポピュリスト的議論にも「五分の理」があるんだから、頭から馬鹿げた議論だといって一蹴してしまっていけないということのはずなんですが、なぜかその当の阿波さんが一番それに逆上して、ポピュリストを一蹴しろと叫んでいるというのがこの一連のコメントの最大のアイロニーではないかと思われるのです。

少し話はずれてしまうかもしれませんが。
阿波さんは、今朝の朝日15面オピニオンの井手英策さん(名前に英と策という文字が入ってるのがまた良いですね!)の主張は評価しますか?
景気への配慮はとりあえず置いておいて、井手氏の主張は「持てる者から奪い、弱者を助けるやり方では分断を深めてしまう。中の下の反乱を食い止め、中低所得者に 連帯を促す方法、 それはすべての生活者のニーズを満たし、増税への合意を引き出し生活と財政の将来不安を共に払拭することだ」としたうえで、「消費税の再増税に向け、2パーセントの使途を財政再建から生活保障に切り替え受益者を大胆に増やしてみてはどうか」という提案です。
私的には①特定の階層なり階級なりを敵とする手法は右派的な大衆煽動には勝てない(どうせ感情的なら強い感情が勝つに決まっています)。②普遍的福祉主義(民主党政権時代に少しは謳われましたが…)を切り口に全社会的連帯を行うことは社会全体の「発展」に寄与する、と感じたのですが。。また新たな左派の手法ではないかと(欧州の社民では常識かもしれませんが我が国では…)勝手に思っています。
見当違いの質問かもしれませんが、お暇なときにでも阿波さんのご意見をお聞かせ下さい。

高橋さま

横やりとなり申し訳ないですが、井手英策先生の話の内容が理解できるほどの阿波くんではないと思いますが…。
理解できるぐらいだったら、これほどワンパターンなコメント(かつ他の人への曲解な決めつけ)にはならないでしょう、と。
ようは阿波くんの理解力にあまり期待なさるのはやめたほうが・・・。

もちろん、そんないかにも自負心だけが肥大した、知的(ぶりたがる)俗物にも、「五分の理」があると思えそうなわけですから、阿波くんの理解力と(ちょっとだけある)手持ちの知識に合わせてテーマを選んであげた方が、まだましな回答が返ってくるのではないか、と思った次第です。

すみません、失礼いたしました~。

いろんな人のコメントを見ていると、リベラルを掲げてポピュリズムを煽る、リベラルなル・ペンとも言うべきこの阿波さんという稀代のキャラクターに対し、なかなかその本質を捕まえ損なっているようですね。

高橋さんが阿波さんに読めと勧め、原口さんがそんなの読んでも理解できないだろうと一蹴している、その井出さんの記事こそが、上の阿波さんがコメントでわざわざURLを示して批判している当の記事そのものなんですから、何というこんがらがりでしょうか。

http://www.asahi.com/articles/DA3S12717431.html">http://www.asahi.com/articles/DA3S12717431.html((あすを探る 財政・経済)中の下の反乱、食い止めよ 井手英策)

リベラルなル・ペンこと阿波さんは、まさにその井出さんの「全社会的連帯」という主張を、少なくともその国語学的な意味内容としては正確に読み取り、きちんと理解した上で、

保護されていない者が、がっつり保護されている者を擁護しなきゃいけない義理はないわけで、むしろ、全力で足引っ張りますよ。だってこいつら助けても俺の利益になんねーもん。

と、言葉の正確な意味でポピュリスト的スタイルで批判しているわけです。

そして、そういう主張こそを、阿波さんは真に正しいリベラルのあるべき姿だと信じておられるのですから、その中身について(高橋さんのように)愚直に説得しようとしてみたり、(原口さんのように)嘲笑してみたところで、自らの十字軍的正統性に一点の疑いも持たない阿波さんにとっては、ほとんど何の意味も持たない戯言にしか聞こえないのでしょう。

わたくしが言えることはただ一つ、そういうリベラル・ルペン路線の煽動が効果を発揮するような場は結構あるかも知れませんが少なくともこのEU労働法政策雑記帳という場末のブログのコメント欄で泥酔客よろしくメートルを上げているだけでは、リベラルポピュリストの同志を呼び込むという大目的を果たすことはなかなか難しいのではないかということくらいですね。

>「消費税の再増税に向け、2パーセントの使途を財政再建から生活保障に切り替え受益者を大胆に増やしてみてはどうか」

おおむね賛成です。

ただ、既に予定されている2%分のニーズが消えて無くなるわけではないです。井出・前原の対談での「消費税1%を普遍的な教育無償化へ」という案は画期的ですが。

既に予定されている2%分の使用先をどうするのか? まで言わなければ、評価は難しいと思います。

なので理想を言えば、消費税10%は予定通り実行し、さらに2%を普遍的な教育無償化に使うべきと考えます。これでさえ、庶民がほぼ納税していない現状から言えば、穏健なのですが、極めて難しい。だいたい、年収400万円以下のいわゆる貧困層には税金なんてほとんど関係ないのだから、まだ社会保険料の心配したほうがいいですよ。本当に消費税反対は罪深い

(※現状では、現役世代・若者まで含む「世代に普遍的な福祉給付)を増やすことは反対。他先進国でも、働ける者に対しては福祉を与えていない)

税金なんてほとんど払っていない層(で、税金による受益を最も受けている層)は消費税増税されたら得にしかならんのに、所得が下になればなるほど反対するとかジョークでしょ。

消費税って金持ちも貧乏人も得をするウィンウィンな制度だと思うんですが。大衆向けの小売業者が反対するのは分かりますよ。彼らが損する制度ですから…

>年収400万円以下のいわゆる貧困層には税金なんてほとんど関係ない
年収低いほど消費税増税がきついんですが。

>他先進国でも、働ける者に対しては福祉を与えていない
ほんとに?

>税金なんてほとんど払っていない層(で、税金による受益を最も受けている層)は消費税増税されたら得にしかならん
でも、阿波さんの論理だと、うまく働けるようになれなかった無能な人は救わなくていいんでしょう?

なお、増税自体に反対はしておりません。タイミングややり方の問題と考えているだけで。

>その井出さんの記事こそが、上の阿波さんがコメントでわざわざURLを示して批判している当の記事そのものなんですから、何というこんがらがりでしょうか。
http://www.asahi.com/articles/DA3S12717431.html

おや、そうだったとは~(苦笑)。手落ちだったなぁ。

>言葉の正確な意味でポピュリスト的スタイルで批判しているわけです。

なるほど、奥が深い。ますますこの本を読まないと。

>場末のブログのコメント欄で泥酔客よろしくメートルを上げているだけでは、リベラルポピュリストの同志を呼び込むという大目的を果たすことはなかなか難しいのではないか

ごもっとも。

>>税金なんてほとんど払っていない層(で、税金による受益を最も受けている層)は消費税増税されたら得にしかならん
>でも、阿波さんの論理だと、うまく働けるようになれなかった無能な人は救わなくていいんでしょう?

こちらもごもっとも。

>年収低いほど消費税増税がきついんですが。

税金払うだけ払って全く受益がなければそうでしょうね。
例えば、治水も夜盗取り締まりも全部領民の自己責任でやらせて年貢だけ取っていく、という中世のダメな国の場合ではその通り。

ところで、消費税が低所得者にとってきついと仮定して、では中間層以上だけが負担しなきゃならない理由ってあるんでしょうか。あるというなら証明してください。

阿波さんは本当の自分の欲求を正直に言っていないでしょう?だから文章がねじれ、論理がぽんぽん飛躍してしまうのではないかと思いますが。
本音を言わずに煽るのだから、まさにポピュリストですね。

Hamachan様、阿波様、すみませんでしたm(__)m。。
いやぁ、やってしまいました。本当に恥ずかしい(笑)。
それで、再びコメントを読んだのですが、やはり、いまいち阿波さんの怒りのポイントが理解出来てません。既得権者に非既得権者が連帯するのに反対という主張なのでしょうか?またそうだとして、それは具体的にどういうことなのでしょうか?阿波さんは、井手英策氏の主張のどこが気に入らないのですか?
優しいhamachan 様からは「愚直」と言われましたが中身は察する通りのただの愚か者です(笑)。もしかするととっくに既知な事柄かもしれませんが、インタラクティブなトークをエンジョイ出来る素晴らしいhamachan 様ブログの公共性!に甘えさせていただき再度質問させていただきます。

再投稿すみません。

阿波さんは「既得権ソーシャルに連帯する義理はない」「連帯の土台となる共通の利益がない」と仰っていますが、まさにだからこそ井手氏は消費税を増税して共通の利益を形成しようと主張しているのでは?また、阿波さんもそれには賛成してますよね?
そうすると、阿波さんが、何に反対や怒りを持っているのか謎になるのです。。

> 高橋良平さん

井出さんには賛成です。
共通の利益の土台を作る提案の一つが、全国民から取る消費税の増税と理解しています。

私が既存労働界・ソーシャル・社民主義・国家社会主義・保守等に憤っているのは、それらが身分差別を行っているからです。

私の兄や叔父はリーマンショック時代に失業し困窮した。多くの労働者や業界は、市場経済のなかで日々競争している。

一方で、親方日の丸の独占電力企業は、多数の被害者を苦しめているのに、血税で雇用や給与を保障されている。

涙が出てくる。

こんな不平等許せるか。

ソーシャルと異なり、私は結果の格差の拡大を不当とは思わない(絶対的貧困是正や教育投資は賛成だが)。

だが、なぜ、手厚く保護される者と、見捨てられる者が居るのか。身分差別と変わらない。

今も、東電が我々の血税を追加で数百億貰うと聞いて、血の涙を流している。

高橋さん、済みません。「素直」と書くべきところを筆が滑って「愚直」などと失礼な言い方をしてしまいました。

ただね、阿波さんの怒りのポイントはわりとはっきりしているのですよ。

彼自身が言っているように、

やはり、利害を共有していない者や、機会不均等や特権の存在を無視して、「連帯!連帯!」と叫ぶだけのソーシャルは、批判すべきだろう。

むしろ、「俺の食えないメシに灰を掛けて何が悪い」のか?
貴族には貴族の悩みはあるんでしょうけど、平民がそれを斟酌しなきゃいけないの?

「低所得層に反発する中間層」も、「既得権労働者に反対するそれ以外の労働者」も、実は仕組みは同じ。

連帯の土台となる共通の利益がない。(むしろ、税金を搾取されている)

保護されていない者が、がっつり保護されている者を擁護しなきゃいけない義理はないわけで、むしろ、全力で足引っ張りますよ。だってこいつら助けても俺の利益になんねーもん。

「低所得層に反発する中間層」の怒りとまったく同じ種類の「既得権労働者に反対するそれ以外の労働者」の怒りだとはっきり言っています。

つまり、移民に怒りをぶつける白人労働者層と同じだと。

おや、ということは、阿波さんの怒りというのは、トランプやルペンが政治的資源として利用している怒りと同じなのでしょうか。

阿波さん自身がそうだと言っているのですから、そうだとしか言いようがないでしょうね。

それなのに、なぜ高橋さんも含めて『素直』な人が混乱してしまうのか、というと、阿波さん自身が自らのイデオロギー的扮装を、「リベラル」に演じているからなのでしょう。そう、少なくとも、言っていることも個別個別の部品としてはいかにもリベラルっぽいことを言っているように少なくとも見える。

しかし、その言説の立体構造自体は、上で引用したところに表出されているように、これ以上ないくらいトランプ、ルペン的なポピュリズムに充ち満ちているというわけです。

まあ、だからわたしは「リベラルなルペン」と呼んでいるわけですが、おそらくごくごく普通の人にとっては、それが脳内で矛盾を来してしまい、素直に理解できなくなってしまうため、

阿波さんは、井手英策氏の主張のどこが気に入らないのですか?

とか、

そうすると、阿波さんが、何に反対や怒りを持っているのか謎になるのです。。

という疑問を抱かれてしまうのでしょう。

世の中には対外的なイデオロギーとしてはいかにもリベラルな物言いをしながらも、その精神構造においてはトランプ、ルペン型のポピュリストであるという方が存在しているのです。

そういう実例を見事に体現されているというその一点だけで、阿波さんが本ブログに降臨されてこられたことは多くの読者の皆様方に大変有益なことであったと(これは本気で)思っております。

本ブログを昔からお読みの皆様であれば、これを見て、あの「希望は戦争」の赤木智弘氏を思い出すかも知れません。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_c3f3.html">http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_c3f3.html

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_2af2.html">http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_2af2.html


そう、既得権労働者層への怒りはまったく同じです。赤木さんはそれをリベラルなきれい事を言う連中への怒りとして表出し、朝日新聞社が当時出していた雑誌「論座」で、「希望は戦争」と、わざとリベラルな偽善者の逆鱗に触れるような物言いをして見せたわけです。

その同じ怒りが、なぜ赤木さんが怒りをぶつけたリベラルな言説と同居しているのかは、これはもう阿波さんに聞いてみないとわかりませんね。

あえて推測すれば、今から10年前の赤木さんが『希望は戦争』と言ってた頃は、まだまだリベラルな偽善者が論壇で偉そうにふんぞり返っていたので、そいつらを叩くことが一番『すっきり』するネタだったのに対して、それからはや10年経った今では、その頃はまだ新鮮だった「ソーシャル」な言説の方が偉そうにふんぞり返っていると、少なくとも阿波さんには見えるようになったということかもしれませんね。
赤木さんの怒りをぶつける相手だった『リベラル』は今では力を失った情けない存在でしかないものだから、却って阿波さんにとっては憎き「ソーシャル」を叩く同志になってしまった、と。

10年前の赤木さんには、憎むべききれい事をいう貴族階級はリベラルだったのが、今や阿波さんにとっては「ソーシャル」がきれい事をいう貴族階級に見えているようです。

とすれば何とも皮肉きわまる話ではなりますな。

「優遇されている奴の足を引っ張れ」って暴言に聞こえますが、フランス革命に例えると、全国民が貴族レベルの権利を得るのは不可能なのだから平民に合わせるべきってことで極めて合理的な提言だと自負しています。

優遇されている者の足を引っ張るべきではない、と主張するなら、全ての労働者が東電社員並みの雇用保障と収入保障を得られる制度を提示してください。

>阿波さん自身がそうだと言っているのですから、そうだとしか言いようがないでしょうね。

私がトランプ・ルペン・国家社会主義の路線とハッキリと、明白に異なるのは、私が徹底して「国民間の法の下の平等と機会の平等」を推進している点です。

リベラリズムを一言で表すのは、その様々な側面のどれを重視するから異なるので難しいのですが、ここでは「自由を平等に分配すること」としておきます。

リベラリズムは身分制度や宗教弾圧と闘う思想ですので、「ふるまい」の過激さ下品さは問題ないはずです。今までのリベラリズム論壇が上品過ぎた(それゆえ、建前に拘泥しすぎた)というなら、変えればいい。リベラリズムなんてのは、フランス革命で貴族に対して、「差別すんな、ゴラァ!」と言っていた人ですよ。


トランプの場合は、(本人がどう言おうと)国民を人種や性や宗教によって差別していることは否めませんので、当然リベラルではないです。

ルペンは、大きな政府とバラマキを主張し、「機会の平等」や「宗教や性指向の多様性」については反動ですので、経済面も社会面も「反自由」でありリベラリズムの逆ですね。

赤木さんについては、「全ての労働者保護を一切無くして、国が労働の有無を問わず養え」という主張をされているのですが、それは非現実的なので反対。
とはいえ、機会や法の下の差別をしまくっておきながら、大きな政府で格差是正に配慮もしてるんです!という「機会が不平等でも結果を平等にできる論者」よりはマシでしょう。


労働者階級のトランプ信者は、「とにかく雇用維持政策しろよ(機会の差別には興味なし、むしろ差別賛成)」であるのに対し、私は「とにかく機会の差別をやめろよ(格差はあっていい)」ということです。

はい、おっしゃるとおり、スタイルはトランプ、ルペンで、言っている中身はリベラルだと、その通り言っています。でなければ「リベラルなルペン」なんていいません。

そこまで「リベラル」であることを強調したがる阿波さんが、上で引用した台詞を見る限り、その政治的スタイルはまったくトランプ、ルペンと同型的な「ディナーパーティの泥酔客」であることを興味深いと申し上げているのであって、言っている中身までがルペン張りの人種差別主義者だったら、当たり前すぎて面白くないし、ここまで緻密に分析しようなんて食欲は湧きませんよ。

阿波さんの精神構造は、今までにあまり類を見ない変わった組み合わせであるので、(ご本人を前にして申し訳ないですが)観察素材として大変興味深く、じっくりと分析したいという欲望を抑えきれないのです。

そしてまた、だからこそ、等しく既得権労働者への憎しみが「希望は戦争」のてこになっている赤木智弘氏との比較が興味深いテーマになるわけです。

(追記)

あと、これは余計なことですが、本エントリはそもそも水島治郎さんの『ポピュリズムとは何か』(中公新書)の紹介であるにもかかわらず、この一つのエントリにほんの数日間で10件もの膨大な数のコメントを次々につけながら、それを見る限り、肝心の水島さんのご本を読んだ形跡がまったく見られないというのも、私に対してはともかく、エントリの主題である水島さんに対してずいぶん失礼な話ですね。

「ぼくのかんがえたさいきょうのポピュリズム論」でばかり考えるのではなく、たまには政治学者の渾身の力作を読んでものを考えるという訓練もした方が(少しは人に耳を傾けてもらうためにも)役に立ちますよ。

hamachan 様、阿波様、おはようございます。
私の質問に時間を使わせてしまいすみません。そうですね、本来の主旨である水島さんの本を読まないとですね。
ただ、阿波様のご意見おかげで理解することが出来ましたし、何となくですが、何にお怒りになっているのかも想像を巡らせることが出来ました。しかし、その怒りを発展的に昇華させるためには、かなり高度な戦略や技術、そして運がなければと思います。是非とも磨く方向で努力されればと思います。あと、やはり、表現、修辞は穏当の方がよろしいかと思います。その方がたくさんの方が読まれ共感しますので。また是非ご自身の主張の場を持たれることをお薦めします。それでは失礼します。

 阿波氏の主張は分かりやすくて、 hamachanの言う通り「スタイルはトランプ、ルペンで、言っている中身はリベラル」です。そこでトランプやルペンの思想信条を推し量ろうとするから分からなくなる。

 ここまで議論が白熱しているのなら、別の専用エントリを建てた方がいいでしょうね。

「きれいごと言うな」と言われたので、リベラルはみんなトランプやルペンのようなスタイルになるべきです。

知的上位層は、自らの言論に「品性・マナー」という枷を嵌めることで階層に言論の再分配を行ってきましたが、相手が対等な=きれいごとではない、丸裸の欲望と憎悪のぶつかり合いを望んでいるので、もう遠慮は無用でしょう。

その点では、私は「しばき隊」「偏ってますが何か@神奈川新聞」「叩き斬ってやる@山口二郎」を評価していますね。

綺麗事や建前を排除したののしりあいで解決するとも思いませんが、一方的に殴られるよりマシということ。

阿波さんてば全く読む気がないのであたしがポチってきましたぁ

(って褒められたい小学生かっ)

『ポピュリズムとは何か』読了。
いや~。ちょっと暗い気分になるのは否めない…。

シェイクスピア『マクベス』のセリフで表すとすれば、

「きれい(デモクラシー)は汚い。汚い(ポピュリズム)はきれい。」
(一幕一場。カッコはもちろん私の付け足し)

「朝が来なければ、いつまでも夜だ。(The night is long that never finds the day.)」
(四幕三場)

きついなぁ・・・。

(河合祥一郎訳。ちなみに今年出た河合祥一郎『シェイクスピア』は、おそらく一番新しいシェイクスピアの基本図書。で、やっぱり中公新書!エリートやインテリが好みがちだろうシェイクスピアだが、彼自身は庶民(の中の上目)の出自。)

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