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2016年12月26日 (月)

「労働の人間化」と日本型雇用@『WEB労政時報』

『WEB労政時報』に「「労働の人間化」と日本型雇用」を寄稿しました。今となっては誰も覚えていないくらい古い話題ですが、とはいえ歴史になってみんなの常識にもなっていないという問題をあえて取り上げてみました。

https://www.rosei.jp/readers-taiken/hr/article.php?entry_no=610

最近は、非正規労働者への差別待遇や正社員の長時間労働など、日本型雇用システムの問題点ばかりが論じられていますが、かつては日本型雇用システムこそが世界に冠たる競争力の源泉だともてはやされていたことをご記憶の方も多いでしょう。1970年代後半から1990年代初めの約20年間はそういう時代でした。そういう評価が、バブル崩壊とそれに続く「失われた20年」の中でみるみる消えうせていったこともなお記憶に新しいところです。ただ、そういう「勝てば官軍、負ければ賊軍」的な評価とは少し別次元で、欧米で雇用の在り方を見直す動きの中において、ある意味日本型雇用と通ずる方向が模索されたことがあるのです。

こちらは、よほど労働問題の歴史に詳しい人でないと、今となってはあまり知られていないのではないかと思いますが、1960年代から1970年代にかけてヨーロッパ諸国やEC(ヨーロッパ共同体)、OECD(経済協力開発機構)など国際機関を中心に、「労働の人間化」という政策課題が大きく取り上げられたことがあります・・・・・

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コメント

本コラムは大変興味深く、面白く熟読させていただきました。

ただWEB労政時報閲覧は会員限定ですので、Hamachanブログ読者みなさんにもぜひご覧頂けるよう、余計なお世話かもしれませんが以下に要旨を共有させていただきます・・・ 。

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1960年代は世界的に職場における「人間疎外」が問題となり、それを克服するための「労働の人間化」が試みられた。人間疎外とは細分化されたジョブに貼り付けられた労働者が来る日も来る日も単純作業ばかりやらされて働き甲斐を感じられない典型的なテイラー主義のイメージのこと(cf. チャップリンの「モダンタイムズ」)

では具体的に「労働の人間化」とはどんな手法かといえば、職務(ジョブ)の拡大や充実や転換など。あるいは自主的小集団活動などの従業員参加型など。労働者一人ひとりがボトムアップで経営参加できる仕組みの発明であった。

このように聞くと普通の日本人であれば「はぁ? それどこが新しいの?」と感じられるはず。というのも日本では労働者は時々に色々な職務を貼り付けられ、もともと職務は拡大し、充実し、転換し放題だから。職場レベルの自律的作業もごく普通に見られるから。

すると「日本は労働疎外をあらかじめ克服した何と素晴らしい社会だろう」と言いたくなるが、そう簡単には問屋が卸さない。細分化された職務に縛り付けられに閉じ込められている欧州の労働者だからこそ「それを緩めることが疎外からの解放」と感じられるのだ。「籠の鳥」だからこそ、一定の自由度を与えられることが「人間化」と受け取られるのだ。

しかし日本の労働者は、そもそも細分化された職務に閉じ込められているどころか「会社の必要とすることは何でもやれ」がデフォルト。欧州のような疎外はない代わりに、会社=労働者が一体化してしまって会社以外の個人の生活がなくなりかねない。今日、正社員の無限定性が問題になってきたのはその矛盾が露呈してきたということ。諸悪の根元にも見える労働の無限定性が別の面から見ると疎外からの解放でもある、というこの両面性は忘れてはならない観点であろう。

欧米の労働者からすれば、日本のように労働が「人間化」されすぎて職務が無限定になってしまうとジョブにもとづく賃金やアサインメントなどジョブベースの諸々のルールが壊れてしまう。いかにジョブに縛り付けられるのが嫌でも「そのジョブがしっかりあることを前提」に作られらているため、下手な「人間化」によって土台であるジョブそのものを壊したらそれはそれで事態を悪化させかねない。

あらかじめ極限まで「人間化」されたのが日本の労働社会。職務の代わりに会社のメンバーであるということに諸々のルールを立脚させてきたのが日本社会。かつての共同体意識が希薄化していくと、その「人間的な、あまりにも人間的な」システムは労働者に無限定の負荷をかけ続ける装置に転化しかねない。近年のブラック企業とは(逆説的にも)まさに「人間性」を失わせるほどにあまりにも「人間的」になりすぎた帰結なのかもしれない。

労働という人間の現象においては、一体何が「人間的」で、何が「非人間的」なのかは考えれれば考えるほど難しい哲学的問いと言うべきだろう。 



投稿: 海上周也 | 2016年12月27日 (火) 18時39分

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