労働基準法は短く自由に働くことを規制していない
「生きた経済ブログ」というブログに、「「8時間労働教」という宗教」というエントリが書かれているのですが、
http://freedom-7.cocolog-nifty.com/blog/2016/12/post-f129.html
どうも、労働時間規制の基本構造をまったく理解しておられない、というか全く逆に理解しておられるようなので、二年前に書いた文章を棚卸ししなければいけないという気になりました。
このブログに曰く、
>政府の「働き方改革」の影響もあってか、最近では残業時間云々の話をよく見かけるようになった。政府からは「残業時間の上限」を設定するとかいう話も出ており、賛否が分かれているようだが、どうもシックリとこない。この違和感の正体は何なのか?とよくよく考えてみると、残業の有無に拘らず、8時間は絶対的な労働時間として固定されているところにあるのだと思う。・・・
これだけではどう理解しているのかよくわかりにくいのですが、その後ろを読んでいくと、
・・・8時間の仕事を4時間でできる人は、4時間で仕事が完了しても帰ることができない。8時間分(通常の2倍)の仕事をやろうにも、そこまでの仕事が無い。加えて、2倍の仕事をしても給料が2倍になるわけでもない。そうなると、4時間でできる仕事をのんびりと8時間かけて行うことになる。これが、日本の企業の労働生産性が低い理由ではないかと思う。況して、上司の目を気にした無駄な残業などがあれば尚更だ。
少なくとも日本(に限らずどの国もそうですが)の労働時間規制とは、4時間で仕事が完了しても8時間経つまで帰ってはならないというような代物ではありません。とはいえ、こういう誤解は、政府の中枢の産業競争力会議の文書にすら平然と書かれるくらい世間一般の人々に共有されている誤解でもあります。
そこで、かつて政府部内で猛威をふるっていた産業競争力会議でそういう誤解に基づく文書が出されようとした時に、WEB労政時報に書いた小文の一部を、ここに再録しておきたいと思います。こういう基本的なことをわきまえないままに労働時間をめぐる議論が横行することが、実はこの問題をまともな方向に向かわせることへの最大の障害物になっているので。
https://www.rosei.jp/readers-taiken/hr/article.php?entry_no=215
・・・労働時間規制とはこれ以上長く働かせてはいけないと言っているのであって、仕事と育児を両立させるために(短い方向に)フレクシブルに働くことをなんら禁止も規制もしてはいません。労働保護法制と就業規則をごっちゃにしたような議論がまかり通ったことが、かつてのホワイトカラーエグゼンプションの議論を駄目なものにした最大の原因です。それなのに、いまだにこの後に及んで子育てや親の介護のために労働時間の規制緩和などという馬鹿げた議論が平然と出てくるのは信じられない思いです。
おそらく、圧倒的に多くの人が勘違いをしていると思われることですが、労働基準法は労働者が出退勤時間を自律的に決めてはいけないなどと言っていません。もちろん、32条は1日8時間、1週40時間という「上限」を定めていますから、ある時刻になったらその上限を超えるという状況になればそこで労働をやめなければなりません。その意味では完全な自律は不可能ですが、少なくともその範囲内であれば、つまり1日8時間以内、1週40時間以内という条件の下であれば、その限りで出退勤時間を自律的に決めても32条違反にはなりません。
大変多くの方が誤解していますが、労基法第4章の変形制だのフレックスだのみなし制だのさまざまな労働時間制度は、32条という刑罰法規の免罰規定であって、32条違反にならない仕組みであれば、つまり1日8時間を超えず、1週40時間を超えないという条件下で、言い換えれば短くなる方向でのみ自律的、裁量的な労働時間制度であれば、そもそも免罰する必要性がないので、労使協定も労使委員会の決議も必要なく、昔のままの労基法のままで実施することができます。もしそうではないというなら、そういう制度が労基法のどの条文に違反するのか教えていただきたいところです。
ところが圧倒的大部分の経済学者や評論家は、国家が使用者に対して労働時間の上限「のみ」を規制している労働基準法の労働時間規制と、企業が労働者に対してここまではちゃんと働けよ、これより短く働くのはダメだぞ!と要求している就業規則との根本的な区別がわかっていないようです。
就業規則の話をしているのなら、就業規則で定めた時間より短く働くためにはちゃんとした根拠規定が必要でしょう。
しかし労働基準法は違います。名宛人は使用者です。1日8時間、1週40時間より短く働く限り、どんな働き方であろうが、法律違反ではありません。労働者が出退社時間を自律的に決められるためには、労働時間の上限規制を緩和する必要などないのです。その自律性が短い方向にだけではなく、長い方向にも及んで初めて、つまりそういう自律的な働き方が1日8時間、1週40時間を超えて初めて、32条違反の刑罰を免れるために一定の手続が必要になってくるに過ぎないのです。
ですから、専門職やエリートサラリーマンを念頭に、長くなる方向に自律的な働き方を広げたいというのであれば労働時間規制を緩和する必要がありますが、ワークライフバランスのために、つまり家庭生活や個人の生活のためにというのであれば、その議論は見当外れなのです。
筆者はこの数年間、ずっとそれを言い続けてきているのですが、こういう一番肝心なことはなかなか世の中に伝わっていかないようです。
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シンプルに言えば、労働条件に関する優先順位〜❶法律(労基法ほか)、❷労働協約(労使協定)、❸就業規則、❹労働契約の話かと…。労働者保護法としての労基法の精神はあくまでも「使用者からの保護」(働かせ過ぎの抑止)であって、それに対し会社側は(労働協約に則り)「就業規則」「個別労働契約」を作ってギリギリの労働条件を労働者へ提示する。労使対立を含むこの緊張関係、コンフリクトの止揚こそ人事労務屋のダイナミズムと考えます。
投稿: 海上周也 | 2016年12月12日 (月) 08時12分