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2016年12月

『働く女子の運命』への実感書評たち

Img_752f5d874047328e26f434ce08fbda5 今年は、昨年末に刊行した『働く女子の運命』(文春新書)が着実に読まれ続けた年でしたが、これまでの本とちょっと違って、雇用労働分野の読者ではない方々、自ら働く女性として悩み苦しんできた方々が、実感溢れる感想を書かれていることが多かったのが印象的でした。

本書への書評やコメントは一通りここに集めてあります。

http://hamachan.on.coocan.jp/bunshunbookreview.html

毎度おなじみの金子良事さんとの掛け合い漫才をはじめ、雇用労働関係の論客の皆さんによる書評・コメントも並んでいますが、ここではこの1年の総決算として、これまでだったら私の本を読むこともなかったであろう人々による、もしかしたらこのやや軽薄なタイトルに引かれて読んだ方の実感書評の数々を改めて紹介しておきたいと思います。

http://blog.goo.ne.jp/roommate/e/d1ccc9e03e6531691bf116c0a8508484 (笑うかどには福きたる)

「働く女子はこれからどうなるのか、それが知りたい!」と期待しても、この本は「良い意味で」その期待には全く応えてくれません。 むしろ、働く女子として「立ち向かわなければならない相手」の姿を教えてくれる本であると、私は思いました。 オトコ社会である日本の企業で、女性が(高低に関わらず)ポジションを得て仕事を続けていくのは難しい、ということは一度でも会社勤めをしたことのある女性であればうっすらなりとも感じます。 この本は、その理由が「あの上司」とか「あの会社」というそんな瑣末な問題なんかではなく、ほとんど「大河ドラマ級」の歴史に裏付けられたことなんですよ、ということを「これでもかぁぁ!」というくらい過去の資料から教えてくれます。本当に身も蓋もないくらいに。

http://kaorumiyawaki.blogspot.jp/2016_01_29_archive.html (Flow of Time)

たったの10分の中で、新卒で総合職として大企業に就職した私の行き詰まりを、クリアに解き明かしてくれた。こんなに簡潔にあの経験を説明できるのか、と思うほどで、当時の体験がよみがえった。  なんかその後の私の道のりは、そういう状況の中でどうやって女性として無理なく続けられる働き方を見つけるかということだったように思う。そして、今現在の自分の状況に対して不満で後悔が大きいけれど、改めて労働社会の在り様を考えると、ある意味、そうとしか進めない道をずっと取ってきたんだなと思える。教科書的というほどに、時代をそのまま映した歩みといえなくもない。

https://www.instagram.com/p/BBhwj8-MD63/

たまには真面目な本を。 大学院生という温室を抜け出して社会人になって、それなりに仕事は楽しいけれど、 この働き方でどうやって結婚するんだろう?結婚したとして子ども産む暇あるのか…?という漠然とした不安とか疑問とか。 自分の母親をイメージしても、二世帯住宅でいつも母と姑である祖母がぶつかり合っていたことしか思い出せなくて。 キャリア志向の女性ほどドロップアウトしてしまいやすい構造というのに納得…しつつも、このままどんな社会になるべきなのか答えも考えていかないといけないとも思った。

http://blog.goo.ne.jp/gurubu/e/c09f300eadcf5f346f511346801f6154 (ぐるぐる・ぶらぶら)

読んでたらなんだか吐き気がしてきた(すみません>作者の方)。 それは、きわめて私的な理由で。 働く女子たる私や同僚が悩まされているものの正体が垣間見えたから。 この本で解説されている雇用システムの形成経緯において、折々に ぶち込まれてきた恣意性の存在が、よく分かったから。 今読めば眉をひそめてしまうような、過去の有力団体や有識者・研究者 の発言・解釈説明など、時代がそうだったと言えばそれまでだけれど、 積み重なって現在の状況に確実に影を落としている。 最近で言えば「ダイバーシティ」「ワークライフバランス」、 否定しえない正論の姿で天から降ってきた感のあるこれらのお題。 大事なことなのに、何故こう、何度も、形骸化や形式化を繰り返すの だろう?もっと言えば、毎度形骸化を内省しないのはなぜ? …理由の根っこが少し分かった。 みんなでこぞって換骨奪胎。構造的に換骨奪胎体質。きついわ。

http://udonmotch.hateblo.jp/entry/2016/02/15/205216 (単角子宮で二児の母(予定))

読んでいてちょっと重い気持ちになったので読み進めるのに時間がかかりましたが、 ・自分が企業に総合職として働き、子供を産み、産休・育休をいただき復帰したものの、育児との両立に行き詰まり社内でジョブチェンジした経緯の中で感じたことが、わかりやすく言語化されていた ・そしてその現象はどうして起きているのか、が、日本特有の雇用構造、労使関係の歴史から生まれているということがとてもわかりやすく説明されていた というところがとてもよかったので、ざっと紹介させていただこうと思います。

http://workingwoman.hamazo.tv/e6742524.html (ワーキングウーマンプロジェクト)

「働く女子の運命」には、今の日本企業が、男性優位の社会が、死に体に、なるべくしてなっている理由の全てが書かれていた。 うなずき過ぎて、頭がもげるかと思ったくらい。

http://zouzouzou138.hatenablog.com/entry/2016/06/26/170438 (孤独な女子総合職ブログ)

この前読んだ本 「働く女子の運命」で心に残りすぎた言葉を紹介します。 「私、自分が女だということに気づくのが遅すぎたんですよ」 本当にこれ、これ!!!!!!!! 大学の時は気も酒も強いし男友達も多いし、お金自分でたくさん稼いで1人で生きていくぞ!って思ってたけど 結局わたしも女だったんだ結婚したいし子供欲しいし。男にはなれないしなりたくもないや。 総合職ってオカマみたいだなって思う。 仕事では、男と同じように扱うからねって言われて厳しいことを言われたりさせられたりする でも飲み会とか、仕事を一歩離れると急に女の子扱いされて お酒つぎにいったり男の人の横に座らせられたり触られたり馴れ馴れしくされたりする 自分が何だかわからなくなる。 でも私だって女なんだから。 生理痛がひどくてまだ動けない。

http://kaerunosumika.weblog.to/archives/6447058.html蛙のすみか

若くはないが軽いお仕事で生活させて頂ければ文句はない、期限付きの仕事が多かったから、生活困難な時期も長かった。無期雇用だけど手取り15万で都内7万8千円の部屋に住み2年半仕事する、とかどうやってやっていってたんだ私は、とよく思い出せない。20代後半は僻地の実家で月手取り15万、ボーナス年間50万を5年やってた。仕事って色々よね。のど元過ぎれば熱さ忘れる、今は有期雇用で手取り25万ですが、この先収入下がるとどうなるか?住まいは変えたくないな。書いてても気分が鈍磨してる。心配してもしょうがないという境地なのかもしれないが、もうみんなそんなに悩まなくても良くなればいいのにね

http://globis.jp/article/4988 (GLOBIS 知見録)

この本は、タイトルがややこしい。「働く女子」とか「運命」とか。私と同じように、タイトルから敬遠された方も多いのではないか。出版から一年、既読者から勧められて手にとってみると、自分の置かれてきた環境に「なるほど、そういうことだったのか!」と膝を打つような納得感が大いに得られた。敬遠するのはあまりにもったいなく、今回取り上げたい。

ツイートでも、御自分の経験をもとに深い感想を述べられる方々が・・・。

https://twitter.com/mitchanx/status/696330221121724417

興味と出来心で、最近TLで見かけた「働く女子の運命」を読むことにした。なぜ働く女子は苦しいのか。序章から容赦ない。会社で働く母をやっているともう痛感している現実を、はっきり言語化されて叩きつけられる…「働く女子の運命」濱田桂一郎

この先読み進められるかちょっと不安。買ったからには読んじゃわないと悔しいし、なんかのヒントにしたいな…

子供を産んでから、何度か、自分と仕事、自分が会社員として仕事してることでかろうじて維持している社会性のことを考える機会があった。今またそれについて考えている。かなりの大きさで。そういう時期なんだ。

私が子供がいても働くのは、経済的自立はもちろんなんだけど(経済的自立が己と子供を救うということを母を見てわかってるから)、働いていることでやっと社会性を保ててると思っているので、かなり大事なポイントなんです。人から見たらつまらないものにしがみついてるように見えるかもしれないけど…

子供産んでから、仕事やめたいと本気では思ったことがない、どうしたら続けていけるか、そればかり考える。続けていけなくなることが怖い。

https://twitter.com/tatenosr/status/697209054398033920

今更濱口先生の「働く女子の運命」を読んでて、いちいち頷けるとこばっかりで首が落ちそうなぐらいなんだけど。私はなんとかなった。でも娘はどうか。本当に女性が幸せに働き続けられる社会にならないと。

https://twitter.com/mitchanx/status/699232636535832580

「働く女子の運命」、やっとの事で読み終えたけどヘビーだったわ…。女子に降りかかる運命。タイトルのセンスがもうすごい。そして日本の労働環境の特殊さ、銃後を守る妻がいる男性と同じフィールドで戦わないといけない働く母。いやほんとヘビー

https://twitter.com/tatenosr/status/700294094644338688

今日、やっとこさ「働く女子の運命」読み終わったんだよー。世の中が違って見えるよ。濱口先生、やっぱりすごいよ。

昔「新しい労働社会」読んだときも感動にうちふるえたもんだけど、期待を裏切らないね。おすすめです。

「働く女子の運命」kindleで読んだんだけど、やっぱり新書でも買っておくかな。繰り返し読むことになりそう。

まー、自分が1990年代初めに就職活動した時に感じた違和感、産後働きたいと思ったときに感じた怒り。その理由が書いてあるのよ。すっきりしたわ。

私は「会社」に入りたかったし、大学生の時は入れるということを疑ってなかった(ちょっと前までバブルだったから)。でもなかなか入れてもらえなかった。一生懸命勉強したのになんで?とずっと思ってた。それがすっきりわかった。

産後再就職に向けて頑張ってた時も、実務経験もあって資格もあるのになんで再就職市場からも締め出されるの?と思ってた。それよりも何もできない人のほうが市場価値が高いのはなんで?って疑問もすっきり解決。

ずーっと疑問だったんだよなあ。私は頭の中が欧米だったのねwww

だから、娘には日本の会社で働いてほしくないんだな。

そして、アマゾンカスタマーレビューにも、極めつけのこの実感レビューが。

https://www.amazon.co.jp/review/R29CA42OUR8DV4/ref=cm_cr_dp_title?ie=UTF8&ASIN=4166610627&channel=detail-glance&nodeID=465392&store=books数少ない生き残り働くオバサンも納得の書

濱口先生のような東大卒・キャリア官僚も務められたエリート男性が、日本の働く女性が置かれている状況をかくも正確にとらえられ、わかりやすくフェアに著述されていることに非常に驚いた。私の偏見だが、この世代の男性は、「女は馬鹿でいい。家にいろ」が主流で、働く女を異物・色物としか見ていないオジサンがほとんどだからである。 私は、均等法直前世代である。 その頃の日本はひどかった(今もひどいが)。今のようにWEB経由ではなく、電話をかけて会社説明会に行き、面接、内定となるが、大手企業の求人票には堂々と「男子のみ」と記載されていた。 電話をかけ、某国立大の学生であるむねを告げると「はあ?国立大の女子?。うちはねっ、やる気のある女なんかいらないの!!!」と電話をたたききられたものである。 努力しても、女は報われないということを、私は22歳にして悟った。勉強にはなったが、頭にきた。 ブルース・スプリングスティーンのBorn in the USAではないが、はらわたが煮えくり返る思いで生きてきたのである。 その後、なんとかかんとか就職し、苦節30年。一億総活躍?よう言うわ。せっぱつまって、もう女でも年寄りでも、何でもいいから働いて税金払え、そういうことだよね。30年前、女が働いたら国が亡びるって言ってたのは経団連(当時は違う名前だったかもしれない)なのに、語るに落ちるとはこのことである。 気が付くと、同期女性はほとんどいなくなってしまった。結婚、出産、育児。日本の会社は長時間「いる」ことを要求する。育児・家事をこなしながら、おっさん並みに会社にいろとは、土台無理な話である。 同世代の男はいいのである。帰ったらご飯ができている。 こっちは自分がご飯を作って子供の世話をしてプラス仕事である。この20年の記憶はない。あまりに大変で記憶が飛んだ。 それでもやめなかったのは、周囲の男が、男というだけで優秀でもなんでもなく、ただ単に日本という男に甘い社会に守られて下駄をはかせてもらっているだけの存在だったからである。なにくそと思った。負けるものか。ここまで来たのは意地だけである。 いろいろぐちゃぐちゃ書いたが、濱口先生は、日本で女が真面目に働くことの困難さを豊富なデータを背景に見事に説明なさった。ありがとうございます。男性でも先生のような方がいるとわかって、長年の恨みつらみが少しは溶けました。

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「厚生年金基金の興亡」@『エルダー』2017年1月号

Om5ru8000000ld61『エルダー』2017年1月号に「厚生年金基金の興亡」を寄稿しました。

断片的にはいろいろと知っていることはあると思いますが、こうしてまとめてみると、そうだったのか、ということも結構あるのではないでしょうか。

 本連載の第5回(9月号)で「退職金の法政策」を取り上げましたが、そこで軽く触れた厚生年金基金についてその設立から廃止に至る半世紀の歴史を改めて振り返っておきたいと思います。厚生年金基金制度は1965年6月の厚生年金保険法の改正により創設されました。これは企業が設立する特別の公法人である厚生年金基金が公的年金である厚生年金の報酬比例部分を代行する部分と、企業独自の加算部分を上乗せして給付する部分を組み合わせたものです。

 この制度は日経連が強く主張して成立したものですが、その背景にはいよいよ20年勤続による老齢年金受給者が出現してくる中で、その給付水準が生活保護以下と大変低いことが大きな問題となってきたことがありました。給付水準引上げのために、厚生省は保険料の大幅な引上げを試みたのですが、既に多額の退職金や退職年金を負担している大企業にとっては、これは労働者の老後の生活保障という政策目的に対する二重負担に外ならず、それなら既存の企業年金でもって厚生年金を代替できるようにしたいと要求したのです。厚生年金は戦前の退職積立金及退職手当法を吸収して設けられたはずなのに、それが機能不全に陥っていたから退職金で対応していたのであり、両者それぞれについて企業が負担しなければならないのはおかしいという発想です。私立学校職員共済組合のように、厚生年金から脱退して独自の給付を行う業種も現れ始めていました。日経連は1961年11月「退職金制度と厚生年金制度の調整についての試案」をまとめ、厚生年金の報酬比例部分と同等以上の内容を持つ企業年金を適用除外とすることを提起しました。この経営側の要請を趣旨としては受け入れつつ、報酬比例部分を代行という法形式で組み合わせたのが厚生年金基金制度です。代行とは、企業が年金基金を設立して厚生年金の給付の一部を代わって行い、さらに企業独自の年金給付を上乗せ支給する制度です。この代行部分は、公的年金としての性格と企業年金としての性格を併せ持つ形になりました。

 この制度の導入に当たっては労使の間で激しい対立がありました。厚生年金の給付改善の前提条件として企業年金との調整を強く主張する事業主側に対し、被保険者側は既得権としての退職一時金がこの調整措置によってなし崩しにされるおそれがあることや、労務管理として実施されている私的な企業年金と公的な厚生年金との間に調整を行うことは筋違いであり、国の責任を持って行うべき社会保障の後退であるとして強く反対したのです。その結果、1964年4月の社会保険審議会答申は、公益、事業主、被保険者の各側の意見を併記する異例の形となりました。厚生省が直ちに国会に提出した法改正案はいったん廃案となり、同年12月に再度提出した法案が、修正の上1965年5月に成立しました。

 厚生年金基金を設立できる人数要件は当初は1000人でしたが、1985年に700人、1988年には500人に引き下げられ、折からのバブル景気もあって基金の設立ラッシュが到来しました。ところが企業年金は公的年金と異なり賦課方式はとり得ず、給付に必要な原資を退職時までに積み立てる事前積立方式が必須です。バブル崩壊後の低金利、株価の下落から積立金の運用利回りが低迷し、代行部分の存在が母体企業にとって重荷に感じられるようになり、代行返上できるよう求める声が経済界を中心に高まりました。もともと経営団体が要求して導入された制度のはずですが、それが都合が悪くなると今度は返上したいというわけです。さらに1998年6月の企業会計審議会意見書に基づき、2000年4月から新たな退職給付に係る会計基準が導入されることになり、そこでは退職給付を賃金の後払いと捉えて、当期までに発生した(とみなされる)将来の退職給付の現価相当額を「退職給付債務」とし、その積立不足を母体企業のバランスシートにおいて負債とみなされることとなっていました。そのため、アメリカの401kに倣った確定拠出型年金制度の導入が声高に叫ばれるようになりました。

 こうした中で2000年3月に確定拠出年金法案が、2001年2月には確定給付企業年金法案が国会に提出され、いずれも同年6月に成立に至りました。この確定給付企業年金法は、適格退職年金を10年間の期限で原則廃止する受け皿としての規約型確定給付企業年金と、厚生年金基金が代行を返上する受け皿としての基金型確定給付企業年金からなります。この時、代行を返上せずに厚生年金基金として活動していく途も含めて、3つの選択肢が提示されたことになります。しかし、事態はそれで終わりではありませんでした。

 2000年代に入ってもITバブル崩壊やリーマンショックなどで基金の運用環境は浮き沈みを繰り返し、その中で厚生年金基金の代行割れといわれる事象に注目が集まるようになりました。代行割れとは、基金の積立金が基金解散時に厚生年金本体に返すべき最低責任準備金を下回ることです。こうした中で2012年にはAIJ事件が発生しました。多くの厚生年金基金が運用委託していたAIJ投資顧問(株)が、運用資産の大部分を消失していたというスキャンダルです。これを受けて厚生労働省は有識者会議を開催し、さらに社会保障審議会で審議した末、代行制度を段階的に縮小・廃止するという方向を打ち出しました。そして、2013年6月の公的年金制度の健全性及び信頼性の確保のための厚生年金保険法等の一部を改正する法律により、5年間の期限のうちに代行割れ基金を早期解散させるとともに、代行割れ予備軍基金を確定給付企業年金や確定拠出年金、それに中退金など他制度に移行させることとされ、厚生年金保険法から厚生年金基金の規定が削除されました。もっとも、審議の最終段階であった2012年末に自公政権に復帰したため、厚生年金基金の完全廃止という方針は若干緩和されて、健全な厚生年金基金はなお存続することが可能とされましたが、5年経過後はより厳格な積立基準が適用され、満たさなくなると厚生労働大臣が解散命令を発動するというムチがついているため、実際にはほとんどの基金が解散するか代行返上することになり、法制度としては廃止されたと言えましょう。

 厚生年金基金の半世紀の歴史は、本来個別企業の労働条件の一部である退職金から派生した企業年金と、マクロ社会的な世代間の再分配機能である公的年金とを、「代行」というアクロバティックな法的技法でもってつなぎ合わせて作られた制度が、経済が好調であればそのはざまで企業にさまざまなメリットをもたらしてくれた反面、経済が不調になるとそれがデメリットに転化してしまい、それが結局制度の命取りになってしまったという物語なのかも知れません。

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社会保険労務士試験の素材に絶好のツイート

労働法分野というのは、民事法、刑事法、行政法が複雑に絡み合った領域なので、それをきちんと頭の中で整理できているかどうかは、企業で人事労務に関わる人やとりわけ社会保険労務士にとって大変重要です。

とりわけ労働基準法まわりはこれらが複雑に絡まり合っているので、一知半解の人がへたに知ったかぶりをすると大やけどをする可能性があります。

そこのところの頭の整理が全然できていないとどういう妄言を発することになってしまうかを、あまりにも見事に表出したツイートを発見してしまったので、(別段それ以上の他意はありませんが)社会保険労務士試験を受験しようとされている方々にとっての間違い探しの手頃な素材になるのではないかと思って、引用させていただくことにしました。

https://twitter.com/ikedanob/status/814119998402609152

Gqa41t_i_400x400 過労自殺の因果関係は、法的には立証できない。だから労災認定という形で(因果関係を大目に見て)救済したのに、刑事罰まで加えるのはルール違反だ。これでやるなら、労基法違反の朝日新聞も検察が起訴すべきだ。

まずもって、労基法上の労災補償責任の担保制度としての労災保険制度における労災認定の相当因果関係が民事上の損害賠償訴訟における相当因果関係論と違って「法的には立証できない」とか「大目に見て」いるという、どこから仕入れたのかわからない間違った認識。

行政上の労災補償との関係が問題になるのは、民事上の損害賠償責任。こちらは相当因果関係論自体に違いはないけれども、本人の責任による賠償額の算定如何に違いが出てくる。逆に言うと、行政上の労災補償では本人の責任は問題にならない。長時間労働やパワハラと自殺との因果関係の存在だけが問題。その因果関係の存在については行政基準が存在し、裁判所もだいたいそれを使っている。

なので、仮に今回過労自殺した新入女子社員のお母さんが民事損害賠償を提起した場合、会社側は長時間労働等と自殺との因果関係自体は争わなくても、本人の(上司等とは別の)人間関係上の諸問題を提示することで過失相殺の主張をしてくることは十分にあり得る。

で、そういう行政法と民事法が絡み合う労災補償とは別の次元に存在するのが、行政法と刑事法が絡み合う労働時間規制そのもの。

工場法以来、物理的労働時間規制とは、一定時間を超えて働かせたことに対して刑事罰を科するというもの。この点は現行労働基準法32条もまったく変わらない。

その刑事罰を免除されるための要件が労基法36条の労使協定。

ところが日本では、その36協定による時間外労働に法律上の上限が(現時点では)存在しない。なので、なまじ真面目に36協定で上限を定めてそれを超えてしまうと、労基法32条違反として刑事罰の対象になるけれども、とても超えないくらい超絶的な上限を設定しておいたら、過労死が続出して労災認定は受けるかも知れないけれども、労基法上の刑事罰の対象にならない。

そういう法制度のあり方はおかしいのではないか、という議論は、私自身口を酸っぱくして述べてきたことですし、最近になってようやく法政策として動き始めたことですが、なんにせよ、労基法の基本構造がわかっていないと、そういう批判を適切にすることもできないことはいうまでもありません。

もう一つ、可能性としては全て刑事罰の対象であり得る労基法違反のうち、実際に送検されるのはごく一部であって、大部分は是正勧告等の行政上の措置で済まされるのは、厳密に言い出すと行政法と刑事法との関係をめぐる壮大な議論に発展しうるけれども、少なくとも刑事罰の対象にすること自体は法律が本来予定していることですね。

同じような違反をしている同業他社は是正勧告で済まされているのに、うちの会社だけ送検されるのはルール違反だという言い方は、人事担当者の気持ちとしては理解できないことはないけれども、法律上は無理筋であることはだれもがわかっていること。

そういう構造のところにのこのこ出てきて、「刑事罰まで加えるのはルール違反だ」ですから、そのわかっていなさぶりは超絶技巧的なレベルにありますな。

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ブラック消費者

Coverpic_s労働調査協議会の『労働調査』1月号は、「ヨーロッパにおける最近の労働事情」が特集でこちらについては改めてきちんと紹介したいと思いますが、

http://www.rochokyo.gr.jp/html/2017bn.html#1

それよりも巻頭言が面白いので、こちらは是非読んでいただきたいと思います。UAゼンセン神奈川支部常任の千頭洋一さんの「ブラック・コンシューマー対策」という小文です。

http://www.rochokyo.gr.jp/articles/nw1701.pdf

ブラック・コンシューマーとはブラックな消費者のこと。同じ社内の上司や同僚であれば「パワハラ」として指弾されるようなことを、お客様という名の下にやっても、まかり通ってしまう。お客様商売のお店で働く労働者にとって、神様扱いしなければならない悪魔です。

その事例はリンク先をご覧くださいですが、千頭さんは、

言いがかりとしか思えない、あまりにも酷い顧客からの苦情や要求に対して、ひたすら謝り続けなければならないことは、それに対処する労働者の心身を蝕むこともあります。たまたま悪質クレームに接した労働者が、さらにこのことで上司にも叱られ、不当に自身の評価が下げられてしまうこともあり得ます。悪質クレームを甘受し続けることは、流通・サービス産業の地位を下げてしまうことにもなると思います。

と述べ、

・・・これは個別労使ではなかなか解決し得ない問題であり、社会運動として世論を喚起していくことが必要です。

と論じています。そして、今年6月にUAゼンセンの流通部門中央委員会で確認された「サービスを提供する側と受ける側が共に尊重される社会を目指す決議」を紹介しているのですが、そこに書かれているのは、

悪質クレームから労働者を保護する一方、私たち自身が同じような行動をしていないかを振り返る社会運動が必要だと考えます。

というかなり遠慮気味の文章です。

まあ、「お客様は神様」の日本でこういう運動をしていくのはなかなか大変ですが、こういうブラック消費者というか、お客様によるハラスメントの問題は、ヨーロッパでも近年取り上げられてきつつあり、いくつかの労働組合が取り上げつつありますます。

某所で使った解説ですが、何かの役に立つかも知れませんので、コピペしておきます。

(6) 職場における第三者による暴力とハラスメントに取り組むガイドライン
 上記2007年のEUレベル産業横断的労使団体による自律労働協約は、形式的には「顧客、患者、生徒など第三者によるもの」も対象に含めているが、一方で「労使の権限の範囲内」のいじめ・暴力を取り扱うとも述べており、実際には副次的な扱いとされている。しかしながらとりわけサービス業、医療機関、学校など第三者による暴力やハラスメントが問題となる業種(広義のサービス関係業種)では、独自にこの問題への取り組みが進められた。
 リーダーシップをとったのは、EUレベルのサービス産業労組であるUNI ヨーロッパ(欧州サービス・通信労働組合連合会)と、公共サービス関係労組のEPSU (欧州公共サービス労働組合連合会)である。両労組は、対応するEUレベル使用者団体、すなわちユーロコマース(卸売・小売業の事業者団体)、CoESS(欧州警備サービス連盟)、CEMR(欧州地方自治体協議会)、HOSPEEM(欧州病院・医療機関連盟)に呼びかけ、職場の第三者暴力に対する対応策の検討を開始した。教育関係の労使として、ETUCE(欧州教育労組委員会)とEFEE(欧州教育使用者連盟)も加わった。
 欧州委員会の支援も得て議論が進められるとともに、傘下の各国レベル団体からの情報収集も進められ、その結果が2009年8月に報告書としてまとめられた。さらに、2010年9月30日には、これら8団体の連名で「職場における第三者による暴力とハラスメントに取り組む多業種ガイドライン」(Multi-sectoral Guidelines to Tackle Third-party Violence and Harassment related to Work)が正式に採択された。
 多業種ガイドラインは職場の第三者暴力・ハラスメントとして、次のような広範な事例を挙げている。
a)身体的、心理的、言語的、性的
b)個人または集団による、一回きりの事件またはより体系的な行動パターン
c)顧客、患者、サービス利用者、生徒や親、公衆またはサービス提供者の行為や行動から生ずる
d)軽侮からより深刻な脅威や身体的侵襲に至るまで
e)メンタルヘルス問題から生ずる、または感情的理由、個人的嫌悪、性別、人種・民族、信条、障害、年齢、性的志向、身体イメージに基づく偏見が動機となる
f)労働者及びその評判、使用者の財産、顧客を狙った刑事犯罪を構成し、公的機関の介入を要請するもの
g)被害者の人格、尊厳及び統合性を深く損なう
h)職場、公共スペースまたは私的な環境で発生するが職場に関係する
i)広範な情報通信技術を通じてサイバーいじめ、サイバーハラスメントとしても生じる
 そして、使用者のための政策枠組みとして次のような要素を例示している。
a)全段階における経営者と労働者及びその代表/組合との情報交換と協議
b)第三者による暴力とハラスメントの明確な定義とその例示
c)利用者、顧客、サービス利用者、一般公衆、生徒、親、患者への、被用者に対する暴力やハラスメントは許容されず場合によっては法的措置もとられる旨の適切な情報
d)さまざまな職業、地域、労働慣行を考慮したリスク評価に基づく政策が潜在的な問題の明確化につながる(警察等の当局との連携も)。
e)紛争を回避・管理する技術を含む労使への適切な研修
f)第三者による暴力/ハラスメントの訴えを監視、調査する手続
g)第三者による暴力/ハラスメントに晒される被用者への医療的(心理的を含む)、法的、金銭的支援
h)被用者に対する事件の報告の明確な要請とありうべき報復からの保護、そして警察等他の当局への対処依頼
i)他の使用者や当局と、保秘義務等を尊重しつつ、苦情を訴え、犯罪を報告し、情報を共有する
j)事実の記録と経過の監視の透明で有効な手続
k)政策枠組みが経営者、労働者、第三者によく知られるようにすること
 なお、ガイドラインの採択後、これら8労使団体は引き続き傘下各国団体からの情報収集に努め、その結果を2013年11月21日の合同報告書で公開した。

(7) 学校における第三者暴力・ハラスメント
 上記ガイドラインに署名した8労使団体のうち、学校教育に関わるETUCE(欧州教育労組委員会)とEFEE(欧州教育使用者連盟)は共同で、「学校における暴力に関わる教育労使:いかにして学校における暴力とハラスメントを予防し緩和するか」というプロジェクトを立ち上げ、2012年10月「いかにして学校における暴力とハラスメントを予防し緩和するか:職場における第三者による暴力とハラスメントに取り組む多業種ガイドラインの教育分野における実施ガイド」(How to Prevent and Mitigate Third-Party Violence and Harassment in Schools: Implementation Guide for the Education Sector of the Multi-Sectoral Guidelines to Tackle Third-Party Violence and Harassment Related to Work)を公表した。
 この中で、教育分野における第三者暴力・ハラスメントを他分野と区別する特徴として次のようなことが挙げられている。
・教育スタッフの役割:その人が教師、教員または教育分野の就労者であり、それゆえ権威ある地位にあると見なされるというただそれだけの理由で教育スタッフに対する暴力やハラスメントが行われること
・教育プロバイダーであると同時に生徒のパフォーマンスの評価者としての教育スタッフの緊張
・(生徒やその親、家族との)長期的関係
・公共財または法的義務としての教育:顧客が来店を禁止されるようにはたやすく生徒に登校を禁止することができない
 このガイドを受けた実施状況報告では、生徒や親を含めた関係者に学校の基本的価値(相互尊重や民主的市民権)を早期に強化する取り組みが必要であると訴えている。

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誰よりも労働規制の意味を理解している穴見陽一議員

Subbuzz2813114821974771 ファミリーレストランの経営者であり、自由民主党の国会議員である穴見陽一さんのインタビュー記事がBuzzFeedというネットニュースに載っています。

https://www.buzzfeed.com/akikokobayashi/service-roudou?utm_term=.iuPJY0YKE#.kd9jJpJMQ

これが、へたな経済学者よりもずっと、労働規制というものの意味を的確に述べているので、その部分を引用しておきます。

・・・1社だけが営業時間を短くしたり、人件費を上げたりすると、競争に負けるかもしれない。危機感は拭えなかった。

この競争原理は、外食産業に限らない。例えば、建設会社の場合。A社が3カ月の納期を提示すると、B社は残業100時間を見込んで2カ月の納期を提示する。同じ金額であれば、納期が早いほうが競争で有利になる。

だが、法律で残業が禁止されたとしたらどうだろう。

A社もB社も、同じ3カ月の納期で勝負することになる。無理をして前倒しする必要はなくなるぶん、技術力の高さや発想の斬新さなど、時間ではない評価軸が新たに生まれる。

「みんなが同じルールのもとで、同じだけの時間で戦える土壌をつくらなければフェアではない。それでコストがかかるとしても一斉に値上げができる。世の中のルールが変われば、『せーの』で構造改革できる。単独の企業努力ではできないことです」

「ビジネスマンだった僕が政治の世界に入ったのは、ルールメイキングのためです。政治は予算をつけることだけではない。国民が求めているのは、ルールを変えてほしいということなんです。国民の生命を守るために最も重要なルールです」・・・

そう、ルールのない自由競争は、健全な競争を持続できる基盤を掘り崩すのです。だからこそ、みんなに適用されるルールが必要になるのです。

・・・「だからこそ、国が労働規制をする必要がある。労働者の家庭生活や心身の健康を正常に保つための時間を守るのが、国の責務です。長時間労働は、重大な人権問題だと考えています」

・・・「経営者は、消費税の増税などのショックにこれまでも対応してきた。長時間労働の改善もそうしたショックの一つに過ぎない」と穴見さんは言う。

514bxo5cf7l_sx350_bo1204203200_ この穴見さんについては、今年本ブログでその著書(共著)を紹介しています。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2016/04/post-15f6.html (川崎二郎/穴見陽一『政治主導で挑む労働の構造改革』)

著者の二人は自由民主党の国会議員です。ですが、本書の内容は、労働問題の専門家が読んでも参ったというくらいの高い水準になっています。・・・

こういうものごとの道理を一番よくわかってこうしてわかりやすく説明できる国会議員が、連合が組織的に支持している政党の国会議員でないことの皮肉をこそ、ジャーナリストたるもの、実は問い詰めなければいけないのではないのでしょうかね。どこぞの政治評論家よろしく「連合は誰の味方なのか」などと偉そうに問い詰めるのであれば・・・。

http://news.yahoo.co.jp/feature/467 (「連合」は誰の味方なのか 神津里季生会長に聞く)

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hamachanブログ2016年ランキング発表

毎年恒例といえば、本ブログのこの1年間のエントリのアクセスランキングの季節もやってきました。

昨年2015年のランキングはこちらですが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2015/12/hamachan2015-26.html

昨年の堂々1位は「勤勉にサービスしすぎるから生産性が低いのだよ!日本人は」だったのですが、さて今年はというと、

1位:勤勉にサービスしすぎるから生産性が低いのだよ!日本人は(毎年恒例) 12,499件

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2016/12/post-b95d.html

いやいやいや、なんぼなんでもこれはないでしょ。昨年のエントリをほぼそのままコピペしただけの超手抜きエントリが、しかもアップしたのは12月25日の日曜日、つまり一昨日ですよ。それが1位とはなんと解釈すべきか・・・・。

ま、考えてみれば昨年トップだった昨年のエントリだって、過去数年間本ブログにちょろちょろと書いてきた生産性関係のことをまとめただけなんですね。

世のまとめサイトなるものが集中砲火を浴びている昨今、いくら自分で書いたもののまとめエントリといっても、そんなのばかりがトップを2年連続で取るというのはどういうことでしょう。

よほど今年の本ブログのエントリはろくでもないのばっかりだったってこと?

ま、なんにしても、一昨日読んだばかりのものを改めて全文読む気はあんまり起こらないでしょうけど、

・・・製造業のような物的生産性概念がそもそもあり得ない以上、サービス業も含めた生産性概念は価値生産性、つまりいくらでそのサービスが売れたかによって決まるので、日本のサービス業の生産性が低いというのは、つまりサービスそれ自体である労務の値段が低いということであって、製造業的に頑張れば頑張るほど、生産性は下がる一方です。

では気を取り直して2位は?

2位:未だにこんな議論がまかり通っているのか・・・ 12,043件

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-518a.html

これは例の愛知県のブラック社労士の騒ぎのときに、「ブラック社労士の出現は「正社員解雇の厳しさ」が原因」というようなことを言い出す手合いがいたので、解雇規制の問題は問題として、少なくとも例のブラック社労士を正当化する議論に使うのはまったく間違いだよ、と言うことを論証するために書きました。ちょっと長めに引用しますが、原エントリは解雇といじめのあっせん事例がずらずらと並ぶ長大エントリです。

・・・もし、解雇しにくいからいじめをする、という命題が正しいのであれば、これだけ解雇がやりたい放題な中小零細企業が圧倒的な労働局あっせん事案では、それを回避するためのめんどくさいいじめ事案なんかあんまり出てこないはずですね。

ところがどっこい、労働局あっせん事案は解雇も山のようにありますが、最近はそれ以上にいじめ嫌がらせによる自己都合退職事案がごまんとあります。もちろん、解雇もいくらでもやれそうな中小零細企業です。

・・・何のことはない。解雇がしにくいから仕方なくいじめするしかないんだ、という一見もっともらしそうに見える議論は、現にスパスパ解雇やり放題の中小零細企業こそが、いじめ嫌がらせがてんこ盛りであることによって、見事に反証されてしまっています。

しかし、話はここで終わりません。

例の愛知の悪徳社労士は、どういう企業に対して、あの陋劣な手口を売り込もうとしていたのでしょうか?

愛知を代表する天下のトヨタ自動車・・・ではもちろんありませんね。

そういう、インチキ社労士を頼る必要のない大企業が、どちらかと言えば解雇がやりにくい立場にあり、労働法もよくわからずにそういうブラック社労士を頼ってくるのは、労働局あっせん事案に出てくるような中小零細企業ということになるでしょう。

あれ?そういう企業はそもそも結構スパスパ解雇していて、わざわざ悪徳社労士のアドバイスで持って回った手口でいじめ自殺に追い込むような必要性はないんじゃないの?

まさにその通り。そこにこそ、このインチキ社労士事件の最大の悪辣さがあるのです。

実のところ、あの社労士の口車に乗って、それなりに高い金を払って必要性のないいじめ自殺プロジェクトをやらされる中小企業こそ、いい面の皮と言えましょう。

そして、現実社会の実情を知らず(あるいは知っていても知らないふりをして)日本社会はすべて解雇ができないくらい厳しい規制があるなどと嘘八百をわめき立てて、こういう悪徳社労士の商売の宣伝を勤める一部のエコノミストや評論家諸氏の責任は重いものがあるといわなければなりますまい。

以下、順に見ていきますと、

3位:あのIMFが日本に賃上げを要求 10,003件

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2016/08/post-8e61.html

・・・悪名高きインターナショナル・マネタリー・ファンド。

構造改革の名の下に賃金をむりやり引きずり下ろさせることを至上命題としてきた(はずの)あの国際通貨基金です。

そのマネタリーな方のIMFが、こともあろうに、日本に賃上げを求めようとしているという、ブルームバーグの記事。和文と英文両方あります。

4位:だから、リストラ(整理解雇)とローパー解雇は違うって何回言ったら・・・ 9,145件

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2016/02/post-748f.html

・・・リストラ、つまり整理解雇というのは、労働者本人の責任ではなく、会社の経営状況に基づく解雇なのであるから、ローパフォーマンス云々という話とは全然別次元の話である、というような、労働法の基本概念が全然通用しないこの日本では。

雇用契約がジョブに基づいている社会では、もちろん当該ジョブができないという理由による個人的解雇もありますが、いかなる意味でもそれは『リストラ』ではありません。

『リストラ』とは、あくまでも労働者個人の能力等とは関わりのない会社側の理由によるものであり、だからこそ、労働者の方もそれを恥ずかしがったりしないし、労働組合も積極的にその再就職のために支援をするわけです。

ところが、雇用契約がジョブではなく会社の社員であるというメンバーシップに基づいている日本では、『リストラ』が労働者に社員である資格がないという宣告になってしまい、それゆえに一番情緒刺激的な言葉になってしまうわけです。

そして、それゆえに、本来会社の都合でやるものであるがゆえに労働者の責任ではないはずの『リストラ』が、ローパフォーマーを追い出すためのものと(労使双方から全く当たり前のように)思い込まれ、それを前提に全てが動いていってしまうという訳の分からない事態が現出し、しかもそれに対して、「社員なのにけしからん!」とか「ローパーだから当然だ!」といった情緒的な反応は山のようにあっても、そもそも『リストラ』とは労働者側の理由によるものではないはずなんだが、という一番基礎の基礎だけは見事にすっぽり抜け落ちた議論だけが空疎に闘わされるという事態が、いつものように繰り返されるわけですね。

5位:労働組合は成長を拒否できるのか? 6,363件

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-1e75.html

・・・正直言って、労働者の労働者としての利益を追い求めるために存在するはずの労働組合のシンクタンクが、こういう(あえてきつい言い方をしますが)腹ふくれ満ち足りたブルジョワの息子の手すさびみたいな議論をもてあそんでいて良いのでしょうか、という根本的な疑問が湧いてくるのを禁じ得ません。特に最初の二つ。

心のビッグバンだの、精神革命だの、いやそういう議論がそれなりの場でなされるのは大いに結構だし、そういうのが大好きな人々がいることもわかる。でもね、それって、日本の労働組合のナショナルセンターのシンクタンクの機関誌でやるべき事なんだろうか。

本当に今の日本の労働者、とりわけ労働組合に組織されることもなく使用者の私的権力にさらされて、低い労働条件を何とかしたいと思っている労働者に呼びかける言葉が、「希望としての定常型社会」なんですか。

そして、見果てぬ夢を夢見る夢想家ではない現場で何とか生きていこうとしている労働者たちに送る処方箋が「金利と利潤のない経済の構想」なんですか。

壮大な議論は私も嫌いじゃないし、リアルな議論とつなげる道もないわけじゃないと思う。でもね、これじゃ接ぎ穂がなさすぎる。

何というか、そのあまりの落差に言葉を一瞬失う感が半端ないのですが。

6位:勤勉にサービスしすぎるから生産性が低いのだよ!日本人は 6,355件

これは昨年12月のエントリが年を越えて今年になっても読まれた件数。なんなんや。

7位:公衆道徳上有害な業務に就かせる目的で労働者派遣をした者は 5,920件

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2016/06/post-d708.html

これは今年どんどん炎上していった例のアダルトビデオへの出演強要に絡んで、警察が強制捜査に出た根拠となっていると思われる裁判例をいくつか紹介したものです。

こういうたぐいの裁判例はあまり世に知られていなかったと見えて、結構の読者を集めたようです。

・・・実際、確かに、アダルトビデオ派遣事件判決(東京地判平成6年3月7日判例時報1530号144頁)では、こう述べています。・・・

・・・当該女性がAVプロダクションに雇用された労働者なのか、という点について、上記平成6年3月7日東京地裁判決では、被告側が争っていないので議論になっていないのですが、そこを争った事案はないかと探してみたら、こういうのがありました。平成2年9月27日東京地裁判決です。被告側が雇用関係不存在を主張したのを判決が否定しているところです。・・・

・・・判例を調べていくと、プロダクションが雇用してビデオ製作会社に派遣するという労働者派遣形態としてではなく、プロダクションがビデオ製作会社に紹介して雇用させるという職業紹介形態として、やはり刑罰の対象と認めた事案があります。平成6年7月8日東京地裁判決ですが、・・・

・・・ちなみに、上記職業安定法63条2号には「募集」も含まれます。判例には、ビデオ制作メーカーがこの「公衆道徳上有害な業務に就かせる目的で」「労働者の募集」をしたとして有罪になった事案もあります。東京地判平成8年11月26日(判例タイムズ942号261頁)は、・・・

8位:長澤運輸控訴審判決 4,584件

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/post-84b2.html

・・・これだけではどういう理屈立てなのかいまいちよくわからないので、判決文を見る必要がありますが、記事からすると、高齢者の定年後再雇用であるという点がポイントになっているようにも思われます。

既に『労働判例』今月号に判決文が載っています。同号には同じような高齢者の待遇に関わる判決がいくつか載っており、比較検討の良い材料になります。

9位:大学がブラックビジネスでないためには 4,143件

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2016/02/post-c136.html

・・・千田さんの言い方は、「私的な消費財に過ぎない」大学教育の費用を「公的に負担すべき」という議論になってしまっているのです。もちろん、それは戦後確立してきた生活給が教育費を私的消費財とみなすことを可能にしてきたにもかかわらず、それが現在大きく揺らいできているという社会の変動を反映したものであり、的確に対応しなくてはならない問題の鋭い提起になっているわけですが、それゆえにこそ、その提起は、大学教育がもはや私的消費財とみなされるべきではないというパラダイムチェンジを伴わなければ、「そういうことのために、俺たちの稼いだ金をただでよこせというつもりかね?」という反発以外の何者をも招かないでしょう。

そういう意味において、教育の職業的レリバンスとかいわゆる「L型大学」をやたらに目の敵にする人々は、すなわち自分たちの足元を掘り崩し続けているのだと思います。「無駄」だけど楽しいからお前の金をよこせ、でいつまでも通用するわけではない。資源の権威的配分の技術としての政治の世界においては、資源を移転するにはもっともらしい理屈がいるのです。

10位:EUはリベラルかソーシャルか? 3,646件

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2016/06/post-e515.html

・・・ギリシャのシリザとか、スペインのポデモスとか、南欧諸国の反EU運動は基本的にこれに対する対抗運動。リベラルなEUに対して各国のソーシャルな仕組みを守ろうというリアクション。そして、イギリスの反EUの気持ちの中にも結構これが大きい。イギリスはユーロ圏じゃないので直接関係ないのだが、労働党支持層の中でもEU残留に熱心になれないひとつの背景。

次点:上野千鶴子氏の年金認識 3,375件

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2016/08/post-0196.html

拙著のオビで「絶賛」していただいた大恩ある上野さんですが、さはさりながら、筋道は筋道として明らかにしておかなければと思ったもので。

・・・年金というものを「ワシが積み立てたものじゃ」と認識する私保険的感覚(それ自体は一つの経済イデオロギーとしてありうることは否定しませんが)の社会政策的帰結に対して、もう少し敏感であってほしいという思いは否めません。

ちなみに、いま日経新聞の「やさしい経済学」で権丈善一さんが「公的年金の誤解を解く」と題して、いちいち噛んで含めるように年金というのはね、と説明しています。これでわからない人は、要するにわかりたくない人ということになりましょう。

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神吉知郁子さん@日経の経済教室

本日の日経新聞の経済教室に立教大学の神吉知郁子さんが登場しています。「貧困・格差をどうするか」という3回シリーズの2回目で、でかでかと「最低賃金上げ 英仏並みに」と大見出しが出ていますが。

http://www.nikkei.com/article/DGKKZO11080800W6A221C1KE8000/

確かに8段の論考のうち7段弱までは貧困と格差の一般的議論と最低賃金についての話なのですが、7段目の終わりあたりから正規労働者と非正規の分断について論じていまして、実はここがかなり重要です。労働問題を論じる人は、ここのところを理解できるかどうかが分かれ目だと思います。

・・・そもそも格差是正で達成すべき本質的価値は自由の保障だ。自由とは本来、自分のことを自分で決定できる自律性を意味する。この点、賃金決定への過剰な介入は契約当事者たる労使の自律性を阻害する。むしろ法規制で重要な視点は、非正規労働者の利害を十分に考慮した労使交渉や協議により、当事者が自ら不合理な格差のない労働条件を設定するよう誘導することだ。

具体的には非正規労働者の意見を公正に反映させ、待遇の改善を図っていることを、不合理性を否定する考慮要素と明記すべきだ。・・・

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迷い猫さんの拙著評

Chuko「迷い猫」というブログで、拙著『若者と労働』がやや詳しく紹介され、感想が書かれております。

http://pochi-ug.hatenablog.jp/entry/2016/12/27/083241(日本が目指すべき雇用契約)

「メンバーシップ型をとりもどせ。かつての日本をとりもどせ」という論調でなく、しっかりとした内容でした。

私は、本を読む前は「全員ジョブ型」の社会が望ましいと考えていたのですが、本書を読むと、歴史の中でジョブ型への舵を切ったところは多くあったのがわかりました。ただ、多くは失敗に終わったようです。

日本の今の流れでは、残業時間の縮小が求めらています。とても良いことだと思います。もちろん、その分、正規労働者のメリットを減らせばよいと思います。

本書でも述べていますが、給与と職務の明確な関係性か低い日本では筆者が提案するバランスのよい労働環境が必要なのかと思います。

刊行から3年半経った今でもこうして拙著をしっかりと読んでいただける読者が続いているのは嬉しいことです。

ブログのコメント欄にやたらに書き込まれる方がお読み頂けているのかはよくわかりませんが。

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「労働の人間化」と日本型雇用@『WEB労政時報』

『WEB労政時報』に「「労働の人間化」と日本型雇用」を寄稿しました。今となっては誰も覚えていないくらい古い話題ですが、とはいえ歴史になってみんなの常識にもなっていないという問題をあえて取り上げてみました。

https://www.rosei.jp/readers-taiken/hr/article.php?entry_no=610

最近は、非正規労働者への差別待遇や正社員の長時間労働など、日本型雇用システムの問題点ばかりが論じられていますが、かつては日本型雇用システムこそが世界に冠たる競争力の源泉だともてはやされていたことをご記憶の方も多いでしょう。1970年代後半から1990年代初めの約20年間はそういう時代でした。そういう評価が、バブル崩壊とそれに続く「失われた20年」の中でみるみる消えうせていったこともなお記憶に新しいところです。ただ、そういう「勝てば官軍、負ければ賊軍」的な評価とは少し別次元で、欧米で雇用の在り方を見直す動きの中において、ある意味日本型雇用と通ずる方向が模索されたことがあるのです。

こちらは、よほど労働問題の歴史に詳しい人でないと、今となってはあまり知られていないのではないかと思いますが、1960年代から1970年代にかけてヨーロッパ諸国やEC(ヨーロッパ共同体)、OECD(経済協力開発機構)など国際機関を中心に、「労働の人間化」という政策課題が大きく取り上げられたことがあります・・・・・

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梶谷懐『日本と中国経済』

9784480069290 これは個人的な興味から買った本。副題は「相互交流と衝突の100年」ですが、冒頭の第1章が「戦前の労使対立とナショナリズム」と、あまり類書にないトピックを扱っていたので、どういう風にこの問題を扱っているんだろうと読み始めました。

http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480069290/

この第1章で扱われているのは、戦前中国に進出して生産活動をしていた日系企業、いわゆる「在華紡」というやつです。在華紡は中国経済にとってかなりプラスの意味をもっていたようなのですが、これまでの公式見解では一方的に悪者扱いされていたようなのですが、その一つの原因は、そこで生じた労使対立が引き起こしたストライキが、当時の中国民衆のナショナリズムと結びついたことがあるようです。労使対立自体は当時は日本でもむしろごく普通ですが、

・・・在華紡でも、工場における劣悪な労働条件に職工たちが反発し、大規模な労働争議がたびたび生じました。そこに中国共産党などの政治組織が介入することにより、労働争議は往々にして「反帝国主義資本」のための闘争、という性格を帯びたのです。

また、職工たちの反発の背景には、日本では改正工場法によって女工の深夜労働を禁止していたのに、在華紡では昼夜二交代制で中国人女性に深夜労働を行わせたり、日中の労働慣行の違いがあったようです。

それから100年近く経って、その間いろいろと本書に書かれているような「相互交流と衝突」があり、最後の終章で、再び日系工場における労使対立がトピックに出てきます。

共産党が資本主義を推進する現代中国において、

・・・民間の企業家が政府から自立した存在として見なされず、政治的な発言が許されない一方、それと対峙する労働者の権利を訴えるNGOの運動などもまた大きく制限されているというのが中国社会の現状です。このことは、たとえ今後労使間の対立がより激化したとしても、国家が両者の調停の役割を一元的に担うことにより、権力基盤を図っていくであろうことを示唆しています。その際、労使間の対立を一時的にそらす手段として、ナショナリズムが持ち出される可能性は、決して低くないでしょう。

と梶谷さんは予想するわけですが、労使対立という本来資本主義社会にとって生理現象であり、適切な処理で解決すべきものが、政治的な思惑でナショナリズムと結びつけられて事態を悪化させるという今現在の事態は、実は20世紀前半にも同じような状況にあったということを改めて思い出させてくれる本でした。

ナショナリズムの言葉で労使対立を語り出すと、人間どんどんおかしな方向に突っ走っていきますからね。日本国内ではどう考えても労働者側でしかあり得ないような人が、なぜか外国の日系企業の問題では、ナショナリズムから企業側に成りかわったみたいに考え、そこで働いている労働者のことはすっぽり抜け落ちてしまうというのはよく見られる現象です。

第1章 戦前の労使対立とナショナリズム

第2章 統一に向かう中国を日本はどう理解したか

第3章 日中開戦と総力戦の果てに

第4章 毛沢東時代の揺れ動く日中関係

第5章 日中蜜月の時代とその陰り

第6章 中国経済の「不確実性」をめぐって

終章 過去から何を学び、どう未来につなげるか

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勤勉にサービスしすぎるから生産性が低いのだよ!日本人は(毎年恒例)

毎年恒例ですが、日本生産性本部が世界の労働生産性国際比較というのを発表し、世間の生産性概念をこれっぽっちもわかってない連中があれこれとろくでもない戯言をまき散らすという季節がやってきたようで、これまたもう何年も前から本ブログでの毎年恒例の行事になっちゃってますが、飽きもせず同じ事を繰り返すことといたしませう。

http://activity.jpc-net.jp/detail/01.data/activity001495.html (労働生産性の国際比較2016年版)

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20161219/k10010812081000.html (労働生産性 日本は主要7か国の中で最下位)

従業員が一定の労働時間にどのくらいのモノやサービスを生み出すかを示す「労働生産性」の調査で、日本は小売り業や飲食業などで業務の効率化が進んでいないことなどから、主要7か国の中で最下位だという調査結果がまとまりました。・・・

このNHKのニュースの台詞が典型的な誤解を生み出すものであるわけですね。ここから、

お!日本はサービス業の生産性が低いぞ!もっともっと頑張って生産性向上運動をしなくちゃいけない!

というたぐいのまったく見当外れの発想が生み出され、

なにい?労働生産性が低いい?なんということだ、もっとビシバシ低賃金で死ぬ寸前まで働かせて、生産性を無理にでも引き上げろ!!!

と、付加価値生産性の定義上、そういう風にすればする程、生産性は下がるようなトンデモなことを口走る人々が後を絶たず、挙げ句の果ては、

おりゃぁ、てめえら、ろくに仕事もせずに高い給料とりやがって。だから生産性が低いんだよぉ!

という、生産性概念の基本が分かっていないケーザイ学者が偉そうな口をきくわけです。

毎年恒例のエントリをお読みの方々にとっては今更の中身ですので、以下はスルーしていただいてかまいませんが、この1年の間に新たに本ブログにお立ち寄りになるようになった方々は、せっかくですからいささか長いですが、昨年12月のエントリを以下に再掲しますので、じっくりお読みいただければ幸いです。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2015/12/post-ce16.html (勤勉にサービスしすぎるから生産性が低いのだよ!日本人は)

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・・・・・あとはもう、以前から本ブログをお読みの皆様方にとっては今更的な話ばかりになりますが、せっかくですので、以前のエントリを引っ張り出して、皆様の復習の用に供しようと思います。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2013/12/post-8791.html (なにい?労働生産性が低いい?なんということだ、もっとビシバシ低賃金で死ぬ寸前まで働かせて、生産性を無理にでも引き上げろ!!!)

依然としてサービスの生産性が一部で話題になっているようなので、本ブログでかつて語ったことを・・・、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/12/post-107c.html(スマイル0円が諸悪の根源)

日本生産性本部が、毎年恒例の「労働生産性の国際比較2010年版」を公表しています。

http://activity.jpc-net.jp/detail/01.data/activity001013.html

>日本の労働生産性は65,896ドル(755万円/2009年)。1998年以来11年ぶりに前年水準を割り込み、順位もOECD加盟33カ国中第22位と前年から1つ低下。

>製造業の労働生産性は米国水準の70.6%、OECD加盟主要22カ国中第6位と上位を維持。

>サービス産業の労働生産性は、卸小売(米国水準比42.4%)や飲食宿泊(同37.8%)で大きく立ち遅れ。

前から、本ブログで繰り返していることですが、製造業(などの生産工程のある業種)における生産性と、労働者の労務それ自体が直接顧客へのサービスとなるサービス業とでは、生産性を考える筋道が違わなければいけないのに、ついつい製造業的センスでサービス業の生産性を考えるから、

>>お!日本はサービス業の生産性が低いぞ!もっともっと頑張って生産性向上運動をしなくちゃいけない!

という完全に間違った方向に議論が進んでしまうのですね。

製造業のような物的生産性概念がそもそもあり得ない以上、サービス業も含めた生産性概念は価値生産性、つまりいくらでそのサービスが売れたかによって決まるので、日本のサービス業の生産性が低いというのは、つまりサービスそれ自体である労務の値段が低いということであって、製造業的に頑張れば頑張るほど、生産性は下がる一方です。

http://activity.jpc-net.jp/detail/01.data/activity001013/attached.pdf

この詳細版で、どういう国のサービス生産性が高いか、4頁の図3を見て下さい。

1位はルクセンブルク、2位はオランダ、3位はベルギー、4位はデンマーク、5位はフィンランド、6位はドイツ・・・。

わたくしは3位の国に住んで、1位の国と2位の国によく行ってましたから、あえて断言しますが、サービスの「質」は日本と比べて天と地です。いうまでもなく、日本が「天」です。消費者にとっては。

それを裏返すと、消費者天国の日本だから、「スマイル0円」の日本だから、サービスの生産性が異常なまでに低いのです。膨大なサービス労務の投入量に対して、異常なまでに低い価格付けしか社会的にされていないことが、この生産性の低さをもたらしているのです。

ちなみに、世界中どこのマクドナルドのCMでも、日本以外で「スマイル0円」なんてのを見たことはありません。

生産性を上げるには、もっと少ないサービス労務投入量に対して、もっと高額の料金を頂くようにするしかありません。ところが、そういう議論はとても少ないのですね。

(参考)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-2546.html(サービスの生産性ってなあに?)

(追記)

ついった上で、こういうコメントが、

http://twitter.com/nikoXco240628/status/17619055213027328

>サービスに「タダ」という意味を勝手に内包した日本人の価値観こそが諸悪の根源。

たしかに、「サービス残業」てのも不思議な言葉ですね。英語で「サービス」とは「労務」そのものですから素直に直訳すれば「労務残業」。はぁ?

どういう経緯で「サービスしまっせ」が「タダにしまっせ」という意味になっていったのか、日本語の歴史として興味深いところですね。

※欄

3法則氏の面目躍如:

http://twitter.com/ikedanob/status/17944582452944896

Zrzsj3tz_400x400 >日本の会社の問題は、正社員の人件費が高いことにつきる。サービス業の低生産性もこれが原因。

なるほど、ルクセンブルクやオランダやベルギーみたいに、人件費をとことん低くするとサービス業の生産性がダントツになるわけですな。

さすが事実への軽侮にも年季が入っていることで。

なんにせよ、このケーザイ学者というふれこみの御仁が、「おりゃぁ、てめえら、ろくに仕事もせずに高い給料とりやがって。だから生産性が低いんだよぉ」という、生産性概念の基本が分かっていないそこらのオッサン並みの認識で偉そうにつぶやいているというのは、大変に示唆的な現象ではありますな。

(追記)

http://twitter.com/WARE_bluefield/status/18056376509014017

>こりゃ面白い。池田先生への痛烈な皮肉だなぁ。/ スマイル0円が諸悪の根源・・・

いやぁ、別にそんなつもりはなくって、単純にいつも巡回している日本生産性本部の発表ものを見て、いつも考えていることを改めて書いただけなんですが、3法則氏が見事に突入してきただけで。それが結果的に皮肉になってしまうのですから、面白いものですが。

というか、この日本生産性本部発表資料の、サービス生産性の高い国の名前をちらっと見ただけで、上のようなアホな戯言は言えなくなるはずですが、絶対に原資料に確認しないというのが、この手の手合いの方々の行動原則なのでしょう。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-2546.html(サービスの生産性ってなあに?)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/02/post_b2df.html(労働市場改革専門調査会第2回議事録)

(参考)上記エントリのコメント欄に書いたことを再掲しておきます。

>とまさんという方から上のコメントで紹介のあったリンク先の生産性をめぐる「論争」(みたいなもの)を読むと、皆さん生産性という概念をどのように理解しているのかなあ?という疑問が湧きます。労働実務家の立場からすると、生産性って言葉にはいろんな意味があって、一番ポピュラーで多分このリンク先の論争でも意識されているであろう労働生産性にしたって、物的生産性を議論しているのか、価値生産性を議論しているのかで、全然違ってくるわけです。ていうか、多分皆さん、ケーザイ学の教科書的に、貨幣ヴェール説で、どっちでも同じだと思っているのかも知れないけれど。

もともと製造業をモデルに物的生産性で考えていたわけだけど、ロットで計ってたんでは自動車と電機の比較もできないし、技術進歩でたくさん作れるようになったというだけじゃなくて性能が上がったというのも計りたいから、結局値段で計ることになったわけですね。価値生産性という奴です。

価値生産性というのは値段で計るわけだから、値段が上がれば生産性が上がったことになるわけです。売れなきゃいつまでも高い値段を付けていられないから、まあ生産性を計るのにおおむね間違いではない、と製造業であればいえるでしょう。だけど、サービス業というのは労働供給即商品で加工過程はないわけだから、床屋さんでもメイドさんでもいいけど、労働市場で調達可能な給料を賄うためにサービス価格が上がれば生産性が上がったことになるわけですよ。日本国内で生身でサービスを提供する労働者の限界生産性は、途上国で同じサービスを提供する人のそれより高いということになるわけです。

どうもここんところが誤解されているような気がします。日本と途上国で同じ水準のサービスをしているんであれば、同じ生産性だという物的生産性概念で議論しているから混乱しているんではないのでしょうか。

>ていうか、そもそもサービス業の物的生産性って何で計るの?という大問題があるわけですよ。

価値生産性で考えればそこはスルーできるけど、逆に高い金出して買う客がいる限り生産性は高いと言わざるを得ない。

生身のカラダが必要なサービス業である限り、そもそも場所的なサービス提供者調達可能性抜きに生産性を議論できないはずです。

ここが、例えばインドのソフトウェア技術者にネットで仕事をやらせるというようなアタマの中味だけ持ってくれば済むサービス業と違うところでしょう。それはむしろ製造業に近いと思います。

そういうサービス業については生産性向上という議論は意味があると思うけれども、生身のカラダのサービス業にどれくらい意味があるかってことです(もっとも、技術進歩で、生身のカラダを持って行かなくてもそういうサービスが可能になることがないとは言えませんけど)。

>いやいや、製造業だろうが何だろうが、労働は生身の人間がやってるわけです。しかし、労働の結果はモノとして労働力とは切り離して売買されるから、単一のマーケットでついた値段で価値生産性を計れば、それが物的生産性の大体の指標になりうるわけでしょう。インドのソフトウェアサービスもそうですね。

しかし、生身のカラダ抜きにやれないサービスの場合、生身のサービス提供者がいるところでついた値段しか拠り所がないでしょうということを言いたいわけで。カラダをおいといてサービスの結果だけ持っていけないでしょう。

いくらフィクションといったって、フィリピン人の看護婦がフィリピンにいるままで日本の患者の面倒を見られない以上、場所の入れ替えに意味があるとは思えません。ただ、サービス業がより知的精神的なものになればなるほど、こういう場所的制約は薄れては行くでしょうね。医者の診断なんてのは、そうなっていく可能性はあるかも知れません。そのことは否定していませんよ。

>フィリピン人のウェイトレスさんを日本に連れてきてサービスして貰うためには、(合法的な外国人労働としてという前提での話ですが)日本の家に住み、日本の食事を食べ、日本の生活費をかけて労働力を再生産しなければならないのですから、フィリピンでかかる費用ではすまないですよ。パスポートを取り上げてタコ部屋に押し込めて働かせることを前提にしてはいけません。

もちろん、際限なくフィリピンの若い女性が悉く日本にやってくるまで行けば、長期的にはウェイトレスのサービス価格がフィリピンと同じまで行くかも知れないけれど、それはウェイトレスの価値生産性が下がったというしかないわけです。以前と同じことをしていてもね。しかしそれはあまりに非現実的な想定でしょう。

要するに、生産性という概念は比較活用できる概念としては価値生産性、つまり最終的についた値段で判断するしかないでしょう、ということであって。

>いやいや、労働生産性としての物的生産性の話なのですから、労働者(正確には組織体としての労働者集団ですが)の生産性ですよ。企業の資本生産性の話ではなかったはず。

製造業やそれに類する産業の場合、労務サービスと生産された商品は切り離されて取引されますから、国際的にその品質に応じて値段が付いて、それに基づいて価値生産性を測れば、それが物的生産性の指標になるわけでしょう。

ところが、労務サービス即商品である場合、当該労務サービスを提供する人とそれを消費する人が同じ空間にいなければならないので、当該労務サービスを消費できる人が物的生産性の高い人やその関係者であってサービスに高い値段を付けられるならば、当該労務サービスの価値生産性は高くなり、当該労務サービスを消費できる人が物的生産性の低い人やその関係者であってサービスに高い価格をつけられないならば、当該労務サービスの価値生産性は低くなると言うことです。

そして、労務サービスの場合、この価値生産性以外に、ナマの(貨幣価値を抜きにした)物的生産性をあれこれ論ずる意味はないのです。おなじ行為をしているじゃないかというのは、その行為を消費する人が同じである可能性がない限り意味がない。

そういう話を不用意な設定で議論しようとするから、某開発経済実務家の方も、某テレビ局出身情報経済専門家の方も、へんちくりんな方向に迷走していくんだと思うのですよ。

>まあ、製造業の高い物的生産性が国内で提供されるサービスにも均霑して高い価値生産性を示すという点は正しいわけですから。

問題は、それを、誰がどうやって計ればいいのか分からない、単位も不明なサービスの物的生産性という「本質」をまず設定して、それは本当は低いんだけれども、製造業の高い物的生産性と「平均」されて、本当の水準よりも高く「現象」するんだというような説明をしなければならない理由が明らかでないということですから。

それに、サービスの価値生産性が高いのは、製造業の物的生産性が高い国だけじゃなくって、石油がドバドバ噴き出て、寝そべっていてもカネが流れ込んでくる国もそうなわけで、その場合、原油が噴き出すという「高い生産性」と平均されるという説明になるのでしょうかね。

いずれにしても、サービスの生産性を高めるのはそれがどの国で提供されるかということであって、誰が提供するかではありません。フィリピン人メイドがフィリピンで提供するサービスは生産性が低く、ヨーロッパやアラブ産油国で提供するサービスは生産性が高いわけです。そこも、何となく誤解されている点のような気がします。

>大体、もともと「生産性」という言葉は、工場の中で生産性向上運動というような極めてミクロなレベルで使われていた言葉です。そういうミクロなレベルでは大変有意味な言葉ではあった。

だけど、それをマクロな国民経済に不用意に持ち込むと、今回の山形さんや池田さんのようなお馬鹿な騒ぎを引き起こす原因になる。マクロ経済において意味を持つ「生産性」とは値段で計った価値生産性以外にはあり得ない。

とすれば、その価値生産性とは財やサービスを売って得られた所得水準そのものなので、ほとんどトートロジーの世界になるわけです。というか、トートロジーとしてのみ意味がある。そこに個々のサービスの(値段とは切り離された本質的な)物的生産性が高いだの低いだのという無意味な議論を持ち込むと、見ての通りの空騒ぎしか残らない。

>いや、実質所得に意味があるのは、モノで考えているからでしょう。モノであれば、時間空間を超えて流通しますから、特定の時空間における値段のむこうに実質価値を想定しうるし、それとの比較で単なる値段の上昇という概念も意味がある。

逆に言えば、サービスの値段が上がったときに、それが「サービスの物的生産性が向上したからそれにともなって値段が上がった」と考えるのか、「サービス自体はなんら変わっていないのに、ただ値段が上昇した」と考えるのか、最終的な決め手はないのではないでしょうか。

このあたり、例の生産性上昇率格差インフレの議論の根っこにある議論ですよね。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/post-0c56.html(誰の賃金が下がったのか?または国際競争ガーの誤解)

経済産業研究所が公表した「サービス産業における賃金低下の要因~誰の賃金が下がったのか~」というディスカッションペーパーは、最後に述べるように一点だけ注文がありますが、今日の賃金低迷現象の原因がどこにあるかについて、世間で蔓延する「国際競争ガー」という誤解を見事に解消し、問題の本質(の一歩手前)まで接近しています。・・・・・

国際競争に一番晒されている製造業ではなく、一番ドメスティックなサービス産業、とりわけ小売業や飲食店で一番賃金が下落しているということは、この間日本で起こったことを大変雄弁に物語っていますね。

「誰の賃金が下がったのか?」という疑問に対して一言で回答すると、国際的な価格競争に巻き込まれている製造業よりむしろ、サービス産業の賃金が下がった。また、サービス産業の中でも賃金が大きく下がっているのは、小売業、飲食サービス業、運輸業という国際競争に直接的にはさらされていない産業であり、サービス産業の中でも、金融保険業、卸売業、情報通信業といたサービスの提供範囲が地理的制約を受けにくいサービス産業では賃金の下落幅が小さい。

そう、そういうことなんですが、それをこのディスカッションペーパーみたいに、こういう表現をしてしまうと、一番肝心な真実から一歩足を引っ込めてしまうことになってしまいます。

本分析により、2000 年代に急速に進展した日本経済の特に製造業におけるグローバル化が賃金下落の要因ではなく、労働生産性が低迷するサービス産業において非正規労働者の増加及び全体の労働時間の抑制という形で平均賃金が下落したことが判明した。

念のため、この表現は、それ自体としては間違っていません。

確かにドメスティックなサービス産業で「労働生産性が低迷した」のが原因です。

ただ、付加価値生産性とは何であるかということをちゃんと分かっている人にはいうまでもないことですが、世の多くの人々は、こういう字面を見ると、パブロフの犬の如く条件反射的に、

なにい?労働生産性が低いい?なんということだ、もっとビシバシ低賃金で死ぬ寸前まで働かせて、生産性を無理にでも引き上げろ!!!

いや、付加価値生産性の定義上、そういう風にすればする程、生産性は下がるわけですよ。

そして、国際競争と関係の一番薄い分野でもっとも付加価値生産性が下落したのは、まさにそういう条件反射的「根本的に間違った生産性向上イデオロギー」が世を風靡したからじゃないのですかね。

以上は、経済産業研究所のDPそれ自体にケチをつけているわけではありません。でも、現在の日本人の平均的知的水準を考えると、上記引用の文章を、それだけ読んだ読者が、脳内でどういう奇怪な化学反応を起こすかというところまで思いが至っていないという点において、若干の留保をつけざるを得ません。

結局、どれだけ語ってみても、

なにい?労働生産性が低いい?なんということだ、もっとビシバシ低賃金で死ぬ寸前まで働かせて、生産性を無理にでも引き上げろ!!!

とわめき散らす方々の精神構造はこれっぽっちも動かなかったということでしょうか。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2013/04/post-fcfc.html(労働生産性から考えるサービス業が低賃金なワケ@『東洋経済』)

今年の東洋経済でも取り上げたのですけどね。

「日本の消費者は安いサービスを求め、労働力を買いたたいている。海外にシフトできず日本に残るサービス業をわざわざ低賃金化しているわけだ。またその背景には、高度成長期からサービス業はパート労働者を使うのが上手だったという面もある」(労働政策研究・研修機構の濱口桂一郎統括研究員)

こう考えると、サービス業の賃金上昇には、高付加価値化といった産業視点の戦略だけでなく、非正社員の待遇改善など労働政策も必須であることがわかる。「サービス価格は労働の値段である」という基本に立ち戻る必要がある。

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非正規雇用の歴史と賃金思想@『大原社会問題研究所雑誌』1月号

Image1『大原社会問題研究所雑誌』2017年1月号が「非正規雇用と生活保障」という特集を組んでおりまして、そこにわたくしが「非正規雇用の歴史と賃金思想」という論文を寄稿しております。

http://oisr-org.ws.hosei.ac.jp/oz/contents/?id=2-001-0000019

【特集】非正規雇用と生活保障

特集にあたって野依智子

非正規雇用の歴史と賃金思想 濱口桂一郎

「家族賃金」観念の形成と歴史的意義 野依智子

非正規職シングル女性が直面する困難と社会的支援ニーズ 植野ルナ

恐らく読まれた方が若干疑念を感ずるのではないかと思われることについて、一言申し上げておきます。

この論文は、そのかなりの部分が『日本労働研究雑誌』2016年7月号に載せた「性別・年齢等の属性と日本の非典型労働政策」と重なっています。こちらも「性別・年齢と非典型雇用」という特集のために寄稿したものですが、その特集の趣旨が殆どダブっているのです。

実は、大原雑誌の依頼を受けたのはJIL雑誌の刊行の少し前で、もうすぐ同じような内容の論文が出るのですと申し上げたのですが、それでもよいから書いて欲しいということでしたので、できるだけデータを少しずつ変えたりして違う体裁にするよう努力して原稿を送ったという経緯があります。

http://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2016/07/pdf/004-013.pdf (性別・年齢等の属性と日本の非典型労働政策)

趣旨は同じような論文ですが、若干へぇへぇと思われるようなことも書き込んでいますので、年末年始の読書の一冊に含めていただければ幸いです。

はじめに
1 非正規雇用の歴史
(1) 戦前の臨時工
(2) 戦後の臨時工
(3) 主婦パート
(4) 学生アルバイト
(5) 派遣労働者
(6) 嘱託
(7) 契約社員
(8) フリーター
(9) ガテン系請負・派遣労働者
(10) 同一労働同一賃金の復活
2 賃金思想の展開
(1) 生活給思想の確立
(2) 職務給の唱道と失速
(3) 「能力」という万能の説明
(4) 「能力」と生活の整合とねじれ
おわりに

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hisamo99さんの拙著評

Img_752f5d874047328e26f434ce08fbda5 ブクログで、hisamo99さんが拙著『働く女子の運命』を評されています。

http://booklog.jp/users/hisamo99/archives/1/4166610627

この著者の新書を何冊か読んだことがあるが,どの本も説明がわかりやすく説得的であった。今回の本もどうようでわかりやすく説得的であった。この著者のように複雑なこともきっちり整理できるようになりたいと思った。

今回は,日本の女性労働の歴史であったが,日本の雇用の歴史も同時に振り返ることができた。

最後のほうで,女性の労働を論じるにあたって非正規雇用をとりあげなかった理由が述べられているところで,非正規雇用だけで1冊書けるとあったので,非正規雇用をテーマとした次作が出ることを期待したい。

ありがとうございます。今のところ、非正規雇用をテーマにした本を出す予定はありませんが、今年末に出る『大原社会問題研究所雑誌』2017年1月号に「非正規雇用の歴史と賃金思想」という論文を寄稿しております。日本の非正規雇用の歴史を概観しておりますので、もしご関心があれば一読いただければ幸いです。

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セリーナ・トッド『ザ・ピープル イギリス労働者階級の盛衰』

08514_big昨日の水島さんの『ポピュリズムとは何か』に、オーエン・ジョーンズの『チャブス』という本が出てきましたが、これはまだ翻訳はないようなので、若干似たような問題意識の本ということで今年8月に翻訳が刊行されたセリーナ・トッド『ザ・ピープル イギリス労働者階級の盛衰』(みすず書房)を紹介しておきます。

http://www.msz.co.jp/book/detail/08514.html

「産業革命のあいだ労働者階級は〈みずからの形成に立ち会っていた〉。炭坑労働者と職人は自分たちの利益を促進するために団結し、雇用主の利益に異を唱えた。しかし、ほとんどのイギリス人が自分たちは労働者階級であり、政治家と新聞から労働者階級として扱われていると認識するようになるのは20世紀になってからだった。労働者階級が〈人びと〉となり、その利害がイギリス自体の利害と同義となったのも20世紀において――とりわけ第2次世界大戦中と戦後――であった」。

「ゆりかごから墓場まで」の福祉先進国から「社会なし」「オルタナティブなし」の新自由主義先進国へ。1910年以来1世紀、ピケティのU字曲線上を「人びと」はどう生きてきたか。「自分たちの置かれた状況にいかに適応し、抵抗し、またいかにその状況を変えていったのか」。等身大の名もなき労働者群像が織りなすイギリス現代史。第2版後記「わたしたちの現状 2011-2015」収録。

第1部は労働者が「召使い」であった時代、第2部は労働者が「ザ・ピープル」になった時代、そして第3部はその栄光が再び奪われた時代という三部構成で、この100年間のイギリス労働者の社会史を描き出しています。

訳者あとがきがみすず書房のサイトにアップされているので一部引用しておきます。EU離脱が彼ら「奪われし人々」にとって何を意味したのか、考えさせる記述です。

・・・『ザ・ピープル』でトッドが描き出しているのは、働くふつうの人びとが自分たちの暮らしと労働を自分たちの手でコントロールするためにつくる労働組合(トレイズユニオン)をはじめとした結びつき(ユニオン)の歴史である。近所や地域のつながりを通して、労働運動を通して、戦時下の扶けあいを通して、また労働党を媒介とした福祉国家体制の確立によって、人びとの「ユニオン」は格差の縮減に寄与してきたが、グローバル化と新自由主義化が進むにつれてこうした「ユニオン」は抵抗勢力の元凶であるとされ、個人主義化と格差拡大に拍車がかかった。
そうした文脈においてEUや連合王国という「連合(ユニオン)」の危機が皮肉に響くのは、連合内部の「体制側の者たち」――エリート層やビジネス界、あるいは連合王国で言えばイングランド――が人びとの「ユニオン」を軽んじ、エスタブリッシュメントとふつうの人びとやイングランド以外の地域との分断を進行させた結果、「連合」破綻の危機を招来してしまったからである。

イギリスのEU離脱にしてもスコットランドの連合王国からの独立にしても、それによって期待されているのは自分たちの問題は自分たちの手でコントロールできるようになることである。これをナショナリズムや民族主義という言葉で説明することはたやすいが、離脱や独立を求めることが必ずしも移民の排斥や民族的アイデンティティへの固執を意味するのではないことには注意すべきである。
むしろ、EUやイギリスという「連合」が人びとの分断を進める排他的(エクスクルーシブ)なものであるのに対し、スコットランドの独立を求める自治政府与党の政策に明確に示されているように、ふつうの人びとにコントロールする力を与える福祉国家的政策の遂行によって格差を縮めつつ、ヨーロッパという大きなつながりに与してゆこうとする包摂的(インクルーシブ)な姿勢がそこにあることは看過されるべきではない。 ・・・

そう、EU労働法の研究なんぞしていると、毎回毎回大文字のユニオンが繰り返し出てくるんですね。それがどういう「ユニオン」なのか、考えさせられます。EUの前身のECも、毎回毎回大文字のコミュニティが出てくるのも、どういう「コミュニティ」なのか考えてみれば皮肉だったのかもしれませんが。

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水島治郎『ポピュリズムとは何か』

102410時宜に適したという言葉が、今現在これほどどんぴしゃに当てはまる本はないでしょう。水島治郎さんより新著『ポピュリズムとは何か 民主主義の敵か、改革の希望か』(中公新書)をお送りいただきました。いつもありがとうございます。

http://www.chuko.co.jp/shinsho/2016/12/102410.html

イギリスの国民投票でEU離脱が多数を占め、アメリカではトランプが大統領に当選するという「アヌス・ホリビリス」の年末を飾るにふさわしい本ですが、例によってすっぽこすっぽこ刊行される粗製濫造新書と違って、そこはさすが中公新書、かつて『反転する福祉国家』でオランダモデルともてはやされるオランダの「影」の部分と、しかしそれが「光」と表裏一体であることを見事に浮き彫りにして見せた水島さんの手により、現代ポピュリズムを論じる際に必携の一冊となっています。

イギリスのEU離脱、反イスラムなど排外主義の広がり、トランプ米大統領誕生……世界で猛威を振るうポピュリズム。「大衆迎合主義」とも訳され、民主主義の脅威と見られがちだ。だが、ラテンアメリカではエリート支配から人民を解放する原動力となり、ヨーロッパでは既成政党に改革を促す効果も指摘される。一方的に断罪すれば済むものではない。西欧から南北アメリカ、日本まで席巻する現状を分析し、その本質に迫る。

第1章で、ポピュリズムをめぐる政治学的議論を概観し、それが近代デモクラシーの二つの原理のうちの一つを代表するものであり、ムフらのラディカル・デモクラシーと共通するものがあることを確認した上で、それがデモクラシーに寄与する面と脅威となる面の両面を持つやっかいな存在であることを論じ、第2章以後の歴史的記述と近年の動きの分析に移っていきます。

かつてはアメリカ大陸が中心だったポピュリズムがヨーロッパをその震源とするようになったのは高度成長終了後で、フランスやベルギーのように極右政治勢力が右翼的性格を薄めて移民排斥に移っていった国もあれば、オランダやデンマークのようにむしろリベラルゆえの反イスラムが人気を博した国もあります。このあたりは水島さんの得意な分野ですが、私自身今から20年前にベルギーに住んでいた頃、本書にも出て来るフラームス・ブロックがどんどん人気を得ていく姿を見ていたこともあり、改めて生々しい思い出が蘇りました。

第6章はイギリスのEU離脱を主導したイギリス独立党の分析ですが、そのサブタイトルが「置き去りにされた人々の逆転劇」。そう、本ブログでここのところ結構繰り返して取り上げているテーマですね。

この章からいくつか、脳裏に焼き付く一節を引用しておきましょう。

・・・とはいえ、このような社会的分断の存在が、直ちにイギリス独立党のようなポピュリズム政党の伸長を生み出すわけではない。むしろ問題は、既成の政党がいずれもこの分断状況から目を背け、中高年の労働者層を「見捨てて」きたことである。特に、従来労働者層の強い支持を受けてきたはずの労働党は、ブレアのもとで「ニューレーバー」と称する党改革を進め、コスモポリタン的で穏健な中間層の取り込みに走った。軸足を中道寄りに移すことは、中間層の支持を得る上では一定の効果を持ったが、其の半面、労働者層との距離が広がり、彼らの離反を招いた。・・・

・・・これらの「置き去りにされた」人々の声を代弁すると主張するファラージ自身は、私立学校出身で金融街で成功した、むしろエリート層に属する人物である。しかし彼は、パブでビールを飲む庶民的な振る舞いや言葉遣いで「置き去りにされた」人々に親しみを覚えさせることに成功した。・・・

そしてとりわけ、現在のイギリスで労働者層に向けられる眼差しがこうなっているという指摘。オーエン・ジョーンズの『チャブス』という本によると、

・・・現代のイギリスにおいて、失業の危機にあえぐ労働者階級に対する視線が、一層厳しさを増していることを明らかにする。近年語られてきた「階級なき社会」「今やみんなが中産階級」という言説は幻想に過ぎないのであって、現実には一部の人に富が集中する一方、格差と困窮が広がっていることを彼は指摘する。しかも自己責任原則が広まり、就労優先政策が浸透する中で、職につくこともままならない労働者階級の人々には「怠惰」とのレッテルが貼られ、社会的な批判が向けられている。・・・

・・・イギリス社会が「中産階級により、中産階級のための」社会となりはてる一方、労働者階級は邪悪な存在として扱われ、周辺に追いやられていく。・・・

・・・労働党がもはや労働者に背を向け、富裕層のための党に転じてしまった以上、労働者階級の立場を守り、しかも移民問題にも取り組んでくれる政党は、既成政党にはない。その閉塞感の中で、イギリス独立党をはじめとする排外主義的な政党や団体が救い主として現れ、労働者層の支持を集めているとジョーンズは指摘する。その意味でイギリス独立党の伸長は、中産階級の労働者層への「まなざし」のもたらした当然の結果であったのかも知れない。

そしてとりわけ胸に突き刺さるのは、今回の国民投票後にマスコミに溢れた離脱賛成者への批判的視線が、まさにこの「まなざし」を赤裸々に示すものであったというジョーンズの指摘です。

・・・知的生活とはほど遠いところにある、粗野でその日暮らしの人々、グローバルな時代に背を向け、狭い地方に閉じこもって移民や外国人を拒む、偏狭な人々。・・・

・・・離脱票を投じた彼らを非難することは、「ますます事態を悪化させるだけだ」と主張する。なぜなら、「離脱票を投じた人々の多くは、既に除け者にされ、無視され、忌み嫌われていると感じてきた」からである。

その彼らへの軽蔑こそが、今回の投票結果を生んだのであって、その軽蔑の念を一層強め、言語化したところで、問題は解決するどころか深刻化の一途をたどるだろう。・・・・

本ブログのコメント欄にも、この「まなざし」「軽蔑の念」をそれこそディナーパーティの泥酔客並みの言語水準で吐き散らし、問題を深刻化させたくて仕方がないように見える方がおられますね。

それはともかく、最後の第7章「グローバル化するポピュリズム」は、そのグローバル化が生んだ鬼子であるポピュリズムがグローバル化していくアイロニーを描いています。

同章の最後の項は「ディナーパーティの泥酔客」と題されています。いちいち胸に沁みるこの一節を是非熟読玩味して下さい。

ポピュリズムは、「ディナーパーティの泥酔客」のような存在だという。

上品なディナーパーティに現れた、なりふり構わず叫ぶ泥酔客。招くべからざる人物。その場の和やかな雰囲気を乱し、居並ぶ人々が眉をひそめる存在。しかしその客の叫ぶ言葉は、時として、出席者が決して口にしない公然の秘密に触れることで、人々を内心どきりとさせる。その客は、ずかずかとタブーに踏み込み、隠されていた欺瞞を暴く存在でもあるのだ。

デモクラシーという品のよいパーティに出現した、ポピュリズムという泥酔客。パーティ客の多くは、この泥酔客を歓迎しないだろう。ましてや手を取って、ディナーへと導こうとはしないだろう。しかしポピュリズムの出現を通じて、現代のデモクラシーというパーティは、その抱える本質的な矛盾を露わにしたとは言えないだろうか。そして困ったような表情を浮かべつつも、内心では泥酔客の重大な指摘に密かに頷いている客は、実は多いのではないか。

・・・泥酔客を門の外へ閉め出したとしても、今度はむりやり窓を割って入ってくるのであれば、パーティはそれこそ台無しになるだろう。

この厄介な珍客をどう遇すべきか。まさに今、デモクラシーの真価が問われているのである。

政治学者水島治郎の名台詞です。

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高齢者活躍支援協議会・シニアセカンドキャリア推進共催シンポジウム基調講演

去る10月27日に開かれた高齢者活躍支援協議会・シニアセカンドキャリア推進共催シンポジウムの報告書が同協議会のHPにアップされており、そこにわたくしの基調講演「変わる中高年の雇用環境」が載っていますので、紹介しておきます。

http://jcasca.org/uploads/photos1/44.pdf

Hama_2≪第1部 基調講演≫「変わる中高年の雇用環境」

●濱口 桂一郎(労働政策研究・研修機構 労使関係部門主席統括研究員)

日本の雇用システムの歴史

 まず、日本の雇用システムを歴史的に見ると、明治時代の労働市場は極めて流動的で、当時の職工は「渡り職人」と呼ばれていました。その後大正から昭和にかけて、一部の大企業で定期採用、定期昇給、55歳くらいで定年退職する仕組みがはじまりました。新卒のまっさらな若者に企業内で教育訓練し、昇進させるという勤続奨励的な諸制度です。これと同時によそ者を臨時工として差別扱いする仕組みも作られました。今日の非正規労働の出発点といえます。

 雇用システムが法令で事細かに定められたのは戦時下です。1943年以降、国家総動員法に基づく雇用統制と賃金統制が実施されました。地域別、業種別、男女別、年齢階層別に時間当たり賃金を公定するという仕組みで、年齢別賃金体系が法定されたわけです。しかもホワイトカラーとブルーカラーに同様の規制がかけられたのです。戦後これらは全て廃止されましたが、産業報国会の改編としての企業別組合が続々と設立され、彼らの主導によって1946年の電産型賃金体系をはじめ、年齢と扶養家族数で賃金を決める仕組みが確立しました。戦時中の賃金制度が再構築されたわけです。これは政労使三者が作り上げたシステムといえます。ちなみに、当時制定された労働基準法では、原案では「男女同一価値労働同一賃金」でしたが、労働組合側委員が「年齢差別を認めないなら定期昇給が不可能で日本の賃金制度を破壊する」と批判したため、「男女同一賃金」に落ち着きました。

 50-60年代は、政府・経営側が年功制を否定し、同一労働同一賃金に基づく職務給を唱道していた時代です。とりわけ、1960年の国民所得倍増計画は、終身雇用制・年功序列制の廃止や企業を超えた労働市場の形成を唱えていました。1967年に日本政府はILO100号条約(男女同一価値労働同一賃金条約)を批准していますし、1967年の雇用対策基本計画は、職業能力と職種に基づく近代的労働市場の形成を目指していました。興味深いことに、60年代の中高年雇用対策は、職種ごとに中高年の雇用割合を定める職種別中高年雇用率制度でしたが、日本の現実と合わず消えていきました。

 1970年代以降は年金とのからみで定年延長が主なテーマになり、いまや65歳までの継続雇用が企業に義務づけられています。高齢化の進み方を見れば、年金の支給開始年齢の再引き上げが政策にのぼるのは目に見えていますが、一方ではいまの65歳継続雇用もすでに問題が出始めています。再雇用における賃金引き下げ、正社員だけを対象にした制度でいいのか、高齢期の身体・精神能力の多様化にたいする対応、などなどです。

高齢者の雇用問題は中高年の雇用のあり方と一体化して考える必要あり

 ここで、日本型雇用システムの本質について考えてみましょう。鍵になるのは、「人」と「仕事」をどう結びつけるか?という点です。先に仕事を決めて、それに合う人を当てはめるのが欠員補充方式であり、私は「ジョブ型」と呼んでいます。これに対し先に人を決めて、それに合う仕事をあてはめるのが新卒一括採用方式で、私は「メンバーシップ型」と呼んでいます。別の言い方をすれば、日本は会社が人の束になっている「入社型社会」です。対して欧米は、会社は仕事の束、つまり仕事をするために人間を入れる「就職型社会」です。日本の実定法はジョブ型ですが、現実社会はメンバーシップ型で動いており、そのため戦後の裁判所は累次の裁判例でメンバーシップ型に合うように判例法理を構築してきました。

 日本では、言われた仕事をやる代わり、定年まで雇用が保障されます。会社にとっては何でもやらせられるメリットが大きく、働く側には、雇用が保障されているメリットが大きいという、互いに得をする関係が成り立っていました。

 ところが、1970年代の石油危機や90年代のバブル崩壊後は、中高年に的をしぼったリストラが横行し、年齢差別を廃止すべきだという問題が浮上しました。現在、再雇用で賃金が下がるのは、中高年のときに生産性につりあわないほどの高給になってしまい、それに対処しないで定年を延長したためです。

 かといって、いきなり年齢に基づかない社会にできるわけはありません。ただ、中高年にかなり矛盾が蓄積されてきたにもかかわらず、対症療法的にだましだましやってきました。ですから私は、中高年の仕事や雇用のあり方とその先の高齢者の雇用の問題を一体で見ていく必要があると思っています。

 私が数年来提唱しているのはジョブ型正社員です。正社員として就職できなかった若者やワークライフバランスを考える女性の受け皿と考えています。入り口から就職型にするのは難しいのですが、中高年層に就職型正社員の枠組みを用意します。ただし、教育訓練システムや生活保障などの困難な問題もあります。しかし問題があっても放ってはおけません。高齢者の雇用システムを考えるなら中高年のところまで含める見直しが不可避です。それが女性も活躍できる社会につながるはずです。

 

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藤田孝典『続・下流老人』

18665 藤田孝典さんの新著『続・下流老人 一億総疲弊社会の到来』(朝日新書)をお送りいただきました。

http://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=18665

「年収400万でも将来、下流に 」──半年で20万部を突破し、流行語にもなった『下流老人』は、一般に金持ちと思われていた高齢者の貧困を発見した。続く本書では、ますます深刻化する現状を辿りつつ、自分が下流化しないための解決策を提示する。

昨年6月に出た『下流老人』は「一億総老後崩壊の衝撃」という副題でしたが、今回は「一億総疲弊社会の到来」です。右のオビに示されているように、「死ぬ直前まで働く社会が始まる」とか「下流老人は過労で死ぬ」などというあおり文句が前面に出ており、老人が働かなければいけないということを最大の問題だと訴えているかのように見えます。

しかし、そこに焦点を絞ることは、最後の方で出てくる財源論や救済型ではなく共存型の再分配という発想と整合性がないのではないかと感じるところがありました。

お金を配るのではなく、リスクに対応する現物給付を充実させようというのであれば、老人なんだからどんなに高齢社会になっても働かないのが当たり前だという発想に簡単に安住できないのではないかと思われます。

もっとも、本の中ではそういう匂いは余り感じなかったので、このかなりえげつないオビの文句は、むしろそういう発想に親和的な読者を誘いたいという出版社側の発想なのかも知れませんね。

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矢野眞和・濱中淳子・小川和孝『教育劣位社会』

266523矢野眞和・濱中淳子・小川和孝『教育劣位社会 教育費をめぐる世論の社会学』(岩波書店)をお送りいただきました。ありがとうございます。

http://www.iwanami.co.jp/book/b266523.html

グローバリゼーションの時代,国と個人の未来を握るインフラである「教育」がますます重要性を増す一方,日本では公的支援が少なく,親負担主義が根強いのはなぜか.その答えに,税と社会保障の視点を含めた「世論」という新しい切り口から迫る,画期的な社会調査の分析と提言の書.

矢野さんや濱中さんの本は本ブログでも何回か紹介してきたところですが、本書は、そもそも何で日本では高等教育にお金を使おうという方向に政策が行かないのか、それは国民の気持ちがそんなもの大して意味ねえ、と思っているからじゃないのか、というあたりを、データで実証したものです。

「あなたは、さらに多くの税金が課せられることになったとしても、次の施策を積極的に進める必要があると思いますか。それとも、税金が増えるくらいなら積極的に進めなくてもいいと思いますか」という問いでいくつもの政策について聞いたところ、「医療・介護」分野は安定的に7割以上の者が税金を投入しても良いと答え、「年金」も比較的高いのに対し、「雇用」になると5-6割とかなり低くなり、それ以上に軽んじられているのが「教育」。

ところがそれも、義務教育の充実は6割以上なのに、上に行くに従って低くなり、「借金なしの大学進学機会の確保」や「社会人再教育の場の整備」は2-3割程度にまで落ちるという結果です。

こういう姿を本書は「教育劣位社会」と呼ぶわけですが、その背景にあるのが矢野さんの言う親負担主義であることも見易い道理です。

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貧困と「政治」のデジャビュ

ほっとぷらすの藤田孝典さんのツイートをめぐって稲葉剛さんが「反論」し、ネット上でプチ論争になっているようですが

https://twitter.com/fujitatakanori/with_replies

左翼やリベラルは、貧困問題を政治利用しないでほしい。「貧困を解消するために政治に働きかけるのではなく、政治を変えるために貧困問題を利用する」という転倒した構図が散見される。だから、政治活動は支持や力を持ちえないし、失敗してきているではないか。いつになったら自省するのか。

政治家や政党が貧困問題を利用するのは、百歩譲って理解する。しかし、現場の実践者や支援者までも目的を忘れて、政治を変えることのために貧困問題を利用するなら本末転倒である。思想・信条を押し付けず、真剣に貧困問題を解決するために考えてほしい。

左翼やリベラルが現場に軸足を置き、上部構造の政治と連結して「有機的知識人」であったのなら、日本の貧困問題、社会問題はここまで深刻でなかったことだろう。面倒くさがらずに、真面目な活動をしてほしい。

政治を変えるための基礎となる地道な社会運動や組織化(アソシエーション)、情報発信、福祉実践(ミクロの相談支援活動)もなく、一過性で貧困を取り扱うとか消費するとか、やめてほしいとずーっと言ってる。なかなか伝わらない。

個別名や団体名を挙げたらキリがないです。従前の政権批判や政治批判を目的化した社会活動に傾倒しているものが多く辟易しています。貧困問題は結局その道具なのです。「貧困問題を悪化させている政治が悪い」と言いたいだけの方が本当に多いです。貧困問題でなくても何でもよいのです。

よく考えてほしい。貧困の何がひどいか説明できるだろうか。誰がどんな風に苦しんでいたのか。貧困の人が多いけれど接したことはあるか。本当にできることは「安倍政権を許さない」を叫ぶだけか。それでその人は救われるか。自己満足ではないか。あなたは無力なのか。もう少し力があるのではないか。

http://inabatsuyoshi.net/2016/12/14/2587

・・・しかし、貧困問題に関わる団体や個人が「幅広い支持」を求めるあまり、今の政治の動きに対して「まずい」と思っていても沈黙をしてしまう、という傾向が生まれてはいないでしょうか。

カジノ法案や年金カット法案、生活保護基準の引き下げといった「政治的」な課題に対して意見を述べると、自分たちの活動が色メガネで見られるようになり、支持が広がらなくなってしまうのではないか、と恐れてしまう。「左派と見られるのが怖い」症候群とでも言うべき現象が広がりつつあるように、私には思えます。

政治が良くも悪くも貧困に対して現状維持の立場を取っているのであれば、国政の課題にはタッチせず、目の前のことに集中する、という姿勢も有効かもしれません。

しかし残念ながら、今の政治が貧困を拡大させ続けているのは明白です。一人ひとりの生活困窮者を支えていく現場の努力を踏みにじるがごとき政治の動きに対して、内心、憤りを感じている関係者は多いのではないかと思います。

そうであれば、貧困の現場を知っている者として、社会に発信をしていくべきではないでしょうか。団体での発信は難しい場合もあるかもしれませんが、個々人がSNSなどで意見を述べるのは自由なはずです。

貧困問題を本気で解決したいのであれば、「誰が貧困を拡大させているのか」という議論を避けて通ることはできないのです。

現場レベルで貧困対策を少しでも進めることと、将来にわたる貧困の拡大を防ぐために政治に物を申していくことは決して矛盾していません。

その両方に取り組んでいくことの重要性を改めて強調しておきたいと思います。

噛み合っているようで何となく話がずれてる感があるのですが、それはここで念頭に置かれている「政治」のイメージがずれているからでしょう。

藤田さんが想定しているのは、(稲葉さんがやってきたような)貧困を問題にする政治ではなく、ややカリカチュアライズして言えば、貧困なんて問題は本音ではどうでも良いけど、ナショナリズムとか排外主義とかといった大文字のマクロ政治における左右の対立図式における陣地取り合戦の手駒として貧困問題「も」使おうという「左翼やリベラル」(略して「リベサヨ」ですか)発想に対する違和感なのでしょうし、稲葉さんがその意義を説いているのは、まさにその貧困問題を解決する回路としての政治に積極的に関わるべきということなので、実のところはあんまりずれていないように思われるのです。

このあたり、最近のアメリカ政治やヨーロッパ政治の論点ともつながるところがあるのでしょうが、ここではむしろ意表を突いて、半世紀以上昔の日本の労働運動における「政治」をめぐる議論を振り返っておきます。

労働組合は本来労使関係という二者関係で活動するものであるとはいいながら、政治にも積極的に関わっていくことは、程度の差はあれ洋の東西を問いません。

一方で、労働組合の政治活動に対してはその本来の性格を逸脱するものだとして批判も繰り返されてきたところです。労働組合法第2条には、主として政治運動や社会運動を目的とするのは労働組合じゃないという規定もありますし。

その頃の一つの議論として、「政治」といってもいろいろある。少なくとも、労働者の労働条件や生活に関わるような問題を労使交渉以外のマクロ的回路を通じて解決しようとするという意味での「政治」と、それとは直接関係ない問題、当時でいえば反戦平和運動などの「政治」を分けて、前者は政治活動と言っても労働組合本来の活動だというような議論もありました。

集団的労使関係が沈滞した現在では殆ど話題にすら上らなくなって久しい議論ですが、今回の藤田・稲葉論争を見て、話の構図は同じだな、とデジャビュを感じたので、一言コメントさせていただきました。

(訂正)

下記コメント欄に稲葉さんご自身が書かれているように、稲葉さんの当該ブログ記事(12月14日)は藤田さんの一連のツイート(12月17日)の前に発表されたものであり、上記記述は間違っており、そもそも「ネット上でプチ論争になってい」たわけではありませんでした。

ネット上の「稲葉剛氏による藤田孝典氏への静かな反論に、概ね同意な件」という文章を鵜呑みにしたための間違いです。

http://ameblo.jp/morigutidaikon/entry-12229808675.html

その旨を明らかにし、誤解に基づくエントリを挙げたことを藤田さん、稲葉さん御両名に心よりお詫び申し上げます。

ただ、半世紀以上昔の労働組合の政治活動をめぐる議論の紹介にもまったく意味がないわけでもないと思いますので、その旨を明記した上で、本エントリは削除せずに残しておきたいと存じます。

(追記)

なんでそんなものを鵜呑みにしたのかというと、金子良事さんがこうつぶやいていたからなんですが、やっぱり自分で確認しなくちゃいけませんね。

https://twitter.com/ryojikaneko/status/810517164662865920

藤田君のツイートと渡辺君の反応と稲葉剛さんの反論を見比べながら、それぞれ言いたいことは分かるなあと思う。・・・

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欧州左翼は如何にして労働者階級を失ひしか

ここのところ、アメリカのトランプを題材にして論じられてきたことは、かなりの程度そのままヨーロッパでも言えるようです。ジョン・ロイド記者によるロイターの記事です。題して「欧州左翼は如何にして労働者階級を失ひしか」( How Europe’s left lost the working class)。

http://www.reuters.com/article/us-lloyd-left-commentary-idUSKBN13Y07B

ここでは冒頭の一節と最後の一節だけを引いておきますが、是非リンク先で読んでください。おそらく先進世界共通に直面する問題が摘出されています。

If parties of the left cannot appeal to the working class, what's their use? The 21st century may be the one in which the umbilical link between the main left parties and organized labor is broken in favor of a politics of identity, and a grasping after some form of direct democracy that translates desires and frustrations into instant policies. Lurking over this movement is the fear of such an unsustainable politics producing authoritarian leaders, especially if the economies of the Western states worsen.

もし左翼諸政党が労働者階級にアピールできないのであれば何の役に立つだろう?21世紀は主要左翼政党と組織労働運動の間の臍の緒で繋がった関係が壊れ、その代わりに好まれているのはアイデンティティの政治とそして欲望と不満を即席の政策に転換するいろんなかたちの直接民主主義への貪欲さだ。この動きの周りを彷徨くのは、とりわけ西欧諸国の経済が悪化するとともに、かかる持続不可能な政治が権威主義的な指導者を生み出すのではないかという恐怖である。

・・・Going global allowed the third-way leftists to enjoy real success -in the short term. But they were not magicians. Somebody had to lose in the competition against low wage, high tech economies not burdened with much democracy and with a rough way of handling strikes. The victims in this contest turned out to be Europe’s indigenous, unskilled and semi-skilled workers and their families. These were the people the left was supposed to protect; in fact, the left was perceived to have done the reverse. The anti-immigrant, anti-trade, anti-free market right now finds itself the repository of the hopes of men and women who see relief in their policies. That they are unlikely to get that relief will lead our societies into ever more stormy waters.

・・・グローバル化に乗っかることで第三の道型左翼は確かに成功した-短期的には。しかし彼らは魔術師ではなかった。誰かが低賃金との競争、民主主義やストライキの負担を負わないハイテク経済で敗者にならなければならなかった。この競争における犠牲者はヨーロッパの土着の未熟練ないし半熟練の労働者とその家族であることが明らかになった。彼らこそ左翼が守ると思われてきた人々だが、実際には、左翼はその逆をやってきたと思われている。反移民、反貿易、反自由市場の右翼は今や自らをその政策に救済を見る男女の希望の星と描き出している。彼らがその救済を得られそうもないことは、我々の社会をよりいっそうの波瀾万丈に導くであろう。

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GLOBIS 知見録で拙著書評

Img_752f5d874047328e26f434ce08fbda5 というわけで1年で4刷に達した『働く女子の運命』ですが、 GLOBIS 知見録というところで丁寧な書評をいただきました。グロービス経営大学院をやっているところですね。

http://globis.jp/article/4988

そこの、グロービス ファカルティ本部 主任研究員で女性リーダー育成プログラム等の講師をされている許勢仁美さんが書かれているのですが、冒頭

この本は、タイトルがややこしい。「働く女子」とか「運命」とか。私と同じように、タイトルから敬遠された方も多いのではないか。出版から一年、既読者から勧められて手にとってみると、自分の置かれてきた環境に「なるほど、そういうことだったのか!」と膝を打つような納得感が大いに得られた。敬遠するのはあまりにもったいなく、今回取り上げたい。・・・・

あらら、タイトルで敬遠されてしまってましたか。それは残念、というか、タイトルって難しいなあ、と。むしろ、『日本における女性労働の歴史と日本型雇用システムの本質』みたいないかにもなタイトルでは誰も手に取ってくれないだろうから、ちょいとキャッチーな感じで『働く女子の運命』にしたという面があるんですが、それが逆に真面目に考える人にはバリアになっていたわけですね。

で、読んでみたら「「なるほど、そういうことだったのか!」と膝を打つような納得感が大いに得られた」というのですから、タイトルは重大です。

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『働く女子の運命』第4刷

Img_752f5d874047328e26f434ce08fbda5 というわけで、本日文藝春秋社より拙著『働く女子の運命』第4刷が届きました。

昨年12月に世に送り出してから、ちょうど1年で4刷となるというのは、それほど多くの皆さんが本書を読んでいただいたことのたまものです。心より感謝申し上げます。

この1年間にマスコミや各種ブログ、ツイッター、書評サイト等でいただいた本書への批評をここにまとめておりますので、ご参照ください。

http://hamachan.on.coocan.jp/bunshunbookreview.html

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同一労働同一賃金の実現に向けた検討会中間報告

本日、同一労働同一賃金の実現に向けた検討会の中間報告が公表されたようです。

http://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-11601000-Shokugyouanteikyoku-Soumuka/0000146064.pdf

これに「参考資料」と称するものが付いているのですが、これが検討会委員の皆さんの意見で、それこそ最高裁判決にくっついている意見のような感じですが、読んでいくとそもそも論的なレベルで意見がかなり分かれていることがわかります。

中間報告に書いたのでと言って自分の独自の「意見」を書いていないのは水町さんだけで、逆に言うと、他の委員の皆さんは水町理論に余り納得していないような感じですね。

現段階で同一労働同一賃金の理論的問題には余り突っ込むことはしないでおきますが、労使関係論的観点から見て一番同感できるのは、やはり神吉知郁子さんのこの言葉でした。

・・・・第二に,労使の自主的な点検・改善を促す方法がある。非正規労働者の待遇の決定にあたり,労使協議や交渉をおこない,非正規労働者の利益も公正に反映したものであるときは,パート法8条や労働契約法20条の「その他の事情」において,たとえば労働契約法10条のように,不合理と認められない方向での考慮要素として明記することも考えられる。このような手段は,非正規の利益を考慮した労使交渉による労働条件設定であれば不合理との評価を受けないとの予測可能性を高め,法的安定性をもたらす。同時に,特に使用者に対して,不合理な格差とならない労働条件設定に向けた真摯な交渉を行うインセンティブを与えることにもつながっていく。

集団的労使関係という契機を抜きにした過度に法曹的、法学者的な議論だけでこの問題が進められることにならないことを望みたいと思います。

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大内伸哉さんのオピニオンペーパー 「AI時代の雇用の流動化に備えよ」

大内伸哉さんの『季刊労働法』の論文とかなり重なるオピニオンペーパーがNIRA総研のサイトにアップされています。

http://www.nira.or.jp/pdf/opinion27.pdf

来年1月にも出る『AI時代の働き方と法』の先行版ということなのでしょう。

ここで言われている諸現象については、ヨーロッパでは結構検討が進んでいて、私も昨年4月には『労基旬報』に載せた小文で若干紹介していますが、

http://hamachan.on.coocan.jp/roukijunpo150425.html(「EUの新たな就業形態」 『労基旬報』2015年4月25日号)

 労働問題における「新たな就業形態」という言葉自体が既に数十年来の歴史を経てきており、全然新しくはありませんが、同じタイトルがついているからといっていつまでも同じ内容であるわけではないというのも、また世の習いかも知れません。伝統的な「新たな就業形態」といえば、フルタイムに対するパートタイム、常用に対する有期、そして直接雇用に対する派遣という三点セットであるわけですが、これら3類型に対して既にEU指令で一定の規制を課してきているEUにおいて、もう一段新しい「新たな就業形態」が注目されつつあるようです。
 EUの労働問題のシンクタンクである欧州生活労働条件改善財団(ダブリン財団)が2015年3月12日に公表した『新たな就業形態(New forms of employment)』という報告書は、近年欧州諸国で拡大しつつある9種類ものより新たな就業形態を一つ一つ細かく分析し、今後の行方を検討していて、日本にとっても大変参考になります。ここでは紙幅の関係でごく簡単にしか紹介できませんが、詳しく知りたい方は、是非、
http://www.eurofound.europa.eu/publications/report/2015/working-conditions-labour-market/new-forms-of-employment
に全文アップされている報告書をご覧ください。
 本報告書が示している新たな就業形態とは次のようなものです。
・従業員シェアリング:企業が同じ従業員をシェアするという意味です。ある個別労働者がさまざまな企業の人材ニーズに対応するために、使用者集団によって共同に雇用され、それらを合わせると労働者にとっては常用フルタイム雇用になるという仕組みです。共同雇用といっても出向とか派遣とかではなく、ある労働者の時間の異なるパートタイム労働を複数の企業が分け合うということですね。
・ジョブシェアリング:こちらは以前から有名ですが、使用者が特定の職務(ジョブ)を遂行するために複数の労働者を雇用し、複数のパートタイム労働者を組み合わせてフルタイムのジョブになるという仕組みです。日本では職務(ジョブ)の感覚が希薄なので、ワークシェアリングと区別がつきにくいのですが、複数の労働者が一つのジョブをシェアするということです。
・臨時派遣経営者(interim manegement):インテリムというのは仏語圏で派遣労働のことですが、特定のプロジェクトや特定の問題を解決するために高度専門的な経営管理者を派遣するというビジネスです。これにより、企業組織の中に外部の経営能力を統合することができるようになります。
・カジュアル労働:これは、特定の労働時間を定めず、使用者の呼び出しに応じて労働する契約(「オンコール労働」)であり、呼び出しがなければ労働時間がゼロ時間ということもありうるので「ゼロ時間労働」とも呼ばれます。使用者にとっては常時遂行すべき業務を提供する必要がなく、その間賃金を払う必要がないので究極のフレクシビリティと言えます。その点では個人請負に限りなく近いのですが、その労働内容そのものは指揮命令下の雇用労働であるという点で、請負でもないのです。
・ICTベースのモバイル労働:これは日本でも近年話題になっていますが、情報通信技術を駆使して、いつでもどこでも職務を遂行するというものです。スマートフォンやタブレットの普及は全世界共通ですから、労働を時間的空間的な枠組みの中で考えることが次第に困難になってきつつあるという現象も、やはり全世界共通なのでしょう。
・バウチャーベースの労働:日本では一時教育バウチャーが話題になりましたが、EUでは福祉関係で注目されているようです。料金や社会保険料をカバーする公的機関が発行した福祉バウチャーによって個々の福祉サービスが提供されるのですが、そのケア労働者の雇用関係がバウチャーによる支払いに基づいているという仕組みです。日本でいえば、看護婦家政婦紹介所の仕組みでは各家庭が使用者になるのと同じで、それをバウチャー制で公的に担保しているのですね。
・ポートフォリオ労働:こちらは雇用労働ではなく自営業ないしフリーランスで、多数の顧客のために一つ一つは小規模の労働を提供するという仕組みです。
・クラウド労働:オンラインのプラットフォーム上で使用者と労働者をマッチさせるものですが、とりわけ非常に大きなタスクを細かく分けてお互いにネット上でしか知らない「バーチャル・クラウド」の労働者に配分するという点に着目してクラウド労働と呼ばれています。
・協同労働:これはフリーランスや自営業者、零細業者などが、協同して大規模な事業を遂行するというもので、協同組合という形をとることもあります。
 本報告書はそれぞれについて、その特徴を解説した上で、労働条件への含意や労働市場への含意を検討しています。既に日本でも目につくようになっている形態もあれば、そうでないものもありますが、将来の労働法政策を考えていく上で、こういった就業形態への目配りはますます重要となってくることは間違いないでしょう。

いよいよ日本でも労働法学の観点から本格的な検討が進められるべき時期になりつつあると思われます。

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「公益通報者保護制度の実効性の向上に関する検討会」最終報告書

年の瀬ということで、法改正に向けた建議だの報告書だのが続々と出ておりますが、昨日は、消費者庁の「公益通報者保護制度の実効性の向上に関する検討会」最終報告書が公表されています。

http://www.caa.go.jp/planning/koueki/chosa-kenkyu/files/koujou_161215_0003.pdf

概要はこちらなので、こっちを見た方がわかりやすいでしょう。

http://www.caa.go.jp/planning/koueki/chosa-kenkyu/files/koujou_161215_0002.pdf

B1


さっそく連合が談話を出しています。

https://www.jtuc-rengo.or.jp/news/article_detail.php?id=867

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『POSSE』Vol.33

Hyoshi33その『POSSE』Vol.33も届きました。既に紹介しているように、特集は「働き方改革「技術ユートピアの幻想」」で、冒頭からAIの話です。

http://www.npoposse.jp/magazine/no33.html

このうち面白いのは「AIで、日本の労働、社会はどう変わるのか」という覆面座談会。なぜ覆面にしているのかよくわかりませんが、AIの導入によってこれまでの日本型雇用がどういう方向に向かうかについても相対立する考え方が示されたりしています。

POSSEらしい視角から論じているのは今野さんの「AIと労働についての検討」で、たとえば外食・小売については、

・・・ここにAIが導入されたらどうなるだろうか。まず、レジなど単純化された業務の多くをロボットが担うことになるだろう。・・・

一方で、この解放は「完全」なものにはなりえない。人間にしかできない顧客対応や、突発的な事態への対応が残るからだ。例えば、顧客へのクレームに対応するための人員は必ず必要になる。・・・

このため、この「残った労働」はまた、最小限の人員でこなすことが求められるだろう。ある地域には数人の社員だけが配置され、クレーム対応や不具合に奔走する。まったく家にも帰れない。このような事態が容易に想像される。「労働は減るが、長時間労働は減らない」のである。・・・

まして、雇用量そのものが機械によって減少する中では、「残った苛酷な仕事」に人々が殺到し、ますますブラック企業の人材「使い潰し」経営に拍車をかける可能性もある。・・・

というような灰色の未来図を描いて見せています。

まあ正直、誰もが手探りで議論しているような分野であるだけに、全体として焦点が絞り切れていない感もありますが、POSSEとしてあえてこのテーマに挑戦した心意気はみんなで褒めてあげるべきでしょう。

ちなみに今号のトリビア大賞は、「労働と思想33 アリストテレス ―幸福・労働・エンハンスメント 立花幸司(熊本大学准教授)」の冒頭での、ヒロポン(覚醒剤)の語源でした。「疲労をポンと取る」からヒロポンというのは俗説であって、英語名「Philopon」の元はギリシャ語の「フィロポノス(philoponos)」(労苦を愛する、労苦を厭わない、勤勉な)なんだそうです。

へぇへぇへぇ。

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『季刊労働法』255号

255_hp『季刊労働法』255号が届きました。先日紹介したとおり、特集は「低成果労働者の人事処遇をめぐる諸問題」です。

http://www.roudou-kk.co.jp/books/quarterly/4591/

ですが、その時も述べたとおり、論文も大御所による力作が並んでいて、いずれもなかなか読み応えがあります。

掲載論文の中で面白いなと思ったのは、

フランチャイズ・システムにおける労働組合法上の使用者―店舗従業員に対するフランチャイザーの労組法上の使用者性― 同志社大学教授 土田道夫 京都府労働委員会 武内 匡

です。ご承知の通り、岡山と東京の地労委でセブンイレブンとファミリーマートのフランチャイジー(店主)を労組法上の労働者と認める決定が出ていて、議論を呼んでいるのですが、この論文は、それならそのフランチャイジーに雇われている労働者にとって労組法上の使用者はどうなるの?今までの考え方ではそっちはやっぱり店主であって、フランチャイザーじゃないということになるけど、それで良いの?というある意味素朴な疑問を提起し、それを猛然と突き進んでいます。とても面白かったので是非ご一読を。

大内さんのは、これは来年1月に出る予定の『AI時代の働き方と法』(弘文堂)の予告編ですね。このトピックは、もう一つの雑誌『POSSE』33号で特集されているので、そっちで取り上げますね。

なお、わたしの「船員の労働法政策」はいかにもニッチな分野に見えますが、陸上労働法だけ見ていると見えてこないいろんな視角がちらちらと垣間見える領域でもあるので、もし時間があればじっくりと読んでいただけると有り難いです。

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働き方に関する政策決定プロセス有識者会議 報告書

昨日、「働き方に関する政策決定プロセス有識者会議」の報告書が公表されています。

http://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-12601000-Seisakutoukatsukan-Sanjikanshitsu_Shakaihoshoutantou/0000145867.pdf

注目の労政審の見直しについては、既に新聞等で報じられているように、三者構成ではない有識者による「労働政策基本部会」を設置することが一つのポイントです。

しかし、働き方やそれに伴う課題が多様化する中、旧来の労使の枠組に当てはまらないような課題や就業構造に関する課題などの基本的課題については、必ずしも公労使同数の三者構成にとらわれない体制で議論を行った方がよいと考えられる。
これを踏まえ、基本的な課題については新たな部会(「労働政策基本部会(仮称)」(以下「基本部会」という。))を本審の下に設置し議論することとする。
基本部会は、公労使同数の三者構成ではなく有識者委員により構成するものとし、課題に応じて高い識見を有する者を選任する。この中には、企業や労働者の実情を熟知した者も含めるものとする。委員は有識者として個人の識見に基づき自由闊達な議論を行うものとし、また、そのような者を選任する。基本部会においては、委員からの課題の提起を受けて議論を始めることもあり得る。
また、ほとんどすべての法律の制定・改正を労政審で議論するということは、我が国が批准しているILO 条約で要請されているものを除くと法制度の実効性を確保する等の観点から慣行的に行われているものであるので、他の会議等から提言された課題については、課題の性質や議論の状況等を勘案しつつ、慣行を見直し、柔軟な対応を行う。

三者構成の例外であってもあくまでも労政審の枠組の中で行うということですね。実は今までも三者構成の審議会の議論の前段階として個別の有識者による研究会等による検討が行われることが多く、それの総合版という位置づけかもしれません。むしろ、規制改革会議や産業競争力会議など官邸主導になればなるほど、その部分がすっ飛ばされて、形式的な審議会の議論だけになる傾向もあったので、ちゃんと労働問題が分かった有識者によって「基本的な課題」を議論するステージを作るという趣旨ともとれます。

もう一つは、多様な意見の反映というところで、

分科会・部会及び本審の労使の委員の選任に当たっては、産業構造、就業構造等にできる限り配慮する(例えば、多様な年齢や雇用形態、商業・サービス業、医療・福祉、IT 関係等の委員を増やす。)。また、分科会、部会においては、課題によって、多様な意見、利害を反映させるため、労使団体の代表以外の臨時委員あるいは専門委員を臨時的に任命する。委員の任命で反映しきれない部分については、ヒアリング等を活用する。
あわせて、多様な意見・利害を反映させる観点から、情報通信技術の発展に応じてテレビ会議等に関する機器を整備しつつ、地方人材の登用を促進する。また、必要に応じて地方視察やホームページ等を通じた国民からの意見募集も積極的に活用する。

ここはこれ以上踏み込んでいませんが、どういうルートで委員を選任するのかは注目する必要があるでしょう。

ちなみに連合はさっそく談話を発表しています。

https://www.jtuc-rengo.or.jp/news/article_detail.php?id=866

雇用や労働に関する政策は、職場実態を熟知した労使が知恵を出し合い、議論・決定することが不可欠である。労使を抜きにしたプロセスで策定された政策は職場実態から乖離し、職場に根付かない。また、労使に政府または公益代表を加えた三者が政策決定プロセスに関与する「三者構成原則」はグローバルスタンダードでもある。報告書では「ほとんどすべての法律の制定・改正を労政審で議論する(中略)慣行を見直し、柔軟な対応を行う」ことも提起されているが、労政審の重要性とその根底にある「三者構成原則」は不変である。労政審で中長期的な課題を積極的に議論することは言うに及ばず、社会の多様な課題解決を進めるためにマクロな政策決定の場に労働者・労働組合の代表が参加し合意形成することこそ必要な方策である。

と原則論を述べた上で、

連合は、性別や年齢、雇用形態、企業規模、業種などにかかわらず、すべての働く者を代表するとの決意と覚悟をもって労政審の議論に臨んでおり、その姿勢は何ら揺らぐところはない。連合は引き続き非正規雇用労働者の組織化や未組織労働者の声を把握する活動を展開し、すべての働く者の代表として「働くことを軸とする安心社会」の実現に向けて積極的に議論に参画していく。

と述べています。いや、「決意と覚悟」はそうなんですが、足下でどれだけ「すべての働く者を代表」できているのか、というのがそもそもの問題であるんですよね。自信を持ってそう言える産別は数えるくらいしかないのが実情でもあるので。

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職業安定法改正の建議

昨日から今日にかけて、労働法改正に関わる建議等が立て続けに出されています。

とはいえ、昨日の育児休業を2年まで延ばすとか、今日の雇用保険の保険料や国庫負担を減らすとかは、内発的というよりも上から降ってきたところもあり、まあ仕方がないやみたいなところがあるのに対して、今日の「職業紹介等に関する制度の改正について」の建議は、昨年の青少年雇用促進法以来の求人者に対する規制の問題が全面展開されており、日本の労働市場法政策の一つの転換点となる可能性もあって、注目する必要があります。

http://www.mhlw.go.jp/file/04-Houdouhappyou-11654000-Shokugyouanteikyokuhakenyukiroudoutaisakubu-Jukyuchouseijigyouka/0000145617.pdf

とりあえず今日のところは、報告書のうち注目すべきところをコピペしておきます。

まず、青少年雇用促進法で新規学卒に限って導入された求人不受理の一般化です。

(3)求人及び求職の申込みの受理
ア 公共職業安定所、職業紹介事業者等が求人の申込みを受理しないことができる場合として、次の場合を追加することが適当である。
① 求人者が労働関係法令違反で処分・公表等の措置が講じられた場合(参考:若者雇用促進法関係法令)
② 求人者が、暴力団員、役員に暴力団員がいる法人、暴力団員がその事業活動を支配する者等に該当する場合
③ 求人者が、正当な理由なくイの求めに応じない場合
イ 公共職業安定所、職業紹介事業者等は、求人の申込みがア①又は②に該当するかどうか確認するため、求人者に報告又は資料の提出を求めることができるものとするとともに、求人者は、正当な理由がない限り、その求めに応じなければならないものとすることが適当である。

また青少年法の時は指針レベルであった労働条件の明示に関わる問題について。

5 労働条件等の明示、指導監督等
(1)労働条件等の明示
ア 求人者、労働者の募集を行う者及び労働者供給を受けようとする者は、労働契約の締結に際して提示しようとする労働条件等(職業安定法第5条の3第3項の書面等による明示が必要な事項に限る。)が、次の場合に該当するときは、その旨を、当該労働契約の相手方となろうとする者が認識できるよう書面等で明示しなければならないものとすることが適当である。
① 職業安定法第5条の3第1項の規定による当初の明示(以下「当初の明示」という。)において明示していなかった労働条件等を新たに提示しようとする場合
② 当初の明示において一定の範囲をもって明示した労働条件等を特定して提示しようとする場合
③ 当初の明示において明示した労働条件等と異なる内容の労働条件等を提示しようとする場合
イ 労働条件等の明示義務に係る明示事項について、次の措置を講ずることが適当である。
(ア)次の内容を明確化すること。
① 若者雇用促進法に基づく指針と同様に、固定残業代に係る計算方法、固定残業代を除外した基本給の額等を明示しなければならないこと。
② 期間の定めのある労働契約を締結しようとする場合は、当該契約が試用期間の性質を有するものであっても、試用期間満了後に締結する労働契約に係る労働条件ではなく、当該期間の定めのある労働契約に係る労働条件を明示しなければならないこと。
(イ)次の内容を追加すること。
① 試用期間に関して、次の内容
・ 試用期間の有無、試用期間があるときはその期間
・ 試用期間中と試用期間満了後の労働条件が異なるときはそれぞれの労働条件
② 労働契約を締結する求人者又は労働者の募集を行う者の氏名又は名称[一部再掲]
③ 派遣労働者として雇い入れようとする場合は、その旨

で、これの最後に、

(3)罰則
虚偽の条件を呈示して、公共職業安定所、職業紹介事業者等に求人の申込みを行った者について、罰則の対象とすることが適当である。

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部活の「ジョブ化」

東京新聞に興味深い記事が。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201612/CK2016121302000122.html(部活指導に「国家資格」 民間参加、教員負担減も)

学校の運動部の指導に外部人材の活用を進めて質を向上させるため、スポーツ指導者の新たな国家資格制度を創設する構想が浮上していることが十二日、関係者の話で分かった。実現すれば、教員の負担増や少子化が問題となっている中学校や高校の部活動が、民間クラブのコーチの参加促進によって活性化することが期待される。制度が定着すれば、現役を引退したトップ選手が資格を取得して指導できるとの声も出ている。・・・

・・・運動部の活動では、競技の専門知識を持たない教員が顧問を務めるケースが多く、教員の長時間労働の原因にもなっている。こうした状況を解決するため資格制度の制定構想が浮上。住民が主体となって運営する「総合型地域スポーツクラブ」や、学校近隣にある水泳や体操などの民間スポーツクラブの指導者を想定し、公的な資格を与えることで指導力や責任が明確になり、保護者の安心感にもつながることが期待される。・・・

本来学校の教師というのは典型的なプロフェッショナル職業の一つのはずですが、日本では、とりわけ中学校の教師というのは、およそ生徒に関わることなら何でもいつでもどこでもという、典型的な無限定労働になっているわけで、その一つの象徴が、部活の顧問という奴であることも繰り返し論じられているところです。

そこを攻めるのももちろん大事ですが、では生徒のスポーツ活動を誰がどういう形で担っていくべきなのか、という論点もきちんと詰めていく必要があるわけで、その意味ではこの議員立法の動きはなかなかいい方向なのではないかと思われます。

ここではもっぱらスポーツ系の部活だけが取り上げられているようですが、実は文化系や音楽系の部活にも同じことはあるはずなので、学校に関わるさまざまな仕事のいわば「ジョブ化」という方向で、いろいろな検討が進むことを期待したいと思います。

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「知的」で「誠実」な「りふれは」再掲

6年も前の、書いた本人も忘れかけていたエントリが、マシナリさんに引用されたようです。

http://sonicbrew.blog55.fc2.com/blog-entry-712.html(最悪の政治的手法)

これは釣られておかなければなりますまい。

・・・・「知的」で「誠実」であろうとすれば「りふれは」ではありえないというのは今に始まったことではないので今更取り上げるのも飽き飽きするところですが、10年以上にわたって整合性の欠如のブレなさっぷりを拝見できるのはもはや伝統芸と敬意を表さざるを得ませんね!!!!!(棒)

ということで、本ブログのこのエントリが引かれております。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/post-a897.html(「知的」で「誠実」な「りふれは」)

・・・その昔、こういう小咄がありました。

「知的」な「ナチス」は存在しうるが「誠実」ではあり得ない。

「誠実」な「ナチス」は存在しうるが「知的」ではあり得ない。

「知的」で「誠実」な者は存在しうるが「ナチス」ではあり得ない。

なるほど、これになぞらえて言えば、

「知的」な「りふれは」は存在しうるが「誠実」ではあり得ない。

「誠実」な「りふれは」は存在しうるが「知的」ではあり得ない。

「知的」で「誠実」な者は存在しうるが「りふれは」ではあり得ない。

ということでしょうか。

このエントリへの追記の中に、こんな一節もあり、懐かしさに胸が熱くなりました。

・・・引用していただいたおかげで、4年半も前のエントリを改めて自ら再読したわけですが、

・・・この頃は、ネット上では「構造改革 vs リフレ派」という(いまではインチキであったことが明白になってしまった)認識枠組みが多くの人々の心を捉えており、それに異を唱えるわたくしに対して、コメント欄に見られるような、目を覆いたくなるような無惨な誹謗中傷が雨あられと降りかかってきたわけです。

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『Works』139号

Worksリクルートワークス研究所の『Works』139号をお送りいただきました。

http://www.works-i.com/pdf/w_139.pdf

石原直子さん肝いりの「雇用再興」特集シリーズの3回目で、今回は「働く人の新しい“安心”を求めて」と題して、まずデンマークとオランダのフレクシキュリティモデルをじっくりと検討し、その後4人の識者の声を載せています。

はじめに

“長期雇用による安心”という一択からの脱却
個人が自由に、自律的に生きられる社会がある

●Section1 デンマークとオランダのフレキシキュリティからあらためて学ぶべきこと
1-1 デンマーク型フレキシキュリティは新しいチャレンジを可能にする
1-2 転職しても、挑戦しても大丈夫と思える理由
COLUMN 企業人事はこう見る 01 バング&オルフセン
COLUMN 企業人事はこう見る 02 ユスケ・バンク
1-3 オランダ型フレキシキュリティは働く時間を自律的に選択できる
1-4 なぜ「自分の都合で働く時間を選んでいい」と思えるのか COLUMN 企業人事はこう見る 03 NXP
COLUMN なぜ、デンマーク、オランダは幸福度が高いのか

●Section2 日本で新しい“安心”を提供するために考えるべきこと
2-1 ベーシック・インカムは人々の安心を高めるか/山森 亮氏(同志社大学経済学部 教授)
2-2 学びが必ず報われるように教育を変えられるか/冨山和彦氏(経営共創基盤 代表取締役CEO)
2-3 労働市場活性化のために解雇の柔軟化は有効か/鶴 光太郎氏(慶應義塾大学大学院商学研究科 教授)
2-4 パートタイム正社員は実現可能か/今野浩一郎氏(学習院大学経済学部経営学科 教授)

まとめ:フィクションを捨てマジョリティの安心を高める仕組みを/石原直子(本誌編集長)

鶴さんは例によって、日本で解雇が柔軟にできないのは規制のせいではなく無限定正社員が多いためだと、ちゃんと説明しています。

冨山さんも例によってG型、L型です。未だに、世の中のみんながエリートになれるかのごとき幻想を振りまくことでL型の働き方を貶しつける類の議論が横行していますが、そういう詐欺商法のお陰で食っている人にとっては、冨山さんみたいな議論は都合が悪いのでしょう。

特集の最後で石原直子さん曰く、

 経営共創基盤の冨山氏は、「国内の8割の人々がグローバルな活躍とは無縁に生きている、というのは世界中どの国でも同じ」と喝破する。このマジョリティの人々が安心して生を全うするにあたって、「大企業の(無限定)正社員にならなくては幸せになれない」という考え方は不必要である。冨山氏は、「それがフィクションであることに気づいていないのは、大企業の正社員だけ。それぞれの地元や地域に根ざして生きている人たちは、そもそもそんな虚構に巻き込まれることなく、幸せに生きている」とも指摘する。
 これは「日本型雇用の恩恵を受けられる人が限定されており、かつ、年々少なくなっている」という前提で語っている私たち編集部への警告でもある。

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ジョブ型社会のアキレス腱@WEB労政時報

WEB労政時報に「ジョブ型社会のアキレス腱」を寄稿しました。

https://www.rosei.jp/readers-taiken/hr/article.php?entry_no=605

私がこの数年間使ってきた「ジョブ型社会」「メンバーシップ型社会」という言葉は、私の想像を超えて広く使われるようになっているようですが、ちょっと気になるのはそれが何か一定の価値判断を含んだ概念であるかのようにとられることがあることです。

この概念は、あくまでも欧米の労働社会と日本の労働社会の特性を浮かび上がらせるためのものであって、一方が他方よりアプリオリ(編注:先験的)に優れているとか劣っているとかというような含意は全くありません。現在の日本の労働社会について、そのさまざまな病理を解決する手法として部分的にジョブ型正社員を導入するというやり方が考えられるのではないか、という示唆は何回かしていますが、そもそもジョブ型社会が絶対的に素晴らしいなどという議論はしていないつもりです。

ただ、本連載も含めて、どうしても取り上げる話題が日本の労働問題が中心になりがちなので、あたかもメンバーシップ型社会の問題点ばかりを指摘し、ジョブ型社会を称賛しているかのように見えてしまうのでしょう。 ・・・・・

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コーカン教授のアメリカ社会論

JILPTのサイトに、著名な労使関係学者であるコーカン教授(私はずっと「コーチャン」だと思ってきましたが、「コーカン」の方が正しいようです)の「大統領選挙と新たな「社会契約」の必要性」という文章が載っています。

ここ数週間本ブログでも折に触れ取り上げてきた問題に対し、鋭い分析を加え、今後の展望を示していて大変有用なのでご紹介しておきます。訳者の山崎憲さんによる解説付きです。

http://www.jil.go.jp/foreign/labor_system/2016/12/usa_01.html

11月に行われた大統領選挙は、交差する2本の大きな断層の存在を顕在化させました。この断裂を放置すれば、アメリカの歴史上前例のない社会的・経済的な大変動の時代を生み出す可能性があります。

第一に、断層は、人種、民族、ジェンダーの間に存在する深い分裂状態を明らかにしました。昨年来のイスラム教徒へのヘイトクライム(憎悪犯罪)の急増がその一つです。問題の解決のためには、いまも引き続き広がりつつある断層を修復するための不断の努力が必要です。そのためには、強力なリーダーシップと互いの困りごとにすすんで耳を傾けることが不可欠です。

第二に、断層は、不均衡をもたらす経済システムのなかで、取り残されていると感じ、自分の子供たちの生活水準が自分たちよりも下がることを恐れている人々の根深い失望と怒りとなって私たちの目の前にその姿をあらわすことになりました。

本稿の中心的なテーマは、こうした断裂を修復するための手がかりを示すことにあります。そのカギは、社会のあらゆるセクターの人々が協力して、質の高い雇用を生み出すとともに、すべての人々の賃金を再び増加させることにあるのです。つまり、お互いがお互いを思いやる相互尊重に基づく新たな「社会契約(Social Contract)」を今日の労働者の実状と経済のニーズに合わせたかたちで、再構築しなければならないのです。・・・・

・・・・・・実業界も労働界も教育界などの組織とその組織を構成する私たちはみな、何よりも、地域での現状改革運動、抗議運動、そして革新的な運動を促進する活動を鼓舞するように促し続けていくべきなのです。そして、そうすることこそが、やがてはワシントンの指導者たちに耳を傾けさせ、新たな「社会契約」の構築に向けた役割を果たさせるために必要なのだということを、歴史が教えてくれています。

引用は冒頭と最後の処だけですので、是非リンク先に飛んで、全文を読んでみて下さい。

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労働基準法は短く自由に働くことを規制していない

「生きた経済ブログ」というブログに、「「8時間労働教」という宗教」というエントリが書かれているのですが、

http://freedom-7.cocolog-nifty.com/blog/2016/12/post-f129.html

どうも、労働時間規制の基本構造をまったく理解しておられない、というか全く逆に理解しておられるようなので、二年前に書いた文章を棚卸ししなければいけないという気になりました。

このブログに曰く、

>

政府の「働き方改革」の影響もあってか、最近では残業時間云々の話をよく見かけるようになった。政府からは「残業時間の上限」を設定するとかいう話も出ており、賛否が分かれているようだが、どうもシックリとこない。この違和感の正体は何なのか?とよくよく考えてみると、残業の有無に拘らず、8時間は絶対的な労働時間として固定されているところにあるのだと思う。・・・

これだけではどう理解しているのかよくわかりにくいのですが、その後ろを読んでいくと、

・・・8時間の仕事を4時間でできる人は、4時間で仕事が完了しても帰ることができない。8時間分(通常の2倍)の仕事をやろうにも、そこまでの仕事が無い。加えて、2倍の仕事をしても給料が2倍になるわけでもない。そうなると、4時間でできる仕事をのんびりと8時間かけて行うことになる。これが、日本の企業の労働生産性が低い理由ではないかと思う。況して、上司の目を気にした無駄な残業などがあれば尚更だ。

少なくとも日本(に限らずどの国もそうですが)の労働時間規制とは、4時間で仕事が完了しても8時間経つまで帰ってはならないというような代物ではありません。とはいえ、こういう誤解は、政府の中枢の産業競争力会議の文書にすら平然と書かれるくらい世間一般の人々に共有されている誤解でもあります。

そこで、かつて政府部内で猛威をふるっていた産業競争力会議でそういう誤解に基づく文書が出されようとした時に、WEB労政時報に書いた小文の一部を、ここに再録しておきたいと思います。こういう基本的なことをわきまえないままに労働時間をめぐる議論が横行することが、実はこの問題をまともな方向に向かわせることへの最大の障害物になっているので。

https://www.rosei.jp/readers-taiken/hr/article.php?entry_no=215

・・・労働時間規制とはこれ以上長く働かせてはいけないと言っているのであって、仕事と育児を両立させるために(短い方向に)フレクシブルに働くことをなんら禁止も規制もしてはいません。労働保護法制と就業規則をごっちゃにしたような議論がまかり通ったことが、かつてのホワイトカラーエグゼンプションの議論を駄目なものにした最大の原因です。それなのに、いまだにこの後に及んで子育てや親の介護のために労働時間の規制緩和などという馬鹿げた議論が平然と出てくるのは信じられない思いです。

 おそらく、圧倒的に多くの人が勘違いをしていると思われることですが、労働基準法は労働者が出退勤時間を自律的に決めてはいけないなどと言っていません。もちろん、32条は1日8時間、1週40時間という「上限」を定めていますから、ある時刻になったらその上限を超えるという状況になればそこで労働をやめなければなりません。その意味では完全な自律は不可能ですが、少なくともその範囲内であれば、つまり1日8時間以内、1週40時間以内という条件の下であれば、その限りで出退勤時間を自律的に決めても32条違反にはなりません。

 大変多くの方が誤解していますが、労基法第4章の変形制だのフレックスだのみなし制だのさまざまな労働時間制度は、32条という刑罰法規の免罰規定であって、32条違反にならない仕組みであれば、つまり1日8時間を超えず、1週40時間を超えないという条件下で、言い換えれば短くなる方向でのみ自律的、裁量的な労働時間制度であれば、そもそも免罰する必要性がないので、労使協定も労使委員会の決議も必要なく、昔のままの労基法のままで実施することができます。もしそうではないというなら、そういう制度が労基法のどの条文に違反するのか教えていただきたいところです。

 ところが圧倒的大部分の経済学者や評論家は、国家が使用者に対して労働時間の上限「のみ」を規制している労働基準法の労働時間規制と、企業が労働者に対してここまではちゃんと働けよ、これより短く働くのはダメだぞ!と要求している就業規則との根本的な区別がわかっていないようです。

 就業規則の話をしているのなら、就業規則で定めた時間より短く働くためにはちゃんとした根拠規定が必要でしょう。

 しかし労働基準法は違います。名宛人は使用者です。1日8時間、1週40時間より短く働く限り、どんな働き方であろうが、法律違反ではありません。労働者が出退社時間を自律的に決められるためには、労働時間の上限規制を緩和する必要などないのです。その自律性が短い方向にだけではなく、長い方向にも及んで初めて、つまりそういう自律的な働き方が1日8時間、1週40時間を超えて初めて、32条違反の刑罰を免れるために一定の手続が必要になってくるに過ぎないのです。

 ですから、専門職やエリートサラリーマンを念頭に、長くなる方向に自律的な働き方を広げたいというのであれば労働時間規制を緩和する必要がありますが、ワークライフバランスのために、つまり家庭生活や個人の生活のためにというのであれば、その議論は見当外れなのです。

 筆者はこの数年間、ずっとそれを言い続けてきているのですが、こういう一番肝心なことはなかなか世の中に伝わっていかないようです。

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『DIO』321号

Dio 連合総研の機関誌『DIO』321号は、「 「loTやAIが描く社会」私たちの働き方・生活はどう変わる?」と、今現在の関心事を取り上げていますが、

http://rengo-soken.or.jp/dio/pdf/dio321.pdf

働き方の未来像~労働環境の変化と今後の労働組合のあり方~柳川 範之 ……………………4

人工知能論の世界と実際の仕事 中沢 孝夫 ……………………8

技術革新(第4次産業革命)と働き方の未来 宮原 千枝 ……………………12

この3人のうち、柳川さんと中沢さんのスタンスが対照的なんですが、どちらもやや違和感があるというか、先に結論ありきな感じがして、ちょっと違うんでないの?という感を拭えないものが。

正直言って情報労連の宮原さんのいささか地味な感じの文章が一番ぴたっときました。

前に本ブログで、欧州の労働組合に比べて日本の労働組合はこの手の問題に対する感度が鈍いのではみたいなことを書いたこともありますが、さすがに情報労連は問題意識があるようです。

Digi697x370 この関係で、日本の組合関係者に見ておいて欲しいのが、UNIEurope(欧州サービス労連)が先週12月5日に公表した「欧州のクラウドワーク」という報告書です。

http://www.uni-europa.org/2016/12/05/crowd-work-europe-rise-new-report/

最近日本でもクラウドワークをめぐる問題がいろいろ指摘されるようになりましたが、英独蘭墺瑞5カ国の実態を調べたこの報告書はその少し先の姿を考える上でいろいろ興味深いものがあります。

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『POSSE』Vol.33

Hyoshi33 POSSEのサイトにもう『POSSE』Vol.33の宣伝が載っていますね。

http://www.npoposse.jp/magazine/no33.html

特集は、働き方改革「技術ユートピアの幻想」、ということのようで、時代に見事に合ってますな。

政府の「働き方改革」でもAIの導入が議論されはじめた。

近い将来、AIが労働や社会を変容させる可能性が現実味を帯びてきている。

AIによってもたらされるのはユートピアなのかディストピアなのか。

本特集では、労働を中心に、AIによってどのような変化が社会にもたらされるのかを議論する。

その特集記事は、

◆特集「働き方改革「技術ユートピアの幻想」」

15分でわかるAIと労働・社会保障 本誌編集部

AIを人間にとって肯定的なものとする条件とは何か ドミニク・チェン(IT 起業家)×今野晴貴(NPO法人POSSE代表)

AIのもたらす技術的失業の大変動にどう備えるのか 飯田泰之(明治大学政治経済学部准教授)

覆面座談会 AIで、日本の労働、社会はどう変わるのか

ルポ 介護ロボットの登場は介護労働にどのような変化をもたらすか 本誌編集部

AIと労働についての検討 今野晴貴(NPO法人POSSE代表)

ということで、この覆面座談会がどういう人たちかよくわかりませんが、今話題の文春新書の井上智洋氏が出てくるのかな、と思ったら、その本の帯で絶賛してた飯田泰之さんが出てきているようです。

それ以外の単発記事は次の通りですが、読んでから紹介します。

◆単発

対談 〈変える〉ために 奥田愛基(大学院生)×大内萌(POSSE貧困世代チーム代表)

電通の過労死はなぜ繰り返されたのか 川人博(弁護士)

電通過労死事件とブラック企業問題の共通点と連続性 今野晴貴(NPO 法人POSSE 代表)

レイシズムに対抗するために 冨山一郎(同志社大学教授)

貧困バッシングにどう立ち向かうのか 宇都宮健児(弁護士)×今野晴貴(NPO法人POSSE代表)

しゃぶしゃぶ温野菜ブラックバイト訴訟における報道圧力 本誌編集部

エステティックTBCとの労働協約締結について エステ・ユニオンスタッフ

東北医療器械事件勝利和解の報告 本誌編集部

介護・保育ユニオンマスコットキャラクターの紹介

書評 稲葉剛著 『貧困の現場から社会を変える』渡辺寛人(ブラックバイトユニオン代表)

書評 渡辺憲正・平子友長・後藤道夫・箕輪明子編著 『資本主義を超える マルクス理論入門』本誌編集部

映画『ハドソン川の奇跡』評 大統領選前夜、イーストウッドが労働組合に委ねたもの 坂倉昇平(本誌編集長)

◆連載

知られざる労働事件ファイル No.7消費者を味方につけたストライキ闘争でパワハラ経営者の「追放」に成功 須田光照(全国一般東京東部労働組合書記長)

労働問題NEWS vol.7 「就労自立」の実態/「三六協定」見直し検討/今年の過労死・過労自死に関する報道 本誌編集部

若者の貧困のリアル vol.7 生活保護利用の背景としての家庭環境と適切な制度利用を拒む役所側の対応

ブラック企業のリアル vol.18 保育所

ともに挑む、ユニオン 団交file.14 「外国人留学生」北出茂(地域労組おおさか青年部書記長)

労働と思想33 アリストテレス ―幸福・労働・エンハンスメント 立花幸司(熊本大学准教授)

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季労はローパー社員特集!?

255_hpそろそろ『季刊労働法』の予告が出る頃かなとお考えの諸氏も多きことと存じますが、そろそろ出ました。なんとローパー社員特集だそうです。

http://www.roudou-kk.co.jp/books/quarterly/4591/

いや、正しくは「低成果労働者の人事処遇をめぐる諸問題」ですが、世間の俗語で言えばローパー社員という奴ですね。

「低成果労働者」の雇用をめぐる法的対応 九州大学名誉教授 野田 進

低成果労働者の解雇に関する最近の裁判例の動向 九州大学教授 山下 昇

低成果労働者に対する人事実務の対応 弁護士 杉原知佳

「公正人事指針」の意義と機能 韓国外国語大学法科大学院教授 李 鋌

公正人事指針 職務能力と成果中心の労働力運営のためのガイドブック 韓国外国語大学法科大学院教授 李 鋌

この中でとりわけ興味をそそられるのは李鋌さんによる韓国の公正人事指針なるものの紹介です。そろそろ退陣するらしい朴槿恵大統領の労働政策のレガシーとして、じっくり勉強したいと思います。

あと、論文も大御所による力作が並んでいます。

■論説■

企業組織の変動にかかる労働法制の問題点と整備課題 法政大学大学院客員教授 毛塚勝利

労働法のニューフロンティア?―高度ICT社会における自営的就労と労働法 神戸大学教授 大内伸哉

■研究論文■

フランチャイズ・システムにおける労働組合法上の使用者―店舗従業員に対するフランチャイザーの労組法上の使用者性― 同志社大学教授 土田道夫 京都府労働委員会 武内 匡

有期労働契約の雇止め規制:判例法理と労契法19条の解釈 専修大学教授 小宮文人

イギリス2016年労働組合法の成立 島根大学教授 鈴木 隆

台湾における解雇の金銭解決制度 世新大学副教授 李 玉春

大内さんの論文は、トピックとしては結構語られるこのテーマに対してどこまで本格的な労働法的な刃が食い込んでいるのか楽しみですし、その他の論文も食欲をそそりますね。

その他はこんなところですが、

■労働法の立法学 第45回■

船員の労働法政策 労働政策研究・研修機構主席統括研究員 濱口桂一郎

■アジアの労働法と労働問題 第27回■

2016年カンボジア労働組合法の日本語訳 大阪女学院大学教授 香川孝三

■文献研究労働法学 20回■

労働法が対象とする「労働者」概念 静岡大学准教授 本庄淳志

■判例研究■

海外勤務者に対する労働者災害補償保険法の適用 中央労働基準監督署長(日本運搬社)事件(東京高判平成28年4月27日判例集未掲載 ※原審:東京地判平成27年8月28日労経速2265号3頁) 日本学術振興会特別研究員(DC2) 早稲田大学大学院博士後期課程 林 健太郎

会社分割後の事業閉鎖を理由とする組合員の解雇と損害賠償請求 生コン製販会社経営者ら(会社分割)事件(大阪高判平27・12・11労判1135号29頁) 小樽商科大学准教授 南 健悟

■書評■

『労働契約成立の法構造 契約の成立場面における合意と法の接合』新屋敷恵美子著 評者 名古屋大学教授 和田 肇

『労働市場における労働者派遣法の現代的役割』本庄淳志著 評者 早稲田大学比較法研究所助手 鄒 庭雲

■キャリア法学への誘い 第7回■

能力開発促進の視座 法政大学名誉教授 諏訪康雄

●重要労働判例解説

降格・配転に異議を唱える労働者の就労拒否とカット分賃金請求の効力 ナカヤマ(配転命令無効確認等)事件(福井地判平28・1・15労判1132号5頁) 淑徳大学教授 辻村昌昭

精神障害の労災事後申請・認定と空白期間における稼得・所得保障 国・函館労基署長事件(札幌地判平27・3・6賃社1649/50号67頁) 社会保険労務士・駒澤大学非常勤講師 北岡大介

私の連載は船員です。陸上の労働法とは殆ど没交渉で発展してきたこの分野は、実は結構興味深いネタが満載です。

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賃上げを止めるな!@『月刊連合』12月号

201612_cover_l『月刊連合』12月号は「賃上げを止めるな!」と言っています。そりゃ、労働組合が賃上げを止めるな!というのは当たり前なのですが、そこに登場している人が・・・。

https://www.jtuc-rengo.or.jp/shuppan/teiki/gekkanrengo/backnumber/new.html

表紙にもあるように、神津会長と対談して賃上げを止めるな!と言ってるのは山田久さんです。

■巻頭対談
2017春季生活闘争の意義と課題
“クラシノソコアゲ”正念場
  「賃上げ」の流れを止めてはいけない
山田 久 日本総研チーフエコノミスト × 神津里季生 連合会長

2017春季生活闘争に向けた取り組みがスタートする。
連合は、今年も「持続性」「月例賃金」「拡がり」「底上げ」の4つをキーワードに「クラシノソコアゲ」の実現をめざしていく。
このキーワードに込めた思いとは何か。
それはどんな意義を持つのか。
日本総研チーフエコノミストの山田久氏と神津会長が語り合った。

今や山田さんは賃上げのイデオローグと化したかの如くです。

・・・アベノミクスの金融政策の限界が明らかになり、持続的な賃上げの重要性がデフレ脱却の絶対条件として再認識されています。ここで敢然と「賃上げ」を要求し、その流れを持続させることこそ、労働組合の責務です。

賃上げはもはや労働者のためだけではなく、日本のマクロ経済復活のための不可欠なんだと。「責務」とまで言われています。

そのために、過去の延長線上で考えるのではなく、将来のあるべき姿に向かっていくべきだと発破をかけています。

このあたり、是非労務屋さんの感想を伺いたいところではありますが。

ちなみに対談の終わりのあたりでは例の広島電鉄の正社員化を褒めちぎり、「労働組合の見識の高さに感銘を受けました」とまで賞賛しています。

あと、篠田徹さんの連載はアメリカ大統領選を取り上げていて、「グローバル化へのリベンジ」と評しています。言っていることはよく言われていることですが、その中で引かれていたイギリスの炭鉱映画の1シーンの描写がなかなか最近本ブログで話題になっていることともつながっていて興味深かったので。

・・・そのラストに近いハイライトシーンで、、炭鉱地帯のブラスバンドを率いてロンドンの全国大会で優勝した元炭鉱夫の指揮者が、中上流階級の聴衆の前で優勝カップを拒否する場面でこう啖呵を切る。「あなた方はクジラやイルカを助けることには一所懸命だけど、炭鉱夫の運命には関心がないでしょう」。つまりエリートは自分たちが好きな遠くのものは気になっても、目の前の別の世界に生きる人の困難には見向きもしないという意味だ。

トランプ勝利の瞬間に筆者が思い出したのがこのシーンである。・・・・・グローバル化のネガティブな影響を被ってきた地方の白人が、自分たちのことはほっておいて、地球環境や途上国の貧困には一所懸命になるグローバルエリートと主要メディア、それが面倒を見る非白人集団に対するジェラシーが招いた、グローバル化という時代の流れへのリベンジだったのではないだろうか。

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exit >>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>> voice

https://twitter.com/ph89arwgarg/status/805256409096957952

会社を辞めるという選択肢を選ばずストライキするあたり狂気を感じる

475そうか、もはやexitを選ばずvoiceを選ぶのは「狂気」と評価されるくらいにまでこの日本社会の『空気』は変わり果ててしまったのだな、という感想。

(参考)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/post_3c8e.html(フリードマンとハーシュマンと離脱と発言)

たまたま言い出しっぺのフリードマンが死んだので、改めてハーシュマンを取り出してみました。

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もともと経済学者は、自らのメカニズムが遙かに効率的で、実際上、真剣に取り扱われるべき唯一のものと思いこむ傾向にある。こうした偏見は、公教育に市場メカニズムを導入することを説いたミルトン・フリードマンのよく知られた論文に如実に示されている。フリードマンの提言のエッセンスは、学齢期の子供を持つ親に特定目的のヴァウチャーを配布するというものである。このヴァウチャーを使い、親は私企業が競争的に供給する教育サーヴィスを購入できるというわけである。こうした計画を正当化するため、彼は次のように述べている。

親は、ある学校から自分の子どもを退学させ別の学校へ転校させることによって、学校に対する自らの考え方を今よりも遙かに直接的に表明できるだろう。現在、一般的には、転居する以外に親はこうした手段をとりえない。後は、厄介な政治的経路を通じて自分たちの意見を表明できるに過ぎない

ここでフリードマンの提言のメリットについて議論するつもりはない。それよりもむしろ、私がこうした一節を引用しているのは、それが離脱を好み、発言を嫌う経済学者の偏見を示す、ほとんど完全な事例だからである。まず第1に、フリードマンは、ある組織に対し快く思っていないことを表明する「直接的な」方法として、退去、つまりは離脱を想定している。経済学の訓練をさほど受けていない人ならば、もっと素朴に、考えを表現する直接的な方法とは、その考えを言明することじゃないか、と思うことだろう。第2に、フリードマンは、自らの考え方を発言すると決めて、それを広く訴えようと努力することなど、「厄介な政治的経路」に頼ることだと、侮蔑的に言い放っている。だが、まさにこうした経路を掘り起こし、それを利用し、望むらくはそれをゆっくりとでも改善していくよりほかに、政治的で、まさに民主主義的なプロセスがあるだろうか。

国家から家族に至るまで、およそ人間の関わる全ての制度において、発言は、いかに「厄介な」ものであろうと、その制度に関係するメンバーが日常的につきあっていかなければならないものなのである。

(アルバート・ハーシュマン『離脱・発言・忠誠』(ミネルヴァ書房)p15~16)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

これはもちろん教育問題だけの話ではありません。先日、団結権をネタにプロセス的権利に言及したのも、同じ問題圏であることはおわかりでしょう。

私が不思議でならないのは、なぜ経済学者たちは(ほかの問題に対しては「離脱」のみを選択肢として推奨するのに)あれほど熱心に経済政策についてだけは「発言」しようとするのだろうかということです。そんな「厄介な政治的経路」に頼るより、さっさと「離脱」すればいいのにね。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/post_1a4b.html(離脱と発言再び)

21日のエントリー「フリードマンとハーシュマンと離脱と発言」に、トラックバックが着きました。

http://ameblo.jp/nornsaffectio/entry-10020312276.html

たまたまフリードマンとハーシュマンが取り上げているのが教育問題だったからそれをそのまま使いましたが、私の基本的問題意識が労働問題、つまり、気に入らない会社をさっさと「離脱」していく方がいいのか、それとも組織への「忠誠」を持ちつつその運営に対して「発言」していく方がいいのか、にあることは、このブログの全体傾向からしてご了解いただけるところだと思います。それを超える話は、わたし的には基本的に越境分野なんですが。

ただ、ではたった3年間なりたった6年間に過ぎないから、「反映される前に子どもが学校を卒業してしまうので間に合わない」「子どもが卒業した後になってから何かが変わっても、その親子からすれば完全に手遅れ」という話になるのか、というと、まあこれは主観的な感覚の問題になりますが、そういう風にものごとを完全に私的利益のレベルだけで考えること自体が、言ってみればフリードマンの土俵に乗っていることになるのだろうと思うわけです。

同じハーシュマンが書いている『失望と参画の現象学』(法政大学出版局)では、『離脱・発言・忠誠』での枠組みを壮大な思想史の中に位置づけながら、私的利益と公的行為をめぐるイデオロギー的構図を見事に描き出しています。普通、公的行為というと、大文字の政治に関わることという風になるわけですね。しかし、ハーシュマンの議論の大事なところは、通常「離脱」モデルが当たり前と思われている企業活動に対しても、「発言」メカニズムの意義を強調するところにあります。これはちょうど、フリードマンら経済学帝国主義者が、国家に対してすら「発言」ではなく「離脱」モデルを慫慂するのと好対照になっています。

自由市場原理主義に対する保守主義からの批判としていわゆる公民的共和主義(シビック・リパブリカニズム)というのがありますが、そこで論じられているのは基本的に大文字の政治なんですね。まあ、古典古代のギリシャの民主政治がモデルだからそうなるんでしょうが、この「シビック」という概念をもう少し掘り下げてみたいな、とは思っています。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/voiceexit-fb62.html(voiceなきexitの世界)

某氏のつぶやきから

http://twitter.com/#!/joshigeyuki/status/71197452845318145

>残業きつい→辞めればいい。人間関係最悪→辞めればいい。上司のパワハラ→辞めればいい。希望の仕事じゃない→辞めればいい。すべての労働問題は、辞めることで解決できる。「辞められる」ってことは、労働者にとって最強の武器だ。

だから、不満があっても声を上げる必要はない。

だから、ひどい目にあっても抗議する必要はない。

だから、どんな仕打ちにあっても文句を言う必要はない。

voiceなきexitの世界。

労働組合が諸悪の根源という人にいかにもふさわしい発言ではある。

辞めたあとどうやって生きていくのかまでは語らないのが玉に瑕だが。

もう少し賢い人は、辞めたあとどうしてくれるんだ?という疑問に、ベーシックインカムなんかを提示してくれるかも知れない。

だから安心して辞めればいい。あとはベーシックインカムがちゃんと面倒見てくれるから。

それで余計な紛争をしないでおいてもらえるのなら、単なる捨て扶持よりももう少し効率的な活用法ではあろう。

ただ、世の中を少しなりとも住みよいものにしてきたのは、「辞めればいい」じゃなくて「辞めずに声を上げてきた」人々であることは、歴史が語るとおりなんだが。

(追記)

近頃は日本語が読めない人が増えているようなので、ややお節介気味かとは思いますが念のため。

上記記事は別に、exitよりもvoiceが絶対的に素晴らしいなどということを言っているわけでは全然ありませんよ。どっちも大事な選択肢であって、一方を「狂気」などというのはおかしいよ、と言ってるだけですから。

まあ、こんなことをちゃんと言っとかないと誤解する人が出てくるんじゃないかと心配しなければいけないことが悲しいところではありますが。

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芝田文男『「格差」から考える社会政策』

252817芝田文男さんより『「格差」から考える社会政策』(ミネルヴァ書房)をお送りいただきました。ありがとうございます。

http://www.minervashobo.co.jp/book/b252817.html

今、「格差」はますます拡大しているといわれている。解決への道筋が不確かな中で様々な政策が提案され、賛否両論を伴いながら施行されている。本書は、格差問題に関わりの深い雇用・福祉・所得保障政策の主要な課題について、統計データを示しながら、わかりやすく解説し、格差を主軸に現代日本社会の諸問題を読み解く。読者自身が考える手がかりとなる情報を丁寧に記述し、課題と論点の理解を促す。現代の雇用政策・社会保障政策を学ぶ最適のテキスト。

芝田さんは旧厚生省の官僚から現在は京都産業大学で教鞭を執っておられる方です。

本書も、社会保障政策を中心に書かれている本かなと、タイトルを見て思いましたが、実は思った以上に雇用問題にウェイトを置いた本になっています。

細目次はリンク先にありますが、章立てだけで見ても、

はじめに
第Ⅰ部 総論:日本の格差の実情をさぐる
第1章 格差・貧困の現状――諸指標から
第2章 格差に対する様々な考え方
第3章 戦後日本の政治経済と現在の制約条件
第Ⅱ部 子ども世代の政策:少子化と子どもの貧困
第4章 子どもの貧困(1):総論と少子化政策
第5章 子どもの貧困(2):子どもの貧困対策とひとり親対策
第Ⅲ部 就労年齢層の政策:雇用・所得保障・租税等
第6章 「日本型雇用」の変質と労働政策――雇用流動化政策
第7章 非正規雇用政策
第8章 労働時間規制をめぐる政策
第9章 若者・女性の雇用政策
第10章 就労年齢層のセーフティネット――最低賃金・雇用保険・生活保護
第11章 税制等の見直しによる格差是正策
第12章 ベーシック・インカムの提案をめぐる議論
第Ⅳ部 高齢者層の政策:雇用と年金
第13章 高齢者層の格差――年金制度と無年金・低年金
第14章 公的年金制度の持続可能性と対策

第Ⅲ部の7章分が「就労年齢層」に充てられ、その大部分が雇用政策マターになっています。その前の第Ⅱ部も子どもの貧困というテーマで裏返すとひとり親問題という就労年齢層の問題ですから、そういう意味ではこれまで日本の社会保障政策ではどちらかという日陰者であった世代に着目した意欲作ということになるでしょう。

さらに、その第Ⅲ部の冒頭で「日本型雇用」の変質に着目するなど、問題意識も極めて鋭いものが感じられます。

興味深いのは第12章でわざわざ1章を割いてベーシックインカムを取り上げていることです。記述は中立的で淡々と書かれていますが、セーフティネットの話の延長線上に税制を論じ、ベーシックインカムを論じるというのは、あまり他の社会保障本には見受けられない構成で、いろんな意味で面白いなと思います。

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明日のメシを満足に食べられる連中

2016113000011_5 朝日新聞の「Globe」が、「トランプがきた」の特集。

http://globe.asahi.com/feature/2016113000011.html

「中流が溶けていく」など、アメリカ社会の分析はだいたいこの間論じられているところに沿っていますが、興味深いのはあえて橋下徹前大阪市長にインタビューしているところ。

http://globe.asahi.com/feature/article/2016113000007.html?page=3

「負けたのは知識層だ」というタイトルで、インタビュワの突っ込みに対してむしろそれを上回る突っ込みを入れているやりとりが、いろんなことを考えさせます。

国末 かつて政治家の条件だったポリティカル・コレクトネスを、尊重しない人が出てきている。なぜでしょう。

橋下 有権者が政治家のきれいごとにおかしいと思い始めてきたんですよ。口ばかりで本気で課題解決をしない政治に。米国で言えばワシントン、英国で言えばウェストミンスターの中だけで通用するプロトコル(儀礼)できれいごとを言っても、それは明日のメシを満足に食べられる連中だから。ポピュリズムという言葉で自分たちと異なる価値観の政治を批判するのは間違っています。それは自分の考え以外は間違いだと言っているだけ。民主政治の本質は大衆迎合です。重要なのは、社会の課題を解決する力。エリート・専制政治の方が大衆迎合よりもよほど危険なことは歴史が証明しています。今回の選挙の敗北者は、メディアを含めた知識層ですよ。

ポリティカルコレクトネスを大事に考えている(と少なくとも振る舞っている)インタビュー記者に対して「それは明日のメシを満足に食べられる連中だから」という一言は、かなり痛烈なものでしょう。

そのあとのこのやりとりはさらに刺激的です。

国末 失礼な言い方だが、トランプは成り上がり者。橋下さんも庶民の出身。ポピュリストたちはみんなそうです。だからこそエリートの嫌な面が見えるのでしょうか。

橋下 明日のメシに苦労せず、きれいごとのおしゃべりをして、お互いに立派だ、かっこいい、頭がいいということを見せ合っているのが、過度にポリティカル・コレクトネスを重視する現在の政治家・メディア・知識人の政治エスタブリッシュメントの状況じゃないですか。そんな連中に社会の課題が分かるはずがない。政治なんて、もっとドロドロしたものなんです。僕はポピュリズムというものは課題解決のための手段だと思ってます。メディアの仕事は、下品な発言の言葉尻を批判することではなくて、政治家のメッセージの核を見つけて分析し、有権者にしっかりと情報提供することですよ。

実を言えばこの「明日のメシ」という台詞は、橋下氏だからこそ切実さを感じられる言葉になるので、トランプ氏が言っても空疎な感じがするだろうと思いますが、彼らに投票した人々の気持ちというレベルに降りてみれば、やはり重要なファクターであることは間違いないと思います。

そして、そもそも産業革命以来の200年の歴史を振り返ってみれば、「明日のメシを満足に食べられる連中」の中だけで通用する「プロトコール」に則った「立派」で「かっこいい」「頭がいいということを見せ合っている」政治、貴族やブルジョワジーの(当時の支配イデオロギーからすれば)政治的に正しい政治に対して「ノー」を突きつけてきたのが、社会主義運動や労働運動であったということは、高校世界史の教科書レベルでもちゃんと書いてあるわけです。

彼ら、それまでの上流の政治家たちから見れば眉をひそめるような低俗な要求、喰わせろだの金寄こせだのというドロドロした野卑な政策を掲げる、まさに当時の支配感覚からすれば低劣なポピュリズムが、やがて数にものをいわせて先進国の政治に地歩を獲得していくというのが、とりわけこの100年間の政治の歴史だったのではないか、と振り返ってみると、その人々の流れの果てがトランプやルペンに対してポリティカルコレクトしか対抗軸がなくなってしまったかに見えるこの事態はなんと皮肉なんだろうか、と思わざるを得ません。

(追記)

http://b.hatena.ne.jp/Yoshitada/20161204#bookmark-311098240

Yoshitada                                つーても、トランプは別に「富裕層寄りの政策をしない」とは言ってないし、経済閣僚はウォール街のもろエスタブリッシュメントで固めてるわけで。割と早い段階で貧困層の願望は裏切られるかと思うが。

私もそう思いますよ。つか、これは別にトランプ本人が「明日のメシを満足に食べられる連中」かどころか、億万長者であるかどうかとは別の話で、「明日のメシを満足に食べられる連中」のポリティカルコレクトを憎む人々の感情をうまいこと煽り立てたということに過ぎないので。

アメリカに限らず、かつては貧しい人々の本音を代弁していたはずの社会民主主義ないし米流「リベラル」な勢力が、そうやって鳶に油揚をさらわれるような状況になっているということについて、なにがしでも反省するかどうかということだと思いますが。

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『働く女子の運命』が第4刷

Img_752f5d874047328e26f434ce08fbda5 昨年末に刊行された『働く女子の運命』が、読者の皆様のおかげで早くも第4刷がかかることになりました。

これもひとえに読者の皆様の熱い支持によるものと心から感謝申し上げます。

これまでの書評は以下のページにまとめてあります。

http://hamachan.on.coocan.jp/bunshunbookreview.html

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『HRmics』25号

1まだ私の手元に紙媒体では届いていないのですが、海老原さんちの『HRmics』25号がアップされています。

http://www.nitchmo.biz/hrmics_25/_SWF_Window.html

例によって表紙はトランプ次期大統領ですが、中身とは関係ありません。

特集は「残業は、常識では減らせない」。今日の話題にどんぴしゃ。厚切りジェイソンとか勝間和代とかホリエモンとかも出てきますぜ。

「顧客と上司、二つの神が、残業信仰を司っている」とか、見出しも決め決めです。

私の連載はナフタリ。何じゃそれ?とお思いの方はリンク先を覗いてみてください。

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むかしの『プレジデント』

拙著の書評をいただいたことがあるのでときどき見に行っている「人と法と世の中:弁護士堀の随想」というブログで、ちょっと興味深い記事が。

http://arminius.cocolog-nifty.com/blog/2016/12/post-8e5d.html(雑誌「プレジデント」の今と昔)

最近の『プレジデント』は、「偏差値60強!超高学歴女子はなぜ生きづらいのか」なんてな記事を載せてるけど、そのむかし、やたらに戦国大名や海軍大将の顔を表紙に載せていた頃の『プレジデント』はこういう記事が満載でしたといって、男女雇用機会均等法が施行された1986年4月号の目次の一部を引用しているんですが、

●「女の時代」はどう恐ろしいか――日本は弥生式文化の時代から女性上位なのである。この上、何が欲しいというのだ / 会田雄次 ; 諸井薫

●「女、男に似たるが故に尊からず――現代の女性は「女としてのプライド」を失っている。そこに重大な問題が / 渡部昇一

●「均等法」は企業の活力を削ぐ――法律を施行したぐらいで、女性社員は本当に働くようになるのか /

いやいやいや・・・、

これを知っていたら、『働く女子の運命』のネタに使うんだったのに・・・。

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パナソニックプラズマディスプレイ最高裁判決by大内伸哉@『労働判例百選(第9版)』

L11531 ごく普通の法学部学生が、何も考えずに先生から指示されて手に取る『判例百選』。労働法学者がずらりと顔を並べる『労働判例百選』も第9版を迎えたようです。

http://www.yuhikaku.co.jp/books/detail/9784641115316?top_bookshelfspine

計110件の労働判例のうち、何を措いても読むべきは、大内伸哉さんによる例のパナソニックプラズマディスプレイ事件最高裁判決の解説です。

ん?ん?ん?・・・・・

こ、こ、これは一体何なんだ?

誰かの生き霊が大内さんに憑依して書かせているんじゃないのか?

と、募る疑問を抑えつつ読み進んでください。

最後の注に至るまでしっかりと。

しかし・・・、それにしても、『判例百選』ってのは、何も知らない素直な法学部生が、指定教科書と一緒に買わされるものだったと思うのですが、そういうのを使ってこの所業というのは・・・・・。

(追記)

大内さん自身がブログで紹介されています。

http://lavoroeamore.cocolog-nifty.com/blog/2016/12/9-fc30.html

・・・また,そもそも判例百選は自説を書くところではないので,あえて自説と逆の立場から書いてみて,私の以前に書いたものと照らし合わせて,読者に考えてもらいたいということにしました。

・・・私は本年(ママ)では,高裁には反対,最高裁には条件付き賛成の立場ですが,それとは逆に,高裁賛成,最高裁反対という見解も,違った理論体系の下では理論的には十分にありうると思っています。そして,それが通説(あるいは多数説)であるとみられる以上,私としても,それを尊重して書いたほうが百選の趣旨に合うと思ったのです。

そもそも、高裁賛成,最高裁反対が通説(多数説)なのかという問題はさておいても、これを読んでニヤリとできるのは、あるレベル以上の人であるように思います。

・・・ただし若い研究者の方はマネをしないように。まあ,マネをするような人はいないでしょうが

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『働き方の二極化と正社員』

Jilpt185JILPTの労働政策研究報告書 No.185『働き方の二極化と正社員―JILPTアンケート調査二次分析結果―』がアップされました。

http://www.jil.go.jp/institute/reports/2016/0185.html

タイトルからでは、あまりよく内容が分かりにくいですし、目次をみてもいささか多様な方向を向いた論文が並んでいて、後回しにしようと思われるかも知れませんが、いやいや、騙されたと思って、これだけは読んで見てください。

http://www.jil.go.jp/institute/reports/2016/documents/0185.pdf

まず第5章の「若手正社員の仕事における心理的負荷の所在―業種による相違への着目―」。執筆したのは若手JILPT研究員の高見具広さん。

ていうか、これ実は、先日『ビジネス・レーバー・トレンド』に載った要約版を紹介したものの原論文なんですね。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/bltjil-ccdb.html(高見具広さんの労働時間論文@『BLT』&『JIL雑誌』)

そのまとめのところをコピペしておきますが、是非これは原論文をじっくりと読んで見ください。

本章では、若手正社員の仕事における心理的負荷に関わる要因を考察した。特に、業種によって問題の重心が異なるのではないかという問題関心から、特徴的な業種に焦点を当てて分析を行った。本章の分析結果は、次のように要約することができる。

①仕事における心理的負荷の度合いは業種によって差があり、建設業・製造業よりもサービス業に属する業種、特に「宿泊・飲食サービス業」「教育、学習支援業」「金融業、保険業」で大きい。

②心理的負荷に関わる問題として、「業務量などに起因する長時間残業」「休日・休暇の確保困難」「成果管理に関わる問題」の3 つが切り出せるが、それぞれを中心的問題とする業種は異なる。

③業務量や責任感に起因する長時間残業は、「教育、学習支援業」で特徴的にみられる。ただ、メンタルヘルス上の問題は、残業の長さというより、むしろ「持ち帰り残業」という残業の性格にある。

④最低限の休日・休暇を確保できない問題は、「宿泊業、飲食サービス業」で顕著にみられる。休日が少ない場合、年次有給休暇を全く取得できない場合に、心理的負荷が大きくなる。この背景は、人手不足や要員管理に起因する部分もあるが、職場の非正社員比率の高まりも関係する可能性がある。

⑤成果管理にともなう問題は、「金融業、保険業」で特徴的にみられる。目標管理制度の適用それ自体と言うより、仕事量の裁量性を伴わない目標設定が心理的負荷を大きくするほか、個人の成果・業績を月給に反映する運用が激しい従業員間競争を呼び込み、働く者の心理的負荷を高めていた。

働く者のメンタルヘルスを保つ上で、長時間労働が解消されるべきものであることに異論の余地は乏しい。ただ、仕事における心理的負荷の背景として労働時間の「長さ」に議論をフォーカスしすぎると見過ごしがちな側面があることにも注意したい。この点、本章では、
「持ち帰り残業」「最低限の休日休暇取得」「成果管理の運用」の問題を取り上げて考察した。

これらは労働時間の長さとも多分にかかわるが、労働時間が「どのくらい長いか」というより、「どのように長いのか」といった「労働時間の質的側面」に関わる要素といえる。

本章では、業種別の分析により、上記の問題が先鋭化している業種では、残業時間の長さに問題を還元できないことを検討した。分析の結果、働く者のメンタルヘルスを保つために求められる対策の方向は、業種によってやや異なると示唆される。まず、人員不足や非正規化の進行によって正社員の休日・休暇確保に困難を抱えがちな業種40・職場では、要員管理を見直すなど、休日確保策が最優先で求められよう。また、厳しい成果管理や個人間競争により、従業員が精神的に疲弊しがちな業種41・職場では、従業員が過大なノルマを抱えないよう、業務負担の適正化を心がけるとともに、過度な競争主義による職場の疲弊が招かれないよう、管理者のマネジメント力が問われる。さらに、業務量のほかに責任感や仕事へのこだわりから長時間の残業を引き起こしやすい業種・職場では、働く者が多大な責任・業務を抱え込まないよう、管理者のマネジメントや、細やかなカウンセリング、健康管理の仕組みが重要と考えられる。

もう一つ、これに続く第6章の「情報通信業における長時間残業の要因とその影響」も大変興味深い論文です。これは一橋博士課程の三家本里実さんの論文ですが、①情報通信業における長時間残業が何によってもたらされており、②こうした長時間残業が、仕事全般に対する認識や満足度にたいして、どのような影響をもたらしているのかを探ったものです。

また、限定正社員について論じている第8章「基幹労働力としての限定正社員の可能性」や第9章「限定正社員は自身の働き方をどのように評価しているのか」も面白いと思います。

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そりゃそうなるよな

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20161130/k10010790081000.html(自民と連合が5年ぶりに政策協議)

・・・自民党本部で5年ぶりに行われた政策協議には、自民党から茂木政務調査会長らが、連合からは、逢見事務局長らが出席しました。この中で、連合の逢見氏は、「大きな影響力を持つ自民党との意見交換は大変ありがたい」と述べ、労働者の雇用の安定やすべての世代が安心できる社会保障制度の確立などを要請しました。
これに対して茂木氏は、「連合の政策に最も近いのは自民党ではないかと自負している。労働界を代表する連合との意見交換を通じて、働き方改革などの実現につなげていきたい」と応じ、協議を続けていきたいという考えを伝えました。
このあと連合の逢見氏は、記者団に対し、「相撲でいえば、お互いの感覚が一致して、立ち会いができた。自民党とは政策面での距離感は無く、特に雇用や労働、社会保障の面での問題意識は、自民党も同じであり、来年は、もう少し早く行いたい」と述べました。

ねずみを捕らない、どころか、ねずみをいっぱい引き入れて家の中をしっちゃかめっちゃかにする白猫と、ちゃんとねずみをたくさん捕ってくれる黒猫がいたら、それはもちろんねずみを捕ってくれる猫の方がいい猫なんです。

もちろん、その黒猫は猫をかぶっているだけで、白猫を追い出したらもっと性悪になるかも知れないという議論はあり得るけれども、ねずみを捕らないダメな白猫に「猫猫たらずとも」忠誠を誓えというのは愚かな議論です。

労働組合とは政治団体でもなければ宗教団体でもなく、況んや思想団体でもないのですから。

そこのところが分かっていない議論が多すぎるのが困ったことですが。

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「ワシの年金」バカの脳内積立妄想

先日、権丈善一ゼミの学生さんたちが作ったユース年金学会上映ビデオを拝見して、改めて思ったこと。

それは、この世の中で年金について一番たちが悪いのは、いわゆる年金積立論者ではない、ということ。権丈さんは意見が違うかも知れないけれども。

いわゆる年金積立論者というのは、現在の年金制度が積立方式ではなくて賦課方式、つまり年金世代が自分でむかしむかし積み立てたお金をもらっているんじゃなくって、今現在現役世代が汗水垂らして働いて稼いだお金を年金世代が「仕送り」してもらっている、ということを事実認識としてはちゃんと分かった上で、それが間違っている、ケシカラン、本来の積立方式にしろ、と主張するものです。

その政策論に対してはもちろん、そんなことできるわけないだろ、他いろいろな議論は可能ですが、根っこの事実認識自体が間違っているわけではありません。

ところが、前にも本ブログで書いたように、この世の中で平然と通用している年金評論のかなりのものは、どうやらその根っこの事実認識がかなり危ういようです。今現在の現役世代から仕送りしてもらっているそのお金を、どうやら「ワシがむかしむかし稼いで貯めたお金じゃ」と思い込んでいるようなのです。

いってみれば、実際には賦課方式で子どもや孫から仕送りしてもらっているお金を、脳内で勝手に「ワシがむかし稼いだカネ」と思い込んでしまっているというわけです。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/post-f716.html(年金世代の大いなる勘違い)

・・・公的年金とは今現在の現役世代が稼いだ金を国家権力を通じて高齢世代に再分配しているのだということがちゃんと分かっていれば、年金をもらっている側がそういう発想になることはあり得ないはずだと、普通思うわけです。

でも、年金世代はそう思っていないんです。この金は、俺たちが若い頃に預けた金じゃ、預けた金を返してもらっとるんじゃから、現役世代に感謝するいわれなんぞないわい、と、まあ、そういう風に思っているんです。

自分が今受け取っている年金を社会保障だと思っていないんです。

まるで民間銀行に預けた金を受け取っているかのように思っているんです。

だから、年金生活しながら、平然と「小さな政府」万歳とか言っていられるんでしょう。

自分の生計がもっぱら「大きな政府」のおかげで成り立っているなんて、これっぽっちも思っていないので、「近ごろの若い連中」にお金を渡すような「大きな政府」は無駄じゃ無駄じゃ、と思うわけですね。・・・

このエントリは、どちらかというと大きい政府小さい政府論の文脈で、なぜ社会保障で生活しているはずの年金世代が小さい政府といいたがるのかというパラドックスを指摘したものですが、実は、年金制度それ自体の内部で、まさにこの「脳内積立妄想」が猛威を発揮しているのが、今日ただいまの「年金カット法案」という醜悪なネーミングであるように思われます。

ニッポンという大家族で、子どもと孫の世代が一生懸命耕して田植えして稲刈りして積み上げたお米を、もう引退したじいさまとばあさまも食べて生きているという状況下で、その現役世代の食えるお米が少なくなったときに、さて、じいさまとばあさまの食う米を同じように減らすべきか、断固として減らしてはならないか。

多分、子どもや孫が腹を減らしてもじいさまとばあさまの食う米を減らしてはならないと主張する人は、その米が何十年もむかしにそのじさまとばあさまが現役で田んぼに出て働いていた頃に、自分で刈り取ったお米が倉の中に何十年も積み上げられていて、それを今ワシらが食っているんじゃ、と思っているのでしょう。

いろいろ思うに、ここ10年、いや20年近くにわたる年金をめぐるわけの分からない議論の漂流の源泉は、そもそも現実の年金が仕送りになっているということを忘れた「ワシの年金」バカの脳内積立妄想に在るのではないか、というのが私の見立てです。

そのとんでもない破壊力に比べれば、経済学者の中の積立方式に変えろ論など可愛いものではないか、と思ってしまいます。

(追記)

https://twitter.com/ROYGB23456/status/804274940820082688

若い世代の仕送り説もちょっとインチキで、年金に加入して保険料を支払っていた高齢者しか仕送りを受け取れないことが説明できない。お金の積み立てでなくても、年金受給の権利を積み立てていたので受け取れる。

そりゃもちろん、年金保険であって生活保護じゃないんだから、若い頃にその時の老人に仕送りをしていなかったような人は、自分が老人になった時に仕送りは受けられないわけです。

ただし、ここが重要ですが、そうですね、上の比喩を引き続き使えば、若い頃に一生懸命刈り取って蔵に入れたその時のお米は、その時のじさまとばさまがちゃんと食べてしまっているので、それが積み立てられているわけではない。今食えるお米は、どのみち今年刈り取ったかせいぜい最近蔵に入れたお米なんだから、今年の収穫が悪くて、食える米が少なくなったら、それを若い衆とじさまばさまで分けるしかないのです。

若い衆の食い扶持はどんどん減らしても、じさまとばさまの食い扶持だけは絶対に減らせねえ!と叫ぶのはヘンだね、というだけの話ですよ。

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「解雇の金銭解決」はブラック企業を撲滅する@倉重公太朗

経営法曹の倉重公太朗さんが東洋経済onlineに連載している「解雇の金銭解決」に関するシリーズ、本日付の記事はいよいよ本丸に入ってきています。

http://toyokeizai.net/articles/-/147312(「解雇の金銭解決」はブラック企業を撲滅する 救われる労働者を増やすなら明らかに有効だ)

112050118その中で、前回に引き続き、再度拙著『日本の雇用終了』を引証していただいております。

・・・この連載で何度も紹介していますが、濱口桂一郎執筆『日本の雇用終了』には、労働局の「あっせん」手続において、意味不明な解雇理由にもかかわらず、10万円程度の極めて低額な和解がなされているリアルな現実が記されています。このように低額で和解をしてしまっている人たちにとっては、金銭解決制度によりもらえる金額が増えることで、間違いなく保護になるという皮肉な現実があるのです。

さて、倉重さんの議論は、経済学者の多くの人たちとちょっと違って、さすが法律家らしく、実効性確保のところまで議論が展開しています。

・・・ここでのポイントは、「実効性を高める」ということです。金銭解決制度を入れても金銭支払いがなされなければ意味がありません。そのため、労働局や労働基準監督署が権限を持って、勤続年数に応じた金銭の支払いを命ずることができるようにすることが重要です。このようにすれば、簡易・無料・迅速かつ強制力があることになるので、実効性は高まるでしょう。ポイントは、「解雇予告手当の支払い」のような労働基準法上の義務にしてしまうことです(この点は個人的な考えがいろいろありますが、立法技術的な話になるので割愛します)。

立法論的には一番聞きたいところが『割愛』されてしまっているのですが 、労基法上の義務化するというアイディアは恐らく提案されたものとしては初めてのものではないかと思われます。

(おまけ)

倉重さんのいう「意味不明な解雇理由にもかかわらず」の実例は、例えばこれを参照。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2013/03/post-12a7.html(中小企業ではスパスパ解雇してますよ)

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