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2016年12月29日 (木)

「厚生年金基金の興亡」@『エルダー』2017年1月号

Om5ru8000000ld61『エルダー』2017年1月号に「厚生年金基金の興亡」を寄稿しました。

断片的にはいろいろと知っていることはあると思いますが、こうしてまとめてみると、そうだったのか、ということも結構あるのではないでしょうか。

 本連載の第5回(9月号)で「退職金の法政策」を取り上げましたが、そこで軽く触れた厚生年金基金についてその設立から廃止に至る半世紀の歴史を改めて振り返っておきたいと思います。厚生年金基金制度は1965年6月の厚生年金保険法の改正により創設されました。これは企業が設立する特別の公法人である厚生年金基金が公的年金である厚生年金の報酬比例部分を代行する部分と、企業独自の加算部分を上乗せして給付する部分を組み合わせたものです。

 この制度は日経連が強く主張して成立したものですが、その背景にはいよいよ20年勤続による老齢年金受給者が出現してくる中で、その給付水準が生活保護以下と大変低いことが大きな問題となってきたことがありました。給付水準引上げのために、厚生省は保険料の大幅な引上げを試みたのですが、既に多額の退職金や退職年金を負担している大企業にとっては、これは労働者の老後の生活保障という政策目的に対する二重負担に外ならず、それなら既存の企業年金でもって厚生年金を代替できるようにしたいと要求したのです。厚生年金は戦前の退職積立金及退職手当法を吸収して設けられたはずなのに、それが機能不全に陥っていたから退職金で対応していたのであり、両者それぞれについて企業が負担しなければならないのはおかしいという発想です。私立学校職員共済組合のように、厚生年金から脱退して独自の給付を行う業種も現れ始めていました。日経連は1961年11月「退職金制度と厚生年金制度の調整についての試案」をまとめ、厚生年金の報酬比例部分と同等以上の内容を持つ企業年金を適用除外とすることを提起しました。この経営側の要請を趣旨としては受け入れつつ、報酬比例部分を代行という法形式で組み合わせたのが厚生年金基金制度です。代行とは、企業が年金基金を設立して厚生年金の給付の一部を代わって行い、さらに企業独自の年金給付を上乗せ支給する制度です。この代行部分は、公的年金としての性格と企業年金としての性格を併せ持つ形になりました。

 この制度の導入に当たっては労使の間で激しい対立がありました。厚生年金の給付改善の前提条件として企業年金との調整を強く主張する事業主側に対し、被保険者側は既得権としての退職一時金がこの調整措置によってなし崩しにされるおそれがあることや、労務管理として実施されている私的な企業年金と公的な厚生年金との間に調整を行うことは筋違いであり、国の責任を持って行うべき社会保障の後退であるとして強く反対したのです。その結果、1964年4月の社会保険審議会答申は、公益、事業主、被保険者の各側の意見を併記する異例の形となりました。厚生省が直ちに国会に提出した法改正案はいったん廃案となり、同年12月に再度提出した法案が、修正の上1965年5月に成立しました。

 厚生年金基金を設立できる人数要件は当初は1000人でしたが、1985年に700人、1988年には500人に引き下げられ、折からのバブル景気もあって基金の設立ラッシュが到来しました。ところが企業年金は公的年金と異なり賦課方式はとり得ず、給付に必要な原資を退職時までに積み立てる事前積立方式が必須です。バブル崩壊後の低金利、株価の下落から積立金の運用利回りが低迷し、代行部分の存在が母体企業にとって重荷に感じられるようになり、代行返上できるよう求める声が経済界を中心に高まりました。もともと経営団体が要求して導入された制度のはずですが、それが都合が悪くなると今度は返上したいというわけです。さらに1998年6月の企業会計審議会意見書に基づき、2000年4月から新たな退職給付に係る会計基準が導入されることになり、そこでは退職給付を賃金の後払いと捉えて、当期までに発生した(とみなされる)将来の退職給付の現価相当額を「退職給付債務」とし、その積立不足を母体企業のバランスシートにおいて負債とみなされることとなっていました。そのため、アメリカの401kに倣った確定拠出型年金制度の導入が声高に叫ばれるようになりました。

 こうした中で2000年3月に確定拠出年金法案が、2001年2月には確定給付企業年金法案が国会に提出され、いずれも同年6月に成立に至りました。この確定給付企業年金法は、適格退職年金を10年間の期限で原則廃止する受け皿としての規約型確定給付企業年金と、厚生年金基金が代行を返上する受け皿としての基金型確定給付企業年金からなります。この時、代行を返上せずに厚生年金基金として活動していく途も含めて、3つの選択肢が提示されたことになります。しかし、事態はそれで終わりではありませんでした。

 2000年代に入ってもITバブル崩壊やリーマンショックなどで基金の運用環境は浮き沈みを繰り返し、その中で厚生年金基金の代行割れといわれる事象に注目が集まるようになりました。代行割れとは、基金の積立金が基金解散時に厚生年金本体に返すべき最低責任準備金を下回ることです。こうした中で2012年にはAIJ事件が発生しました。多くの厚生年金基金が運用委託していたAIJ投資顧問(株)が、運用資産の大部分を消失していたというスキャンダルです。これを受けて厚生労働省は有識者会議を開催し、さらに社会保障審議会で審議した末、代行制度を段階的に縮小・廃止するという方向を打ち出しました。そして、2013年6月の公的年金制度の健全性及び信頼性の確保のための厚生年金保険法等の一部を改正する法律により、5年間の期限のうちに代行割れ基金を早期解散させるとともに、代行割れ予備軍基金を確定給付企業年金や確定拠出年金、それに中退金など他制度に移行させることとされ、厚生年金保険法から厚生年金基金の規定が削除されました。もっとも、審議の最終段階であった2012年末に自公政権に復帰したため、厚生年金基金の完全廃止という方針は若干緩和されて、健全な厚生年金基金はなお存続することが可能とされましたが、5年経過後はより厳格な積立基準が適用され、満たさなくなると厚生労働大臣が解散命令を発動するというムチがついているため、実際にはほとんどの基金が解散するか代行返上することになり、法制度としては廃止されたと言えましょう。

 厚生年金基金の半世紀の歴史は、本来個別企業の労働条件の一部である退職金から派生した企業年金と、マクロ社会的な世代間の再分配機能である公的年金とを、「代行」というアクロバティックな法的技法でもってつなぎ合わせて作られた制度が、経済が好調であればそのはざまで企業にさまざまなメリットをもたらしてくれた反面、経済が不調になるとそれがデメリットに転化してしまい、それが結局制度の命取りになってしまったという物語なのかも知れません。

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