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2016年11月27日 (日)

あれからもう10年・・・・

安倍内閣の[働き方改革]のかけ声と例の第二電通過労自殺事件の影響もあってか、最近長時間労働にかかるニュースが目白押しです。

数日前には、NPO法人「ファザーリング・ジャパン」が長時間労働是正へ署名を提出したという記事がありましたし、

http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG22HC5_T21C16A1CR8000/

父親の子育て支援に取り組むNPO法人「ファザーリング・ジャパン」(東京・千代田)の理事らが23日までに、長時間労働の是正を目的にインターネット上で集めた約4万人分の署名を塩崎恭久厚生労働相に提出した。

電通の新入社員、高橋まつりさん(当時24)が昨年12月に過労自殺した問題を受けて、10月中旬から署名の募集を始めた。NPO法人の理事らは、塩崎厚労相に残業時間の上限設定の法制化と、終業から始業まで一定の休息時間を設ける「インターバル規制」の導入を求めた。これに対し、塩崎厚労相は「前向きに検討したい」と述べたという。

いちいち引用しませんが、新聞各紙も長時間労働の特集記事を競って取り上げています。

今やこの問題のカリスマ的地位にある小室淑恵さんはますます元気よく、「長時間労働は『勝つ手段』ではなく『負けの原因』」とぶち上げています。

https://biblion.jp/articles/NWoZE

こういう今日の状況を見るにつけ、今から10年前の頃、残業代ゼロ法案ばかりが議論になり、それより何より物理的労働時間の規制こそが一番大事なことだと、孤独に主張していた頃のことが、なにやら懐かしく思い出されます。

そう、今では信じられないかも知れませんが、そのころ、残業代ゼロは別に問題じゃない、大事なのは物理的労働時間が青天井であることであり、それを規制することだという主張を正面切ってしていた人は、ほとんどいなかったのです。

2005年から2006年にかけて、私は労働組合関係の雑誌にでぽつぽつとそういう主張をしていましたが、

http://hamachan.on.coocan.jp/imfjcronbun.html (「ホワイトカラーの労働時間法制の課題」『IMF-JC』2005年夏号)

http://hamachan.on.coocan.jp/denkiexemption.html (「労働時間の規制と時間外手当のイグゼンプション」『電機総研リポート』2006年4月号)

http://hamachan.on.coocan.jp/rodochosaexempt.html (「ホワイトカラーエグゼンプションの建前と本音と虚と実と」『労働調査』2006年10月号)

それを広く一般の読者が読む雑誌に書いたのは『世界』2007年3月号に書いた「ホワイトカラーエグゼンプションの虚構と真実」でした。

http://www.iwanami.co.jp/sekai/2007/03/077.html

今国会への法案提出が見送られたホワイトカラーエグゼンプション。この制度の導入に賛成する論者は、「ホワイトカラーエグゼンプションは少子化対策にも役立つ」などという奇妙な主張を展開し、反対する論者は「残業代ゼロ制度」であると非難する。しかし、この制度をめぐる問題構造はもっと複雑でねじれている。真に議論しなければならない問題点は何なのか。労働時間の規制は本来、賃金問題ではなく労働者の健康問題のためにあるという視点から、混迷するホワイトカラーエグゼンプション論議のねじれを解きほぐす。

これらの文章の中で、わたしはEU労働時間指令の休息期間規制の導入を主張しました。

当時は日本の法政策として休息期間の導入を主張する意見はほとんど見られませんでしたが、その後情報労連傘下の諸組合の取り組み等もあり、勤務間インターバル規制という名前のもとで人口に膾炙するようになりました。

なによりも、10年前には物理的労働時間規制はそっちのけで、もっぱら残業代ゼロがいいか悪いかというゼニカネ問題ばかりに焦点が当たっていたのが、10年後の今では本来の労働時間問題、すなわち労働者の健康とワークライフバランスの問題として議論されるのが当たり前になったということが、感慨深いものがあります。

その頃の論文で、日本の労働時間規制のあり方についてまとまったかたちでろんじたものとしては、内閣府関係の経済企画協会の『ESP』という雑誌の2007年6月号に載せた「労働時間短縮とワーク・ライフ・バランス」があります。

http://hamachan.on.coocan.jp/espworklifebalance.html

1 日本の労働時間短縮政策の問題点

 日本でも最近「ワーク・ライフ・バランス」という言葉がよく使われるようになったが、かつては「職業生活と家庭生活の両立」という言葉がよく使われた。この言葉が使われる際には、育児休業や介護休業、あるいは短時間勤務や保育施設の充実といった、(主として女性労働者が)家庭責任を果たすための特別の措置にもっぱら焦点が当たり、男性労働者の恒常的な長時間労働には必ずしも問題意識が向けられてこなかったようである。これは、一つには組織的な理由により、厚生労働省内において「職業と家庭の両立」は雇用均等・児童家庭局、かつての女性局の所管であって、労働時間政策一般を所管する労働基準局の担当事項ではないと考えられてきたからであろう。しかしそれ以上に多くの日本人の意識において、そもそも労働時間を生活時間との間で配分すべき物理量としてよりも、賃金支払の対象となる経済資源として、すなわち労使間の損得勘定の問題として捉える考え方が強かったからではないかと思われる。

 そのため、1980年代から90年代にかけての労働時間短縮に向けた国家的な取り組みにおいても、法的な措置は法定労働時間の週48時間から週40時間への短縮と、年次有給休暇の拡大が主であって、時間外・休日労働の実体的規制は見送られ、休日労働の割増率が35%に引き上げられただけであった。しかし、法定労働時間を短縮しても時間外労働に法律上の上限はなく年休が増えても取得率が下がれば実質的な時短にはならない。法定労働時間が短縮した分時間外労働が増えれば時間外手当が増えるだけである。それでいいのかというのが法政策上の大問題でなければならなかったはずであるが、ならなかったということは、政労使とも労働時間を本質的にはカネ勘定の問題と捉えていたからであろう。

 それどころか、この時期の労働法政策においては、「時間外・休日労働の弾力的運用が我が国の労使慣行の下で雇用維持の機能を果たしている」(1985年労働基準法研究会報告)とか、「我が国の労働慣行の実情に合うような上限設定が可能かどうか定かでない」(1992年同報告)と、雇用維持のためのコストとして恒常的な長時間労働を是認する考え方が主流であった。これは、労働法政策が男性労働者の雇用維持を最優先課題としている時期には一定の合理性があったといえるかも知れない。ところが、その後労働法政策が内部労働市場における雇用維持から外部労働市場における移動促進に徐々にシフトしていったにもかかわらず、この長時間労働哲学には疑問が呈されないまま21世紀に至ってしまった。

 物理量としての長時間労働の問題が政策課題として意識されるようになったのはここ十年ほどに過ぎない。それも近年までは過労死・過労自殺問題から発展してきた安全衛生政策としての労働時間問題が中心であって、男性労働者の長時間労働がその仕事と生活の両立を困難にしているのではないかというワーク・ライフ・バランスの問題意識が前面に出てきたのはごく最近である。政府関係でこれを正面から取り上げたのは2004年6月の「仕事と生活の調和に関する検討会議」報告であり、「個々の働く者が、いわゆる拘束度の高い正社員か拘束度の限定的な非正社員かといった二者択一をいたずらに迫られる現状を改め、すべての者が、育児・家族介護、自己啓発、地域活動への参加などの仕事以外の活動状況等に応じて、希望する生活時間を確保しつつ、生涯を通じて納得した働き方を選択できるようにするためには、現在の労働時間の在り方を見直す必要がある」と提起した。しかしながら、現実はこれとは逆の方向に進んでいるようであり、2006年1月の労働時間制度研究会報告は、「特に30歳代の男性を中心として、週60時間以上働く雇用者の割合が増加している」と、いわゆる労働時間の二極化現象を的確に指摘している。

2 EUの労働時間法政策

 労働時間を徹頭徹尾カネ勘定の問題と捉えている典型的な例はアメリカである。アメリカには労働時間規制はない。公正労働基準法は、週40時間を超えれば5割の割増を払えと命じているに過ぎない。だから、初めから週100時間という契約で働かせることも可能である。アメリカにあるのは労働時間規制ではなく、割増賃金規制に過ぎない。いわゆる「ホワイトカラー・エグゼンプション」なるものも、この割増賃金規制の適用除外であって、世上誤解されているような労働時間規制の適用除外ではない。

 これと対照的なのがヨーロッパ諸国の法制である。その最低基準としてEUレベルで制定された労働時間指令は、1日に最低11時間の休息期間、1週間に最低1日の休日、1週間に最長48時間の労働時間といった物理量としての規制を各国に課している。規制しているのは物理量としての労働時間なのであるから、時間外手当を払うべきかとか幾らにするといったことは一切規制していない。割増賃金規制は各国に委ねられ、多くの国では原則として労使交渉に委ねられている。

 こういった規制のうち、1週48時間労働については、1年単位の変形労働時間制が認められていることに加え、労働者個人ベースで適用除外されるいわゆる「オプトアウト」という制度がある。これは、イギリス保守党政府が強硬に主張して盛り込ませたものであるが、その扱いが現在EUで大きな問題となっている。現在全面的にオプトアウトを認めている国はイギリスだけだが、現実には雇用契約締結時にオプトアウトの同意をとるケースが大部分で、事実上労働時間規制を空洞化しているとして批判が強いのである。

 しかし一方で、グローバル化の中で企業の競争力を高めるという政策課題に対応して、90年代以降大陸ヨーロッパ各国でもさまざまな形で労働時間規制の弾力化が進んできている。労働時間のフレクシブル化は時代の趨勢でもあるのだ。EU当局は、このオプトアウトを個人ベースではなく労使協定による適用除外として再構成する案を提示したが、各国の意見がまとまらず、現在は棚上げ状態にある。

 ただ、ここで忘れてならないのは、個別オプトアウトが可能なのは1週48時間という規定であって、1日11時間の休息期間や1週1日の休日ではないという点である。もともと、労働時間指令の原案には1週48時間規定はなく、欧州議会の修正で盛り込まれたという経緯がある。当局としては、労働者の健康を確保するためのぎりぎりの基準をEUレベルの最低基準と考えていたのだが、政治家によって必ずしも健康に影響するわけではない週労働時間規制が上乗せされた形である。従って、1日の休息期間や1週の休日にはオプトアウトはない。毎日毎週必ず休ませなければならないのである。

3 時間外労働法政策の迷走

 日本の法制は本来アメリカ型ではない。アメリカの公正労働基準法は「週40時間を超えて働かせてはいけない」とか「働かせる場合には何らかの手続をとれ」などと要求していない。しかし、日本の労働基準法はそれを要求している。日本の法律はヨーロッパ型の物理量としての労働時間を規制するタイプであり、それに36協定という形で集団的オプトアウトを認めているに過ぎない。時間外手当を払えばいくらでも労働させてよいなどという仕組みでは本来なかったのである。それは現在EU当局が目指している姿に近いとも言える。

 ところが、戦後60年にわたる労使の運用は、これをほとんどアメリカ型のカネ勘定の問題として捉えてきた。組合員に時間外労働をさせないのは不当労働行為だと労働組合が訴え、それを労働委員会や裁判所が認めるという奇妙な事態が常態化していたのである。そこには、時間外労働はないのが本来の姿という発想は見当たらない。

 恒常的時間外労働が常態であるという考え方はいわゆる整理解雇法理にも見られる。正規労働者の解雇に先立って、非正規労働者の雇止めや時間外労働の縮減を要求する裁判所は、いざというときの雇用維持のためのクッションとして非正規労働者や時間外労働を恒常的に用意しておけと求めているに等しい。この発想は上記労働基準法研究会報告にも見られるが、21世紀の今日、抜本的な転換が求められているといわなければなるまい。今日求められる労働時間法政策は、労働時間をカネ勘定としてではなく、健康の確保や生活との両立のための物理量として捉え、その実体的規制を図るものでなければならないはずであった。

 ところが、昨年来の労働時間法政策はこの点でいささか方向を見失ってきたように思われる。2006年12月の労働政策審議会答申は「仕事と生活のバランスを実現するための「働き方の見直し」の観点から、長時間労働を抑制しながら働き方の多様化に対応するため」と、まことにまっとうな目標を掲げながら、一定時間を超える時間外労働に現行より高い割増賃金を義務づけるというこれまでのゼニカネ至上主義から一歩も出ない法政策を提起するにとどまった。長時間労働そのものに対しては支援策と助言指導を行う旨が記述されているだけである。国会に提出された労働基準法改正案では1ヶ月80時間を超える時間外労働に対して5割の割増と明記されている。時間外労働自体に対して法律上なんら規制を強化しないまま割増率を上げるだけでは、賃金選好の強い労働者には長時間労働の促進策になりかねないし、そうでなくてもサービス残業の原因となる可能性も高いと思われる。

 それとともに一方では、「自律的な労働時間制度」(労働時間制度研究会報告)とか「自由度の高い働き方にふさわしい制度」(上記答申)、あるいは「自己管理型労働制」(審議会提出法案要綱)といった名称の下で、労働時間規制を適用除外することによって労働者が「より自由で弾力的に働くことができ」るという制度として、いわゆるホワイトカラー・エグゼンプションを提起した。上述のように、本来ホワイトカラー・エグゼンプションとは、労働時間規制なきアメリカにおいて、一定のホワイトカラー労働者に割増賃金規制の適用を除外したものに過ぎない。

 ところが、これらの案は、労働基準法の「週40時間を超えて働かせてはいけない」とか「働かせる場合には何らかの手続をとれ」という規定を適用除外するものとなっていた。いうまでもなく、労働時間規制とは「これよりも短く働いてはいけない」という規制ではない。ワーク・ライフ・バランスのために労働時間を短くして働くことを労働基準法はなんら制約していない。労働時間規制の適用除外とは「これ以上長く働かせてもかまわない」という以外の意味はあり得ない。それが労働者にとって「自由で弾力的」な働き方だというのはいかにも奇妙な論理である。

 結果的にこの提案は「過労死促進法」という批判にさらされることによって労使の合意が不可能になり、挙げ句の果てにマスコミの「残業代ゼロ」批判によって頓挫するに至った。

4 あるべき労働時間規制の方向

 あるべき労働時間規制を考えるためには、まず何のための労働時間規制なのかを確認する必要がある。2つないし3つの基準を考えることができるだろう。

 まず第1は労働者の心身の健康を守り、ひいては生命の安全を確保するという目的である。この観点からは、これ以上長く働かせることは危険であるというレッドカードゾーンが設定されなければならない。EU労働時間指令で規定する1日11時間の休息期間と1週間1日の休日はこれに対応する。1日11時間の休息期間とは、通常は拘束時間の上限は13時間ということになるが、仮に仕事が大変忙しくてある日は夜中の2時まで働いたとすれば、その翌朝はどんなに早くても午後1時に出勤ということになる。具体的な時間数は生理学的見地から検討されるべきであろうが、睡眠時間や心身を休める時間を確保することが重要である。これは緊急の場合を除き、必ず守るべき最低基準として規定されなければならない。ややブラックユーモアの感があるが、仕事と「生命」のバランスという意味でのワーク・ライフ・バランス政策と言えようか。

 第2には労働者の家庭生活や私的生活に使われるべき最低限の時間を確保するという目的である。上述のような恒常的な長時間労働を容認する考え方は、男性労働者には雇用維持さえ確保されれば家庭生活のための時間など必要ではないという価値判断に基づくものであろう。男性は会社に出稼ぎに行き、女性は家庭で家事育児に専念するという典型的な男性稼ぎ手モデルである。これは究極的には個人の選択の問題であるので、「生命」の安全が確保される限り長時間働きたいという選択を禁止することはできない。

 しかし、通常の労働者に適用されるデフォルト・ルールは明確に変更すべきであろう。すなわち、原則的には男女労働者とも家庭生活とのバランスがとれる程度の時間外労働を上限とすべきである。法制的には、36協定により事業所単位で就労が義務づけられる時間外労働には法律上の上限を設定し、それを超える時間外労働は個別に合意した場合に限り認めると言ったやり方が考えられる。もっとも、イギリスの例に見られるように、個別オプトアウトには問題が多い。通常の時間外労働の上限水準も、EU指令では時間外を含めて1週48時間であるが、日本ではいささか非現実的かも知れない。

 また、雇用維持という目的を家庭生活との両立の上位に置かないということは、整理解雇法理の一定の緩和というインプリケーションも持つ。アメリカという異常例を除き、先進国で解雇を使用者の恣意に委ねている国はないが、日本の整理解雇法理は欧州諸国の解雇規制に比べても過度に抑制的であり、そのツケが長時間労働や遠距離配転にしわ寄せされているという面もある。これらも含めてさまざまな規制間のバランスについて、社会的な検討が行われることが望ましい。

 第3にようやく世間で言われるワーク・ライフ・バランスが来る。通常の男女労働者よりも短い時間の勤務を可能にしたり、一定期間就労を免除したりという特別扱いの世界である。実をいえば、日本の法制はこの面においてそれほど遜色があるわけではない。育児休業も介護休業もその他のさまざまな措置についても、労働者の権利としては的確に規定されている。問題は、それが社会的にほとんど女性労働者専用の権利と見なされていることであり、男性がそれらの権利を行使すると珍しい生物のごとく見られるという点であろう。

 これは労働法制で左右しうる問題ではなく、中長期的に社会の意識改革を図っていくべき課題ではあるが、税制や社会保障といった社会の基本的枠組みが旧来の意識を維持している面もあり、その改革が意識改革につながる可能性もある。近年EUでは、生涯にわたる労働時間配分を、男女ともに仕事と家庭と学習とが並行して行えるようにする制度の研究が試みられている。そのためには、社会保障制度をより普遍主義的に設計し、特定の雇用関係に依存することなく、人生の任意の時点で自由に就業に関する意思決定が行えるような独立性を与えるべきであるとされている。現時点ではなお研究段階ではあるが、今後の労働時間制度の在り方を考える上で示唆的な内容を多く含んでいるように思われる。

 以上の視点から見て、本年4月に経済財政諮問会議の労働市場改革専門調査会がまとめた第1次報告書はいくつもの評価すべき点を有している。とりわけ、休日労働の上限規制として、週休二日制の場合休日労働の上限を4週4休とするという提案は、裏からいえば4週4休を休日労働の許されない絶対休日とするということであり、EU型時間規制への第一歩と評価できる。また、最終版では注釈にとどまったが、原案ではEU型の最低連続11時間の休息期間規制を提起していたことも、政策の方向性として共感するところが大きい。女性や高齢者の就業率の向上を数値目標とすることも、EUの雇用戦略においてこの10年間進められてきた点であり、彼らに働きやすい労働環境を作るべきとのインプリケーションがある。

 ただあえてひと言いうならば、「多様な働き方」「柔軟な働き方」の強調は、ワーク・ライフ・バランスの思想にきちんと裏打ちされていないと過重労働の容認につながりかねないという点を、常に意識しておく必要があろう。ホワイトカラー・エグゼンプションの失敗劇はそれを雄弁に物語っている。同じ内閣府の規制改革会議はその教訓を未だに理解していないようである。生活と両立しうる「普通の働き方」の重要性を再確認しておきたい。

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コメント

濱口さんの、ご自身の学問的に良質な研究を踏まえた、ポイントをついて、かつ、深い考察からなされた、早くからのご提言に敬意を表したい。

女性活躍を掲げる安倍政権にとって、長時間労働がネックということがみえてきたのだと思うが、正しい方向であれば、安倍嫌いでも足を引っ張らず進める見識を、「リベサヨ」(このコラムの前のコラム)にも求めたいところ。

投稿: yunusu2011 | 2016年11月27日 (日) 17時33分

もちろんHamachan先生の洞察と慧眼にはいつも敬服しておりますが、この10年前のレポートを読んでちょっと気になる点が一点だけーアメリカに関するやや戯画的な描写には、えっ、ちょっと待って…と。

まず、アメリカに労働時間規制がなく「カネ勘定」だけとの指摘については、残業割増賃金率が5割と高いためそこで使用者側に経済合理性からも長時間残業抑制のブレーキが自然とかかるからでしょう。経済インセンティブが効いて、結果的に労働時間抑制ができているのでは。

また、先進国で解雇を認めているのはアメリカだけではありませんよ。私の知る限りアジア地域で少なくともオーストラリア、シンガポール、香港等は(労働契約に基づき)3ヶ月ノーティスで社員に辞めて頂くことは一般的に行われていますので、アメリカが「異常例」だという表現は(今から見れば)誤解を与えるものと言わざるを得ませんね。

もっとも、昨今のトランプ現象を前にしながら「先進国(?)アメリカの事例こそ模範として見習いましょう!」と強弁するほど呑気にはなれませんが…。

投稿: 海上周也 | 2016年11月27日 (日) 20時59分

東大卒一流企業社員の女性過労死問題って、「弱者のなかの強者」が犠牲にならないと世間(というか権力者)は動かないんだなーとモヤモヤしてる。

高橋まつり氏という一流大卒のエリート美女労働者の過労死に対してアベが対策するとかイキがってますけど、ワタミ過労被害者との扱いの差は一体・・・??

署名活動してる連中も母子家庭バラマキ拡充の時と同じ親安倍だし育休議員の反省もないしコイツら終わってる。

信頼できる育児ジャーナリストのおおたとしまさ氏が批判しているのはもっともなことだ。

投稿: 阿波 | 2016年11月28日 (月) 01時04分

>そのためには、社会保障制度をより普遍主義的に設計し、特定の雇用関係に依存することなく、・・・

この「普遍主義的」というのも、昨今の日本ではなじみの薄い概念と思われ、この点でも、EUではなくアメリカを基準として考えてしまう一般的傾向ということがうかがえるわけです。(詳しくは『アメリカに「NO」と言える国』竹下節子(文春新書)。ちなみにこれも、図らずも10年前の本)

投稿: 原口 | 2016年11月28日 (月) 14時32分

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