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2016年11月

拙著短評いくつか

ここ半月くらいの拙著への短評をいくつか。

Chuko まず、『若者と労働』へのアマゾンカスタマーレビュー。

https://www.amazon.co.jp/product-reviews/4121504658/ref=cm_cr_dp_synop?ie=UTF8&showViewpoints=0&sortBy=recent#R3Q0RJ48U0M09M

現代の労働問題の本質が全て詰まっている

非常に内容が詰まっており、かつ本質的な問題を提起しており、この類の書籍では最高に面白かった。氷河期就職世代とその前の世代のギャップがなぜ生まれ、ブラック企業の発生と結びついていくプロセスが構造的に理解できた。

同じ『若者と労働』への「不純物」さんのツイート。

https://twitter.com/calc_9029/status/803097145448370177

この本すごい…濱口さんの他の本も読もう 「若者と労働(濱口桂一郎)」

https://twitter.com/calc_9029/status/803098225414541312

日本的雇用慣行の問題点について感情論なしで細かく研究されてる もっと早く読んでおけばよかった

https://twitter.com/calc_9029/status/803099948380061696

人事の人が書いた本ってある程度予想とか感情が入ったものが多いけど研究者はしっかりしてる

112483

次に『日本の雇用と労働法』への読書メーター。評者は「たろさん」。

http://bookmeter.com/cmt/60616202

日本の雇用慣習、歴史、労働法に関する推移を書いた本。日本の労働者と企

業、法律が歩んできた軌跡を確認することができる貴重な本。今や当たり前の法律がどのような歴史的背景で出来たのか、非常にわかりやすい。体型的に雇用、法律の歴史を知るにはとても良い本。また読みたい

Img_752f5d874047328e26f434ce08fbda5 最後は『働く女子の運命』へのツイート。まず「ダーリン&サマンサ」さん。

https://twitter.com/20150424ebisu/status/802019452250267648

『働く女子の運命』濱口桂一郎 著。 濱口氏の本を久しぶりに購入。人事を離れてから暫く読んで居なかった。楽しみ。彼の本は間違いなく面白い。

https://twitter.com/20150424ebisu/status/803144208303296512

『働く女子の運命』(著・濱口桂一郎)。 日本型雇用システムを変えられないまま次々と導入された男女雇用平等の施策。結果的に女性は更に生き辛くなった。非正規雇用。労働法からのアプローチは可視化の早道。

そしてもう一人の「御用会社員」さんは、

https://twitter.com/hawks54kaishain/status/800279004703952897

「働く女子の運命」 この第1章だけ読みましたが、日本の労働史を1章でまとめていると言う点と、その中に的確に「これを読め」という具合に書物の引用があり、図書館で古典を大量に発注をかけました。次の章はどんなでしょうか。

と書かれているので、どんな本を発注したのかと思うと、

https://twitter.com/hawks54kaishain/status/802279507935670272

濱口桂一郎氏が読みなさいと書いていたので、書庫から出してもらいました1冊目。 「私のBG論」バラ色のがめつさ、Office Lady 以前のBusiness Girl のお話

いやいや、なんと、上坂冬子さんの今や稀覯本、『私のBG論』(三一新書)を図書館の奥の院から掘り返してこられたようです。

本書を読まれた方の中でも、さすがに上坂冬子のBG本を読もうと一念発起されたという方は初めてです。

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諸外国と比較した日本の外国人労働者政策@『月刊人材ビジネス』12月号

201612 『月刊人材ビジネス』12月号に「諸外国と比較した日本の外国人労働者政策」を寄稿しました。

 現在、日本の外国人労働者政策は大きな曲がり角にさしかかっている。そこで、外国人労働力導入の先輩である欧州諸国の経験を振り返ってみよう。かつて植民地帝国であったイギリスやフランスなどは、高度成長期まで旧植民地からの労働力が大量に流入し、彼らが単純労働力を担った。一方敗戦国ドイツはトルコなど途上国との二国間協定で(帰国を前提として)短期滞在の労働者を受け入れた。・・・・

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定年、継続雇用制度とはそもそも何か?@『エルダー』2016年12月号

Dffb77be7ff6023c7324c9c1506ee03f『エルダー』2016年12月号に「定年、継続雇用制度とはそもそも何か?」を寄稿しました。

 本連載の冒頭、1回目(5月号)と2回目(6月号)で定年と(非定年延長型)継続雇用制度を取り上げましたが、今回その二つは本当に違いがあるのか? という理論的な問題を取り上げてみたいと思います。

「定年」の意義

 法律上「定年」を定義した規定はありませんが、行政解釈としては60歳定年を私法上の効力を持って義務化した1994(平成6)年改正後の通達(平成7年3月31 日職発第223号)において、「『定年』とは、従来、労働者が所定の年齢に達したことを理由として自動的に又は解雇の意思表示によってその地位を失わせる制度であって就業規則又は労働協約に定められたものというものとしてきたところであるが、今後、同様の制度であって労働契約に定められたものも含むものとする」と定義しています。この追加は就業規則の作成義務のない10人未満事業所を念頭に置いたものです。

 さて、もし本当に、定年という言葉が厳密な意味で「労働者が所定の年齢に達したことを理由として自動的に又は解雇の意思表示によってその地位を失わせる制度」のみを指すのであれば、定年後希望者全員継続雇用という制度において厳密にこの定義に該当する「定年」とは何を指すのか? という大きな問題が浮上してくるはずです。

 「定年後……」というときの「定年」は、無反省的に就業規則などに使われている言葉をそのまま用いてそう呼んでいるわけですが、その「定年」時に「所定の年齢に達したことを理由として」その意に反して「その地位を失」う労働者が制度上発生することがあり得ないのであれば、その日常言語としての「定年」は厳密な法学的概念としての「定年」ではないはずです。

 希望者全員継続雇用制度における法的に厳密な意味での「定年」は、「労働者が所定の年齢に達したことを理由として」その意に反して「その地位を失」う年齢、即ち継続雇用の上限年齢でなければなりません。「定年」を、「その法的効果の如何にかかわらず就業規則等で定年という名で呼ばれているもの」と定義するのであれば別です。

 しかし、「事業主がその雇用する労働者の定年(以下単に「定年」という。)の定めをする場合には、当該定年は、六十歳を下回ることができない。」とする高齢法8条は私法上の効力を有する以上、そのような扱いをすることはできません。ある制度が高齢法8条に違反しているのか違反していないのかが一義的明確に確定するような解釈をする必要があります。

 たとえば、就業規則上定年を55歳としつつ、希望者全員を60歳まで継続雇用する制度は、高齢法8条に違反するのでしょうか。もし、違反するとしたら、そのような制度を否定しなければならない積極的な理由は何でしょうか。いうまでもなく、定年を60歳に引き上げつつ、旧定年の55歳から新定年の60歳までを嘱託社員の名の下に基本給を大幅に引き下げる扱い*1は、(労働契約法上の合理性判断はともかく)高齢法上は何の問題もないことは明らかですから、労働条件は理由になり得ません。同じように低賃金の嘱託社員として55歳から60歳まで雇用を確保する制度が、就業規則上の用語法の違いだけで一方が法違反とされ、一方は法を遵守していると解釈されるというのは、あまり合理的な解釈とはいい難いでしょう。

65歳定年と65歳までの希望者全員継続雇用制度の違いは

 この問題は、高齢法8条の60歳定年の義務について論じている限りはあまり政策に関係がないように見えます。しかし、年齢目盛りを5歳ずらして、60歳から65歳の部分について考えていくと、これは大きな影響を与えかねない論点であることがわかります。もし「希望者全員を65歳まで継続雇用するのと65歳に定年を延ばすのは何」も違わないのであれば、65歳定年は困難だが65歳までの継続雇用制度は可能という認識の存立根拠が根本から失われることになるからです。

 そんな莫迦な話があるか、そもそも今まで65歳定年と65歳継続雇用は別の制度として法律上も書き分けてきているではないか、という反論が当然予想されます。しかしながら、実をいえば2012年改正までは厳密な意味での65歳までの希望者全員継続雇用が義務づけられたことはなかったのです。2004年改正では、65歳定年、65歳継続雇用、定年廃止という3つの選択肢を選択的義務として課し、そのうち継続雇用制度について、高齢法9条2項で労使協定による対象者選定基準を規定しました。高齢法9条2項によって希望者全員でないことが可能とされているのですから、この場合には60歳が定年で(希望者全員ではない)65歳までの継続雇用の上限年齢は定年ではないことは明らかです。

 しかし、2012年改正により希望者全員の65歳までの継続雇用制度が義務づけられた以上、それは旧定年60歳を希望者全員がそこまで雇われ続けることができる65歳に引き上げたとしかいいようがないはずです。当該企業の就業規則に「定年は60歳」と書いてあることは、それが強制退職年齢でない以上、法的意義の「定年」であることをなんら意味するものではありません。

 しかしながら、このような厳密な法理論は法律学者自身によってもほとんど行われてはおらず、世間常識に従って、希望者全員継続雇用における継続雇用の始点に過ぎない60歳を「定年」と呼び続けているのが実態です。

 ここには、定年前に労働条件の不利益変更をすることがどこまで認められるのか、定年後継続雇用する際に労働条件を引き下げる場合とどの程度異なるのか、といった、それ自体は高齢法上の義務違反か否かの問題とは異なる、労働契約法制上の合理性判断の問題を、暗黙のうちに高齢法上の概念設定に潜り込ませてきた思考の惰性も見られるように思われます。その惰性に大きな衝撃を与えたのが、今年5月の長澤運輸事件判決だったのではないでしょうか。

 つまり、本来「労働者が所定の年齢に達したことを理由として自動的に又は解雇の意思表示によってその地位を失わせる」年齢である65歳に達する前の60歳という時点において、貢献と報酬の不均衡をいったん精算して新たな労働条件を設定することの合理性という形で論ずべきことを、60歳定年後再雇用という(厳密には大変怪しい)法形式に載せることで解決したことにしてきたことのツケということです。

*1協和出版販売事件。地裁判決(東京地判平18.3.24 労判917-79)と高裁判決(東京高判平19.10.30 労判963-54)があります。

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政治業界の情弱ビジネス

昨日は、都内某所で秘密会合・・・、てなもんじゃなくって、懇親の会ですが、その場に持ち込まれた一本のビデオ映像が素晴らしかったです。いやいやそんな怪しげなものじゃなくってですね。

それは慶應義塾大学権丈善一ゼミの学生さんたちが先週土曜日に開かれたユース年金学会で発表、というか上映した一編なのですが、まことに抱腹絶倒、最後には涙が滂沱と流れる絶品に仕上がっておりました。

http://www.pension-academy.jp/youth/

 15:50発表4
権丈善一研究会18期(慶應義塾大学商学部/権丈善一教授)
「どうしてマクロ経済スライドのフル適用は実行されないの? ―退職者団体、労組、政治家、財務・厚労省へのインタビュー」
 (質疑応答)

そのうちYouTubeにアップされるとのことなので、楽しみにお待ちください。

Image458

(追記)

ちなみに、何かというと老人のせいで若者が割を食っているとか叫んでワカモノノミカタぶりっ子をしたがる人々に限って、こういう言葉の真の意味での高齢世代と若年世代の資源分配のあり方に係る問題には何も発言したがらないようですね。

まあ、年金なんかぶっつぶせとわめいていればそれで通用した人にとっては、こういう年金制度の中での公平性を議論というのは手に負えるものではないのかも知れません。

それにつけても、今日の若者、それも若者ぶってる中年者ではなく、権丈ゼミの学部生のような若い人々が、これほどに制度をきちんと勉強し、わきまえた上で、枢要のステークホルダーに突撃取材を敢行し、かくも絶品のビデオ映像を作り上げたということは、当該若者世代は(その上の若者ぶりっ子世代よりも)ずっと真っ当であるということを物語っているのかも知れません。

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ドイツはジョブ型かメンバーシップ型か?

こういう言い方をこの私がすると、「お前が言うか、お前が」という非難の声がどっと襲いかかってくるような気がしないでもないですが、でもやはり、こう言わなければなりません。

ジョブ型とか、メンバーシップ型とか、頭の整理のための概念なのだから、あんまりそれにとらわれてはいけませんよ、と。

いやもちろん、ごちゃごちゃした現実をわかりやすく認識するためには大変役に立ちます。

でも、ある国の社会のありようを100%どちらかに区別しきらなければいけないと思い込んでしまうと、かえってものごとの姿をゆがめてしまうことにもなりかねません。

どういうことかというと、大杉謙一さんのこんなツイートが目に入ってきたからなんですが。

https://twitter.com/osugi1967/status/803107321643548672

先日、ドイツ人を呼んでシンポをやったのですが、どうやら経営層の人材はジョブ型で、ブルーカラー層はメンバーシップ型ではないかという感触を持ちました。

https://twitter.com/osugi1967/status/803111417092018176

ありがとうございます。「ブルーカラーがメンバーシップ型」というのは、私の憶測が入っているのでこれから知己を頼って検証したいと思います。

https://twitter.com/osugi1967/status/803111838682464256

(続き) ドイツ以外のヨーロッパでは、ジョブ型ゆえに若者の失業率が高いことは有名で、ドイツは職業教育が充実しているのでこの問題が生じにくいのですが、「型」はともかく、ブルーカラーの転職率は低いようです。

https://twitter.com/osugi1967/status/803112429487935488

私は、日本の大学の多くを職業教育型に転換していくことには反対ではないのですが、実は肝心の学生がそれを望んでいないようにも感じています。なぜ人は功成り名を遂げると教育(大学)改革の話をしたがるのか(溜息)

えーと、どこから解きほぐしたら良いのかよくわからないのですが、まず「ジョブ型」という概念のもとである、契約で職務が限定されており、賃金はその職務について決まっているという点では、ドイツは間違いなく「ジョブ型」です。

特にブルーカラー労働者の場合、企業を超えた産業別労働協約で賃金が決定されており、それが各企業に原則としてそのまま適用されるという点では、他のヨーロッパ諸国に比べてもより「ジョブ型」でしょう。

しかし一方で、とかく日本では「メンバーシップ型」の徴表ととらえられがちな企業がそう簡単に解雇できないとか、仕事がなくなっても雇用を維持しようとするという面では、これまたおそらくヨーロッパ諸国の中でもかなりそういう傾向があるのも確かです。そもそも、日本の雇用調整助成金のもとは、ドイツの操業短縮手当であって、景気変動には雇用維持で対応という面では相当に「メンバーシップ型」の面があります。

とはいえ、では日本みたいにどんな仕事にでも平気で変えるかというと、「この仕事」というジョブ意識は極めて強くて、企業が勝手に職務を変更できるなどということはありません。そこは強固に「ジョブ型」です。

さらに、集団的労使関係を見ても、産業別労働組合が産業別労働協約を結び、産業別の労働条件を決定しているという点では、これまた他のヨーロッパ諸国に比べても極めて典型的な「ジョブ型」である一方で、事業ごとに事業所委員会という労使協議システムを確立し、ある意味ではまさに日本の企業別組合がやっているような企業の中の労働関係の様々な調整を綿密にやっているという面は、これまた他のヨーロッパ諸国に比べても「メンバーシップ型」的な側面が強いという言い方もできます。そして、会社の監査役会に従業員代表がポストを占めるというかたちで、少なくとも法律上は日本よりもずっとメンバーシップ型になっていると言えないこともありません。

何が言いたいかというと、ある国の労働社会のありようというのはなかなかに複雑なもので、「ジョブ型」「メンバーシップ型」というようなある側面を切り取った切り口「だけ」で綺麗に説明し尽くせるというようなものではないということです。

 

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『新版<働く>ときの完全装備 15歳から学ぶ労働者の権利』

Kaiho_2橋口昌治・肥下彰男・伊田広行さんによる高校向け労働法教材『新版<働く>ときの完全装備 15歳から学ぶ労働者の権利』をおおくりいただきました。ありがとうございます。

本書の初版は2010年に出ていて、その時も本ブログで取り上げております。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/09/15-532e.html

著者の一人の橋口さんが、ツイッター上で短く広報されていますので、それもご紹介。

https://twitter.com/rodokoyo/status/793100118039769088

肥下彰男さん伊田広行さんとの共著『働くときの完全装備 15歳から学ぶ労働者の権利』の新版が出ます。「辞めたいのに辞めさせてくれない」といった教材、「レイシャル・ハラスメント」「水商売・セックスワーク・AV強要」といったコラムが増えました。11月下旬発刊です。よろしくお願いします。

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初版と違うのは、一つは教材が二つ増えていて、それは「辞めたいのに辞めさせてくれない」と「パワハラにやられっぱなしにならない」です。これは時宜に適しています。とりわけなまじ労働法を知っている人からすれば当たり前すぎてあまり意識に上らない「辞めさせてくれない」問題は、とりわけ本書の想定対象である若い人々にとっては大変切実な問題であるわけで。

もう一つ、橋口さんのツイートにもあるようにコラムがめったやたらに増えてます。初版では4つだったのが新版では12も。その中には「水商売・セックスワーク・AV強要」というのも入ってます。

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外国人労働者政策の曲がり角?@WEB労政時報

WEB労政時報に「外国人労働者政策の曲がり角?」を寄稿しました。

https://www.rosei.jp/readers-taiken/hr/article.php?entry_no=601

現在、日本の外国人労働者政策は大きな曲がり角にさしかかっています。昨年3月に国会提出された「外国人の技能実習の適正な実施及び技能実習生の保護に関する法律」が去る11月18日にようやく成立しました。1993年に研修・技能実習制度として始まったこの制度は、研修生を労働者ではないとするややインチキな仕組みが批判を浴び、2009年の入管法改正で労働者としての保護は整備されたものの、なお米政府や日弁連などから人権侵害を批判され、ようやく技能実習生の保護を正面から規定する単独法の制定にたどり着きました。

 しかし、近年の人手不足の中で外国人労働力を求める経済界の声は急速に高まってきており、技能実習法で予定されている再実習の導入を待ちきれない形で、既に昨年4月から2020年のオリンピック・パラリンピックで人手不足がさらに深刻化すると見込まれる建設分野に限って元実習生を2~3年間就労させる事業が始まっています。即戦力が必要なので緊急措置というわけです。・・・

 

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あれからもう10年・・・・

安倍内閣の[働き方改革]のかけ声と例の第二電通過労自殺事件の影響もあってか、最近長時間労働にかかるニュースが目白押しです。

数日前には、NPO法人「ファザーリング・ジャパン」が長時間労働是正へ署名を提出したという記事がありましたし、

http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG22HC5_T21C16A1CR8000/

父親の子育て支援に取り組むNPO法人「ファザーリング・ジャパン」(東京・千代田)の理事らが23日までに、長時間労働の是正を目的にインターネット上で集めた約4万人分の署名を塩崎恭久厚生労働相に提出した。

電通の新入社員、高橋まつりさん(当時24)が昨年12月に過労自殺した問題を受けて、10月中旬から署名の募集を始めた。NPO法人の理事らは、塩崎厚労相に残業時間の上限設定の法制化と、終業から始業まで一定の休息時間を設ける「インターバル規制」の導入を求めた。これに対し、塩崎厚労相は「前向きに検討したい」と述べたという。

いちいち引用しませんが、新聞各紙も長時間労働の特集記事を競って取り上げています。

今やこの問題のカリスマ的地位にある小室淑恵さんはますます元気よく、「長時間労働は『勝つ手段』ではなく『負けの原因』」とぶち上げています。

https://biblion.jp/articles/NWoZE

こういう今日の状況を見るにつけ、今から10年前の頃、残業代ゼロ法案ばかりが議論になり、それより何より物理的労働時間の規制こそが一番大事なことだと、孤独に主張していた頃のことが、なにやら懐かしく思い出されます。

そう、今では信じられないかも知れませんが、そのころ、残業代ゼロは別に問題じゃない、大事なのは物理的労働時間が青天井であることであり、それを規制することだという主張を正面切ってしていた人は、ほとんどいなかったのです。

2005年から2006年にかけて、私は労働組合関係の雑誌にでぽつぽつとそういう主張をしていましたが、

http://hamachan.on.coocan.jp/imfjcronbun.html (「ホワイトカラーの労働時間法制の課題」『IMF-JC』2005年夏号)

http://hamachan.on.coocan.jp/denkiexemption.html (「労働時間の規制と時間外手当のイグゼンプション」『電機総研リポート』2006年4月号)

http://hamachan.on.coocan.jp/rodochosaexempt.html (「ホワイトカラーエグゼンプションの建前と本音と虚と実と」『労働調査』2006年10月号)

それを広く一般の読者が読む雑誌に書いたのは『世界』2007年3月号に書いた「ホワイトカラーエグゼンプションの虚構と真実」でした。

http://www.iwanami.co.jp/sekai/2007/03/077.html

今国会への法案提出が見送られたホワイトカラーエグゼンプション。この制度の導入に賛成する論者は、「ホワイトカラーエグゼンプションは少子化対策にも役立つ」などという奇妙な主張を展開し、反対する論者は「残業代ゼロ制度」であると非難する。しかし、この制度をめぐる問題構造はもっと複雑でねじれている。真に議論しなければならない問題点は何なのか。労働時間の規制は本来、賃金問題ではなく労働者の健康問題のためにあるという視点から、混迷するホワイトカラーエグゼンプション論議のねじれを解きほぐす。

これらの文章の中で、わたしはEU労働時間指令の休息期間規制の導入を主張しました。

当時は日本の法政策として休息期間の導入を主張する意見はほとんど見られませんでしたが、その後情報労連傘下の諸組合の取り組み等もあり、勤務間インターバル規制という名前のもとで人口に膾炙するようになりました。

なによりも、10年前には物理的労働時間規制はそっちのけで、もっぱら残業代ゼロがいいか悪いかというゼニカネ問題ばかりに焦点が当たっていたのが、10年後の今では本来の労働時間問題、すなわち労働者の健康とワークライフバランスの問題として議論されるのが当たり前になったということが、感慨深いものがあります。

その頃の論文で、日本の労働時間規制のあり方についてまとまったかたちでろんじたものとしては、内閣府関係の経済企画協会の『ESP』という雑誌の2007年6月号に載せた「労働時間短縮とワーク・ライフ・バランス」があります。

http://hamachan.on.coocan.jp/espworklifebalance.html

1 日本の労働時間短縮政策の問題点

 日本でも最近「ワーク・ライフ・バランス」という言葉がよく使われるようになったが、かつては「職業生活と家庭生活の両立」という言葉がよく使われた。この言葉が使われる際には、育児休業や介護休業、あるいは短時間勤務や保育施設の充実といった、(主として女性労働者が)家庭責任を果たすための特別の措置にもっぱら焦点が当たり、男性労働者の恒常的な長時間労働には必ずしも問題意識が向けられてこなかったようである。これは、一つには組織的な理由により、厚生労働省内において「職業と家庭の両立」は雇用均等・児童家庭局、かつての女性局の所管であって、労働時間政策一般を所管する労働基準局の担当事項ではないと考えられてきたからであろう。しかしそれ以上に多くの日本人の意識において、そもそも労働時間を生活時間との間で配分すべき物理量としてよりも、賃金支払の対象となる経済資源として、すなわち労使間の損得勘定の問題として捉える考え方が強かったからではないかと思われる。

 そのため、1980年代から90年代にかけての労働時間短縮に向けた国家的な取り組みにおいても、法的な措置は法定労働時間の週48時間から週40時間への短縮と、年次有給休暇の拡大が主であって、時間外・休日労働の実体的規制は見送られ、休日労働の割増率が35%に引き上げられただけであった。しかし、法定労働時間を短縮しても時間外労働に法律上の上限はなく年休が増えても取得率が下がれば実質的な時短にはならない。法定労働時間が短縮した分時間外労働が増えれば時間外手当が増えるだけである。それでいいのかというのが法政策上の大問題でなければならなかったはずであるが、ならなかったということは、政労使とも労働時間を本質的にはカネ勘定の問題と捉えていたからであろう。

 それどころか、この時期の労働法政策においては、「時間外・休日労働の弾力的運用が我が国の労使慣行の下で雇用維持の機能を果たしている」(1985年労働基準法研究会報告)とか、「我が国の労働慣行の実情に合うような上限設定が可能かどうか定かでない」(1992年同報告)と、雇用維持のためのコストとして恒常的な長時間労働を是認する考え方が主流であった。これは、労働法政策が男性労働者の雇用維持を最優先課題としている時期には一定の合理性があったといえるかも知れない。ところが、その後労働法政策が内部労働市場における雇用維持から外部労働市場における移動促進に徐々にシフトしていったにもかかわらず、この長時間労働哲学には疑問が呈されないまま21世紀に至ってしまった。

 物理量としての長時間労働の問題が政策課題として意識されるようになったのはここ十年ほどに過ぎない。それも近年までは過労死・過労自殺問題から発展してきた安全衛生政策としての労働時間問題が中心であって、男性労働者の長時間労働がその仕事と生活の両立を困難にしているのではないかというワーク・ライフ・バランスの問題意識が前面に出てきたのはごく最近である。政府関係でこれを正面から取り上げたのは2004年6月の「仕事と生活の調和に関する検討会議」報告であり、「個々の働く者が、いわゆる拘束度の高い正社員か拘束度の限定的な非正社員かといった二者択一をいたずらに迫られる現状を改め、すべての者が、育児・家族介護、自己啓発、地域活動への参加などの仕事以外の活動状況等に応じて、希望する生活時間を確保しつつ、生涯を通じて納得した働き方を選択できるようにするためには、現在の労働時間の在り方を見直す必要がある」と提起した。しかしながら、現実はこれとは逆の方向に進んでいるようであり、2006年1月の労働時間制度研究会報告は、「特に30歳代の男性を中心として、週60時間以上働く雇用者の割合が増加している」と、いわゆる労働時間の二極化現象を的確に指摘している。

2 EUの労働時間法政策

 労働時間を徹頭徹尾カネ勘定の問題と捉えている典型的な例はアメリカである。アメリカには労働時間規制はない。公正労働基準法は、週40時間を超えれば5割の割増を払えと命じているに過ぎない。だから、初めから週100時間という契約で働かせることも可能である。アメリカにあるのは労働時間規制ではなく、割増賃金規制に過ぎない。いわゆる「ホワイトカラー・エグゼンプション」なるものも、この割増賃金規制の適用除外であって、世上誤解されているような労働時間規制の適用除外ではない。

 これと対照的なのがヨーロッパ諸国の法制である。その最低基準としてEUレベルで制定された労働時間指令は、1日に最低11時間の休息期間、1週間に最低1日の休日、1週間に最長48時間の労働時間といった物理量としての規制を各国に課している。規制しているのは物理量としての労働時間なのであるから、時間外手当を払うべきかとか幾らにするといったことは一切規制していない。割増賃金規制は各国に委ねられ、多くの国では原則として労使交渉に委ねられている。

 こういった規制のうち、1週48時間労働については、1年単位の変形労働時間制が認められていることに加え、労働者個人ベースで適用除外されるいわゆる「オプトアウト」という制度がある。これは、イギリス保守党政府が強硬に主張して盛り込ませたものであるが、その扱いが現在EUで大きな問題となっている。現在全面的にオプトアウトを認めている国はイギリスだけだが、現実には雇用契約締結時にオプトアウトの同意をとるケースが大部分で、事実上労働時間規制を空洞化しているとして批判が強いのである。

 しかし一方で、グローバル化の中で企業の競争力を高めるという政策課題に対応して、90年代以降大陸ヨーロッパ各国でもさまざまな形で労働時間規制の弾力化が進んできている。労働時間のフレクシブル化は時代の趨勢でもあるのだ。EU当局は、このオプトアウトを個人ベースではなく労使協定による適用除外として再構成する案を提示したが、各国の意見がまとまらず、現在は棚上げ状態にある。

 ただ、ここで忘れてならないのは、個別オプトアウトが可能なのは1週48時間という規定であって、1日11時間の休息期間や1週1日の休日ではないという点である。もともと、労働時間指令の原案には1週48時間規定はなく、欧州議会の修正で盛り込まれたという経緯がある。当局としては、労働者の健康を確保するためのぎりぎりの基準をEUレベルの最低基準と考えていたのだが、政治家によって必ずしも健康に影響するわけではない週労働時間規制が上乗せされた形である。従って、1日の休息期間や1週の休日にはオプトアウトはない。毎日毎週必ず休ませなければならないのである。

3 時間外労働法政策の迷走

 日本の法制は本来アメリカ型ではない。アメリカの公正労働基準法は「週40時間を超えて働かせてはいけない」とか「働かせる場合には何らかの手続をとれ」などと要求していない。しかし、日本の労働基準法はそれを要求している。日本の法律はヨーロッパ型の物理量としての労働時間を規制するタイプであり、それに36協定という形で集団的オプトアウトを認めているに過ぎない。時間外手当を払えばいくらでも労働させてよいなどという仕組みでは本来なかったのである。それは現在EU当局が目指している姿に近いとも言える。

 ところが、戦後60年にわたる労使の運用は、これをほとんどアメリカ型のカネ勘定の問題として捉えてきた。組合員に時間外労働をさせないのは不当労働行為だと労働組合が訴え、それを労働委員会や裁判所が認めるという奇妙な事態が常態化していたのである。そこには、時間外労働はないのが本来の姿という発想は見当たらない。

 恒常的時間外労働が常態であるという考え方はいわゆる整理解雇法理にも見られる。正規労働者の解雇に先立って、非正規労働者の雇止めや時間外労働の縮減を要求する裁判所は、いざというときの雇用維持のためのクッションとして非正規労働者や時間外労働を恒常的に用意しておけと求めているに等しい。この発想は上記労働基準法研究会報告にも見られるが、21世紀の今日、抜本的な転換が求められているといわなければなるまい。今日求められる労働時間法政策は、労働時間をカネ勘定としてではなく、健康の確保や生活との両立のための物理量として捉え、その実体的規制を図るものでなければならないはずであった。

 ところが、昨年来の労働時間法政策はこの点でいささか方向を見失ってきたように思われる。2006年12月の労働政策審議会答申は「仕事と生活のバランスを実現するための「働き方の見直し」の観点から、長時間労働を抑制しながら働き方の多様化に対応するため」と、まことにまっとうな目標を掲げながら、一定時間を超える時間外労働に現行より高い割増賃金を義務づけるというこれまでのゼニカネ至上主義から一歩も出ない法政策を提起するにとどまった。長時間労働そのものに対しては支援策と助言指導を行う旨が記述されているだけである。国会に提出された労働基準法改正案では1ヶ月80時間を超える時間外労働に対して5割の割増と明記されている。時間外労働自体に対して法律上なんら規制を強化しないまま割増率を上げるだけでは、賃金選好の強い労働者には長時間労働の促進策になりかねないし、そうでなくてもサービス残業の原因となる可能性も高いと思われる。

 それとともに一方では、「自律的な労働時間制度」(労働時間制度研究会報告)とか「自由度の高い働き方にふさわしい制度」(上記答申)、あるいは「自己管理型労働制」(審議会提出法案要綱)といった名称の下で、労働時間規制を適用除外することによって労働者が「より自由で弾力的に働くことができ」るという制度として、いわゆるホワイトカラー・エグゼンプションを提起した。上述のように、本来ホワイトカラー・エグゼンプションとは、労働時間規制なきアメリカにおいて、一定のホワイトカラー労働者に割増賃金規制の適用を除外したものに過ぎない。

 ところが、これらの案は、労働基準法の「週40時間を超えて働かせてはいけない」とか「働かせる場合には何らかの手続をとれ」という規定を適用除外するものとなっていた。いうまでもなく、労働時間規制とは「これよりも短く働いてはいけない」という規制ではない。ワーク・ライフ・バランスのために労働時間を短くして働くことを労働基準法はなんら制約していない。労働時間規制の適用除外とは「これ以上長く働かせてもかまわない」という以外の意味はあり得ない。それが労働者にとって「自由で弾力的」な働き方だというのはいかにも奇妙な論理である。

 結果的にこの提案は「過労死促進法」という批判にさらされることによって労使の合意が不可能になり、挙げ句の果てにマスコミの「残業代ゼロ」批判によって頓挫するに至った。

4 あるべき労働時間規制の方向

 あるべき労働時間規制を考えるためには、まず何のための労働時間規制なのかを確認する必要がある。2つないし3つの基準を考えることができるだろう。

 まず第1は労働者の心身の健康を守り、ひいては生命の安全を確保するという目的である。この観点からは、これ以上長く働かせることは危険であるというレッドカードゾーンが設定されなければならない。EU労働時間指令で規定する1日11時間の休息期間と1週間1日の休日はこれに対応する。1日11時間の休息期間とは、通常は拘束時間の上限は13時間ということになるが、仮に仕事が大変忙しくてある日は夜中の2時まで働いたとすれば、その翌朝はどんなに早くても午後1時に出勤ということになる。具体的な時間数は生理学的見地から検討されるべきであろうが、睡眠時間や心身を休める時間を確保することが重要である。これは緊急の場合を除き、必ず守るべき最低基準として規定されなければならない。ややブラックユーモアの感があるが、仕事と「生命」のバランスという意味でのワーク・ライフ・バランス政策と言えようか。

 第2には労働者の家庭生活や私的生活に使われるべき最低限の時間を確保するという目的である。上述のような恒常的な長時間労働を容認する考え方は、男性労働者には雇用維持さえ確保されれば家庭生活のための時間など必要ではないという価値判断に基づくものであろう。男性は会社に出稼ぎに行き、女性は家庭で家事育児に専念するという典型的な男性稼ぎ手モデルである。これは究極的には個人の選択の問題であるので、「生命」の安全が確保される限り長時間働きたいという選択を禁止することはできない。

 しかし、通常の労働者に適用されるデフォルト・ルールは明確に変更すべきであろう。すなわち、原則的には男女労働者とも家庭生活とのバランスがとれる程度の時間外労働を上限とすべきである。法制的には、36協定により事業所単位で就労が義務づけられる時間外労働には法律上の上限を設定し、それを超える時間外労働は個別に合意した場合に限り認めると言ったやり方が考えられる。もっとも、イギリスの例に見られるように、個別オプトアウトには問題が多い。通常の時間外労働の上限水準も、EU指令では時間外を含めて1週48時間であるが、日本ではいささか非現実的かも知れない。

 また、雇用維持という目的を家庭生活との両立の上位に置かないということは、整理解雇法理の一定の緩和というインプリケーションも持つ。アメリカという異常例を除き、先進国で解雇を使用者の恣意に委ねている国はないが、日本の整理解雇法理は欧州諸国の解雇規制に比べても過度に抑制的であり、そのツケが長時間労働や遠距離配転にしわ寄せされているという面もある。これらも含めてさまざまな規制間のバランスについて、社会的な検討が行われることが望ましい。

 第3にようやく世間で言われるワーク・ライフ・バランスが来る。通常の男女労働者よりも短い時間の勤務を可能にしたり、一定期間就労を免除したりという特別扱いの世界である。実をいえば、日本の法制はこの面においてそれほど遜色があるわけではない。育児休業も介護休業もその他のさまざまな措置についても、労働者の権利としては的確に規定されている。問題は、それが社会的にほとんど女性労働者専用の権利と見なされていることであり、男性がそれらの権利を行使すると珍しい生物のごとく見られるという点であろう。

 これは労働法制で左右しうる問題ではなく、中長期的に社会の意識改革を図っていくべき課題ではあるが、税制や社会保障といった社会の基本的枠組みが旧来の意識を維持している面もあり、その改革が意識改革につながる可能性もある。近年EUでは、生涯にわたる労働時間配分を、男女ともに仕事と家庭と学習とが並行して行えるようにする制度の研究が試みられている。そのためには、社会保障制度をより普遍主義的に設計し、特定の雇用関係に依存することなく、人生の任意の時点で自由に就業に関する意思決定が行えるような独立性を与えるべきであるとされている。現時点ではなお研究段階ではあるが、今後の労働時間制度の在り方を考える上で示唆的な内容を多く含んでいるように思われる。

 以上の視点から見て、本年4月に経済財政諮問会議の労働市場改革専門調査会がまとめた第1次報告書はいくつもの評価すべき点を有している。とりわけ、休日労働の上限規制として、週休二日制の場合休日労働の上限を4週4休とするという提案は、裏からいえば4週4休を休日労働の許されない絶対休日とするということであり、EU型時間規制への第一歩と評価できる。また、最終版では注釈にとどまったが、原案ではEU型の最低連続11時間の休息期間規制を提起していたことも、政策の方向性として共感するところが大きい。女性や高齢者の就業率の向上を数値目標とすることも、EUの雇用戦略においてこの10年間進められてきた点であり、彼らに働きやすい労働環境を作るべきとのインプリケーションがある。

 ただあえてひと言いうならば、「多様な働き方」「柔軟な働き方」の強調は、ワーク・ライフ・バランスの思想にきちんと裏打ちされていないと過重労働の容認につながりかねないという点を、常に意識しておく必要があろう。ホワイトカラー・エグゼンプションの失敗劇はそれを雄弁に物語っている。同じ内閣府の規制改革会議はその教訓を未だに理解していないようである。生活と両立しうる「普通の働き方」の重要性を再確認しておきたい。

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これってリベサヨ?

Diodio 連合総研から機関誌『DIO』11月号をお送りいただいたのですが・・・・。

http://rengo-soken.or.jp/dio/pdf/dio320.pdf

特集は「安倍政権の4年と日本政治の これから」で、書いているのは山口二郎さんと中野晃一さん。

安倍政権の問題点と日本の政党政治のゆくえ 山口 二郎 ……………………4

右傾化に抗うリベラル左派連合の再生に向けて 中野 晃一 ……………………8

なんかもう読む前から中身がわかってしまう感が半端ないのです、とりわけ中野さんのタイトルは「右傾化に抗うリベラル左派連合」と、まさに(わたくしが言い出した意味ではなく、ネット上でネトウヨ諸氏がからかい言葉としてめったやたらに使っている意味における)「リベサヨ」そのものになってしまっておりますですね。

いやだからそうやって、「リベラル」ばかりを追い求めて、肝心の「ソーシャル」がどこかに行ってしまったりするから、諸々こういう事態になっちゃったりするんじゃないのでしょうか、というのが、もう10年以上前から本ブログで細々と呟き続けていることなんですけどね。

と思ってみていくと、表紙に「ソーシャル」という文字列が・・・。

第20回ソーシャル・アジア・フォーラム

おお、日本、韓国、中国、台湾の東アジア4カ国の民間レベルで続けられてきているソーシャル・アジア・フォーラムが20回目に達したんですね。

ちょうど6年前の2010年に、台北で開かれたフォーラムに出席した時の本ブログの記事です。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/post-3af4.html (ソーシャルアジアフォーラム@台北)

来週、11月11.12日の両日、台湾の台北で、第15回ソーシャルアジアフォーラムが開かれます。

このフォーラムは、全逓、PTTIで活躍された初岡昌一郎さんが中心になって、日本、韓国、中国、台湾の4カ国(地域)の労働関係者が集まって、その時々の状況を報告し、討議するという会議ですが、今回の会議には、わたくしも参加して報告することになりました。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/post-a3c6.html (ソーシャルアジアフォーラムの由来)

今週の木・金と、台北でソーシャルアジアフォーラムに出席することは本ブログで申し上げましたが、このフォーラムの由来について、初岡昌一郎さんご自身が書かれた文章をネット上に見つけました。ちょうど5年前に同じく台北で第11回のフォーラムが開かれたときに「メールマガジン オルタ」の22号に、「回想のライブラリー(4)」として書かれたものです。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/post-000a.html (亜洲社会論壇@台北)

というわけで、木・金と台北で開かれるソーシャルアジアフォーラムに出席するため、明日からしばらく日本を離れます。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/post-f50f.html (亜洲社会論壇報告)

先ほど、台北から戻って参りました。

ソーシャルアジアフォーラムは、結局直前に中国からの参加予定者が許可が出なかったということで出席しないことになり、中国側の報告は台湾の出席者が代読することになりました。その内容は、現在の中国の労使関係状況をきわめて的確かつ犀利にえぐり取るもので、わたくしには戦前の日本の進歩的な官僚や学者が無理解な体制の中で労使関係システムの確立を説いた姿を想起させるものでした。

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高見具広さんの労働時間論文@『BLT』&『JIL雑誌』

例によってJILPTの出している雑誌『ビジネス・レーバー・トレンド』と『日本労働研究雑誌』の12月号が発行されましたが、今号は示し合わせたかのようにどちらも労働時間特集です。

http://www.jil.go.jp/kokunai/blt/index.html

http://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2016/12/index.html

『BLT』は「過重労働の防止と健康経営―「働き方」の見直しに向けた課題」で、『JIL雑誌』は「今後の労働時間のあり方を考える」です。下の方にそれぞれの目次をコピペしておきましたが、今回はそのどちらにも論文を書いているJILPTの若手研究員の高見具広さんのを紹介しておきます。

201612まず『BLT』の方ですが、「若手正社員の仕事における心理的負荷 ――業種による問題の相違」という論文ですが、これはもうすぐ出る報告書の中の一章を特出ししたものです。

若手正社員の長時間労働や心理的負荷の重さは現下の最大課題ですが、それを業種別に観察してみると、全体像だけでは見えてこないさまざまな問題がくっきりと浮かび上がってきます。

たとえば教育学習支援業は確かに残業時間が長い業種なのですが、実は他の業種に比べて持ち帰り残業がダントツに多いのですね。持ち帰り残業はもちろんサービス残業と重なるというだけではなく、自宅に仕事を持ち込むことでメンタルヘルスに悪影響を及ぼしていると想定しています。

宿泊飲食サービス業は休日が少なく、年休も取りにくいという点で際立っています。その背景には人員不足がありますが、休み無く働くことがメンタルヘルスに悪影響を及ぼしていると思われるのです。

そして金融保険業。実は残業時間それ自体も持ち帰り残業も少ない方なのですが、目標管理制度が導入されている割合が一番多く、しかもそのうち仕事の裁量性なしという割合も高いのです。また業績評価を処遇に反映する度合いも高いことから、いわば成果主義によって心理的負荷が高まっているという実態が示されています。

このように、等しく長時間労働とか心理的負荷といっても、業種ごとにその態様はかなり異なり、それゆえ対策の方向の細かく考えていく必要がありそうです。

677_12もう一つの『JIL雑誌』の方ですが、「働く時間の自律性をめぐる職場の課題─過重労働防止の観点から」という論文です。

これは冒頭に要約が載っているのでそれをそのままコピペしておきましょう。

本稿は、労働時間に関する職場管理の課題について議論する。特に、裁量労働制が適用され、制度上は使用者との関係で働く時間を自律的に決められる者でも、仕事・職場の性格によっては日々の仕事や時間のコントロールが思うようにいかず、多忙な状態になりうることを議論する。

分析の結果、まず、仕事量や期限を会社・上司が(一方的に)決めている場合、労働時間が長時間化するなど、過重労働になるリスクを抱える。しかし、労働者が多忙な状態になるのはこのケースだけではない。会社・上司との関係では業務の裁量性があっても、取引先・顧客都合への即応が求められる仕事で、上司が部下の進捗状況把握に消極的な場合、多忙な働き方になりうる。

過重労働を防止する観点からは、従業員が時間的なコントロールを発揮できない状態に陥ることのないよう、業務の適切なマネジメントが強く求められる。その点、まず、そもそも長時間働くことを前提とした業務量設定は防ぐべきであり、業務量の適正化のためには従業員の意見を踏まえて業務内容を決定することが必要であろう。しかし、注意すべきはそれだけではない。取引先・顧客との関係で具体的な業務内容が決まる仕事の場合、個々の従業員に進捗を任せきりにすると、顧客都合に即応するあまりの過重労働に歯止めがかかりにくいリスクがある。細やかな状況把握によって、個々の従業員が抱えている業務を把握し、時には壁となって顧客都合の働きすぎにブレーキをかけるのもマネジメントの役割なのではないかと示唆される。

まさに今「働き方改革」が国政の焦点となり、長時間労働や心理的負荷をめぐる議論が沸騰しつつある現在だからこそ、こういう丁寧に分析された若手研究員の論文が広く読まれることが求められます。

それ以外の『JIL雑誌』の論文では、

主要先進国の労働時間─多様化する労働時間と働き方 要約

鈴木 宏昌(早稲田大学名誉教授)

日本の労働時間はなぜ減らないのか?─長時間労働の社会学的考察 要約

小野 浩(一橋大学大学院国際企業戦略研究科教授)

成果主義的処遇制度と労働時間 要約

守島 基博(一橋大学大学院商学研究科教授)

働く時間の自律性をめぐる職場の課題─過重労働防止の観点から 要約

高見 具広(JILPT研究員)

労働時間の決定における労使自治と法的規制 要約

森岡 孝二(関西大学名誉教授)

労働時間法政策のこれから 要約

島田 陽一(早稲田大学法学学術院教授

と、結構錚々たる大御所の方々が顔を連ねておられます。

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『子どもの貧困が日本を滅ぼす』

Img_8ed6994fecddfe3f2d013b36a87b4b2文春新書編集部の高木知未さんから、彼女が編集者として携わった『徹底調査 子供の貧困が日本を滅ぼす 社会的損失40兆円の衝撃』をお送りいただきました。

http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784166610921

著者として表紙に書かれているのは「日本財団 子どもの貧困対策チーム」ですが、実際の執筆者は小林庸平さんと花岡隼人さんです。その花岡さんが「はじめに」で、自分自身の経験を語っています。

4

そして、第3章の当事者の語りで出てくる若者たちの姿も、それぞれにインパクトがあります。特に、風俗で学費を稼ぎながら福祉系の大学に通う自立支援ホーム出身の中村さん(仮名)など。

「おわりに」によると、本書は高木さんが日本財団の推計レポートを見つけて、本にするようにもっていったようですね。

編集者として、いろんな所に嗅覚を利かせて、ネタになるものを見つけ出すというのは大事な資質なのでしょう。

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「協同組合の団体協約締結権」@『労基旬報』2016年11月25日号

『労基旬報』2016年11月25日号に「協同組合の団体協約締結権」を寄稿しました。

 労働組合法上の「労働者」は「賃金、給料その他これに準ずる収入によって生活する者」(第3条)とされており、労働基準法上の「使用される者で、賃金を支払われる者」(第9条)よりもやや広くなっています。実際に、プロ野球選手や建設業の一人親方の労働組合も存在しますし、近年の最高裁判例が労組法上の労働者性を広く解する判決を下していることは周知の通りです。

 しかし、それだけではなく、法制的には労働者性のない明らかな自営業者に対しても、日本の法制は既に集団的労使関係システムに類似した法制度を用意しているのです。すなわち、各種協同組合法は組合員の経済的地位の改善のためにする団体協約の締結を各種組合の事業として挙げ、しかもこれに相手方の交渉応諾義務や団体協約の規範的効力、行政庁による介入規定などが付随しています。

 このうち、特に労働者との連続性の強い商工業の自営業者を対象とした中小企業等協同組合法についてみますと、1949年7月の制定時に既に事業協同組合の事業として「組合員の経済的地位の改善のためにする団体協約の締結」(第70条第1項第5号)を挙げ、この「団体協約は、あらかじめ総会の承認を得て、同項同号の団体協約であることを明記した書面をもつてすることによって、その効力を生」じ(同条第4項)、「直接に組合員に対して効力を生ずる」(同条第5項)とともに、「組合員の締結する契約でその内容が第1項第5号の団体協約に定める規準に違反するものについては、その規準に違反する契約の部分は、その規準によつて契約したものとみなす」(同条第6項)とその規範的効力まで規定しました。これらは協同組合連合会の締結する団体協約についても同様です。

 これらの規定は1955年改正で第9条の2に移されましたが、その後1957年改正で団体交渉権の規定が設けられました。すなわち、「事業協同組合又は事業協同小組合の組合員と取引関係がある事業者(小規模の事業者を除く)は、その取引条件について事業協同組合又は事業協同小組合の代表者(これらの組合が会員となっている協同組合連合会の代表者を含む)が政令の定めるところにより団体協約を締結するため交渉をしたい旨を申し出たときは、誠意をもつてその交渉に応ずるものとする」(第9条の2第5項、現第12項)とされており、この「誠意をもつて」とは、下記商工組合について「正当な理由がない限り、その交渉に応じなければならない」と規定しているのと同趣旨と解されています。

 さらに同改正によって斡旋・調停の規定も設けられました。すなわち、「交渉の当事者の双方又は一方は、当該交渉ができないとき又は団体協約の内容につき協議が整わないときは、行政庁に対し、そのあつせん又は調停を申請することができ」(第9条の2の2第1項)、「行政庁は、前項の申請があった場合において経済取引の公正を確保するため必要があると認めるときは、速やかにあつせん又は調整を行」い(同条第2項)、その際「調停案を作成してこれを関係当事者に示しその受諾を勧告するとともに、その調停案を理由を附して公表することができる」(同条第3項)のです。

 なお、これら改正と同時に中小企業団体の組織に関する法律が制定され、商工組合及び商工組合連合会にも組合協約締結権が認められ(第17条第4項)、商工組合の組合員と取引関係にある事業者等は「正当な理由がない限りその交渉に応じなければな」りません(第29条第1項)。もっとも組合協約は「主務大臣の認可を受けなければその効力を生じ」ず(第28条第1項)、また主務大臣は商工組合又はその交渉の相手方に対し、組合協約の締結に関し必要な勧告をすることができる」(第30条)と、行政介入が強化されています。商工組合等に関しては、1999年に中小企業の事業活動の活性化等のための中小企業関係法律の一部を改正する法律によって組合協約関係の規定がばっさりと削られ、上記事業協同組合の規定を準用する(第17条第7項)という形になりました。

 なおこの外に、自営業者の団体による団体協約の締結を規定している法律としては、1947年の農業協同組合法(組合員の経済的地位の改善のためにする団体協約の締結、規範的効力あり)、1948年の水産業協同組合法(同前)、1954年の酪農及び肉用牛生産の振興に関する法律(規範的効力の規定なし)、同年の輸出水産業の振興に関する法律(規範的効力あり)、1957年の内航海運組合法(認可制、規範的効力あり)、1978年の森林組合法(規範的効力あり)があります。

 ちなみに、こういった自営業者よりも実態としては労働者に近いはずの家内労働者については、家内労働法において特に団体協約締結権の規定は置かれていません。なまじ、労働法制の枠組みの中におかれると、かえって柔軟な対応は困難になるのかもしれません。もっとも、かつて日本社会党が提出した家内労働法案には、家内労働者組合と委託者との労働協約の規範的効力や、あっせん、調停、委託者の不当行為に対する命令といった規定が盛り込まれていました。今では誰も顧みることのない文書ですが、ネットを介した個人請負がかくも広がり、家内労働法による最低工賃制度が全く及ばない領域がかくも拡大している今日、改めて今後の法政策のヒントとして再検討する値打ちはあるのではないでしょうか。

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学問と教育、大学の存在意義とか

Chuko 群馬で経済学を勉強している大学生の「うれいちゃん」のブログ「うれろぐ」で、拙著『若者と労働』について突っ込んだ批評が書かれていましたので、昔のエントリを引きつつ少しコメント。

http://ur-e1log.hatenablog.jp/entry/2016/11/22/211740

この本の第3章「『入社』のための教育システム」が個人的にとても興味深い。

として、その中身を紹介されたあと、

・・・この本ではジョブ型社会*1には職業教育を行うシステムが自然と必要みたいに書いてるけどそうなったとしたら大学等のいわゆる高等教育機関の存在意義は何なのだろうと思った。大学教育までもが就職に必要な能力を養成するものになってしまったら純粋な学問を学ぶ場所はどこへ行くのだろう。社会を前進させるためには一歩進んだ知識が必要になる。それはどこで教えられるのだろう、と考えた。

もし仮に「一歩進んだ知識」が学者や政治家といった職業に必要なものだとしたらそれを教える大学は職業学校?だとしたら学問って何?とネズミ算式のように疑問が湧いては消えていく。そうなら学問って何?

同じ大学の友人も言っていた。「学んだことを就職先で活かせないようであればそれはただその分野に詳しい人だ」と。大学で学ぶことは就職後かんたんに役に立つような知識なのか?そのほうが社会にとって望ましいのか。

自分のこの考えこそ、職業学校を卑下している最たる例なのかもしれない。

疑問は深まるばかり。

と、大変本質的な疑問を呈されています。

言うまでもなく、全ての学問がその本来の性質として職業につくための知識でありそのための教育であるわけではありません。法学や医学は伝統的な高等職業教育ですし、商学や工学も近代的な高等職業教育ですが、少なくともその基礎部分は純粋学問的性質を有していますし、ましてや文学や理学はそれ自体純粋学問ではないか、と考える人が多いでしょう。学問自体の性質論(だけ)からすれば、そういう発想の方が普通です。

しかし、そういう学問を学んでいる人々や教えている人々の社会的有り様を客観的に分析するという職業社会学的視点からすれば、学問自体の性質論は別として、いかなる学問も全てその学問を修了した人がそれに関わる職業に就いていくための職業教育と位置づけられます。

哲学を勉強している学生は、彼/彼女が主観的にどう認識しているか否かにかかわらず、主として大学文学部で提供される哲学教師という希少な雇用機会を獲得するために必要な職業教育を受講しているのです。

このあたりのことについては、本ブログで非常に昔いくつかのエントリで述べたことがあります。

せっかくなのでそろそろ棚卸ししてみましょうか。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/04/post_c7cd.html(哲学・文学の職業レリバンス)

一方で、冷徹に労働市場論的に考察すれば、この世界は、哲学や文学の教師というごく限られた良好な雇用機会を、かなり多くの卒業生が奪い合う世界です。アカデミズム以外に大して良好な雇用機会がない以上、労働需要と労働供給は本来的に不均衡たらざるをえません。ということは、上のコメントでも書いたように、その良好な雇用機会を得られない哲学や文学の専攻者というのは、運のいい同輩に良好な雇用機会を提供するために自らの資源や機会費用を提供している被搾取者ということになります。それは、一つの共同体の中の資源配分の仕組みとしては十分あり得る話ですし、周りからとやかく言う話ではありませんが、かといって、「いやあ、あなたがたにも職業レリバンスがあるんですよ」などと御為ごかしをいってて済む話でもない。

職業人として生きていくつもりがあるのなら、そのために役立つであろう職業レリバンスのある学問を勉強しなさい、哲学やりたいなんて人生捨てる気?というのが、本田先生が言うべき台詞だったはずではないでしょうか。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/04/post_bf04.html(職業レリバンス再論)

哲学者や文学者を社会的に養うためのシステムとしての大衆化された大学文学部システムというものの存在意義は認めますよ、と。これからは大学院がそうなりそうですね。しかし、経済学者や経営学者を社会的に養うために、膨大な数の大学生に(一見職業レリバンスがあるようなふりをして実は)職業レリバンスのない教育を与えるというのは、正当化することはできないんじゃないか、ということなんですけどね。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/04/post_722a.html(なおも職業レリバンス)

歴史的にいえば、かつて女子の大学進学率が急激に上昇したときに、その進学先は文学部系に集中したわけですが、おそらくその背景にあったのは、法学部だの経済学部だのといったぎすぎすしたとこにいって妙に勉強でもされたら縁談に差し支えるから、おしとやかに文学でも勉強しとけという意識だったと思われます。就職においてつぶしがきかない学部を選択することが、ずっと仕事をするつもりなんてないというシグナルとなり、そのことが(当時の意識を前提とすると)縁談においてプラスの効果を有すると考えられていたのでしょう。

一定の社会状況の中では、職業レリバンスの欠如それ自体が(永久就職への)職業レリバンスになるという皮肉ですが、それをもう一度裏返せば、あえて法学部や経済学部を選んだ女子学生には、職業人生において有用な(はずの)勉強をすることで、そのような思考を持った人間であることを示すというシグナリング効果があったはずだと思います。で、そういう立場からすると、「なによ、自分で文学部なんかいっといて、いまさら間接差別だなんて馬鹿じゃないの」といいたくもなる。それが、学部なんて関係ない、官能で決めるんだなんていわれた日には・・・。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/05/post_8cb0.html大学教育の職業レリバンス

前者の典型は哲学でしょう。大学文学部哲学科というのはなぜ存在するかといえば、世の中に哲学者という存在を生かしておくためであって、哲学の先生に給料を払って研究していただくために、授業料その他の直接コストやほかに使えたであろう貴重な青春の時間を費やした機会費用を哲学科の学生ないしその親に負担させているわけです。その学生たちをみんな哲学者にできるほど世の中は余裕はありませんから、その中のごく一部だけを職業哲学者として選抜し、ネズミ講の幹部に引き上げる。それ以外の学生たちは、貴重なコストを負担して貰えればそれでいいので、あとは適当に世の中で生きていってね、ということになります。ただ、細かくいうと、この仕組み自体が階層化されていて、東大とか京大みたいなところは職業哲学者になる比率が極めて高く、その意味で受ける教育の職業レリバンスが高い。そういう大学を卒業した研究者の卵は、地方国立大学や中堅以下の私立大学に就職して、哲学者として社会的に生かして貰えるようになる。ということは、そういう下流大学で哲学なんぞを勉強している学生というのは、職業レリバンスなんぞ全くないことに貴重なコストや機会費用を費やしているということになります。

これは一見残酷なシステムに見えますが、ほかにどういうやりようがありうるのか、と考えれば、ある意味でやむを得ないシステムだろうなあ、と思うわけです。上で引いた広田先生の文章に見られる、自分の教え子(東大を出て下流大学に就職した研究者)に対する過剰なまでの同情と、その彼らに教えられている研究者なんぞになりえようはずのない学生に対する見事なまでの同情の欠如は、この辺の感覚を非常に良く浮かび上がらせているように思います。
・・・いずれにせよ、このスタイルのメリットは、上で見たような可哀想な下流大学の哲学科の学生のような、ただ研究者になる人間に搾取されるためにのみ存在する被搾取階級を前提としなくてもいいという点です。東大教育学部の学生は、教育学者になるために勉強する。そして地方大学や中堅以下の私大に就職する。そこで彼らに教えられる学生は、大学以外の学校の先生になる。どちらも職業レリバンスがいっぱい。実に美しい。

(追記)

http://b.hatena.ne.jp/kyo_ju/20161124#bookmark-309546081

これ、濱口さんは哲学や文学だけを撃ってるつもりかもしれないけど政治学や経済学も撃つことになるんだよなぁ(その大学学部学科を出て得るものがほぼシグナリング効果だけであるという点では文学部より悪いとも言え

そういう誤解をする人がいるとわかっていたら、はじめからこのエントリも載っけておくべきでしたね。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-f2b1.html (経済学部の職業的レリバンス)

たまたま、今から11年前の平成10年4月に当時の経済企画庁経済研究所が出した『教育経済研究会報告書』というのを見つけました。本体自体もなかなか面白い報告書なんですが、興味を惹かれたのが、40ページから42ページにかけて掲載されている「経済学部のあり方」というコラムです。筆者は小椋正立さん。本ブログでも以前何回か議論したことのある経済学部の職業的レリバンスの問題が、正面から取り上げられているのです。エコノミストの本丸中の本丸である経企庁経済研がどういうことを言っていたか、大変興味深いですので、引用しましょう。

>勉強をしないわが国の文科系学生の中でも、特にその傾向が強いと言われるグループの一つが経済学部の学生である。学生側の「言い分」として経済学部に特徴的なものとしては、「経済学は役に立たない(から勉強しても意味がない)」、「数学を駆使するので、文科系の学生には難しすぎる」などがある。・・・

>経済学の有用性については、確かに、エコノミストではなく営業、財務、労務などの諸分野で働くビジネスマンを目指す多くの学生にとって、企業に入社して直接役立つことは少ないと言えよう。しかし、ビジネスマンとしてそれぞれの職務を遂行していく上での基礎学力としては有用であると考えられる。実際、現代社会の特徴として、経済分野の専門用語が日常的に用いられるが、これは経済学を学んだ者の活躍があればこそ可能となっている。・・・

>・・・ところが、経済学の有用性への疑問や数学使用に伴う問題は、以上のような関係者の努力だけでは解決しない可能性がある。根本的には、経済学部の望ましい規模(全学生数に占める経済学部生の比率)についての検討を避けて通るわけにはいかない。

>経済学が基礎学力として有用であるとしても、実社会に出て直接役に立つ分野を含め、他の専攻分野もそれぞれの意味で有用である。その中で経済学が現在のようなシェアを正当化できるほど有用なのであろうか。基礎学力という意味では数学や物理学もそうであるが、これらの学科の規模は極めて小さい。・・・

>大学入学後に専攻を決めるのが一般的なアメリカでは、経済学の授業をいくつかとる学生は多いが専攻にする学生は少ない。もちろん、「望ましい規模」は各国の市場が決めるべきである。歴史的に決まってきた現在の規模が、市場の洗礼を受けたときにどう判断されるのか。そのときに備えて、関係者が経済学部を魅力ある存在にしていくことが期待される。

ほとんど付け加えるべきことはありません。「大学で学んできたことは全部忘れろ、一から企業が教えてやる」的な雇用システムを全面的に前提にしていたからこそ、「忘れていい」いやそれどころか「勉強してこなくてもいい」経済学を教えるという名目で大量の経済学者の雇用機会が人為的に創出されていたというこの皮肉な構造を、エコノミスト自身がみごとに摘出したエッセイです。

何かにつけて人様に市場の洗礼を受けることを強要する経済学者自身が、市場の洗礼をまともに受けたら真っ先にイチコロであるというこの構造ほど皮肉なものがあるでしょうか。これに比べたら、哲学や文学のような別に役に立たなくてもやりたいからやるんだという職業レリバンスゼロの虚学系の方が、それなりの需要が見込めるように思います。

ちなみに、最後の一文はエコノミストとしての情がにじみ出ていますが、本当に経済学部が市場の洗礼を受けたときに、経済学部を魅力ある存在にしうる分野は、エコノミスト養成用の経済学ではないように思われます。

おまけにこれも、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/12/27-040d.html (大学教育と企業-27年前の座談会)

今は亡き『経済評論』なる雑誌がその昔ありまして、その1983年12月号-ちょうど27年前ですな-が「曲がり角に立つ大学教育」なる特集を組んでおりまして、その中で中村秀一郎、岩田龍子、竹内宏の3人の「大学教育と企業」という座談会が載っています。

竹内宏と言っても最近の若い方はご存じないかも知れませんが、この頃大変売れっ子だった長銀のエコノミストです。って、その長銀も今は亡き長期信用銀行ですが。

そういう昭和の香り漂う座談会の会話を読むにつれ、「曲がり角に立」っていたはずの27年前からいったい何がどう変わったのだろう、という思いもそこはかとなく漂うものがあり、やや長いのですが、興味深いところをご紹介したいと思います。いうまでもなく、昔話のネタというだけではありませんで。

>竹内 企業にしてみると、大学は志操堅固なんです。志操堅固というのはどういうことかというと、自分の問題意識を持って、それを達成するために何かやろうということでしょう。つまり自分の人生の目的があって、それを達成するために企業を使ってやろうという人を今までは作ってくれているらしい。だから、そういうモラルがしっかりしている人だけもらって、育ててくれればいい。ですから、現在のところは、経済学でも何でもそうですが、専門的知識は全然要求していない。要求してもむだだから、その知識を企業は期待していない。ただ、そのモラルを期待している。

>中村 そうでしょうね。高度成長のちょうど中ごろ、昭和30年代の終わりごろですが、私は徹底的にフィールドワークをやるから、企業に出入りすることが多かったんですが、あの頃企業の偉い人が必ず僕に言うことは、「先生、大学はもうちょっと企業で役に立つ方法を教えてもらわなくちゃ困りますよ」と、こういうお説教が非常に多かった。ところが40年代に入ってから、それがなくなりましたね。これはあきらめムードだと思う。まず第一に、そんなことを大学に言っても無理だということになったと、僕は解釈しているんです。・・・

>岩田 半分は竹内さんのおっしゃるとおりですところが、私は反面ちょっと違う考えがあって、会社が全然期待してくれないから、学生がやる気にならないのだという見方をしているわけです。というのは、日本の企業は、終身雇用・・・という組織構造があって、入社してから教育し、あちこち部局を動かして、組織の中で教育しないと使いものにならない。そういう構造的な条件があり、企業の側は、ものすごく熱心に人材育成をなさる。大変精緻な教育システムができているわけです。

そこで、企業はどんな人材を採るかということになると、今おっしゃったように、大学で学んできた経済学とか経営学は、ほとんど問題にならない。優れた潜在能力を持った人たちが、意欲とかリーダーシップを大学時代に大いに鍛えていれば、後は企業が教育するからといわれる。そうなると、逆に学生の方は専門に対して不熱心になる傾向が、盾の半面としてあるんじゃないか。・・・

>竹内 企業がなぜ専門性を重視しないかといえば、猛烈に経済学をやったりすると、私はケインジアンだ、なんていいだす。そうすると、ケインジアンだから、今は財政を拡大しろと、それだけでしょう。これは困っちゃうんです(笑)。・・・だから、むしろない方がいいということで、かえって専門性が嫌われちゃう。怖くて採れないのです。

>岩田 ということは、日本の大学の現状は、企業にとっては理想的な状況になっているということになりますね。妙に専門性を叩き込んでいない。

ちなみに、座談会の冒頭で、司会の人が

>竹内さんの言葉を使えば「その他学部」である(笑)経済学部、経営学部に限定させていただきます。

と言っていますが、「その他学部」なんて言葉があったんですね。

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『経営法曹研究会報』86号

経営法曹会議より『経営法曹研究会報』86号をお送りいただきました。

今号の特集は「有期労働契約をめぐる労働契約法の最新判例と実務」で、労契法18条、19条、20条をそれぞれ川端小織、杉原知香、今津幸子さんが担当し、パネルディスカッションの司会を大御所木下潮音さんが務めるという、女性経営法曹で固めた布陣です。

今津さんのは、長澤運輸高裁判決が出る直前なので、「控訴審で覆ることを強く期待して、控訴審の判決を待ちたい」と述べられていますね。

ただこの号の中で一番記憶に残ったのは、パネルの最後で川端さんの発言を受けて司会の木下潮音さんが、男女均等法もその時は大騒ぎだったけれどももう落ち着いてきたことを踏まえて、こう述べているところです。

・・・そうすると、この労契法はもしかしたら、均等法が今になってみればそう感じるように、ある意味では日本の雇用関係の古いあり方を改めていく、それも、例えば規制や罰則ではなくて、企業側が独自に取り組むことによって改めていくということにもつながっていくのではないかと思います。もちろんその前には痛みがありますから、2018年4月頃に向けて19条訴訟と20条訴訟は多発することが予想されますので、私ども経営法曹としては、その事件をきちっとこなしていけなければいけないですし、各企業の方々には、そういう時期があるけれども、それを過ぎたら事案が増えないような対策をとっていただきたいと思います。・・・

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違法にクビにされても法律で救われない現実@倉重公太朗

A1aee1592b14d7fde8e4c099a6b7d436 昨日は、富山県社会保険労務士会の必須研修会で、3時間かけてじっくりと『日本の雇用紛争』を講演してきました。結構多くの皆様から質問を頂き、関心の高さを感じました。

その同じ日に、東洋経済オンラインに、経営法曹の倉重公太朗さんが、「違法にクビにされても法律で救われない現実」という記事を寄稿されていました。

http://toyokeizai.net/articles/-/144594

これは、前回の「ブラック「クビ」が中小企業で横行する理由」(http://toyokeizai.net/articles/-/143160 )の続きで、その中で、

・・・泣き寝入りと言っても2パターンあります。まったく訴えないケースと、弁護士に頼まずに、あっせんなどで丸め込まれてしまった、Bさんのようなケースです。

まず、まったく訴えないケースとしては、退職強要に応じて退職届を出したり、解雇されても訴えることをそもそもしない場合が多く見られます。これは、「会社と戦う」ことに抵抗感がある人、戦う気力を無くしてしまった人など、さまざまな類型があるようです。また、Bさんのような例は、本来は裁判をやればもっと和解金を取ることが可能でした。しかし、早く紛争を終わらせたいという気持ちから、極めて低額な和解をしてしまうケースも実際に多くあるのです(この点はまさに、濱口桂一郎執筆『日本の雇用終了』に多数の事例が紹介されている)。

112050118 と、上記著書の前身の『日本の雇用終了』を紹介されています。

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『情報労連REPORT』11月号は第四次産業革命特集

1611_cover『情報労連REPORT』11月号が届きました、今号は大変意欲的な特集が組まれています。「第四次産業革命と労働運動 未来の働き方はどうなっている?」と題して、興味深い記事がいっぱい載っています。

http://ictj-report.joho.or.jp/special/

JILPTの山崎憲さんが「「インダストリー4.0」と労使関係 中小・請負問題に目を向けよ」というインタビューで概観していますが、

http://ictj-report.joho.or.jp/1611/sp02.html

とりわけUNI-Aproの小川陽子さんが、欧州サービス労組がクラウドワークという働き方に対してどう対応しようとしているのかを書かれたこの記事が注目です。

http://ictj-report.joho.or.jp/1611/sp04.html

前に本ブログでも若干取り上げましたが、欧州労組は結構この分野に積極的に取り組んでいます。

あと、法的側面は労働弁護士の管俊治さんが触れ、

http://ictj-report.joho.or.jp/1611/sp05.html

厚労省の懇談会に参加していた中野円佳さんも登場しています。

http://ictj-report.joho.or.jp/1611/sp06.html

特集以外では、常見陽平さんがやはり電通過労自殺事件を取り上げていますが、

http://ictj-report.joho.or.jp/1611/tsunemi.html

ここで特に是非お読みいただくよう注意を喚起しておきたいのは、三家本里実さんの「労働組合が裁量労働制の運用に規制力を発揮 業務量そのものの調整が今後の課題に」という見開きの記事です。

http://ictj-report.joho.or.jp/1611/topics03.html

・・・制度適用者の実際の労働時間は、多くの場合、上記のように想定された残業時間内におさまらず、労組には、「自分はそれ以上、働いている」といった不満が寄せられている。長時間残業が発生する要因には、本誌前号でも指摘したが、納期が短いことや、仕様変更による突発的な業務量の増大などが挙げられる。プロジェクトが「炎上」している場合には、人員を増やすといった対応も取られるが、そのことによって、むしろ業務量が増加するという話も聞かれた。そのプロジェクトについて何も把握していない人が、開発の途中で追加されたとしても、その人にプロジェクトの内容を教えるという追加の業務が発生し、加えて、その分、自身の業務遂行が滞ってしまうというのである。このように、みなし時間と実際の労働時間が乖離することは珍しくない。では、そのような事態に、労組はどのように対応しているのだろうか。

各組合の対応を、【表2】にまとめた。B組合とC組合では、制度導入時に、実際の労働時間がみなし労働時間を大きく上回るような場合に、裁量労働制の適用から当該労働者を除外する、という条件を定めている。

D組合では、36協定による制限から、制度適用者に業務の負担が偏ってしまうという事態が生じ、適用除外の条件を設けさせるに至った。つまり、労使交渉において、長時間労働の実態を突きつけたことで、制度運用の中身が変化したのである。

A組合の場合、他の組合のように、明確な基準を設けていないが、長時間労働が確認される場合には、制度の適用から当該労働者を外しているという。・・・

このような対応は、長時間労働をせざるをえない状況においては、裁量を発揮することができないと判断されるからであり、加えて、上記のような具体的な基準の設定にあたっては、「過労死ライン」が意識されていた。ここから、労組が裁量労働制による過労死防止に、重要な役割を果たしていることがわかる。

・・・

さらに、D組合では、プロジェクトの状況によっては、裁量的に働けない可能性が高いとして、制度の適用対象となる労働者の範囲を、大幅に狭めるという変更があった。これによって、新たに制度の対象となった者も、真に自身で時間を管理できる場合に限り、適用を受けることとなった。

このように、適用除外、そして適用範囲の変更という形で、みなし時間と実際の労働時間の間に大幅な乖離が見られる場合に、労組の関与によって、制度の適用を否定しうることがわかった。長時間労働を規制する主体として、労組が機能しているのである。

上記のように、働き方の実態から、制度適用の可否を判断するという対応は、非常に重要であり、かつ労使関係においてしか、このような柔軟な措置は実現しえないものである。

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匠英一『ビジネス心理学』

Bk00000450例によって経団連事業サービスの讃井暢子さんより、匠英一『ビジネス心理学-42の具体例で学ぶ顧客の心のつかみ方、組織変革の促し方』(経団連出版)をお送りいただきました。ありがとうございます。

https://www.keidanren-jigyoservice.or.jp/public/book/index.php?mode=show&seq=450&fl=1

 仕事の場とは、そこで使う道具、仕組み、システム、商品、部品、廃棄物といったモノの集合体といえます。これらのモノ群ともいえる「状況」が、人々の記憶力に影響を与えることがわかってきています。ビジネス心理学は、そのような「人々の置かれた状況」や他者との関係のなかで、人の思考や記憶、感情を把握し、①個人の能力の向上、②組織の仕組みの変革、③商品開発につなげようとするものです。
 たとえば「購買行動を促すのは、品揃えの豊富さではなく配置の仕方であり、選択しやすいメリハリのある配列にすべきこと」「顧客の感情のバランスをとる(マイナス面をプラス面で補おうと考える)と売上が伸びる」「暖色系の空間にすると人の回転率が上がる」、あるいは「意志力は、行動の仕方を工夫することにより、鍛えられる」「目標を、方向とプロセスと成果で管理し、行動へと転換していく」など、変革のための改善行動がポイントとなります。
 本書では、顧客対応から業務プロセスの改善まで、ビジネスを進めるなかで幅広く役立つ工夫や具体例を、マーケティング心理とマネジメント心理の解説を交えて紹介します。

まさにタイトル通りビジネスの現場で使える心理学がいろいろ載っています。

読んでいて、面白かったのは、こんなエピソード。

就職活動中の太郎君は成績がよく、学習力が強みだと思っています。ある面接で学習力の内容を問われたので、「本を速く読む力」だと答えました。すると面接官は一冊の本を渡してその場で一分間読むように伝え、理解しているかを試しました。太郎君は、解釈する力が欠けていることを指摘されましたが、それに反論できず、自分の強みが何かが分からなくなってしまいました。・・・・

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筒井美紀『殻を突き破るキャリアデザイン』

L17425筒井美紀さんより『殻を突き破るキャリアデザイン 就活・将来の思い込みを解いて自由に生きる』(有斐閣)をお送りいただきました。ありがとうございます。

http://www.yuhikaku.co.jp/books/detail/9784641174252

就職活動が「なぜかうまくいかない」と悩む学生におくる,キャリアデザイン・入門。高校のキャリア教育の先にある「いかに生きるか」という大きな問いを見据え,激動の時代を生き抜くために必要となる具体的な知恵や実践可能なアイデアを紹介していく。

前に本ブログで紹介した『大学選びより100倍大切なこと』と似た感じの本ですが、タイトル通り、筒井さんにとっての「キャリアデザイン学ってのはこういうものだ」の提示にもなっています。

読者に想定されている大学生にとっては、第2章の「そのエントリーシート、中学生の作文!?」がいちばんがつんとくるかも知れません。

なぜ大学生の文章が中学生の作文並みになってしまうかについては、引用されている清水義範さんの指摘が見事に言い当てていますが、

・・・作文とは、大人に迎合してよい子ブリッ子をして、嘘の平和を装うことであると、子どもは何となく感じている。そういう、偽善の作り文章が学校で書かされる作文なのだ。・・・

そういう意味では、今の学生たちはみんないい子になりすぎているからかも知れません。

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「ジョブ型正職員の構想」@『全大教新聞』11月号

329『全大教新聞』11月号に「ジョブ型正職員の構想」を寄稿しました。

全大教とは、全国大学高専教職員組合の略で、国公立大学、国立高専、大学共同利用機関の教職員組合の連合体とのことです。全大教新聞はその機関紙で、その11月号に拙稿が載りました。

全大教さんがそのホームページに拙稿の全文をアップされていますので、そのリンクを張り、再度アップしなおしておきます。

http://zendaikyo.or.jp/?action=cabinet_action_main_download&block_id=1229&room_id=1&cabinet_id=27&file_id=5111&upload_id=14283

 

 日本の雇用の特徴は終身雇用、年功序列、企業別組合だといわれていますが、その根本にあるものは職務を定めない雇用契約です。これは会社の一員として社員を採用するというメンバーシップ型の雇用形態であり、会社内で人のやりくりを行います。これは世界的に見れば少数派です。欧米では、まず職務(ジョブ)を定め、それに対応して労働者を採用します。これが本来の就「職」であり、日本は入「社」です。欧米では仕事にお金が付いている(職務給)のに対し、日本では職務内容が変わっても賃金は変わりません。これは人にお金が付いている(属人給)からです。・・・・

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海老原嗣生『お祈りメール来た、日本死ね』

Img_e0765991a9272e37151793eb14d8d45というわけで、さっそく海老原嗣生さんの『お祈りメール来た、日本死ね』(文春新書)が届きました。

http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784166611058

海老原さんも『雇用の常識』(ちくま文庫)のような総論型の本ととともに、特定のトピックにフォーカスした本もいろいろ出されていて、若者の就職問題を取り上げた本も、5,6年前に扶桑社信書から出された『若者はかわいそう論のウソ』や『就職、絶望期』以来になります。

いうまでもなく議論の大筋はその時の延長線上にありますが、今回の本はその間にとりわけフランスなどヨーロッパ諸国を実際に見てきて、その雇用の実情を目の当たりにしてきた経験がたっぷりと盛り込まれています。

そのかなりの部分はニッチモで出している『HRmics』誌上で書かれたことなので、海老原さんをずっとウォッチしている人にとってはそれほど目新しい情報ではないかも知れませんが、せいぜい新刊書籍で追いかけている人にとっては、結構有用な「そうだったのか!!」的知識が得られます。

第1章は日本のシューカツ100年史を端的にまとめていて、結構役に立ちますが、本書のコアは「第2章 やめられない止まらない日本型雇用」で欧米と比較した日本型雇用の特徴を概説したあと、「第3章 欧米型雇用の不都合な真実」で、その欧米型雇用のナマの姿をこれでもかこれでもかと読者に見せつけていくところでしょう。

そう、私の本もついつい「ジョブ型」と「メンバーシップ型」という対比でものを語る際に、前者についてはややもすれば通り一遍な紙の上の説明で済ませてしまっているきらいがありますが、その「ジョブ型」ってのは、実は(日本人が頭の先っぽで考えるような生やさしいものじゃなくって)こういうものなんだぜ、ってのを実例満載で解説し尽くそうとしているのが、本書の最大のセールスポイントでしょう。

「ジョブ型」という紙の上の言葉で理解したつもりになっていた普通の感覚の日本人が、いざそのナマの姿にぶち当たったときにどういう反応をするだろうか、

「給与は上がって当たり前。役職は上がって当たり前」(働く人)

「入ったときと同じ仕事をしてもらっていては困る。経験相応に難易度は上げる」(経営者)

という(欧米から見たら)非常識を常識化してしまっている人にとっては、「上を向いて歩かない」(これも海老原さんの絶妙の表現ですが)のが当たり前の社会は、堪えられないものであるに違いありません。

実は本書は、拙著『働く女子の運命』を担当していただいた文春新書編集部の高木知未さんが担当された本だそうです。

私と海老原さんの両方を手玉にとるとはなかなかの編集者です。

冗談はともかく、本書もそのブックタイトルにしても、中のチャプターのタイトルにしても、いかにもという感じに仕上がっておりますな。多くの人に読まれることを、お祈り申し上げます。

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労働者の健康よりもオリンピックのお客様?

WEB労政時報に「労働者の健康よりもオリンピックのお客様?」を寄稿しました。

https://www.rosei.jp/readers-taiken/hr/article.php?entry_no=596

 去る10月13日、新聞各紙は受動喫煙防止へ厚労省がたたき台を示したと報じました。例えば朝日新聞は、「2020年の東京五輪・パラリンピックに向け、厚生労働省は、他人のたばこの煙を吸わされる受動喫煙の対策を強化する。主な公共施設で建物内禁煙とする一方、飲食店などサービス業の施設は原則禁煙とし喫煙室の設置は認める。施設管理者や喫煙者を罰則付きで規制する法整備の『「たたき台』」を12日に示した」と伝えています。

 ところが、これをみて見て厚生労働省のホームページに飛んでいっても、そのたたき台らしきものはしばらく見当たりませんでした。ようやく10月27日になって、「受動喫煙防止対策強化検討チームワーキンググループ公開ヒアリング(第1回)を行います」という案内がアップされ、そこにたたき台と参考資料がアップされ、報道機関を介したものではなく原資料自体にアクセスできるようになりました。

 その内容は新聞各紙が報じている通りですが、・・・・

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海老原新著の書影どーーん

海老原嗣生さんの新著『お祈りメール来た、日本死ね 「日本型新卒一括採用」を考える』(文春新書)の書影が文春のHPにどーーんと載っているので、こちらでもどーーんとアップ。

http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784166611058

①歴史的に見て、青田買い&学業疎外防止のルールは守られてきたか?
→No! 戦後からいたちごっこ。ルールメイカーは「就活ナビ解禁日調整」だ!
②日本型雇用――新卒一括採用、終身雇用、年功序列は悪か?
→No! やめられない止まらない「ゆで蛙型日本型雇用」の実態に迫る
③新卒一括採用が嫌なら、欧米型をそのままマネすればいいのか?
→No! 欧州の若年失業率が高い。同じ仕事を同じ給料で一生。学歴による差別。
④日本のメンバーシップ型雇用と、欧米型のジョブ型雇用のイイトコ取りとは?
→有名校有利を打開するには「GPA」を導入せよ!

まだ本屋さんに並んでもいないのに、はじめの方が「立ち読みできます」と煽ってます。

http://books.bunshun.jp/list/browsing?num=9784166611058

Img_e0765991a9272e37151793eb14d8d45

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トランプとサンダース

と言うわけで、結局アメリカ大統領選はトランプの勝利となったようです。

改めて考えてみると、アメリカ国民の不満はマスコミ報道以上に大きいものがあったということで、それが民主党ではサンダース現象、共和党ではトランプ現象という形を取ったけれども、民主党はなまじヒラリー・クリントンが強すぎてサンダースが負けたけれども、共和党は主流派がばらばらだったおかげでトランプが勝ち、結局そっちに流れた、という理解で良いのでしょうか。

同じ不満派といってもより粗野で野卑で粗暴で排外的な方になってしまった感はありますが、それも運命ということなのでしょう。

ということで、ここで改めて6月にお送りいただいた『バーニー・サンダース自伝』を思い返しておきます。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2016/06/post-bdb8.html (『バーニー・サンダース自伝』)

223380 『バーニー・サンダース自伝』(大月書店)をお送りいただきました。ありがとうございます。

http://www.otsukishoten.co.jp/book/b223380.html

いちおう、民主党の候補者選でヒラリー・クリントンの勝ちを認めたあとの出版になりましたが、このアメリカ希有の「民主的社会主義者」のマニフェスト本として、読まれる値打ちのある本であることは間違いないと思います。

「革命の準備はいいか?」――庶民や弱者に味方し、大胆な経済政策と政治改革を掲げて全米の若者を夢中にしているサンダース。草の根の民主主義にこだわり、無所属をつらぬいてきた「民主的社会主義者」のユニークな政治家人生を記した自伝。

版元もかなり力が入っていると見えて、ここに無料サンプル版をアップしています。

http://www.otsukishoten.co.jp/files/_sanders_sample.pdf

実を言うと、これは今回の大統領選に向けたマニフェスト本ではなくて、今から20年近く前に出た「Outsider in the House」(下院のはぐれもの)を、タイトルに「White」を付け加えて「Outsider in the White House」(ホワイトハウスのはぐれもの)にして、まえがきと解説を加えて出版したものです。なので、本体部分は20年前の話なのですが、サンダースさんが一貫して変わらないことがよくわかります。

訳者まえがき――バーニー・サンダースとは何者か? 何が彼を押し上げたのか?

謝辞

まえがき(2015年の追記)

序章

1 あなたはどこかで始めるべきだ

2 ひとつの市での社会主義

3 長い行進はすすむ

4 手に入れたいくつかの勝利

5 悪玉を仕立て上げる議会

6 ヴァーモントじゅうを歩きまわって

7 最後のひと押し

8 私たちはここからどこへ行くのか?

あとがき:大統領選挙のはぐれ者(ジョン・ニコルス)

正直言って、社会民主主義勢力が大きなシェアを占めているヨーロッパに比べて、アメリカの政治ってあんまり面白そうでないという感じでちゃんと勉強してこなかったのですが、もう一遍じっくりと時間を取って勉強し直した方が良いかなと思い始めています。

(追記)

考えてみれば、民主党の中でサンダースがやろうとしたことは、長らく「ソーシャル」がなかったアメリカにおいて、「リベラル」を食い破って正真正銘の「ソーシャル」が表面に出ようとしてついに果たせなかったということであるのに対して、トランプのやろうとしたことは、「ネオリベ」と「コンサバティブ」の牙城のはずの共和党のただ中に、大変歪んだかたちではあるけれども、ある種の「ソーシャル」を求める声の嵐を巻き起こしたことにあるのかも知れません。

それがトランプであるという点に、同じように「ソーシャル」志向が歪んだかたちで噴出する例えばフランスの国民戦線などと比べても、アメリカという国の特殊性がよく表れているのでしょうけど。

(再追記)

そのクリントンに負けたサンダースが、クリントンに勝ったトランプに向けて、こう語っています。

http://www.sanders.senate.gov/newsroom/press-releases/sanders-statement-on-trump

“Donald Trump tapped into the anger of a declining middle class that is sick and tired of establishment economics, establishment politics and the establishment media.  People are tired of working longer hours for lower wages, of seeing decent paying jobs go to China and other low-wage countries, of billionaires not paying any federal income taxes and of not being able to afford a college education for their kids - all while the very rich become much richer.

“To the degree that Mr. Trump is serious about pursuing policies that improve the lives of working families in this country, I and other progressives are prepared to work with him. To the degree that he pursues racist, sexist, xenophobic and anti-environment policies, we will vigorously oppose him.”

ドナルド・トランプは、エスタブリッシュメント経済、エスタブリッシュメント政治、エスタブリッシュメントメディアに倦み疲れた没落しつつある中間層の怒りを利用した。人々は低賃金で長時間労働することに、実入りのいい仕事が中国や他の低賃金国にいってしまうことに、億万長者が連邦所得税をちっとも払わず子供たちが大学教育を受けられるようにしようとしないことに、要は富豪がますます肥え太ることに、倦み疲れているのだ。

トランプ氏がこの国の勤労者家族の生活を改善する政策を追及することに真剣である程度に応じて、私と他の進歩的な人々は彼と協力する用意がある。彼が人種差別的、性差別的、排外主義的、反環境的政策を追及する程度に応じて、我々は彼に激しく反対するであろう。

まさにそういうことですね。

(おまけ)

https://twitter.com/kurokawashigeru/status/796916674091884545

コメント欄は、元記事の重要なところ何も読み取らずに、難しそうだけども鈍感なコメントが繰り返されている。

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それってマリハラ(マリッジ・ハラスメント)!?

何でも手広くやっている内閣府が少子化対策ということで「結婚の希望を叶える環境整備に向けた企業・団体等の取組に関する検討会」という会合をやっているようで、7日(月曜日)にその第2回の会合があったようです。

http://www8.cao.go.jp/shoushi/shoushika/meeting/kigyo/k_2/gijishidai.html

そこに出ている「結婚の希望を叶える環境整備に係る検討の論点(案)」を見ると、

http://www8.cao.go.jp/shoushi/shoushika/meeting/kigyo/k_2/pdf/s1.pdf

「1.国や自治体が結婚支援の充実に取り組む中で、企業・団体・大学等において自主的に行うことができる具体的取組としてどのようなものが考えられるか」という問いに対して、「第1回検討会における主な意見」としていろんな意見が並んでいるのですが、その後に、「2.取り組むに当たって留意すべき点は何か」として、「例えば、女性労働者が上司から「付き合っている人がいるという噂があるが、その人と結婚するのか」などと質問される事例があり、地方労働局の斡旋事例、裁判例もあり、法学の観点からも留意すべき点がある」という意見が示されています。

そして、今回の会合に出された内藤忍さんのペーパーには、その危惧がかなり明確に示されています。「企業等の「結婚支援」における留意点―職場のハラスメントの観点から」というこれです。

http://www8.cao.go.jp/shoushi/shoushika/meeting/kigyo/k_2/pdf/s6-1.pdf

そこでは、職場のパワハラとしてこんな事例が並んでいます。

「いい年をして結婚もしていない、子供もいないから下の者に対して愛情のある叱り方ができない」と言われた。(女性、40 歳代)

交際相手の有無について聞かれ、過度に結婚を推奨された。(女性、30 歳代)

会社の信用に関わるとして、上司に呼ばれ、「付き合っている人がいるという噂があるが、その人と結婚するのか」などの質問をされた。(女性、非正規労働者)・・・

そして最後のところで、

最後に―「マリッジ・ハラスメント」とならないために

というタイトルが。

ほほお、マリッジ・ハラスメント。略して「マリハラ」。

またまた新しい「ハラスメント」を増やす気かよ、とお思いかも知れませんが、これはなかなかいいネーミングではないかと思います。

・「結婚を希望するか否か」ではなく、「企業等による結婚支援をどう受け止めるか」の問題→とすると、企業等による結婚支援を利用したいという労働者個人の明確な意思表示がある場合を除き、「ハラスメント」であるととらえられる(場合によっては、様々な紛争に発展する可能性がある上、上述したように、労働者の就業意欲等に影響を及ぼす可能性がある)リスクがあると考えた方がいいのではないか。

ここはよぉく気をつけなければいけないはずです。

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「りっぴぃ」さんの拙著への感想

Img_752f5d874047328e26f434ce08fbda5女性弁護士(現在長女2歳1か月)の「りっぴぃ」さんが、ツイッターで拙著『働く女子の運命』についてかなり何日にもわたって語られ続けています。

正直、これだけ「りっぴぃ」さんに考えを深めるネタになり得たということだけで大満足です。

https://twitter.com/rippy08/status/793613548215685121

今日から読みます! (実は以前読みかけて止まっていたのですが、最初から読み直します)

https://twitter.com/rippy08/status/794028628354863104

昨晩も100頁。以前からずっと興味のあった賃金史についても触れられていて、あくまで私には、クッソ面白いです。なお字はかなり多めでページが黒い^^;

https://twitter.com/rippy08/status/794337520305606656

読み進めています。女子労働者は家事育児が〜とか、オトコ社会の無理解が〜とかそんな内容かと思ったらここまで予想を裏切られて(いい意味で)、むしろ清々しいな^^;女子労働者の歴史、賃金史など、知的好奇心を刺激されます。今日で読了予定。

https://twitter.com/rippy08/status/794357064331980800

「働く女子の運命」,最終章はかなりガッツリと育休世代について触れられています(「育休世代の~」も引用されてます)。ということで,別に,女子労働者は育児との両立がしんどいということを否定している訳ではまったくないです,念のため。

https://twitter.com/rippy08/status/794391585894957056

ランチしながら「働く女子の運命」を読了,・・・

https://twitter.com/rippy08/status/794561013706166272

「働く女子の運命」は本当に面白かったです。生活給、という発想の出どころとか、メンバーシップ型雇用とか、、、非正規労働問題についても論じて欲しいので続編に期待。 ・・・

https://twitter.com/rippy08/status/795144667431981056

「労働条件は少子化に関係がある」はもちろん同意ですが、「賃金引上げこそ少子化対策」となると、実は心の片隅がザワッとしなくもないのです、、、 賃金により生計を維持するのだ、子どもを産み育てるのだ、てのは信仰のようなものですが、ウチの国はこの信仰が強すぎるように思えまして。

https://twitter.com/rippy08/status/795145106667905024

そうは言っても、賃金と福祉で食っていくのだ、にシフトって、なかなかしないんだろうけど、、、 でも「賃金によって子育てしたい」てのは、本当に絶対そうでないとアカンのか、は、ちょっとは考えてみてもええんちゃうかな、と思うこともなくもなく。

https://twitter.com/rippy08/status/795145504518590464

まーこないだ「働く女子の運命」を読みまして、「生活給大好き」とか「女房子どもを養う賃金」とか書かれてたことからの単なる思いつきにすぎませんが。

https://twitter.com/rippy08/status/795146194771025920

自分なりの意見を持ちたいという思いで本を読むことにしたのですが、結局私は一生提言には至らない気がします^^; ジョブ型社会で子育て負担は軽い、てのがそういいものかというのもよく分かりませんし。

https://twitter.com/rippy08/status/795146972336254976

ただし「賃金が安いことではなく、福祉の不足こそが問題」てのは経営側の規制緩和を求める際の理屈として頻出であり、絶対に安易に言うべきことではない、くらいにはさすがに思ってます。

https://twitter.com/rippy08/status/795421954157051904

「子育てできる賃金を寄越せ、それこそが少子化対策だ」という主張について、まだ頭の中がぐるぐるしています。やはりこれは、「女房子どもを養う賃金」と親和性が高すぎるのではないだろうか、、、 ここな「夫婦揃って初めて子育てできる賃金」のことなんだという含意を読み取るのは困難では。

https://twitter.com/rippy08/status/795422685375254528

ただこれ、昨日も書きましたが、安易にこれに反対ですと言うと、規制緩和論者の主張に乗っかっていることにもなりかねず、また、アンチフェミ論者の主張に乗っかっていることにもなりかねず、とてつもなく悩ましいのです、、、

https://twitter.com/rippy08/status/795432717684875264

「な」→「に」。 賃金史については更に読書予定に入れてますので(金子先生本)、考えが変わったらまたつぶやきますわー。

https://twitter.com/rippy08/status/795456908391911424

「働く女子の運命」を読まれた方は私と語って下さい(>_<)議論というよりは、女子労働者の労働条件と少子化とか、その辺りをうだうだとブレストしたい感じです。 あと、我こそは日本の賃金史に詳しいぞという方は、私にお勧め書籍を教えて下さい、、、(割と厚かましい^^;

https://twitter.com/rippy08/status/795459502518566912

わあ!ありがとうございます! ただその……あまり親切なつくりの本ではないかもです。女性ならではの苦しみに寄り添うような内容ほぼありませんし(>_<)(ただ、「歴史的な」労働判例のところで同業者はニヤリとできるかも?^^;)

いやいや、悩む値打ちのある問題ですよ。

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「高齢者事業団とシルバー人材センター」@『エルダー』11月号

Elder 『エルダー』11月号に「高齢者事業団とシルバー人材センター」を寄稿しました。

http://www.jeed.or.jp/elderly/data/elder/q2k4vk000000ezhu-att/q2k4vk000000ezke.pdf

 定年延長から継続雇用へと一貫して流れる内部労働市場政策と、雇用率制度が消滅してから年齢差別禁止が再浮上した外部労働市場政策という二つの流れの外側で、そもそも「雇用」施策の限界領域に位置しつつ今日まで独自の道を歩み続けてきたのがシルバー人材センターと呼ばれる高齢者運動/政策です。その出発点は高齢者事業団という名の、ある種の地域市民運動でした。

シルバー人材センターの出発点「高齢者事業団」の歩み

 小山昭作『高齢者事業団』(碩文社、1980年)や『高齢社会に生きる 20周年記念誌』(東京都高齢者事業振興財団、1995年)がその草創期の姿を生き生きと描いていますが、その出発点は1973(昭和48)年、失対就労者団体が要求していた都独自の高齢者就労事業に対し、当時の小山失業対策部副主幹が高齢市民による地域の自主的組織による事業を対置したことに遡ります。猛烈な反対を押し切って、翌年大河内一男を会長とする東京都高齢者就労対策協議会が設置され、さらに東京都高齢者事業団(仮称)設立準備会が設置されて具体的な事業構想が進められていきました。一方江戸川区とその老人クラブに接触して第1号の設立に向けた準備が進められていき、翌1975年2月には江戸川区高齢者事業団が事業を開始しました。

 この事業の理念について、設立準備会の提言は「一般の労働市場における雇用には適さず、かつ望まないが、さればといってたんなる社会参加、健康の保持等のための仕事を求めるというだけではない高齢者の就労ニードが広汎に存在」し、「いわゆる労働と社会福祉の中間にまたがる就労ニードの解決が求められる」とした上で、「あくまでも高齢者の自主的な組織として設立され運営される」ことが特徴であると述べ、「従来とかく行政依存に流れがちな老人問題対策の中にあって、新しい途を切り開く」ものだと主張しています。

 多くの人が知らないでしょうが、1963年に制定された老人福祉法の第3条第2項は「老人は、その希望と能力とに応じ、適当な仕事に従事する機会その他社会的活動に参加する機会を与えられるものとする」と規定しています。もっともこれを受けた第13条は「老人の心身の健康の保持に資するための教養講座、レクリエーションその他広く老人が自主的かつ積極的に参加することができる事業」を地方公共団体の努力義務とするとともに、老人クラブなどへの援助を求めているだけなので、実質空振り規定でした。大河内一男は講演集『高齢化社会を生きる』のなかで、「働く高齢者というのが本来の老人福祉法の狙いの眼目だったわけでありますが、その働く老人のイメージというのは、現実の、その後十年間の老人福祉法の運用の中では、ほとんど実を結んでこない」と批判していました。本事業はこの空隙に地方自治体の労働行政が独力でふみ込んでいったものと見ることもできます※1。

 都内では江戸川区を嚆矢(こうし)として続々と高齢者事業団が設立されていき、さらにこの運動は東京都を超えて全国に波及していきました。この間、この運動の象徴的リーダーとして大河内一男がいたことは、この事業に国が関与し、法制化されていくうえで重要な役割を果たしました。労働省は当初、従来の失業対策事業の弊害を憂慮して、高齢者事業団には関与しない方針でしたが、1979年に政策を転換し、1980年度から高年齢者労働能力活用事業という名称で補助金の予算措置を講じることになったのです。このとき、竹下蔵相と藤波労相の大臣折衝で「シルバー人材センター」という名称になったといわれています。ちなみに当時の職業安定局長は東大経済学部大学院で大河内ゼミにいた関英夫氏でした。とかく失対事業が気になって消極的になる労働行政をマクロ的な総合的高齢者政策の観点に引っ張ったのは恩師大河内一男の熱意だったと思われます。

シルバー人材センターをめぐる法的動向

 一方東京都サイドでは1977、79、81年と法制化の研究を行い、1983年には高齢者の生きがい就労の保護を目的とする高齢者事業団法(仮称)を提案しています。そこでは、雇用を基本とした一般労働関係とは一線を画し、会員の協同的、自律的就業として明記することとされていました。当時定年延長の法制化を迫られていた労働省は、1986年改正(高年齢者雇用安定法)においてシルバー人材センターを法的に位置づけました。ただ、上述のようなこの運動の思想的側面を考えれば、どちらかというと周辺的な業務によって位置づけられた感があります。すなわち、自主自立・協働共助というスローガンを掲げ、労働政策と福祉政策を架橋するという理想を掲げたこの運動を、高齢法は高齢者の労働力需給調整機能の一端をになうものとして位置づけたのです。具体的には、雇用によらない臨時的かつ短期的な就業の機会を確保、提供するとともに、臨時的かつ短期的な雇用について無料職業紹介事業を行う指定法人として規定しました。とはいえ、運動の趣旨に合致するような法制化をしようとすれば、既存の労働法体系とは別個の法体系を確立しなければならず、当時の状況ではきわめて困難でした。ややご都合主義的な手法ですが、シルバー人材センターを社会的に認知されるものとしたいという情緒的な法制化要望に応えるうえでは、それなりに有効なやり方だったのかも知れません。

 法律の動向としては2000年改正で「その他の軽易な業務」も含まれたほか、2004年改正で届出により一般労働者派遣事業(登録型)を行えるようになり、2012年改正で届出により有料職業紹介事業を行えるようになったことが注目されます。2015年派遣法改正ですべての労働者派遣事業が許可制になり、また無料職業紹介事業と異なり有料職業紹介事業はすべて許可制であることを考えれば、労働市場規制の観点からするとシルバー人材センターはかなり特別扱いされているといえます。2016年改正では臨時、短期、軽易の3要件を緩和する法改正(労働者派遣事業・職業紹介事業に限定)も行われました。

 その創生期を振り返ってみると、高齢者事業団=シルバー人材センターは労働と福祉の境界領域を切り開いてきた存在であり、その点にこそこの運動を特別扱いする理由があったはずです。しかし、法制化以後の歴史はむしろ労働市場政策として特別扱いすることに注力してきたように見えます。職業安定局所管の政策としてやむを得ない道筋であったともいえますが、改めて障害者の福祉的就労などと並ぶ境界領域政策として考え直してみる時期かも知れません。

*1実は同じ頃、東京都民生局では老人福祉施策の一環として老人福祉工場(仮称:老人しごとセンター)という構想もあり、調査研究をしていたようです。

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学生にとっては、とても有用な本。

Img_752f5d874047328e26f434ce08fbda5Amazonカスタマーレビューで、『働く女子の運命』に短いけれども心にしみる評価をいただきました。

https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R1YM24FK4O79TN/ref=cm_cr_arp_d_rvw_ttl?ie=UTF8&ASIN=4166610627

なぜ女子が未だにあらゆる労働の場面で、差別待遇され続けているのかを、過去からの賃金構造、給与の考方から、丁寧に解説、解き明かしている。学者の論文しか出会わなかったが、こういうものを、書いて下さる方がいなかった。学生にとって、有難い本です。やはり、貴重な実務経験が生んだ見方であり、女子に対する見守り心配する様が、切実に迫って来ました。素晴らしい本です。

このカスタマーさんは女子学生さんのようですが、「学生にとって、有難い本です」という評価は有り難いです。

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ブラック「クビ」が中小企業で横行する理由@倉重公太朗

東洋経済オンラインで、経営法曹の倉重公太朗さんが「ブラック「クビ」が中小企業で横行する理由」を寄稿されています。

http://toyokeizai.net/articles/-/143160

そこにでてくる田中君の仮想事例が、

2016110400143160toyo0001view・・・しかし、翌日、僕は社長から呼び出され、「ウチは少数精鋭で同じ方向を向いてやってるんだ!経営の苦労を知らないくせに、自分の都合ばっかり主張するヤツはいらん、もう明日から来なくていい!」とクビを宣告されてしまった。
そんなに簡単にクビにできるのか?日本の労働基準法は厳しいんじゃなかったっけ?山田の会社と、一体何が違うんだ……?

という、まあ典型的な中小企業型「クビ」事案で、それについての説明で、

このケースを見て、皆さんはどのようにお感じになるでしょうか? 単にブラック企業が悪い、という問題なのでしょうか。今回の事例は、分かりやすくするために一部デフォルメしていますが、こうした話は決して珍しいものではありません(この点は、濱口桂一郎執筆『日本の雇用終了』に詳しい)。この事例から見える、日本型雇用の問題点は何でしょうか?

112050118と、私のまとめた本を引かれています。確かに、中小零細企業の雇用紛争では、そういう事例はごまんと出てきます。

そういうのと、山田君の会社の

山田:そうかー大変だな。でもベンチャーだからやりがいあるんじゃないの?ウチなんて、ムダな会議だらけだし。あとは、高給もらってるのに働かない上司が多すぎだよ。エクセルで数字を入力しては戻すことを延々繰り返して仕事やってるアピールしてる「無限エクセル上司」とかな(笑)。ひどいのになると開き直って業務時間中なのにスマホのゲームをやったり、堂々と自席で寝てたりしてるんだぜ。

との落差の大きさに、気がついているかいないかで、日本の労働問題について論じている人の議論の深み(裏返して言えば浅さ)が分かるわけですが。

倉重さん、話は今回で終わりではなく、

次回は、このようなブラック「クビ」に対して、どうして人々は泣き寝入りをせざるを得ないのか、その理由を詳しく分析したいと思います。

と次回に引っ張るようです。

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長澤運輸控訴審判決

本日、例の定年後再雇用労働者への労働契約法20条の適用が問題となった長澤運輸事件の控訴審判決があり、原告(被控訴人)が敗訴したようです。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161102-00005303-bengocom-soci

2016110200005303bengocom0001view2審の東京高裁は、期間の定めがあることによる不合理な労働条件を禁じた「労働契約法20条」が、定年後の再雇用にも適用されると判断。一方で、今回のケースについては、定年前と比較して、一定程度賃金が減額されることは一般的で、社会的にも容認されていると考えられるなどとして、「不合理であるとは言えない」と原告の請求を棄却した。

これだけではどういう理屈立てなのかいまいちよくわからないので、判決文を見る必要がありますが、記事からすると、高齢者の定年後再雇用であるという点がポイントになっているようにも思われます。

上告するそうなので、来年には労契法20条の最高裁判決というのがでそうですね。

(参考)

『労基旬報』2016年6月25日号に寄稿した「定年後再雇用者の賃金格差と高年齢者雇用継続給付

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2016/06/2016625-e599.html

 去る5月13日、東京地裁は、定年後に1年契約の嘱託として再雇用されたトラック運転手の男性3人が定年前と同じ業務なのに定年前より2~3割低い賃金水準となったことについて、労働契約法20条の期間の定めがあることによる不合理な労働条件の禁止に該当するとして、定年前の賃金規定を適用して差額分を支払うよう同社に命じたと報じられました。この事件は長澤運輸事件で、現時点ではまだ判例雑誌等に掲載されていませんので、判旨の詳細は不明ですが、高齢者雇用政策において過去数十年にわたって当然と考えられてきたことを逆転させるような含意もあり、その影響する範囲は極めて大きなものがあるように思われます。

 まずもって、現在の高齢者雇用政策の考え方を改めて確認しておきましょう。2012年に高年齢者雇用安定法が改正され、65歳までの継続雇用がほぼ例外なく義務化されています。法律上厳密に言えば、65歳定年、65歳継続雇用、定年制の廃止の三者択一という義務です。問題はこの三択のうち65歳定年と65歳継続雇用は何が違うのか?という点にあります。定年と言おうが、継続雇用と言おうが、65歳まで何らかの形で雇用が維持されることが義務づけられているのですから、違うのはその雇用の中身、つまり定年時にいったんそれまでの高い賃金その他の労働条件を清算して、定年前よりかなり低い賃金その他の労働条件にすることができるところに、65歳定年ではなく65歳継続雇用を選択する意味がある、というのが、恐らく圧倒的に多くの人々の認識ではないかと思われます。

 これを裏付ける制度として高年齢者雇用継続給付があります。これは雇用保険法に基づく労働者への給付ですが、60歳以降の賃金が60歳時点に比べて大きく下がることを前提とした制度設計になっています。これは、65歳までの継続雇用が努力義務とされた1994年改正時に設けられたものです。そのときは25%支給という手厚いものでしたが、その後改正がされ、現在の制度では、60歳時点賃金の61%以下であればその賃金の15%、61%~75%であればその低下率に応じた額となります。重要なのは、60歳定年後に再雇用された労働者の賃金は、この給付の支給対象となるくらい大幅に引き下げられるのが当たり前だ、という認識に立ってこの制度が設けられているということです。少なくとも、それが期間の定めがあることによる不合理な労働条件の禁止に該当するなどということは全く想定されていないことだけは明らかでしょう。

 その意味で、今回の判決は単に労働契約法やパート法といった労働条件法政策において重要な意味を持つだけではなく、高齢者雇用政策という労働市場法政策に対する含意も極めて大きなものがあります。上述したように、現時点ではまだ判決文が公開されていませんので、原告側や被告側がどういう主張をしたのかも明らかではありませんし、その中で高齢者雇用政策が取り上げられているのかどうか、また判決がそうした雇用政策上の諸制度についても考慮しているのかいないのかなど、論ずる上で必要な情報はありませんが、少なくとも今後この問題をめぐる議論が労働条件政策と労働市場政策の両方を睨みながら進められなければならないことだけは間違いないと思われます。

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大内伸哉ゼミの課題図書

Img_752f5d874047328e26f434ce08fbda5 大内伸哉さんの労働法ゼミの夏の課題図書6冊の一つに『働く女子の運命』が入っていたようです。

http://lavoroeamore.cocolog-nifty.com/blog/2016/10/post-e3bf.html

全6冊の内訳は:

トーマス・H・ダベンポート『AI時代の勝者と敗者』(日経BP社),マーティン・フォード『テクノロジーが雇用の75%を奪う』(朝日新聞出版),濱口桂一郎『働く女子の運命』(文春新書),服部泰宏『採用学』 (新潮選書),楠木新『左遷論 - 組織の論理,個人の心理』 (中公新書),マーティン・フォード『ロボットの脅威-人の仕事がなくなる日』(日本経済新聞出版社)の6冊

ふむ、半分はAIなど新技術の影響関係、残りの半分はそういう関係ですね。

拙著は『採用学』とともに「学生の評判がよかった」そうで、うれしいかぎりです。

大内さんの短評は:

もう一つ,『働く女子の運命』はタイトルからすると女子のことばかりが論じられるような印象もありますが,むしろ女子という軸を通して,日本型雇用システムを論じたもので,学生には勉強になったと思います。濱口さんは,若者,女子と来たのですが,次は何でしょうね。

とのことですが、正確に言うと、若者、中高年、女子ときて、一応労働者の属性別3部作は終わってますので、次は何にしたらよいでしょうか。

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