弁護士堀さんの『若者と労働』評
ここのところ拙著を続けざまに書評していただいている「人と法と世の中:弁護士堀の随想」ブログですが、今度は『若者と労働』(中公新書ラクレ)です。
http://arminius.cocolog-nifty.com/blog/2016/10/post-bd86.html
近年、終身雇用を批判する論者たちの中で、①「終身雇用制があるから若者の就職難が起こる」とか②「中高年の人件費が高いから若者世代にしわ寄せが及ぶ」・・・という類いの大雑把な主張をする人が時々見受けられるが、本書はこのような短絡的な主張を批判する。・・・
と、拙著の理路を丁寧に説明していかれる手際はやはり鮮やかです。
そして、本書の中ではやや脇道とはいえ、やはりここに目をつけられています。
著者が大学教育の現状に厳しい目を向けていることも、本書の際だった特徴である。たとえば文学研究者や哲学の教授が、日本企業の終身雇用や年功序列の世界を低俗なものとして否定したり、就職活動に追われる学生を非難するような発言をすることが無くもないが、これは本書の視点からいえば、天に唾する自殺行為ということになるだろう。日本企業の終身雇用・年功序列の世界があるからこそ、特に職業向けの勉強をしたわけでもない“非実学”系の学部を出た学生も(そこそこ有名な大学であれば)企業に就職できているのであって、そうでなかったら“非実学”系の学部や学科にはそもそも学生が来なくなると考えられるからである。
ここは、アカデミック系の方々からは結構反発を受けたところですが、堀さんは淡々と叙述されます。
最後のブラック企業に関するところは、なかなか面白い比喩を持ち出しておられます。
余談ながら、ブラック企業について「メンバーシップ型とジョブ型との悪いとこ取りだ」と評する人もいるが、私自身は、ブラック企業も基本的にはメンバーシップ型企業であって、それでいて様々な点が劣化していたり、メンバーシップ型であれば通常期待されるような長所が欠落しているのだと思っている。(ムラ社会が劣化して人間関係が悪化しても、都市型の市民社会の要素を取り込んだことになるわけではないのと同じである。)
なお、時代が違っていれば(いちおう良い意味で)典型的な日本企業になれたかも知れないのに、諸般の事情でなり損ねた企業(比喩的にいえば、環境変化のため、毛虫が蝶になり損なって、毛虫のまま大きくなってしまったようなもの)も多く存在するような気もするが、それはまた別なところで具体的に考えてみたい。
ふむ、ブラック企業とは「毛虫が蝶になり損なって、毛虫のまま大きくなってしまったようなもの」ですか。なかなか言い得て妙な感があります。
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