「弁護士堀の随想」で拙著書評
元サラリーマンの弁護士の堀さんが雑多な事柄についての意見や感想を書かれているブログ「人と法と世の中:弁護士堀の随想」で、昨日今日と拙著『新しい労働社会』が取り上げられ、かなり詳しく書評をしていただいております。
http://arminius.cocolog-nifty.com/blog/2016/10/post-a2f8.html
http://arminius.cocolog-nifty.com/blog/2016/10/post-ed42.html
興味深いのは。本書への感想として次のようなことを綴られていることです。
とりとめがないかも知れないが、まずは本書の内容そのものについてのコメントというより、本書を読んで勝手に思い浮かべたこと等を少々。
まず、著者が指摘するような日本の「メンバーシップ型」とされる労働契約の特性を、うまく実情に即して法律の中で位置付けるロジックが、肝心の現代の日本の法制度・法理論においては乏しいようである。日本の労働問題については、法理論・法制度が実態をうまく反映しておらず、それゆえに判例で個別事案を解決する際に苦心しているというべきだろうか。既に雇用関係が破綻してしまって紛争化した段階になってから持ち込まれる司法での判断と、雇用関係が一応維持されて運用されている段階についての分析と、建前として抽象的に存在している法制度・法理論とが、それぞれ異なってくるのはやむを得ないのかも知れない。
労働契約は、民法上の契約理論をまず出発点としたうえで、これに社会政策的見地から修正を加えた労働法制によって規律されていることになっている。しかしこのような労働法制と、「団体加入」「組織への取り込み」という側面を持つ日本の「メンバーシップ型」労働契約の実情とが必ずしもうまく対応しているとは言い難い。
日本の「メンバーシップ型」労働契約から発生する紛争について、司法界や労働法学者は、紛争の性質に応じて、ある時は「自律的な個人間の契約」という側面を強調し、また別な時は社会政策的な修正の必要性を強調して、解決を図ってきたように思われるが、「メンバーシップ」的性質を正面から法制度としてとらえた立法的解決ができないものだろうかと思った。
いずれにしても、法理論・法制度と、現場での運用の実態(「生きた法」)との乖離については、著者は非常に強く意識しているものと思われる。(★注)
お気づきの通り、これはその後の拙著『日本の雇用と労働法』で中心的な論点として論じた点です。
そのことが、このエントリに追記されています。
(★(10月3日追記:同じ著者の「日本の雇用と労働法 」(P36-42)に、上記の私の感想に噛み合うような記載があった。同書についても後日感想を書く予定。)
この部分を読んで、この弁護士堀さんのセンスに脱帽しました。そう、法律学の素養を持って雇用システム論を読んでいくと、こういうところに思考が及んでいくのです。
ただ残念ながら法律学の素養のある人はあんまり雇用システム論に関心を持たないし、雇用システム論に関心を持つ人の多くは法律学のセンスが乏しいことが多いので、なかなかそういう議論が広がらないのですが。
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