フォト
2023年6月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  
無料ブログはココログ

« 西村 聡・山岡美由紀『「多様な働き方」を実現する 役割等級人事制度』 | トップページ | ラーメンに人の親指 »

2016年10月12日 (水)

「俺の若い頃は・・・」の実情

例の過労・パワハラ自殺でいろいろ騒ぎになっているようですが、こういうときについつい出がちな「俺の若い頃は・・・」について、毎年明治大学労働講座で喋っているネタがあるので、そこだけ引用しておきますね。

先日、昭和女子大学で講演したときも使ったネタですが。

http://hamachan.on.coocan.jp/roujun1107.html

メンバーシップ型正社員の「収縮」と「濃縮」
 正社員は会社のメンバーとして一生懸命働きますと言いましたが、本当に24時間、365日ぶっ通しで働いたら間違いなく人間は死にますから、そんな馬鹿なことはありません。昔はどうだったかと言うと、やれと言われたらやるのですが、実際にはそんなに無茶苦茶をいつもやらされている状態ではなかったと思います。昔、クレイジーキャッツというお笑いグループの植木等が「サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ」と歌っていました。実際に、正社員自体が昔はけっこう気楽な稼業だったと思います。それが、だんだん気楽でなくなってきたのです。昔から確かにメンバーシップでしたが、そのメンバーシップが濃くなり、要求水準が高くなってきているのです。
 いまから20年ぐらい前、銀行に勤めていた人に話を聞いたことがあります。「近頃の銀行は夜中までみんな残って仕事をしているんだよな。俺たちのころは、大体3時にシャッターを閉めたらある程度仕事をし、その後、近所の子どもたちの野球のコーチをしていた」と言うのです。20年前に聞いた話ですが、昔の銀行員はそんなことができたのかと私は非常に驚きました。メンバーシップ型で忠誠を尽くせば一生面倒をみる約束だと言いましたが、そうは言っても平日に野球のコーチができる程度の忠誠であって、そんなに無茶なものではなかったのだと思います。
 なぜ濃くなってきたかといえば、とりわけこの20年間、1990年代から2000年代に間違いなくいえるのは、少数精鋭で頑張ってやるのだと、メンバーシップ型の正社員をだんだん収縮してきて少なくしてきたからです。科学の勉強ではないですが、一定量のものをぐっと収縮すると密度が濃くなります。おそらく昔の正社員と比べて、いまの正社員の義務の重さ、労働の質的、量的な負荷は大変高まってきていると思います。
 
白紙の学生に即戦力を要求
 これの一つの表れが学生に即戦力を要求することです。これは実は矛盾している要求です。即戦力を要求するということは、まさにこの仕事をするのだから、こういう訓練を受けて能力を身に着けてこいと求めることです。示したことができるようになったから採用するということになるのなら即戦力を要求することは理解できます。しかし、面接においてサークル活動をどれだけやったかを一生懸命説明しなければいけないということは、仕事の能力としての即戦力を要求しないということです。正社員が少なくなり責任や労働の質的・量的な負荷が高くなってきて、白紙の学生に即戦力を要求するというおかしなことが起こっているのです。しかし、それでもこれはまともな企業での話です。 ・・・・・

« 西村 聡・山岡美由紀『「多様な働き方」を実現する 役割等級人事制度』 | トップページ | ラーメンに人の親指 »

コメント

現在の会社の年齢構成というのは、バブル入社組がそろそろ定年にさしかかろうとしていて、バブル崩壊後の就職氷河期入社組が中高年層の主軸なのですよね。つまり、「おそらく昔の正社員と比べて、いまの正社員の義務の重さ、労働の質的、量的な負荷は大変高まってきている」というのを正に経験してきた世代なのですよね。銀行員の人なんて若手の頃はボーナスなし・賃金カットの上、深夜までの長時間労働だったのでは(当時は不良債権問題が世を騒がせていました)。そうした人達が「俺の若い頃は・・・」といっているかどうかは知りませんが。

「サラリーマンは気楽な稼業」は現在の会社にいる中高年層の親世代くらいじゃないかと。その頃はまだ家族経営の自営業者も多かったはずで、自営業に比べれば「サラリーマンは気楽な稼業」ということなのでしょうね。昔、「8時だよ全員集合」という TV 番組がありましたが、その頃は夜 8 時には家族そろって夕飯を終え、TV の前に家族全員集合できていたのですよね。夕飯というのは夕方に食べるもの、というのも久しく忘れている人が多いのではと思います。


前半部分は完全に同意します。
昭和50年代にサラリーマン生活を開始した私の経験からも、最初に入った中小企業の国内営業の職は今で言うブラックもブラック、月の残業時間(もちろん見なし手当定額支給)は、常に100時間オーバーでしたが、次の大手企業の内勤職は、ほぼ定時で帰宅できました。
後半部分は?です。なぜなら、文系大卒の過半数は国内営業職に配属されているワケで、そこに必要な知識や技術なんてどこの企業も明確に分かっていません。でも過去の経験から、感じが良く、基本的な教養知識があり、機転がきいてハキハキしゃべれる新入社員は、そこらのベテラン社員よりよっぽど営業成績が良いことが分かっているのです。加えて、こうした学生は内勤に戻しても、すぐに業務を把握し戦力になることが多いのです。
現在の採用選考は一見ムダに見えても、やはりそこには企業として一定の合理性があります。

高い報酬の代わりに過酷な仕事をさせることはあって良いと思う。
年収1億とか2億貰ってる人が労働者の人権云々を盾にゴネたとしたら違和感がある。育休議員なんてまさにその典型例だろ。労働者ではないけどね。

労基法上と税法上の「労働者」の定義が違うのと、双方とも明白な基準が無いから、高い報酬とともに非労働者的な働き方をする人が迷惑をこうむってる。私も税務署にイチャモンつけられたことあり。

裁量がほとんどなく、管理監督されている野球選手やフリーアナウンサーでも独立自営業扱いなのだから、金融業界の高度な労働者が自営業でも問題ないと思う。少なくとも野球選手よりは裁量があるよ。

何にせよ、平均的な大企業正社員程度の給料なら労働者として守られるべきなのは間違いない。

グチになってしまいますが、不良債権処理が話題になったときに、銀行員やそのOBさんから「銀行は公共性があり特別だから税金で守られて当然。なぜ税金投入されたら懲罰的に賃金カットされなきゃならないのか」という今の東電レベルの暴言・妄言がなされていて、「特別というなら過労するまで働け」と思いました。

正社員=特権階級 という新自由主義の言い分は、ある業界や企業に限定すれば間違いない。

市場競争で頑張っている業界の労働者が過度に守られている業界の労働者のために「連帯」させられる謂れは1ミリも無いわけで。

そろそろ「連帯」も棚卸ししたほうがいいね

例えば、年俸1000万円以上は独立自営業としていくらでも自己責任で過労しても良いという法律を作るべきと思う。

自営業は自己責任でいくらでも過労しようと身体的精神的な被害を受けようと自由なわけです。
これを無理やり労働者としてやらせようとするから揉めるんですよ。

本当に「高報酬で労働者保護を外したい」と正直に思っているなら、労働者じゃなく業務委託すればいい。税務署も、一定程度の高報酬者を無理やり労働者性を見出して脱税扱いするのは止めるべき。

報酬、裁量、労働者性をごっちゃにして議論するからおかしくなる。
労働者としたまま使い倒すのって企業も税務署もウィンウィンな制度ですが労働者側だけ損するんです。

残業代ゼロ法案がアホなのは、労働者として管理監督しつつ好き勝手に使い倒そうという、良いとこ取りの制度だからなんです。労働者からすればデメリットだけ集めたようなもんだ。

それなら年収1000万円以上に限って準委任・請負契約を大幅緩和すりゃいいだけ。
現状でも合法なんですが、不透明な根拠で税務署と労基署が規制しているだけ。

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「俺の若い頃は・・・」の実情:

« 西村 聡・山岡美由紀『「多様な働き方」を実現する 役割等級人事制度』 | トップページ | ラーメンに人の親指 »