« 倉重公太朗さんが拙著を紹介@東洋経済online | トップページ | 『経営法曹』190号 »

養老保険と退職年金のはざま@『エルダー』10月号

Q2k4vk000000djnf『エルダー』10月号に「養老保険と退職年金のはざま」を寄稿しました。

http://www.jeed.or.jp/elderly/data/elder/q2k4vk000000djlp-att/q2k4vk000000djo9.pdf

このPDFファイルの54~55ページに載っています。

養老保険と退職年金のはざま

 過去十数年にわたって公的年金問題は国政の最重要課題であり続けてきました。そのなかには社会保険庁の「消えた年金問題」のような事務手続の不備にかかわる問題もありましたが、最大の焦点はもちろん人口の少子高齢化にともなって公的年金が将来にわたって持続可能なのかという点にあったことは周知の通りです。そしてこの問題をめぐってはそれこそ汗牛充棟(かんぎゅうじゅうとう)、山のような書物や論文、記事の類が積み上げられていますが、そもそもなぜ高齢者の割合が増えれば彼らに年金を払うために年金制度が危機に陥らなければならないのかという根っこに遡った議論は余りないようです。

 社会保障の教科書を紐解くまでもなく、公的年金は厚生年金保険または国民年金保険という社会保険の一種です。社会保険というのは健康保険や雇用保険を思い浮かべればわかるように、病気や失業という保険事故に遭遇した人に給付がされるものであって、保険料を払ったからといって必ず見返りが戻ってくるわけではありません。いやむしろ、多くの人はあまり病気にはならないし、ましてや失業もしないので、トータルでは払った額より戻ってくる額の方が少ないから、一部の人が払った額よりも高い見返りを貰えるのです。それが保険原理というものです。みんなが「俺はこれだけ払ったんだからその分返せ」と口々にいい出したら、社会保険などすぐに破綻します。病気や失業というリスクを少しずつ分担し合うのが社会保険なのです。

 これは実は年金保険のなかでも障害年金については同じことです。たまたま障害を負ってしまった人にその障害等級に応じて年金を支給するのは、まさにリスク分散のためであって、「障害者にならなかったから損した」などという人はいないはずです。ところが何故か同じ年金保険のなかの老齢年金になると、一定年齢に達したというだけで心も体もぴんぴんしている人々が、「俺はこれだけ払い込んだのだから」と、あたかも預けていた銀行預金を下ろすかのように考えてしまうのです。実のところ、過去十数年の年金論議のかなりの部分は、この公的年金保険をあたかも私的な預金のように考える発想からもたらされている面があります。何故日本では社会保険たる公的年金に対してそういう考え方が染みついてしまったのかを、歴史的経緯をたどることで解明したいと思います。

 現行厚生年金保険法は1941(昭和16)年に制定されましたが、そのときは労働者年金保険法という名前でした。当時の給付は養老年金、癈疾(はいしつ)年金手当金、遺族年金です。「養老」という字面に注目してください。当時の解説書(後藤清・近藤文二『労働者年金保険法論』東洋書館)によると、老齢が癈疾(=障害)や死亡と並ぶ保険事故とされたのは、「老衰は労働能力を減ずること著しく従って生活資源獲得の道を塞ぐものなるため、これを保険事故とするのであるが、被保険者又は被保険者たりし者が何時から老衰となったかを決定又は証明することは困難なるにより、保険において老衰者を救済せんとする場合には、通常一定の高年齢を定め、当該保険団体の構成員がその年齢を超えたることを以て保険事故とするものである」と、老衰を労働能力いい換えれば稼得能力減退とみなしたからです。

 このように、癈疾(障害)と同レベルの保険事故として「老衰」のリスクを救済するための社会保険であるならば、今日に比べれば遥かに早老早死の傾向が強く、平均寿命が50歳前後であった頃に制定された労働者年金保険法がその支給開始年齢、つまり「老衰」とみなす年齢を55歳にしていたことはそれほど不思議ではありませんが、それから75年が経ち、平均寿命が80歳を超えるに至った今日においても、なお支給開始年齢を60歳から65歳に引き上げつつある途中だというのは、いささか不思議の感を抱かせます。本当に老衰が進んだ75歳以上の後期高齢者の医療費が大問題になっている健康保険と比べても、未だに65歳未満で「老衰したから年金をくれ」という理屈が通っている年金保険は別世界のようです。

 ではなぜ、戦後日本では「老衰」のリスクを救済するための社会保険が、全然老衰もしていない若々しく元気な前期高齢者に対する潤沢な給付制度と認識されるようになったのでしょうか。その原因は前回みた退職金の法政策との絡み合いにあります。

 もともと失業保険や解雇手当の関係で立法された1936年の退職積立金及退職手当法は、ごく短い期間ですが日本の企業に退職金の支給を義務づけました。ところが、1941年の労働者年金保険法制定にともない、労働者の申し出があれば積立義務は免除され、任意積立制度になりました、さらに1944年の厚生年金保険法への改正により、戦時における事務簡素化の見地から類似の制度として同法は廃止されてしまいました。「類似」といっても、一方は企業レベルの退職金積立義務づけ制度であり、もう一方は国レベルの「老衰」救済制度であって、そもそもの原理はまったく違うはずですが、これにより「老衰」救済のための年金も「退職金」と同じようなものだという認識が一般化してしまったようです。

 この発想を強化した一つの要素として、公的部門の年金制度があります。もともと戦前以来官吏には恩給制度があり、国の負担で退職後の生活保障がされていました。一方現業労働者には勅令で共済組合が設けられ、労使拠出による退職給付がされていました。戦後公務員制度が大きく変わり、1948年に国家公務員共済組合法が制定され、1958年の改正法で恩給公務員にも共済組合が適用され、今日に至っています。これらは性格は異なりますが、公的部門の企業(職域)年金という点では同じです。実際、制定時の共済法では「養老」とか「老齢」という言葉は使われず、「退職給付」となっていましたし、今日でも長期給付のなかの「退職年金」です。

 さらに、これも前回取り上げた厚生年金基金制度が両者の混同を後押ししました。本来民間企業の人事労務管理の一環である退職金を年金化した企業年金を、公的社会保険である厚生年金保険の代行までやらせるという経営側の要求によって、本来「老衰」リスクへの保険であるものが「退職年金」として意識されるようになる大きな契機になったと思われます。公的部門でも、民間部門でも、年金といえば「退職年金」という条件反射が形成される基盤がこうして形作られたわけです。

 こうして今日に至るまで、本来社会保険としての「老衰」リスク保険の議論をすべきときにも、これら「退職年金」の発想に引っ張られて、全然老衰もしていない若々しく元気な前期高齢者が退職後の生活を満喫するための生活費を年々減少する一方の現役世代から徴収することに疑いを抱かないために、少子高齢化で公的年金が持続可能でなくなるという問題が生み出されているように思われます。

|

« 倉重公太朗さんが拙著を紹介@東洋経済online | トップページ | 『経営法曹』190号 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/3288/67820462

この記事へのトラックバック一覧です: 養老保険と退職年金のはざま@『エルダー』10月号:

» 日本を狙う者たち [TPPは日本を破壊する]
 TPPの根本にあるのは、金融も国境の壁を取り払い、資金の流れを阻害することなく [続きを読む]

受信: 2016年10月 6日 (木) 14時35分

« 倉重公太朗さんが拙著を紹介@東洋経済online | トップページ | 『経営法曹』190号 »