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2016年10月14日 (金)

連合総研『雇用・賃金の中長期的なあり方に関する調査研究報告書』

Soken連合総研のサイトに、『雇用・賃金の中長期的なあり方に関する調査研究報告書』がアップされています。

http://rengo-soken.or.jp/report_db/pub/detail.php?uid=295

http://rengo-soken.or.jp/report_db/file/1476262114_a.pdf

「正社員と非正規雇用労働者を含めたトータルとしての働き方や処遇のあり方を模索する上で、労使がいま直面している課題を明らかにしつつ、今後の働き方と賃金のあり方に関する検討を進める上での、論点整理を行うことをめざし」た結果のとりまとめですが、一言でいうと、(拙著『新しい労働社会』での用語法を使えば)同一労働同一賃金に象徴される「交換の正義」と、生活給に象徴される「分配の正義」との両立を、「一人前労働者」というキー概念を軸にして構築しようとしている試みということができるように思われます。

一人前労働者の賃金とは、単に生存が保障されるだけではなく、次世代の労働力の再生産を可能とするような生活を保障する賃金でなければならない、と。

このあるべき賃金を、一定の仕事スキルを持った一人前労働者に一律に保障するというところで、労働力の市場価格とは区別された一人前労働者の固有の賃金水準を設定するというイメージです。

しかしそうすると今度は、その「一人前労働者」にみんながなれるのかという問題が出てきます。ここでは「キャリア権」という概念は提示されますが、具体的な設計は示されていません。

「おわりに」で語られるあるべき労働社会のイメージに対しては、人それぞれにさまざまな意見があるでしょうが、少なくとも議論の出発点として重要な一歩であることは間違いないでしょう。

「親一人・子一人」世帯の親を「一人前労働者」とみなし、再生産可能な「あるべき賃金」を再生産可能な労働時間(働き方)で稼得できる社会は参加型社会と位置づけられる。・・・

すでにみたように長期雇用慣行や年功型賃金などを特徴とした「男性稼ぎ手モデル」は前世紀的な旧システムとして今日的にはほとんど機能していない。一方ですでにみたような日本的福祉制度への依存体質は旧態依然と残存している。この変化を社会システムの転換としてとらえるならば、労働者とその家族を包摂する市民社会と企業が主体である市場の間で、規制主体としての国の介入を前提に結ばれた日本的社会契約、すなわち長期安定雇用や年功賃金を柱とした日本的雇用慣行および企業の法定外福利と専業主婦の無償家事労働を国の貧弱な社会保障制度が補完するという独特の福祉国家の基盤が揺らぎ、企業は従来の雇用慣行を硬直的なシステムとみなして破棄する一方、国は困難に直面する企業部門を支援する産業政策に特化して、もともと脆弱な福祉の切り捨てに転じた結果、新自由主義的市場の論理が市民社会を併呑するかのような事態に立ち至っているとみることができる。しかし転居転勤や長時間労働で労働者に過度の負担を強いるような無限定正社員の働き方と低賃金不安定雇用の非正規労働者に過度に依存し、労動条件の劣化を競争資源にしようとする一種の社会的ダンピングが、真の競争力構築を妨げてきた結果、今日の経済的後退がもたらされたとも考えられよう。

従っていま国(政府)の果たすべき役割、そしてそれぞれの労使が取り組むべき課題は、失われた何十年かの間に反故にされた社会契約の再締結に向けた真摯な努力と、その社会契約を基盤とした福祉国家の再構築でなければならない。・・・・・

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コメント

説得力はあるのです。とても。
IMFエントリ然り、本エントリ然り。
懸命に経済を支え、しかしその煽りが歴史的経緯も含め、相当数に上る希望なき様々な労働により成り立っている日本社会のいびつさを再設計し前へ進もうという力みは。
そうした歪みを均そうとするのであればあるほど、以下の事実も避けられない日本経済への当然の今日より未来におけるディストピア的評価として俯瞰すべきであろうとも思いご紹介しておきます。

Bloomberg
「桃太郎が鯨に勝ち続ける理由 海外資産に9割『国内投資無駄』」

過度な要求を強いられる正規労働者の在り方は改革すべきです。

高額報酬を得ることが可能な高スキル者以外の「普通の人」が普通の労働で節約すれば何とか庶民的生活ができるという雇用慣行を作らないといけない。

エリートからノンエリートへの転換ルートも必要でしょう。私の後輩は、エリートとして入職したが、過酷で競争の激しい環境に馴染めず、かといってエリートを止める道もなく、辞職するしかなくなってしまった。

一方で、ある準公的な団体の理事(民間出身)は、エリートとノンエリートの非合理的な壁を壊して、阪大京大を出ている人でも不適当ならばキャリア扱いを止める、キャリア脱落者がメンツを完全には潰れないようにする、Fランク卒や高卒でも能力あれば出世させる、という改革をやったそうだ。お茶くみ係(死語か)の女性職員が管理職になったのは驚いた!

今トレンドの首都東京とは、阿波さんの最後のフレーズにあるような人事事例の事実があったそうですねえ。
おっしゃる人事の行き来が、”その組織内完結”よりも、双方の選考ミスマッチである蓋然性が多い社会であると認め、その再選択に繋がる社会とたとえば大学との行き来に社会便益を大とする認識に繋がると、その一点選択事態が無謬寓話的に創られて奇跡的に機能し、今や機能不全に行き着いた帰結的上意下達官教育とその経済を、補完機関の強化により緊張関係とそれに沿った個の選択こそ便益高いとするフレキシブルな一律ではないが、しかし協同の相乗効果が期待できうる自律的な自由社会が・・・・それには個の実生活への長期選好依存をセイの法則よろしく選好功利創造するマーケティングによる家計負債への生産セクターから消費セクターへの過度な債務移転を創造する金融工学が政治選好的非主流にならなければとも思いますし、独裁でもなく一応民主的と標榜される日本においての主役である私たちにブーメランのごとく消費を顕示欲により競わす補完組織仲間への批判も控えつつ、より目立つトピックで寓話づくりに苦心する労働補完組織にこそ、シュムペーターのご威光をお借りし、あんたたちこそまずは創造的に自己破壊をしたらいかが?と申し上げたくなります。

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