フォト
2025年1月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
無料ブログはココログ

« 従業員主権の人本主義の光と影@WEB労政時報 | トップページ | 荒木尚志『労働法 第3版』 »

2016年10月31日 (月)

会社にしがみつく時代は終わった・・・?

今朝の日経新聞が1面で、「会社にしがみつく時代は終わった」と大見得を切っているのですが、

http://www.nikkei.com/article/DGXKZO08970850R31C16A0MM8000/

会社は長らく、終身雇用や年功序列で労働者に安心して働ける環境を提供してきた。日本経済が難所にさしかかり、企業と働き手は新しい関係を築く必要に迫られている。腕一本をたのみとする自立した労働者を増やさないと日本は沈む。

と、えらく威勢がいいのですけど、その「自立した労働者」ってのは・・・・、

 「土日は休みたい」「残業代もほしい」。エアコン修理のKAISEIエンジニアリング(東京・港)は倒産の危機で泣き言を言う社員に引導を渡した。・・・

ほほお、メンバーシップ感覚溢れるいつでもどこでもなんでもやりますという無限定社員とは一線を画し、民法の原則に立ち返って「土日は休みたい」「残業代もほしい」と大変まっとうな労働者感覚、すなわち一方当事者が労務を提供し、他方当事者がそれに対する対価を支払うという、まことに市場原理に則った資本主義社会の労働者の鑑とも言うべき、あるべき労働者の行動様式をとっている人に対して、昭和時代の香り漂う風情で「泣き言を言う社員に引導を渡した」と平然と書いてしまえる、この感覚がすごいです。

いつでもどこでも何でもやりますという点ではメンバーシップ感覚全開でいながら、その舌の根も乾かぬうちに「会社にしがみつく時代は終わった」とかほざけるこの新聞記者さんは、言葉の正確な意味におけるブラックな方なのでありませう。

« 従業員主権の人本主義の光と影@WEB労政時報 | トップページ | 荒木尚志『労働法 第3版』 »

コメント

以前、当ブログで推薦されていた著作『労働法』(岩波新書、磯田進著、1959年発行)の最終章より以下抜粋させていただきます。

「・・・労働基準法に関するこの最後の章では、原理的にいって(具体的には「人間らしい生活」という事柄をめぐってであるが)<日本人の伝来的な「ものの考え方」と今日の労働法の前提となっているそれとの間のギャップ>ということに一つの問題があった。そして顧みると、本書においては至るところで同じ性質の問題にぶつかってきたわけである。例えば、労・使「対等」ということに関して、家族主義的(親子関係的)労働関係観に関して、団体交渉に関する考え方、ストライキに関する見方について。つまり、旧来の「日本的」なものの考え方や見方と、今日の労働法が予想し前提としているところのものの考え方との「根本的な違い」という問題に出会い、考察の努力を払ってきたわけである。実際、私たちが長い間怪しみも疑いもせず、しごく当然のこととして慣れてきたような人間関係、社会関係、またそれについてのものの考え方、これらの多くのものについて、根本的に考え直してみるのでなければ、労働法はいまで私たちの「身についた」ものとはいえない。・・・」(P295-296、第11章「労働者は人間らしい生活をする権利がある」より抜粋)

悲しい哉、磯田氏のこの指摘からすでに半世紀以上経過しましたが、私たち日本人はいまだにここで提示された問題=「しごく当然のこととして慣れてきたような人間関係や社会関係、それについてのものの考え方」を「根本的に考え直してみる」ことが十分にできているとは言えないようです…。

ここのブログはもとより、東谷暁によっても、何度も「引導を渡」されているはずの日経様が、相も変らぬ無反省っぷり。さすがでありんす。

(どうせならその調子で新聞業界の再販制度にも引導を渡してほしい)

市場経済に則った普通の取引ということになると、それこそ「最低賃金&労働時間制限は守るけど、それ以上の条件は相互の同意で自由に決めれるし変更可能」と言うことになりますね。

双方の合意を至上とする自由な取引では、一度採用したからと言って中年の普通のオッサンに800万円の報酬を払う義務はないわけで。それこそ合理的に説明できない報酬は契約更新ごとに幾らでもカットして良いことになる。

でも現実として大企業や役所が、「現在の報酬は合理的でないので来年から下げます、納得できないなら雇いません」とは言えない。そういう不合理な保護があるわけですから一定の不合理なメンバーシップ的義務は当然ではないか。

日経が言ってることは矛盾してますが。

それでも、労働法が民法の特別法である以上、どこまで行っても労働契約は物品サービスの契約と同じにはならない。どこまで行ってもメンバーシップ的なものは残る。

>原口 様

>東谷暁によっても、何度も「引導を渡」されている


西部や東谷らよりは日経のがマシ。
彼らの思想はメンバーシップ制度を極めれば身分制度になることを示している。
「規制を強化して機会の不平等を守ることが国益」と主張する輩は絶対許さないよ僕は。

>市場経済に則った普通の取引

今日の先進社会で確立しているジョブ型のルールというのは19世紀イギリスに見られたような原生的労働関係のことではありません。

市場とか資本主義とかいうと、使用者が好き放題していいと勝手に思い込んで議論する人が多くて困ります。

ジョブ型というのは、使用者と労働者はジョブを介した取引相手であるという前提の上に様々な相互を拘束するルールを構築したシステムのことなのであって、それが自分になじみのあるメンバーシップ型のルールとまったく違うからと言って、ルール無用のジャングルだと思いたがるのはまことに困ったことです。

この日経の記者に典型ですが、自分がその中にどっぷりつかっているメンバーシップ型のルールを否定したいとなると、もうあらゆる労働者保護のルールはことごとく否定の対象となり、原生的労働関係に放り出す以外に何も考えられなくなるようです。

困ったものです。

自立した労働者とは、自営の人ということでしょうか。

しかし倒産しそうな会社なんかにしがみつかなければいけない、そこが何とかならないのですかね。危ない会社からさっさと逃げられる社会じゃなから、稼げないし社員にまともな給料も出せない非効率な会社がたくさんあるんでしょう。

阿波様

>西部や東谷らよりは日経のがマシ。

西部邁と東谷暁が仲いいことぐらいは知ってるんだけど、「経済報道」次元の問題に関して、西部邁と東谷暁が一緒くたになっちゃうんでございますね・・・。
なるほど、さすが「ルール無用のジャングルだと思いたがる」阿波様らしゅうございます。

>「規制を強化して機会の不平等を守ることが国益」と主張する輩は絶対許さないよ僕は。

え!西部と東谷に対し、テ、テロルんでございますか!?
ど、どうか、おやめくだされ~

(ちなみに西部邁についてはよく知らないが、それでも国益については、「機会の不平等を守る」なんて些細なこと(たぶん西部にとっては)よりも先に、「まずは核武装をすることが国益」とおっしゃりそうな気もするが・・・。いやまあよく知らないんで推測に過ぎないですが。)

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 会社にしがみつく時代は終わった・・・?:

« 従業員主権の人本主義の光と影@WEB労政時報 | トップページ | 荒木尚志『労働法 第3版』 »