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2016年10月

2016年10月31日 (月)

荒木尚志『労働法 第3版』

L14488 荒木尚志さんの教科書『労働法 第3版』(有斐閣)をお送りいただきました。ありがとうございます。

http://www.yuhikaku.co.jp/books/detail/9784641144880

近頃は労働法の教科書は2年おきに改訂というのがおおくなりましたが、荒木さんはもう少しゆったりと構えて、初版から第2版まで約4年、第2版から第3版までほぼ3年半というペースです。

労働立法の展開と労働関係の特質を踏まえた労働法体系書。最先端の学説状況と裁判例の的確な分析に基づき安定した解釈論を提示するとともに,今後の労働法政策をも展望。立法・判例の展開のめざましい非典型雇用の章については,比較法研究も踏まえて大幅改訂。

さて、第3版では最後の「第27章 雇用システムの変化と雇用・労働政策の課題」にこんな一節が・・・。

・・・戦後の混乱期を脱した日本では、1950年代後半から高度成長期に入り、良質の労働力を確保したいという企業の要求と、雇用喪失のリスクを避け安定的な雇用保障を享受したいという労働者の要求が合致し、また「解雇権濫用法理」という合理性のない解雇を権利濫用として制限する判例法理の展開も相まって、いわゆる「終身雇用制」といわれる長期雇用慣行が形成された。長期雇用慣行の下では、労働者が一企業内で昇進を重ねてキャリアを展開する内部労働市場が生まれ、雇用関係に関わる諸制度が内部労働市場に適合的な形で展開することになる。例えば、採用については、特定の職務ポストに欠員が生じた場合に、その必要な技能を持った者を雇い入れるといういわゆるジョブ型採用ではなく、定年までの雇用保障を前提に、職務内容を特定せず特定の技能も要求することなく雇い入れる新卒定期採用が行われた。また、教育訓練についても企業外部の訓練機関に依拠するのではなく、雇用した正規従業員を柔軟に配置転換およびOJTを通じて企業自身が育成訓練した。賃金についても、かつては年功賃金制度、その後は、勤続年数と職務遂行能力の蓄積を基準とする、つまり職務(仕事)ではなく人に着目した賃金制度たる職能資格制度が普及した。近時、欧米型のジョブ型雇用と対比してメンバーシップ型雇用と呼ばれているが(2)、まさにそうした特色を持った長期雇用システムが定着していった。・・・・

(2) 濱口桂一郎『新しい労働社会-雇用システムの再構築へ』(2009年)は、日本の雇用システムと諸外国の雇用システムの違いをメンバーシップ型とジョブ型という名称を与えて鮮やかに整理し、こうした名称が一般にも政策論においても使用されるようになっている。

とのことです。

会社にしがみつく時代は終わった・・・?

今朝の日経新聞が1面で、「会社にしがみつく時代は終わった」と大見得を切っているのですが、

http://www.nikkei.com/article/DGXKZO08970850R31C16A0MM8000/

会社は長らく、終身雇用や年功序列で労働者に安心して働ける環境を提供してきた。日本経済が難所にさしかかり、企業と働き手は新しい関係を築く必要に迫られている。腕一本をたのみとする自立した労働者を増やさないと日本は沈む。

と、えらく威勢がいいのですけど、その「自立した労働者」ってのは・・・・、

 「土日は休みたい」「残業代もほしい」。エアコン修理のKAISEIエンジニアリング(東京・港)は倒産の危機で泣き言を言う社員に引導を渡した。・・・

ほほお、メンバーシップ感覚溢れるいつでもどこでもなんでもやりますという無限定社員とは一線を画し、民法の原則に立ち返って「土日は休みたい」「残業代もほしい」と大変まっとうな労働者感覚、すなわち一方当事者が労務を提供し、他方当事者がそれに対する対価を支払うという、まことに市場原理に則った資本主義社会の労働者の鑑とも言うべき、あるべき労働者の行動様式をとっている人に対して、昭和時代の香り漂う風情で「泣き言を言う社員に引導を渡した」と平然と書いてしまえる、この感覚がすごいです。

いつでもどこでも何でもやりますという点ではメンバーシップ感覚全開でいながら、その舌の根も乾かぬうちに「会社にしがみつく時代は終わった」とかほざけるこの新聞記者さんは、言葉の正確な意味におけるブラックな方なのでありませう。

従業員主権の人本主義の光と影@WEB労政時報

51drrfrj9vl__sl500_sx353_bo12042032WEB労政時報に「従業員主権の人本主義の光と影」を寄稿しました。

https://www.rosei.jp/readers-taiken/hr/article.php?entry_no=591

 今回は法政策のこまごましたディテールから少し距離をとり、近年の日本の労働法政策がなかなか解決できない問題の根源にあるもの――私が「メンバーシップ型」と呼ぶ労働社会の在り方――の哲学的基礎を成す、ある社会的イデオロギーについて考えてみたいと思います。それは、一橋大学名誉教授で現在は東京理科大学教授を務める伊丹敬之氏の「人本主義企業」論ないし「従業員主権企業」論です。
 
 1987年に伊丹氏が著した『人本主義企業』(筑摩書房)は、企業を(商法の言葉通りに)お金を出している人のものだとする「資本主義」に対して、現実の日本社会でそう考えられているように企業で働いている人のものだとする「人本主義」という鮮烈な概念を提示することで話題を呼びました。当時は日本経済のパフォーマンスが世界中で高く評価されていた時代であり、彼の議論は結果によってその素晴らしさがあらかじめ保証されている日本的経営の原理を、日本国の法律の明文の規定に反する現実社会の「常識」と同じイデオロギーのレベルで比較し、その優秀性を弁証するものとして受け取られたのでしょう。 ・・・・・
410fvamazpl__sx317_bo1204203200_

2016年10月30日 (日)

自分が無知な分野について本を書くときのやり方

自分が無知な分野について、いっちょまえに偉そうな本を書こうと思ったときは、あなたには二つの選択肢があります。

一つは、出版社が用意してくれたデータマンが主としてネット上で得られる(虚実取り混ぜた)情報をもとに用意してくれた元原稿に、好きだの嫌いだの、気にくわないだの死ねだのという小学生並みの感想文を書き加えて一冊の本に仕立て上げるという手法。

もう一つは、自分の極めて乏しい脳内情報を元に、あとは気分の赴くままに、何の根拠もないことを自信たっぷりに断言したり、確かに存在する高名な学者の本に書いてあると称して実は全然存在しない一節を『引用』してみたり、文句をつけそうなその分野の専門家に(中身とは関係のない)属性批判をして、一冊の本に仕立て上げるという手法。

どちらを選ぶかはあなたの判断ですが、前者の場合、そのデータマンがいい加減な仕事をする人であった場合、泥棒呼ばわりされるおそれがありますのでご注意下さい。

2016年10月29日 (土)

予想に反して、・・・ためになった

一昨日の木曜日、高齢者活躍支援協議会のシンポジウムで基調講演をしたことは昨日のエントリで書きましたが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2016/10/post-794d.html

その会場に来られていた方が、わたくしの基調講演「変わる中高年の雇用環境」を聞かれて、

http://hasamatsushin.blog.fc2.com/blog-entry-3202.html

201610281755449d6 予想に反して、後のパネルディスカッションよりもためになった。ご当人はトリビア(くだらない、雑学的な事柄や知識)と謙遜していたようが、私の知らなかった(ああそうなんだ)ということが多かった。

という感想を書かれていたのには、なんともはや、ありがとうございます、という感じで。

で、戦時体制下で国家総動員法に基づく賃金統制で確立した年功的生活給を、戦後労働組合が死守したというあたりの話をとらえて、

まるで、米国から押し付けられたと与党が主張する現憲法を野党が守ろうとする図と似ている感がしたのは、私だけであろうか。

という、喋った本人も思いもよらない感想をさらりと付け加えられてます。

労働組合は利益団体

なんだかまたぞろ、自民党の幹事長が連合の会長と会談したというニュースをネタに、労働組合を政治団体か思想団体か宗教団体かと取り違えた発想がネット上で拡散されているようですが、あまりのデジャブに、以前のエントリに書いた文章をそっくりそのまま自分でコピペする以外に何とも言いようがない感が半端ない・・・。

http://www.jiji.com/jc/article?k=2016102600979&g=pol

自民党の二階俊博幹事長は26日夜、東京都内のホテルで連合の神津里季生会長と会談し、政策面で意見交換していくことで一致した。会談は、先の新潟県知事選などで連合との関係がぎくしゃくしている民進党をけん制する狙いがあるとみられる。

連合は民進党最大の支持団体。同党の蓮舫代表が新潟県知事選で連合支援候補と対立する候補を応援したことから亀裂が生じた。連合は第2次安倍政権発足後の2013年3月、自民党と定期協議開催で一致したことがある。

コピペ元は、昨年安倍首相がUAゼンセンの逢見会長と会談したというニュースの時のこのエントリ。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2015/06/post-07d6.html

まあ、政治部の記者が政治面に書く記事ですから、どうしても政局がらみの政治家的目線になるのは仕方がないのかも知れませんが、ここはやはり、労働組合とは政治団体でもなければ思想団体でもなく宗教団体でもなく、労働者の利益を最大化し、不利益を最小化することを、ただそれのみを目的とする利益団体であるという、労使関係論の基本の「キ」に立ち返ってもらいたいところです。

労働者の利益のために白猫が役立つのであれば白猫を使うし、白猫が役に立たないのであれば黒猫を使う、というのは、労働組合を政治団体か思想団体と思い込んでいる人にとっては原理的に許しがたいことかも知れませんが、利益団体としての立場からすれば何ら不思議なことではありません。

政権と対決して労働者の利益が増大するのであればそういう行動を取るべきでしょうし、そうでないのであれば別のやり方を取るというのも、利益団体としては当然です。

問題はむしろその先です。

利益団体としての行動の評価は、それによってどれだけ利益を勝ち取ったかによって測られることになります。それだけの覚悟というか、裏返せば自信があるか。

逆に言えば、政権中枢と直接取引してそれだけの利益を勝ち取る自信がないような弱小団体は、下手に飛び込んで恥をかくよりも、外側でわぁわぁと騒いでいるだけの方が得であることも間違いありません。しかしそれは万年野党主義に安住することでもあります。

上の記事は政治部記者目線の記事なので、政治アクターにとっての有利不利という観点だけで書かれていますが、労使関係論的に言えば、労働組合の政治戦略としてのひとつの賭であるという観点が重要でしょう。

(追記)

同じことを、こんなに長々しく書かなくても、わずか140字のつぶやきで余すところなく語って見せている例:

https://twitter.com/2C1Pacific/status/791665991759441922

「連合の役割は終わった」と言っている"民主党時代に閣僚経験のある議員"先生は「連合の役割」を何だと理解しているのだろう? 労働組合にとって政治は手段に過ぎないのであって目的ではないよね、本来。

2016年10月28日 (金)

発達障害者が働きやすい職場は「ジョブ型雇用」

ベネッセ総合教育研究所のサイトに、東京大学先端科学技術研究センター 近藤武夫准教授による「発達障害のある人たちの就労に関わる問題」というインタビュー記事が載っています。

http://berd.benesse.jp/special/co-bo/co-bo_theme4-2.php

その中に、こんな一節がありました。

多くの大学生を悩ませる就職活動だが、発達障害のある子たちにとっては、障害ゆえの悩みが発生する。その背景にあるのが、知識やスキルよりも「コミュニケーション能力」を重視する企業の選考姿勢だ。

多くの日本企業の選考では、他者とのコミュニケーションをうまくとれる人が有利であり、それゆえに発達障害のある人の一部は非常に不利な状況に立たされると近藤先生は話す。「日本型の新卒採用では、職務を明確に定めない雇用契約が一般的です。そうすると、採用の段階でもとにかく学生本人の側に『自分を売り込む』ことが求められ、そのためのコミュニケーション能力レベルが合否に大きく影響します。」

それはどこでも一緒じゃないか、と思う人もいるかも知れませんが、さにあらず。

しかし、世界に目を向ければ、こうした日本の選考姿勢は決して一般的とはいえない。

欧米型の組織では、採用の段階で組織の求めるスキルを明確に示したジョブディスクリプション(職務定義書)が提示され、応募/採用はこのディスクリプションをもとに行われるのが一般的。働き始めてからの評価や人事管理もジョブディスクリプションに基づいて行われ、職務内容も明確だ。こうした組織では、コミュニケーション能力が求められるのはあくまでもジョブディスクリプションにそうしたスキルが明示された職種のみであり、すべての人材に対して高いコミュニケーション能力が求められるということはない。言い換えれば、コミュニケーション能力に自信のない人は、そのほかのスキルや経験を磨くことで、自分に合った仕事を見つけていくことができるといえる。

もうひとつの日本型採用の特徴が、特に新卒での入社時にはなんでもできるジェネラリストが求められるという点だ。「多くの日本企業にはジョブローテーションがあるので、いろんな業務をまんべんなくできる人が期待されます。新卒採用時には『この仕事ができますか』という具体的な質問ではなく、『あなたは何ができますか』という漠然とした質問をされるんです。」こうした質問に答えるのは、障害のあるなしにかかわらず難しい。ましてや、コミュニケーションに困難を覚える発達障害のある人にとって、このような採用試験を経て内定を得るのは至難の業だと近藤先生は話す。

おやおや、発達障害者の採用はジョブ型社会とメンバーシップ型社会ではずいぶん置かれた位相が異なるようです。

そう、近藤さんはジョブ型雇用が発達障害者にとって働きやすい職場だというわけです。

では、どのような仕組みや制度があれば、発達障害のある人も働きやすい職場となり得るのだろう。ひとつの例として、近藤先生は具体的な仕事内容と、それに対する賃金が明確に示されている「ジョブ型雇用」をあげる。「規定の仕事をしっかり遂行することができれば、年齢がいくつだろうと、障害が何だろうと、仕事の成果に対してきちんとした報酬が支払われるという雇用環境。障害からくる困難への環境調整があり、職務が明確な職場であれば、発達障害のある人も今より働きやすい環境がつくれるはずです」と近藤先生は言う。

もっと言えば、発達障害者に限らず、およそ障害者雇用というのはジョブ型雇用でしか進められないものではないかと思います。そもそも、会社がやれということを何でもやれるような健常者ではないから、ある部分は障害のためにできないけれども、ある部分は他の障害にもかかわらずきちんと仕事ができるということを前提にして、その部分をしっかり使って仕事をしてねということで障害者雇用というのは成り立っているのですから、そもそも無限定雇用というのは原理的にあり得ないはず。

ジョブ型雇用は万能薬か?@佐藤博樹

日本政策投資銀行の「人的資本とサステナブル・エコノミー研究会」の要旨というかたちで、佐藤博樹さんの講演録がアップされています。

http://www.dbj.jp/ricf/pdf/research/seminar/DBJ_Seminar_20160805.pdf

最初に「ジョブ型雇用への転換が真の解決策か?」というやや挑発的な問題設定をした上で、佐藤さんが総論を書かれた『諸外国の働き方に関する実態調査報告書』(未公開資料)の各国の実態報告を元に、、「そんな単純な話じゃない」と論じています。

実を言うと、この講演録は短すぎてどこがどれくらいそうなのかが余りよくわからないのですが、そのもとになったこの調査報告書はアメリカ(富永晃一)、オランダ(本庄淳志)、ドイツ(島貫智行)、フランス(佐野嘉秀)がいずれも詳しく各国の雇用システムのあり方を分析していて、とても有用です。

ジョブ型とメンバーシップ型という単純化された話に毒された(笑)方にはいい解毒剤になると思います。

高橋琢磨『21世紀の格差』、本田重道『なぜ、私の歳をきくの?』

昨日は、高齢者活躍支援協議会のシンポジウムで基調講演をしましたが、さっそくアドバンスニュースに記事が載っているようです。

http://www.advance-news.co.jp/news/2016/10/post-1999.html

・・・この日は、労働政策研究・研修機構の濱口桂一郎・主席統括研究員が「変わる中高年の雇用環境」と題して講演。濱口氏は、日本型雇用システムが生まれ、定着した歴史を紹介しながら、システムの中核に男性中心の「無限定正社員」モデルがあるとして、スペシャリストが育ちにくい就労環境がそのまま高齢者就労のネックになっていることを示唆した。・・・

そのうちYouTubeにも載るそうなので、見てみたいという奇特な方はどうぞ。

さて、講演後、聞きに来られていたお二人の方から直接御著書をいただきました。

27219173_1お一人は高橋琢磨さんで『21世紀の格差』(WAVE出版)というかなりの分量の大著です。

http://www.wave-publishers.co.jp/np/isbn/9784872907599/

オビに曰く、「ピケティが書かなかった日本の格差問題と解決策」。

目次からも分かるように大変広汎な分野にわたって論じておられますが、その中には雇用労働政策に関わる提言がいくつも盛り込まれています。

まず「第1章 特殊な道を歩んだ日本の平等」が、戦前、戦時下、戦後という歴史的観点から日本型システムの特殊性を論じていて、私の視点と重なるところが多いです。

その第6節「労働市場の二層構造と生活の二極化」では、村上泰亮らのイエ社会論をベースに、ゲーム理論も使って論じていますが、その中に私の名もちらと出てきます。

・・・労働政策研究・研修機構の濱口桂一郎は、就職活動が日本で以上に盛り上がりを見せるのは、村上のいう「イエ」への入居を求める、つまりメンバーシップ獲得競争だからとの見方を示す。つまり「イエ」メンバーである正規雇用者と、ノンメンバーである非正規雇用者という区別だ。・・・

・・・若者の労働報酬を押さえ込むことこそが、結婚できない、子どもを持てない、少子化、デフレ現象という悪循環を生んでいる。かつての「イエ」全盛の時代へ戻れる、戻るべきだといった硬直な考えを踏襲してきた日本社会はあまりにも無責任だったといえる。・・・

その次の第7節「若者を虐待する日本の雇用」では、POSSEの今野さんの『ブラック企業』を引きながら、ブラック企業が日本型雇用の「命令権」の濫用から生み出されていることを論じ、

・・・特に日本では、社会的な「イエ」にとどまった者と「イエ」から追放された者との二極化した生活スタイルが展開されている。・・・この二極の生活のミクスチャーの中で、日本の少子化は進展し始めたのである。

と訴えています。

次の第2章は金融緩和などのアベノミクス批判ですが、その後の第3章では再び「流動的な労働市場の構築」や「人生二毛作時代の対応策」「青年男女の最適な就業パターン」「新しい老化モデルと高齢者の労働参加」など、雇用労働政策に関する提言が陸続と繰り出されていきます。そのモデルとして示されているのはスウェーデン社民党政権のレーン・メードナーモデルです。

それを基準にして日本の現状をこう辛らつに批評しています。

・・・日本企業でも、頻繁にリストラが行われるようになった。欧米では勤続年数が短い者から解雇されるという慣行があり、労使の協約にもその点が明記されている。・・・しかし日本では図14に見るように、勤続年数の長い人は賃金の後払いにより生産性以上の報酬を受けている。このため、日本ではリストラと言えば中高年が狙い撃ちされる。

こうして日本企業でも、暗黙的な長期雇用の契約が反故になったと考えられるようになった。つまり「イエ」モデルに合致していないという意味である。

それにもかかわらず、期待値としての「イエ」モデルは有効であるとの前提で、春闘が行われている。そして春闘は、いつの間にか、家庭の再生産をするための闘争という原点を見失っている。・・・

高橋さんは、

1943年岐阜県生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。MBA(カルフォルニア大学バークレー校)、論文博士(中央大学)。野村総合研究所時代には、ニューヨーク駐在、ロンドン支店長、主席研究員などをつとめた。北海道大学客員教授、中央大学大学院教授などを経て評論活動に。著書に『戦略の経営学』(ダイヤモンド社)、『中国市場を食い尽くせ』(中央公論新社)、『マネーセンターの興亡』(日本経済新聞社)、『アジア金融危機』(東洋経済新報社)、他多数。

という方で、金融をメインに経済全般を論じてこられた方のようですが、正直今まで雇用労働問題についてこれほどに見識のある方であるとは知りませんでした。

たまたま講演会でお目にかかる機会があったので、いくつか他の著書も読んでみようかと思います。

61291もうお一人は本田重道さんで『なぜ、私の歳をきくの? 年齢不問社会の提言』(飛鳥新社)という、タイトルからしてまさに年齢差別禁止を訴える本です。

http://www.asukashinsha.co.jp/book/b61291.html

「はじめに」によると、

・・・私は長年、日本のある弱電メーカーで、技術者として働いてきました。その折、常に頭の中にあったのは、社長であり師でもあった井深大さんが、ことあるごとに言われた「人のやらない事をやろう」という言葉でした。
  一度しかない人生です。私は定年を迎えるにあたり、前々からの夢だった「水耕栽培」の研究をしようと心に決めていました。
  そのため、庭に小さな温室を作りました。また、研究は基礎が大切だと、東京農大でセミナーを受けたり、放送大学に編入もしました。ところが学ぶうちに、「生体の成長」➜「細胞の成長」➜「細胞分裂中止」➜「細胞の死」➜「生体の死」➜「寿命」➜「加齢」➜「年齢」へと問題意識が発展しました。当初の植物学はどこへやら、これも人のやらない事だと、「年齢制度の是非」というテーマにのめり込んでいったのです。
  その結果、これからの日本に必要なのは、年齢を問わない社会の実現だと、次第に意を強くしました。・・・

なんだか、限りなく風が吹いて桶屋が儲かったような因果関係ですが、そこからこうして一冊の本に結実するまでに年齢という問題に取り組んでこられたわけです。

実は冒頭で紹介した昨日の高齢者活躍支援協議会での講演資料の初めに出て来るのが「年齢に基づく雇用システム」がいかに形成され、法的強制され、再編強化され、転換が試みられたかという歴史的な話だったのです。

2016年10月26日 (水)

ジェンダーギャップ世界111位

例によって世界経済フォーラムがジェンダーギャップ指数を発表しており、日本が昨年よりさらに順位を下げて見事世界第111位に輝いたというニュースが流れております。原資料はこちらになります。

http://www3.weforum.org/docs/GGGR16/WEF_Global_Gender_Gap_Report_2016.pdf

つうことで、もしかしたらこの本の帯も取り替えた方が良いのかしら?

Img_752f5d874047328e26f434ce08fbda5

お祈りメール来た、日本死ね

というタイトルの本を、海老原嗣生さんが出すようです。

http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784166611058

『お祈りメール来た、日本死ね 「日本型新卒一括採用」を考える』

新卒一括採用は悪なのか? この一冊ですべてが分かる。

「お祈りメール」という言葉をご存知ですか?

就職活動生に対して、企業が不採用を告げるときのメールの末尾に、「今後のご活躍を〝お祈り〟しております」と慇懃な定型文を付けることから付いた、不採用通知の“愛称”です。まじめな就活生なら何百回も“お祈り”されてしまい、人格を傷つけられたと思ってしまう学生も。

そもそも、「新卒一括採用」というのは世界では珍しい形態です。なぜこの仕組みは成立したのか? 企業はなぜ日本型雇用に拘るのか? 欧米のようにサービス残業の無いジョブ型社会にすれば良いんじゃないか?――色々な声が聞こえます。果たして問題の核心とはなんなのでしょうか? 本書では、歴史・データ・海外比較を駆使して、多角的に「採用問題」を解き明かします。

この問題を論ずる第一人者中の第一人者が満を持して放つ・・・というか、しかしいやいや、何というタイトル!!

JIL雑誌も「兼業・副業」特集

676_11なんだかなだれ的にあちこちで「兼業・副業」問題が話題になってきてますが、『日本労働研究雑誌』11月号も、おなじみ労働判例ディアローグと並んで、「兼業・副業」が特集です。

http://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2016/11/index.html

「複業」の実態と企業が認めるようになった背景 萩原牧子(リクルートワークス研究所主任研究員)戸田淳仁(リクルートワークス研究所主任研究員)

兼業・副業をめぐる労働法の問題点と今後の課題 紺屋博昭(熊本大学大学院法曹養成研究科教授)

マルチジョブホルダーをめぐる社会保障の課題─とりわけ被用者保険制度を対象とする比較法的検討 倉田賀世(熊本大学法学部教授)

このうち、紺屋さんの論文は例によって真面目な中に洒脱な表現がときどき顔を出すいい感じの文章になっています。

労働法学と司法判断は、正社員の兼業・副業への志向や行動を制約してきた。日本型雇用システムにマッチする大企業正社員の職務専念、残業強制、あるいは兼業禁止の法理を構築し、退職前後のスピンオフ活動等にも広く競業避止の法理をあてはめてきたのである。大企業正社員はそもそも時間外を含めた労働時間が長く、また組織への従属貢献を含めて処遇評価がなされた結果、兼業・副業への進出意欲をそがれた。中堅規模の企業正社員らの統制も大企業のそれと同様であった。

兼業・副業がそもそも制約されている以上、ダブル/トリプルのワークの労働時間通算規制や、労働者の通算労働時間の増大に起因する労働災害の責任範囲等はほとんど問題にならなかった。他方いわゆる非正規雇用の労働者らは、時間給で雇用される者ほど自主的に企業間でシフト調整を果たし、かつ自己開示を抑制してダブル/トリプルで就業先を増やして兼業実態を広げ、稼働所得を確保した。上記の各正社員ほど統制はなく、兼業・副業が可能だったのである。ただし通算労働時間が長くなることによる疲弊過労は自己責任問題となり、兼業・副業する労働者が職場へのコミットメントを通じて労働条件を向上させる余裕時分も機会設定もないゆえ、インディーセントな就労環境の固定化が生じかねない。

今後継続する労働力不足の時代、あるいは日本型雇用システムの部分終焉にあって、正業に対する兼業・副業の従来の法理は、これまでのような機能を失うと予想される。労働市場への参加と労働力化に資する、正業と正業の調整の法理構築に向けた作業が必要であろう。年金機能強化法の効用とは別に、労働者保護と労働力確保策のための複数雇用間調整の労働市場法の構想が期待される。本稿ではそのための問題提起を試みる。

ちなみに、本論文の最後の注に「本稿をインスパイアしてくれた兼業・副業の研究」として、いくつかある中に、雇用構築学研究所石橋はるかさんのニュースレターに載せた論文が挙げられていますね。

本号でもう一つマストリードなのは稲上毅さんの「労働政策の展望「同一労働同一賃金論に寄せて」 です。

http://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2016/11/tenbou.html

2016年10月24日 (月)

日本労働法学会誌128号

Isbn9784589038005 『日本労働法学会誌128号 労働者派遣法の新展開/労働契約法20条の法理論的検討/職場のハラスメント問題への新たなアプローチ』が届きました。

http://www.hou-bun.com/cgi-bin/search/detail.cgi?c=ISBN978-4-589-03800-5

今年5月29日に同志社大学で行われた日本労働法学会大会のミニシンポ3つと個別報告4本を収録したものですが、私が聞いて面白かった「労働者派遣法の新展開」の本久洋一さんの報告は、なぜか収録されていませんで、次号回しだそうです。

「職場のハラスメント問題への新たなアプローチ」については、これは編集担当者の責任のような気がしますが、文章中に「ハランスメント」とか「ハランメント」とかという字面が残っているのはちょっと問題でしょう。

個別報告では、朴孝叔さんの「日韓の集団的変更法理における合意原則と合理的変更法理」が、日本との微妙な違いが興味深いです。

労働判例研究「偽装請負と黙示の雇用契約の成否--DNPファインオプトロニクスほか事件」@『ジュリスト』11月号

L20160529311『ジュリスト』11月号に、私の判例評釈「偽装請負と黙示の雇用契約の成否--DNPファインオプトロニクスほか事件」が載っております。

評釈対象は平成27年11月11日の東京高裁判決ですが、評釈では原審の平成27年3月25日さいたま地裁判決と比較しながら論じています。

http://www.yuhikaku.co.jp/jurist/index.html

なお本号には、冒頭の労働判例速報で竹内(奥野)寿さんが定年前後での賃金の差異を年齢差別と認めなかった判決を取り上げ、時論では富永晃一さんが有期・無期間の処遇格差の合理性について論じているなど、労働法の方面でもなかなか盛りだくさんです。

「育児と保育の間」@『労基旬報』2016年10月25日号

『労基旬報』2016年10月25日号に「育児と保育の間」を寄稿しました。

タイトルから想像されるのとは違い、言葉にこだわったややトリビア風のエッセイです。

 去る9月14日、労政審雇用均等分科会で急遽「仕事と育児の両立支援について」の審議が始まりました。育児・介護休業法は今年かなりの項目にわたって改正されたばかりなのに、なぜまた急に法改正をすることになったのかといえば、その直前の8月2日に閣議決定された「未来への投資を実現する経済対策」の中で、「育児休業期間の延長等」として「男女とも仕事と育児の両立に資するよう、保育所の整備を進めつつ、雇用の継続のために特に必要と認められる場合の育児休業期間の延長等を含めた両立支援策について、必要な検討を経て、成案を得、平成29年度(2017年度)において実現する」という一節が盛り込まれたからです。同対策では「一億総活躍社会」の実現の一環として、待機児童ゼロを実現するため、保育の受け皿整備を進めることが施策の筆頭に上がっていますが、それだけでは足りない部分を育児休業期間の延長で補おうという発想です。現時点ではまだ公式に成案は示されていませんが、新聞報道によると最長2年を想定しているようです。育児休業制度それ自体の内発的な必要からではなく、保育所整備の遅れのツケを回すような政策ともいえます。
 という問題については、審議会の場で労使双方から様々に議論がなされるでしょうから、ここではやや斜め方面の視角からになりますが、ここに出てくる「育児」と「保育」という言葉についてややトリビア的ですがちょっと考えをめぐらしておきましょう。
 「育児」というのは育児・介護休業法に見られるように、労働者が親として自分の子供を育てる場合に使われます。その育児という家庭責任と仕事を遂行する上での責任との衝突を何とか両立させるために、育児休業をはじめとして時間外労働の制限や深夜業の免除、さらには短時間勤務などの措置が同法に規定されているわけです。それに対して「保育」というのは保育所という言葉に見られるように、そういう親から子供を預かって世話をするという状況を指す言葉です。
 実は、育児・介護休業法にも「保育」という言葉が出てくるのですが、それは深夜業の制限を請求することができない場合として「当該請求に係る深夜において、常態として当該子を保育することができる当該子の同居の家族その他の厚生労働省令で定める者がいる場合」(第19条第1項第2号)というところです。同居の家族が面倒を見る場合は「保育」になるわけです。
 とはいえ、現下の政策で課題となっている保育は、言うまでもなく児童福祉法に規定する保育です。同法によると「保育所は、保育を必要とする乳児・幼児を日々保護者の下から通わせて保育を行うことを目的とする施設」(第39条第1項)です。この条文の次に幼保連携型認定こども園についての規定がありますが、これは2012年の子供・子育て支援法によって設けられたもので、「義務教育及びその後の教育の基礎を培うものとしての満三歳以上の幼児に対する教育・・・及び保育を必要とする乳児・幼児に対する保育を一体的に行い、これらの乳児又は幼児の健やかな成長が図られるよう適当な環境を与えて、その心身の発達を助長することを目的とする施設」(第39条の2)と定義されています。文部科学省所管の幼稚園と厚生労働省所管の保育所の両方の機能を併せ持つものとして創設されたことはご承知の通りです。
 しかし、この規定ぶりだけを見ると、幼稚園が行うのは教育であり、保育所が行うのは保育であるときれいに分けられているように見えますが、実は学校教育法を読むと、幼稚園も「保育」をすることになっているのです。「幼稚園は、義務教育及びその後の教育の基礎を培うものとして、幼児を保育し、幼児の健やかな成長のために適当な環境を与えて、その心身の発達を助長することを目的とする」(第22条)。おやおや、幼稚園は幼児を「保育」することになっているではありませんか。そのあとにも「教諭は、幼児の保育をつかさどる」 (第27条第9号)といった規定が並んでいます。先の児童福祉法には、「保育士とは、・・・登録を受け、保育士の名称を用いて、専門的知識及び技術をもつて、児童の保育及び児童の保護者に対する保育に関する指導を行うことを業とする者をいう」(第18条の4)という定義規定がありますが、これでは保育士も幼稚園教諭も余り変わりがないようです。それならなぜあれほど大騒ぎをして「幼保連携」をしなければいけないのかよくわからないところもあります。
 さて、上記2012年の子供・子育て支援法により、児童福祉法のある規定の文言が変えられました。市町村が保育をしなければならない場合について、それまでは「保護者の労働又は疾病その他・・・事由により、その監護すべき乳児、幼児又は・・・児童の保育に欠けるところがある場合」であったものを「保護者の労働又は疾病その他の事由により、その監護すべき乳児、幼児その他の児童について保育を必要とする場合」と変えたのです。つい最近までは「保育に欠ける」というのが保育所に入るための要件であったわけです。この用語法はなかなか興味深いものがあります。保育所の提供する「保育」というのは、本来的な保育ではなく、本来の保育が欠けているからやむを得ずその代替物として提供せざるを得ないものなのだ、という発想が浮かび上がってくるからです。改正後の規定は、必要な保育を提供するという素直な書き方になっているので、逆になぜこれまではこういう規定ぶりだったのか興味が湧きます。
 終戦直後の1947年に制定された児童福祉法は既に「市町村長は、保護者の労働又は疾病等の事由により、その監護すべき乳児又は幼児の保育に欠けるところがあると認めるときは、その乳児又は幼児を保育所に入所させて保育しなければならない」と規定していました。これからすると、「保育」というのは親自身も含めて子供を養育することを指していた言葉のようです。先の学校教育法上の幼稚園の「保育」も含めて、現在我々が考えているほど明確な使い分けがされていなかったようです。
 保育所というのは戦後児童福祉法で登場したものですが、その前身は1938年の社会事業法に規定されていました。同条第1条に「育児院、託児所其ノ他児童保護ヲ為ス事業」という規定が置かれていたのです。育児院というのは戦後の児童養護施設ですから、戦後の保育所の前身は託児所ということになります。託児所というのは今でも無認可保育所の名称として普通に使われる言葉ですね。

日本企業の最も大きなメリットは、無能でも働けること?

「Love dirty poiesis」というブログに、自らアラフォーと言われる方が「定時退社なんて可能なわけがない!誰しもに死ぬ気で仕事を身に着けるべき時期がある!」という文章を書かれています。

http://keizaijin.hateblo.jp/entry/2016/10/23/192736

ジョブ型雇用が海外で上手くいってる、という認識がこれほどまでに多いことに驚きます。
これは典型的な、外国というものに夢を見がちな発言の内の一つです。まあみんなあまり考えずに賛同を示しているのかもしれません。

まともに自分の頭で考えている人なら知っていることですが、この世に理想郷はありません。

ジョブ型の雇用は、それはそれで問題が起こっています。ヨーロッパ(ヨーロッパと言っても広いのですが)は日本とくらべても、若年失業率が非常に高いです。これは「ジョブ型」の弊害と言われています。

Chuko価値判断を抜きにして言えば、この事実認識は全く正しいものです。それは、拙著『若者と労働』で繰り返し論じたことでもあります。

そして、ジョブ型のヨーロッパの最大の問題点は、若者を「オン・ザ・ジョブ」で育てられないことにあるのです。
つまり、個人の人格や将来性を加味せずに、「スキルだけを買う」といった雇用形態をとる場合、基本的に企業側は熟練のスキルを持った人間を取りたがります。

当然ながら、ずっとその仕事をしていた人は仕事があって、新しく仕事を覚えなければならない若者が、職にありつけないという情況が続いているのです。仕事をとれないから成長できずにどんどん仕事がなくなっていく……という悪循環です。

それに比べれば、「企業に採用しても差し当たっては何の役にも立たないような、職業経験も知識も何も持たないような」新規学卒者を「もっぱら好んで採用しようとする」日本企業というのは、少なくとも若者の雇用機会確保という点から評価するならば誠にスバラ式在り方であったことは間違いありません。拙著『若者と労働』で耳がタコになるくらい繰り返したことです。

しかし、その

しかし、往々にして、「社畜」であることのメリットを人々は忘れがちです。日本企業の最も大きなメリットは、無能でも働けること、これに尽きます。

というメリットの裏側に張り付いたデメリットがこれまた、こぼれ落ちて這い上がれない若者だの、ブラック企業でぼろぼろにされる若者だの、経験を積んで熟練があるはずなのに真っ先に企業から排除される中高年だの、無限定に働けないから活躍しろと言われても活躍できない女性だのと、いろいろとあるがゆえに、こういう議論になるわけです。

ものごと、ある一つの角度からの価値判断だけで全ての議論が決着するような生やさしい問題は一つもありませんが、雇用システムの問題はとりわけのその典型といえます。

これは買わないと・・・・

雑誌『現代思想』2016年11月号の特集は「大学のリアル」だそうですが、その目次を見ると、「専門職業大学」がテーマの一つに。これは買わないといけないですね。

http://www.seidosha.co.jp/book/index.php?id=2986

【専門職業大学とは何か】

「専門職業大学」設置と大学改革の迷走をめぐって / 児美川孝一郎

「大学の専門学校化」批判の問題性 専門職業大学の創設に関連して / 植上一希

それ以外の記事も、マイナスの意味での期待も含めて、なかなか面白そうではあります。

新たな形式の大学として、

専門職業大学の創設が目されている。

このような実学偏重の大学改革は

いかなる方向に向かっているのか。

この方向性は、グローバル/ローカルへの志向性、

軍事研究の解禁、産学協同の隘路……

大学改革のさまざまな論点とともに議論されるべきであろう。

文理の別を越え、「国策としての大学改革」を改めて問い直す。

2016年10月23日 (日)

副業・兼業と労働法上の問題

今朝の朝日新聞が1面トップででかでかと「副業・兼業、拡大へ指針 政府、企業に容認促す」という記事を載せています。

http://www.asahi.com/articles/ASJBQ77GCJBQULFA009.html?iref=comtop_list_pol_n01

政府は、会社員が副業・兼業をしやすくするための指針づくりに乗り出す。会社勤めを続けながら、勤め先に縛られない自由な発想で新しい事業を起こしたい人を支援し、経済の活性化につなげるのが狙い。24日に開く「働き方改革実現会議」(議長・安倍晋三首相)の会合で、副業・兼業の環境整備を進める方針を打ち出す予定だ。

 日本では社員の副業・兼業を就業規則で禁止・制限する企業が圧倒的に多い。「働き方改革」を掲げ、柔軟な働き方への移行を目指す政府内には、一つの企業に定年まで勤める終身雇用を背景に「大企業が優秀な人材を抱え込みすぎだ」との見方が強い。就業規則を見直すときに必要な仕組みなどを盛り込んだガイドライン(指針)を策定し、企業の意識改革を促す。

 副業・兼業を容認するよう法律で企業に義務づけるのは難しいため、容認に伴って起きる問題への対応策などをまとめた手引をつくることで、労務管理の見直しを支援することにした。・・・

Bmbj273077116887x_1 官邸方面からのリークっぽい記事ですが、最近確かに副業に関する記事が目立ちます。東洋経済も本日発売の最新号で「副業のススメ」を大特集しているようですし、育休世代の中野円佳さんも、ヤフーニュースでこの問題を取り上げています。

http://bylines.news.yahoo.co.jp/nakanomadoka/20161021-00063474/

(ちなみにこの一つ前では個人請負型就業についても取り上げていて、いずれも経済産業省の研究会のテーマであるようです)

そこで、せっかくなのでこの問題を考える際に最低限念頭に置いておくべきことを3ヶ月ほど前に簡単にまとめておいたことがあるので、ここで公開しておきます。

 ロート製薬が副業を容認するなど、最近また労働者の副業・兼業が話題になっています。政府機関でも、今年3月11日の経済財政諮問会議で、有識者議員4人(伊藤元重、榊原定征、高橋進、新浪剛史)から提出された「600兆円経済の実現に向けて~好循環の強化・拡大に向けた分配面の強化~」が、「生産性の高い働き方の実現」の②として「兼業・副業の促進」を掲げています。

・副業を希望する者は、近年増加(2012年合計368万人)。低所得者層と、男性の中高所得層で兼業・副業の意向を有する者が多くみられることから、所得を向上する観点と、高い技能を活かす観点の双方の理由があることが示唆される。

・後者について企業の中には兼業・副業を容認する動きもある(図表26)。キャリアの複線化、能力・スキルを有する企業人材の活躍の場の拡大や大企業人材の中小企業・地域企業での就業促進などの観点から、積極的に兼業・副業を促進してはどうか。

・その際、兼業・副業の場合における総労働時間の把握や雇用保険の適用関係など、兼業・副業に必要な環境整備について検討し、ガイドライン等を示すべき。

 これはマスコミでも結構話題となりましたが、今年6月に閣議決定された「経済財政運営と改革の基本方針2016~600兆円経済への道筋~」には結局盛り込まれませんでした。しかしこの問題は、今後政府の規制改革の課題として議論されていくことが予想されますので、今回はこの問題をめぐる法政策状況を概観したいと思います。

 まずもって、日本国の法律は民間労働者の副業・兼業を禁止していません。ただし、企業がその就業規則で従業員の副業・兼業を禁止することはあり得ます。というか、現実にはそれが圧倒的多数でしょう。

とはいえ、就業規則で兼業禁止だからといって、直ちにそれが有効と認められるわけではありません。むしろ累次の裁判例は、原則として兼業を認めるべきであり、例外的な場合のみ禁止できると判示しています。事件の多くは兼業した労働者に対する懲戒解雇の事案ですが、最近注目を集めた裁判例としては、マンナ運輸事件(京都地裁 平24.7.13判決 労働判例1058号21頁)が兼業を許可しなかったことを不法行為と認めた事案です(『ジュリスト』2013年9月号に筆者の判例評釈)。

 こうした判例の傾向を受けて、2005年9月の「今後の労働契約法制の在り方に関する研究会報告書」においては、兼業を禁止したり許可制とする就業規則や合意を原則として無効とすべきと提言されたこともあります。

労働時間以外の時間をどのように利用するかは基本的には労働者の自由であり、労働者は職業選択の自由を有すること、近年、多様な働き方の一つとして兼業を行う労働者も増加していることにかんがみ、労働者の兼業を禁止したり許可制とする就業規則の規定や個別の合意については、やむを得ない事由がある場合を除き、無効とすることが適当である。ここで、やむを得ない事由としては、兼業が不正な競業に当たる場合、営業秘密の不正な使用・開示を伴う場合、労働者の働き過ぎによって人の生命又は健康を害するおそれがある場合、兼業の態様が使用者の社会的信用を傷つける場合等が含まれることとすべきである。 

 ただし、一方では兼業を一般的に認めることにより現行労働法上生じ得る問題点も指摘しています。

ただし、兼業の制限を原則無効とする場合には、他の企業において労働者が就業することについて使用者の管理が及ばなくなることとの関係から、労働基準法第38 条第1 項(事業場を異にする場合の労働時間の通算)については、使用者の命令による複数事業場での労働等の場合を除き、複数就業労働者の健康確保に配慮しつつ、これを適用しないこととすることが必要となると考えられる。

これについては、労働時間の通算規定の適用を行わないこととすると労働者の過重労働を招き、結果として社会的なコストが増大するのではないかとの指摘も考えられるが、個々の使用者に労働時間を通算することの責任を問うのではなく、国、使用者の集団が労働者の過重労働を招かないよう配慮し、労働者自身の健康に対する意識も涵養(かんよう)していくことがより妥当ではないかと考えられる。

 この時は、労働契約法についても就業規則の不利益変更問題や解雇の金銭解決問題、さらには同時に審議された労働時間法制ではいわゆるホワイトカラーエグゼンプションが大きな論争点となり、結局兼業禁止の原則無効化といった相対的に細かな(とはいえ法的な突っ込んだ検討が必要な)トピックは、まともに議論されないまま先送りにされてしまいました。

 なお、上で指摘されている労働時間の通算規定というのは労働基準法38条1項です。

38条  労働時間は、事業場を異にする場合においても、労働時間に関する規定の適用については通算する。

 同じ会社の別の事業場で働いても通算するというのは当然ですが、この条文について労働行政当局はかつてから、事業主を異にする場合も含まれると解釈してきているのです(昭23.5.14 基発769)。

 労働時間規制には、労働者の健康と安全確保を目的とした“物理的労働時間の規制”という側面と、賃金と並ぶ労働者の“労働契約条件としての労働時間の規制”という側面があります。前者の観点からすれば、事業主を異にするからといって保護すべき労働者の健康と安全への影響が変わるわけではないので、複数事業主間で労働時間を通算すべきことは当然かもしれません。一方、後者の観点からすれば、労働基準法37条に基づく時間外・休日労働の割増賃金のような労働契約条件は、個々の使用者と労働者の間の問題である以上、複数事業主間で労働時間を通算することはむしろ筋が通らないということになります。

 現在の日本においては、年少者や自動車運転手を除けば、一般的な物理的労働時間の上限規制は存在しません。しかし、労災補償法制および労働安全衛生法制において、脳・心疾患に関する認定基準(平13.12.12 基発1063)や医師による面接指導義務(労働安全衛生法66条の8)といった間接的な規定が存在します。

これらは直接的な労働時間規制ではないとはいえ、兼業禁止をめぐる議論において無視してよいものとも言いがたいでしょう。仮にこの認定基準に基づいて労災認定がされた場合、労災保険の法律上の根拠は労働基準法の労災補償責任である以上、その責任は誰にあるのか、という問いを避けられないからです。また、安全配慮義務に基づく労災民事訴訟の場合は、安全配慮義務と兼業容認義務との関係が問題となるでしょう。

 とはいえ、上記研究会報告もいうように、「労働時間以外の時間をどのように利用するかは基本的には労働者の自由」であり、労働時間が問題となる雇用労働以外の、自営業やボランティア等で過重労働することには何らこの労働時間の通算規定は及ばないのですから、これを決め手とするのはやはり穴のあいた議論と言わざるを得ない感があります。それこそ、徹夜でネットゲームし続けることだってあり得るわけですから、広い意味での過重労働対策は「労働者自身の健康に対する意識も涵養」することにあるというのも確かです。

 ちなみに、多重就労者の労働時間通算等に係る米英独仏蘭5カ国の法制度をとりまとめた報告書(『多重就労者に係る労働時間管理の在り方に関する調査研究報告書』)が、2011年3月に三菱UFJリサーチ&コンサルティングより出されています。竹内(奥野)久、神吉知郁子、富永晃一、関根由紀、本庄淳志の各氏による詳細な紹介と分析がなされており、この問題を考える上で参考になります。

 労働法上の問題としては、労災保険、雇用保険といった労働保険上の取り扱いをどうするかという問題もあります。このうち、労災保険上の一つの問題だけは2005年の労災保険法改正で解決しています。それは、二重就業者が本業の勤務先から副業の勤務先へ移動する途中で災害に遭った時に「通勤災害」として認める――というものです。ただ、実はこの時、労政審労災保険部会では通勤災害だけでなく、労災保険給付の算定基礎となる平均賃金をどう考えるのかという問題も提起されていました。この時には決着は付かず、2004年12月の建議では、

なお、複数就業者に係る給付基礎日額の算定方法の在り方については、複数就業者の賃金等の実態を調査した上で、労災保険制度の在り方に関する研究会中間とりまとめに示された考え方を参照しつつ、専門的な検討の場において引き続き検討を行うことが適当である。

――とされており、そのままになっています。

 ここで引き合いに出されている「労災保険制度の在り方に関する研究会中間とりまとめ」を見ると、両事業場での賃金を合算すべきとしていました。

…労災保険給付額の算定は、被災労働者の稼得能力をできる限り給付に的確に反映させることが適当であると考えられることから、二重就職者についての給付基礎日額は、業務災害の場合と通勤災害の場合とを問わず、複数の事業場から支払われていた賃金を合算した額を基礎として定めることが適当である。

 しかし、この方向での改正は行われておらず、現在も「業務災害又は通勤災害による労働不能や死亡により失われる稼得能力は2つの事業場から支払われる賃金の合算分であるにもかかわらず、実際に労災保険から給付がなされ、稼得能力の填補(てんぽ)がなされるのは片方の事業場において支払われていた賃金に見合う部分に限定される」(上記とりまとめ参照)という状態が続いています。

 最近の裁判例では、国・淀川労基署長(大代興業ほか1社)事件(大阪地裁 平26.9.24判決 労働判例1112号81頁)が、同じ施設内で機械警備および設備管理と清掃業務を別の請負会社に雇用されて、1日のうちに続けて就業していた労働者が過労死した事案で、原告側の合算すべきという請求を退けています。現行法上はそうせざるを得ないのですが、法政策上はそのままでいいのか議論があってしかるべきでしょう。

 経済財政諮問会議有識者議員から指摘されている雇用保険の適用関係についても、同様に10年以上前から議論はされています。2006年2月の「雇用保険基本問題研究会」の「議論の整理」では、

いわゆるマルチジョブホルダーのうち、個々の就業においては短時間労働被保険者としての適用要件を満たさない者について、一定の範囲で適用することはできるか。仮に適用する場合、何をもって「失業」、「離職前賃金」、「被保険者資格取得」等ととらえるのか。

――という問題提起がされていました。しかしこちらもその後、雇用保険の見直しはひんぱんにされる中でずっと先送りされ続けています。こちらは、「失業」という保険事故をいかなる性格のものと考えるのか――という深く突っ込んだ議論が必要になるだけに、なかなかおいそれと手を付けかねるのでしょうが、やはりそろそろ本格的な議論をしなければならない時期が近づいてきているように思われます。

2016年10月22日 (土)

メンバーシップ型学校教育の情意考課

今野晴貴さんがかなりの怒りを込めてツイートされているのですが、

https://twitter.com/konno_haruki/status/789457869888299008

給付型奨学金の審査基準が「内心評定が平均4以上」になるという。だが、内心評定など、教師の気分次第でいくらでも変わる。「授業態度」とか「学ぶ意欲」とかいう、意味不明の判断がされる。私はテストで100点でも、3をつけられたことがある。教師に「取り入ること」の競争になる危険を感じる。

https://twitter.com/konno_haruki/status/789458630160453633

給付型奨学金は「内申書評定4以上」が対象。次のような結果が予想される。教師:「おい、お前、内申点が4以上じゃないと奨学金はもらえないんだぞ。そんな態度でいいのか?」。内申書の場合はテストの点数と違い、「努力の方向性」がはっきりしない。だから、教師に対してひたすら委縮するしかない。

https://twitter.com/konno_haruki/status/789459099226222593

今でも覚えている。中学の時、教師から「お前の内申書は悪い。いくらテストの点がよくてもいい高校にはいけない」。こういわれて、腹の底から怒りがこみ上げてきて、憤りを禁じえなかった。なぜ、教師の主観評価の「内申書」とやらを盾にとって、将来について脅迫を受けなければならないのか。

https://twitter.com/konno_haruki/status/789459627192700932

宮城県の中学では「特A」という内心評価があるらしい。当時、教師に聞かされた話しだ。「部活動などをまじめにやってる学生は、「人格的に優れている」と評価する仕組みがある。なぜ、教師に「人格的に優れている」ことが評価され、選抜の理由にされるのか。心の底から怒った覚えがある。

今野さんには釈迦に説法ですが、いうまでもなくこれは日本型雇用における人事評価システムの特徴である「情意考課」ですね。

実際に出した成果(=試験の成績)よりもやればできるはずだという潜在能力を評価し、そもそも生徒にとって本来のジョブであるはずの勉強の成果や能力よりも、学校という集団のメンバーとして適切に行動しうることを評価するその考え方は、業績評価よりも(潜在)能力評価を、さらにそれよりも情意考課を重視する日本企業のあり方を、人生の先行部分において忠実に遂行しているということもできます。

そして、ここが一番重要ですが、そういう学校のあり方を推奨してきたのは、、国民の意思に反した国家権力が無理矢理にとかでは全くなく、むしろ全く逆で、「勉強の成績だけで子供たちを評価するなんて、なんて血も涙もない冷酷無残なやり方なんだ!」と口を極めて批判する心優しい(日本風)りべらるな人々であった、ということも、戦後史の歴然たる事実としてかみしめておく必要がありましょう。

そして、労働社会において一生懸命頑張っていることそれ自体を高く評価する情意考課の思想が、日本企業の宿痾である長時間労働を生み出し、働く人々のワークライフバランスを失わせていることとまったくパラレルに、学校教育の世界においても一生懸命頑張っていることそれ自体を高く評価する情意考課の思想が、(ときに若き日の今野さんのようなメンバーシップ型の発想に違和感を感じる人の反発を受けながらも)長時間部活漬けという事態を生み出しながらも、、社会全体としては「そうじゃ、そうじゃ、それが正しい」と受け入れられてきたからこそ、今日においてもなおこういう発想が主流であるわけです。

解雇すべきはそんな人を採用した人!?

労働調査会ホームページの「労働あ・ら・かると」というコラムに、日本人材紹介事業協会の岸健二さんが「「解雇すべきはそんな人を採用した人」なのだろうか?」という一文を寄稿しています。

http://www.chosakai.co.jp/information/16865/

文章の冒頭近くのところで、

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筆者自身が長く関わってきた業界は「職業紹介」なので、言わば「雇用の始まり」のところにずっと身を置いてきたわけですが、一方で「雇用の終わり方」にも視野を広げておくべきだという思いをより強くしたのは、JILPT(労働政策研究・研修機構)統括研究員の濱口桂一郎さんが著した書籍「日本の雇用終了」と4年程前に出会ってからです。

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この書籍はその後「日本の雇用紛争」として、主席統括研究員となった同氏によって労働審判と裁判上の和解についても加えられて全面改訂の上、上梓されていますが、労働組合の組織率の低下を反映して(と、筆者は考えています)増加している個別労使紛争に、どう対処すべきかを考えるにあたっての必読書となっているように思います。

と拙著を紹介いただいているのでそのご紹介という面もあるのですが、それに続くタイトルにもなっているその発言をめぐる一節がなかなか面白いです。

岸さんは今厚生労働省で開かれている「透明かつ公正な労働紛争解決システム等の在り方に関する検討会」をずっと傍聴されているのですが、ある日、厚労省に入ろうとすると、集会の演説の言葉で思わず足が止まってしまう表題の台詞「解雇すべきはそんな人を採用した人ではないでしょうか。」という声が聞こえてきたのだそうです。

岸さんは、「「解雇すべきはそんな人を採用した人」と論ずる危うさに背筋が寒くなるのです」と言われます。

そして、かつて企業の労務担当だった頃のこういうエピソードを語ります、

・・・筆者が30年位前に企業内の労務担当だった頃、不祥事非違行為による懲戒を実施しなければならなくなった局面で、「誰だこんなやつを採用したのは!」との発言に対して開いた口がふさがらなかったことがあります。担当職務柄、懲戒事案については当然ながら対象者の入社以来の一件書類に目を通した上で事実関係を社内調査し、就業規則に則って懲戒委員会の開催を進めていたわけで、その発言をした方は、対象者入社のときの人事部長だったからです。採用決裁書類にはちゃんと押印までしていたことをすっかり忘れての発言に、苦笑せざるを得ませんでした。・・・

そこからどういう教訓を学ぶべきか、興味ある方は是非上記リンク先をどうぞ。

2016年10月21日 (金)

日本の産業別労働組合に未来はあるか?@『情報労連Report』10月号

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『情報労連Report』10月号は「産業別労組の次なる可能性」が特集です。

http://ictj-report.joho.or.jp/

わたくしや金子良事さん、呉学殊さん、常見陽平さん、篠田徹さんなど、いろんな観点からこの問題を論じています。また、エステユニオンの事例が取り上げられています。

わたくしの「日本の産業別労働組合に未来はあるか?求められる役割はこれだ」は、産別最賃と労働時間という二つの課題を提起しています。

http://ictj-report.joho.or.jp/1610/sp01.html

日本の労働組合の特徴は企業別組合だと言われています。確かにそうなのですが、話はもう少し込み入っています。労働者の雇用労働条件について交渉、協議その他さまざまな形で決定する集団的な枠組みとしては、企業・事業所レベルと産業・職業レベルの二つ(場合によっては全国全産業レベルも加えた三つ)があるということ自体は世界共通だからです。・・・・・

金子良事さんも「産業別最低賃金を「地方創生」の象徴に「健全な労使関係」育成こそ核心だ」と、産別最賃の再生に期待をかけます。

http://ictj-report.joho.or.jp/1610/sp04.html

最低賃金というと、多くの人は最低限の労働条件を思い浮かべると思います。最低生活費を確保するための賃金という考え方は重要であり、かつ歴史的にもこの考え方を中心に最低賃金は展開してきたと言ってよいでしょう。しかし、最低賃金法にはもう一つ忘れられがちな目的があります。公正な競争の確保です。・・・・・

呉学殊さんはもちろん韓国の産別転換運動です。夏のユニオンサマーセミナーで喋っていたテーマですね。

http://ictj-report.joho.or.jp/1610/sp06.html

常見陽平さんは例によって、自立した個人よりも無防備な個人に注目せよ、と。

http://ictj-report.joho.or.jp/1610/sp05.html

篠田徹さんは、情報労連とUAゼンセンという具体的な産別の課題を提起します。

http://ictj-report.joho.or.jp/1610/sp03.html

そして、個人加盟型産別のエステユニオンの勝ち取った労働協約の紹介も。

http://ictj-report.joho.or.jp/1610/sp02.html

2016年10月20日 (木)

ブランパン『ヨーロッパ労働法』

大内伸哉さんも書かれていますが、去る10月11日、国際的な労働法学の巨星ロジェ・ブランパン先生が亡くなったそうです。

http://lavoroeamore.cocolog-nifty.com/blog/2016/10/roger-blanpain-.html

http://www.flanderstoday.eu/education/labour-law-expert-and-employee-advocate-dies-83

Roger_blanpain_c_ku_leuvenLabour law expert Roger Blanpain, emeritus professor at the University of Leuven (KU Leuven), has died at the age of 83. As well as being an academic authority, Blanpain had a strong voice in social debates on topics such as employee rights..

労働法の専門家にしてルーバンカトリック大学名誉教授であったロジェ・ブランパンが83歳で亡くなった。ブランパンは学術的権威であるとともに、労働者の権利などの問題に関する社会的議論に大きな影響力を持っていた。

187258私の在欧中、ちょうど小宮文人さんがルーバンカトリック大学のブランパン先生のところで在外研究をしており、その縁で、ブランパン先生の大著『ヨーロッパ労働法』の邦訳にも関わらせていただいたことがあります。

http://www.shinzansha.co.jp/book/b187258.html

http://hamachan.on.coocan.jp/blanpain.html

 本書は、EU労働法の第一人者で国際労働法学者として名高いベルギー・ルーヴァン大学名誉教授、ロジェ・ブランパン教授の著作European Labour Law(国際労働法百科事典の1部をなすモノグラフ)の第8版を翻訳したものである。同教授は、EU労働法に関する極めて多くの著書、編著、論文などを出版し、また、国際労使関係協会の代表理事を経験し、現在は国際労働法社会保障法の代表理事を務めるなど、国際的に労働法・労使関係の学会を牽引してきたスーパースターである。
 1970年代前半まで、ECの関心は主に通貨・経済統合という経済的側面に向けられてきたのであるが、1970年代後半から労働法を中心とする社会的側面にも強い関心が向けられるようになった。男女同一賃金指令、集団整理解雇指令、営業譲渡と労働者の既得権に関する指令などはみな1970年代後半に採択されたものである。その後、社会的規制を進めようとする加盟諸国とこれを嫌うイギリスのサッチャー政権と熾烈な抗争を経て、EU労働法は社会的価値と自由市場的価値との調和を図る欧州社会モデルを模索してきた。そうした中で、欧州労使協議会指令、労働時間指令、欧州会社法規則、一般労使協議指令など多くの注目すべき立法が採択された。また、欧州規模の労使間で締結された育児休業に関する協約、パートタイム労働に関する協約及び有期雇用契約に関する協約などが閣僚理事会の指令により実施された。わが国では、ここ数年の風潮として、グローバルスタンダードとされるアメリカの経済モデルがもてはやされ、社会的規制は悪であると決め付ける傾向がある。しかし、最近のアメリカ経済の危機は、アメリカモデル賛美に対する警鐘を鳴らしている。こうした状況のもとで、EU労働法の足跡と今後の動向は、わが国が将来の労働法の進むべき方向を模索する上で、益々重要なものとなるものと確信している。 ・・・

2016年10月18日 (火)

鈴木亘『経済学者 日本の最貧困地域に挑む』

51ofieewurl_sx344_bo1204203200_ 鈴木亘さんの『経済学者 日本の最貧困地域に挑む 』(東洋経済)をいただきました。お送りいただいたのではなく、奥様の周燕飛さんから直接お渡しいただきました。

http://store.toyokeizai.net/books/9784492444344/

日本最大のドヤ街「あいりん地区」の再生はこうして始まった。大阪市特別顧問という当事者中の当事者である著者の筆によって描く。

この本は、中身を読まずに想像すると、橋下市長の下で特別顧問になったネオリベ経済学者が、労働者やホームレスたちの声を踏みにじってスラムをクリアしようと企むけしからんストーリーかと思うかも知れませんが、さにあらず、ある意味で全く逆です。

西成特区構想の仕掛け人がすべてを語る。

日本最大のドヤ街で、脱貧困の闘いが始まった!

本書のはじめの方で、特別顧問となった鈴木さんが集めた有識者座談会の面々は、マンガ「かまやん」で有名なありむら潜さんをはじめ、あいりん地域を現場から何とかしようとしてきた方々であり、鈴木さんの活動は彼ら現場の声をきちんとまとめ上げ、トップにつないでいくことであり、同時期に橋下改革で進められようとしていた事業仕分けで、あいりんの実情を知らないまま仕分けられた高齢者特別清掃事業の民営化や子供の家事業の一般事業化を、特別顧問という位置を活用して何とかかたちを変えて生き残らせようと努力する姿なのですね。

しかもそれを、声高に叫ぶのではなく、組織人の行動原理を測った上での要所要所の的確な行動によって実現していくという、ある意味湯浅誠さんにも共通するリアルな活動家としての振る舞いを示すのです。

はじめの方の記述によると、鈴木さんはかつて関西にいた頃、そうしたあいりんに関わるリーダーたちとのつながりを築いていたようです。橋下市長の下には数多くの特別顧問が名を連ねていましたが、おそらく頼んだ側も意識していなかったのではないかと思いますが、鈴木亘さんをあいりん地域の特別顧問にしたというのは、例外的にどんぴしゃの人事だったのでしょう。

著者の鈴木亘教授は、年金や生活保護など社会保障問題を専門とする経済学者。橋下大阪市長(当時)に年金問題のレクチャーをしたことをきっかけに、2011年3月「西成特区構想担当」大阪市特別顧問に就任した。誰も手を付けられなかった、日本最大のドヤ街「あいりん地区」の地域再生を構想・立案する仕事だ。

以来4年間、多いときには週2~3回大阪に足を運び、「特区構想有識者座談会」座長や、住民参加型の大集会「あいりん地域のまちづくり検討会議」の司会をつとめてきた。

特別顧問就任1年目は、解決すべき問題を列挙し、優先順位を付け、工程表を作成することから始まった。抵抗勢力に「抵抗する隙を与えない」ために驚くべき速さで工程表をまとめていく。2年目は、問題解決にあたるべき主体を「兎に角同じテーブルに着いてもらう」ことを目指し、地域住民、ホームレス支援団体などとの交渉に出かけていった。 彼らが話し合いのテーブルに着いて「あいりん地域のまちづくり検討会議」がスタートしたのが3年目。2014年9月から12月にかけて小学校の体育館を使って、6回の会議が行われた。傍聴席からの怒声が飛び交うなかで鈴木教授が会議をすすめていくさまは、すべてネット上の動画で見ることができる(The Voice of Nishinariホームページ参照)。

2015年1月にはようやく、一連の改革の「象徴」ともいえる、老朽化した「あいりん総合センター」(1970年竣工)の建て替えに道筋がついた。この一連の経緯を「当事者中の当事者」である鈴木亘教授が詳細に描く。あいりん地区には「人口減少、高齢化、貧困」という日本の大問題が凝縮されており、本書を通じて読者は、これらの問題について深く考え、地域が主体となってこれらの問題に取り組むヒントを得ることができる。

470頁に及ぶかなり分厚い本ですが、ページをめくるごとにはらはらどきどきが続き、途中でやめられない絶品のドキュメントになっています。

それを読み通した上で、最後の第20章の「直接民主主義の勝利」を読むと、そこで言われている「ハブになることの重要性」という言葉の意味がよくわかります。

水川浩之『雇用が変わる』

51n8hvblppl__sx344_bo1204203200_人材サービス総合研究所の水川浩之さんより、『雇用が変わる 人材派遣とアウトソーシング ─ 外部人材の戦略的マネジメント』(LexisNexis)をお送りいただきました。

http://lexisbookstore.jp/book/000715.html

レクシスネクシスといえば、法律関係者の間では判例データベースの、ということになりますが、こういう本も出しているんですね。

「働き方改革」「同一労働同一賃金」が叫ばれるいま、企業にとっては、いかに「人」がもつ能力を引き出し、有効に組織を機能させるか、というビジョンを描くことが大きな課題です。時代の変革期において、「人」を活かすための人材マネジメントも変わっていかなければ次の成長はありません。
我が国の終身雇用、年功序列、企業別組合による雇用慣行はもはや限界に達し、雇用改革は待ったなしの状況です。

黎明期より、人材サービスを利用する企業と人材サービスを提供する企業の双方から、変化する我が国の雇用のあり方を見つめてきた著者が、企業に求められるこれからの人材マネジメントを余すところなく解説します。

企業経営やビジネス、国際的な視点をもちながら、労働法制にも明るい著者だからこその切り口で、第1章では、労働者派遣法に関連する法改正の変遷や国内外の雇用環境を分析し、つづく第2章、第3章では、戦略的に人材派遣やアウトソーシングを活用するための考え方や実務について実務上のノウハウを伝えます。
終章となる第4章では、少子高齢化、グローバル化、高度情報化の荒波にさらされている今後の雇用について、企業のさらなる発展につながる方向性を展望します。人材サービスを提供する事業者も必読の一冊。

真ん中の第2章と第3章が、人材派遣の有効活用とアウトソーシングの戦力化という実務的なノウハウ書になっていて、それを挟むように第1章がこれまでの人材サービスをめぐる歴史や国際的動向を概観し、第4章がやや大風呂敷風のマクロ的視点からどのように「雇用が変わる」のかを論じているというおもむきの本です。

第1章の終わりの方で、EU加盟国の労働者派遣について記述されているところで、わたくしの少し前の文章を使っていただいております。2012年に厚労省の派遣研究会で報告したときの資料なんですが、言っていただければその後欧州委員会から指令の実施状況報告書も出ているので、より新しい情報も出せたのですけど。

2016年10月17日 (月)

過労死防止白書と電通第二過労自殺事件@WEB労政時報

WEB労政時報に「過労死防止白書と電通第二過労自殺事件」を寄稿しました。

https://www.rosei.jp/readers-taiken/hr/article.php?entry_no=586

 去る10月7日、厚生労働省は『過労死等防止対策白書』を発表しましたが、ちょうどそれに合わせたかのように、電通の女性新人社員の過労自殺が労災認定されたというニュースが飛び込んできました。電通といえば、過労自殺の最高裁判決(平12.3.24 最高裁二小)で有名な企業ですが、その同じ企業が、再び同じ新人社員の過労自殺事件を起こしたということで話題を呼びました。さらに、某大学の教授がネット上に「残業時間が100時間を越えたぐらいで自殺するのは情けない」と投稿したことが批判を浴び、炎上状態になったという“おまけ”までつきました。

 今日の労働社会における重要課題の一つが「長時間労働の是正」であることは言うまでもありませんが、かつては時短といってももっぱら所定労働時間の短縮に焦点が当たり、物理的な長時間労働それ自体を問題とする意識は希薄でした。それが近年、時間外労働の上限規制や勤務間インターバル規制といった物理的労働時間の規制に・・・・・

第132回日本労働法学会@獨協大学

昨日は、埼玉県草加松原団地の獨協大学で第132回日本労働法学会があり、「労働法における立法政策と人権・基本権論―比較法的研究―」というテーマで大シンポジウム。

http://www.rougaku.jp/contents-taikai/132taikai.html

司会:石田眞(早稲田大学)、浜村彰(法政大学)
報告:                     
•第1報告 浜村彰(法政大学)  「労働法における立法政策と人権・基本権論を比較法的に検討する今日的意義―報告全体の趣旨」
•第2報告 有田謙司(西南学院大学)「イギリスにおける労働立法政策と人権・基本権論―労働市場の効率性と憲法化・シティズンシップ論―」
•第3報告 川田知子(中央大学)「ドイツ労働法における立法政策と人権・基本権論―最近の立法動向を中心に―」
•第4報告 細川良(労働政策研究・研修機構) 「フランス労働法における立法政策と人権・基本権論―合憲性審査における『雇用の権利』の意義と課題を中心に」
•第5報告 沼田雅之(法政大学)  「日本の労働立法政策と人権・基本権論―労働市場政策における人権・基本権アプローチの可能性―」
•第6報告 有田謙司(西南学院大学)「総括―労働法における立法政策と人権・基本権論の比較法的研究から得られたもの」

感じたことがあったので質問票を出したら、トップバッターでした(笑)。

中身は半年後頃出る学会誌で。

2016年10月16日 (日)

課題図書は『働く女子の運命』

Img_752f5d874047328e26f434ce08fbda5 現役人事部長の「puddle1000」さんのブログ「シンキング・パドー」に、そのpuddle1000さんが課題図書として女性総合職の人にレポートの提出を求めたと書かれています。

https://thinking-puddle.com/reading/the-fate-of-women

今夏、その著書に触れたことのない人事マンは完全なもぐりといわれるほど、影響力の強い濱口桂一郎氏の著作である「働く女子の運命」を研修前の課題図書とし、当社の数少ない女性総合職に一読していただき、レポートの提出を求めました。

以下に、そのレポートの感想についてお話させていただきます。大変興味深かったです。

いやあ、人事部長からの課題図書になりましたか。

ということで、このあとリンク先では、中堅層、産休明け復帰者、新入社員に分けて、女性総合職の皆さんの意見が紹介されていきます。

その中で、産休明け復帰者の方の

本書は女性が置かれた立場を理解するのにとても役に立つが、女性が読むだけではなく、むしろ経営層含む男性に読んでもらいたい本だと思う。

という感想はじわりときます。

2016年10月15日 (土)

それ、法律の規定通りです

韓国政治研究の第一人者である木村幹さんのツイートに曰く、

https://twitter.com/kankimura/status/786780989993340929

非常勤先にて。学部長様「木村君、いい話がある」自分「何でしょう」学部長「うちの大学では非常勤を10年すると特典がある」自分「ひょっとして、じょ、常勤に」学部長「いや、70歳まで非常勤をする権利が与えられる」自分「(乾いた声で)や、やったー…」学部長「ということで頑張ってくれ給え」

https://twitter.com/kankimura/status/786781495717265408

永世非常勤の権利を得ました(-_-)。

いや、それ法律の規定通りですから。別段、特典でも何でもありません。

労働契約法(平成十九年十二月五日法律第百二十八号)

(有期労働契約の期間の定めのない労働契約への転換)

第十八条  同一の使用者との間で締結された二以上の有期労働契約(契約期間の始期の到来前のものを除く。以下この条において同じ。)の契約期間を通算した期間(次項において「通算契約期間」という。)が五年を超える労働者が、当該使用者に対し、現に締結している有期労働契約の契約期間が満了する日までの間に、当該満了する日の翌日から労務が提供される期間の定めのない労働契約の締結の申込みをしたときは、使用者は当該申込みを承諾したものとみなす。この場合において、当該申込みに係る期間の定めのない労働契約の内容である労働条件は、現に締結している有期労働契約の内容である労働条件(契約期間を除く。)と同一の労働条件(当該労働条件(契約期間を除く。)について別段の定めがある部分を除く。)とする。

大学の教員等の任期に関する法律(平成九年六月十三日法律第八十二号)

(労働契約法 の特例)

第七条  第五条第一項(前条において準用する場合を含む。)の規定による任期の定めがある労働契約を締結した教員等の当該労働契約に係る労働契約法 (平成十九年法律第百二十八号)第十八条第一項 の規定の適用については、同項 中「五年」とあるのは、「十年」とする。

2  前項の教員等のうち大学に在学している間に国立大学法人、公立大学法人若しくは学校法人又は大学共同利用機関法人等との間で期間の定めのある労働契約(当該労働契約の期間のうちに大学に在学している期間を含むものに限る。)を締結していた者の同項の労働契約に係る労働契約法第十八条第一項 の規定の適用については、当該大学に在学している期間は、同項 に規定する通算契約期間に算入しない。

要するに、普通の有期契約労働者は5年以上反復更新したら無期契約労働者になる。大学の教員はそれが10年以上となるだけ。

圧倒的に大部分の無知な評論家がわざわざ見落として、「5年経ったら正社員にしろとはけしからん」とやたら息巻くのが、労働契約法第18条の括弧書き。「現に締結している有期労働契約の内容である労働条件(契約期間を除く。)と同一の労働条件」と明記してあります。

ですから、例えば週1コマ1回1万円の「非常勤講師」という名称の人は、その契約期間が無期になるだけで、以前と同じく週1コマ1回1万円の期間の定めのない「講師」になるわけです。

なんと素晴らしい『特典』でしょう。

つか、上述の通り、それは法律の規定通りなのです。

それを「非常勤講師」と呼ぶか、「常勤講師」と呼ぶかは、少なくとも法律上はどっちでも関係ないことです。

2016年10月14日 (金)

連合総研『雇用・賃金の中長期的なあり方に関する調査研究報告書』

Soken連合総研のサイトに、『雇用・賃金の中長期的なあり方に関する調査研究報告書』がアップされています。

http://rengo-soken.or.jp/report_db/pub/detail.php?uid=295

http://rengo-soken.or.jp/report_db/file/1476262114_a.pdf

「正社員と非正規雇用労働者を含めたトータルとしての働き方や処遇のあり方を模索する上で、労使がいま直面している課題を明らかにしつつ、今後の働き方と賃金のあり方に関する検討を進める上での、論点整理を行うことをめざし」た結果のとりまとめですが、一言でいうと、(拙著『新しい労働社会』での用語法を使えば)同一労働同一賃金に象徴される「交換の正義」と、生活給に象徴される「分配の正義」との両立を、「一人前労働者」というキー概念を軸にして構築しようとしている試みということができるように思われます。

一人前労働者の賃金とは、単に生存が保障されるだけではなく、次世代の労働力の再生産を可能とするような生活を保障する賃金でなければならない、と。

このあるべき賃金を、一定の仕事スキルを持った一人前労働者に一律に保障するというところで、労働力の市場価格とは区別された一人前労働者の固有の賃金水準を設定するというイメージです。

しかしそうすると今度は、その「一人前労働者」にみんながなれるのかという問題が出てきます。ここでは「キャリア権」という概念は提示されますが、具体的な設計は示されていません。

「おわりに」で語られるあるべき労働社会のイメージに対しては、人それぞれにさまざまな意見があるでしょうが、少なくとも議論の出発点として重要な一歩であることは間違いないでしょう。

「親一人・子一人」世帯の親を「一人前労働者」とみなし、再生産可能な「あるべき賃金」を再生産可能な労働時間(働き方)で稼得できる社会は参加型社会と位置づけられる。・・・

すでにみたように長期雇用慣行や年功型賃金などを特徴とした「男性稼ぎ手モデル」は前世紀的な旧システムとして今日的にはほとんど機能していない。一方ですでにみたような日本的福祉制度への依存体質は旧態依然と残存している。この変化を社会システムの転換としてとらえるならば、労働者とその家族を包摂する市民社会と企業が主体である市場の間で、規制主体としての国の介入を前提に結ばれた日本的社会契約、すなわち長期安定雇用や年功賃金を柱とした日本的雇用慣行および企業の法定外福利と専業主婦の無償家事労働を国の貧弱な社会保障制度が補完するという独特の福祉国家の基盤が揺らぎ、企業は従来の雇用慣行を硬直的なシステムとみなして破棄する一方、国は困難に直面する企業部門を支援する産業政策に特化して、もともと脆弱な福祉の切り捨てに転じた結果、新自由主義的市場の論理が市民社会を併呑するかのような事態に立ち至っているとみることができる。しかし転居転勤や長時間労働で労働者に過度の負担を強いるような無限定正社員の働き方と低賃金不安定雇用の非正規労働者に過度に依存し、労動条件の劣化を競争資源にしようとする一種の社会的ダンピングが、真の競争力構築を妨げてきた結果、今日の経済的後退がもたらされたとも考えられよう。

従っていま国(政府)の果たすべき役割、そしてそれぞれの労使が取り組むべき課題は、失われた何十年かの間に反故にされた社会契約の再締結に向けた真摯な努力と、その社会契約を基盤とした福祉国家の再構築でなければならない。・・・・・

弁護士堀さんの『若者と労働』評

Chukoここのところ拙著を続けざまに書評していただいている「人と法と世の中:弁護士堀の随想」ブログですが、今度は『若者と労働』(中公新書ラクレ)です。

http://arminius.cocolog-nifty.com/blog/2016/10/post-bd86.html

近年、終身雇用を批判する論者たちの中で、①「終身雇用制があるから若者の就職難が起こる」とか②「中高年の人件費が高いから若者世代にしわ寄せが及ぶ」・・・という類いの大雑把な主張をする人が時々見受けられるが、本書はこのような短絡的な主張を批判する。・・・

と、拙著の理路を丁寧に説明していかれる手際はやはり鮮やかです。

そして、本書の中ではやや脇道とはいえ、やはりここに目をつけられています。

著者が大学教育の現状に厳しい目を向けていることも、本書の際だった特徴である。たとえば文学研究者や哲学の教授が、日本企業の終身雇用や年功序列の世界を低俗なものとして否定したり、就職活動に追われる学生を非難するような発言をすることが無くもないが、これは本書の視点からいえば、天に唾する自殺行為ということになるだろう。日本企業の終身雇用・年功序列の世界があるからこそ、特に職業向けの勉強をしたわけでもない“非実学”系の学部を出た学生も(そこそこ有名な大学であれば)企業に就職できているのであって、そうでなかったら“非実学”系の学部や学科にはそもそも学生が来なくなると考えられるからである。

ここは、アカデミック系の方々からは結構反発を受けたところですが、堀さんは淡々と叙述されます。

最後のブラック企業に関するところは、なかなか面白い比喩を持ち出しておられます。

余談ながら、ブラック企業について「メンバーシップ型とジョブ型との悪いとこ取りだ」と評する人もいるが、私自身は、ブラック企業も基本的にはメンバーシップ型企業であって、それでいて様々な点が劣化していたり、メンバーシップ型であれば通常期待されるような長所が欠落しているのだと思っている。(ムラ社会が劣化して人間関係が悪化しても、都市型の市民社会の要素を取り込んだことになるわけではないのと同じである。)
なお、時代が違っていれば(いちおう良い意味で)典型的な日本企業になれたかも知れないのに、諸般の事情でなり損ねた企業(比喩的にいえば、環境変化のため、毛虫が蝶になり損なって、毛虫のまま大きくなってしまったようなもの)も多く存在するような気もするが、それはまた別なところで具体的に考えてみたい。

ふむ、ブラック企業とは「毛虫が蝶になり損なって、毛虫のまま大きくなってしまったようなもの」ですか。なかなか言い得て妙な感があります。

2016年10月12日 (水)

ラーメンに人の親指

朝日新聞の記事ですが、

http://www.asahi.com/articles/ASJBD64L0JBDUTPB01S.html (ラーメンに人の親指?混入 静岡の幸楽苑、保健所が指導)

ラーメンチェーン「幸楽苑」の静岡市清水区の店舗で提供されたラーメンに、人の親指の一部とみられる異物が混入していたことが12日、わかった。・・・

いや、総毛立つような恐ろしい話です。

同社や市保健所の説明によると、混入があったのは幸楽苑の静岡清水インター店。9月10日昼ごろ、店内にいた女性客が、子どもが食べていたラーメンのスープに人の指のような異物が入っているのに気付き、店に伝えたという。

ラーメンスープに人の指。現代の怪談。でもね、本当に恐ろしいのはそれに続くこのパラグラフなんです。

市保健所が女性客の届けを受けて現物を確認したところ、長さ約7~8ミリ、幅約1センチで、爪のついた指の先とみられるものだった。パート従業員がスライサーでチャーシューをスライスした際に右手の親指を切り、調理過程で混入したという。保健所はほかに混入がないかの確認や、調理器具の消毒などをするよう指導した。従業員に感染症などの疑いはないという。

とにかく気になるのは、「ほかに混入がないか」「調理器具の消毒」「従業員に感染症」という心配だけ。

徹底して消費者目線の心配だけ。変な異物を喰わされかけた消費者の目線だけ。

それが今日のリベラルな(と称されている)新聞の記事のスタンス。

その長さ約7~8ミリ、幅約1センチの右手の親指を切断したパート従業員は大丈夫なのか、手当はきちんとなされたのか、パートだからといって労災の処理はいい加減にやってないだろうな、等々の労働者目線の関心はものの見事にすっぽりと抜け落ちている。

見事に。

まあ、この記事を見て、葉山嘉樹の「セメント樽の中の手紙」を思い出したりする人間は今どき希少種なんでしょうけど。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000031/files/228_21664.html

「俺の若い頃は・・・」の実情

例の過労・パワハラ自殺でいろいろ騒ぎになっているようですが、こういうときについつい出がちな「俺の若い頃は・・・」について、毎年明治大学労働講座で喋っているネタがあるので、そこだけ引用しておきますね。

先日、昭和女子大学で講演したときも使ったネタですが。

http://hamachan.on.coocan.jp/roujun1107.html

メンバーシップ型正社員の「収縮」と「濃縮」
 正社員は会社のメンバーとして一生懸命働きますと言いましたが、本当に24時間、365日ぶっ通しで働いたら間違いなく人間は死にますから、そんな馬鹿なことはありません。昔はどうだったかと言うと、やれと言われたらやるのですが、実際にはそんなに無茶苦茶をいつもやらされている状態ではなかったと思います。昔、クレイジーキャッツというお笑いグループの植木等が「サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ」と歌っていました。実際に、正社員自体が昔はけっこう気楽な稼業だったと思います。それが、だんだん気楽でなくなってきたのです。昔から確かにメンバーシップでしたが、そのメンバーシップが濃くなり、要求水準が高くなってきているのです。
 いまから20年ぐらい前、銀行に勤めていた人に話を聞いたことがあります。「近頃の銀行は夜中までみんな残って仕事をしているんだよな。俺たちのころは、大体3時にシャッターを閉めたらある程度仕事をし、その後、近所の子どもたちの野球のコーチをしていた」と言うのです。20年前に聞いた話ですが、昔の銀行員はそんなことができたのかと私は非常に驚きました。メンバーシップ型で忠誠を尽くせば一生面倒をみる約束だと言いましたが、そうは言っても平日に野球のコーチができる程度の忠誠であって、そんなに無茶なものではなかったのだと思います。
 なぜ濃くなってきたかといえば、とりわけこの20年間、1990年代から2000年代に間違いなくいえるのは、少数精鋭で頑張ってやるのだと、メンバーシップ型の正社員をだんだん収縮してきて少なくしてきたからです。科学の勉強ではないですが、一定量のものをぐっと収縮すると密度が濃くなります。おそらく昔の正社員と比べて、いまの正社員の義務の重さ、労働の質的、量的な負荷は大変高まってきていると思います。
 
白紙の学生に即戦力を要求
 これの一つの表れが学生に即戦力を要求することです。これは実は矛盾している要求です。即戦力を要求するということは、まさにこの仕事をするのだから、こういう訓練を受けて能力を身に着けてこいと求めることです。示したことができるようになったから採用するということになるのなら即戦力を要求することは理解できます。しかし、面接においてサークル活動をどれだけやったかを一生懸命説明しなければいけないということは、仕事の能力としての即戦力を要求しないということです。正社員が少なくなり責任や労働の質的・量的な負荷が高くなってきて、白紙の学生に即戦力を要求するというおかしなことが起こっているのです。しかし、それでもこれはまともな企業での話です。 ・・・・・

2016年10月11日 (火)

西村 聡・山岡美由紀『「多様な働き方」を実現する 役割等級人事制度』

2472497001西村 聡・山岡美由紀『「多様な働き方」を実現する 役割等級人事制度』(日本法令)をお送りいただきました。ありがとうございます。

http://www.horei.co.jp/item/cgi-bin/itemDetail.cgi?itemcd=2472497

同一労働同一賃金で進める働き方改革

企業の人材難が叫ばれる中、優秀な人材をいかに確保していくかが喫緊の課題となっている。一方で賃金コストの上昇を抑制するためには労働力のムダな配置をできるだけ排除し、適正な労働環境と生産性を保っていかなければならない。こうした中で注目されるのが、多様な雇用・就業形態を採り入れた新しい人事制度、すなわち「多様な働き方」だ。

本書では、「多様な働き方」を実現するために最適な役割等級人事制度の構築プロセスを解説するとともに、具体的な設例を用いて制度の導入パターンをわかりやすく提示していく。

というわけで、今流行りの「働き方改革」をさっそく実務書にした本ですね。

前半は役割等級制度の作り方の解説ですが、後半の事例で解説しているところがなかなか面白くできています。

中堅現業職、母の介護で退職の危機ー短時間正社員制度で乗り越える

営業職が家族の病気で半年間フルタイム勤務不能にー転職の危機を救った、上司と同僚のフォローと短時間勤務

画像編集オペレーターが「夫の転勤についていくので退職します」-深刻な人材不足の中で生まれた在宅勤務制度・・・・・

というような感じです。

2016年10月10日 (月)

『働く女子の運命』へのショートコメントいくつか

Img_752f5d874047328e26f434ce08fbda5 阿佐美絢子さんの「My Life. 素をもって絢となす」というブログで、拙著『働く女子の運命』にこういう短いコメントが。

http://ameblo.jp/ayaz-blog/entry-12204779668.html

私の頭では読み難しでしたあせる

働く女子なのにそれだけ知らない証拠

歴史的にも初めて知ることがたくさんありました。

書評サイトではブクログで、ズゴッ子さんが、

http://booklog.jp/users/gocci/archives/1/B019GG3GCW

今なお女性が労働しずらいのはなぜか?というのを、戦前にさかのぼり、紐解く。状況整理に役立った。

ただ、個人的には、3つの会社とその取引先をみてきた範囲では、高い能力スキルを維持している人が女性だという理由で不当な扱いを受けたのはみたことないので、府に落ちたわけではない。能力あった人が、恋愛、転職、出産、育児、親族の死、などのライフイベントをきっかけに、スキルや集中力をおとし、結果、本人にしたら不満な扱いをうけるのはある、男女とわず。そうしたライフイベントにより変わるのは、圧倒的に女性が多い。それを社会制度だけのせいにはできない。楽に流れても「運命」、社会にあらがっても「運命」。

この感想に対しても、またいろんな感想がありそうです。その感想がまた世代によって様々なものでありそうでもあり・・・。

アマゾンレビューでも、みみちゃんさんが、

https://www.amazon.co.jp/product-reviews/4166610627/ref=cm_cr_dp_synop?ie=UTF8&showViewpoints=0&sortBy=recent#RYQJZHO8SG4TW

日本の給与体系が戦前より欧米と比較して特殊な構造を有しているということを改めて認識しました。戦後何回もの検討を重ねても依然または更に強化して維持されてきた日本の給与体系が女性の社会進出を阻む要因となっている可能性に気付かされます。先人たちの努力のおかげで制度的な壁は部分的に改善されても、マミートラックなど次々と新たにクローズアップされてくる問題についても賃金とは何に対する対価なのかという観点から考察されています。本書は日本的給与体系と女子労働者待遇の関連について論じていますが、巻末ので述べられていた非正規雇用に対する意見も今後刊行されることを切に望みます。

ツイートでは、そもそもこの本の企画立案者である文藝春秋の鳥嶋七実さんが、

https://twitter.com/umeboshibancha/status/784579138980048896

日本的雇用と女性労働変化を法制史的に読み解いたこの本を、いまいちど手にとってもらえたならなあと。タイトルに比して女性にかぎらない話。この先を考えたい。

と、久しぶりにこの本にコメントをされています。本書のあとがきにも書きましたが、彼女は大学で上野千鶴子さんのゼミにいたこともあり、彼女に丸め込まれて本書ができたような面もあります。

2016年10月 8日 (土)

誰がための労働組合@『週刊東洋経済』10/15号

10061617_57f5fa870c29a 本日発売の『週刊東洋経済』10/15号は、右の通り、「高校力」とかいう大特集を組んでいますが、その片隅で小さいけれども興味深い特集が載っています。「誰がための労働組合」。

http://store.toyokeizai.net/magazine/toyo/

【第1特集】

大学より濃い校風と人脈 高校力 公立の逆襲

【巻頭特集】

誰がための労働組合

INTERVIEW|二宮 誠連合中央アドバイザー「過度な協調で労働組合は劣化した」

日本の労働組合の根本にある2面性 濱口桂一郎労働政策研究・研修機構 主席統括研究員

私の話は、先日派遣請負NPOで講演した中身とかなり重なります。

労働組合を考える際に初めに理解すべきなのは、労使関係の二面性だ。労働者が企業に雇用されて働く際、企業の一員として生産活動に向けて協力する側面と、賃金・労働条件などで対立する側面がある。この相反する二面性をどう処理するかは国や地域によって異なるが、日本の場合は企業別労組が双方の立場を務めるのが特徴だ。・・・・・

二宮誠さんについては、本ブログで何回も取り上げてきたのでご存じの通りです。

まあそれはともかく、この「高校力」って特集、やっぱり多くの人が気にして読むんでしょうなあ。

 PART1 よみがえる公立高校

  (東京)東大合格者数53人 日比谷復活の原動力

  (神奈川)人気沸騰のSSKH(横浜翠嵐・湘南・川和・柏陽)

  高校力ランキング 難関大学に強い263校

  (大阪) 北野が突出する裏で選別進む府立高校

  INTERVIEW│高校は町の重要な知の拠点だ 劇作家・演出家●平田オリザ

  名門校トップ対決(1)埼玉 浦和×栄東 東大合格者数で首位陥落 浦和は小学生に照準

 PART2 高校の人材輩出力

  甲府一高同窓の企業トップが語る 経営に必要なことは高校時代に培った

  独自ランキング財界編 トップの多い高校はここだ!

  人事部は出身高校もチェックしている

  名門校トップ対決(2)福岡 修猷館×筑紫丘×福岡 九州大学合格者数100人超 御三家の熾烈な争い

  独自ランキング政界編 国会議員は名門私立が圧倒

  名門校トップ対決(3)愛知 東海×旭丘×岡崎 御三家に人材集中 来年は岡崎に熱視線

  社会に出ても役に立つ同窓会の結束力

  激変する大学入試に公立高校が大反対のワケ

  名門校トップ対決(4)北海道 札幌南×札幌北 「北大予備校」の北高 道外では札幌南が圧倒

本日、昭和女子大学生活心理研究所で講演です

Showa

(追記)

会場に行ってみると、聴衆の中に八代尚宏さんの顔が・・・。

そういえば昭和女子大に行かれてたんですね。

http://gyouseki.swu.ac.jp/swuhp/KgApp?kyoinId=ymeigoooggy

2016年10月 7日 (金)

国際自動車事件を評釈

本日、東大の労働判例研究会で国際自動車事件(東京地判平成27年1月29日労経速2241号9頁)を評釈。

http://hamachan.on.coocan.jp/rohan161007.html

野川先生が残業代裁判の方かと勘違いしてたと言われていましたが、そっちの有名な方じゃない方のちょっと変わった裁判例です。定年後再雇用を労働組合の労働者供給事業でやってるというそれだけでも結構変な事案で、組合が3つもあって、3つめの組合(の上部団体のユニオン)の組合員を再雇用しなかったという事案ですが、それなのに高齢法のコの字も、職安法のシの字も出てこないというおかしな判決。でもそれも原告側弁護士が全然主張していないから。

圧倒的に多くの労働法研究者からは無視されるような判決ですが、よく噛むとなかなか味わい深いものがあります。

「弁護士堀の随想」で『女子』本も書評

Img_752f5d874047328e26f434ce08fbda5 というわけで、拙著への書評を続けざまにアップされている「人と法と世の中:弁護士堀の随想」で、今度は『働く女子の運命』への書評です。

http://arminius.cocolog-nifty.com/blog/2016/10/post-f627.html

はじめの6パラグラフほどを費やして、「私が今から20年ほど前、サラリーマン時代(とある会社の人事労務の担当の末端にいた)に経験したエピソード」を綴られ、その上でおもむろに拙著へのコメントに進んでいきます。

・・・なぜ「働く女子の運命」の話をする前に、私自身の思い出話を突然始めたのかといえば、本書を読んでこのちょっとしたエピソードを思い出したからである。

一通りその思い出を今の視点から論じられた上で、ようやく本書について

・・・さて話を戻すと、本書は内容に即して言えば「日本的雇用システムの歴史と女性の地位の変遷」とでもいうタイトルがふさわしいところだが、それでは埋もれてしまうので、「働く女子の運命」というキャッチーなタイトルにしたのだろうか。

と評されます。

また、女子の話よりも実はこちらが面白いんだよと、玄人好みの視線をこちらに向けられます。

・・・★なお、本書は、女子云々を一切度外視して、日本の戦前から戦後に至る賃金を中心とした処遇制度(およびその思想)の変遷についての概観をさらっと示してくれるという点が大きな特徴であり、実は「働く女子の運命」より「賃金・処遇制度の運命」に関心がある読者にとってもお勧めである。

2016年10月 6日 (木)

『経営法曹』190号

経営法曹会議から『経営法曹』190号をお送りいただきました。今号はかなり分厚く、しかも同一労働同一賃金をめぐる座談会、山梨県民信用組合事件と長澤運輸事件をめぐる判例検討会が載っているという、労働法関係者にとっては大変関心の高いトピックがてんこ盛りの一冊になっています。

まず、同一労働同一賃金の座談会ですが、面子は中山慈夫、加茂善仁、伊藤昌毅、木下潮音、和田一郎、松下守男、斉藤芳郎、司会が石井妙子というハイレベル。結構言いたい放題に言っています。

山梨県民信用組合事件については膨大な資料も付いていて大変勉強になります。

長澤運輸事件については、「継続中の事件に関わることであるので公表を差し控えるべき内容もあり」ということで、議事録自体はなく、松下守男さんによる要約ですが、それだけでも結構興味深いです。

養老保険と退職年金のはざま@『エルダー』10月号

Q2k4vk000000djnf『エルダー』10月号に「養老保険と退職年金のはざま」を寄稿しました。

http://www.jeed.or.jp/elderly/data/elder/q2k4vk000000djlp-att/q2k4vk000000djo9.pdf

このPDFファイルの54~55ページに載っています。

養老保険と退職年金のはざま

 過去十数年にわたって公的年金問題は国政の最重要課題であり続けてきました。そのなかには社会保険庁の「消えた年金問題」のような事務手続の不備にかかわる問題もありましたが、最大の焦点はもちろん人口の少子高齢化にともなって公的年金が将来にわたって持続可能なのかという点にあったことは周知の通りです。そしてこの問題をめぐってはそれこそ汗牛充棟(かんぎゅうじゅうとう)、山のような書物や論文、記事の類が積み上げられていますが、そもそもなぜ高齢者の割合が増えれば彼らに年金を払うために年金制度が危機に陥らなければならないのかという根っこに遡った議論は余りないようです。

 社会保障の教科書を紐解くまでもなく、公的年金は厚生年金保険または国民年金保険という社会保険の一種です。社会保険というのは健康保険や雇用保険を思い浮かべればわかるように、病気や失業という保険事故に遭遇した人に給付がされるものであって、保険料を払ったからといって必ず見返りが戻ってくるわけではありません。いやむしろ、多くの人はあまり病気にはならないし、ましてや失業もしないので、トータルでは払った額より戻ってくる額の方が少ないから、一部の人が払った額よりも高い見返りを貰えるのです。それが保険原理というものです。みんなが「俺はこれだけ払ったんだからその分返せ」と口々にいい出したら、社会保険などすぐに破綻します。病気や失業というリスクを少しずつ分担し合うのが社会保険なのです。

 これは実は年金保険のなかでも障害年金については同じことです。たまたま障害を負ってしまった人にその障害等級に応じて年金を支給するのは、まさにリスク分散のためであって、「障害者にならなかったから損した」などという人はいないはずです。ところが何故か同じ年金保険のなかの老齢年金になると、一定年齢に達したというだけで心も体もぴんぴんしている人々が、「俺はこれだけ払い込んだのだから」と、あたかも預けていた銀行預金を下ろすかのように考えてしまうのです。実のところ、過去十数年の年金論議のかなりの部分は、この公的年金保険をあたかも私的な預金のように考える発想からもたらされている面があります。何故日本では社会保険たる公的年金に対してそういう考え方が染みついてしまったのかを、歴史的経緯をたどることで解明したいと思います。

 現行厚生年金保険法は1941(昭和16)年に制定されましたが、そのときは労働者年金保険法という名前でした。当時の給付は養老年金、癈疾(はいしつ)年金手当金、遺族年金です。「養老」という字面に注目してください。当時の解説書(後藤清・近藤文二『労働者年金保険法論』東洋書館)によると、老齢が癈疾(=障害)や死亡と並ぶ保険事故とされたのは、「老衰は労働能力を減ずること著しく従って生活資源獲得の道を塞ぐものなるため、これを保険事故とするのであるが、被保険者又は被保険者たりし者が何時から老衰となったかを決定又は証明することは困難なるにより、保険において老衰者を救済せんとする場合には、通常一定の高年齢を定め、当該保険団体の構成員がその年齢を超えたることを以て保険事故とするものである」と、老衰を労働能力いい換えれば稼得能力減退とみなしたからです。

 このように、癈疾(障害)と同レベルの保険事故として「老衰」のリスクを救済するための社会保険であるならば、今日に比べれば遥かに早老早死の傾向が強く、平均寿命が50歳前後であった頃に制定された労働者年金保険法がその支給開始年齢、つまり「老衰」とみなす年齢を55歳にしていたことはそれほど不思議ではありませんが、それから75年が経ち、平均寿命が80歳を超えるに至った今日においても、なお支給開始年齢を60歳から65歳に引き上げつつある途中だというのは、いささか不思議の感を抱かせます。本当に老衰が進んだ75歳以上の後期高齢者の医療費が大問題になっている健康保険と比べても、未だに65歳未満で「老衰したから年金をくれ」という理屈が通っている年金保険は別世界のようです。

 ではなぜ、戦後日本では「老衰」のリスクを救済するための社会保険が、全然老衰もしていない若々しく元気な前期高齢者に対する潤沢な給付制度と認識されるようになったのでしょうか。その原因は前回みた退職金の法政策との絡み合いにあります。

 もともと失業保険や解雇手当の関係で立法された1936年の退職積立金及退職手当法は、ごく短い期間ですが日本の企業に退職金の支給を義務づけました。ところが、1941年の労働者年金保険法制定にともない、労働者の申し出があれば積立義務は免除され、任意積立制度になりました、さらに1944年の厚生年金保険法への改正により、戦時における事務簡素化の見地から類似の制度として同法は廃止されてしまいました。「類似」といっても、一方は企業レベルの退職金積立義務づけ制度であり、もう一方は国レベルの「老衰」救済制度であって、そもそもの原理はまったく違うはずですが、これにより「老衰」救済のための年金も「退職金」と同じようなものだという認識が一般化してしまったようです。

 この発想を強化した一つの要素として、公的部門の年金制度があります。もともと戦前以来官吏には恩給制度があり、国の負担で退職後の生活保障がされていました。一方現業労働者には勅令で共済組合が設けられ、労使拠出による退職給付がされていました。戦後公務員制度が大きく変わり、1948年に国家公務員共済組合法が制定され、1958年の改正法で恩給公務員にも共済組合が適用され、今日に至っています。これらは性格は異なりますが、公的部門の企業(職域)年金という点では同じです。実際、制定時の共済法では「養老」とか「老齢」という言葉は使われず、「退職給付」となっていましたし、今日でも長期給付のなかの「退職年金」です。

 さらに、これも前回取り上げた厚生年金基金制度が両者の混同を後押ししました。本来民間企業の人事労務管理の一環である退職金を年金化した企業年金を、公的社会保険である厚生年金保険の代行までやらせるという経営側の要求によって、本来「老衰」リスクへの保険であるものが「退職年金」として意識されるようになる大きな契機になったと思われます。公的部門でも、民間部門でも、年金といえば「退職年金」という条件反射が形成される基盤がこうして形作られたわけです。

 こうして今日に至るまで、本来社会保険としての「老衰」リスク保険の議論をすべきときにも、これら「退職年金」の発想に引っ張られて、全然老衰もしていない若々しく元気な前期高齢者が退職後の生活を満喫するための生活費を年々減少する一方の現役世代から徴収することに疑いを抱かないために、少子高齢化で公的年金が持続可能でなくなるという問題が生み出されているように思われます。

倉重公太朗さんが拙著を紹介@東洋経済online

112483鋭い筆鋒で有名な若手経営法曹の倉重公太朗さんが、東洋経済onlineで「「解雇しやすい社会」にすれば正社員は増える」という文章を書かれていますが、その中で拙著『日本の雇用と労働法』(日経文庫)をご紹介いただいています。

http://toyokeizai.net/articles/-/138536

当時の日本企業では、新卒採用で終身雇用、年功序列が当たり前であり、新卒で入社した企業に定年まで勤め上げるのは当然、という社会情勢でした。こうした「終身雇用が当たり前」という考え方は、単に労働契約を結ぶのではなく、「会社」という会員制組織のメンバーになるという意味で「メンバーシップ型雇用」<濱口桂一郎 著『日本の雇用と労働法 』(日経文庫)参照>などといわれるところです。

メンバーシップ型雇用の特徴は、終身雇用、無限定な仕事、広い職種転換、人事ローテーション、全国転勤、長時間労働など、いわば「昭和的働き方」といえるものです。・・・

倉重さんについては、本ブログでも過去に何回も取り上げさせていただいています。いくつか紹介しておきますと、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2014/05/post-c65e.html(倉重公太朗編『企業労働法実務入門』)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2015/06/post-6182.html(倉重公太朗さんの『日本の雇用終了』書評)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2016/08/post-cf48.html(倉重公太朗編集代表『民法を中心とする 人事六法入門』)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2016/09/post-89be.html(日本型雇用の終わりの始まり@倉重公太朗)

一度、都内某所で心ゆくまで呑みながら談論風発したこともあり、こういう言い方はむしろ失礼かも知れませんが、図抜けてブリリアントな方だと思いました。

2016年10月 5日 (水)

「弁護士堀の随想」でさらに拙著書評

112483『新しい労働社会』(岩波新書)に引き続き、「人と法と世の中:弁護士堀の随想」で『日本の雇用と労働法』(日経文庫)も書評いただきました。

http://arminius.cocolog-nifty.com/blog/2016/10/post-b40f.html

さきに読んだ同じ著者の「新しい雇用社会」と共通する部分もあるが(特に日本の雇用システムの基本構造に関する部分)、そちらは執筆時点で話題となっていた問題を取り上げて一応の処方箋を示すことに重点が置かれていたのに対して、本書は、歴史的経緯や政策決定過程も踏まえつつ(前掲書でも触れているが、こちらの方が詳しい)、日本の労働法制と現場の実際の雇用システムのあり方との関係を論じている。労働法についての書籍はいくらでもあるし、逆に雇用システムについての書籍も数多く出ているが、その両者の関係を論じたものは珍しい。

と本書のビジョンをご説明いただいたあと、いかにも法律家らしい感想をいくつか寄せておられます。たとえば、

なお私なりの勝手な余談ではあるが、実際の紛争になった場合の当事者の法的主張という観点から見ると、ケースに応じて、ジョブ型的契約法理を主張した方が有利な場合と、メンバーシップ的な団体の発想に基づいた主張をした方が有利な場合がある。たとえば私生活の非行を理由として解雇された労働者が解雇無効・雇用契約上の地位確認を求めて訴訟を提起する場合は、契約法理を徹底させる方が有利であり、会社側はまさにその反対ということになる。整理解雇について労働者が争う場合は、まさにその逆で、メンバーシップ的な観点を全面に出すということになるのだろう。

そうなんですね。法律実務家としては、別段ジョブ型にもメンバーシップ型にも忠誠を尽くす義理はなく、その時のシチュエーションに応じて、都合のよい理屈を組み立てればいいわけですし、それが弁護士の職業倫理でもあるわけです。

ただし、法律学者として理論的整合性をとった議論をしようとするのであれば、そういうあっちではジョブ型全開、こっちではメンバーシップ型で一点突破みたいな議論でいいのかというのはあるわけですが。

中小企業はジョブ型かそうじゃないかというのも、とてもいい論点で、突っ込むとこれだけで小一時間くらいの話になり得ますが、とにかく目の付け所が光っている書評を久しぶりに読ませていただき感謝しております。

2016年10月 4日 (火)

Comparative Analysis of Employment Dispute Cases Resolved by Labor Bureau Conciliation, Labor Tribunals and Court Settlement

JlrJILPTが出している英文季刊誌『Japan Labor Review』の秋号に、拙稿「Comparative Analysis of Employment Dispute Cases Resolved by Labor Bureau Conciliation, Labor Tribunals and Court Settlement」が掲載されております。

http://www.jil.go.jp/english/JLR/documents/2016/JLR52_hamaguchi.pdf

外国の皆様に日本の雇用紛争、とりわけ雇用終了をめぐる紛争の実像を理解していただくにはいい素材ではないかと思っています。

In Japan, there are three representative systems for resolving individual labor disputes: conciliation by labor bureaus, labor tribunals, and court settlement. When we compare these, we find a tendency for males to be more numerous, regular employees to be more numerous, years of service to be longer, the managerial position to be higher, and the monthly wage to be incrementally higher in the second and third of these than in the first. However, while the difference in monthly wage is 1.4 times and 1.6 times, respectively (i.e. in the second and third systems compared to the first), the difference in resolution amounts is 7.0 times and 14.7 times. This could be because labor bureau conciliation — a voluntary system — gives more incentive to settle on low resolution amounts, while in labor tribunals and courts, a ruling or judgment will be made if no compromise is reached, meaning that the case can be concluded without considering the “risk of the other party getting away.”

I. Background to the Research

II. Comparative Analysis of Statistics

1. Gender

2. Employment Status

3. Length of Service

4. Managerial Position

5. Workers’ Monthly Wage

6. Time-Related Cost

7. Use of Attorneys or Certified Social Insurance Labor Consultants

8. Resolution Amount

9. Resolution Amounts in Terms of Monthly Wage

III. Some Observations

2016年10月 3日 (月)

「弁護士堀の随想」で拙著書評

131039145988913400963 元サラリーマンの弁護士の堀さんが雑多な事柄についての意見や感想を書かれているブログ「人と法と世の中:弁護士堀の随想」で、昨日今日と拙著『新しい労働社会』が取り上げられ、かなり詳しく書評をしていただいております。

http://arminius.cocolog-nifty.com/blog/2016/10/post-a2f8.html

http://arminius.cocolog-nifty.com/blog/2016/10/post-ed42.html

興味深いのは。本書への感想として次のようなことを綴られていることです。

とりとめがないかも知れないが、まずは本書の内容そのものについてのコメントというより、本書を読んで勝手に思い浮かべたこと等を少々。

まず、著者が指摘するような日本の「メンバーシップ型」とされる労働契約の特性を、うまく実情に即して法律の中で位置付けるロジックが、肝心の現代の日本の法制度・法理論においては乏しいようである。日本の労働問題については、法理論・法制度が実態をうまく反映しておらず、それゆえに判例で個別事案を解決する際に苦心しているというべきだろうか。既に雇用関係が破綻してしまって紛争化した段階になってから持ち込まれる司法での判断と、雇用関係が一応維持されて運用されている段階についての分析と、建前として抽象的に存在している法制度・法理論とが、それぞれ異なってくるのはやむを得ないのかも知れない。

労働契約は、民法上の契約理論をまず出発点としたうえで、これに社会政策的見地から修正を加えた労働法制によって規律されていることになっている。しかしこのような労働法制と、「団体加入」「組織への取り込み」という側面を持つ日本の「メンバーシップ型」労働契約の実情とが必ずしもうまく対応しているとは言い難い。

日本の「メンバーシップ型」労働契約から発生する紛争について、司法界や労働法学者は、紛争の性質に応じて、ある時は「自律的な個人間の契約」という側面を強調し、また別な時は社会政策的な修正の必要性を強調して、解決を図ってきたように思われるが、「メンバーシップ」的性質を正面から法制度としてとらえた立法的解決ができないものだろうかと思った。

いずれにしても、法理論・法制度と、現場での運用の実態(「生きた法」)との乖離については、著者は非常に強く意識しているものと思われる。(★注)

お気づきの通り、これはその後の拙著『日本の雇用と労働法』で中心的な論点として論じた点です。

そのことが、このエントリに追記されています。

(★(10月3日追記:同じ著者の「日本の雇用と労働法 」(P36-42)に、上記の私の感想に噛み合うような記載があった。同書についても後日感想を書く予定。)

この部分を読んで、この弁護士堀さんのセンスに脱帽しました。そう、法律学の素養を持って雇用システム論を読んでいくと、こういうところに思考が及んでいくのです。

ただ残念ながら法律学の素養のある人はあんまり雇用システム論に関心を持たないし、雇用システム論に関心を持つ人の多くは法律学のセンスが乏しいことが多いので、なかなかそういう議論が広がらないのですが。

育児休業期間を最長2年に?@WEB労政時報

WEB労政時報に「育児休業期間を最長2年に?」を寄稿しました。

https://www.rosei.jp/readers-taiken/hr/article.php?entry_no=582

去る9月14日、労政審雇用均等分科会で急きょ「仕事と育児の両立支援について」の審議が始まりました。

育児・介護休業法は今年かなりの項目にわたって改正されたばかりなのに、なぜまた急に法改正をすることになったのかといえば、その直前の8月2日に閣議決定された「未来への投資を実現する経済対策」の中で、「育児休業期間の延長等」として「男女とも仕事と育児の両立に資するよう、保育所の整備を進めつつ、雇用の継続のために特に必要と認められる場合の育児休業期間の延長等を含めた両立支援策について、必要な検討を経て、成案を得、平成29年度(2017年度)において実現する」という一節が盛り込まれたからです。同対策では「一億総活躍社会」の実現の一環として、待機児童ゼロを実現するため、保育の受け皿整備を進めることが施策の筆頭に上がっていますが、それだけでは足りない部分を育児休業期間の延長で補おうという発想です。

現時点ではまだ公式に成案は示されていませんが、・・・

2016年10月 1日 (土)

2016年雇用問題フォーラム(第4回派遣・請負問題勉強会)

明後日(10月3日月曜日)開かれる2016年雇用問題フォーラム(第4回派遣・請負問題勉強会)のご案内です。

http://www.npo-jhk-support119.org/theme80.html

『これからの雇用社会と人材サービスの役割』

■ 日時 平成28年10月3日(月)13:30-17:40(13:00受付開始)

■ 会場 アルカディア市ヶ谷3階「富士(ふじ)」 03-3261-9921(代表)

■ 主催 NPO法人人材派遣・請負会社のためのサポートセンター

■ 協賛 株式会社アドバンスニュース

■ 対象 人材サービス企業経営者・人事・労務・コンプライアンス担当者、研究機関、マスコミ

□講演 [13:30~16:40]

Oomi_2 (1)時局講演

日本労働組合総連合会(連合) 事務局長 逢見直人様

(2)雇用・労働問題講演

Hamaguci_2 ①「労使関係と人材サービス」

労働政策研究・研修機構 主席統括研究員 濱口桂一郎様

Mizumati_2 ②「労働法制改革と人材サービスの課題」

東京大学社会科学研究所 教授 水町勇一郎様

18591306536_2 ③「企業の人材活用と人材サービス業」

>中央大学大学院戦略経営研究科 教授 佐藤博樹様

□講師への質疑応答 [16:40~17:40]

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