« フランス労働法の「破棄確認」 | トップページ | 大学中退の社会的意味 »

2016年9月17日 (土)

労働者は時間貸しの部品@日本以外全部

2016091500000021jij_afp0005view この記事が話題になっているようですが、

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160915-00000021-jij_afp-int (乗客残して列車運転士が下車 「超過勤務」理由に スペイン)

労働時間感覚とか労働者の権利とか、もちろんそうなんですが、それよりも何よりも、そもそも労働者とは何なのか、雇用労働とはどういうことなのかという、彼我の基本感覚の違いが出ていると考えた方が良いと思います。

というのは、この邦訳記事では詳しい事情は書かれていないのですが、スペインの最大手紙「El PAIS」(エル・パイス)の記事の最後のパラグラフに、組合側の説明が載っていて、

http://politica.elpais.com/politica/2016/09/14/actualidad/1473839555_569064.html

"Hechos como el de hoy no son nuevos, han ocurrido, pero no es habitual ya que los cuadros de servicio, es decir, los horarios de trabajo, están bien diseñados para que no se rebasen las jornadas", añade el responsable del Semaf, que reitera que "el conductor alertó con tiempo" pero el centro de gestión "no encontró a nadie para sustituirle". El Semaf desvincula el incidente de cualquier tipo de conflicto laboral. "No es una medida de presión, es un tema de seguridad", subraya Segura, que duda de que se vaya a producir sanción alguna. "Si le pretenden sancionar por cumplir la ley del sector ferroviario, estamos apañados", resume.

要は、この運転士は管理センターに時間切れになるよとちゃんと知らせたのに、管理センター側がちゃんと対応しなかったからだ、と。

これを見て、何を言っているんだ馬鹿者が、と思ったあなた、あなたはもう既に、日本国民法の定める雇用契約ではなく、日本型メンバーシップ契約の真ん中で物事を考えているのです。

いうまでもなく、日本国民法も含めて雇用契約と言うのは契約に定められた労務を取引相手方たる会社に提供する契約であって、会社の一員として何でも対応する契約じゃない。何をどうすべきかを定められた契約の範囲内で決めるべきは会社であって、労働者ではないわけです。

これを私はよく、労働者というのは部品であって、それを適切な時と場所にはめ込む責務は部品自身じゃなくて会社側にある、というわけですが、日本型メンバーシップ契約では、労働者というのは部品じゃなくてあたかも自ら経営者になったかのごとく対応しちゃうんですね、いやそれはそれで大変美しい話ではあるんですが、それを悪用する企業が出てくると、まさにブラックの温床ということにもなります。

で、本件に戻ると、運転時間が制限されているというのははじめからわかりきっていることで、鉄道を運行している会社としては、それを大前提に、どの部品をいつどこにはめ込むかをちゃんと考えていかなければいけない。こういう事態になって、さすがのスペインでも大変な騒ぎになっているようですが、大前提はそういうことです。

で、この労働者が部品であるという発想が、実は日本人にとって一番不愉快で、否定したくて仕方がない発想なんですね。某新左翼系の新聞で、私がこう批判されているんですが、

http://www.k-center.org/blog2/g-kiji/2016/05/g03140201.html (安倍政権に反撃を!6・5国鉄闘争全国運動集会へ)

・・・濱口は、〈従来の正規雇用はどの器官にも使えるiPS細胞だが、ジョブ型雇用は使える器官が限定されており、職務が消滅すればそれは正当な解雇理由となり、欠員が出れば補充される「部品型労働力」〉と、部品型雇用への転換を提言しているのです。・・・

ふむ、国鉄闘争な方々は、このスペインの鉄道運転士みたいな部品型労働力には絶対何が何でもなりたくないというわけです。

|
|

« フランス労働法の「破棄確認」 | トップページ | 大学中退の社会的意味 »

コメント

以前、今や見る影もない政党(連立)のとある政権の官房長官が国会で自衛隊を「暴力装置」と発言し、自民のおっちゃんおばちゃんが学級崩壊風情をテレビ中継で見せてくれたのと同じレベルでしょ。
好き嫌いは別に少しでも知性があれば、「ヴェーバーなんか使っちゃってさ。ケッ!」で済むことでも、後ろにそれ以下の人たちを抱える集団心理としては騒ぐに越したことはないいうことですねえ。わたしなんて「そりゃ、あんたら政府の方だろ」と学生を前にポロッといったので、そいつらはポカ~ンでしたよ。別にバカではなく、知らないからですね。
情報非対称性の怖さですね。
でも、こうした素養のお国柄を重々承知のうえでしょう?
エントリに連結して披露する話かなと思いますよ。
iPSねえ。セル分化・・・多能性幹細胞・・・喧嘩売ってるよね。
身体論だから部品じゃないんだけどなあ。

投稿: kohchan | 2016年9月17日 (土) 13時24分

この話題で運転手を称賛する意見を述べる人は何で扉を開けず客を監禁したままで帰ったことはスルーするんですかね?

時間切れで帰るのはいいけど扉ぐらい開けろよと思うんですが

投稿: のこぎり | 2016年9月17日 (土) 14時29分

本エントリからはkohchanさんほか論客みなさんによる長いディスカッションが始まる予感がしますね…(笑)、そこで小職からは取り急ぎ、大事な次の2点ほど指摘させて頂きます。

① ワーカー = 部品型労働力の喩え話は、身も蓋もない事実ですが、さすがにジョブ型社会(日本以外)でもNG ですよ。そこは(僭越ですが)hamachan先生も口が滑ったのでしょ。アカデミズムの世界はよくわかりませんが、ビジネスの世界、少なくとも外資系グローバル企業で働く個人の諸権利や法令遵守に対する姿勢は日本企業と比較にならない位にシビアです、仮にマネジャーがそんなことを部下に言って撤回しないようものなら基本的人権の侵害で即、解雇。最低でもマネジャー職の解任は逃れられませんね…。

②ちゃんと伝わるようこれまでも色々な機会で繰り返し同じことを述べてきましたが、では、日本企業は一体これからどうすればよいのか? ミッシングリンクは何なのか? 実はその解答はいたってシンプルで、一人ひとりのワーカー個人の「職務」を限定し、文書化すること。つまり職務記述書(JD)を整備することなのです。というのも、JDはジョブ型組織の基幹インフラであり、候補者採用、業務アサイン、「労働」時間管理、業績評価、報酬決定、人材育成など、官民&大小規模問わず あらゆる組織における人事労務管理の「大前提」だからです。

「異動」の取り扱いについても、あくまでもジョブをベースにAからBという職務に本人同意のもとで異動する(社内公募と会社推薦の併せ技)という仕組みにすればよいでしょう。

懸案の学校教育システムとの接合面(新卒シューカツ)については、ひとまずメンバーシップ型を維持し、入社後10年程度はモラトリアム期間(社内で「自分探し」の猶予)を与えること。ここはニッポン社会の強みとして、ひとまずキープしておけばよいでしょう(無理にそこからメスを入れる必要はありません)。

実は、すでに一定規模の日本企業であれば業務分掌規程という「課単位」のジョブの記載が存在します。JD は「担当者単位」でそれを仕分けて少し詳細に個人別にまとめるだけなのです。もちろん、JDに記載された仕事しかやらない!となってしまうと会社の業務は回りませんから、(担当者が長期休暇で不在中でも)ある程度周囲の人がカバーできるように(日本企業ほどではないにせよ)日頃からいくつかの業務をチーム内で重複させておくわけです。それでも不在中の担当者しかできない仕事は、その人が帰ってくるまで相手に待って貰えるようお願いしていくのです。(もっとも、何が何でもお客さんを一瞬たりとも待たせてはいけない!と脅迫観念的に考えている間はダメですがね…。)

思うに、今後も働く個人の職務を特定し文書化できない限り(つまり本来の雇用契約が締結できない限り)安倍首相の唱える一連の「労働改革」も、同一労働同一賃金の導入も全て絵に描いたモチ、砂上の楼閣でしょうね。

本当にクドいようですが、JDという世界標準の「労働の基本概念」を理解し、一刻も早くなじんでいくことが、われわれ日本人にとって極めて重要だと考えます。

投稿: 海上周也 | 2016年9月17日 (土) 14時44分

海上さん、私は論客でもなんでもないよ(笑)
自分でブログなんて向いてないからこちらにパラサイトしているだけ(笑)。
あなたの経験に基づくコメントはおそらくあなたのコメントに最初に申し上げたと思いますが、貴重なんですよ。
迫力があるんです。
賛同するかどうかは別でね(笑)。でも親和してきていますね。
どしどしとコメントされたらいいんです。私は門外漢ですし、勉強させてもらっております。
でも、口が滑ったではなく、筆が滑っただね(笑)。これも怪しいけど。
経験は体系化できないと、そして公知に(オープン化)、そして検証可能=再現性=反証可能性担保であることが説得力を持つ唯一の手段ですから、あまり情緒的ではない実証をコメントください。

投稿: kohchan | 2016年9月17日 (土) 17時44分

のこぎりさんへと追記です。海上さんの期待通りではありませんよ(笑)。

素直に感じられるコメントは素敵です。
日常を日本で過ごすひとの?な感想ですし、自然です。
あえて問題を想起させる為のブログですから、それはそれで有益です。

で、しかし、どうもはまちゃん先生手法が短い間で観てもホメオパシー相似なんです。
以下、書き連ねますから親和していると思われたら私同様に違和感をもたれる因果律になるかもと思われます。
ただし、はまちゃん先生全面批判ではありません。違和感の表明です。
①反証を避けるためアドホックな仮説(海外論説)に頼る
②反証(誤りの論証)より確証(正しさ)を強調
③ファンでなく懐疑者に立証責任を求める
④ブログの場合査読はないので、コメントへの回避
⑤連続性の欠如(積み上げ=進歩)
つらつらですが、大方で上記のいずれかに抵触するとお感じになれば、その因果律は可能性を否定できません。
くれぐれも申し上げますが、はまちゃん先生全面批判ではなく、わたくしも違和感をもつとは上記に抵触しそうな場面が多々経験値より感じられたのみで、実証研究ではありませんのでその点ははまちゃん先生および皆さまご了解おきください。

主観を綴れば、ブログ(個人の意識)を簡素に広域拡散してしまう情報技術に我々が追いついていない現時点での人間の知性敗北かなと考えます。
ですから、コメントに書き連ねたカーツワイルには同意しませんが、シンギュラリティは技術より我々の意識にあると考えるほうが、進化論(斉一説と激変説の総合=確率論と不確実性の混合)としても、意識の主体が我々にある限り自然であろうと思います。それを突破されたら・・・そこにも自然選択があるとしても、これこそ激変説の時来ると思います。
その時に(いつかが問題ですね)本ブログの生命力は立証されるのかおしれません。遅いのですがね(笑)。

投稿: kohchan | 2016年9月17日 (土) 18時43分

労働力≒部品≒商品であったとしても、労働力も雇い主も客も人間なんだから融通効かさずにぶった切っていいはずがないだろ。

こういうことやって何の利益になるの?
はみ出してしまった労働時間はしかたがないのだから残業代貰えばいいやん。

そもそもこの愚行にニュースバリューがある時点で、当該国でも特異で奇妙な事例ということは明らかです。

こういう空気読めないのも居るから、人間力(笑)ってのも案外軽視できないですね

投稿: 阿波 | 2016年9月17日 (土) 23時41分

うーん。阿波さんの意見には?ですね。
あくまで契約関係であり、また就業規則などで上記内容の場合などの取り決めがあれば別ですが、ない場合は退勤は問題ないでしょ。
やはり、あくまで労働力の処分権を時間で切り売りしているわけで、時間延長したければ雇用側が然るべき提案なり指令(無論事前に周知し同意を得る)を出すのが筋でしょ。
それが資本主義の当たり前では?
無論その結果は仕事<お金であり、一国全体の産業の発展にはマイナスかもしれないけど、労働生産性は高い(笑)。また、仕事と自分の時間の違いも明快で分かりやすい。極端な話、仕事はお金を得るための手段であり、お金は生活するための手段であり、生活は自分と家族が幸せに過ごすこと、というように位置づけが明確なのでは?
日本では仕事>お金であり、仕事<人間であり、人間=成長(でも要するに修行であり悟りでし)のような精神論であり、楽しみや価値が見えない。
一見して労働=手段、労働力=ロボットですが、そもそもロボットは人間の工場労働を機械化しただけだし、ロボット=工場労働批判するなら携帯電話とか中国の工場労働とか批判しないと。(それはそれで大切だけどね)
だから、問題は人間ロボットをどう人間的に保護するかであり、人間ロボットを廃絶することではないけど、最初に後者が出てくるのは第二インターやマルクスから来る「疎外論」な故であり苦笑するしかないけど、意外と日本的な情緒もこれに近いというのは興味深いです。
あと経済、市場、労働を手段やシステムと捉える反面(が故に?)、政治に人権や理念を重視するのは、決して市場が全てではないという考えを裏返していて、存在が意識を規定する際の存在が社会的有用労働のみであるとしたら、日本の左翼は本当につまらない魅力のないものだなぁと思います。
長文失礼♪

投稿: 高橋良平 | 2016年9月18日 (日) 21時56分

新左翼の人が礼賛する日本型雇用の哲学的基礎には、初期マルクスの疎外論があるのですから。

昔のエントリですが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/post-132e.html

・・・・これをどう考えるかというのは、ある意味で哲学的な問いである。労働者が自発的に長時間労働するということは、それが「疎外された労働」ではなく、自己実現的労働になっているからだという面は否定できない。自己実現とは自己搾取なのである。家庭に帰りたがらず職場を家庭のように執着する「会社人間」は現在もっぱら嘲笑の対象になっているが、労働者が職場を家庭のように感じることのできない資本主義社会を人間の本質である労働からの疎外だとして糾弾したのは若きマルクスの「経済学哲学草稿」であった。

でも、労働者を部品扱いする資本主義的疎外を克服した理想郷は、部品扱いしてもらいたい労働者を無理矢理家族の一員として強制労働に駆り立てる地獄でもあり得るわけです。

その両面性を同時に認識しながら物事を考えていく必要があるのでしょう。


投稿: hamachan | 2016年9月18日 (日) 22時28分

>高橋良平 さん

元記事を読んだら、安全規制の運転時間上限を超えただけみたいですね。だから残業するしないとか労働者の在り方とか関係なく、これ以上運転したら違法ということですね。

投稿: 阿波 | 2016年9月19日 (月) 00時53分

高橋さんのこの部分=だから、問題は人間ロボットをどう人間的に保護するかであり、人間ロボットを廃絶することではないけど、(これ以下は私には専門でもないのでわかりませんが)は間近にAI進化到来とその上に成り立つ新しい産業社会を迎えつつある今日に大切な指摘であろうかと思います。
人間も自然の産物であると規定すれば、その人間により創造された機械一般が副産物、あるいは進化物であり擬制人間というか我々の複製とも考えます。
それを科学的見地であらためて見てみると、その後にあるはまちゃん先生コメントも専門でなくとも第3の変数として理解できますね。
ただし、はまちゃん先生コメントは専門家知見によく見受けられる選択バイアスの可能性の否定できませんが(笑)。
また、筆を滑らした。はまちゃん先生ごめんね。

投稿: kohchan | 2016年9月19日 (月) 07時38分

hamachan さん、阿波さん、kohchanさん返信ありがとうございます。
阿波さんご指摘の安全規制に従ったということは、運転手の振る舞いは時間給的な契約の発想というより、経験と専門性を基礎にした職能主義的な振る舞いである、ということになりますね。
あと、初期マルクス批判は、自分で書いておいて何ですが、資本主義初期の超劣悪な労働条件や平均寿命の短縮などを見るならば(といっても資本論の労働日の箇所を参照してですが(笑))、そのようなユートピア的な発想も当時なら仕方ないのかなと思いますが、現実に対する配慮を欠いたままの理念系だけが暴走するとするなら、それはそれでもはや社会病理の1つなのかなと思ってしまいます。
いずれにせよ、現実の労働実態に対して怒らなければならないポイントは必ずあるし、左派はそこにしっかり食い込んで欲しいのですが、もはや安倍様が…。もう誰でも良いや?(苦笑)

投稿: 高橋良平 | 2016年9月19日 (月) 22時28分

高橋さん
どうもです。で、本ブログコメントですので、やはり敬意を表し過去のエントリ活用した一言だけ。

左派、右派の方法論は思考実験世界だけでよろしいですね(笑)。今を生きるサンプルたる我々には福音をもたらさないことだけは実証済みでしょうから、ここは好き嫌いは別に松尾匡さんの本にあるように今だからこそ「縦割りではなく横割り」の立ち位置方法論に軍配を上げるべきかなと思われます。縦割りって党派性発想に親和し始めると左は左の中で、右は右の中で、いわば教祖信仰と跡目争いのような罵詈雑言の掛け合いで、これまたブログ・エントリの定番、生産性にも抵触するおもしろい因果律があります。我々大多数には迷惑この上ない厄介者になるのも史実ですよね。それぞれの信者は学問的になりますが”サイコ・ファクトによる信者”なのです。

投稿: kohchan | 2016年9月20日 (火) 08時00分

Kohchan さんへ

アドバイス?ありがとうございます。
そうですね。個人的拘りと一般的コミュニケーションは分けた方が良いですね。
hamachan さんの議論と存在が「左右」やソーシャル(僕はこの概念まだしっくり理解出来てません)とリベラル(同様)、そしてパターナリズム(勝手に登場(笑))などの様々な立場と現実の架け橋になっている(と私は思いますが)のに甘えているかもしれませんね。
以後程々に気を付けます。

投稿: 高橋良平 | 2016年9月20日 (火) 19時40分

出過ぎたことをいたしました。
高橋さんを活用させていただき、本ブログに集われる方々の無意識の中の意識の自己組織化に私は違和感を禁じ得なく、おそらくその範疇にはいらっしゃらないであろう方と高橋さんを位置づけましたので申し訳ないけど御礼返信に本ブログへの御礼=松尾さんの縦横の分類ですね=をよろしければ皆さまにも何かのヒントにとぱっと思いつきさっと忘れる認知的瞬間芸、旬がすべてですぐ忘れますので後先考えず(笑)コメントいたしました。
けっしてアドバイスなんぞ高尚なものではありませんから、松尾さんには悪いけど公立図書館にはあるはずですから読まれてみてはと思いました。はまちゃん先生がエントリに題材は紹介しておられます。

投稿: kohchan | 2016年9月20日 (火) 21時26分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/3288/67534321

この記事へのトラックバック一覧です: 労働者は時間貸しの部品@日本以外全部:

« フランス労働法の「破棄確認」 | トップページ | 大学中退の社会的意味 »