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2016年9月 1日 (木)

高等徒弟制

でね、ジョブのスキルが無ければ就「職」できないジョブ型社会だからこそ、こういう仕組みが作られるわけです。

ハイヤー・アプレンティスシップス、高等徒弟制

http://www.apprenticeshipguide.co.uk/higher-apprenticeships/

Landingpage_higherapprenticeships_2Higher Apprenticeships are a great alternative to university

Many now offer qualifications up to degree level

You will also receive training (on- and off-the-job), a salary and the opportunity to really start moving your career forward

All without paying hefty tuition fees or running up student debts

高等徒弟制は大学に代わる大きな選択肢だ

多くのコースが学位レベルの職業資格を提供している

あなたは(OJTとOffJTの)訓練を受け、給料をもらい、そしてキャリアを前進させる出発点を得られる

莫大な授業料や学生債務を負わなくてもいいのだ

ふむ、近年授業料が高騰しているイギリスでも学生債務は大きな問題になっているようです。

このリンク先にあるような、様々な、大学や大学院で授業料を払わなければ得られないような分野のスキルが、給料をもらって仕事をしながら身につけられ、資格も得られますよ、といううたい文句。

たまたま最近のデーリーテレグラフ紙に、

http://www.telegraph.co.uk/news/2016/08/15/apprenticeships-arent-second-class-degrees---they-are-a-high-pow/

Apprenticeships aren't second-class degrees – they are a high-powered route to qualifications and employment

徒弟制はB級の学位じゃない、とても強力な職業資格と雇用への道だ

てな記事が載っていたのですが、そもそも、学位と職業資格と能力が三位一体で、それがなければ就「職」できないジョブ型社会でないと、なぜそんなものが必要になるのかが分からないのでしょう。

奨学金問題とか考えるときに、ジョブ型社会のセンスで考えれば、それこそこういう高等徒弟制を、という発想になりがちなんですが、残念ながらこの日本では、この3つは全く別々もものとみんな考えているから、こういうのが役に立つ回路がそもそも閉ざされているわけです。

日本の企業は、(場合によっては奨学金を借りて)授業料を払って大学を出た人間に、そんなものは忘れろといった上で、まさにOJTでハイヤー・アプレンティスシップをやっているわけですから。

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コメント

う~ん?
ヘンリー・ダイアーって明治期の日本の実業教育に影響力を持った英国人がおりましたね。
そのあたりから時間軸で英国と日本の産業教育変遷と英国との差異を感じ取れないと意図せざるアジテートの危険性が・・・(笑)。
三好信浩氏が「明治のエンジニア教育 日本とイギリスのちがい」に記述があるようです。あくまで産業教育、それも時が止まったものですが。
スミスさんはかの時代、機械産業化により誰しも長期の徒弟制度は必要なくなると批判されましたが、時は移りそのものが変わりこうしたハイブリッドなものへ進化していくということでしょうか。
余談ながら、進化=よくなる式は通俗的な解釈でそれはそれでよしですが、進化=よくなる、を科学の社会では普遍としていないことも申し添える必要があるかなあと思います。

そういや"火の玉教授"氏のお説をコメント欄で触れた際に、kohchan氏がポスドク問題にまで言及してましたけど、その"火の玉教授"にしてさえポスドクを高等徒弟制として突き放した対応しかしていないんですよね。

http://29982998.blog.fc2.com/blog-entry-1112.html
「『教授の雑用ばかりやらされる』ということですがその雑用とはどういうことですか・・・普通は研究費の申請書、報告書の準備や仕上げの手伝いなどを院生にやらせることは良く聞く話です。しかしこれはまったくの『雑用』ではないはずです」「この種の雑用はあなたが将来研究者として独立した場合、この種の研究費申請と報告書作成のやり方を学ぶ機会ともなるのです。その機会を学ぶ必要がなくともこのようにして教授が苦労して研究費獲得した結果、あなたを始め研究室の研究が維持されていくのですからなんらかのお手伝いは当然とも言えます」「大学の助教や講師、准教授の職がほぼ全員に与えられれて当然とお考えのようです。しかしこれは誤解、勘違いに近いものです。このような大学の教職、研究職は博士課程、ポストドックで独創的な研究成果をあげ、その分野の学会で注目されて得られるものです・・・大学も『生き残り』をかけて良い人材を呼び込もうと競争するようになってきました。だからあなたたち博士課程院生にとってもっとも大事なことは独創的でその分野の学会で注目されるような業績をあげることです。若くしてノーベル賞候補クラスの業績の人を全く職なしのまま放置しておくなどはありえません」

こういう具合ですから、それこそポスドク問題に関して自己責任論を打っていたとしても何の不思議もありませんね。

杉山さん
お取り扱いありがとうございます。

先生は「俺に時代は…お前らもだぞ。より厳しくなっておるのだ!甘えるな!」との彼らしい考え方なのでしょう。
一方では実験研究世界は私も承知の通り生き馬の目を抜く日本文化とは真逆なアングロサクソン世界。明日はない世界ですからそれを生き抜かれた方…いわば旧軍人が心の底では己の行為を全否定できない心情に相似しているのかもしれませんね。
今も先般コメントで申しました「科学での経済徴兵制」は猛烈に勢力拡大中ですし、STAPを挙げることなく、古は名誉欲が。そして近代はそれに選択と集中予算傾斜配分と産業直結成果主義で青色吐息は研修室主催者含め国家が深く絡みだして深化しております。何らかの手を打つ(人間として)必要性はありますし、しかし淘汰のメカニズムを壊すことも合理的ではありません。内問題だけあれば合意もできましょうが、なにせ競争はワールドワイドですから厄介ですね。グローバルとはいずれのセクターにもこのような二項対立を超える知恵を出し合うことが必要であろうと思われます。
最近「ヒトはなぜ戦争をするのか? アインシュタインとフロイトの往復書簡」浅見昇吾訳 荷風社を読み、設問のセクターは違えど、ケインズ等にも通じる(良し悪しは別です)、あるいは幾度か紹介したベン・バーナンキ「戦火の塹壕の中では無神論者はいない。経済危機の際しては教条主義者はいなかった」とうい回顧録の言葉は、集合知を情報技術の普遍普及社会における解への絶対多数を占める志井の方々が参加する方法論として期待するとともに、一方で屈折したヘイト・コメントに見受けられるその人の姿も自らさらし消すことができない、やはりそれは個人化、細分化とは分業と協業のベネフィットと自己責任に集約してしまいがちなコストも重ね持つ「進化」の光と闇であろうと思います。
話がスィングバイしてしまい申し訳ありません。

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