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2016年9月 5日 (月)

労使折半の謎@『WEB労政時報』2016年9月5日

『WEB労政時報』2016年9月5日に「労使折半の謎」を寄稿しました。

https://www.rosei.jp/readers-taiken/hr/article.php?entry_no=572

社会保険は労使折半になっていますが、よく考えると、なぜそうなっているのかよく分からないところがあります。今回は、あまりにも当たり前になっているこの労使折半の謎について考えてみます。

 まず、社会保険と言っても全部が労使折半というわけではありません。労使折半になっているのは健康保険や厚生年金のような被用者保険であって、自営業者を対象に設けられた国民健康保険や国民年金のような非被用者保険は労使折半ではありません。非被用者保険は折半しようにも「使」がいないのだから(あるいは本人が「使」なのだから)、本人だけが拠出するしかない……という建前ですが、実際には非正規労働者の多くが健康保険や厚生年金から排除され、被用者なのに被用者保険に入れてもらえず、つまり使用者拠出をしてもらえず、本人拠出だけにされてしまっていることは周知の通りです。今では国民健康保険被保険者の4割近くが雇われて働いている人であり、・・・

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コメント

いつの間にか(知らず)私のロールっぽくなってしまった「Web労政時報」の初出しコメントをー

これは…いかにもHamachan先生の面目躍如たる、社労士トリビア的ネタ、いかにも数字フェチや統計オタクが喜びそうな話題ですね(実は、かくいう私も同類の統計オタク、Six sigma有段者ー黒帯候補者なのです…。)

誤解を恐れずに本コラムを要約/超訳すれば…

1、戦前の「労働保険」(労災保険と健康保険)の保険料は「労使折半」だったが、その50/50の算定根拠はどう見ても結論ありきのエイヤー(いい加減とも、イイ加減とも)な決め方だった。

2、敗戦後に分離した労働保険の内、「労災保険」は全額会社負担で今も問題ないし、ロジック整合性もOK。

3、他方、(私傷病災害をカバーする)「健康保険」までもが戦前の労働保険と同率のジェネラスな「労使折半」を踏襲したことは、今となっては本当に正しかったのか疑問多し…。

4、もっとも最近までは多くの労働者にとって労使折半はメリットだったはずも、反面、雇用主にとって「正社員」の雇い入れ負担感が増していったのも事実。

5、その結果、パートタイムや短期間の有期雇用労働者などの「非正規社員」への皺寄せ(加入外し)がなされ、さらなる格差を招いている。

思うに、戦前ー戦後間の「断絶」、比率算定ロジックの破綻は止むをえないでしょう。というのも、ある意味両者は全く別の国体〜軍国主義下の大日本帝國とGHQ占領下の民主主義ニッポン、ですから…。先日のニュース「日本国憲法はわれわれが作った」ではないですが、「労働法も戦後われわれが作った、戦前との整合性はなくて当然!」と一蹴されそうな勢いですので…。

投稿: 海上周也 | 2016年9月 5日 (月) 22時32分

本文を参照しておりませんが、エントリ等海上さんの視点が受益者選別の方法論として非正規労働を若干強調しすぎかな…わかりやすいのですが、そうすぱっと分類できるものかなあ?いずれかには「うんうん!そうだよな」と今を見ると見えなくするものがあるようにも思われます。大切な視点であることは重々承知でありますが、複眼的に見て今の健保組合内部での高齢者への負担増に対する姿勢を鑑みますと、折半負担きっかけの事実はひとつでしかないことは事実でも、今や折半プレーヤー両者がまわりまわって「自分たちの保険財源をなんで強引に持っていかれるんだ?自己責任じゃないの?高齢者も負担増させてよ」と時間軸共闘(今回の野党統一のようにですね)している新しい事実をともすると隠してしまいがちになるナイーブさをも感じました。批判ではありませんよ。もうすこしこうした重要なトレンド問題は、いつぞやの看護の本エントリでも危惧を表明したコメントとリニアしたものです。複眼は大切です。なぜなら、パラサイトな私のコメントもなにやら幽霊のようにネット上をさまよっているようですので(笑)。ただしズバッとした意見も議論を起こす意味からも不可欠だと思っております。
海上さんもブログをやっておられるとはついぞ知らず、小生が出てくる有様を見て「うひゃ」と楽しみました。

投稿: kohchan | 2016年9月 6日 (火) 08時43分

本日(2016.9.13)日経夕刊トップ記事「健康経営にIT活用」をお題に。
情報テクノロジーを企業も、もっと国民に、それはビッグデータ活用を、は持論でございまして、医学界にはその反作用を危惧する意見もございます。要は、結果帰結か個人尊厳か、功利的かカント的かの社会的便益と個人の尊重を学生に議論してもらいますが本ブログの雇用に関する志向から鑑みますと、こうした取り組みはよいはよいとしても、この企業姿勢はメンバーシップ型に親和する取り組み方のように思われ(その後ろにあるいろいろな思惑もお考えください)ます。費用対効果と体制維持ですね。テクノロジー最適化は受け入れるが、体制維持はいわば徳川幕府末期の様相。わたしはそれを同じとは論じておりません。ステージは全く違いますので、史実に明るい方に安易に利用されると困りますので申し添えます。
さて、それに抗される方はこの動き(政府方針にシンクロしているということですね)にどのように反応されますか?
ミクロとマクロは親和しない筋の話ですので難しいと思いますが、日本の社会における「人生の口座」のあり方を定義しなければならない問いかけです。史実(過去問題)ではなく、今から未来への絵をお描きくださいという問いかけです。
金融セクターに言い換えると、金属主義or表券主義のどちらに親和されますかということでしょうか?

投稿: kohchan | 2016年9月13日 (火) 18時21分

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