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2016年9月

『私の「貧乏物語」 』

0611530 岩波書店の山本賢さんより、岩波書店編集部編『私の「貧乏物語」 』をお送りいただきました。

http://www.iwanami.co.jp/moreinfo/0611530/index.html

日本では非正規雇用比率が4割を越え,セーフティネットが手薄なまま,若者,女性,高齢者など多くの人たちが貧困や孤立にあえいでいる.そんななか,希望はどこにあり,生きていくための支えがあるとしたら,どのようなものか.各界の36名が体験的に綴るいくつもの「貧乏物語」から,そのヒントをさぐるエッセイ集.

というわけで、こういう有名人が自分の貧乏だった頃の話を語るという趣の本です。

浅井愼平,井手英策,井上達夫,内澤旬子,蛭子能収,沖藤典子,金原瑞人,亀井静香,栗原康,小出裕章,古賀誠,小坂井敏晶,小関智弘,最首悟,斎藤貴男,佐伯一麦,佐伯泰英,佐高信,髙田明,武田砂鉄,出久根達郎,鳥居,永田和宏,橋本治,福山哲郎,ブレイディみかこ,星野博美,益川敏英,松元ヒロ,水島宏明,森達也,安田菜津紀,安彦良和,湯浅誠,吉原毅,吉田類

いかにもという人もいれば、え?この人が?という人もいますが、まあ、ぱらぱらとめくって見てください。

個人的には、バブル時代に高校生活を送ったブレイディみかこさんのこのエピソードが印象的です。

・・・それからしばらくすると、今度は学校帰りにスーパーでアルバイトをしていたのがばれた。着替える時間がなくてセーラー服のままでレジを売っている姿をOBに目撃され、学校にチクられたのである。担任に呼び出され、どうしてアルバイトをしているのかと聞かれたので、

「通学の定期を買うためです」と答えると、彼は顔を真っ赤にして言った。

「嘘をつくんじゃない。今どきそんな高校生がいるわけがない」

彼の瞳には一点の曇りもなく、ひたすら正義感に燃えていた。一億総中流幻想を信じすぎていたのである。私はため息をついた。やはり自分が貧しいということは絶対に他人に言ってはいけないことなのだった。・・・・

これを読んで、逆に今の若い人々からは、そんな幻想にみんなが浸っていた時代があったのか、と不思議に感じるかも知れません。高校生が貧しくてアルバイトで学費を稼がなくてはいけないという状況が違和感なく通じる今日には。

いやそうだったのですよ。そういう時代が間違いなくあって、世の中のそれでもそれなりにあちこちにあるはずの貧困が見えなくなるほど豊かな日本万歳イデオロギーが津々浦々に浸み渡っていた時代が確かにあったのです。

その他の人々のエッセイのなかにも、じわじわくるのがいくつかあります。

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武石恵美子『キャリア開発論』

9784502198410_240武石恵美子さんから新著『キャリア開発論―自律性と多様性に向き合う』(中央経済社)をお送りいただきました。ありがとうございます。

http://www.biz-book.jp/%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%AA%E3%82%A2%E9%96%8B%E7%99%BA%E8%AB%96%E2%80%95%E8%87%AA%E5%BE%8B%E6%80%A7%E3%81%A8%E5%A4%9A%E6%A7%98%E6%80%A7%E3%81%AB%E5%90%91%E3%81%8D%E5%90%88%E3%81%86/isbn/978-4-502-19841-0

キャリア開発についての体系的・実践的なテキスト。「自律性」と「多様性」をキーワードに、具体的トピックスやデータを織り込みながら個人・企業・社会の視点から解説。

目次は下の通りですが、まさにテキスト的な構成ではありますが、後ろの方を見ていくと、「ブラック企業問題」とか「非正規雇用とキャリア開発」といったトピックも取り扱われており、今日的な関心にも対応するものになっています。

第1部 全体像をつかむ(キャリア開発とは何か
キャリア開発の主体
経営環境とキャリア開発の変化
求められるキャリア自律)
第2部 テーマごとに考える(ダイバーシティ経営
正社員の多元化とキャリア開発
ワーク・ライフ・バランスと働き方改革
女性のキャリア開発
育児期のキャリア開発
介護責任とキャリア開発
再就職者のキャリア開発
ブラック企業問題
非正規雇用とキャリア開発
自律性と多様性に向き合う)

はじめの方の「キャリア開発の主体」のところでも、日本の雇用システムとキャリア開発といった論点が出てきますが、やはりここでは後ろの方の「ブラック企業問題」を取り上げた第12章を見ておきましょう。

「ブラック企業の背景」というところで拙著等も引用しつつ分析したあと、「ブラック的な働き方への対処行動」というところで、「退出か発言か」と、「発言」メカニズムにも関心を引っ張っていきます。

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heartbeatさんの拙著書評

131039145988913400963_2heartbeatさんの「Just read it !」というブログが、安倍総理の働き方改革に引っかけて、拙著『新しい労働社会』を詳しく紹介、書評していただいています。

http://just-read-it.book-lovers.net/better-society/hatarakikata-01/

・・・最初にご紹介するのは、濱口桂一郎著、「新しい労働社会 ― 雇用システムの再構築へ」(岩波新書)です。この本を、まず始めに読んでいただきたい。一度読んだ方でも、ときどき原点を振り返る必要ができたとき、また、さまざまな論点の関係性を整理したいときなどに、リファレンスとして再度目を通していただくと、そのたびに理解を深めてくれる教科書のような本です。新書というボリュームも座右に置いて負担になりません。

・・・本書は、これらのさまざまな労働問題の論点を、読みやすい簡潔な文章ですっきりと整理しています。どのように整理するかというと、現在の日本型雇用システムについて、それができあがった歴史的な背景をひもとき、また、欧米型の雇用との国際比較を試みます。濱口氏は労働官僚ですが、日本型雇用システムの問題点に気づき、独自の労働政策論を掲げ、とにかくきまじめに課題解決に取り組んでこられた。そのような印象を行間から感じます。・・・

そして私の議論を丁寧に一つ一つ取り上げて紹介していくのですが、とりわけ有り難いと感じたのは、人によっては異端扱いされかねない第4章の議論を、正面から受け止めていただいていることです。

・・・濱口氏は、この正規・非正規という労働者間の利害調整と合意形成に向け、「さまざまな困難があるにしても、現在の企業別組合をベースに正社員も非正規労働者もすべての労働者が加入する代表組織を構築していくことが唯一の可能性である」とうったえます。濱口氏のこの方法論に対し、リアリティがないと一蹴することはかんたんですが、混迷する雇用論議に一石を投じていることは確かです。

いったいだれが濱口氏の主張を嗤うことができるでしょうか。安倍総理の呼びかけを本気で受け止められない与党政治家、ミクロの対立構図に埋没しがちな野党、総論賛成でも各論ではおよび腰の企業経営者、組織率の退潮著しい労働組合、体系的議論が苦手なマスメディア、そして最大の既得権者である正規社員ひとりひとり・・・。それぞれが、日本型雇用システムの問題点について、見て見ぬふりをし、議論から逃げているようにさえ見えます。

もう7年前の本ですが、集団的労使関係こそが問題解決への王道だという考えがいまほど重要になっている時期はないのではないかと思っています。

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渡辺・平子・後藤・蓑輪編『資本主義を超えるマルクス理論入門』

28029430_1渡辺憲正,平子友長,後藤道夫,蓑輪明子編『資本主義を超えるマルクス理論入門』(大月書店)を、編集部の角田三佳さんよりお送りいただきました。ありがとうございます。

http://www.otsukishoten.co.jp/book/b244348.html

革命、経済、歴史に関する基礎理論を解説し、女性/家族、エコロジー、ナショナリズムなど現代の問題をマルクスの視点から考察。

大月書店と言えば、最近でこそ労働問題や貧困問題など社会派の本を手広くやっているという印象ですが、恐らく私より一回りか二回りくらい上の世代になれば、マルクス・エンゲルス全集の出版元というイメージが一番強いと思われます。

その大月書店が、満を持してか否かはともかく、マルクス理論の入門書を出すというのは、やっぱり世間で流行っているんでしょうね、マルクスが。

いまマルクスを学ぶ意味:渡辺憲正
第1部 マルクスを読む
第1章 社会を変える
[1]革命と将来社会:後藤道夫
[2]階級闘争の理論:後藤道夫
[3]私的利害と共同利害――国家と法律:後藤道夫
第2章  資本主義を批判する
[4]物象化された生産関係としての市場:平子友長
[5]剰余価値の生産と資本主義的生産様式:平子友長
コラム「『資本論』後のマルクス」:平子友長
[6]私的所有の特殊性と労働者の無所有:平子友長
[補論]ロックの問題
[7]資本蓄積と貧困:平子友長
 コラム フェミニズム世界システム論:平子友長
[8]恐慌:前畑憲子
[9]植民地化と世界市場:渡辺憲正
[補論]エンゲルス編『資本論』からマルクス自身の『資本論』へ
――新メガと研究の最前線:平子友長
第3章 唯物論的歴史観の創造
 「唯物論的歴史観の定式化」(資料)
[10]土台と上部構造:渡辺憲正
 コラム「カール・マルクス問題」:渡辺憲正
[11]支配の思想とイデオロギー:渡辺憲正
 コラム「『ドイツ・イデオロギー』編集問題」:渡辺憲正
[12]人類史の構想:渡辺憲正
[13]共同体/共同社会とその解体:渡辺憲正
[補論]マルクスの唯物論理解とエンゲルス:後藤道夫
コラム「ソ連マルクス主義の唯物論理解──「古い唯物論」の継承と共産党独裁」:後藤道夫

第2部 マルクス理論の射程
第4章 生と生活を問う
[1]女性/家族/資本主義:蓑輪明子
コラム マルクス、エンゲルスの理論と現代フェミニズム:蓑輪明子
[2]エコロジーと農業:渡辺憲正
[3]社会的疎外と宗教:亀山純生
[4]現代平等論とマルクス:竹内章郎
第5章 社会統合と危機
[5]ネイションとナショナリズム:渡辺憲正
[6]20世紀の大衆社会統合と社会主義:後藤道夫
コラム「グラムシ」:後藤道夫
[7]現代の経済危機:小西一雄
[8]物象化論が現代に示唆するもの――「再商品化」の矛盾と対抗:後藤道夫

しかしこの本、表紙に「入門」と唱っている割に、始めからずいぶんガチですね。

いやいやこれ、入門どころか、恐らく著者たちが内心想定して書いている読者層ってのは、マルクス研究者業界のあの人だったりこの人だったりするんじゃないかというのが、むしろ一読した感想。

とりわけそうですね、第2章[4]で、物象化(Versachlichung)と物化(Verdinglichung)は違うんだという議論を展開している所などは、本気で入門のつもりで読み始めた人にとっては、かなりのものではないかと。

あと、個人的には拙著『働く女子の運命』でマルクス経済学による生活給の正当化の議論を紹介したこともあり、第4章[1]は興味深いものでした。ここは、もっと突っ込んで議論を展開して欲しかった感があります。

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安西愈・木村恵子『労働者派遣のトラブル防止と活用のポイント』

2472495001 弁護士の安西愈・木村恵子両氏の『実務の疑問に答える労働者派遣のトラブル防止と活用のポイント』(日本法令)をお送りいただきました。ありがとうございます。

http://www.horei.co.jp/item/cgi-bin/itemDetail.cgi?itemcd=2472495

労働者派遣は、労使二者間で結ぶ労働契約よりも当事者の契約関係が複雑なため、実務上迷うところが多いが、平成24年・27年改正法の施行でより理解が難しくなった労働者派遣法には、派遣労働者の受入れ・就業上の措置における法違反への罰則だけでなく、派遣先による「労働契約申込みみなし制度」も導入されているため、実務担当者には正しい理解が必須となる。

本書では、適正に実務を行うことができるよう、法令等に基づき解説するとともに、実際に著者に寄せられた疑問に応えるQ&Aも多数収録。

超詳細な目次がこちらにありますが、

http://www.horei.co.jp/ec/item/contents/2472495.html

447頁にもなんなんとする分厚い実務書です。

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捨ててあった本・・・・

Img_752f5d874047328e26f434ce08fbda5ツイートにこんなのが・・・。

https://twitter.com/by0AM/status/780183509914693632

会社の図書室に捨ててあった「働く女子の運命」という、上野千鶴子氏の写真が帯にあるアレな本を拾ってきたが、期待してなかった割に労働法制史としてはかなり面白い。

いやいや「捨ててあった本」ですか。しかも、「上野千鶴子氏の写真が帯にあるアレな本」と。でも、そこまで「期待してなかった」本を読んで、「労働法制史としてはかなり面白い」という感想を持っていただいたのですから、まずはよしとしませうか。

できれば捨てないで欲しいです。

も一つ、

https://twitter.com/Coro_Aube/status/780039002875236352

「働く女子の運命」も読了。タイトルは軽い感じだけれど,中身は非常にしっかりした内容だった。労働法は門外漢なのだけど,それでもとてもわかりやすかった。「第一次ワークライフバランスが空洞化しているところに,異様に完備された第二次ワークライフバランスを持ち込むと何が起こるか。」→

https://twitter.com/Coro_Aube/status/780039890759057410

→総合職女性が「育休世代のジレンマ」に悩み,その周辺の人々が「悶える職場」が生み出され続ける,というくだりはなるほどーと思った。「女子」というタイトルがちょっと気恥ずかしいのだけど,一読の価値ありと思った。

すみませんねえ、気恥ずかしいタイトルで。でもまあ、「一読の価値ありと思」っていただいたようなので、有り難いです。

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鶴光太郎『人材覚醒経済』

357023鶴光太郎さんから新著『人材覚醒経済』(日本経済新聞出版社)をお送りいただきました。

http://www.nikkeibook.com/book_detail/35702/

「一億総活躍社会」は政権の人気取り政策ではないかと考える人々も多いかもしれないが、人口減対応・人材強化が日本経済の次なる成長にとって欠かせない条件だ。だが、アベノミクス第2ステージには旧目標と新目標が入り乱れ、混沌の様相を呈している。こうした状況を脱するには「一億総活躍社会」を目指して新3本の矢を束ねる横軸が必要だ。それは「ひと」にまつわる改革。眠れる人材を覚醒させる、教育を含む広い意味での人材改革と働き方改革だ。
本書は、働き方改革の根本は多様な働き方の実現ととらえ、そのためにどのような改革が必要か、どのような社会が生まれるのかを明らかにするもの。

第2次安倍内閣成立後、規制改革会議雇用ワーキンググループの座長として広汎な雇用制度改革の議論をリードしてこられた鶴さんが、その立場から外れて一息入れて思いを書き下ろした本というところでしょうか。

オビに書かれている文句が、鶴さんの思いを結構ストレートに表現していて、左側にでかく「働き方だけで日本は変われる」とありますし、真ん中あたりに小さい字で

「成長のアキレス腱となった無限定正社員システム。

その問題点を解決できるのはジョブ型正社員だけだ。

実力派経済学者が労働改革の具体策を提示。」

という3行が。

この文句からも分かるように、この本は

「元兇は日本の無限定正社員システム」

という原認識から、ジョブ型正社員への移行によって女性、労働時間、高齢者、若者、非正規、等々あらゆる雇用問題を解決に導こうとする意欲的な本になっています。

序 章 人材覚醒――アベノミクス第三ステージからの出発

第1章 問題の根源――無限定正社員システム

第2章 人材が覚醒する雇用システム

第3章 女性の活躍を阻む2つの壁

第4章 聖域なき労働時間改革――健康確保と働き方の柔軟化の両立

第5章 格差固定打破――多様な雇用形態と均衡処遇の実現

第6章 「入口」と「出口」の整備――よりよいマッチングを実現する

第7章 性格スキルの向上--職業人生成功の決め手

第8章 働き方の革新を生み出す公的インフラの整備

終 章 2050年働き方未来図――新たな機械化・人口知能の衝撃を超えて

というところからも窺えるように、その基本認識や政策方向において、私が過去数年来書いたり喋ったりしてきたことと、(若干の違いはあるものの)ほぼ同じスタンスに立っているといってよいように思われます。

実際、本書を読んでいくと、かなりの頻度で私の著書への言及があり、どのあたりで両者の認識がつながっているかが分かるでしょう。

もちろん、法律方面から攻める私と違い、理学部数学科卒業でオックスフォードで経済学の博士号を得た鶴さんですから、随所にそれは現れています。

たとえば、よくわかっていない軽薄な経済評論家ほど「硬直的な労働法が岩盤規制だ」などと言いたがるところで、「我々の心に潜む雇用システムの「岩盤」の打破」という見出しで、雇用システムをゲーム理論を駆使して比較制度分析し、

・・・したがって、雇用制度改革の岩盤は、個々の労働規制というよりは、むしろ我々の心の中にあると考えるべきである。

そうであるのならば、無限定正社員にまつわる諸問題を解決するためには、我々の頭=「岩盤」に「ドリル」を向けなければならないのだ。・・・

と明確に言ってのけます。ここで用いられる「ナッシュ均衡」「共有化された予想」「制度的補完性」といった概念は、私が法社会学的な言葉を使って何とか表現しようとしていたことを、軽々と見事に言い表していて、やっぱ経済学者さすが、という感想を抱かせます。この辺は、鶴さんが以前在籍していた経済産業研究所の故青木昌彦さんの影響もあるのでしょう。

上記目次をみて、1章だけやや他と異なる匂いを醸しているのが第7章の「性格スキルの向上--職業人生成功の決め手」というものです。いやこれ、正直言って、鶴さんがなぜ本書にこうして盛り込んだのかよくわからないのですが。

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性別・年齢等の属性と日本の非典型労働政策@『JIL雑誌』7月号

Jil07刊行から3ヶ月経ったので、『JIL雑誌』7月号に私が寄稿した「性別・年齢等の属性と日本の非典型労働政策」が全文アップされました。

http://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2016/07/pdf/004-013.pdf

論文の要約と目次は次の通りです。

「典型雇用」と「非典型雇用」という雇用形態の軸と、性別・年齢といった労働者の属性に係る軸は本来別物であり、現実にも必ずしも重なっていた/いるわけでもない。たとえば、高度成長期以前に注目された「臨時工」は、「本工」と性別・年齢等の属性が大きく異ならないと考えられ、それゆえに深刻な政策課題とされていた。
 しかしながら、とりわけ高度成長期に確立し、1990年代半ばまで維持されてきた雇用-社会システムにおいては、この両軸がかなりの程度重なると考えられ、それを前提に様々な政策が講じられ/あるいはむしろ講じる必要はないとされた。たとえば、パートタイマーは自らをまず家庭の主婦と位置づけ、その役割の範囲内で家計補助的に就労するという意識が中心であったため、職場の差別が問題視されなくなった。また派遣労働者は結婚退職後のOL、嘱託は定年退職後の高齢者、アルバイトは学業が主の学生とみなされ、こうした社会的属性が労働問題としての意識化を妨げていた。
 1990年代以降、いわゆるフリーターの増大をきっかけとしてこの両軸の関連性は徐々に低下してきているが、なおかつて確立していた雇用-社会システムの影響力は強く、一方の軸に着目した政策を採ろうとする際に、他方の軸から来るイメージがそれを妨げる傾向も見られる。

Ⅰ はじめに
Ⅱ 臨時工
Ⅲ 主婦パート
Ⅳ 派遣労働者と嘱託・契約社員
Ⅴ フリーター
Ⅵ 非正規労働問題の復活

今日の議論に対して重要なポイントを指摘していると思っていますので、関心ある皆さんにお読み頂ければと思っています。

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雇用仲介事業等の在り方に関する検討会報告書の一影響

例の「日本死ね」で有名になったいわゆる「増田」こと「はてな匿名ダイアリー」に、昨日夕方こういう一文が投稿されたところ、

http://anond.hatelabo.jp/20160925170021(転職ドラフト経由でY社の内定貰ったけど )

間髪を入れず早速その転職ドラフトのHPに

https://job-draft.jp/articles/92(転職ドラフト経由での選考における提示年収に関する問題について)

現在、当該問題における、今回の関連企業への対応方針、及び今後の改善案について、転職ドラフトチームで協議を進めております。
なお、改善案については別途ユーザーの皆様のご意見も頂戴したいと考えています。その際はご協力いただけたら嬉しく思います。

明日9/26(月)中に、転職ドラフトとしての見解、改善策を発表いたします。
どうあるべきかを考え、きちんと対応しますので、もうしばらくお待ちください。

という一文がアップされ、その反応の早さが話題になっているようです。

もちろん同社のフットワークの良さがその理由ではありましょうが、近い将来に予想される労働法政策の動きを念頭に置いた対応と見ることもできそうです。

というのも、既に本ブログでも紹介していますが、今年6月に公表された「雇用仲介事業等の在り方に関する検討会報告書」において、

http://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-11601000-Shokugyouanteikyoku-Soumuka/0000126456.pdf

(1)求人に際して明示される労働条件等の適正化

労働条件等明示等のルールについて、固定残業代の明示等指針の充実、虚偽の条件を職業紹介事業者等に対し呈示した求人者に係る罰則の整備など、必要な強化を図ることが適当である。

という一句が入っており、これをもとに、既に今月15日から労働政策審議会労働力需給制度部会で審議が開始されているのです。

http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi2/0000136932.html

ですから、まじめに雇用仲介事業の将来を考えている会社であれば、この話をほったらかしにしていたら下手なことになるかも知れないと考えるのは当然であって、その意味では、法律が作られる前からその予告だけで一定の影響を与えているケースと云う事になるのかも知れません。

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やや単純化しすぎでは?トッドさん

Img_2318d1e8a3438ef5699d8537f4eacce なぜか本国のフランスでよりも極東の日本での方が人気が高くなっているらしいエマニュエル・トッド氏。日本でやった最近の講演をまとめて日本語でとっとと出した本のタイトルが『問題は英国ではない、EUなのだ』。

http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784166610938

実はやや看板とずれがあり、後半の全体の4分の3近くはトッド自身の半生記だったりして、それほどイギリス論でもなければEU論でもない。

そして、タイトルに対応する部分も、正直やや突っ込み不足の嫌いが。

この本でトッドが言っている反EUのイギリスというのは、典型的には今回労働党の党首に再選されたコービンみたいなスタンスに近い。

確かにそういう部分が重要であることは間違いない。

実際、国民投票のときに本ブログに書いたこの記事で指摘したように、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2016/06/post-e515.html (EUはリベラルかソーシャルか?)

近年極めてネオリベラル的色彩を強めているEUに対するナショナルなソーシャル勢力の反発という面は間違いなくあるし、それが今日のEU政治を解く一つの(あくまで一つの)軸であることも間違いない。

でもね、とりわけイギリスという複雑怪奇な相手には、そういう単純な軸だけでは行かない。トッドはやたらボリス・ジョンソンを褒めあげているけれども、彼のポピュリズムをポデモスやシリザと同列に置くことはできないだろう。

ネオリベラルなEUを嫌がるソーシャルなイギリスとソーシャルなEUを嫌うリベラルなイギリスのねじれながら結合した姿を、トッドは自分をイギリス通だと強調しているけれども、やや捕らえ損ねているんじゃなかろうか。

彼のいうグローバリゼーション・ファティーグ(グロバル疲れ)というのは確かにあるけれども、彼自身言うようにイギリスはアメリカと並んでその先頭を切って進んできた国であり、そしてまことに入り組んでいるけれども、イギリスの中の反EU論(少なくとも保守党内のそれ)のかなりの部分は、ナショナルな社会制度を壊しにかかるネオリベなEUに対する反発ではなく、市場志向の政策をやたらに拘束しにかかるEUの「レッドテープ」に対する反発というかたちで表現され、共感されているということもまた紛れもない事実なのだから。

正直言って、本書は余りにも「時論」として、よくわかっていない極東の一般大衆向けに単純簡明な筋道を示そうとするあまり、過度な単純化に陥ってしまったように見える。

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EU最低賃金制?

Investment_plan_cash_euro_money_cr EurActivに、「Minimum wage debate in EU centres on social dumping, ‘fair pay’」(EUの中心でソーシャルダンピングに関して最低賃金の議論-“公正賃金”)という記事が載っています。

http://www.euractiv.com/section/social-europe-jobs/news/building-momentum-for-a-european-minimum-wage/

Germany’s adoption of a minimum wage in 2015 and the EU’s repeated talks over posted workers have paved the way for the adoption of a European minimum wage. But political resistance in some quarters is still strong. EurActiv France reports.

2015年のドイツの最低賃金導入と海外派遣労働者に関するEUの繰り返される議論とが、EU最低賃金の導入への道を舗装している。しかし一部の政治的抵抗はなお強い。

最近欧州議会でそういう動きがあったようです。

As a precursor to these discussions, the European Parliament’s rapporteur on social dumping, French Socialist Guillaume Balas (S&D), recommended the progressive enforcement of a European minimum wage.

This, Balas said, should be fixed at 60% of each country’s median national wage.

これら議論への先駆けとして、欧州議会のソーシャルダンピングに関する報告者であるフランス社会党のギヨーム・バラは、欧州最低賃金の段階的導入を勧告した。

バラによれば、それは各国の賃金中央値の60%に設定されるべきである。

欧州委員会のトップも興味を示しているとか。

The idea of advancing the question of fair pay was also recently supported by the President of the European Commission.

“Workers should get the same pay for the same work in the same place. It is a question of social justice,” Jean-Claude Juncker said in his State of the Union Speech last Wednesday (14 September).

公正賃金の問題を進めるという考えは欧州委員会の委員長も支持している。

「労働者は同じ場所での同じ仕事には同じ賃金を得るべきだ。これは社会的正義の問題だ」ジャン・クロード・ユンケルは先週水曜日(9月14日の施政方針演説でこう述べた。

しかし、これはそう簡単な話ではありません。

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数少ない生き残り働くオバサンも納得の書

Img_752f5d874047328e26f434ce08fbda5 拙著『働く女子の運命』に、長年女性差別を身に沁みて経験されてきた「均等法直前世代」の女性が、じわじわくるアマゾンレビューを書かれています。

https://www.amazon.co.jp/product-reviews/4166610627/ref=cm_cr_dp_synop?ie=UTF8&showViewpoints=0&sortBy=recent#R29CA42OUR8DV4

濱口先生のような東大卒・キャリア官僚も務められたエリート男性が、日本の働く女性が置かれている状況をかくも正確にとらえられ、わかりやすくフェアに著述されていることに非常に驚いた。私の偏見だが、この世代の男性は、「女は馬鹿でいい。家にいろ」が主流で、働く女を異物・色物としか見ていないオジサンがほとんどだからである。

というところから始まって、かつての経験をこれでもかこれでもかと書き連ねます。

私は、均等法直前世代である。

その頃の日本はひどかった(今もひどいが)。今のようにWEB経由ではなく、電話をかけて会社説明会に行き、面接、内定となるが、大手企業の求人票には堂々と「男子のみ」と記載されていた。

電話をかけ、某国立大の学生であるむねを告げると「はあ?国立大の女子?。うちはねっ、やる気のある女なんかいらないの!!!」と電話をたたききられたものである。

努力しても、女は報われないということを、私は22歳にして悟った。勉強にはなったが、頭にきた。

ブルース・スプリングスティーンのBorn in the USAではないが、はらわたが煮えくり返る思いで生きてきたのである。

・・・気が付くと、同期女性はほとんどいなくなってしまった。結婚、出産、育児。日本の会社は長時間「いる」ことを要求する。育児・家事をこなしながら、おっさん並みに会社にいろとは、土台無理な話である。

それでも頑張ったのは、

それでもやめなかったのは、周囲の男が、男というだけで優秀でもなんでもなく、ただ単に日本という男に甘い社会に守られて下駄をはかせてもらっているだけの存在だったからである。なにくそと思った。負けるものか。ここまで来たのは意地だけである。

ということです。

最後に、拙著に言及して、少しは恨みが晴れたと・・・。

いろいろぐちゃぐちゃ書いたが、濱口先生は、日本で女が真面目に働くことの困難さを豊富なデータを背景に見事に説明なさった。ありがとうございます。男性でも先生のような方がいるとわかって、長年の恨みつらみが少しは溶けました。

はい、ありがとうございます。コスタデルソルさんの恨みを晴らすのに少しでもお役に立てたとすれば嬉しいです。

もう一つ、愛知県豊田市で「自立を支援する社会保険労務士」をされている天野初音さんがそのブログで拙著を書評されています。

http://blog.livedoor.jp/hrconsultant/archives/65996648.html

 今では普通のことですが、私の同世代で大学に行った女子は、10パーセントもいないくらいだったのでは?当時は短大が全盛期で、女の子は就職したければ、短大に行くという考えが一般的でした。それに反して大卒女子の就職は厳しく天気予報の"どしゃ降り"に例えられていました。均等法の1年前で、女子の総合職もなく、結婚したら退職するのが慣例で、女性社員は結婚までの「腰掛け」と言われ、バラの花束をもらって「おめでとう」と祝福され"寿退社"していく先輩をたくさん見てきました。仕事がしたいから、働きたいから長く勤めるのではなく、結婚できないから長く勤めると思われていた時代です。労働基準法は女性労働者の保護規定があり、残業時間も制限され深夜労働はできませんでした。

   でも、そもそも女性の採用がなかったり、男性は定年が55なのに女性は30歳だったり、女性は結婚したら家事や育児があるから仕事がおろそかになると、大切な仕事は任されず、軽作業ばかりだったり、女性の賃金のピークが25歳でそれ以上長く働くと減給されたり、先輩達の苦しかった時代 から、徐々に働く環境が整ってきたのです。この本はそんな女性の労働の歴史が書かれています。・・・

こちらも「均等法直前世代」の女性の思いが伝わってきます。

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欧州労連は会社役員会への労働者参加制を主張

Executive_committee_new_team_12下記「ドイツの労働者重役制はEU法違反!?」記事の冒頭で、欧州労連が「会社重役会における労働者代表が政治的アジェンダに戻りつつあるとき」と言っているのは、フランスやイギリスの政治的状況を指しているのですが,もう一つ、欧州労連自身が近年、再びEUレベルの指令で情報提供・協議だけでなく、それを確実にするために会社の重役会への労働者代表の参加を義務づけるべきだと主張していることが背景にあります。

今年6月の執行委員会で欧州労連は「情報提供、協議及び役員会レベルの代表権に関する新たなEU枠組みのための方向付け」というポジションペーパーを採択しています。

https://www.etuc.org/documents/etuc-position-paper-orientation-new-eu-framework-information-consultation-and-board-level#.V-Tac9Ff270

これによると、現行よりさらに強化した情報提供・協議の規定に加えて、この指令は役員会における労働者代表の制度を義務づけるべきとし、役員会の労働者代表は株主代表と権利義務に変わりのないフルメンバーとして参加し、労使協議会の委員と同様解雇や不利益取扱いから保護されます。機密事項に関しても株主代表と同等の権利と義務を有するべきであり、制限すべきではない。このポジションペーパーはエスカレーターアプローチと称して、企業規模に応じて労働者代表比率を変える仕組みを提案しています。具体的には、50-250人規模の小企業では2-3人の低比率で、250-1000人規模の中企業では役員会の3分の1とし、1000人以上規模の大企業では労使同数とするというものです。

世界全体が労働者志向、生産志向の資本主義から、投資家志向、金融志向の資本主義に滔滔と流れる中で、あえて一見古くさく見えかねない労働者の経営参加という政策を鮮明に打ち出してきており、どの程度影響力があるかどうかは分かりませんが、労働関係者としては注目していく必要があることは間違いないでしょう。

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ドイツの労働者重役制はEU法違反!?

欧州労連のホームページに興味を惹く記事が載っています。9月21日付けで、「ECJ to declare composition of German company boards illegal? 」(欧州司法裁判所はドイツの会社重役会の構成を違法と宣言する?)というセンセーショナルなタイトルです。

https://www.etuc.org/press/ecj-declare-composition-german-company-boards-illegal#.V-SIVdFf270

PeterscherrerJust as the representation of workers on company boards is getting back on the political agenda*, an attempt is being made to get the German system of board-level worker representatives declared illegal!

会社重役会における労働者代表が政治的アジェンダに戻りつつあるとき、ドイツの重役レベル労働者代表制が違法とされるかも知れない企てがなされつつある。

A case is being brought to the European Court of Justice (ECJ) claiming that the German law is discriminatory for the subsidiaries of German companies in Europe and therefore incompatible with European law.   

ドイツの法律はドイツ会社の子会社に対して差別的であり、それゆえEU法に違反するという訴えが欧州司法裁判所に提起された。

To highlight this threat to the cooperation between companies and trade unions, an essential part of the German economic success story, the leaders of the European Trade Union Confederation (ETUC)  and German Trade Union Confederation (DGB) are taking part today in a legal conference in Luxembourg, the seat of the ECJ. 

ドイツの経済的成功の要因である会社と労働組合の間の協調に対するこの脅威を明らかにするため、欧州労連とドイツ労連は本日ルクセンブルクで法律会合を開いた。

“I am very alarmed that the German system of workers on company boards is being challenged in the European Court of Justice” said Peter Scherrer, Deputy General Secretary of the ETUC. “Workers’ rights have not always been sufficiently respected by the ECJ in recent judgements. We all have very bad memories of cases like Laval and Viking. We really do not need another set-back.” 

「私はドイツの労働社会者重役制が欧州司法裁判所で挑戦を受けていることに極めて危機感を持っている」「近年の判決において、労働者の権利は必ずしも充分に尊重されていない・・・」

“Instead of trying to strike down the German system the EU should be debating how to get workers on boards all over Europe.”   

「ドイツの制度をたたき落とすのではなく、EUはその全域にわたって労働者重役制に向けて議論すべきだ」

The conference, organised by the Hans Böckler Foundation and the Chambre Des Salaries Luxembourg, takes place today, with speakers Reiner Hoffman, President of the DGB  and Peter Scherrer, Deputy General Secretary of the ETUC.

詳しいことはよくわかりませんが、市場主義的な色彩が強まって久しいEUにおいて、かつてはドイツ型労働者参加システムをEU全域に広めようとしていろいろ摩擦が絶えなかったことを思い起こすと、世の中の流れの方向性が全く逆向きに動いているのだなあ、ということがよく窺えるニュースです。

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日本型雇用の終わりの始まり@倉重公太朗

労働調査会のHPの労働あ・ら・かるとというコラムに、弁護士の倉重公太朗さんが「均衡処遇を巡る近時の動向から見る、日本型雇用の終わりの始まり」というエッセイを書かれています。

http://www.chosakai.co.jp/information/16679/

近年の労契法20条やパート労働法8条・9条の均衡処遇を巡る裁判をざっと概観した上で、ややマクロ的視点からこう省察されています。

・・・これらの裁判例の出現から導かれるのは、日本型雇用の「終わりの始まり」である。

  日本型雇用の3大特徴(終身雇用、年功序列、企業内労組)を背景に、正規社員はメンバーシップにおけるメンバーであり、非正規雇用はメンバーではないため待遇差があって当然という、これまで通用していた考え方が通用しなくなっているのである。

  方向性という意味では、今回の判決は、「正社員」という身分(メンバーシップ)の有無ではなく、従事する業務、責任、企業での位置付けから待遇を決すべきという職務給的な考え方に基づくものであると捉えられる。そうだとすれば、これは旧来型の日本型正社員像ではなく、いわゆるジョブ型正社員と親和性のある議論であり、筆者としては、今後の企業慣行が変わっていく可能性を示唆するものであると捉えている。

  つまり、転職市場の活性化、雇用流動化(労働調査会、『なぜ景気が回復しても給料が上がらないのか』参照)という方向性に向けた第一歩という意味では、日本型雇用の転換点として位置付けられるものなのである。

拙著で論じた議論の構図に沿ったかたちでメスを入れています。そして最後には、

・・・一つ言えることは、この均衡処遇問題を通じて問われていることは、非正規社員の存 在意義、言い換えれば、自社における「正社員」とは何なのか、という点にある。

  「なぜ、日本の正社員は非正規社員よりも給料が高いのでしょうか?」

  均衡処遇の裁判例から、日本型雇用の変遷が読み取れる、ということを改めて強調して、本稿の締めとしたい。

と述べて、企業人事担当者に重い問いを投げかけています。

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「非正規雇用と社会保険」@『労基旬報』2016年9月25日号

『労基旬報』2016年9月25日号に「非正規雇用と社会保険」を寄稿しました。

 もうすぐ、今年の10月1日から、長年課題となってきたパートタイム労働者への社会保険の(一部)適用拡大が施行されます。2012年に成立した年金機能強化法(正式には「公的年金制度の財政基盤及び最低保障機能の強化等のための国民年金法等の一部を改正する法律」)のうち、この部分の施行は4年後の今年10月とされていたからです。

 この問題は非正規雇用と社会保険として論じられることが多いのですが、実は今回の法改正まで、法律の明文上に非正規労働者を全面的に適用除外するというような規定は存在しませんでした。日雇労働者については後述の特別の扱いがありますが、少なくともかつて臨時工といわれていたようなフルタイム有期契約労働者は一貫して適用対象でしたし、パートタイム労働者についても1980年のいわゆる「内翰」が出されるまでは適用除外する根拠などどこにもありませんでした。そして、その「内翰」に基づいて実務上適用除外されるようになっていた時期でも、少なくとも行政法理論上はその扱いは大変疑問のあるものでした。その経緯を遡って見ておきましょう

 日本の社会保険第1号は1922年に成立し1926年に施行された健康保険法ですが、その時の被保険者は工場・鉱山に「使用セラルル者」で、「臨時ニ使用セラルル者ニシテ勅令ヲ以テ指定スルモノ」を除外していましたが、その中身は①雇用期間60日以内の者、②期間の定めなく労務供給契約に基づき又は試用期間の者、③日々雇い入れられる者等であり、しかも①は60日を超えたら、③は30日を超えたら適用対象になります。直接雇用で反復継続されているような臨時工は、出発点から適用対象だったのです。同法は戦後1948年に改正され、労働基準法21条に倣って適用除外は①雇用期間2月以内の者(2月を超えたら適用)、②日々雇い入れられる者(1月を超えたら適用)、③季節的業務に雇い入れられる者(4月を超えたら適用)とされました。労務供給事業は職業安定法で禁止されたから削除されたのでしょう。

 一方1941年に成立した労働者年金保険法は男子労働者のみですが、やはり①雇用期間6月以内の者、②期間の定めなく労務供給契約に基づき又は試用期間の者、③日々雇い入れられる者、④季節的業務に使用される者等を適用除外としていました。1944年の厚生年金保険法で女子にも適用されるようになり、戦後1954年に全面改正された時の適用除外も健康保険法とほぼ同様でした。以上を一言でいうと、日雇型の極めて短期的な労働者を除き、ある程度の期間反復継続して就労する臨時工タイプの労働者は健康保険にも厚生年金にも加入するのが原則だったということです。

 さらに1953年には日雇労働者健康保険法が制定され、適用されていなかった日雇型の労働者にも被用者医療保険が適用拡大されました。適用されていなかったのは技術的に難しかったからですが、1949年に失業保険が日雇労働者に適用拡大され、その際に白手帳といわれるスタンプ方式を採用したことから、基本的に同じスタイルで制度が作られたのです。労働者である限り、健保か日雇健保かいずれかが適用されるという仕組みは、健康にかかわる問題としては当然だと考えられたのでしょう。年金の方は日雇は適用除外のままで、従って1959年国民年金法では第1号被保険者に含まれることになります。

 もっともこれはあくまでも法律上の規定であって、現実は必ずしもそうなっていなかったようです。1958年に刊行された労働省労働基準局監督課編『臨時工』(日刊労働通信社)によると、神奈川労働基準局の調査では、健康保険が70.7%、厚生年金保険が70.0%、日経連調査では健康保険が90.0%、厚生年金保険が79.3%となっています。同書は「賃金その他の労働条件が比較的低位で失業の危険度も高い臨時工のごとき者にこそ、その適用が図られるべき性質であることを考慮すべきではなかろうか」と問題を提起しています。

 この考え方は厚生省サイドでも同じで、1975年に刊行されたコンメンタールである厚生省保険局保険課・社会保険庁健康保険課『50年新版健康保険法の解釈と運用』(社会保険法規研究会)には、日々契約の2ヶ月契約で勤務時間は4時間のパートタイム制の電話交換手について、「実際的には2ヶ月間の雇用契約を更新して行くものと考えられるので、当初の2ヶ月間は日雇労働者健康保険法を適用し、その2ヶ月を超え引き続き使用されるときは被保険者とする。」(昭和31年7月10日保文発第5114号)という通達が示されています。

 ところがこういう流れをひっくり返したのが1980年6月6日厚生省保険局保険課長・社会保険庁医療保険部健康保険課長・社会保険庁年金保険部厚生年金課長名の通達(正確には課長レベルの「内翰」)です。これは具体的に「1日又は1週の所定労働時間及び1月の所定労働日数が当該事業所において同種の業務に従事する通常の就労者の所定労働時間及び所定労働日数のおおむね4分の3以上である就労者については、原則として健康保険及び厚生年金保険の被保険者として取り扱うべき」であるとし、4分の3未満の労働者を適用除外としたのです。

 通達とは何でしょうか。行政法学的にいえば、それはあくまでも行政内部の指示であって、直接国民の権利義務を創設することはできません。そんなこと言ったって、現実に山のような通達で行政が行われているではないかと思うかも知れませんが、それらはあくまでも権利義務を定めた法令を執行する上での解釈基準を示したものであって、何もないところで勝手に通達で権利義務を作ったり消したりできるわけではないのです。

 その意味からすると、この標題もなければ発出番号もない「内翰」はかなり怪しげなところがあります。この内翰が倣った雇用保険法上の扱いは通達によるものでしたが、それは法律上の「労働者」の解釈として示されていました。詳しくは拙稿「失業と生活保障の法政策」(『季刊労働法』221号)に書きましたが、1955年の局長通達(職発第49号)で、「臨時内職的に雇用される者、例へば家庭の婦女子、アルバイト学生等」は「法第六条第一項の「労働者」とは認めがたく」云々と述べています。1980年当時の業務取扱要領もこれを受け継いでいました。これ自体内容的には突っ込みどころがいっぱいありますが、少なくとも形式的には法令の解釈通達です。

 ところが1980年内翰は「拝啓 時下益々御清祥のこととお慶び申し上げます。」から始まり、「もとより、健康保険及び厚生年金保険が適用されるべきか否かは、健康保険法及び厚生年金保険法の趣旨から当該就労者が当該事業所と常用的使用関係にあるかどうかにより判断すべきものですが、短時間就労者が当該事業所と常用的使用関係にあるかどうかについては、今後の適用に当たり次の点に留意すべきであると考えます。」と綴られているお手紙という風情で、この法律のこの概念は行政としてこう解釈すべきものと上級行政庁が下級行政庁に指示しているのかどうかいささか頼りなげです。そもそも法律上に「常用的」などという根拠となる概念はありません。

 にもかかわらずこの時期にほとんど問題にならなかったのは、短時間労働者は家計補助的な主婦パートがほとんどなのだから、適用除外するのは当たり前という「常識」が世の中一般に広がっていたからでしょう。その常識は、かつての臨時工に対する眼差しとはまったく違っていたのです。この点については、非正規労働者の社会的ありようがどのように変わってきたかを論じた拙稿「性別・年齢等の属性と日本の非典型労働政策」(『日本労働研究雑誌』2016年7月号)で述べたとおりです。

 そしてその70年代から80年代の常識が90年代から2000年代に再び大きく激変します。主婦パートや学生アルバイトではない若者フリーターが出現し、やがて年とともに彼らが中高年化していって、膨大な若年・中高年非正規労働者が生み出されていったのです。その中でかつては当然視された非正規労働者への社会保険適用除外にも疑問の目が向けられるようになりました。2004年の国民年金法改正時には附則に検討規定が置かれ、2007年の被用者年金一元化法案には一定の適用拡大が盛り込まれましたが廃案となり、ようやく民主党政権下の2012年に紆余曲折を経て年金機能強化法が成立し、パートタイマーへの適用拡大が来月から施行されるところまできたわけです。

 とはいえ、その「拡大」の内容はかなりしょぼいものです。週所定労働時間20時間以上という要件と学生の適用除外は2010年改正雇用保険法と同じですが、同改正で廃止された1年以上雇用見込み要件がこっちでは逆に新たに入り込んできたのは違和感があります。そもそも雇用期間については健康保険法制定時から「臨時」という概念があり、その「臨時」に該当しないのに短期を抜いてしまうというのは整合性があるとは思えません。現在でも健康保険法には日雇健康保険の規定がありますから、ある種の短時間労働者は雇用期間2ヶ月未満だと日雇健保に入れるけれども、それを超えると入れなくなり、1年を超えてようやく再び入れるということになります。いかにも奇妙な制度設計です。

 また月額賃金8.8万円以上要件も、現に健康保険法40条では、報酬月額6.3万円未満の者の標準報酬月額を5.8万円と定めていることと整合性がありません。とはいえ、これらは何とか外形的要件で家計維持的な非正規に限ろうとしたためのものと理解できますが、従業員501人以上要件というのはもっぱら流通・サービス業の企業の猛烈なロビイングによるもので、政治的な決着としか説明のしようはないでしょう。いずれにせよ、これによってこれまで法的性格の疑わしい「内翰」で適用除外がされていたものが、法律上に適用されるか否かが明確に規定されるようになったという点は、大きな進歩と言うべきでしょう。

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自己都合退職者の雇用保険給付日数@WEB労政時報

WEB労政時報に「自己都合退職者の雇用保険給付日数」を寄稿しました。

https://www.rosei.jp/readers-taiken/hr/article.php?entry_no=577

 去る9月5日に、労働政策審議会の雇用保険部会が再開されました。今年改正されたばかりなのに(その内容については本連載の今年1月5日付け「雇用保険法の見直し――65歳以上も適用へ」を参照)、なぜまた急に法改正をするのかといえば、その直前の8月2日に閣議決定された「未来への投資を実現する経済対策」の中で、「⑥雇用保険制度の見直し」として、既に「アベノミクスの成果等により、雇用情勢が安定的に推移していること等を踏まえ、雇用保険料や国庫負担の時限的な引下げ等について、必要な検討を経て、成案を得、平成29年度(2017年度)から実現する」と書き込まれてしまったからです。

 この詳しいいきさつは分かりませんが、近年雇用保険財政の積立金残高が6兆円前後で推移しており、そんなにお金が余っているのであれば……と目をつけられたからであろうとは想像が付きます。恐らく、まず目をつけたのは、ただでさえ逼迫(ひっぱく)する・・・・・

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なぜ極右政党は危機の時代にうまくやるのか?

Whyfarrightpartiesdowellattimesofcr 欧州労連のシンクタンクである欧州労研(ETUI)が「Why far right parties do well at times of crisis: the role of labour market institutions」(なぜ極右政党は危機の時代にうまくやるのか?:労働市場機構の役割)というワーキングペーパーを公表しています。なかなか興味深い分析をしているので、ご紹介。

http://www.etui.org/Publications2/Working-Papers/Why-far-right-parties-do-well-at-times-of-crisis-the-role-of-labour-market-institutions

http://www.etui.org/content/download/24349/201792/file/WP+2016.07+Far+right+parties+Labour+market+institutions+Vlandas+Halikiopoulou+Web+version.pdf

This working paper argues with extensive statistical analysis that the rise of far-right parties in Europe has less to do with the economic crisis and unemployment levels as such but more with specific labour market policies and institutions. The authors show that the deregulation of employment protection legislation and the reduction of employment benefits have in many countries intensified the support for these far-right parties.

このワーキングペーパーは、広汎な統計的分析によって、欧州における極右政党の興隆は経済危機や失業水準それ自体よりも、特定の労働市場政策や機構と関わりがあると主張する。著者らは雇用保護法制の規制緩和と失業給付の削減が多くの国でこれら極右政党への支持を強化したことを示している。

政治学系の議論の一般的な傾向では、経済危機で失業が増えることが極右への指示をもたらすという単純な議論になりがちですが、各国ごとのデータを詳しく見るとかならずしもそうなっておらず、むしろ解雇規制緩和や失業給付削減が直接に極右政党への支持を押し上げているという議論です。

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『働く女子の運命』第3刷が到着

Img_752f5d874047328e26f434ce08fbda5 『働く女子の運命』第3刷が到着しました。昨年末に出てから、9ヶ月で3刷目という着実な好評ぶりに、改めて心より感謝申し上げます。

これまでにマスメディア、ブログ、ツイッター、書評サイト等でいただいた評価は、このページにリンク付きでまとめてあります。

http://hamachan.on.coocan.jp/bunshunbookreview.html

初期の書評をいくつか紹介しておきますと、

http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20151215#p1 (吐息の日々 by 荻野勝彦)

ただこれはこういう本なので致し方ないところはあるのでしょうが雇用システムを強調しすぎ・社会システムを軽視しすぎの感はかなりあり、そのせいもあってかストーリー展開が少々強引な印象は受けますし、例によって知的熟練論に対する評価など違和感を覚える部分もなくはありません。乱暴な言い方をすればこれが本当に雇用システムだけの問題なのであれば、政策的に誘導して改善していくことも、それなりの困難はあるでしょうが不可能ではないだろうと思いますが、性役割意識とか、勤労に対する価値観とかに立脚した社会システムの問題が大きいだけに困難もまた大きく、正直悲観的にならざるを得ないという、これもこれまで何度も書いたと思いますが、やはり今回も同様な感想を持ちました。

http://analyticalsociaboy.txt-nifty.com/yoakemaeka/2015/12/post-636c.html (夜明け前の独り言 by 弁護士 水口洋介)

通勤電車内で熱中して読んで、つい降車駅を乗り過ごしてしまいました。

http://d.hatena.ne.jp/obelisk2/20151225/1451002257 (オベリスク備忘録 by obelisk2>)

濱口桂一郎『働く女子の運命』読了。いやあ、おもしろかった。日本で女性が働くのがむずかしいのは、日本の男性がダメなためだけではないのである。

http://ryojikaneko.blog78.fc2.com/blog-entry-408.html (社会政策・労働問題研究の歴史分析、メモ帳 by 金子良事)

老婆心ながら、この本で女性労働の歴史を学びたいという方には、おやめなさいと申し添えておきます。

この金子さんの書評には、私のリプライ、金子さんの再書評、私の再リプライと、延々とやりとりが続いておりますので、御用とお急ぎでない方は、一体どこで噛み合ってなくて、どこで食い違っているのかをじっくりと楽しんでいただくネタにもなっております。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2015/12/post-ca5f.html

今回の御批評には、正直かなりの立ち位置の違いを感じました。半封建的日本資本主義の構造とか低賃金とか、いかにも社会政策学会主流派の視点だな、と。もちろんそれはそれでいいのですが、本書で取り上げてきた一方では労働省婦人少年局の女性官僚たちからオビで「絶賛」している上野千鶴子さんたちフェミニストたちの視点をぬきに、法政策を軸にした女性労働の話はできないのも事実です。

・・・まあそこをわかった上で、そこが女性労働政策の転換を駆動した部分であるからそういう叙述にしているわけではあるのですが。なので、「この本で女性労働の歴史を学びたいという方には、おやめなさいと申し添えておきます」というのは、ある面では仰るとおりではあるのですが、とはいえそういう伝統的社会政策的視点だけでは逆に上野千鶴子さんとは対談の接ぎ穂がなくなってしまうかも知れませんね。

http://ryojikaneko.blog78.fc2.com/blog-entry-410.html

濱口先生からリプライをいただいたのですが、ちょっと、話がおかしくなっている気がするので、もう一回、交通整理しましょう。私が認識枠組みの話と政策の次元の話をわけて書かなかったのが行けないのでしょう。

・・・このようにいろいろ考えていくと、わざわざ「女性労働」として取り上げるならば、かつての婦人少年局が目指した女性労働の労働条件向上の原点に戻った方がよいのではないでしょうか、というのが私の意見で、それを考えるならば、もっと包括的に女性労働を取り上げる必要があったし、濱口先生はそれが分かっている人だからこそ、やって欲しかったということです。

ちなみに、私は上野先生と対談する機会がないので、接ぎ穂がなくてもまったく困りません。それにこの分野はそれこそ社会政策学会にもたくさん優秀な研究者がいるので、私ごときがわざわざ女性労働問題にしゃしゃり出る余地はありません。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2015/12/post-2346.html

金子良事さんが「交通整理」をされたというのですが、正直言ってますます交通渋滞になっているようにしか思えず、とはいえせっかく交通整理していただいているので、それに沿ったかたちで、自分なりに交通整理をしてみたいと思います。

・・・ごちゃごちゃとして、あまり交通整理にもなっていない気がしますが、少なくとも金子さんの文を読んで頭が交通渋滞状態になってしまったのを、何とか自分なりに解きほぐそうとしてずらずらと書き下ろしてみました。

改めて考えてみると、私がここがキモよ、ここを読んでね、というつもりで書いたところを、そういう風にとっていただけていないことが、交通渋滞の原因かな、という気がしました。

それはもちろん私も叙述ぶりにも原因があるのかも知れませんが、労働法学系の方はわりと素直に私の意図するかたちで読んでいただけているようなので、私が一言も言っていない「女性の低賃金問題」が、あたかも最大の課題のように飛び出してくるのを見ると、金子さんの読みぶりはやはりあまりにも「伝統的」な社会政策学的志向のゆえんではないかという感もあります。

マル経や小池理論が出てくる以前から、女性の低賃金問題はあったわけで、それを男性を中心とした雇用構造から説明しようというのが濱口先生の立場で、私は女性の働き方そのものからもっと説明すべきだと考えている、というのが大きい違いのような気がします。考え方や何かという意味では大きな影響力があっても、現実の女性が低賃金であることに、マル経はもちろん、小池理論でさえもそこまで影響力はなかったと思うので、たとえそこが「キモ」であっても、私はあまり意味があるとは思えないのです。

・・・山下ゆさんへのリプライを読んで、ああ、こう書けば分かってもらえると思ったのですが、濱口先生のおっしゃる「キモ」の部分こそ先に削除して、「家族システムとの噛み合い」をメインに据えた方がよかった、というのが私の感想です。それこそが女性の低賃金を正当化させてきた最大の理由であり、それなしに女性労働の全体は見えないだろうと思います。その外部のシステムとの関係があるからこそ他の著作も勧められるのであって、それがなければ、『新しい労働社会』で『日本の雇用と労働法』の二冊で十分です。というか、そもそも二冊でさえも読んでくれるか分かんないし(汗)。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2015/12/post-6520.html

少し見通しが良くなったように見えますが、逆に言えば、双方の立ち位置の違いがよりクリアになったとも言えるかも知れません。

これはおそらく今までの本についてもそうなのですが、わたくしの関心と説明のありようは、基本的に法政策の動向を、実態の構造分析から説明するという両跨ぎのスタンスにあります。最初の『労働法政策』で流れだけを詳細に書いた労働法政策の個々の領域について、労働研究の成果等を用いてなぜそうなったかを構造的に説明するというのがそのスタイルになります。

・・・でも、正直言って、根っこがアカデミズムじゃない私にとって、学者であろうが何であろうが、政策過程の中のアクターに過ぎないんです。そして、その理論の土俵の中でどれだけ評価されているかいないかなどということはあまり関係がなく、現実社会の政治過程の中でどれだけどういう立場に役立つ理論として使われたか使われなかった、ということが主たる関心となる。

本書で言えば、第2章に出てくる理屈はすべて、伍堂卓雄であれ、皇国勤労観であれ、マル経であれ、総評であれ、日経連であれ、小池和男氏であれ、なんであれ、それでもって何かを切るための「包丁」ではなく、包丁で切られるべき「素材」に過ぎないのです。

マルクスの理論に何にも関心がないくせに、それが戦後日本の生活給を正当化したいという欲望にいかに使われたかという観点でのみ論じるような下賤な文章は、確かにある種の人には不快感を感じさせるであろうな、と思います。でも、それは、そもそもそういう観点で書かれた本なんですよ。

http://ryojikaneko.blog78.fc2.com/blog-entry-412.html

濱口先生から三度、リプライをいただきましたので、だんだん、分かってきました。はっきりと、「日本の男女平等政策、ワークライフバランス政策がなぜ何故にこのような歴史をたどることになったのか、欧米のそれと異なるゆえんは那辺にあるのか、というのが私にとっての最大関心」という風に書いて下さったので、ようやく私としてはこの本の意図していることというか、問題意識が分かってきましたので、私なりにそこら辺を書いてみたいと思います。

しかし、しかし、ですよ。あえて一言、言わせて下さい。

分かりにくいわ!

私としては男女共同参画になって、女性政策が後退した側面もあると思っています。たとえば、母子家庭の貧困の問題なんかはそれですね。とはいえ、いったん、問題だと認識されるようになると、昔と違って父子家庭の貧困(フルタイム労働は困難)の問題も取り上げられるようになって、その意味では男女共同参画社会の恩恵かもしれません。男女共同参画社会といったって、まだまだ昔ながらの社会のままで、そうであれば、いきなり男女共同参画社会に飛ばず、古典的な女性労働特有の問題だって今こそ重要だと思います。まだ、男女平等政策だけで女性労働問題を語れるような時代に我々はいないんじゃないでしょうか。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2015/12/post-fdf1.html

拙著の書評という形を取りながら、逆に金子さんの発想の有り様をとてもよく浮かび上がらせてくれている文章になっていると思います。

何よりもタイトルがすべてを物語っています。曰く:

男女平等政策は男女平等政策で、女性労働政策は女性労働政策で!

つまり、女性労働政策の叙述は男女平等政策なき女性労働政策として書かれるべきであり、男女平等政策の叙述は女性労働政策とは切り離してそれだけで書かれるべきである、と。

それはそれとしてひとつの考え方であると思います。

ただ、現実社会における法政策に即して物事を考え、論じていこうとすると、そういう峻別論では不都合が生じてしまいます。

・・・しかしそうなると、その言うところの男女平等政策なき女性労働政策は、労働省婦人少年局が一番力一杯仕事をしていた時代をすっぽり抜かして描き出されなければならないと言うことになります。

女性労働政策とは、かつては女子保護規制であり、ごく最近になってワークライフバランスが出てきたが、その間は空白期である、と。

・・・個人的には、ここまで男女平等政策なき女性労働政策にこだわる金子さんにこそ、上野千鶴子さんと対談して欲しいという気もしますが、機会がない以前に、多分あまり気が進まないのではないかとおもわれます。

http://ryojikaneko.blog78.fc2.com/blog-entry-413.html

私のタイトルがややミス・リーディングだったようなので、もう少し整理しましょう。とやっていると、収拾がつかないので、せっかくようやく噛みあってきたので、本筋だけ書きます。私は別に男女平等政策を抜かせと言っているわけではありません。それをやりたいならば、女性政策以外の部分も必要でしょうということです。

・・・歴史的に見たら、濱口先生のおっしゃるように、男女平等政策は婦人労働政策の本流から出て来ただろう、というのはその通りなんですよ。しかし、男女平等にしても、ワーク・ライフ・バランスにしても、女性からだけ見ていてはダメで、男性とともに総合的に捉えなければならないというのがこの間、関係者の努力でようやく少しずつ共有されるようになった話でしょう。

・・・私は女性労働政策という切り口でみるならば、男女平等だけではダメで、男女平等政策を中心に据えるのであれば、女性政策だけではダメだという立場です。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2015/12/post-5749.html

というわけで、いよいよ年末が迫る中で、金子・濱口劇場第何版かもそろそろ大団円のようです。

・・・日本の女性の困難をそれなりに完結したストーリーとして描こうとすれば、だいたいこれくらいの範囲で描くのが一番適当でしょう(非正規のところだけは正直心残りはありますが)。それ以上縮めても膨らましても、うまくいかなかっただろうと思っています。

http://blog.livedoor.jp/yamasitayu/archives/52127314.html (山下ゆの新書ランキング Blogスタイル第2期)

このように女性をめぐる雇用の問題と来歴を広範な知識で説明してくる面白い本ですし、「ジョブ型正社員」という回答も間違ってはいないと思うのですが、『若者と労働』や『日本の雇用と中高年』が雇用システムと教育や福祉といった外部のシステムとの「噛み合い」を鋭く指摘していたのに比べると、この本はそういった部分がやや弱いと思います。

http://d.hatena.ne.jp/dokushonikki/20151230#p1 (アランの読書日記)

本書を読んでいる途中で、メンバーシップ型/ジョブ型のことばかり書いてあって、社会福祉とか家族のありかたに触れていないではないかと一人で突っ込みを入れていたが、この文章で、本書のテーマは、「日本型雇用システムの中で苦しむ総合職女性」なのだと納得した。

・・・・・・・

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労働政治学における「政治」

政治思想史の小田川大典さんと社会政策の金子良事さんが、「労働政治研究」についてやりとりされているのですが、

https://twitter.com/odg1967/status/776996241167097856

正直言って、ここで取り上げられている久米郁男さんにしろ五十嵐仁さんにしろ、「労働政治」というときの「政治」という言葉が、何々党とか何々派とかというマクロ政治アリーナの大文字の政治的アクターばかりが意識されていて、正直言って現代政治評論のための素材として労働運動を使っているだけなんじゃないのという感じがぬぐえないのが、最大の問題であるように思います。

労働関係そのものの中の様々な利害関係を「政治的」にディールし、マヌーバーしあう世界の、現代政治学的な意味における政治分析という観点は、残念ながら余り感じられないのです。

そういう意味での労働政治学というのは、政治学の世界では余り意識されていないのでしょうか。

(参考)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/04/post_e7f8.html(労働政治の構造変化)

・・・ここが日本の90年代のネオリベ化の最大のアイロニーなんです。サヨクが一番ネオリベだったのですよ。ここのところを直視しないいかなる議論も空疎なものでしかありません。五十嵐さんの議論はそれを党派的に正当化しようとしているだけさらに悪質ではありますが。

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大学中退の社会的意味

20140828121034_2 なんだか、大学中退すると言っている学生さんが話題のようですが、こういうのを見ていると、嗚呼、日本はほんとに学歴社会じゃないんだなあ、と感じます。

欧米ジョブ型社会では、基本的に学歴とは職業資格であり、その人間の職務遂行能力であると社会的に通用する数少ない指標です。なので、学歴で人を差別することがもっとも正当な差の付け方になります。

他の差の付け方がことごとく差別だと批判されるポリティカリーコレクトな世界にあって、ほとんど唯一何の疑いもなく堂々と人の扱いに差をつけられる根拠が、職業資格であり、職務遂行能力のまごうことなき指標たる学歴だからです。

みんなが多かれ少なかれ学歴そのものを直接の能力指標とは思っておらず、人間の能力ってものは学歴なんかじゃないんだよ、という言葉が半ば本音の言葉として語られ、そうはいってもメンバーとして受け入れるための足切りの道具としては使わざるを得ないねえ、と若干のやましさを感じながら呟くような、この日本社会とは全く逆です。

欧米での観点からすればあれもこれもやたらに差別的でありながらそれらに大変鈍感な日本人が、なぜか異常に差別だ差別だと数十年間批難し続けてきた学歴差別という奴が、欧米に行ってみたらこの世でもっとも正当な差の付け方であるという落差ほど、彼我の感覚の差を語るものはないでしょう。

そういう、人間力信仰社会たる日本社会のどろっとした感覚にどっぷりつかったまま、妙に新しがってかっこをつけようとすると、こういう実は日本社会の本音のある部分を局部的に取り出した歪んだ理想主義みたいな代物になり、それがそうはいってもその人間力というものをじっくりとつきあってわかるようになるために学歴という指標を使わないわけにはいかないんだよキミ、という日本社会の本音だけすっぽりと取り落としてしまうことになるわけです。

(追記)

ちなみに、よく知られていることですが、「大学中退」が、すなわち最終学歴高卒が、大卒よりも、況んや大学院卒なんかよりもずっとずっと高学歴として高く評価されている職場があります。

日本国外務省です。

日本国政府の中枢に、大学4年までちゃんと勉強してディプロマをもらった人よりも、外交官試験にさっさと合格したので大学3年で中退しためにディプロマを持たない人の方が、より優秀でより偉い人と見なされる組織が厳然として存在している(いた)ということにも、日本社会における『学歴』の意味が現れているのでしょう。

そして、それを見て、なるほど学歴なんか何の意味もないんだ、卒業するより中退した方が偉いんだと思って、自分の『能力』を証明する何もないままうかつに中退なんかすると、もちろん地獄が待ているわけですが。

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労働者は時間貸しの部品@日本以外全部

2016091500000021jij_afp0005view この記事が話題になっているようですが、

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160915-00000021-jij_afp-int (乗客残して列車運転士が下車 「超過勤務」理由に スペイン)

労働時間感覚とか労働者の権利とか、もちろんそうなんですが、それよりも何よりも、そもそも労働者とは何なのか、雇用労働とはどういうことなのかという、彼我の基本感覚の違いが出ていると考えた方が良いと思います。

というのは、この邦訳記事では詳しい事情は書かれていないのですが、スペインの最大手紙「El PAIS」(エル・パイス)の記事の最後のパラグラフに、組合側の説明が載っていて、

http://politica.elpais.com/politica/2016/09/14/actualidad/1473839555_569064.html

"Hechos como el de hoy no son nuevos, han ocurrido, pero no es habitual ya que los cuadros de servicio, es decir, los horarios de trabajo, están bien diseñados para que no se rebasen las jornadas", añade el responsable del Semaf, que reitera que "el conductor alertó con tiempo" pero el centro de gestión "no encontró a nadie para sustituirle". El Semaf desvincula el incidente de cualquier tipo de conflicto laboral. "No es una medida de presión, es un tema de seguridad", subraya Segura, que duda de que se vaya a producir sanción alguna. "Si le pretenden sancionar por cumplir la ley del sector ferroviario, estamos apañados", resume.

要は、この運転士は管理センターに時間切れになるよとちゃんと知らせたのに、管理センター側がちゃんと対応しなかったからだ、と。

これを見て、何を言っているんだ馬鹿者が、と思ったあなた、あなたはもう既に、日本国民法の定める雇用契約ではなく、日本型メンバーシップ契約の真ん中で物事を考えているのです。

いうまでもなく、日本国民法も含めて雇用契約と言うのは契約に定められた労務を取引相手方たる会社に提供する契約であって、会社の一員として何でも対応する契約じゃない。何をどうすべきかを定められた契約の範囲内で決めるべきは会社であって、労働者ではないわけです。

これを私はよく、労働者というのは部品であって、それを適切な時と場所にはめ込む責務は部品自身じゃなくて会社側にある、というわけですが、日本型メンバーシップ契約では、労働者というのは部品じゃなくてあたかも自ら経営者になったかのごとく対応しちゃうんですね、いやそれはそれで大変美しい話ではあるんですが、それを悪用する企業が出てくると、まさにブラックの温床ということにもなります。

で、本件に戻ると、運転時間が制限されているというのははじめからわかりきっていることで、鉄道を運行している会社としては、それを大前提に、どの部品をいつどこにはめ込むかをちゃんと考えていかなければいけない。こういう事態になって、さすがのスペインでも大変な騒ぎになっているようですが、大前提はそういうことです。

で、この労働者が部品であるという発想が、実は日本人にとって一番不愉快で、否定したくて仕方がない発想なんですね。某新左翼系の新聞で、私がこう批判されているんですが、

http://www.k-center.org/blog2/g-kiji/2016/05/g03140201.html (安倍政権に反撃を!6・5国鉄闘争全国運動集会へ)

・・・濱口は、〈従来の正規雇用はどの器官にも使えるiPS細胞だが、ジョブ型雇用は使える器官が限定されており、職務が消滅すればそれは正当な解雇理由となり、欠員が出れば補充される「部品型労働力」〉と、部品型雇用への転換を提言しているのです。・・・

ふむ、国鉄闘争な方々は、このスペインの鉄道運転士みたいな部品型労働力には絶対何が何でもなりたくないというわけです。

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フランス労働法の「破棄確認」

254_hp『季刊労働法』秋号ですが、特集記事は別にして、興味深い論文があります。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2016/09/post-c6df.html

フランスにおける破棄確認(prise d’ acte)の確立と展開

同志社大学大学院博士前期課程修了 吉井謙太・同志社大学准教授 荻野奈緒・同志社大学教授 土田道夫

一言でいうと、長時間労働やハラスメントなどブラックな職場環境に耐えかねて、形の上では自己都合退職したような場合に、その責任は使用者側にあるんだぞお、といって、不当解雇の補償金を得られるという仕組みです。

これが、過去十数年の判例でいかに確立してきたかを詳細に追いかけた論文ですが、そこはプロ仕様の部分なので関心ある人が読んで下さい。

ここで重要なのは、日本にどうインプライできるか。

不当解雇には金銭補償が原則のフランスと異なり、法律上不当解雇には「無効」という効果を与えてしまっている日本では、自己都合退職が無効だと言ってみても仕方がない。そもそも、そんなブラックな会社に戻りたくはない。

実際は、労働局のあっせんや労働審判では金銭解決が大部分なので、まさにこういう職場環境による自己都合退職を一定の金銭支払で解決しているケースが結構あるわけですが、それが正面からきちんと位置づけられにくくなってしまっているわけです。

しかし、そういう労働契約法的思考だけで論ずるべき問題でもないのです、この問題は。

そう、これは雇用保険の特定受給資格者問題と表裏一体なんですね。そして、現実にハローワークの窓口では、使用者の書いた離職票では自己都合退職になっているけれども、実はこれこれの理由で云々、というトラブルが日々絶えないわけです。

労働契約法の世界でこの問題を取り扱おうとすると、解雇の金銭解決制度をどう仕組むかというしちめんどくさい話をくぐり抜ける必要がありますが、雇用保険法上の特定受給資格者の要件の局面で考えると、この仕組みは結構応用可能な面がありそうな気がします。

ちなみに、使用者側が一定のお金を払うという意味では金銭解決ではないけれども、結果的に離職労働者が貰えるお金が増えるという意味ではそれに準ずるような解決として「離職理由の変更」というのがあります。自己都合退職を会社都合に変えるという解決です。

Koyoufunsou私の調査では、労働局あっせんでは324件中2件(0.6%)、労働審判では452件中6件(1.3%)、裁判上の和解でも193件中2件(1.9%)ありました(『日本の雇用紛争』78ページ~79ページ)。

これをもう少し公式的なものにするというやり方はあり得るのではないでしょうか。

(参考)

Rishoku

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公契約における労働条項@『季刊労働法』秋号

254_hp 『季刊労働法』秋号が届きました。中身は先日ご紹介したとおりですが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2016/09/post-c6df.html

拙稿「公契約における労働条項」も載っております。

 本連載の第20回目(第226号、2009年秋号)に「最低賃金の法政策」を取り上げましたが、法定最低賃金とは異なり、公的機関が一方当事者となる公契約において公正な労働条件を確保し、低賃金を除去することを目的とするのが、1949年の第32回ILO総会で採択された「公契約における労働条項に関する条約」(第94号)及び同名の勧告(第84号)です。日本は本条約を批准していませんし、現在のところ批准する意思もありませんが、終戦直後の占領下でこれに類した制度を設け、また立法を試みたことがあります。また、21世紀に入ってからいくつかの労働組合が地方自治体レベルにおける公契約条例の制定に向けた運動を展開し、現在までにそれなりの数の公契約条例が制定されてきています。そこで、今回は未だ国レベルの法政策とはなっていませんが、公契約における労働条項をめぐる展開を概観しておきたいと思います。・・・

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ブラックバイト裁判

東京新聞の夕刊が何を考えたか、1面トップにでかでかと「ブラックバイト訴訟で初弁論 「人生を狂わされた」」という記事を載せています。他紙ではほとんど載っていないだけに、東京新聞の気合いの入り方の違いが分かりますね。

http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2016091490135732.html

大手飲食チェーンの千葉県内の店舗でアルバイトをしていた大学三年の男性(21)が、当時の店長らから暴行や暴言を受けた上、賃金の一部が未払いだとして、男性が働いていた店舗をフランチャイズ経営していた「DWEJapan」(同県成田市)側に慰謝料など計約八百万円を求めた訴訟の第一回口頭弁論が十四日、千葉地裁(小浜浩庸(ひろのぶ)裁判長)で開かれた。男性が意見陳述し「怖くてバイトを断れなかった」と強調した。

 会社側も意見陳述し「未払い分の賃金などは直ちに支払う用意があり誠実に対応したい。慰謝料については適切な解決を図りたい」と述べた。

 労働組合「ブラックバイトユニオン」によると、大学生らが学業に支障をきたすほどの過酷な労働を強いられる「ブラックバイト」を巡る訴訟は全国初という。

9784906708314_200_2この事件については、例によって『POSSE』32号が「なぜ学生アルバイト刺傷事件は起きたのか」というかなり詳しい文章を載せています。

http://www.npoposse.jp/magazine/no32.html

・・・今回の事件が映し出すのは、学生アルバイトの労働の悲惨さだけではない。学生アルバイトがブラック化する背景にある正社員労働の悲惨さであり、そうした正社員とアルバイトの対立を生み出す、店舗と会社あるいはフランチャイズ本部との関係性である。・・・

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関島康雄『キャリア戦略』

Bk00000446経団連出版の讃井暢子さんより、例によって新刊、関島康雄『キャリア戦略-プロ人材に自分で育つ法 組織内一人親方のすすめ』をお送りいただきました。ありがとうございます。

https://www.keidanren-jigyoservice.or.jp/public/book/index.php?mode=show&seq=446&fl=1

プロ人材とか、組織内一人親方とか、どういうことかというと、「ベンチのサインを見ずに仕事ができる」「自分に対してリーダーシップを発揮する」人のことをいうようです。

 人が育つためには、「育てる力」「育てる場」「育つ気持ち」が必要です。なかでも重要なのが「育つ気持ち」ですが、それが最近、衰えていると多くの人が感じています。最近のマネジャークラスの特徴として、自信のなさと自己防衛本能の強さがあげられます。自分に自信がないので目標を下げる、変化が怖いので見ないようにして身の回りのことだけに関心を寄せる、人を傷つけることを恐れて意見をはっきり言わない。これでは、自分で育つ気持ちは生まれません。
 本書は、組織に所属する中で「自分らしさ」「専門性」「自律性」を身につけ、プロフェッショナルと自他共に認められる人材に育つ法を、「キャリア」「リーダーシップ」「戦略」の切り口から解説します。

興味深かったのは第3章の「日本企業の特性」というところで、「戦略的思考に欠ける」とか「組織慣性の強さと内部資源依存性」はよく指摘されるところですが、「「買う側が偉い」という不平等」というのは、これはもう日本社会の隅々にまで行き渡った宿痾ですね。

第1章 なぜ組織内一人親方をすすめるのか
  一人親方はおもしろい/「仕事が人を育てる」システムの積極活用/キャリア選択の幅が広がる
第2章 グローバル競争の時代
  ビジネスモデルによる競争の時代/求められる複雑性の制御/ピンチもチャンスもある世界
第3章 日本企業の特徴
  ビジネスモデルは内部資源に左右される/「買う側が偉い」という不平等/リーダーシップ不在とその影響
第4章 「一人親方」に自分で育つ
  戦略目標を設定する/戦略目標を具体化する/戦略の成功・不成功の判定条件
第5章 キャリア形成とリーダーシップ
  価値観にもとづくキャリア形成/人が育つのに必要な三つの力/自分に対して発揮するリーダーシップ

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宇都宮健児さんも名文句炸裂

9784906708314_200引き続き『POSSE』32号ですが、今日は宇都宮健児さんと渡辺寛人さんの対談「新しい発想で社会運動を刷新せよ」の紹介。

不思議なことに、いや不思議でも何でもないですが、『都市問題』で坂野潤治さんが語っていることと一つ一つ符合しています。

http://www.npoposse.jp/magazine/no32.html

新しい発想で社会運動を刷新せよ
宇都宮健児(弁護士)×渡辺寛人(ブラックバイトユニオン代表)

宇都宮:とくに護憲運動をやっている人は、護憲の中心が憲法9条にあまりにも集中しすぎていたと思います。憲法の問題からすれば、基本的人権の尊重と国民主権、平和主義という三つの原理があるといわれます。私たち法律を学ぶ者の多くは、その三つの原理のうち基本的人権の尊重が中核的な原理であると考えています。また、最近は安保法制についての議論で立憲主義の回復が問題になっていますが、立憲主義は国民の基本的人権が国家権力の暴走によって侵害されないように権力を縛るという考え方です。基本的人権が社会にどう定着しているかということは、極めて重要な課題であるはずなのに、その点検や人権を実現するための取組というのが戦後余りなされていません。

ここから、憲法25条とそれを具体化した生活保護法の話に入っていくのですが、そういうところがすっぽり抜けている、と。

都知事選に対する市民団体の姿勢にも厳しい言葉を浴びせます。

・・・その後も都政は続いているわけですから、都知事選の期間中だけでなく、選挙で訴え掲げた政策を実現するために、その後もずっと運動をしているかどうかが重要です。ところがこれまでの都知事戦後にそういうことをやった団体や候補者はいなかった。市民団体も四年に一回勝ちそうな著名人を見つけてきて、そして負けたらまた四年後というような運動をやっていたのであり、そういう運動では力は全然付いていかないわけです。

聞こえていますか?「勝ちそうな著名人」症候群が負け戦の原因なんですよ。

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日本型雇用と日本型大学の歪み@『POSSE』32号その他

9784906708314_200先日お知らせしておいた『POSSE』32号が届きました。特集は「絶望の国の不幸な奨学金」です。

http://www.npoposse.jp/magazine/no32.html

◆特集「絶望の国の不幸な奨学金」

「15分でわかる奨学金問題」本誌編集部

「憲法から考える奨学金と大学進学」木村草太(首都大学東京教授)

「支援による搾取」渋谷望(日本女子大学教授)

「経済的徴兵制と「奨学金」問題にどのように取り組むか」大内裕和(中京大学教授)×布施祐仁(ジャーナリスト)

「日本型雇用と日本型大学の歪み」濱口桂一郎(労働政策研究・研修機構統括研究員)

「「行政改革」が葬り去った「奨学金制度」」岡村稔(日本学生支援機構労働組合書記長)

「選別主義を強化する? 給付型奨学金をめぐる議論の陥穽」佐藤滋(東北学院大学准教授)

「奨学金裁判から見えてきた実態」POSSE事務局

「教育費負担の困難とファイナンシャルプランナー」渡辺寛人(東京大学大学院修士課程在籍)

「新しい発想で社会運動を刷新せよ」宇都宮健児(弁護士)×渡辺寛人(ブラックバイトユニオン代表)

この中に私も寄稿しています。題して「日本型雇用と日本型大学の歪み」。若干他の論者と異なるスタンスから論じているところもあり、じっくり読み比べていただけると面白いと思います。

 本誌『POSSE』の今号の特集は奨学金問題です。また過去数号にわたって本誌はブラックバイト問題を特集してきました。この二つの問題は、今野晴貴さんや大内裕和さんの本によって近年大きく取り上げられてきたトピックですが、どちらも現代日本の大学や大学生の経済的社会的なありようと密接に関わっています。本稿では、さまざまな個別具体的な論点ではなく、そうした問題を引き起こしている社会システムとその変容に焦点を当てて、ややマクロ的な議論をしておきたいと思います。

1 日本型雇用システムと雇用政策の変転

2 日本型雇用適合的教育システムと教育政策の変転

3 日本型雇用の収縮に取り残される教育

4 職業訓練の視角からものごとを考え直す

・・・・・日本型雇用に基づく親負担主義に支えられていた幻想のアカデミズムは今やネオリベラリズムの冷たい風に晒されて、有利子奨学金とブラックバイトという形で学生たちを搾取することによってようやく生き延びようとしているようです。そのようなビジネスモデルがいつまで持続可能であるのか、そろそろ大学人たちも考え直した方がいい時期が来ているようです。

で、ですね。待望の(?)坂倉編集長のシン・ゴジラ論「「ゴジラ対日本人」の系譜」ですが、そこはさすがに労働問題雑誌のPOSSE、ここに着目します。

・・・だが、庵野監督の答えは違った。人類はゴジラに勝つ。それは大変地味に聞こえる「仕事を真面目にする人たちの力」によるものであった。・・・

とはいえ、「真面目に働く人たち」であれば無条件に信頼できるというわけではない。本作において坂倉さんが注目するのは、エヴァンゲリオンのテーマ曲が流れる中で活躍する巨大不明生物特設災害対策本部の面々です。曰く:

・・・では、このチームの意味するものはなんだろうか。それは「出世と関係ない」自律的に働ける人間たちの集団であるということだ。巨災対に集められたのは、劇中の表現を借りれば、「骨太」で「首を斜めに振らない」「出世に無縁なはぐれ者、一匹狼、変わり者、オタク、問題児、鼻つまみ者、厄介者、学会の異端児、そういった人間の集まり」だ。メンバーの一人、尾頭環境省課長補佐(市川実日子)は閣僚が集まる席でも臆することなく鋭い持論を述べ、反論する。

彼ら自身がもともと組織の中で出世を意識しないタイプの人間であるというだけではない。この枠組みでは発足早々、メンバーが何をしようと「人事査定とは関係ない」といちいち明言される。人事査定と切り離されるということは、やはり出世と無関係ということだ。査定に響くことを恐れて上司や組織に気を配り、自分が正しいと思う意見を言えず、社会正義に反する命令にも従わざるを得ない。そんな日本を象徴する労働規範の悪習を絶ちきって機能する集団・組織であるということが保障されているわけだ。・・・

というわけで、坂倉さんが本作のメッセージとして受け取ったのは、

・・・失敗や批判を恐れずに、自らの経験や能力、職業倫理に頼って思考し、仲間と議論し行動することができる自律的な職業人とその集団こそを、本作は「真面目に働く人」の核心として描いているのではないだろうか。このような職業倫理に基づく労働こそ、日本社会に広く求められるものであり、3・11の危機に対する本作の「回答」の根幹なのではないだろうか。

「真面目に働く」とはどういうことか。集団志向型の「真面目さ」と職務志向型の「真面目さ」という観点から論じていくと、それこそいっぱい議論のネタが芋づる式に出てきそうです。

ちなみに「編集長の部屋」でも、「公開初日深夜1時の最速上映で新宿IMAXに見に行きましたからね」云々とご託を並べています。

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坂野潤治さんの名文句炸裂

Toshimondai 本ブログで何回かその著書を紹介してきた日本近代史家の坂野潤治さんが、雑誌『都市問題』で名文句を炸裂させています。「立憲は帝国を抑える」というタイトルですが、いやそういう中身じゃない。言葉の正しい意味でのソーシャル派の欠如に大変な危機感を抱いているのです。

聞き手は山口二郎さんですが、とても追っついていない感じです。

・・・そうです。政費を減らして減税しろという主張が通っても、当時の労働者や小作農は税金など払っていなかった。今の日本共産党は、消費税をゼロにして、法人税を上げて所得税の累進課税を強化すれば大丈夫と、できっこないことを言っている。そうではなくて消費税は上げて底辺を引き上げるのだという話はどこにも通らない。これは不思議だな。

僕が安保ぼけとか平和主義ぼけの護憲派が嫌いだという理由の一つはそこにある。戦争をやめて増税をやめれば世の中が幸せになるという、その考え方になんとしても納得いかない。

・・・立憲デモクラシーの責任もあると僕は思う。9条守れを言っていればいいのだと思っている人たちについて、ずいぶん前から批判してきた。社会保障の充実などの贅沢な話ではなく、救貧ネットワークをやらないとダメじゃないかと思い始めたのは最近だけれど、これは本当に聞き手がいない。

最後の台詞はこれです。

・・・戦中の日本では確かに精神右翼が猛威をふるった。しかし、それが内閣を握ったのは1939年1月から8月までの短期間に過ぎなかったし、在野時代の主張も貫けなかった(平沼騏一郎内閣)。精神右翼だけを相手にしていると、権力はとれない。権力をとれなければ戦争は阻止できないし、格差是正もできないよ。

何たら会議の脅威ばかりを騒ぎ立てるどこかの方への皮肉でしょうか。

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読みながら、この歌が頭の中で流れていました

Img_752f5d874047328e26f434ce08fbda5 MAPPYさんの「日々、嬉努愛絡 多幸なり」というブログ(「きどあいらく」と読むのでしょうね)で、拙著『働く女子の運命』が書評されているのですが、

http://ameblo.jp/mappy1963/entry-12198080595.html

久しぶりに、ちょっとお堅い話題の本を読みました。

しかし、この本はこれから社会に出る女子学生には読んでもらいたい。

この本の内容は、日本の雇用史から、女性の雇用環境の遍歴が中心です。・・・

と、拙著の内容を説明しながら、突然こうきます。

読みながら、この歌が頭の中で流れていました。

う、うる星やつらのエンディングテーマ・・・。

そのタイトルは「宇宙は大ヘンだ!」

ヘンとヘンを集めて もっとヘンにしましょう

ヘンなヘンな宇宙はタイヘンだ!! ダ・ダ・・・

MAPPYさんの最後の台詞が、

変だと思っていましたが、やっぱり変だった。

つまり、日本の雇用がいかにヘンか、という話の流れで、うる星やつらにつながったようです。

というわけで、せっかくなので懐かしい一曲をどうぞ。

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「女子」が気になります

Img_752f5d874047328e26f434ce08fbda5 今月に入っても引き続き拙著『働く女子の運命』への書評がブログで書かれております。

働く女性の手になる書評が二つ。興味深いことに、どちらもタイトルの「女子」が気になったようですが、本書の記述から同じような結論を導かれたようです。

まずは、「どこでも死ねるからだで春風 ~つんゆら雑記帳~」というブログ。つんゆらさんはタイトルに抵抗を感じられたようですが、

http://vientoazul.blog.fc2.com/blog-entry-95.html

タイトルに「女子」ってなんかジェーン・スー氏の「貴様いつまで女子でいるつもりだ問題」を思い出して

なんとなく抵抗感があったのだけど、

これは、、、出版社がキャッチ―さを衒ってタイトル付けたパターンかもしれない。(例:「普通が良い」という病)

でも中身を読まれて、

要するに、中身は素晴らしい本です。

というか、この「女子」は女性を本質的にはいつまでも「女子」扱いする働き方の現状に対する、痛烈な皮肉という気すらしてきました。

と深読みしていただきました。

最後は、

男性も女性も、働くすべての人に読んでもらいたい良書。

との評価です。

もうお一人は、「ワーママ・プレワーママの共感サイト BRAVA(ブラーバ)」というサイトに、市口芳江さんが書かれた「疲れたとき、悩んだときに読んでほしい! 働くママにぴったりの一冊とは?」という記事です。取り上げられている本には、中野円佳さんの『育休世代のジレンマ』などもあり、その一冊として拙著も取り上げられています。

http://brava-mama.jp/2016090984240/

働く女性を「女子」といっちゃうところがなんですが・・・。つまり昔は職場で本当に「女の子」だったんですよね。仕事も男性の補佐というか、いわゆるお嫁さん候補的な、腰掛け的な・・・っていう歴史の成り立ちから現在までの紆余曲折を経て、、、。この1冊で私たちをとりまく環境が俯瞰できる秀作でした。働くワーママとしてはもっと違うこと言いたいけど、政策をつくる側の人間はこう見ているんだなという視点が勉強になりました。

この方もタイトルの「女子」が気になったんですが、昔はほんとに「女の子」だったということで納得していただいたようです。

ちなみにこの方、わたくしについてこんな評を・・・。

この作者さんのhamachanブログも辛口で面白いですよ♡ たまに、別の学者さんと公開で本気のケンカとかしてるし。

いやいや、まともな学者さんとは喧嘩なんかしていません、って。

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『POSSE』vol.32

9784906708314_200 『POSSE』vol.32の細目次がアップされているので、こちらも紹介。

http://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784906708314

◆特集「絶望の国の不幸な奨学金」

「15分でわかる奨学金問題」本誌編集部

「憲法から考える奨学金と大学進学」木村草太(首都大学東京教授)

「支援による搾取」渋谷望(日本女子大学教授)

「経済的徴兵制と「奨学金」問題にどのように取り組むか」大内裕和(中京大学教授)×布施祐仁(ジャーナリスト)

「日本型雇用と日本型大学の歪み」濱口桂一郎(労働政策研究・研修機構統括研究員)

「「行政改革」が葬り去った「奨学金制度」」岡村稔(日本学生支援機構労働組合書記長)

「選別主義を強化する? 給付型奨学金をめぐる議論の陥穽」佐藤滋(東北学院大学准教授)

「奨学金裁判から見えてきた実態」POSSE事務局

「教育費負担の困難とファイナンシャルプランナー」渡辺寛人(東京大学大学院修士課程在籍)

「新しい発想で社会運動を刷新せよ」宇都宮健児(弁護士)×渡辺寛人(ブラックバイトユニオン代表)

◆単発

「世界の社会運動から フランスにおける労働法改正への抗議運動」ベルンハルト・シュミット

「「ブラック部活の顧問」を変えていくには」西島央(首都大学東京准教授)×内田良(名古屋大学准教授)

「なぜ学生アルバイト刺傷事件は起きたのか」本誌編集部

「賃金不払い・解雇を許さない インドカレー料理店シャンティ労組の闘い」指宿昭一(弁護士)×ジョシ・バガワティ・プラシャド(シャンティユニオン委員長)

「過労死のない社会を目指して」本誌編集部

「「介護・保育ユニオン」を結成しました」介護・保育ユニオンスタッフ

「『マルクスとエコロジー』刊行記念対談 マルクスのアクチュアリティ」佐々木隆治(立教大学経済学部准教授)×斎藤幸平(日本学術振興会海外特別研究員)

「書評 岩佐茂・佐々木隆治 編著『マルクスとエコロジー』物質代謝を労働の形態から把握せよ」本誌編集部

「『シン・ゴジラ』評 「ゴジラ対日本人」の系譜」坂倉昇平(本誌編集長)

◆連載

労働問題NEWS vol.6 「求人詐欺」への罰則/「心の病」労災請求/労働条件確保の要請

本誌編集部

ブラック企業のリアル vol.17 通信教育

若者の貧困のリアル vol.6 職員を貧困に追い込んだ介護施設の過酷労働

知られざる労働事件ファイル No.6 社会福祉法人の腐敗・サービスの質低下に対抗する労組の闘い 鈴木一(札幌地域労組副委員長)

ともに挑む、ユニオン 団交file.13 二〇代女性新入社員に対するセクハラ・パワハラ 北出茂(地域労組おおさか青年部書記長)

いまどきの大学生 第5回 

労働と思想 32 カール・シュミット―政治と遊び 大竹弘二(南山大学准教授)

AKB評論家の坂倉編集長がシン・ゴジラを評論しているようです。

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『季刊労働法』秋号のラインナップ

254_hp『季刊労働法』秋号のラインナップが労働開発研究会のHPにアップされています。

http://www.roudou-kk.co.jp/books/quarterly/4288/

特集は「最低賃金制度のゆくえ」です。神吉知郁子さん、関根由紀さんなど、この問題ならこの人という方が登場しています。

最低賃金制度の役割―地域別最賃と特定最賃,政府と労使の役割分担―

立教大学准教授 神吉知郁子

2007年改正最低賃金法と社会保障の関係性を改めて考える

神戸大学教授 関根由紀

ドイツにおける最低賃金制度の意義と現状

名古屋大学教授 和田 肇

社会政策の視点からみた最低賃金制度とその現代的課題―大阪の事例から―

愛知学院大学教授 玉井金五

最低賃金制度の現状と地方における取り組み~大阪(連合大阪)の取り組みを中心に~

連合大阪副事務局長(大阪地方最低賃金審議会労働者側委員) 井尻雅之

第2特集は「改正雇用保険法の検討」ですが、ちょうど今週に雇用保険法の見直しが始まっちゃいましたね。

今回の見直しは、積立金が6兆円も貯まっているので、保険料を下げて国庫負担も下げると閣議決定されてしまったので、をいをい、それならお金がないからといって2000年に大幅に切り下げた自己都合退職者の給付日数を元に戻せや、という労働側の猛反発で、急遽始まった話のようですが、この話はいくらでも突っ込むところがあって面白いのですが、残念ながら今回の特集とはすれちがいです。

雇用保険法等の一部改正法の概要

厚生労働省 職業安定局 雇用保険課

新しい雇用保険法――65歳以上への適用拡大

名城大学教授 柳澤 武

妊娠・出産,育児による退職と特定受給資格の変更―「良質の雇用」への自由の条件―

東洋大学教授 上田真理

私の連載は、今回は公契約の話です。その昔、1950年に労働省が内部で作成した「国等の契約における労働条項等に関する法律案」なんていう年代物の代物がでてきます。

■労働法の立法学 第44回■

公契約における労働条項

労働政策研究・研修機構主席統括研究員 濱口桂一郎

その他の記事は以下の通りですが、このうち注目しておきたいのは、早くも例の長澤運輸事件の評釈が載ること。JILPTの山本陽大さんがどんな評釈するのか楽しみですね。

■アジアの労働法と労働問題 第26回■

全国社労士会連合会のインドネシアにおける社会保障適用強化支援事業

特定社会保険労務士 小野佳彦

■研究論文■

フランスにおける破棄確認(prise d’ acte)の確立と展開

同志社大学大学院博士前期課程修了 吉井謙太

同志社大学准教授 荻野奈緒

同志社大学教授 土田道夫

ドイツ・学校教員の勤務評価

岡山大学教授 藤内和公

■判例研究■

定年後再雇用制度に基づく有期契約労働者の労働条件と労働契約法20条

長澤運輸事件(平成28年5月13日東京地方裁判所,平成26年(ワ)第27214号・第31727号,地位確認等請求事件,認容〔控訴〕,労働判例1135号11頁)

労働政策研究・研修機構研究員 山本陽大

労働契約関係にはないが,労組法上の労働者性を認められた者に対する救済のあり方

東京都・都労委(ソクハイ)事件・東京高判平28・2・24 別冊中労委1496号52頁 東京地判平27・9・28労判1130号5頁

北海道大学大学院 松田朋彦

解雇及び時間外手当等不払と取締役の不法行為責任

甲総合研究所取締役事件(東京地判平成27年2月7日労経速2240号13頁)

筑波大学大学院ビジネス科学研究科 西出恭子

■キャリア法学への誘い 第6回■

変化の時代のキャリア形成

法政大学名誉教授 諏訪康雄

●重要労働判例解説

労働基準法37条の趣旨を潜脱する賃金規則の規定の有効性

国際自動車事件(東京高判平27・7・16労旬1847号49頁以下,原審 東京地判平27・1・28同53頁以下)

弁護士 松岡太一郎

偽装請負・多重派遣下の労働者の労働条件に関する発注者・元請,第1次下請業者等の団交応諾義務

東京電力不当労働行為審査事件・東京都労働委員会命令・平成28年3月30日交付 中央労働委員会命令・裁判例データベース「都労委平成25年(不)第102号・東京電力不当労働行為審査事件」参照(双方再審査申立)

弁護士 小林譲二

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退職金の法政策@『エルダー』9月号

Elder『エルダー』9月号に「退職金の法政策」を寄稿しました。リンク先PDFに全文アップされています。

http://www.jeed.or.jp/elderly/data/elder/q2k4vk000000bfv1-att/q2k4vk000000bfxl.pdf

 2013年就労条件総合調査によれば、一時金・年金併せて退職給付制度を有する企業は75.5%とほぼ4分3であり、とりわけ大企業ほど多くなっています。これほど普及している退職金ですが、日本の労働法制上その支給はなんら義務づけられておらず、全く任意の制度です。しかし歴史を遡っていくと、戦争直前のある時期退職金の支給が義務づけられたことがあり、それが戦後の制度に陰に陽に影響を与えていることが分かります。今回はその経緯を振り返ってみましょう。

 大企業では大正末期から昭和初期にかけて退職手当制度を導入する企業が相次ぎました。しかし当時の退職手当制度には、長期勤続の奨励とともに、会社都合による解雇者に対して高額の手当を支給することにより争議に発展することを避けるという意図も込められていました。いわば個別企業による失業手当という意味合いもあったのです。そのため、退職手当は主として解雇手当や失業保険との関係でクローズアップされました。

 内務省社会局は1932年失業対策委員会を設置し、失業保険制度の検討を始めましたが、経営側は企業の退職手当で失業保険を代替するという考えを示していました。そこで議論の結果、事業主都合の解雇だけでなく自己都合退職の場合も含めて、広く労働者が退職する場合の全てに手当を支給する退職手当制度の法制化に向かいました。これに対しても経営側は「法律で強制すべき筋合いではない」と猛烈に反対したのですが、対象を50人以上規模の工場鉱山に限定することでなんとか退職積立金及退職手当法が1936年に成立にこぎ着けたのです。

 これにより、それまで任意の制度であった退職手当が法律上の義務となり、対象となった企業は一斉に退職手当規程を設けることになりました。これが多くの企業に定年制が導入されるきっかけとなったといわれています。ところが、1941年に成立した労働者年金保険法が1944年に厚生年金保険法に改正されるのに併せて同法は廃止され、公的年金制度に道を譲りました。しかし、これは退職金法制の終わりではあっても、退職金制度の終わりではありませんでした。

  戦後は1947年労働基準法の就業規則に関する規定において、「退職手当その他の手当」が相対的必要記載事項として規定されました。労働法制としては、退職金は設けるのも設けないのも、その内容をどうするのかも、すべて使用者に委ねられたわけです。しかしながら、この時代は猛烈な勢いで労働組合が結成され、労働運動が盛り上がった時代でもあります。退職金問題をめぐって各地で争議が続発しました。その中でも有名なのが電産争議です。1946年10月の電産型賃金体系は生活保障給を中心とする典型的な年功賃金制度でしたが、退職金については、勤続20年で定年退職後20年間の生活保障を求める組合側の要求を経営側が受け入れず、結局1949年の中労委調停により、定年まで30年勤続で基本給の93.5ヶ月分で妥結しています。この他にも多くの企業で退職金をめぐる争議が頻発し、労働協約に基づく退職金規程が設けられました。

 この時期に退職金制度が急激に広まったのは、厚生年金制度の機能停止状態の中で、労働者が企業に退職後の生活保障を要求することが当然と考えられたからでしょう。使用者側はこれに抵抗し、退職金は勤続に対する功績報償ないし慰労金であって、生活保障は国の社会保障制度が担うべきだと主張していました。しかし、全国で解雇をめぐる争議が頻発している時期において、退職金制度とこれに伴う定年制の導入は、企業側にとって過剰人員を整理解雇という形をとらないで退職させることができるという意味でプラスの面もありました。

 戦後退職金法制は一旦なくなりましたが、現実に退職金を導入する企業が増加する中で、税制上の措置がいくつか行われます。まず1952年に退職給与引当金制度が創設され、社内留保型の退職金について、毎事業年度の決算において退職金に充てる所定限度内の費用を退職給与引当金勘定に繰り入れれば、損金算入が認められるようになりました。しかしこれは何ら支払いを保証するものではありません。その後損金算入限度はどんどん圧縮されていきました。

 1962年には日経連の要求を受けて適格退職年金制度が創設されました。これは要件を充たす社外積立型の退職年金または一時金について、その掛金を損金又は必要経費に算入するもので、2001年の確定給付企業年金法により規約型確定給付企業年金に移行していき、2012年に廃止されました。

 1965年にはやはり日経連の強い要求で、厚生年金保険法の改正により厚生年金基金制度(調整年金制度)が創設されています。これは企業が設立する特別の公法人である厚生年金基金が公的年金である厚生年金の報酬比例部分を代行する部分と、企業独自の加算部分を上乗せして給付する部分を組み合わせたもので、やはり税制上の優遇措置がとられています。この代行部分は、公的年金としての性格と職域年金としての性格を併せ持つ形になりました。ちなみに、大変皮肉なことに、近年のデフレ不況の中で各企業は代行部分の運営が困難となり、代行を返上する事例が続出しました。そして2013年改正で制度は廃止され、今後清算されていくことになります。

 一方労働行政サイドでも1959年に中小企業退職金共済法が制定され、中小企業退職金共済事業団に掛金を払い、事業団から退職金を支給するという仕組みが設けられました。なお同時に商工会議所等の行う特定退職金共済制度についても税制上の優遇措置がとられました。なお社内留保型退職金については、1976年の賃金支払確保法によって、金融機関による連帯保証、質権・抵当権の設定などの保全措置を講ずるよう努めるべきことが規定されています。

 ちなみに個別労働紛争の中でも退職金をめぐる紛争は一定数見られます。2012年度に4労働局に申請された斡旋事案853件のうち、退職金をめぐる紛争は17件ありますが、「入社時に退職金があると説明されていたのに、経営不振を理由に解雇通告されたとき、退職金はないと言われた」等と、中小零細企業の実態が浮き彫りになっています(拙著『日本の雇用紛争』参照)。

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労使折半の謎@『WEB労政時報』2016年9月5日

『WEB労政時報』2016年9月5日に「労使折半の謎」を寄稿しました。

https://www.rosei.jp/readers-taiken/hr/article.php?entry_no=572

社会保険は労使折半になっていますが、よく考えると、なぜそうなっているのかよく分からないところがあります。今回は、あまりにも当たり前になっているこの労使折半の謎について考えてみます。

 まず、社会保険と言っても全部が労使折半というわけではありません。労使折半になっているのは健康保険や厚生年金のような被用者保険であって、自営業者を対象に設けられた国民健康保険や国民年金のような非被用者保険は労使折半ではありません。非被用者保険は折半しようにも「使」がいないのだから(あるいは本人が「使」なのだから)、本人だけが拠出するしかない……という建前ですが、実際には非正規労働者の多くが健康保険や厚生年金から排除され、被用者なのに被用者保険に入れてもらえず、つまり使用者拠出をしてもらえず、本人拠出だけにされてしまっていることは周知の通りです。今では国民健康保険被保険者の4割近くが雇われて働いている人であり、・・・

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伊原亮司『トヨタと日産にみる〈場〉に生きる力』

27869994_1 前から気になっていた伊原亮司『トヨタと日産にみる〈場〉に生きる力:労働現場の比較分析』(桜井書店)を、この土日で読みました。530頁を超える大著ですが、内容も分厚いものでした。

http://www.sakurai-shoten.com/content/books/099/bookdetail.shtml

目次は下にコピペしたとおりですが、なんと言っても本書の中核をなし、ずしりと重いのは第3部です。第1部のトヨタや日産の労働紛争の歴史などは既に読んだ知識の再確認のようなところもありますが、第2部の両社の正社員の働き方の違いにそれが反映されていることが興味深いです。

正社員についていうと、日産が現場から上がれるポストが相対的に低く、経営側との間に線引きがはっきりしているのに対し、トヨタはより「統合的」ですが、トヨタは養成工(学園出身者)が中核層として職場を引っ張っているという意味ではエリート主義的でもあります。

そして第3部の著者の伊原さん自身が両社に非正規労働者として入り込んで参与観察として両社の管理のあり方の違いを浮き彫りにしていくところはとてもスリリングです。

ここで一番興味深かったのは、トヨタが直接雇用の期間工として綿密な管理を行い、日産は請負会社から送り込まれる労働者をやや放任気味に管理していることが、管理の様々な側面に一つ一つ反映していることで、とりわけある意味で皮肉なのは、何か異常が起こった時に、トヨタでは現場の非正規労働者が勝手に処理することはまったくできないのに対して、日産では(別に認められているわけではないけれども)事実上現場レベルで結構勝手に処理されているということでしょうか。それは、日産の方が現場で機械が動かなくなるといった問題がよく起こるからでもあるのですが、「普段の仕事」か「普段でない仕事」かというレベルで見ると、日産に働く請負会社の労働者の方が後者を一杯やっているというのはなかなかに皮肉です。

第4部は、正直いって労働過程論のいろいろな学説を並べた感じで、第2部やとりわけ第3部の知見をどう見事に組み立てるのかと思って読んでいたらそれで終わってしまった感じで若干がっかり感があります。

序章 本研究の視角と課題

第1部 労使関係の形成過程から読み解く現場の「中核層」のスタンス:企業内学校の出身者に注目して

 第1章 企業内学校:「中核層」の教育

 第2章 トヨタの労使関係の転機と現場の「中核層」のリーダーシップ

 第3章 日産の労使関係の転機と現場の「中核層」の軸足

第2部 長期雇用者のキャリア管理と組織への統合:能力形成と昇進競争に着目して

 第4章 能力形成と組織への統合:キャリアモデルの検討を通して

 第5章 昇進と競争:全体の「底上げ」とリーダーの育成とのジレンマに注目して

第3部 「末端」への管理の浸透と非正規労働者の働きぶり

 第6章 労務管理の実態比較:切り捨てと抱え込み

 第7章 労働管理の実態比較:労働の質と量

 第8章 職場管理の実態比較:チーム・コンセプトと可視化

 第9章 労働過程の直接的な管理の実態比較:場のつくり込み

第4部 働く場の力学の理論的整理:市場と組織の間で

 第10章 工場への労働者の取り込み:統制に対する抵抗から「同意」の調達、「自己規律」へ

 第11章 大規模組織の抱え込みと「オーガニゼーションマン」

 第12章 組織内の攻防:多様な「抵抗」と職場の「つくり込み」

 第13章 組織から再び市場へ:場に根づいた文化の一掃と職場の弱体化

終 章 場のウチとソトをつなぐ

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伊東毅「社労士の団交参加について」@『NEWS LETTER』49号

Image1むかしむかし青森は弘前方面で始まり、その後鹿児島へ行ったり岩手に支店を出したりして今は熊本で営業している雇用構築学研究所の『NEWS LETTER』49号をお送りいただきました。この執念深さ、いやいや堅忍不抜さには感銘を受けます。

さて、今号で面白かったのは、特定社会保険労務士の伊東毅さんの「社労士の団交参加について」という文章です。

この問題については、去る7月にWEB労政時報に小文を書いたところでもあり、どういうことが書かれているのかな、と覗いてみると、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2016/07/web-5f86.html(団体交渉と社会保険労務士@WEB労政時報)

冒頭こういう台詞がでてきます。

「労働法に則り交渉が始められるので助かる」

「感情的になってしまった当該労使間の交渉に社労士が入ってスムーズに進んだ」

「当該労使ではなかなか見つけ出せない落としどころを提案できて解決が早まった」

これらの発言は、実際に労働組合の方々から聞いたものである。連合、全労連、全労協の組織の違いを問わず、異口同音に「社労士の関わり」を高く評価していただいている。・・・

このあと社労士法や弁護士法の議論が続きますが、伊東さんとしては何よりも、社労士が団体交渉にかかわることが労使関係をよくするのだ、という信念が伝わってきます。

それにしても、実は何よりも意外なのは、末尾の筆者紹介欄です。

この経歴を熟読玩味してください。

1955年熊本市出身。熊本県立済々黌高等学校卒業後、中央大学法学部入学するも、アルバイト先のアパレル会社で組合結成、ほとんど学業はしないで8年かかり卒業。その後も地域合同労組の中央執行委員長始め委員を歴任し、勤務先のすぐ近くにあった「書泉争議」では、ガードマンと称する右翼暴力団により、連日に及ぶ暴力行為を受け、2度の救急車送りを経験する。1988年帰郷後、1993年現在の事務所を開業。日々の生活や年に1度の四国歩き遍路にて人生の修業道半ば。

こういうのも「ユニオンバカ一代」「ユニオンバカ一代の逆襲社労士編」とかのタイトルでシリーズ映画化してみたい方ですね。

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ラスカルさんの拙著書評

Img_752f5d874047328e26f434ce08fbda5ラスカルさんが先月の『日本の雇用と中高年』に続いて、今度は『働く女子の運命』を書評されています。

http://d.hatena.ne.jp/kuma_asset/20160901/1472725579

何にせよ、本格的な書評の対象にしていただけることはそれだけでも嬉しいですし、今回は、この本を取り上げるときはどうしても中心になってしまいがちな「女子の運命」に関わるところはあえて外して、サブテーマとして立ててある賃金制度の問題を中心に論じていただいているところなぞも、いかにも玄人好みで有り難いです。

・・・このように前著『日本の雇用と中高年』に引き続き本書でも「知的熟練論」批判が展開されるが、本書の批判はより(本質的というよりはむしろ)「本格的」である。ここでは、本の主題である女性労働政策からは外れることになるが、まずは、この部分について整理してみたい。

で、拙著の議論をトレースして、

・・・上記の批判はきわめて興味深く、ここまで執拗に批判を加える意図を考えずにはいられなくさせるものでもある。いうまでもなくその背後には日本的雇用慣行を礼賛することにより、結果的に、正社員の無限定的な働き方をも正当化してしまったこと、またその仕組みによって「疎外」されることを余儀なくされる総合職女性や「悶える職場」(吉田典史)で苦しむ正社員の姿があるのだろう。

と推測されています。そして、

・・・とはいえ日本的雇用慣行は「知的熟練論」とイコールではない。・・・・・・そうした中、本書における「知的熟練論」の取り上げ方は、ややスケープゴートのきらいを感じさせる。「罪」を着せるべきは、むしろそれを無批判的に利用した政策側の人間の方なのではないだろうか。

と評されます。

まず一点、本書(女子の運命)に関わっては、上記の問題意識ですが、先月取り上げていただいた中高年の本での問題意識はむしろ、本来生活給として作られ維持されてきたものを「能力」で説明してしまったために、かえってその本来の「生活」の側面での問題を正面から理論的に提起することができなくなってしまったことの問題点を、私は結構重視しています。どちらが本質的でどちらが本格的というわけではありません。

子ども手当をめぐる議論の迷走も、最近の奨学金債務で破産する云々の話も、「生活給」が面倒見るはずだったものを面倒見られなくなってきているにもかかわらず、それが「生活給」だという議論が(本音では強力に生き残っていながら)建前上は「能力」だということになってしまっていることが最大の背景だと思っています。この点は、前著の最後で述べたとおりです。

小池批判はスケープゴートではないかというのは、いやいやそれは1970年代後半から1990年代前半までの私の言う「企業主義の時代」の労働経済学を全部ひっくるめて小池理論で代表させてしまうというのは最大の賞賛だと思いますよ。他の学者の議論はわざわざ取り上げるに値しないと言っているに等しいのですから。

それに匹敵するのは、1990年代後半以後の私の言う「市場主義の時代」の労働経済学を八代尚宏さんで代表させるくらいですかね。こちらも、どこを切っても八代さんの顔が出てくる。いずれも、ナポレオンじゃないですが、一種の時代精神(ツァイトガイスト)の具現化みたいなところがあります。

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本庄著への萬井書評@『労旬』1870号への疑問

1870 『労働法律旬報』8月下旬号(1870号)は「労働者派遣法大改正を受けて」という大特集を組んでいますが、それについては後ほど。

http://www.junposha.com/catalog/product_info.php/products_id/1113?osCsid=6bj916fhnsc9506egsr01t3sm2

その特集と中身的には密接な関係がありますが、一応独立の記事として、萬井隆令さんによる本庄淳志著『労働市場における労働者派遣法の現代的役割』への書評があります。

人の本への書評ではあるのですが、その中に私の名前が出てきて、私が書いた覚えのない文章が私の文章をして引用されているので、疑問を呈しておきたいと思います。

この書評は細かな字で12ページに及ぶ大変精力的な書評で、その射程も広範に及びますが、47ページの一番下の段の第2段落にこういう文章が書かれています。

・・・濱口桂一郎氏は、直接雇用の原則を認めなければ「価値中立的」という結論になるが、「直接雇用を労働法上の原則だと解し、その観点から見れば・・・(派遣法は-筆者注)明らかに反価値的である」と指摘される(12)。・・・

この注(12)にはこう書かれています。

(12)濱口桂一郎「いわゆる偽装請負と黙示の雇用契約」NBL885号(2008年)19頁およびそれについてのブログ記事

この記述からすると、私は労働者派遣を反価値的だと評価しているかのように読めますが、私はそのようなことを書いた記憶はありません。

まず『NBL』に載せた松下プラズマディスプレイ高裁判決への評釈では、こう明確に述べています。

(2) 現行法における「労働者供給」と「労働者派遣」の概念

 職業安定法における「労働者供給」の定義と、労働者派遣法における「労働者派遣」の定義は、判旨1(1)の冒頭部分にあるとおりであるが、この定義をもって直ちにそれに続く議論を展開することは実はできない。なぜならば、職業安定法が原則禁止しているのは「労働者供給」という行為ではなく「労働者供給事業」という事業形態であり、労働者派遣法が規制をしているのは「労働者派遣」という行為ではなく「労働者派遣事業」という事業形態だからである。職業安定法上「労働者供給事業」の定義規定はないが、労働者派遣法上は「労働者派遣」の定義規定とは別に「労働者派遣事業」の定義規定がある。「労働者派遣事業」とは「労働者派遣を業として行うこと」をいう(2条3号)のであるから、業として行うのではない労働者派遣は労働者派遣法上原則として規制されていないことになる。

 もっとも、さらに厳密にいうと、労働者派遣法上「派遣元事業主」や「派遣先」を対象とする規定は労働者派遣事業のみに関わるものであるが、「労働者派遣をする事業主」や「労働者派遣の役務の提供を受ける者」を対象とする規定は業として行うのではない労働者派遣にも適用される。労働者派遣法上、この二つの概念は明確に区別されており、混同することは許されない。

 職業安定法上、「労働者供給事業」ではない「労働者供給」を明示的に対象とした規定は存在しないが、44条で原則として禁止され、45条で労働組合のみに認められているのは「労働者供給事業」であって「労働者供給」ではない。これを前提として、出向は「労働者供給」に該当するが「労働者供給事業」には該当しないので規制の対象とはならないという行政解釈がされており、一般に受け入れられている。

 以上を前提とすると、職業安定法4条6号と労働者派遣法2条1号の規定によって相互補完的に定義されているのは「労働者供給」と「労働者派遣」であって、「労働者供給事業」と「労働者派遣事業」ではない。経緯的には従来の「労働者供給」概念の中から「労働者派遣」概念を取り出し、それ以外の部分を改めて「労働者供給」と定義したという形なので、その限りでは「労働者派遣」でなければ「労働者供給」に当たるといえるが、ここでいう「労働者派遣」「労働者供給」はあくまでも価値中立的な行為概念であり、それ自体に合法違法を論ずる余地はない。「違法な労働者派遣」という概念はあり得ない。あり得るのは「違法な労働者派遣事業」だけである。そして、「労働者派遣事業」は「労働者派遣」の部分集合であるから、「違法な労働者派遣事業」も「労働者派遣」であることに変わりはない。

 本判決は、「労働者派遣法に適合する労働者派遣であることを何ら具体的に主張立証するものでない」ゆえに「労働者供給契約というべき」と論じているが、ここには概念の混乱がある。労働者派遣法による労働者派遣事業の規制に適合しない労働者派遣事業であっても、それが「労働者派遣」の上述の2条1号の定義に該当すれば当然「労働者派遣」なのであり、したがって両概念の補完性からして「労働者供給」ではあり得ない。「労働者供給事業」は「労働者供給」の部分集合であるから、「違法な労働者派遣事業」が「労働者供給事業」になることはあり得ない。

読めばわかるように、「価値中立的」という言葉は「ここでいう「労働者派遣」「労働者供給」はあくまでも価値中立的な行為概念であり、それ自体に合法違法を論ずる余地はない。」という中に出てくるだけであって、何かを「反価値的」と言っているわけではありませんし、そもそもそれが出てくるのは直接雇用原則を認めるか否かという話の文脈ではありません。

気になるのは注(12)の「およびそれについてのブログ記事」なる言葉ですが、通常ブログ記事を引用する時は、URLを明記するのが当たり前だと思いますが、それがないので、本ブログに検索をかけても、そのような文章はまったく出てきません。

そもそも、上に引用した『NBL』の判例評釈からしても、私が上に引用されたような文章を書くとは思えず、もし書いたらそれこそ支離滅裂と批判されることになるでしょうから、なぜこういうかたちで私の文章と称するおそらくは全く別の方の文章を引き合いに出されたのか、正直よくわかりません。

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高等徒弟制

でね、ジョブのスキルが無ければ就「職」できないジョブ型社会だからこそ、こういう仕組みが作られるわけです。

ハイヤー・アプレンティスシップス、高等徒弟制

http://www.apprenticeshipguide.co.uk/higher-apprenticeships/

Landingpage_higherapprenticeships_2Higher Apprenticeships are a great alternative to university

Many now offer qualifications up to degree level

You will also receive training (on- and off-the-job), a salary and the opportunity to really start moving your career forward

All without paying hefty tuition fees or running up student debts

高等徒弟制は大学に代わる大きな選択肢だ

多くのコースが学位レベルの職業資格を提供している

あなたは(OJTとOffJTの)訓練を受け、給料をもらい、そしてキャリアを前進させる出発点を得られる

莫大な授業料や学生債務を負わなくてもいいのだ

ふむ、近年授業料が高騰しているイギリスでも学生債務は大きな問題になっているようです。

このリンク先にあるような、様々な、大学や大学院で授業料を払わなければ得られないような分野のスキルが、給料をもらって仕事をしながら身につけられ、資格も得られますよ、といううたい文句。

たまたま最近のデーリーテレグラフ紙に、

http://www.telegraph.co.uk/news/2016/08/15/apprenticeships-arent-second-class-degrees---they-are-a-high-pow/

Apprenticeships aren't second-class degrees – they are a high-powered route to qualifications and employment

徒弟制はB級の学位じゃない、とても強力な職業資格と雇用への道だ

てな記事が載っていたのですが、そもそも、学位と職業資格と能力が三位一体で、それがなければ就「職」できないジョブ型社会でないと、なぜそんなものが必要になるのかが分からないのでしょう。

奨学金問題とか考えるときに、ジョブ型社会のセンスで考えれば、それこそこういう高等徒弟制を、という発想になりがちなんですが、残念ながらこの日本では、この3つは全く別々もものとみんな考えているから、こういうのが役に立つ回路がそもそも閉ざされているわけです。

日本の企業は、(場合によっては奨学金を借りて)授業料を払って大学を出た人間に、そんなものは忘れろといった上で、まさにOJTでハイヤー・アプレンティスシップをやっているわけですから。

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