heartbeatさんの拙著書評
heartbeatさんの「Just read it !」というブログが、安倍総理の働き方改革に引っかけて、拙著『新しい労働社会』を詳しく紹介、書評していただいています。
http://just-read-it.book-lovers.net/better-society/hatarakikata-01/
・・・最初にご紹介するのは、濱口桂一郎著、「新しい労働社会 ― 雇用システムの再構築へ」(岩波新書)です。この本を、まず始めに読んでいただきたい。一度読んだ方でも、ときどき原点を振り返る必要ができたとき、また、さまざまな論点の関係性を整理したいときなどに、リファレンスとして再度目を通していただくと、そのたびに理解を深めてくれる教科書のような本です。新書というボリュームも座右に置いて負担になりません。
・・・本書は、これらのさまざまな労働問題の論点を、読みやすい簡潔な文章ですっきりと整理しています。どのように整理するかというと、現在の日本型雇用システムについて、それができあがった歴史的な背景をひもとき、また、欧米型の雇用との国際比較を試みます。濱口氏は労働官僚ですが、日本型雇用システムの問題点に気づき、独自の労働政策論を掲げ、とにかくきまじめに課題解決に取り組んでこられた。そのような印象を行間から感じます。・・・
そして私の議論を丁寧に一つ一つ取り上げて紹介していくのですが、とりわけ有り難いと感じたのは、人によっては異端扱いされかねない第4章の議論を、正面から受け止めていただいていることです。
・・・濱口氏は、この正規・非正規という労働者間の利害調整と合意形成に向け、「さまざまな困難があるにしても、現在の企業別組合をベースに正社員も非正規労働者もすべての労働者が加入する代表組織を構築していくことが唯一の可能性である」とうったえます。濱口氏のこの方法論に対し、リアリティがないと一蹴することはかんたんですが、混迷する雇用論議に一石を投じていることは確かです。
いったいだれが濱口氏の主張を嗤うことができるでしょうか。安倍総理の呼びかけを本気で受け止められない与党政治家、ミクロの対立構図に埋没しがちな野党、総論賛成でも各論ではおよび腰の企業経営者、組織率の退潮著しい労働組合、体系的議論が苦手なマスメディア、そして最大の既得権者である正規社員ひとりひとり・・・。それぞれが、日本型雇用システムの問題点について、見て見ぬふりをし、議論から逃げているようにさえ見えます。
もう7年前の本ですが、集団的労使関係こそが問題解決への王道だという考えがいまほど重要になっている時期はないのではないかと思っています。
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コメント
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やはり優位性ある社会システムに少しでも近づく方法論は、国家と一人ひとりの間を繋ぐ中間体としての相互補完性組織を公共であろうが市場であろうが各々のセクターごとに重層的に作り上げた(人工物でありますので)社会の強度は高いであろうねえと思われますね。
上記の意味から、なぜそれが未だに成し得られないかを考えますと、やはり日本の戦後民主制度をリードしてきたであろう政党と労組の閉鎖性を(ある意味の既得権益保持)なんとなく皮膚感覚で感じても説明手段を持ち得なかった一人ひとりにその解放ツールが普及した事実は、少なくとも上記組織の疲弊と相関性は高いようにも思われます。けっして制度改革だけで再生できるレベルではないと深刻に考えるべきものであろうかと思います。
統治より多様性自治力の構築でしょうか。
このようにコメントさせていただいている昨今も、国会では「どこ国か?」と思わせる変われない事実のみが進行しているようです。
さて、はまちゃん先生、どうしますかねえ?
投稿: kohchan | 2016年9月28日 (水) 15時53分
別エントリではなぜか「貧乏」をめぐって活発な議論がなされているようですねが…(笑)
改めて本書「新しい雇用社会」の後半部分を精読させていただきました。やはり大変勉強になります。そして、今さらながら個別企業人事実務家としての己のミクロな立ち位置と、労働政策研究者としてのマクロな筆者のそれとの大きなスタンスの違いの理由に気づかされました…。中でも一番大きな違和感は「賃金や労働条件のあり方は労使が集団的に決める」という「産業民主主義」への共感度の差ですね。確かにこのEU型民主主義は、きっと本来平等たる人類の「理想郷」なのでしょう。
一方で私自身は正直、やはり米国や英国のアングロザクソン型社会により親近感を感じるのです(現在 米英系グローバルファーム勤務、米国ビジネススクール卒という経歴も影響しているかもしれません)。そしてアベノミクスも、日本の経済社会の指向性ーある種の国民全体の集合的無意識ーも、実はEU 型ではなく米英型を志向しているのではないかと私には感じられるのです…。つまり、日本のベンチマークすべき国家は大陸EU諸国ではなくて、実は英米なのではないかと…。
これはまさに「民主主義をどのように捉えるかという政治哲学上の対立」(p207)ですし、それはHamachan的には「啓蒙専制主義」「純粋な代表民主制原理」「哲人政治」として「産業民主主義に意義を見出さない論者」(p175)の立場であり「ポピュリズムに走る恐れ」が高いということになるのですね。この指向性の違いは組織ガバナンス上ではトップダウンかボトムアップかというマネジメント手法の違いに対応するかもしれません。
以上あまりまとまりがありませんが、いま改めて思う所を書き込みさせていただきました。
投稿: 海上周也 | 2016年10月 1日 (土) 20時50分
活発ではなく毎度共演アクターが変わるだけのすれ違い貧困ですよ。
訪問者にお任せしましょ。反応なければそれだけというメルクマールにもなります。
さて、海上さんの指向は私もコメント初段より5段目までで表現しております(の、つもり)。
補完は労使にみになく、株主もあれば今や非営利組織も、伝統的ギルドもあってよいと思います。
そもそも国家と政府を同じとみて考えるのか、別と考えるのかで出発点に相違ができますから、そこをすり合わせないと、あとは声が大きい方に引きずられる些末な以前申しました「会議のための会議」となり、それはセクト主義合理性で完成を見て、豊洲へ行き着くのであろうと思います。
英米か欧州かはまさに我々がその域外にあるという無意識の意識を表しているだけの非生産的史実を今も引きずっているだけのように感じます。
これも松尾さんのアイディアをお借りして述べてきたタテ型分断方法論であろうかと思います。
タテ型を大いに利用し、コネクトすればよろしいのですよ。
それを良しとしないとすれば、そこに利得を得る立場にある人と思えばそれはそれで一応の説明となるでしょ、と思うのです。
そういう演者はもういいよね。そんな余裕ないもの。
投稿: kohchan | 2016年10月 1日 (土) 23時27分
Kohcanさんレスありがとうございます。僅か2年間でしたが、接戦州として知られる米国クリーブランドに世紀の変わり目の頃 単身留学していて切実に感じたのは、資本主義社会は政府と企業だけでは回らないということです。
とりわけ医療、教育、福祉の分野は、政府(ガバナンスや意思決定上の限界)と企業(利益最大追求)の活動だけでは、多様な人々のニーズを汲み取り十分にカバーできないということ。かつて経済を牽引した鉄鋼業や各種製造業が廃れて人口減少が止まらないクリーブランドにおいても、その間隙を埋めるように、普通の人々によってNPOやNGOによるケア活動が草の根レベルで浸透している様子にハッとさせられました。私自身一科目だけでしたがNPOマネジメントコースの「コミュニティ開発」を取得し、当地のレッドクロス支部に一人でインタービューに行き、物資を携えて普通の市民が被災地にレッドクロスとして救護活動に携わる様子を伺いました。互いが異なるのが当然なアメリカ人は実は意外とウェットな人たちでもあるのですよ。(もっとも日本でも被災地ボランティアは活躍していますが)…。
以上、脈略のない文章で恐縮ですが、思うところ(少し昔話でしたが)を少し開陳させていただきました…。
投稿: 海上周也 | 2016年10月 3日 (月) 06時35分
クリーブランドでしたか。インディアンス見に行った?日本でドームなんていったら煩くてやね。
ライブは逆にノリはなく、ドッチラケ。
文化が全く違うでしょ?NPO,NGOも日本のそれと、またステレオタイプの米国社会とはまったく違って個々と社会が紡ぎ合って実にアクディブですもんね。
上記の補完組織やキリスト教はじめ、連邦と州と地域共同体等々と並び立つ重層社会なのですよね。いわば米国とは「国と人」が分化されて(日本は同化されますね。お国なんて言葉聞くとゾッとしますし、言わなくともそうして想定で社会が動いているように思います)、しかしそのひずみを多様な中間補完組織で埋め合っているため、日本とは全く違う柔軟な社会ですし、それを実験的に走りながらでも経済圏再興のため舵を切って苦しみの最中なのがEUということでしょうね。アジアもその経済ブロック化を目指いて動きだしておりますので、地勢上、他国の政治アクターの闘争劇によって超ラッキーポジションを得た日本は、いよいよ経済上の1941前に似た立ち位置の選択を迫られる時来たりで、その中での内経済は大健闘中であれど、成長に期待が望めない限り内投資は更新重視でしかできません。そうした状況で内部留保を吐き出せと言われても、短期的には可能でも結局将来利益が見込めなくそれにより継続性担保はなく、AI等技術革新での雇用問題等々日本の憂鬱さがその労働のあり方にイノベーションを(伝統的金融制度がフィンテック、ブロックチェーンによって後ろ向きながらイノベーションを迫られていることはレファレンスですね)後ろ向きでももたらすというくらいでしょうか。ですからそうしたご研究セクターはどのような雇用が人に委託され、代替物労働はなにであるか、ではその業態は?とマクロで考えることなのであろうと思います。
ですから、長くなっちゃって申し訳ないですが、労使が後ろに控える利益代表を超える仮説を示してもらえば私は「なるほどね」とやっと思えるのです。
ですから海上さんがミクロでは?と思われるのも当然ですね。表層でトレード・オフ関係にあるミクロとマクロを知恵で繋げてみてください=仮説というのが私がここで知りたいことです。
収穫逓減状態に最近入っておりますよ。最近の小生コメントからも読み取れるとは思いますが。
投稿: kohchan | 2016年10月 3日 (月) 11時12分
最近またこのテーマを巡ってあれこれ独り夢想しています…。いかにして社会全体の公平感(社会正義)をキープしつつ、あるゆる働き人たちの労働条件をフェアに決定し、いかに賃金を継続的に向上させていくことが可能なのだろうか、そのための日本企業にとって最適なシステムは何だろうかと?
別のコメントでもすでに述べたとおり、すでに多くのグローバル外資系企業には労組は存在しないため「人事部」が(かつて存在した)労組に変わって従業員代表(エンプロイーチャンピオン)としても思考行動することが常態です。もっとも社員の賃金向上や国内雇用(ジョブ)の維持は、一国ローカル(つまりニッポン)の事情だけで勝手に決められるものではありませんが(例としてインドやフィリピンに世界中の拠点の間接部門ジョブがオフショア集約される傾向が止まらないこと)…。
そこで最近のJILPTさんの研究報告書を拝見しますと、仮に「正規/非正規」労働者内の格差是正がこのまま順調に進んだ場合、その後のテーマとなりうるのが「ポスト同一労働同一賃金」としての「労働者/非労働者」格差という大テーマが早くも予想されていますね。その参考事例として紹介されているのが欧州大陸主要国たるドイツ、フランス、スウェーデンにおける集団的労使関係とりわけ産別労組が作る労働協約の実際上の効力です。多くの非組合員にも適用されている当該労働協約が、今後のニッポンの雇用社会のあり方を検討するうえで参考になろうとの判断でしょうか。
確たることはもちろん言えませんが、少なくとも現行の日本の企業別個別労組には残念ながら日本社会全体という視点は全く期待できません(連合には期待します)が、一方で「法律ー労働協約ー就業規則ー個別労働契約」という優先順位を踏まえれば、労働協約に規制をかけてある重みを持たせる(例として最低ガイドラインとしての産別職種別賃金テーブルの個別企業への適用など)は、今後の日本企業(労組のあるなしに関わらず)及び就労者全員(労働者であるかや組合員であるかに関係なく)に対するアプローチとしてさもありなんと思えるのです。
すると少し先走った話ですが、このまま同一労働同一賃金を進めていけば、現行ガイドラインのような限定された企業内労働者間の社内公平性を超えて、やはり本来的には広く労働市場全体の就労者全員(雇用労働者とは限らない)に対する社外公平性まで突き進んでいくものだと考えます。
投稿: 海上周也 | 2017年8月14日 (月) 22時03分