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2016年9月 6日 (火)

退職金の法政策@『エルダー』9月号

Elder『エルダー』9月号に「退職金の法政策」を寄稿しました。リンク先PDFに全文アップされています。

http://www.jeed.or.jp/elderly/data/elder/q2k4vk000000bfv1-att/q2k4vk000000bfxl.pdf

 2013年就労条件総合調査によれば、一時金・年金併せて退職給付制度を有する企業は75.5%とほぼ4分3であり、とりわけ大企業ほど多くなっています。これほど普及している退職金ですが、日本の労働法制上その支給はなんら義務づけられておらず、全く任意の制度です。しかし歴史を遡っていくと、戦争直前のある時期退職金の支給が義務づけられたことがあり、それが戦後の制度に陰に陽に影響を与えていることが分かります。今回はその経緯を振り返ってみましょう。

 大企業では大正末期から昭和初期にかけて退職手当制度を導入する企業が相次ぎました。しかし当時の退職手当制度には、長期勤続の奨励とともに、会社都合による解雇者に対して高額の手当を支給することにより争議に発展することを避けるという意図も込められていました。いわば個別企業による失業手当という意味合いもあったのです。そのため、退職手当は主として解雇手当や失業保険との関係でクローズアップされました。

 内務省社会局は1932年失業対策委員会を設置し、失業保険制度の検討を始めましたが、経営側は企業の退職手当で失業保険を代替するという考えを示していました。そこで議論の結果、事業主都合の解雇だけでなく自己都合退職の場合も含めて、広く労働者が退職する場合の全てに手当を支給する退職手当制度の法制化に向かいました。これに対しても経営側は「法律で強制すべき筋合いではない」と猛烈に反対したのですが、対象を50人以上規模の工場鉱山に限定することでなんとか退職積立金及退職手当法が1936年に成立にこぎ着けたのです。

 これにより、それまで任意の制度であった退職手当が法律上の義務となり、対象となった企業は一斉に退職手当規程を設けることになりました。これが多くの企業に定年制が導入されるきっかけとなったといわれています。ところが、1941年に成立した労働者年金保険法が1944年に厚生年金保険法に改正されるのに併せて同法は廃止され、公的年金制度に道を譲りました。しかし、これは退職金法制の終わりではあっても、退職金制度の終わりではありませんでした。

  戦後は1947年労働基準法の就業規則に関する規定において、「退職手当その他の手当」が相対的必要記載事項として規定されました。労働法制としては、退職金は設けるのも設けないのも、その内容をどうするのかも、すべて使用者に委ねられたわけです。しかしながら、この時代は猛烈な勢いで労働組合が結成され、労働運動が盛り上がった時代でもあります。退職金問題をめぐって各地で争議が続発しました。その中でも有名なのが電産争議です。1946年10月の電産型賃金体系は生活保障給を中心とする典型的な年功賃金制度でしたが、退職金については、勤続20年で定年退職後20年間の生活保障を求める組合側の要求を経営側が受け入れず、結局1949年の中労委調停により、定年まで30年勤続で基本給の93.5ヶ月分で妥結しています。この他にも多くの企業で退職金をめぐる争議が頻発し、労働協約に基づく退職金規程が設けられました。

 この時期に退職金制度が急激に広まったのは、厚生年金制度の機能停止状態の中で、労働者が企業に退職後の生活保障を要求することが当然と考えられたからでしょう。使用者側はこれに抵抗し、退職金は勤続に対する功績報償ないし慰労金であって、生活保障は国の社会保障制度が担うべきだと主張していました。しかし、全国で解雇をめぐる争議が頻発している時期において、退職金制度とこれに伴う定年制の導入は、企業側にとって過剰人員を整理解雇という形をとらないで退職させることができるという意味でプラスの面もありました。

 戦後退職金法制は一旦なくなりましたが、現実に退職金を導入する企業が増加する中で、税制上の措置がいくつか行われます。まず1952年に退職給与引当金制度が創設され、社内留保型の退職金について、毎事業年度の決算において退職金に充てる所定限度内の費用を退職給与引当金勘定に繰り入れれば、損金算入が認められるようになりました。しかしこれは何ら支払いを保証するものではありません。その後損金算入限度はどんどん圧縮されていきました。

 1962年には日経連の要求を受けて適格退職年金制度が創設されました。これは要件を充たす社外積立型の退職年金または一時金について、その掛金を損金又は必要経費に算入するもので、2001年の確定給付企業年金法により規約型確定給付企業年金に移行していき、2012年に廃止されました。

 1965年にはやはり日経連の強い要求で、厚生年金保険法の改正により厚生年金基金制度(調整年金制度)が創設されています。これは企業が設立する特別の公法人である厚生年金基金が公的年金である厚生年金の報酬比例部分を代行する部分と、企業独自の加算部分を上乗せして給付する部分を組み合わせたもので、やはり税制上の優遇措置がとられています。この代行部分は、公的年金としての性格と職域年金としての性格を併せ持つ形になりました。ちなみに、大変皮肉なことに、近年のデフレ不況の中で各企業は代行部分の運営が困難となり、代行を返上する事例が続出しました。そして2013年改正で制度は廃止され、今後清算されていくことになります。

 一方労働行政サイドでも1959年に中小企業退職金共済法が制定され、中小企業退職金共済事業団に掛金を払い、事業団から退職金を支給するという仕組みが設けられました。なお同時に商工会議所等の行う特定退職金共済制度についても税制上の優遇措置がとられました。なお社内留保型退職金については、1976年の賃金支払確保法によって、金融機関による連帯保証、質権・抵当権の設定などの保全措置を講ずるよう努めるべきことが規定されています。

 ちなみに個別労働紛争の中でも退職金をめぐる紛争は一定数見られます。2012年度に4労働局に申請された斡旋事案853件のうち、退職金をめぐる紛争は17件ありますが、「入社時に退職金があると説明されていたのに、経営不振を理由に解雇通告されたとき、退職金はないと言われた」等と、中小零細企業の実態が浮き彫りになっています(拙著『日本の雇用紛争』参照)。

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コメント

労使折半のエントリと対比すると感慨深い日本の社会制度のエントリですね。
適年に中退金・・・お懐かしい。
こちらは社会(的)制度とはいえ、信用媒介セクターの十八番=商品そのものでしたねえ。
損金扱いこそキャッチアップ経済発展に寄与させる政治判断そのものでしたし、リニアとしては池田政治かな?
会計業務を専門とするライセンス=士の人たち、あるいはその時代の担当職場の方には甘酸っぱい、しかし元気いっぱいの時代話で、これが壊される頃こそ日本経済の実物・金融ともにドタバタが完全に世間に可視化されたターニングポイントだったように懐かしくも思い出しましてな~んも考えない回顧録瞬間芸です。

投稿: kohchan | 2016年9月 6日 (火) 14時36分

退職金に限らず、およそ「制度」と呼べるものは一度導入されて一定期間軌道に乗るとそれ自体が自律的な運動性能を身につけ、また様々な利害や権益がその周りを取り囲むため、本来の目的を失った後でも容易にそこから脱することが出来ません(政治力学的なロックイン状態)…。まあとはいえ、現実の競争環境下にある企業にとっては国や経済団体から強制力の伴うガイドラインでも示されないかぎり単独での見直しや撤退はFirst movers disadvantage になりかねません(うぶな単独行動はハイリスクそのもの)。まさにこの退職金エントリなど、最近Kohchanさんがよく使う星の光の到達時間差アナロジーの好例かと。そこに、さらにわれわれ生物ヒトとしての錯覚(人口ボーナス期の成功体験残像)がバイアスに加わって…。

投稿: 海上周也 | 2016年9月 7日 (水) 08時31分

存外にある日本社会慣習って、戦前戦後の大分岐点でのどさくさとその後のステークホルダー間にもたらされる居心地の良さ(改良されたとも言えますね)の帰結ってゴロゴロしてますね。
ですから長く根付いたものを変えるには、おっしゃるボーナス期からオーナス期に入った認識を脅すのではなく丹念に理解していくフォワード・ガイダンスは必要ではと思いまして、早川さんのご著書エントリ・コメントに講義前の経験を書かせていただきました。どうも変革への攻めどころは内部にそれも汎用型方法論ではなく専化型方法論にあると考えるのです。見方がそれを生業とされておられる方々と違うとすればそれは専門の違いだけで、たとえば先般いずれかのコメントに入れました癌治療における薬物療法の体内活性酸素による方法論も同じ発想なのです。なるべく身体のハレーションを生じないようなやさしいアプローチをと考えるとその技術進歩によりそうしたアプローチに実現性が見え始めたのですから生物学の思考法は社会にも当てはめられるかなと思っております。
われわれはそもそも生物ですから、その点ではそうでしょ。入れてエネルギー化し、不必要な残骸は排出し、己のコピーをつくり、しかしそれはクローンではない進化物である…社会そのものかなと思っております。

投稿: kohchan | 2016年9月 7日 (水) 11時09分

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