『働く女子の運命』第3刷が到着
『働く女子の運命』第3刷が到着しました。昨年末に出てから、9ヶ月で3刷目という着実な好評ぶりに、改めて心より感謝申し上げます。
これまでにマスメディア、ブログ、ツイッター、書評サイト等でいただいた評価は、このページにリンク付きでまとめてあります。
http://hamachan.on.coocan.jp/bunshunbookreview.html
初期の書評をいくつか紹介しておきますと、
http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20151215#p1 (吐息の日々 by 荻野勝彦)
ただこれはこういう本なので致し方ないところはあるのでしょうが雇用システムを強調しすぎ・社会システムを軽視しすぎの感はかなりあり、そのせいもあってかストーリー展開が少々強引な印象は受けますし、例によって知的熟練論に対する評価など違和感を覚える部分もなくはありません。乱暴な言い方をすればこれが本当に雇用システムだけの問題なのであれば、政策的に誘導して改善していくことも、それなりの困難はあるでしょうが不可能ではないだろうと思いますが、性役割意識とか、勤労に対する価値観とかに立脚した社会システムの問題が大きいだけに困難もまた大きく、正直悲観的にならざるを得ないという、これもこれまで何度も書いたと思いますが、やはり今回も同様な感想を持ちました。
http://analyticalsociaboy.txt-nifty.com/yoakemaeka/2015/12/post-636c.html (夜明け前の独り言 by 弁護士 水口洋介)
通勤電車内で熱中して読んで、つい降車駅を乗り過ごしてしまいました。
http://d.hatena.ne.jp/obelisk2/20151225/1451002257 (オベリスク備忘録 by obelisk2>)
濱口桂一郎『働く女子の運命』読了。いやあ、おもしろかった。日本で女性が働くのがむずかしいのは、日本の男性がダメなためだけではないのである。
http://ryojikaneko.blog78.fc2.com/blog-entry-408.html (社会政策・労働問題研究の歴史分析、メモ帳 by 金子良事)
老婆心ながら、この本で女性労働の歴史を学びたいという方には、おやめなさいと申し添えておきます。
この金子さんの書評には、私のリプライ、金子さんの再書評、私の再リプライと、延々とやりとりが続いておりますので、御用とお急ぎでない方は、一体どこで噛み合ってなくて、どこで食い違っているのかをじっくりと楽しんでいただくネタにもなっております。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2015/12/post-ca5f.html
今回の御批評には、正直かなりの立ち位置の違いを感じました。半封建的日本資本主義の構造とか低賃金とか、いかにも社会政策学会主流派の視点だな、と。もちろんそれはそれでいいのですが、本書で取り上げてきた一方では労働省婦人少年局の女性官僚たちからオビで「絶賛」している上野千鶴子さんたちフェミニストたちの視点をぬきに、法政策を軸にした女性労働の話はできないのも事実です。
・・・まあそこをわかった上で、そこが女性労働政策の転換を駆動した部分であるからそういう叙述にしているわけではあるのですが。なので、「この本で女性労働の歴史を学びたいという方には、おやめなさいと申し添えておきます」というのは、ある面では仰るとおりではあるのですが、とはいえそういう伝統的社会政策的視点だけでは逆に上野千鶴子さんとは対談の接ぎ穂がなくなってしまうかも知れませんね。
http://ryojikaneko.blog78.fc2.com/blog-entry-410.html
濱口先生からリプライをいただいたのですが、ちょっと、話がおかしくなっている気がするので、もう一回、交通整理しましょう。私が認識枠組みの話と政策の次元の話をわけて書かなかったのが行けないのでしょう。
・・・このようにいろいろ考えていくと、わざわざ「女性労働」として取り上げるならば、かつての婦人少年局が目指した女性労働の労働条件向上の原点に戻った方がよいのではないでしょうか、というのが私の意見で、それを考えるならば、もっと包括的に女性労働を取り上げる必要があったし、濱口先生はそれが分かっている人だからこそ、やって欲しかったということです。
ちなみに、私は上野先生と対談する機会がないので、接ぎ穂がなくてもまったく困りません。それにこの分野はそれこそ社会政策学会にもたくさん優秀な研究者がいるので、私ごときがわざわざ女性労働問題にしゃしゃり出る余地はありません。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2015/12/post-2346.html
金子良事さんが「交通整理」をされたというのですが、正直言ってますます交通渋滞になっているようにしか思えず、とはいえせっかく交通整理していただいているので、それに沿ったかたちで、自分なりに交通整理をしてみたいと思います。
・・・ごちゃごちゃとして、あまり交通整理にもなっていない気がしますが、少なくとも金子さんの文を読んで頭が交通渋滞状態になってしまったのを、何とか自分なりに解きほぐそうとしてずらずらと書き下ろしてみました。
改めて考えてみると、私がここがキモよ、ここを読んでね、というつもりで書いたところを、そういう風にとっていただけていないことが、交通渋滞の原因かな、という気がしました。
それはもちろん私も叙述ぶりにも原因があるのかも知れませんが、労働法学系の方はわりと素直に私の意図するかたちで読んでいただけているようなので、私が一言も言っていない「女性の低賃金問題」が、あたかも最大の課題のように飛び出してくるのを見ると、金子さんの読みぶりはやはりあまりにも「伝統的」な社会政策学的志向のゆえんではないかという感もあります。
マル経や小池理論が出てくる以前から、女性の低賃金問題はあったわけで、それを男性を中心とした雇用構造から説明しようというのが濱口先生の立場で、私は女性の働き方そのものからもっと説明すべきだと考えている、というのが大きい違いのような気がします。考え方や何かという意味では大きな影響力があっても、現実の女性が低賃金であることに、マル経はもちろん、小池理論でさえもそこまで影響力はなかったと思うので、たとえそこが「キモ」であっても、私はあまり意味があるとは思えないのです。
・・・山下ゆさんへのリプライを読んで、ああ、こう書けば分かってもらえると思ったのですが、濱口先生のおっしゃる「キモ」の部分こそ先に削除して、「家族システムとの噛み合い」をメインに据えた方がよかった、というのが私の感想です。それこそが女性の低賃金を正当化させてきた最大の理由であり、それなしに女性労働の全体は見えないだろうと思います。その外部のシステムとの関係があるからこそ他の著作も勧められるのであって、それがなければ、『新しい労働社会』で『日本の雇用と労働法』の二冊で十分です。というか、そもそも二冊でさえも読んでくれるか分かんないし(汗)。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2015/12/post-6520.html
少し見通しが良くなったように見えますが、逆に言えば、双方の立ち位置の違いがよりクリアになったとも言えるかも知れません。
これはおそらく今までの本についてもそうなのですが、わたくしの関心と説明のありようは、基本的に法政策の動向を、実態の構造分析から説明するという両跨ぎのスタンスにあります。最初の『労働法政策』で流れだけを詳細に書いた労働法政策の個々の領域について、労働研究の成果等を用いてなぜそうなったかを構造的に説明するというのがそのスタイルになります。
・・・でも、正直言って、根っこがアカデミズムじゃない私にとって、学者であろうが何であろうが、政策過程の中のアクターに過ぎないんです。そして、その理論の土俵の中でどれだけ評価されているかいないかなどということはあまり関係がなく、現実社会の政治過程の中でどれだけどういう立場に役立つ理論として使われたか使われなかった、ということが主たる関心となる。
本書で言えば、第2章に出てくる理屈はすべて、伍堂卓雄であれ、皇国勤労観であれ、マル経であれ、総評であれ、日経連であれ、小池和男氏であれ、なんであれ、それでもって何かを切るための「包丁」ではなく、包丁で切られるべき「素材」に過ぎないのです。
マルクスの理論に何にも関心がないくせに、それが戦後日本の生活給を正当化したいという欲望にいかに使われたかという観点でのみ論じるような下賤な文章は、確かにある種の人には不快感を感じさせるであろうな、と思います。でも、それは、そもそもそういう観点で書かれた本なんですよ。
http://ryojikaneko.blog78.fc2.com/blog-entry-412.html
濱口先生から三度、リプライをいただきましたので、だんだん、分かってきました。はっきりと、「日本の男女平等政策、ワークライフバランス政策がなぜ何故にこのような歴史をたどることになったのか、欧米のそれと異なるゆえんは那辺にあるのか、というのが私にとっての最大関心」という風に書いて下さったので、ようやく私としてはこの本の意図していることというか、問題意識が分かってきましたので、私なりにそこら辺を書いてみたいと思います。
しかし、しかし、ですよ。あえて一言、言わせて下さい。
分かりにくいわ!
私としては男女共同参画になって、女性政策が後退した側面もあると思っています。たとえば、母子家庭の貧困の問題なんかはそれですね。とはいえ、いったん、問題だと認識されるようになると、昔と違って父子家庭の貧困(フルタイム労働は困難)の問題も取り上げられるようになって、その意味では男女共同参画社会の恩恵かもしれません。男女共同参画社会といったって、まだまだ昔ながらの社会のままで、そうであれば、いきなり男女共同参画社会に飛ばず、古典的な女性労働特有の問題だって今こそ重要だと思います。まだ、男女平等政策だけで女性労働問題を語れるような時代に我々はいないんじゃないでしょうか。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2015/12/post-fdf1.html
拙著の書評という形を取りながら、逆に金子さんの発想の有り様をとてもよく浮かび上がらせてくれている文章になっていると思います。
何よりもタイトルがすべてを物語っています。曰く:
男女平等政策は男女平等政策で、女性労働政策は女性労働政策で!
つまり、女性労働政策の叙述は男女平等政策なき女性労働政策として書かれるべきであり、男女平等政策の叙述は女性労働政策とは切り離してそれだけで書かれるべきである、と。
それはそれとしてひとつの考え方であると思います。
ただ、現実社会における法政策に即して物事を考え、論じていこうとすると、そういう峻別論では不都合が生じてしまいます。
・・・しかしそうなると、その言うところの男女平等政策なき女性労働政策は、労働省婦人少年局が一番力一杯仕事をしていた時代をすっぽり抜かして描き出されなければならないと言うことになります。
女性労働政策とは、かつては女子保護規制であり、ごく最近になってワークライフバランスが出てきたが、その間は空白期である、と。
・・・個人的には、ここまで男女平等政策なき女性労働政策にこだわる金子さんにこそ、上野千鶴子さんと対談して欲しいという気もしますが、機会がない以前に、多分あまり気が進まないのではないかとおもわれます。
http://ryojikaneko.blog78.fc2.com/blog-entry-413.html
私のタイトルがややミス・リーディングだったようなので、もう少し整理しましょう。とやっていると、収拾がつかないので、せっかくようやく噛みあってきたので、本筋だけ書きます。私は別に男女平等政策を抜かせと言っているわけではありません。それをやりたいならば、女性政策以外の部分も必要でしょうということです。
・・・歴史的に見たら、濱口先生のおっしゃるように、男女平等政策は婦人労働政策の本流から出て来ただろう、というのはその通りなんですよ。しかし、男女平等にしても、ワーク・ライフ・バランスにしても、女性からだけ見ていてはダメで、男性とともに総合的に捉えなければならないというのがこの間、関係者の努力でようやく少しずつ共有されるようになった話でしょう。
・・・私は女性労働政策という切り口でみるならば、男女平等だけではダメで、男女平等政策を中心に据えるのであれば、女性政策だけではダメだという立場です。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2015/12/post-5749.html
というわけで、いよいよ年末が迫る中で、金子・濱口劇場第何版かもそろそろ大団円のようです。
・・・日本の女性の困難をそれなりに完結したストーリーとして描こうとすれば、だいたいこれくらいの範囲で描くのが一番適当でしょう(非正規のところだけは正直心残りはありますが)。それ以上縮めても膨らましても、うまくいかなかっただろうと思っています。
http://blog.livedoor.jp/yamasitayu/archives/52127314.html (山下ゆの新書ランキング Blogスタイル第2期)
このように女性をめぐる雇用の問題と来歴を広範な知識で説明してくる面白い本ですし、「ジョブ型正社員」という回答も間違ってはいないと思うのですが、『若者と労働』や『日本の雇用と中高年』が雇用システムと教育や福祉といった外部のシステムとの「噛み合い」を鋭く指摘していたのに比べると、この本はそういった部分がやや弱いと思います。
http://d.hatena.ne.jp/dokushonikki/20151230#p1 (アランの読書日記)
本書を読んでいる途中で、メンバーシップ型/ジョブ型のことばかり書いてあって、社会福祉とか家族のありかたに触れていないではないかと一人で突っ込みを入れていたが、この文章で、本書のテーマは、「日本型雇用システムの中で苦しむ総合職女性」なのだと納得した。
・・・・・・・
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