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2016年8月12日 (金)

政治部記者のイデアルティプス

今話題のこれですが、

http://www.huffingtonpost.jp/2016/08/10/shuntaro-torigoe_n_11422752.html(「ペンの力って今、ダメじゃん。だから選挙で訴えた」鳥越俊太郎氏、惨敗の都知事選を振り返る【独占インタビュー】)

思想の向きがどっちとかこっちとかいうどうでもいいことは全部抜きにして、なるほど、政治部記者というのはこういう人たちなんだな、ということがよおく分かりました。

Otorigoe9570・・・僕はテレビ番組のアンカーをやっていた時も、何日か取材して、全部自分の頭の中に入れて、それを自分の言葉で番組の中でしゃべるわけだから。新聞記者の時だってそうなんです。だから、僕はジャーナリストという言葉はあまり好きじゃないから使いませんけど、報道の現場の仕事をしていれば、何カ月もかけて物事に精通するとかではなく、本当に急ごしらえでガーッと詰め込まなければいけない仕事をしてきているわけ。50年間。だから、それについてはそんなには心配なかったよ。もちろん、すぐには分からないけれど。

そうか、50年間ずっと「何カ月もかけて物事に精通するとかではなく、本当に急ごしらえでガーッと詰め込まなければいけない」という類の仕事の仕方をしてきたわけですね。

もちろん、新聞記者の中には、そういう類いじゃない、労働でも社会保障でも、きちんと勉強し、熱心に事実を追いかけて、立派な記事を書くような記者もいますよ。でも、新聞社の中のカースト制ではそういうのはB級記者であって、その時の政治的気流に敏感に反応して「本当に急ごしらえでガーッと詰め込」む類の人がA級スター記者になるわけですね。

そういう類いの人に「ペンの力って今、ダメじゃん。全然ダメじゃん」とか平然と言われると、なかなか脱力感が半端ないものがありますね。そのふにゃペンは、あんたのふにゃペンだろが、って。

(参考)

ちなみに、「ある日突然、「鳥越さん、都知事選出ないの?」って聞いてきた」という古賀茂明氏に関しては、このエントリをどうぞ

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/post-916a.html(古賀茂明氏の偉大なる「実績」)

・・・それにしても、こういう本来政策的な正々堂々たる議論(もちろんその中には政治家やマスコミに対する説得活動も当然ありますが)によって決着を付け、方向性を決めていくべきまさに国家戦略を、役所同士のポストの取引でやってのけたと、自慢たらたら書く方が、どの面下げて「日本中枢の崩壊」とか語るのだろうか、いや、今の日本の中枢が崩壊しているかどうかの判断はとりあえず別にして、少なくとも古賀氏の倫理感覚も同じくらいメルトダウンしているのではなかろうか、と感じずにはいられませんでした。

(追記)

続きの方も、大変話題のようですが、

http://www.huffingtonpost.jp/2016/08/10/shuntaro-torigoe-2_n_11424086.html (「戦後社会は落ちるところまで落ちた」鳥越俊太郎氏、惨敗の都知事選を振り返る【独占インタビュー】)

文字通り、「落ちるところまで落ちた」内容になっていますが、リベサヨさんとネトウヨさんが大好きな空中戦の部分は全部スルーして、本気で都知事になって何とかしようと思っていた人にとってはこれを聞かされたら逆上するだろうなという一節を。

Otorigoe3570 保育園、介護、新国立競技場の建設現場、伊豆大島、多摩ニュータウンにも行った。やっぱり僕らは見れば分かる、聞けば分かる。現場に行けば分かるというのがあるじゃないですか。ところが現場行かないでレクチャーを聞くだけだと、どうしてもピンと来ない。ようやく保育の現場に行って、保育士からいろんな話を聞いて、「あなたの手取りいくら?」「そうなの、そんなに安いの」という話を交わしてようやく、待機児童の問題について語れる自分がいた。

いやいや、選挙戦の残り10日になってようやく「待機児童の問題について語れる自分がいた」ですか。さすが、そういう下界の細々としたことには関心を払わずに、政策がどうしたこうしたなんていうつまらないことには関心を持たずに、高邁な「政治」だけに関心を向けてきた「じゃーなりすと」の面目躍如たるものがあります。

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コメント

エントリ「りべさよ・・・・」でも鳥越さんへのコメントさせていただきましたとおりですが、鳥越さんも桶川ストーカー事件等々には事実を”しつこく”追跡されたような記憶がありますし、それも社会を大騒ぎさせるA級スターが追う動機アリアリの注目事件であったではないの?といわれればそうしたインセンティブは当然ありますね、と一義的には否定不可能ですが、そうするとメディアってなによ、のそもそも論で迷子になりそうですねえ。
どうもこうした部類のエントリにはその対象者への否定的インプレッションが、それも今回は倫理神々しく強調されすぎのように感じるのはわたしだけでしょうか?。指定者へのメールならば結構ですが。
コメント中盤にある、もちろん・・・A級スターになるわけですね、の数行は
”きちんと”、”熱心に”、”立派な”と修辞でバイアスに取り込まれてしまう読者も考えられますし、しかしそれを絶対的としてしまう愚かさを犯す危険を考慮したように”もいます”よ、としっかり”も”で保険をかけてらっしゃるところは私がいつも不満に感じる日本式アナウンス方法論である「多くの人々はまじめにやってる」と同類で、鳥越さんは反論する機会を持つ方ですからいいんですけど、これを会社の中で、組織の中の伏魔殿的な不祥事にも絡み多用される日本の、その実は日本の社会セオリーをはずしてしまった人への拙速な臭いモノにはふた等で個人資質をことさら強調する差別バイアスに親和してしまう性向を感じるのです。私がおかしいのかなあ?と、ブログとやらを少しサーフしてみると、あ~、多いこと。これを瞬時にスピルオーバーさせてしまうテクノロジー時代というか老若男女にコモディティ化されてしまった日本社会っても差別も社会的には無差別に個人化されてしまっているなあと、これじゃあ、東スポも夕刊フジもゲンダイ等お父さんたちのお楽しみであった紙媒体は死んじまうよなとエントリから情報政策へと広げてみました。すんません。しかしこの国民性でビッグデータ政策は怖いですね、働き方どころの話じゃすまない
です。無邪気に喜んでいるコメントも見受けられますが。でも無謬国家にはやはりビッグブラザーを育んでしまう素養はありそうですね。技術進歩に社会制度も当然ながら人も追いついていけてないんでしょうねえ。となると、これこそ独占の最大ツールとなるわけで、政府も企業も必死こいて選択と集中の産業化に結びつく理系重点政策・戦略に邁進するわけです。

追記。

鳥越さんを擁護する訳でもなく、しかしちょうどよいモノがありましたのでご紹介まで。

本日の日経夕刊のシネマ万華鏡で米映画「ニュースの真相」が紹介されております。かの「60ミニッツ」プロデューサー自伝映画化です。D・ラザーが辞任に追い込まれるブッシュ大統領の軍詐称疑惑の大スクープと支持者のウェブを使っての誤認スピルオーバーに大揺れしたメディア大国の映画です。
ここには瞬間に賭けるメディアの性向が実話としてご覧になれますので、休日をこれ幸いに観るも吉、夕刊の評論を読むも吉。ハフィントンのタイトル「ペン・・・」に引っ張られたんじゃないですか?

北大の鈴木先生がブログで、
鳥越氏とトランプ氏が似ているということを指摘されています。

○トランプ氏と鳥越氏の共通点
http://kazutosuzuki.blogspot.jp/2016/08/blog-post.html
「(前略)ざっと挙げただけでもかなりの共通点があるように思える。もちろん鳥越氏はトランプ氏と異なる点もたくさんあるし、トランプ氏のような対立候補の暗殺を示唆するような暴力性は持たない。しかし、政治家としての自覚や責任、自らの言葉に対する一貫性や論理に関しては共通する点が非常に多く、このハフィントンポストのインタビューを読んだ時はさすがに戦慄した。

アメリカ大統領選という世界で最も影響力のある公職に就く選挙であり、そこにトランプ氏のような人物が二大政党の正式候補として指名されたことは、アメリカ民主主義の危機として不安視する人も多い。しかし、日本はトランプ氏を選んだアメリカを笑うことも蔑むこともできない。日本でも野党四党が統一候補として鳥越氏を担ぎ出し、人口にして1300万人、GDPにしてメキシコと同等の1兆1687億ドルの規模を持つ東京都の知事としてこうした人物を担ぎ出したということは、日本の民主主義の危機を示しているとも言えるのだから。」
(以上引用)


日本の「リベラル」派は、割と思想信条が近い?とも思われた、斎藤美奈子氏が選挙前に指摘したことなども踏まえて、反省するということができればと願いますが、なかなか難しいでしょうね・・。

○web掲示板談話 斎藤美奈子・森達也 第五十二回
件名:都知事選について
 投稿者:斎藤美奈子 http://www.gendaishokan.co.jp/article/W00101.htm
「次は参院選のことを書こうかと思っていましたが、気持ちが収まらないので緊急投稿します。都知事選の候補者選びについてです。
 野党連合の統一候補者が、本日、決まりました。もめにもめたあげく、U候補者が出馬を取り下げ、(あとから出てきた)もう一人のT候補者に一本化されました。(私にはとてもそうは思えませんが)「Tは勝てる候補者である」という理由だった。
 記者会見の中継を見て、正直、統一候補になったT氏の不真面目さ(都政をまるで研究してない)にもビックリし、ガッカリもしたけれど、仮に統一候補が非の打ち所のない人物だったとしても、野党連合のやり方には強い違和感を感じます。「よかったよかった、これで勝てる」。そう思っているだろう野党の幹部にも、反自民の野党支持者にも私は深く落胆しました。
 
 至上命令は選挙に勝つこと。そのためには、都知事職に強い意欲をもって準備してきた候補者をつぶしてもいい。そういう判断だったわけですよね。
 それは「組織の勝利のためには個人は犠牲になっても仕方がない」ってことでしょ。そういうのを何というか。全体主義というのよ。「個人の自由と権利は何にもまして尊重されるべきである」というリベラリズムの思想とは百八十度逆です。
 最終的に下りる決断をしたのはU氏本人だったとはいえ、そこまで彼を追い詰めたのは誰だったのか。野党の幹部と、野党支持の市民だったわけよね。
「勝てる候補者」って何? 目的は選挙戦に勝つことなの? よい都政をやってもらいたいってことが目的じゃないの?(以下略)」
(以上引用)

本エントリはメディア論主体としたものと思い避けておりましたが、統一候補とした野党群や労組群の見識こそ問われるべきものだと思います。
鳥越さんはあくまでコメントしたような世界での人。
でも彼には立候補表明以前に候補として打診の秋波を送っているんでしょ?そこを問題にしてほしいですねえ。名前を変えても相も変わらぬご仁たちがウロウロしてまたもシャッポを変えるだけでは見切られるはずですね。
記者会見での不真面目さ?知らないことを知らないといっただけです。真面目(素直)ですよ。そりゃダメよとなれば、そもそもマックさんや上杉さん等々立候補ありきであったはずで、これは野党統一となった時点での評価方法論です。でも他の主要2候補もそうでしょ?冒頭都議会解散等々所詮はマーケティングによる当選ありき、都政はその後のアダプテーションですよ。。いわば帰納法的プラグマティズムへ親和したような鳥越さんと、当選のための仮説(アドバルーン)を立てた演繹的手法でしかしフィージビリティとは別次元の政策でしかない(だって二元代表制ですから議会がウンと言わないとだめですものね)小池、増田両氏の時間上の違いが、ハフィントンで増幅するようなインタヴューを無警戒で受けてしまった鳥越さんの個人的わきの甘さ資質に帰する別次元の問題だと思います。なんだか日米反知性主義のお話のようになっております。鳥越さんを擁護しておるわけではありませんよ。批判すべきは政党であり同じく支援した組織という話です。その組織が「我々は間違えてしまった。スンマセン」といているならば問題は次に移りますけど。個人的ですが、ですから私はそうした諸組織を全く信用できないでいるのです。でも存在してるってどういうこと?って逆にお聞きしたいです。

よけいな一言ですが。
斉藤さんとおっしゃる方が発信されたという投稿文末文節。

「よい都政をやってもらいたいってことが目的じゃないの?」???解りません、まったく。
U氏であろうと誰でだろうと、そうした思いはまことに結構ですし、それが支持エネルギーとなり、他者への伝播行為を積極的に自己正当化させるとは理解いたしますが、それをいつまでも一義的に保持する限りはフォイエルバッハをもじりいえば「空想から科学」ではなく「空想に抱かれた妄想」ですよ。都知事がそのような権力者であったとしたら、それを期待しているとしたら立派な独裁親和者でしょう。唯一救われるとしたら、たまたまその選ばれし人物が聖なる方であればでしょうし、それはそれで議会を無視しております帰着で、それすら実は無視する革命理論に親和しているとしか考えられないし、それを「民度が問題」と非難し解にしてしまう人たちの実は政敵への憎悪を反転極大化させたラブ・コールであることをそろそろ学ばないとついて行きたい人も離れざるをえない残念な人(組織)になるのではと思います。

kohchan殿

> 「よい都政をやってもらいたいってことが目的じゃないの?」???解りません、まったく。

おっしゃることが理解できないのですが、
自分が立候補するのでない限り、誰かに都政をやってもらう事になるので、”良い都政をやってもらえるか”を判断基準にするのは当然だと思います。

Alerich様
ありがとうございます。

本意はその前のコメントに記しております。
おっしゃる通りですが、その判断基準が各々の今の立場等々で、また経済界重鎮が現役時代と引退した後で儘歴史観等々においてあるいは政治スタンスで真逆な立場を表明さたりと移ろいもあり、その定性的な表現がじつはあまりに幅広いと思っているのと、勝たなきゃ始まらないこととのトレードオフ関係、そして二元代表制である限り議会との力関係、そしてこれが一番ですが進行中である現実の都政運営を予測して生活している個人も企業もあり舵を簡単には切れない、北大の方がおっしゃるように(といいますか日本独特の首都圏人口に及ぶと考えますともっと膨れ上がりますので)巨大すぎ、その現実的執行をつかさどる公務もがんじがらめの規定に縛られたなかでいわば切り貼りしながらの運営を行っているわけですので誰が都知事になろうとある特殊な目玉政策は可能でも、平場の政策は難しかろうということからいたしますと、一義的な良い都政の定義も含めフィージビリティ性はないと申し上げた次第です。精神は賛同ですよ、むろん。でも勝たなきゃ…が政党の理論だった帰結であろうとおもわれますし、それにこだわった野党統一という久々のリアリティをまずは評価いたします。マクロはこれでよろしいでしょうか?ミクロの鳥越さん云々は違うエントリでコメントした通りです。メディアも瞬発性もあれば地道な追及もある、そのいずれに彼はいたかを考えると「そうでしょ彼は」となり、そうなると統一を支持しておいてと誤解されますと困りますが、それを支持した政党や組織は「なんなの?」が先行すべき反省点ではないかと考えます。

Alberichさん、ごめんなさい。
朝一番にチェックし即答いたしました(私は見直しせず即リリースいたしますもので)のでネームスペルをタイプミスしておりました。

ふたたびですが、些末なコメントをお読みいただき反応までいただいたことを感謝いたします。

はまちゃん先生、コメント以外のこういうことに使い申し訳ありません。

火付け盗賊のようで申し訳ないのですが・・・斉藤さんというかたの情報発信力にもうひとつもの申したいのですが・・・。
で、以下
それは「組織勝利のためには」・・・全体主義というのよ。
その後リベラリズムとはを高らかに謳っていられますが、そこにU氏の立候補断念と”それ”はどのような因果律があるのでしょうか?U氏が毅然と出馬すればよいことでしょう。統一云々にそうであるならば因果律はなく、断念にこそ氏とその組織に同意か親和する相関性の高さを感じる方が合理的ではと思われました。U氏批判ではなく、氏も不条理は感じながらも決断されたのでしょうし、ですからその決断を今か将来かの時間軸で考え、促した政と支援組織と個人群にまずは公に説明する責任があるのではないですか?ということを付け加えさせていただきます。
北大の方の云われておられるというトランプ氏と鳥越さんの相関度と民主主義の危機?大衆政治の帰結であれば、それは個人の意志を最大限の尊重するとされる原始的リベラリズム=反知性主義(ホフスタッターのいう意味ですから、俗に日本で使われる”アホ”ではありません)=斉藤さんの主張とはこれに通じ、よい政治を、というものが細分化された個々人の主張をまとめ上げる方法論を経る理へのプロセスを踏まないかぎり社会とはホッブス曰くの自然状態を良しとしたことになると思います。ながながすみません。コメントの限りで言わせていただくと、ナイーブすぎるのです。
また石を投げられるな(笑)。

ついでにふと・・・リベラリズムとは。

本ブログでもはまちゃん先生が(私も同意見ですが)連綿と涙ぐましい執着心(涙)により訴えられる定義こそ本来の姿ですから、当然自由の権利とともに自己責任を重んじる極力公の干渉やその規模を極小化する政策に親和されないといけないこととなりますよね。としますと、以前のコメントでも申しましたが、少なくとも主要3候補もU氏もその対極=公約の違いはあれども市場の失敗を認めソーシャリズムっぽい公(都)財政支出による独自の再分配政策を掲げておられていたと記憶しておりますので、個人の自由や権利擁護はよいとしても、再分配より自己責任を重視する都には振り付けさせない政策提案者に親和しなければならなくなりますので、ブログで頻繁にはまちゃん先生が訴えるliberalとsocialの誤使用事情にも通ずるものではないかと書き忘れを思い出し今頃ですが本件の最後のコメントとして上梓いたしまする。はまちゃん先生、違う?わたしゃいつもこうした誤用が通用するニッポンの学問輸入大国におけるガラパゴス進化を使われますと気持ち悪いし、そもそも海を渡ったら”おまえヘン”って叱られ修正ますけどねえ。憲法13条(だったかなあ)を守ろうよ!一点の(ご本人はおそらくちがうでしょうが)類ならば、Agreeです。でもリベラリズムと云っちゃってるから・・・はまちゃん先生、こっちもエントリがんばってね。

追記まで出てた。ビックリしてアゴラも覗いたらガンガン載せてる。
この鳥越星を取り合うような万有引力の法則のような結びつき現象と、またお互いのスウィングバイをフル活用するようなメッタ切りされる敗北候補は初めてではないか?、それも次点でもなく3位(上杉氏以下は・・・)なのに。
都知事候補である。平場は知らない人たちのポジションであったであろうこの椅子もずいぶんセコくなったものだとあらためて感心した(笑)。
これも個人化情報ネットワーク社会の功績であると考えると、発信の自由を獲得した(ようにみせ、実は情報ダダ漏れの新しいパノプティコンが完成するようだ。私は相互監視なるパノプティコンに変わったと勘違いしていたようだ)人々は一点主義でのフラッシュ・モブ組織のようなバーチャルを楽しんでいる。参った。

Kohchan殿

愚問に回答いただきありがとうございます。

>その現実的執行をつかさどる公務もがんじがらめの規定に縛られたなかでいわば切り貼りしながらの運営を行っているわけですので誰が都知事になろうとある特 殊な目玉政策は可能でも、平場の政策は難しかろうということからいたしますと、一義的な良い都政の定義も含めフィージビリティ性はないと申し上げた次第で す。

  おっしゃる通り、知事になってもこれまでの政策を根こそぎ覆す事は出来ないと思いますが、少しずつでも変えていくことによって平場の政策も変更可能だろうと思います(定量的な話になってしまいますが)
  現世田谷区長は以前は社民党の代議士でした。(自民党の分裂選挙により)当選後に初登庁した際、(ずっと自民党区長だった後の社民党区長ということで)戦々恐々としている区幹部に「従来の政策はそのまま継続して下さい。但し5%だけは変更させて下さい」と言ったそうです。5%程度のわずかな変更でも特徴的な部分を変えればパレートの法則ではありませんがかなりの変更になると思います。

(指輪のように)醜い嫌われ者のAlberich

(追記)には追記(笑)

瞬間芸でリリースしますもので思い出して。

鳥越星に本ブログとアゴラの万有引力の法則(エネルギー保存の法則)およびスイング・バイを書いた時点でこちらがタイムアウトでしたので追記を(載るとは思えませんw)。
もう一つ、エントロピー増大(秩序の崩壊とでもいえばお分かりでしょうか)法則もこれにも認められるようで、自然法則を解く(現時点での限定ですが)物理学の巨人の肩に乗っかっている幸せを感じまする。

Alberichさん
こちらこそありがとうございます。

繰り返しですが、同意しております。

都知事とエリアで少し書かせていただきましたが、せっかく世田谷区長を出されましたのでそれに敬意を表し分かり易い例で云うと2011年の震災・津波そして福島原発事故で米国は即、在日米国人に首都圏よりの離脱を即決いたしました。しかしそもそもそこに集約され生活する合理的システムによって生きている人々には米国のようなリアルな人道的配慮すらなされなかったことは、時の政府というより都含め首都圏エリアで物事を考えている米国の政府による人道的責任第一主義とは真逆な愚かさを露呈したと存じます。
首都のシャッポ選びは私が意義もあるでしょう。しかしかの事故対応にまったく機能不全であった事実は要は他の先進国とは違う大都市の分散ではなく集約大都市圏が日本特有の政治的にも生活者の視点からも、そして企業側からもなければいけないその欠落をナイーブさに求めてもと思っておりますので、Alberichさんからのありがたい反応に感謝しつつ、その規模は為政者選びで済むレベルを超えてしまっていることを2011.3.11の右往左往の醜態から学び取らないと、またいつか高度成長のつけ払いが首都圏住民に及びますけどといいたかったのです。その意味では申し訳ないけど、ご紹介された方々のナイーブさはとても容認できないのです。
わざわざ反応をありがとうございます。
毎度云っておりますが、瞬間でタイプしておりますので誤字脱字、誤用誤解もあるかと思いますので、あくまでそのレベルでお読みいただけたらと存じます。
最後に、昨日より今日、今日より明日にむけて物事を考えてらっしゃる方だと想い親近感を抱きました。
また私用で、はまちゃん先生、ゴメンね。

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