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« あのIMFが日本に賃上げを要求 | トップページ | 人事異動は「怪現象」 »

2016年8月18日 (木)

小林美希『ルポ看護の質』

27922691_1小林美希さんの新著『ルポ看護の質』(岩波新書)をお送りいただきました。ありがとうございます。

https://www.iwanami.co.jp/cgi-bin/isearch?isbn=ISBN978-4-00-431614-5

深刻さを増す人手不足の問題,また入院期間短縮化と在宅化が急速に政策的に推進される中で,ひずみをもろにかぶっている看護の現場ひいては患者の置かれた実態に,定評ある著者が鋭く切り込む迫力のルポルタージュ.看護の最前線で,いま何が起こっているのか.本来の看護とは何か,多職種による真のチーム医療とは何かを問う.

小林さんの看護問題に関する本は、2010年に『看護崩壊』という本が出ていて、その時にも本ブログで紹介していますが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/12/post-19db.html(小林美希『看護崩壊』)

その延長線上のルポです。

第1章 看護の質の劣化(「よくあの時、患者さんが死ななかった」/思うような看護ができない ほか)

第2章 姥捨て山の時代がやってきた(私の仕事は「追い出し屋」/「たらい回し」の仕組み ほか)

第3章 真のチーム医療とは何か(チーム医療の促進で、救命率が大きく変わった/周産期医療における多職種連携 ほか)

第4章 あるべき看護の姿とは(「特定行為に係る看護師の研修制度」/「いつ事故が起きても不思議ではない」 ほか)

どの章も、現場から上がる悲鳴を丹念に追いかけたいいルポではあるのですが、逆に日本の医療のマクロ的な状況から否応なくそういう方向に向かわざるを得なくなっているという構造的な姿が描き切れていないようにも感じました。

本来「療養上の世話」と「診療の補助」をするはずなのに、医師まがいの医療行為をどんどん押しつけられてリスクが高くて大変だ、というのはまさにそうなのでしょうが、それはこの日本社会が、それだけ膨大な量のそしてレベルの高い医療行為を医療の世界に求めるようになってしまっているからであるわけです。そして、それだけ医療行為のかなりの部分を看護師に回して何とか回して、それでも医師は過労状態で、こっちはこっちでいろいろと問題を生じさせているわけです。

医師から医療行為をどんどん押しつけられる看護師はそれに忙しくてとても本来の「ケア」などやっておられず、それが看護助手や介護士に回されていく、という姿は、確かに70年前の法律制定時の「看護婦」とは乖離してしまっているのでしょうが、看護師だけそこに戻れるわけでもない、というのもまた現実なのでしょう。

社会全体が、医療の世界に求める医療行為の量と質をもっと格段に減らして、「いやもうそれ以上ごちゃごちゃと医療なんかしなくていいから「療養上の世話」だけやっていてください」といってくれるのであれば別ですが、現実は少なくともそうではない、からこそ、病院も医師会も、厚生労働省も、関係者みんなその国民の意思を前提に振り回されざるを得ないのではないか、と、本書を読んだ関係者は思うのではないかな、と感じました。

突き詰めると、昔は平均寿命がずっと低かったのです。保助看法が出来た頃の平均寿命は50歳前後でしょう。後期高齢者が医療漬けで生きているというような状況は余りなかったはず。本書の指摘を本気で考えていくと、高齢者医療というものをどう考えるのかという哲学的な領域にまで踏み込まざるを得ない気がします。

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コメント

所得再分配(現金給付か現物給付かすべてを含め)の設計が、疫学転換はじめ保健衛生、医療と福祉国家の根幹に関わるすべてにおいてきしみを起こしていることは周知のことです。自由開業制が各地域に行き届いたプライマリ・ケア提供を皆保険制度と相まって一時的最適化をもたらしはしましたが、こちらも供給側が経済政策による社会的人口移動による都市部人口偏在が供給側をもその地へ連れて行ってしまう経済合理性と平等供給を目指す総合的福祉制度際せ系による解決を中央一律主導型から地域別事情に合わせる医療介護カスタマイズの緒につき始めた矢先ですので(まだまだ問題の変数はありますがとてもコメント欄では足りせんので分かり易いところで)現場の、今回エントリは看護ですが、こちらも供給問題として(量的)学士を求める看護職希望者(裏にはいろいろとありますが)増加により供給量とともにその質的担保(医学科のように教育用ハードは少なくとも、やはり教員問題はありますし急激な学士増加で私はその質を大変危惧しております)等々、あるいはその医師に替わりに押しつけられは保助看法抜本改正がない限りやや大げさというか、もしもそれが常態化しているならば大問題ですので、本を読んでおりませんのでどのようにかかれておられるかは今後読んで確認したいとは思います。でも学士化拡大はトップ校学生にとっては対して問題でもなく高度化と増員による集中的な看護こそ効率的な治療効果が出せることは知り抜いており、また医師の領域に入るNPも視野に入っておりますので、要は看護職も階層化により配分等による制度設計に大きな影響を与える今であります。増えたとはいえ女性職と言える看護職でありますからその性特有のM字サイクル問題もあり難題です。
ただし、地域包括ケアによる先般お書きした中央指導型から地域別の事情に沿った再編成等々を実は医療関係者が十分に理解しているとは言えないことこそそれを機能させる方法論が実は従事者に(その団体等の意向)より阻まれる既得権との折り合いもやらねばならないことも承知いただきたいと存じます。quality of Death を哲学的な領域にまで踏み込まざるを得ない気がします、というエントリ・コメントの文末に述べておられるように感じました。私は数年前から従事者と患者の最適配置を得るため等ではなく、医学とそれを社会に還元する医療の技術進歩に対する無謬性に危惧を感じ課題と与えレポート提出、その後講義でインタラクティブに従事者とは?医療とは?患者の権利と再分配機能との整合性とは?をディスカッションもあり、あるときは学生同士のディベートで考える癖をもつように、とくに実際卒業し現場で様々な社会矛盾に立ち会うリスクに耐えられるような医学生を輩出したいと工夫しております。が、こんなことおそらくほとんどしませんので、私が関わらない絶対多数の輩出された従事者は一年目にして迷子となり、3年目位には相当数が退職するイタチゴッコが現実です。そこが書いて本であるなら慧眼性はあるかと存じますが・・・どうでしょ?

追記といたしまして。まずは7行終わりから8行はじめに期した”総合的福祉制度(際せ系)・・・は(再生)です。
また、事前レポート課題こそ哲学的な問題とはまちゃん先生が書かれたのとシンクロする終末医療を考える「quality of death」の課題ですし、それに関連し「死の選択権と医学教育の矛盾」等々を扱います。高偏差値君、ちゃんたちはかなり深刻に考え(中にはドライな奴が必ずいておもしろいですよ)またそれに自身の所得源泉である限られた財源の最適化を様々な視点で議論させます。医学の社会における具現化である医療には研究とは違う財源というユートピアとディストピアを持ち合わせており、そこに自分はつっこんでいく覚悟をさせます(してるようでもあり、その後のメールではしっかり迷子にもなっておりますので要は大した奴ではない私ということですね)。
おっと、追記の目的は一つ。
ともすればこうしたルポルタージュ本は、その異様性を強調し読者のセンチメントに強く働きかけるモノがいわばベストセラーとして話題となる傾向がございます。たとえば岩波書店でしたら堤なにがしさん(ばばこういち氏ご息女)の米国レポートモノは周到な取材力とそれえのご努力には敬服しますが、やはり誤謬やややもすると意図的に強調された箇所も多々あり読者のみなさんには気をつけていただければなあと思いまして迷惑覚悟の追記をいたしたものです。
医療は過去に遡りみればわかるように、日本に残る公的な巨大制度の数少ないものとなっており、最近もある高額薬による「医療で国が潰される」式のキャンペーンにさらされました。そしてミクロでは群大等での医療過誤と組織的問題等々必ずそのシステムを壊すため(近くは郵政でしたね)不祥事や内部告発等々扇状的メディア報道でセンチメントを醸成され、結局は勝ち組になりたい内部者による崩壊誘導を常とした歴史を本ブログ読者と、幸いにも私のこのコメントをクリックしていただいた方にはご理解いただきたいと、またも長々と書かせていただきました。
はまちゃん先生、いつもごめんなさい。

kohchanさま

>ともすればこうしたルポルタージュ本は、その異様性を強調し読者のセンチメントに強く働きかけるモノがいわばベストセラーとして話題となる傾向がございます。

実際に『ルポ看護の質』を読んでからこういうこと言ったほうがいいと思いまーす
(ちゃんと読んだ(理解できた)後にはもう言えないかもしれないけれど~)

>堤なにがしさん(ばばこういち氏ご息女)の米国レポートモノは周到な取材力とそれえのご努力には敬服しますが、やはり誤謬やややもすると意図的に強調された箇所も多々あり読者のみなさんには気をつけていただければなあと思いまして迷惑覚悟の追記をいたしたものです。

具体的にどこがどう、と一つ二つ程度の例示もしないでこういうこと言うのは、ずるいと思いまーす

>扇状的メディア報道でセンチメントを醸成され、結局は勝ち組になりたい内部者による崩壊誘導を常とした歴史を本ブログ読者と、幸いにも私のこのコメントをクリックしていただいた方にはご理解いただきたいと、またも長々と書かせていただきました。

すいません、私にはkohchanさまの文章は高尚すぎて全然理解できませーん
頭悪くてごめんなさーい
たとえば「扇状的メディア報道でセンチメントを醸成され」っていうのは、一体何が起こってるんですか~?

米国医療制度をルポルタージュされた新書版には、誇張および誤認が見受けられると思っております。研究者はかなり眉をひそめております。が、解釈の問題が文章でそれは数多存在することは否定しませんし、しなければ言論統制として困ったことになりますが、事象は一つですのでそのが分かれ目ではないかと存じます。
この本の場合は文化圏の違いを無視しては危険ですし、日本とは決定的に違う米国のあり様(銃規制に際する立ち位置は日本中心で見てしまっては理解できるはずもありません)は、遠い昔に米国旅行したトクヴィルを読まれたらよろしかろうと思われますし、そもそも文化相対主義の優位性を外してしまうと、これしかお互いを理解する方法論は存在しないであろうと思われます。つまり「お互いを知り、違いを認め合う」ことでしかないと存じます。それなくしては同じ文化相対主義でも稚拙な「ちがうよね」であとは理解を思考停止するか、あるいは自文化中心主義的そのもので、せっかく中国が出ておりますのでいわゆる中華思想とおなじく、理想主義ではホッブスの自然状態(争い合い)の国家版に行き着くのだろうと思っております。
コメントを読ませていただき、ご理解いただけるかはわかりませんが以上です。

追加しておきます。

80年代に始まるたとえば、3公社5現業の民営化議論にはじめは何が使われ、次にどこに崩壊要因を広める国民への広いパブリシティしてきたか、その帰結にどのような功罪双方があり帰結として功。罪が確認されたとしても、またその罪が微小であってもそれは功利主義そのもので、そこに追いやられた少数者と選択された人への(どのようなプロセスかが問題ですし、ここに扇情的な方法論を独裁ではなく民主国家であればその手続きに国民が賛同をしやすいようなスキャンダル等々を入れ込むのは史実でも認められるのではと思います)帰結的功利主義に強く親和する時間選好の低さはそのまま社会弱者としてましてや日本のような新卒採用一発主義社会ではリガバリーは不可能ですし、それは公的制度にも適用させると考えます。壊れた制度は元に戻りませんから。
原口さんはおそらくエントリ内容ではなく、小生コメント総意でもなく、わたくしの物言いにダメ出しをされておられるのでしょうから、それは甘んじて受けます。頭が良いかどうかも、悪いのかも、テスト等で相対評価する方法以外は、直感(経験です。過去のものです)の解釈としか判断はできず、論理性が認められない限りはそれはそれで受けますよという意味です。これを難しいとおっしゃるならカーネマンでもお読みください。

確認できましたので以下をど~ぞ。

氏のベストセラー書「沈みゆく大国アメリカ」には、”マッキンゼー社の調査によると全米企業の約半数が罰金を払って企業保険を廃止するほうを選んだ”とありますがトンデモ数字です。これに限らずいわゆるオバマケア批判の相当部分および”次のターゲットは日本”の章の大半が事実誤認かある一面的解釈にて構成されておりました。

おかげさまで、わたくしのコメントをクリックしていただいた方へ実証的な分析に近いと確認していただけるよい機会でした。
読んでないのに…にはこうお答えします・
読んでないと公言し、この本が上記本に相当するとは書いておりません。今のメディア医療攻撃(書きましたでしょ)を鑑みますと危険水域に入っていることは確実ですので、それへの警鐘です。再度いいいますが、この本そのものを言ってはおりませんし、読んでみますとしております。
はまちゃん先生、非生産的な反応の発生源としてご迷惑をおかけしました。

ん?

>米国医療制度をルポルタージュされた新書版には、誇張および誤認が見受けられると思っております。研究者はかなり眉をひそめております。

で、具体的にどこの部分に「誇張および誤認が見受けられる」んですか~?

で、『ルポ看護の質』は、読む気あるんですか~?

沈みゆくアメリカですよ。最後のがラグしているようですね。

読む気はありますよ。いつ読むかはわかりませんが。

時間差で原口さんのコメントになったのでしょうね。

原口さんもよろしかったらどうぞ。
事前認識が必要でしょうから、二木立先生や権丈善一先生のご著書を読まれたらいいかと存じます。
大きな図書館には蔵書が多数あると思われます。

>とありますがトンデモ数字です。
の後に「実際のところは、・・・」と続かないんですね(笑)
しかも出典明記なしの文章を後出ししたことに悪びれもせず、「実証的な分析に近い」とは、さすがですね~
(堤未果もはた迷惑?)

>エントリ内容ではなく、・・・わたくしの物言いにダメ出しをされておられるのでしょうから
いえですから、『ルポ看護の質』のエントリ記事対して「ともすればこうしたルポルタージュ本は、その異様性を強調し・・・」などとコメントするのは、読んでないなら無礼でしょう、と言っておりますし、
「この本が上記本に相当するとは書いておりません。」と言うのなら、『ルポ看護の質』の記事でのコメントである以上、それはそれで無礼なのではないか、というわけなのですが

なお読む気はあると記述されていたとのこと、この点は失礼いたしました。安心してください、「異様性を強調」とかいうのはもちろん、kohchanさま流の空理空論的なこけおどし文章とも無縁の書き手ですから~

要はお気に召さなかったということでしょう。

文末はさすがに失礼ですよ。

何度も云いますが、エントリ本直接批判はしておりませんし、読んでおりませんのでできるはずもありません。
最初のコメントどおり、医療制度が社会動態の変化にうまく対応できず、また様々な既得権側の思惑等々が結果として公的な財産をつぶしてきた経緯を今回は医療にあてられてきたことと、すくなくとも民主国家ですからそれをマジョリティとするセンチメント創造には信用を失わせるスキャンダルの発信が内部崩壊を引き起こし椅子取りゲームが成功体験としてある危惧を申しております。
出典云々でどうやって理解されるのでしょう?どこそこの前に医療の様々な人的物的制度の変遷を知っていただかないと、これです、でもリアリティはないでしょう。ですから解釈は・・・と書いておりますし医療を巡る社会風潮の危険状況に警鐘を鳴らしたつもりでした。
しかし、たびたび小馬鹿にしたような物言いは失礼ですね。
エントリで済む話ではないのですから、紹介申し上げた先生方のご著書を読まれることを希望いたします。
個人的な怨さですね。エントリともコメントとも無関係な。

>紹介申し上げた先生方のご著書を読まれることを希望いたします。

わたしからも、kohchanさまが以前どなたかのコメントに対し反応して「斉藤なるもの」とのたまっていた(←kohchanさま、これはさすがに失礼ですぞ!)、斉藤美奈子を読むことをおすすめしまーす
たぶんkohchanさまよりは知性断然うえっす!

そのように人様を呼ぶことはないと思い確認しました。
エントリは「政治部記者のイデアルティプス」です。
そこでのyonusu2011さんのコメントで斉藤さんを初めて知りました。
私のコメントは「よけいな一言ですが、斉藤さんとおっしゃる方が・・・」
Alberichさんの応答には追加したようで「火付け盗賊のようで申し訳ないのですが・・・斉藤さんというかたの・・・」と記しております。なるもの・・・など使っておりませんがどうします?斉藤さんに関してはそれで知った限りですのでそのエントリ以外にはないと思いますが。
それと、知性が上かどうかなんぞ関係ないことですよ。
ご確認後訂正ください。
そのほかで万が一使っていたとしたら斉藤さんにはお詫びいたしますが、なるもの?どこからでてきたのですか?
ほっておいたら私が誤解されておしまいの大問題ですよ。

あ、本当だ。
大変申し訳ありません。
「斉藤さんというかた」でしたね。
お詫び申し上げます。
上の「堤なにがしさん」からの連想から記憶違いをしてしまいました。
まあそもそも「堤なにがしさん(ばばこういち氏ご息女)」が失礼なような気もしますが(笑)

>それと、知性が上かどうかなんぞ関係ないことですよ。
あ、そうなんですね~
じゃあ遠慮して「たぶん」と付けましたが、事実として斉藤美奈子はkohchanさまよりも知性がだんとーつ上だから、おすすめしておきまーす

kohchan殿

>たとえば岩波書店でしたら堤なにがしさん(ばばこういち氏ご息女)の米国レポートモノは周到な取材力とそれえのご努力には敬服しますが、やはり誤謬ややや もすると意図的に強調された箇所も多々あり読者のみなさんには気をつけていただければなあと思いまして迷惑覚悟の追記をいたしたものです。
>医療は過去に遡りみればわかるように、日本に残る公的な巨大制度の数少ないものとなっており、最近もある高額薬による「医療で国が潰される」式のキャン ペーンにさらされました。そしてミクロでは群大等での医療過誤と組織的問題等々必ずそのシステムを壊すため(近くは郵政でしたね)不祥事や内部告発等々扇 状的メディア報道でセンチメントを醸成され、結局は勝ち組になりたい内部者による崩壊誘導を常とした歴史を


  堤氏の著書は帯を見ただけですが、“アメリカの圧力や甘言で医療制度をアメリカ式にすると大変な事になる” という事をアメリカの医療の問題点を記述(強調?)する事によって主張している、つまり日本に残る数少ない公的な巨大制度である現行の医療制度を守る事を主張しているように思いました(主張が良ければ誤謬や意図的に強調された箇所があっても良いとは言えないと思いますが)
  高額薬による「医療で国が潰される」式のキャン ペーンも、“この高額薬が日常的に使われると、この薬の支払いで医療制度が破綻し、現状の恩恵も受けられなくなる“というもので、これもやはり現行の医療制度を守る事を目的とした主張だと思います。
  群大の件も、ごく一部の不適格者が起こした事であり、本来はその組織の自浄作用で対応すべきはずの事が自浄作用が働かず被害が非常に拡大した事が問題になっていると思います。つまり(ある)医療組織の自浄作用の欠如という問題点の指摘ではあっても、医療制度全体を壊すためのものとは思いません。
  以前に奈良県(?)で妊娠した女性患者が死亡し処置をした医師が逮捕されました。これに対して多くの医師が“この処置で逮捕されるのなら医療はできない”と反発したそうです。今回の群大の医師の行為に対しても、医療界では“彼やその組織がやった事が問題になるなら医療はできない”と反発しているのでしょうか?

Alberichさま
いつもご丁寧にありがとうございます。

堤氏も皆保険を壊す意思がないことは重々承知しておりますが、指摘したような調査数字やオバマケア批判tと日本ターゲットの解釈には間違いがるようです。オバマケアのそもそもから知る必要もあり、ご興味あれば二木先生のレターをご検索ください。
高額薬品=医療技術進歩が医療を滅ぼすという記述に関してかきました。おっしゃるように警鐘とも取れますが、やや専門的ですが医療が進歩する=医療費は上昇するは当然の帰結なのです。その医療費財源自体が不足のまま特に医療労働者へのしわ寄せ…ですから看護のルポもせんじ詰めるとそこに行き着くはずです。
高齢者等を問題視することもそれはそうでその層が分厚く、そもそも医療体制と技術進歩が生み出したパラドクスをその層の方々に持って行っては国の制度及び医療進歩否定となりうる解釈が怖いのです。財源はずっと足りないのです。生産性エントリにもあるように、物的生産性はぴか一、でも付加価値生産性は貧困、これが現状です。これを無駄は省くとしても、書きましたように、特に看護の人的集中投入が医療効果を高める検証が出てる以上、介護現場の問題と同じ構造欠陥を持っておりますので、あとは削れ、か増やせの選択と学生にも講義します。
医師の村社会問題に関しても、自浄作用当事者問題とは別に今回は群大を上げましたが、遠くは心臓移植の倫理的問題等々医療の閉鎖性=情報非対称性が高すぎるがあるため利用されやすい例であると思われます。
群大は今年のマッチングで希望医師数を大きく下回る結果となり、同医療地域での医師問題に数年後発展しそうです。特にその警察権力介入等々別のモデルケースはありますのでご自分でご確認していただき、医療側が持つ問題、制度と財源の国民全体の問題等難しいとは存じますが、先般ご紹介いたしました著者の本をめくっていただければ幸いです。過誤を容認はいたしませんし情報公開は基本です。が医療が人の体に開腹等々することを許される(ふつうならば犯罪です)のはなぜか?を学生には問います。その信任とは何に依拠しているのかをですね。それで物的生産性はぴか一で付加価値生産性は真逆であることに甘んじ頑張っておりますし。しかしその過酷さに耐えられず去っていくものもおります。しかし医療が介護が存在する限りあるべき姿をすこしでもよりよくしたいと我々は小さな力をぶつけております。しかし分配に問題を抱えた日本社会ではとくに保険という貯金ではなく掛け捨てでの助け合いということが徐々に疎まれてきた上瀬尾もございます。年金等も保険という事前平等を保障する請求権であることを理解していらっしゃる方がどれほどいらっしゃるか?医学生にも多くの誤解から始まっておりますし、それは情報の一辺的現象での偏ささと不足の表れで、消費税論議同様に理解歩深めていきます。またごちゃごちゃしてごめんなさい。
池田内閣時代からの税のあり方問題を以前コメントいたしましたが、そうしたものも勉強して語られないと、ともすると今は悪い意味での科学主義的な要素還元ですべてを評価する方法論に陥っているようです。
読むほうは小難しくボリュームあるものより結論にすぐに至るほが楽ですから。これが社会の場合は怖いと私は考えております。しっかりと考え抜くことだと。その意味では権丈先生もHPがございますので、本ではなくともかなりのことはネットで参照いただけると思います。
この問題は専門と市井の人々にかなりの情報非対称性が存在し、そこを理解し合える努力をと思ております。逆にいわゆる小さな政府論者に親和すれば、皆保険=強制は思想に反し壊したがります。そのせめぎあいでの一辺であることをご了解ください。

どうもありがとうございました。

Alberichさんへ
台風で出張調整でバタバタして、粗忽ものでもありますので忘れ物をお届けします。

次のターゲットは日本は、こうした解釈においては成り立ちます。
日本の皆保険制度を変える経済合理性は米国(製薬会社および医療機器メーカー)にはないと思われます。なぜなら、米国と違い皆保険財源は通常取引に見られる売掛金回収リスクがほぼないからです。したがって実現可能なシナリオは、単独で支配力をではなく、資本力で圧倒的に劣る日本製薬メーカーとのコングロマリットにより支配し安定的収益を得るほうが合理的であろうと考えられます。二木先生もそのようにお考えのようですが、先般コメントで紹介いたしました厚労省人事は意味深な感覚を捨てきれませんでした。
いずれにせよ皆保険の報酬傾斜配分内容にかなりの変更も辞さないとは思われますが、貸し倒れがない取引先なんて理想の君ですので。
こうした所得移転といいますか富の流出は、為替だけではなく再分配制度にも内包される可能性は高く、富が流出することは、地域包括ケアプラン等々にも影響大であろうと思われます。上記の内容も閲覧可能ですのでネットにてご確認ください。
失礼いたします。

kohchan殿

>やや専門的ですが医療が進歩する=医療費は上昇するは当然の帰結なのです。

  その当然上昇した医療費を支払側は負担できるのでしょうか?
支払側の負担をこれ以上増加させる事はかなり困難だと思います。日本で低所得者層に対する再分配がうまくいっていないのは低所得者に対する社会保険(健康保険、年金)の負担が重いからだ、という意見がありました。また大会社の正社員に対する健康保険も保険料を値上げしていますが(高齢者への拠出金等で)大部分が赤字です。
  医療が進歩すれば医療費が上昇するのは当然、上昇した医療費を支払側が負担するのも当然、と思って頂かれては困ります。


>国の制度及び医療進歩否定となりうる解釈が怖いのです。財源はずっと足りないのです。

  その足りない財源をどのように使うかが問題だと思います。材料が足りない時に塔を高くする事を優先して塔が倒れてしまっては本末転倒だと思います。究極の選択になってしまいますが、塔を高くする事と塔が倒れない事のどちらかを選べ と言われたら、私は塔が倒れない事を優先してほしいと思います。


>分配に問題を抱えた日本社会ではとくに保険という貯金ではなく掛け捨てでの助け合いということが徐々に疎まれてきた

  現在の日本の再分配政策に問題があるのは事実だと思います。税の抜け道を全て整理してお金持ちに本来払うべき税金を全て払ってもらえば医療費に充てる財源もかなり増えると思います。しかしお金持ちの総収入が毎年大幅に増加しない限り、税の増収(お金持ちが節税していた分)が毎年大幅に増えるとは思いません。医療の進歩による医療費の増加を当然視していると、いずれ税の増収分は医療費の増加に追い抜かれると思います。
  いざという時のための掛け捨てでの助け合いが必要なのもわかりますが、いざでない時の支出(日常の生活費)に苦慮している際は助け合いへの支出にも限度があります。”家計の赤字をなくしたい”という相談に対する一般的な回答の1つが”不要な(過剰な保証の)保険を解約する事”です。

  日本の医療の質(内容、アクセス性、費用)が世界のトップレベルなのは、現場の担当者へしわよせが行っているからだ という意見がありました。私も昔、愚息が夜中に高熱をだし救急車をお願いした事がありましたが、その際の関係者(救急隊員、医師、看護師)の対応には頭が下がりました。
  私は医療が(できれば現場の担当者へのしわ寄せを減らして)今後も崩壊しない事(関係者が現在の様に対応できる事)を願っています。

ありがとございました

医療費の上昇は帰結です。技術以前に健診の制度化により健診を受けておられない方々=水面下にいた方々の非感染疾病が顕在化しますから、いまは技術進歩以前に政府の方針はいわば慢性疾患患者を顕在化させます。当然ではなく見逃してきたということです。従事者も支払い側なんです。3面等価原理なんです、医療も小さな。従事者(学生)にはそのトリレンマがあるぞと教えます。
保険は大数の法則確率論で保険数理設計されます。大企業健保赤字とおっしゃいましたが、可処分所得への影響を心配されておられるようです。どうぞお知らせしました先生のアクセスをお願いいたします。料率には上限があり、その財政的選択は各組合それぞれです。健保が財政で一律ではありません。
公的医療と年金保険制度は強制加入です。民間保険の水平的再分配ではありません。垂直再分配です。こうした保険は掛け捨てです。
これを上野千鶴子先生も誤認されておられる指摘のはまちゃん先生のエントリです。しかし、終身なんです。請求権こそ権利なのです。これを税にすればその主導権は政治に移り、その権力支持者が強者となる社会が出現します。保険は事前平等(一律ではありません)の請求権を個々人が権力に左右されない優位性があります。
両先生のhp等にアクセスしてください。
助け合いの限界(量的)を感じているから、非正規でも健保や厚生年金等への参加を労使インセンティブが成立するように変えていきましょ、ミドルを少しでも分厚く、が本ブログの一面ではないですか?これははまちゃん先生にどうぞお尋ねください。
生産性のエントリを考えてください。物的で秀でて付加価値では散々、これが医療の事実です。足りないのです。
人口サイクル上今はこれが事実です。ポンコツなんです。
ロボティクスが飛躍的に進化して従事者に変わればよいかもしれませんし、自己責任でどうぞの選択しもありましょうが、受療率は偏在しそれは受益ステークホルダーも同時に縮小させ、いらんことですが医療が生み出す経済貢献も縮小させます。
わたくしの粗忽な言葉で反応されるのではなく、どうぞアクセスしてみてください。
公的医療費は国民総所得に対して一定の枠に収める圧力を求ますことはアクセスすれば実証として語られておられまので、また医療費亡国論(以前80年代もありましたがご存じですか?)がどういう経緯か、今回の場合は二木先生がトップで語られておらます。その功罪もです。これで万事とはおもってはおりません。当然は受ける権利の方が受けてない健診をすすめたら技術以前にあがるのが当然でそもそも健診率が低い層とはどこでしょうか?それを政府がやろとしているのですから足りんくなるのです。でもそうはいえないから効率化と称しこれまで診療報酬で経済誘導しようとしてきましたが、ことごとく失敗です。なぜなら、日本の医療を担うのは民間だからです。公立なら政策で、市場ならその競争に、公的保険制度で民間中心のいわばハイブリッドですから、エビデンスによる統治だと初めて示しました。実働するかはわかりません。いろんなステークホルダーの思惑が政治を通じて影響力を行使するでしょうから。
コメント内だけでのインタラクションは結構です。
そのために両先生をご紹介しました。

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