山野晴雄さんの専門職業大学観
山野晴雄さんの「三鷹の一日」ブログで、専門職業大学についてこう語られています。
http://yamatea.at.webry.info/201608/article_7.html(「専門職業大学」)
・・・このアンケート結果からは、高校教員には専門職業大学に対して関心が持たれておらず、内容も理解されていないことが分かります。児美川さんが「今のところの教育界には、専門職業大学の創設をめぐって話題が沸騰するといった気配は、まるで感じられない。高校教育の関係者でさえ、関心を持つ者はほとんどいないのではないか」と書かれている通りの結果となっています。
専門職業大学(専門職大学)の創設が、既存の大学や専門学校にどのような影響をもたらすのか、もう少し様子を見る必要がありますが、少なくとも、実践的な職業教育に特化した新大学が創設されることは、大学などのアカデミックな教育を上に、職業教育を下に見る社会的風潮に風穴を開ける可能性があることに期待しています。これまで大学、特に文系の大学は「職業実践的な教育から隔離されたアカデミックな機関だという壮大なフィクション」を守り続けてきましたが(濱口桂一郎『若者と労働』中公新書クラレ、2013年)、「教育と職業の密接な関係」に向けた新大学の創設は、大学の位置づけを変え、「教育と職業の密接な無関係」を名実ともに「密接な関係」に転換していく突破口になる可能性を持っているからです。
まあ、レリバンスという文字を見ただけで逆上的反応をされる方々もおられるようですから・・・。
ただ、こういうやや大上段の話よりも、昨今話題の「絶望の国の不幸な奨学金」現象が何故ここまで拡大してしまったのかという問題に、関係者はもう少し真摯に取り組む必要があるようには思います。
所詮卒業したら役に立たない会社から全部忘れろと言われるような中身しかやっていない、と、(実際にはどうかは別にして)世間一般の共同主観では思われてしまっているような、そんな大学教育のためのコストを、どうして社会全体が負担しなければならないのか、そんなもの親が負担するのが当たり前だろ、という根っこにある感覚です。
それがもはや親が負担できない状況が拡大する中で、返済しなければならない有利子奨学金と、膨大な時間を吸収する時にはブラックなアルバイトで絞り出したお金を集めるという結構なビジネスモデルが、いつまで持続可能なものなのかは、のんきな大学関係者の皆様と言えども、そろそろ真面目に考えた方がいいようには思います。
詳しくは下記『POSSE』寄稿(予定)論文をご参照のこと。
« 絶望の国の不幸な奨学金@『POSSE』32号 | トップページ | 「契約社員という不思議」 @『労基旬報』2016年8月25日号 »
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