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新入社員が定時になると即帰る、アイツはだめだ

いろんな所に呼ばれて日本型雇用となんたらかんたらとかいうテーマでお話しするときに、だいたいはじめの方は定番のパターンがあって、そこでは、

http://hamachan.on.coocan.jp/roujun1107.htmlどのような社会をめざすのか?ヨーロッパと日本(上)

・・・さらに、日本の正社員には労働時間の制限がありません。もちろん、日本には最低労働基準を決めた労働基準法があり、この32条に「使用者は労働者に1日8時間、1週間に40時間を超えて労働させてはならない」と書いてあります。法律があるのだから、日本には労働時間の上限があるだろうと思うのが自然です。労働法の教科書にもそう書いてあります。

 しかし、日本で働いている正社員たちは、そういうものはないと思っています。1日8時間働いたから「俺は帰ります」と言ったら、「こいつは何を考えているんだ。馬鹿じゃないか」と言われます。皆さんが、これから新入社員となって、自分の与えられた仕事が終わったから、あるいは決まった時間がきたから「帰ります」と言ったら、最初は先輩がやさしく「お前、大丈夫か」とくる。それでも何回も繰り返していると「こいつは変な奴だな」とレッテルを貼られる。その先も続けていると、どうなるかわかりません。

てな話をするのですが、まさにそれそれという記事がダイヤモンドオンラインにありました。タイトルがまさにどんぴしゃ、「なぜイマドキ新入社員は定時で即帰ってしまうのか」

 今年の新入社員もそろそろ職場に慣れてきた頃でしょうか。しかし、現場のマネジャーや先輩写真からは、こんな声が聞こえてきます。

「新入社員が定時になると即帰る、アイツはだめだ」

 新入社員の立場からすれば、「仕事が終わっているからいいでしょう」と言いたくなるかもしれません。しかし、上司世代には彼らがいつも定時に帰るという行動が理解できないのです。・・・

そしてその次の説明もまさに、日本国労働法制が想定するジョブ型雇用関係とは遠く離れた「所属意識」(カタカナで言えばメンバーシップ意識)が出てきます。

・・・新入社員が定時で帰ってしまう理由の1つに「所属意識の違い」が挙げられます。

 決められた時間の中で、業務をこなす。こういったアルバイト感覚、学生感覚が抜けきっていないうちは、組織に所属しているという意識が根付くまでに時間がかかります。新入社員が「定時だから帰る」という行動は、まさにその意識の延長線上にあります。

いやいや、アルバイト感覚、学生感覚、って、それこそが日本以外の万国共通の労働者感覚というものなんですが、まあでもドイツ語のアルバイター感覚という意味ではその通りかも知れない。

その後、なかなかまともな分析も出てくるのですが、

・・・逆に多くの時間を残業に費やしている中堅以上の社員は、所属意識だけでなく「居場所」を会社に求めている場合があります。ただ単に家に帰りたくない場合や、家庭の中で居場所がない場合。少し早く仕事が終わっても、まっすぐに帰らずに周りを食事や飲み会に誘う上司。これらは定時に帰るトンデモ新入社員とは、正反対だと言えます。

 つまり会社がホームとなっており、家や家庭がアウェイという状況なのです。実際に10年程前に私自身が会社勤めをしていた際、タイムカードは退社時間でしっかりと打刻していたものの、毎日のように深夜まで雑談をしていたり、部署の誰かを飲みに誘う上司もいました。

上司いるいる、ですが。

ところがその後の処方箋は、いかにして「トンデモ新入社員」に「会社「も」居場所と思えるような仕事を与えていくことが必要」というのが結論なんですな。

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コメント

ジョブとメンバーシップに解の方法論を求めることは認めますし、はまちゃん先生はけっして「こっち」と言われてはおられず、漸進的に日本で可能な私流に言わせていただくとマトリクスにとおっしゃてるのでしょうが、上野さんとは違った意味で拙速に、あるいは意図的に利用なさる方もおられるので注意したいものですが、ジョブ社会が日本社会の長期混乱に比して性向し続けているか否かは社会が多様な変数で成り立っていることを鑑みますと(EUなんてそうですね)また方法論はありそうですね。会社かホーム、家庭がアウェイは労働者の健康被害にみられる企業犯罪ともいえる案件でそれこそ即廃止させる政治案件ですが、Googleのような企業は特殊かもしれませんが、あのシリコンバレー内での小さな地域での労働移動は参考となると思われますし、ムーンショットのように労働内にマトリクス時間法をいれることで創造性をより保障する企業知性力の導入も検討に値する方法論かもしれません。

投稿: kohchan | 2016年8月10日 (水) 11時08分

ちょっとくだけて。
・・・逆に多くに時間を・・・に始まる後半の場所を会社に求める人を”中堅=社内身分や勤務年数が比較的長くまた高い人”や”上司”にターゲティングって、そりゃかわいそうだし、話としては受けるだろうけどねえ、と笑いながら読みまして、またいらんことを書かせてもらっております。
帰納法的に会社=8時間という毎日の1/3を生活している空間という特殊事情であることがそもそもあることをはまちゃん先生は知りつつも、そうしたシチュエーション発生の複合的起源の筆頭としてわざと話されておられるのでしょうが、それが同じ時間帯で全く違った(たとえば自分の大好きな余暇の場所と時間としたら)シチュエーションでもこの人は同じ行動をするだろうか?そこではそれをしないとすればやっぱり日本型雇用っておかしいね、となるロジックですね。
でもね、いらっしゃるんですよ。その会社シチュエーションに立場は近似しなくとも毎日遅くまで帰らず超勤申請を出し続ける中堅でも上司でもない人が。ある大脳生理学でその行動様式を説明した法が合理的な可能性も医学が進歩した今ではあるのです。なんでも市場(交換)で説明したがる方向に親和性高い人G・ベッカー大好きな立場の人はそれを「合理性」で十把一
絡げに抽象化するし、これはこれで説明としては成り立つのですが、もう70年代の古い経済帝国主義的考え方ですし、今のようにそのころは脳科学にかんする研究がまだまださっぱりな時代でしたから、ベッカーの数多の理論も実証的手法ではありながら、今考えると結局は推論をある方向へ持って行きたがる「目的論」だったなあと思っており、これがとんだ粗忽モノの手によるとこういう話法って、よく与党の長老政治家が漫談調でしゃべってる映像があるでしょ?そこでたまに舌禍事件も起こしますよね。聴衆も望んでいる「予定説」ともシンクロしてなかなかなくならない。それくらい「目的論」っぽいロジックなんです。あの世でラマルクは大喜びしていますよね。私の考えは英国では葬り去られたが数世紀を経てジパングで生きているのだ。どうだね?チャールズ。
ダーウィンはや~な顔しながらも「フィンチで君のそれを私は証明したも同じじゃないか」って。
進化は今も続いております。

投稿: kohchan | 2016年8月11日 (木) 14時52分

マネジャーとしての労務管理上、日本企業から来た部下に対しては「今日中に終わらせる必要がある仕事はオーバータイム(18時以降)してでも終わらせてください。その必要がなければオーバータイムしないで早く帰って自分や家族との時間を大切にしてください」と指導しています。ここでのポイントは「自分のジョブが一体何であるか」に関する自己認識が周囲のそれと一致していることです。すなわち、「今日の仕事はこれで終わりだ」と自ら判断したとしても、仮に自分の仕事(ジョブ)がきちんと定義されていなければ、理屈上、仕事は無限に誰からでも預かることが可能です。その結果、競争の厳しい日本企業の職場ではメンバーとの飲み会(という名の別の仕事)がない限り、理論上は毎日0時(翌日)まで帰社できないということになりかねません…。これが、「JD(職務定義書)がなければ残業は減らない」とされる所以です。

投稿: 海上周也 | 2016年8月12日 (金) 19時49分

マックス・プランクは「科学は葬式ごとに進化する」と。それをもじってポール・サミュエルソンは「経済学は葬式ごとに進化する」と含蓄ある巨人たちのお言葉です。
それを使いニューズ・ウィーク誌は「もはや使い物にならないシカゴ学派がいまだに生き続けるということは、現代のケインズがいまだに現れないことである」と。
さて、この巨人たちの格言とそれを堂々と拝借したメディアと本エントリ内容との正の相関関係が成立するとしたら、制度論よりも本質的解は「死=ジェネレーションの入れ替え」となりますね。そうすると、記事にあります「定時になれば即帰る」は極めて偉人たちの格言に忠実であり結果的に実証説明していることとなりますね。「ダメだなニッポン会社は」論は対極に存在する、あるいは破壊すべきと思われる人の自分化中心主義に近似し文化相対主義がもつ成長ポテンシャル「共感」を事実上拒否します。たしかに労働の定義づけを完備することは必須ではあれども、当然その先にある生産性の変化含む両義的な説明ができるものであることがないとやはり前者の立場ということになりかねません。そうした意味では今日の人的資本理論が技術革新に依る複雑化や内生的成長理論を破壊していることもまた説明できなけらば部分的な均衡でしかない=できるところとできないところのギャップ(大企業と中小企業。資本にあるとする文化ギャップは依然として残る帰結となります。少なくともこのレベルでの範疇は国内=内経済上ですので、そこでの生産、分配、支出3面いずれもからの問題をも説明できる解がほしいものです。一企業内の話であればそれはそれで結構ですが、そういうエントリ意図ではないと思われますのであえて問題提起いたしました。

投稿: kohchan | 2016年8月13日 (土) 08時25分

もちろん外資系企業が全ての労働者にとって理想的環境だとは申しません…。個人の業務が固定化されがちなジョブ型組織の最大のリスクは、トップマネジメントの手腕や経営戦略の適否に会社業績が極めて大きく依存することでしょう。裏返していえば、グローバルの経営者と戦略とビジネスモデルさえしっかりしていれば、個々の労働者は自分のジョブとして与えられた職務領域だけに専念できるとも言えるし、反面、自分のジョブだけに専心し経営や会社組織の全体像つまり自社ビジネスそのものに無関心になりがち(サイロ化しがち)です。この点はある意味マトリクス型グローバル企業/ジョブ型組織の避けれられない構造的欠陥ともいえ、特にラインマネジャーには部門の壁を越えるコミュニケーションやプロジェクトマネジメントが強く期待されてます。

日本を代表するトヨタ自動車の世界への最大の貢献は、ハイブリッドカーを作ったことでもなくレクサスを割安で売っていることでもありません。現場労働者一人ひとりの経験やノウハウを徹底的かつ継続的に引き出すボトムアップの改善活動を経営手法として体系化/普遍化させたことでしょう。これはトップダウンが当然/必然の非日系グローバル企業では絶対になしえなかったことだと思います。

投稿: 海上周也 | 2016年8月13日 (土) 15時05分

海上さん、ありがとうございました。

例にあげられたトヨタ評は時代としてトヨタだけを評すればそうであったと思います。ただし「カイゼン」はスミスさん流の分業とそれに独創的なチームライン化を成功させた企業内労働者には幸多かったことでしょう。しかし「カンバン」ジャスト・イン・タイムは、国内生産中心時代には垂直統合の象徴としてその傘下に入ることこそ中小零細企業もメリットがあったのでしょうが、70年代以降に起こる為替変動相場制への移行からはじまるグローバル化=現地生産へとシフトしていく製造業(大企業)の経済合理性を当然視いたしますと、今の時代に国際的な椅子を得ることができやすいかは複合的な要素が各国事情と絡み合い模索なのでしょうね。
やはり業界セクターでその有り様は一概には言えないということですね。今はとにかくある事実の中で改良していく段階であることを多くの方々が理解されることからしか始まらないように思えますし、しかし日本経済の図体の大きさを考えますと舵をきるにいは相当の力業だなあと考えます。
あらためてご応答を感謝申し上げます。

投稿: kohchan | 2016年8月13日 (土) 15時50分

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