国民とは何か?
いや、そんな大それた話じゃありません。
国民健康保険とか国民年金保険とか言うときの「国民」って、一体何だろうか、という話。
もともと、雇われて働く労働者というのが少数派で、徴付きで、保護してあげなくちゃいけなくて、だから健康保険とか労働者年金保険とか作ったわけです。
その後に、それほど積極的に保護してあげなくちゃいけない訳ではないけれども、やっぱり国民みんな等しく守られるべきという趣旨で国民健康保険とか国民年金保険とかができたわけです(超大幅に簡略化しているので細かい文句は無し)。
その時の「国民」のイメージは、自らの労働力を売るしかない労働者でなく、自分の財産を持ち自らの計算で(小なりといえども)事業を遂行している農業商工業の自営業者のみなさんだったわけでしょう。
逆に言うと、おいおい、ブルジョワとプチブルだけが国民かよ、俺たちプロレタリアは国民じゃねえのかよ、非国民かよ、と、古典的左翼な人は文句を言ったのかも知れません。
それからはや半世紀以上の月日が経ち、いまや「国民」の内訳は、無職が4割以上、雇用労働者でありながら正社員用の健康保険(それも、大企業高給正社員用の健康保険組合と中小企業そこそこ正社員用の協会健保に階層化されていますが)に入れてくれない非正規労働者などが4割弱、自営業は併せても2割もないという状況です。
いや、社会保障関係者なら誰でも知っている常識的な話ですが、あらためてこの「国民」という言葉遣いがいろんな意味で面白い。
いまや、「国民」とは、健康保険や厚生年金保険に入れる会社のメンバーとしての「社員」じゃない人々という意味になってしまっているようです。
いわば、「非社員」というネガティブな概念のユーフェミズムとして、社員じゃないけど日本国の国民ではあるよね、といういみでの「国民」。
そして、マクロ政治方面で割と大きな声で「国民」をめぐって議論している人々の言葉の中に、この文脈での「国民」という概念ってかけらもなさそうだな、というあたりもいろいろ。
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大した重要な話ですよ。
事実の現象は一つでしかなくとも人の解釈法は幾らでもあり、それが時流の集合体としてその時その時主流の社会的認知物となるのですから。
さきの「非正規雇用は・・・」エントリへの質問への概念の移ろいを介したアプローチに勝手に解釈します。
もっともこれは確かに政治学・地政学研究者や神学方面からのクレームは受けるだろうなあ。
投稿: kohchan | 2016年8月23日 (火) 15時37分
なぜ?
私だけバカコメントしてるのか?
読んでるはずだろ?
ランキングとタップ指向性はアルゴ的にこのブログの正規分布性向も大方理解できた。
そのサイレンシーとニヒリズムのΣ3。
大袈裟なといわれるかもしれないが、そうかな?ともやもやしてたがやっと感じた。
投稿: kohchan | 2016年8月23日 (火) 19時15分